トガった彼女をブン回せっ! 本編幕間その7
『油断はできないわよねぇ』

ちょうどその頃、話題のモーナカ・ソレッラ・スオーラは、留十戈(るとか)市内の警察署内の会議室にいた。
もちろん何か犯罪行為をしてしまった、という訳ではない。
スオーラがこの世界に来た理由は謎の侵略者・エッセと戦う為。もちろん何度かこの世界にも出現している。
エッセは常に何らかの生物を模した姿で現れる。その全身は金属光沢を放つ何かで覆われて(できて、かもしれないが)おり、その口からは生物を金属へと変えてしまうガスを吐く。
そうして金属に変えた生物のみを捕食するという、とても厄介な相手だ。しかも通常の武器は一切効果がないときている。
まともに効果があるのは、スオーラや昭士といった「エッセと戦う力を持った」者の攻撃だけだ。
普通の目撃例はまだほとんどないのが幸いだが、一応この市内にもいくつかの監視カメラがある。そこにはしっかりとエッセも「犠牲者」も写っている。だから警察がその侵略者の存在を知らない訳はないのだ。
もし、そんな侵略者の存在が明るみになれば、それこそパニックどころでは済まないと判断され、警察の権力と実力を総動員してその事件や存在を懸命に秘匿し続けているし、スオーラ達の活動を完全にバックアップしてもいる。
エッセはもちろんスオーラの正体が知られても大変な事になるからだ。
良くてマスメディアの変な取材攻勢、悪くすれば異世界の力を欲する何者かによる誘拐。良い事など一つもないのだ。
とはいえこの現代のインターネット社会。しかも一個人が簡単に情報を発信できてしまう世の中である。
情報の秘匿がいつまでもできはしないのは始めから判っていた事だ。事実SNSで「謎の生物?」的な情報が時折出てくるようになってしまっている。
最初に会ったから、という理由で半ば「スオーラ対応係」的な立場にいる少年課所属の女性警察官・桜田富恵(さくらだとみえ)は、相変わらずぼやいている。
「このところは全く出て来ていないみたいだけど、油断はできないわよねぇ」
そう。エッセはまさしく神出鬼没な存在なのである。
過去のデータからひも解いても、出現に関して何らかの共通事項がある訳ではないからだ。
そんな状態だから、いつ現れるのかも、どこに現われるかも、どこで見張っていればいいのかも、何もかも判らないづくしなのである。侵略者エッセも、その目撃者も。
[で、ですがそれは被害者がいないという事でもありますし、よろしいのではないでしょうか?]
終わりの見えない仕事だからか、それとも年末の忙しい時に例年と違う仕事が飛び込んで来ているからか、正直に言って富恵を始めとする警察官達はピリピリしている。
そんな雰囲気を感じているからこその、スオーラの慰めようとする言葉。だがそれも微妙に伝わっていないようで、富恵の繕った笑顔はそのままである。
元の世界ではレベルの高い教育を受けてはいるものの、まだまだこうした事態を収められるほどの実力はない。
エッセと戦うようになってそろそろ一年が経つスオーラだが、どんなに高い教育を受けていても、知識だけでは実際の社会生活を送るのに充分とはいえない。
その当たり前の事実を日々痛感している。特にこの世界に来てからはあらゆる物が見た事も聞いた事もない物ばかり。
これまで過ごして来た十五年間。この一年足らずでそれを遥かに上回る人生経験をしたのではないかとスオーラは本気で思っている。
富恵の笑顔の繕った割合が少しだけ減ってきた。開き直ったのか諦めたのか。
「ところで、この年末はあっちに帰るの?」
話を中断して富恵が訊ねてくる。
「はい。仮にも聖職にある身です。一年の最後と最初を飾るパヴァメに一切参加をしないというのも気が引けますので」
スオーラの故郷の異世界では、年末年始にパヴァメと呼ばれるお祭りがある。彼女が信仰しているジェズ教の神と、その神に仕える者を祀るお祭りらしい。
年末の九日間と年始の九日間の合計十八日間続く壮大なものと、スオーラは説明した事がある。
聖職にある身と言っても、スオーラはその中でも階級が一番下の「托鉢僧」。各地を回って布教活動をするのが主な仕事だ。
だが、エッセと戦える数少ない人間という事と、何より父親がジェズ教最高責任者の地位にある事から、必要以上に敬われている。
聖職者の家系に生まれてその道を志すを疑う事なく勉学に励んだ結果、こうしてそれとは全く関係のない地で、布教活動すらせずに過ごしているのだから、世の中判らない。
だが、故郷を離れこの日本で過ごす事を、何より布教活動を全くしていない事に後悔がないのは、ハッキリと自覚しているし本気でそう思っている。
ただ過ごすのではなく、この世界の人間・角田昭士とそれこそ肩を並べて命懸けで戦いを繰り広げてきた事による連帯感がそう思わせているのかもしれない。
だがそれは連帯感ではあっても、恋愛感情では絶対にない。
スオーラが信仰しているジェズ教に、聖職者の恋愛を咎める決まり事はない。しかし聖職者である以上やはり信仰を第一にしたいという思いはある。
けれど、信仰を第一にしたいのに信仰の一表現である布教活動をしていないのだから、矛盾がないと言えば嘘になる。
年末年始のお祭りには参加したいというのは、その矛盾を自分なりに挽回しようという思いから来ているのかもしれない。
そのお祭りの事を思い出したからか、スオーラは何かを思い出したように富恵に向かって、
[トミエ様。先日からお願いしている……]
「ああ、のなす……ナントカいうヤツね」
そう返事をして富恵は「あ」と一瞬言葉に詰まった。スオーラの国では「相手の発言を遮って自分の発言をする」のは、大変失礼な事とされている。それを思い出したからだ。
だがスオーラはそこまでムッとした表情をしていなかった。こちらとの「差」を汲んでくれたのだろうか。富恵は内心ドキドキしながら続けた。
「言われた通り、部屋の冷蔵庫の中にずっとしまってあるわよ」
その言葉を聞いたスオーラのホッとした表情を見て「大丈夫だ」と確信し、こちらもホッとする富恵。
この年末は労働基準法などという物が存在しない世界に放り込まれたかのような忙しさがである。
警察官にももちろん休暇はあるが、すぐに眠ってしまうため部屋で“ゆっくりできる”時間はあまりない。こんな感じの「預かりもの」ならお安い御用というものである。
[有難うございます。こちらの世界で冷たく暗い場所というのが思いつかなかったもので。こちらの世界では倉や地下室を持つ家があまりないようでしたので]
確かにそういった家は現代日本には少ないだろう。
だがそこで富恵の頭に疑問が浮かんだ。彼女の世界にはなくても普段住んでいるキャンピングカーには冷蔵庫はついているだろうに。
[あ、いえ、それは……いわゆる『さぷらいず』とかいうものでして。はい]
黙っていれば「冷たい印象の美人」であるスオーラが、しどろもどろになりながら取り繕うと慌てている姿は、どことなく滑稽に写る。
特に今の格好が、シンプルとしか言いようのない飾り気の全くない黒いコート。それも身長一七〇センチ越えの彼女のふくらはぎ辺りまでのロング丈。長身に加えて大人びた容姿と服装、体型からは想像できない。むしろ本来の十五歳という年齢相応のリアクションだと富恵は思った。
[そ、それではわたくしはこれで。ノナスニトナモチトナ・セナシクニミーキナは二十日に取りにお伺い致します]
これ以上そんな慌てふためく様子を見られたくないとばかりに、謎の言葉を残しつつ富恵の返事も聞かずに、スオーラは早足で会議室を出て行く。
入口にいた署員とぶつかりそうになってしまうがそこは華麗かつ自然に避け、そのまま署内を歩いて行く。
その後ろ姿を何となく見送ったその署員は会議室に入って来るなり、ドアをキッチリと閉めて鍵までかけた。
「え、え〜と……」
富恵が署員の顔を見てリアクションに困っていた。当然である。その署員は今まで自分が見た事のない顔だったからである。
もちろん全署員の顔と名前を記憶している訳ではないが、それでも「この人は全く知らない人だ」と断言できるくらいの記憶力は持っているつもりだ。
その署員はつかつかと富恵の前まで来ると、
「これ、一応定期報告です。文書にまとめました」
感情に乏しい淡々とした声と口調。その話し方で富恵は思い出した。
「美和さんでしたか。驚かさないで下さいよ」
本来なら得意げに微笑んでいるのだろうが、これまた感情に乏しい表情を浮かべている署員――益子美和(ましこみわ)は、
「いえ。潜入捜査官の端くれとしては、このくらいの芸当は見せないと」
そう言いながらスパイ映画に出てくる諜報員のように顔の皮膚をペリペリと剥がして素顔をさらす。頬のソバカスが少しばかり目立つ、どう見ても十代後半の女性の顔だ。とても警察官には見えない。
美和は変装やパソコンなどを使った情報収集・操作を得意としている、少年犯罪専門の潜入捜査官である。厳密には警察官ではない。
日本の警察はこうした潜入やおとり捜査は「基本的に」行わない。非公開の組織に依頼をするのが普通である。
その実力は相当なもので、一度富恵の目の前で富恵に変装してもらった事があるのだが、三分とかからずに鏡に映ったとしか思えないレベルの変装をした程だ。
その正体は、何とスオーラの故郷の異世界から来た人間。それも二百年程時代を飛び越えて。かつては地元で有名な盗賊団の団長だった人間。ビーヴァ・マージコというのが本当の名前である。
しかしその正体の方は富恵にも話していない。それを知っているのは――成り行き上話してしまったとはいえ、角田昭士・いぶきの兄妹くらいだ。
富恵は美和から受け取った報告書をパラパラと斜め読みしながら、
「さすがにエッセが現われていないだけあって、彼らの生活も落ち着いたものね」
「そうですね。先月昭士くんがいぶきさんに崖から突き落とされて以降は」
その辺りの事情は聞き知っているものの、良く助かったなぁと本気で思っている。実際は崖から川に落ちた昭士を助けたのは美和なのだが、そこは伏せて報告している。
「忙しいのは警察くらいでしょう。まだマスメディアには伏せているらしいですが、首を斬られた遺体が見つかったとか」
美和の無責任に聞こえなくもない発言に、富恵の表情が凍りついた。今警察官達がピリピリしている原因だからだ。
先日北海道の雪山で首のない遺体が発見されたのだ。
その切り口は鋭利な刃物らしき物で裁ち斬られていたが、血は一滴も流れておらず、拭いた跡もなければ肝心の首も見つかっていない。
明らかに人間業とは思えない=通常の事態ではない=もしや情報公開を禁じているエッセと関係があるのでは。そんな論法でこの話がここへ来た為に、警察署内は大忙しなのだ。
富恵もスオーラに言うべきかどうか迷っていたが、結局言えずにいた。まだエッセと関係があるかどうかも判らないからである。
「それで、ここからが本題なんですがね……」
富恵達の苦悩など知った事ではないと言いたげな美和は、淡々ともう一つの報告書を取り出し、富恵に差し出す。その表紙には『ガン=スミス・スタップ・アープに関する調査報告書』とある。
ガン=スミスとはスオーラの故郷の異世界で出会ったガンマンである。
彼の出身は何とアメリカ。それも二百年は昔に異世界に渡り、そこで現代にタイムスリップして昭士達と出会った人物というのだ。
それを昭士達から聞いた美和が裏を取ると、確かに二百年程前の西部開拓時代、アメリカはイリノイ州に、そんな名前の保安官がいた事が記録に残っていた。
その報告書には家族構成から経歴まで事細かに記されていた。二百年も前の事をよくぞここまで調べ上げたものである。
「一応あちらの世界でエッセとの戦いに協力しているようですので、念のため」
報告書によると、何故かガン=スミスという人物はこちらの世界に来る事ができないらしい。そんな人物の事をこの世界の警察機構が知っていてもあまり意味はない気がするのだが。
これまた報告書を斜め読みしていた富恵が、ふと妙な事に気がついた。
文章中に「彼」という単語が出てこないのである。そうすべき部分全部に「ガン=スミス」といちいち書いてある。
何かの詩であれば演出や韻などを考えてあえてそうした書き方をするかもしれないが、これは普通の文章である。文法的にもあまり良いとはいえない書き方だ。
「ああ、それはですね」
聞かれた美和は、もったいつけるようにそう前置きすると、
「こちらの世界では男性ですが、あちらの世界では女性なのです。彼と彼女のどちらを使って良いものか迷ったので、いっその事名前にしてしまおうと思ったまでです」
確かにそんな状態の人間に相応しい代名詞は、少なくとも日本語にはない。


角田昭士といぶきの兄妹は試験後の教室に二人残されていた。目の前には学年主任の男性教師が立っている。
残された理由は単純明快。成績と出席日数の問題があるからだ。
二人ともエッセとの戦いの為に学校を休む事もしばしばあり、昭士の場合はそれに加えて成績の方も決してよろしくない。
もちろんそんな事情など話す訳にはいかないので「学校をサボるな」という叱責を甘んじて受けている。
一方のいぶきは、成績に関しては全く問題がない。ペーパーテストの成績だけを見るならば何の文句もない、全教科満点に近い点数である。
だが、昭士同様に戦いの為に学校を休むのに加え、傍若無人な尖り切った言動のため敵も多いので周囲の人間とのケンカが絶えず、この九ヶ月で何度も停学処分を受けている。
いぶきは「周囲の物体の動きを超スローモーションで認識する」という特殊な能力をもっており、ケンカとなった時にはその能力をフル活用して相手の急所を的確に狙い、それこそ撲殺するようなレベルで叩きのめしていた。
手加減など一切しないし、ためらいや罪悪感などこれっぽっちもない。しかも悪を許さぬ正義感などではなく「気に入らないから」「殴りかかってきたから」「どうでも良かった」と言って悪びれる様子も全くない。
そのため毎日のように警察の世話になっており、これだけを見れば典型的な不良学生である。
それもエッセとの戦いを経ても性格の方は全く変化がなかったのに対し、それ以外の方は大きく二つの変化が現われた。
一つは「周囲の物体の動きを超スローモーションで認識する」能力が、今は昭士の方に移っている事。
もう一つは、素手での破壊力が極端に跳ね上がるようになってしまった事。
始めのうちは頑丈な部屋や牢屋に入れておけば良かったが、とうとう普通にごつんと壁を叩いた程度で建物全体を破壊するレベルにまでなってしまったから始末に負えない。
おかげで全国の刑務所や留置所がいぶきを拒否。警察ですら「逮捕してもどうにもならない」と匙を投げる有様だ。
そんな風に腫れ物扱いのいぶきだが、こんな風に残されて機嫌が良い訳はない。特に日頃から「死ね」と公言している兄と一緒なのだからよけいに良い訳はない。
実際周囲の机に八つ当たりして粉々に粉砕してしまっている。先生が言ったところで無視するだけだし、昭士が言えばより強く反発するかのように、さらに破壊される机が増えるだけだ。
なので教師はいぶきを完全に無視して、
「ああ、お前達二人、そんな訳で、この試験休み中は揃って補習だからな」
どがん!
いぶきの無言の抗議。代わりに拳を叩きつけた机がまた一つ使い物にならなくなってしまった。
彼女の場合補習を受ける事が嫌なのではなく「揃って」という部分が猛烈に嫌なのである。
そこで教師が強気に出られないのは、いぶきが中学時代にボランティア活動をする事になった際「そんな事をさせられるくらいなら死んだ方がマシ」と、本当に自殺を図った事があったからだ。
だから自分の目の前でそんな事をされては……と責任を取りたくない気持ちが萎縮させているのだ。当然とも言えるが。
そんな教師を見飽きたのか気に入らないのか、いぶきは構わず席を立つ。そしてカバンを片手に教室を出て行ってしまった。もちろん教師の言う事には一切耳を貸さず。
その後ろ姿を思わず見送ってしまった教師だが、やがて昭士に向き直ると、
「どうにかならんのか、お前の妹は?」
「な、なな、なってたら、ここ、こうなってませんよ」
ドモり症のためドモって答えてしまう昭士。少しでも昭士の言う事を聞くような性分なら、確かにこうなってはおるまい。
とはいえ。これほど他人、何より昭士を嫌いに嫌っているいぶきを放っておけない事情がある。
昭士といぶきはスオーラと共に謎の侵略者と言うべきエッセと戦うようになった。
戦いとなった時、昭士は戦士へと変身を遂げるのだが、いぶきは同時に巨大な剣に変身するのだ。
刃の部分だけでも一六〇センチ程の昭士の身長よりずっと長く、幅も広く、とても分厚い。剣というよりは巨大な鉄塊としか言いようがない無骨きわまりない剣。例外は柄に浮き彫りにされた「両手を広げる裸婦像」くらいのものだ。
もちろん剣の重量もそれに見合うだけの三百キロ程もある。
ところが昭士だけはその三百キロの重量をほとんど無視して振り回す事ができる。
本来はエッセにのみ使う武器だが、普通の敵相手に振るっても三百キロの重量が加速度を加えて襲いかかるという恐るべき武器になる。
そんな長くて重くてゴツイ武器にも関わらず、その名は「戦乙女の剣(いくさおとめのけん)」という。
そして一番重要なのが、この戦乙女の剣でエッセにとどめを刺した時に限り、エッセによって金属にされた生物を元の姿に戻す事ができる、という点だ。
ただでさえ昭士達戦士の攻撃しか効かないのにこんな特典まであっては、いぶきがどんな人間であろうと、どれだけ非協力的であろうと、放っておく訳にはいかないのだ。
戦いを始めてから半年以上が経つが、いぶきは未だに非協力的態度を貫いている。
その辺りはいかなる事情や報酬を積まれても「誰かのために」「みんなで一緒に」という行動を絶対にやらないいぶきの意志の強さと取れなくもない。
もちろんそれを立派な事だと思っているのはいぶきただ一人であり、それ以外の人間には非常にはた迷惑なだけであるが。
ほんのわずかの間の長い葛藤の後、
「とと、ところでせんせ、先生。おお俺が残されたのって……」
「補習だってさっき言ったばかりだろう。今回の期末だって、昨日までに受けたテスト、三分の一くらいは空欄で出してるそうじゃないか」
グサリと来る一言である。まだまだノートを写しきっていない範囲が山ほどテストに出た事による「ヤマ」のハズレ具合の影響である。
「そもそも遅刻・早退・欠席も多いから出席日数ギリギリだろ。加えて成績も悪いんじゃ、留年したくなきゃ補習と追試を受けるしかないぞ」
学生にとっては実質強制である。受けなければ留年が確定し、もう一年間一年生をやる事になってしまう。
「本当は妹の方もなんだが、とっとと帰ったみたいだし。家に帰ったらちゃんと言っておけよ?」
教師はそう言うが「多分ダメだろうな」と思いはした。昭士が言わないという意味と、いぶきが聞く耳持たないという意味で。
「それから、女にうつつを抜かすのも、程々にしておけよ?」
教師の真面目な感じが崩れ、どことなく冗談めかした雰囲気になる。
「確か学食の……スオーラさんって言ったか。どうなんだ?」
「どど、ど、どうって?」
いきなり聞かれたので普段以上にドモる昭士。教師は「おいおい」と呆れた顔になると、
「彼女と付き合ってるんだろ? まぁまだまだ、いわゆる『清い交際』ってヤツなんだろうが、最近の高校生は判らんからなー」
そう言われても、昭士とスオーラは彼氏彼女だの恋人だのと呼ばれる関係ではない。
最近はかなりマシになってきたとはいえ、昭士はいぶきの傍若無人な言動に巻き込まれているせいで、女性全般との付き合いはご免だと考えている。
もちろん女性全員がそうでないと頭では判っているものの、積極的に付き合うのは勘弁だ、と。
スオーラとの関係も、共に敵と戦う同志以上のものはない。確かに他の面々が言うように人間としても「良い」人物である事までは否定していないが。
そもそもスオーラには故郷の世界に婚約者がいる。それも一国の王子である。
現在はエッセとの戦いの為に婚約を解消しているようだが、それが終わればまた元に戻るだろう。
「まぁこれから休みになるからと言って、ハメは外さんようにな」
そう言って「明日からちゃんと来いよ」と釘を刺し、教師は教室を出て行った。
そこで初めて昭士は緊張を解き、机に突っ伏した。頬に当たる机の天板のひやっとした感じが不思議と気持ちがいい。
その体勢のまま、昭士はのろのろとポケットに手を突っ込んだ。携帯電話がマナーモードで震えて着信を知らせていたからだ。
彼の物は今時珍しくなったガラケー。取り出して蓋を見ると、そこについた小さな画面には「メールが来ています」とだけ表示されている。
昭士は親指を使ってガラケーをパカッと開くと、親指だけでちょんちょんボタンを押してメールを画面に表示させた。
メールの差出人は剣道部員達である。代表して一人が、という訳ではなく、大部分の部員からいちいち来たのである。
「二十一日の午後にパーティーやるから、スオーラさんを連れて来い」。
文章や言葉遣いは違えど、全員のメールの内容はこれと全く同じであった。
「料理やお菓子を持ち寄るから何か持って来い」
文章や言葉遣いは違えど、全員のメールの追記はこれと全く同じであった。
「お前が来ないと絶対スオーラさんが来ないから、絶対参加しろ」
文章や言葉遣いは違えど、全員のメールの追々記はこれと全く同じであった。
昭士は自分に届いたそれらメールの文章を流し見しつつ、
(確かスオーラは年末最後の十日くらいは帰っちゃう筈)
故郷の世界のお祭りの関係で、年末の九日間と年始の九日間はあちらに帰る。正式な事情は話せないものの、学食の方には休暇を申請し、受理されていると言っていた。
そうして指折り数えてみると、
(二十一日にパーティーって、ギリギリの日数設定なんだ)
スオーラと仲良くなる為なら手段も選ばなそうなくらいあれこれ画策する剣道部員達だが、そのくらいの常識はあったと見える。
何を考えているのやら。そう思いかけたところで「丸判りか」と思い直した。
剣道部員達がしょっちゅう「お前だけスオーラといつも一緒」と文句を言ってくるし、できるだけ長く学食に居座ろうとしたり。それは総てスオーラと仲良くなりたいが為である。
さすがの昭士でもそのくらいは判るのだが、多分ある程度以上には仲良くなれない。彼らも、そして自分も。
スオーラはこの世界の住人ではないのだ。戦いが終わったらあちらの世界での平和な暮らしに戻るだろう。昭士達がこの世界で普通の学生に戻るであろうように。
エッセとの戦いで辞める事になってしまった学校に通い直して、きちんとした聖職者の身分を得て、人々の為に奔走する。
はたまた第一王子との婚約を再び結び、やがて第一王子の妃となって。
そうでなかったとしても、戦いが終わってからもこちらの世界に来られるかどうかは判らない。永遠に会えなくなる日が来てしまうかもしれないのだ。
もちろんこうして出会えた「縁」という物もある。いくら昭士とて別れたいと思ってはいないし、二度と会えなくなってもいいなどとも思っていない。
だが、そうならない保証はどこにもないのだ。
その日が一日でも遅くなるように。しかし戦いは一日も早く終わるように。そんな感情を抱えているのだ。
矛盾を承知で。

<つづく>


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