トガった彼女をブン回せっ! 本編幕間9
『気になる事が一つ』

ささやかな宴は続いていた。
だが。二十余名が持ち寄ったとはいえ、そこは高校生の財力。全員が満足する量の飲食物を持ち寄るのはさすがに無理だったようで。
残り少なくなった食べ物や飲み物を前にして、
「もっと持って来いよ、お前ら」
「いやいや。お前が一番持って来てねーだろ」
「つかみんな食い過ぎ」
「誰か追加で買って来いよ、そこのコンビニでいいから」
そう言い合いつつも、誰も積極的に動こうとしていない。
理由は簡単。外が寒いからである。
加えて「そこのコンビニ」と言っても、この学校の敷地はそこそこ広い。広い敷地内を歩き、校門から少しばかり離れた所にある横断歩道を渡って、道路の向かいにあるコンビニで買い物をして帰って来る。これだけでも結構な時間がかかる。
ちなみに中央分離帯という物がある大きな道路なので、横断歩道を使わず突っ切るという手段が使えないのが、こういう時に痛い。
そんな風にガヤガヤと言い合っている間に、スオーラの姿がない事に部員達が気がついた。昭士の姿もである。
「なっ、何だ!? いつの間に!」
「あの二人どこにシケこんでんだ!?」
「まさか例の化け物が出たのか!?」
部員達が違う意味でさらに騒ぎ出す。
あの二人に限ってこっそりイチャつくような事はおそらくないであろうが、特にゆたかのテンションが半端ではない。
彼女は目を血走らせて仁王立ちし(片手には紙コップを持ったまま)、
「これだから男は信用できないんです! 見つけ次第叩きのめしましょう!」
隅に置いていた自分の荷物から愛用の竹刀を取り出し、高々と掲げて皆に訴えるように力強く言い放った。
周囲の部員達はゆたか程本気ではないが、ほとんどノリを合わせるようにして鬨の声を上げる。
「学校中、草の根分けてでも探し出し、その首をここに持って来なさい!」
ここまで来ると――いくらゆたかの性格を知っていても――悪ノリが過ぎていささかドン引きしている部員達。
そこへ入口の開くガタガタという音。その直後に入って来たのはスオーラである。寸胴鍋を乗せた台車を押しながら。
その鍋はバケツ大の生地の塊と一緒に体育教師の準備室に置かせてもらっていた、スープが入った物である。切り分けた生地を軽く茹でて来たのだ。
スオーラはそれを火のついていないアウトドア用コンロの上にゴツンと置くと、
[お皿を持って来て頂けますか? 取り分けますので]
その一言で部員達は自分の皿を持ってズラッと行列を作った。そのスピードは十秒もかかっていない。二十人程しかいないとはいえもの凄い速さである。
「ねえねえ、それなんて料理?」
少しだけ出遅れた忍が、鍋の中から取り出した濃い褐色の物体を指差して訊ねた。
[これはわたくしの世界で『ノナスニトナモチトナ・セナシクニミーキナ』と呼ばれる料理です]
ついさっき準備室で教師達に説明した事を、盛りつけながらもう一度くり返すスオーラ。
材料を混ぜた生地を冷暗所で一ヶ月程発酵・熟成させて作る事。食べる直前に生地を切り分けて加熱する事。どう温めるかは家庭や地域で差があるが、スオーラの住む辺りでは薄い味のスープでさっと茹でる事。
その説明を聞いたゆたかは「クリスマス・プディング」のようだと漏らす。事実クリスマス・プディングも生地を一ヶ月程冷暗所で発酵・熟成させ、食べる直前に加熱して食べるからだ。
[わたくしの世界は年末年始はお祭りで忙しいので、食事の際に作り置きしておいたノナスニトナモチトナ・セナシクニミーキナだけを食べる事も多いのです]
いち早く配られた部員が早速食べようとしているが、せめて配り終えるまで待てと、まだ貰っていない部員達に睨まれている。
そんな様子を見たスオーラは笑顔を浮かべ、
[どうぞお召し上がり下さい。とはいえ元々は作り置きの保存食ですから、あまり美味しい物ではないのですが]
黙っていれば冷徹な印象を与える大人びた少女の顔が、笑顔ではあるものの申し訳なさそうにどことなくしょぼんとした顔つきになってしまっていた。
本当ならもっと美味しい物を食べてもらいたいのだろう。せっかく自分の故郷の味を知ってもらえるチャンスなのだから。
だが自分の「異文化」を伝えられる数少ないチャンスでもあると、あえてこの料理を選んだのだ。それでも、いや、それだからこそ心配が拭えないのだが。
「い、いや、そんな顔しないで。食べるから」
部員達は申し訳なさそうにしているスオーラを慰めるように明るく言うと、その褐色の物体に箸を伸ばした。
とはいえ皿に乗せられた生地の大きさが総菜店のカツくらい大きかったので、箸で切り分けるのではなく、箸で持ち上げてから一気にかぶりついた。
「………………」
不安そうなスオーラの視線をいささか居心地悪く感じながらも、初めての味を噛み締めている部員達。
先ほどゆたかが「クリスマス・プディングのようだ」と言ったが、作り方はともかく味の方まで似ているのかは判らない。そもそもクリスマス・プディングを食べた事がある人間が、この中にはいない。
「……パウンドケーキ味の高野豆腐?」
部員の誰かの口から出たのはそんな感想だった。他の部員も「言われてみればそんな感じか」と思ったのか、特に反論は出てこない。
口の中に広がる風味は確かにパウンドケーキっぽい。それは生地に練り込まれたアルコール漬けの木の実や果物がそうさせているのだろう。
だが生地の食感を他人に説明するとなると、出汁を吸った高野豆腐が一番近かったのだ。
だが実際には高野豆腐よりずっとねっとりとしているからか、何となく腹にズシッと来る。多分腹持ちも良さそうだ。
そして味そのものもいささか濃い目。それは保存食だからだろう。
食べ慣れない風味に加えて味自体も濃い目なので、確かにあまり美味しいと感じられる代物ではないし、濃い味がしつこく感じてしまうのでたくさんは食べられまい。
だがそこは育ち盛り食べ盛り、しかも体育会系の高校生。一人当たり二切れのクリスマス・プディングもどきをぺろりと平らげてしまう。
「いやぁ、あまり美味しい物じゃないって言ってたけど、充分美味しかったよ」
忍も撫子も、もちろん他の部員達も異口同音にスオーラの料理を褒める。その思ってもいなかったリアクションに彼女は照れくさそうにしている。
とはいえまだ生地の方は少しばかり残っている。いくら育ち盛り食べ盛りの高校生といえども、それに手を付けてはいけないという空気を読む事はできる。
この残った生地はこの場にいない昭士の為に、スオーラが取り置きをしていた分。この場にいないのだから早い者勝ちで食べてしまえ、という意地の悪い事をするような真似はさすがにできない。
「けどあいつ、どこに行ったんだ? 全然戻って来ないな?」
沢が出たゴミをまとめながらそう呟く。他の部員も昭士が出て行った姿を見た者が数人いるだけで、どこへ行ったのかまでは全く判らない。
そもそも彼らはスオーラに夢中で、途中で席を外した昭士をきちんと見ていたとしても、トイレに行ったのかなくらいにしか思わないだろう。
トイレに行ったにしてはあまりにも長い。急に腹を下して籠っていると考えたとしても長過ぎる。
「……また妹にぶん殴られでもしたのかね?」
部員の中でも割と昭士との仲がいい、機械関係に詳しい戎 幾男(えびすいくお)がぽつりと呟く。
確かに妹であるいぶきの仮借ない暴力の一番の犠牲者は昭士である。理由はともかくとにかく気に入らない事は間違いない。容赦と仮借のなさはこれまで昭士を何度も通院・入院させている事から誰でも判る。
実際それが原因で昭士が何かの集まりに遅刻したり欠席したりというのが何度もある。
「探しに行くのか?」
沢が他の部員達――特に女子部員の忍・撫子・ゆたかの方を見て訊ねる。それは彼女達が一番反対しそうであり、同時に一番力になりそうな気がしているからだ。
忍は「探した方がいいかなぁ」と考え込み、
撫子は「ハッキリした方が良いから探そう」と立ち上がり、
ゆたかは「そんな事しなくていい」と無言で語っている。
パーティーそっちのけで部員達がざわつき出す。スオーラが露骨に心配そうな表情を浮かべ、今にも探しに行ってしまいそうだからだ。
「と、とりあえず、電話をしてみては?」
現代日本の学生は、ほとんどが個人で連絡手段を持っている。昭士が持っているのは古く機能制限がありすぎるガラケーであるが、使えなくなっている訳ではない。
スオーラも手に入れてだいぶ経つガラケー(プリペイド携帯)を取り出し、昭士の携帯番号を呼び出して電話をかける。
電話を耳に当て、呼び出し音を聞きながら電話に出るのを待つ。その様子を部員達は何となく誰も話さずに見守っている。
しかしスオーラは耳に当てたまま動かない。身体はもちろん、口も。
そう。いつまで待っても昭士が電話に出ないからである。


少し時間はさかのぼる。
剣道部員の皆で(多少昭士がいじられてはいたが)楽しく飲み食いをしていると、マナーモードのままの携帯電話がメールの到着を知らせた。
蓋についた小さな液晶画面をチラリと見ると、メールの差出人は不明。怪しい以外の何者でもない。
だが昭士にはちっとも不明でも怪しくもなかった。むしろこのテで昭士にメールを送って来る人物はたった一人しか考えられない。
そしてその人物からの連絡は、この場で受ける訳にはいかない事も。
だから昭士は皆の注意や関心がスオーラに向いている隙にそっと剣道場を出た。そこで初めてメールの本文を見る。そしてその内容通り剣道場のある建物を出た。
「申し訳ありませんね」
出入口から出た死角から、淡々とした声がする。振り向くまでもなくその声はメールの差出人――益子美和ことビーヴァ・マージコである。
「いいい、一体、なな、何?」
一応建物の外ではあるが、気分的に少しでも剣道場にいる面々に聞こえないよう小声で訊ねた。
それは美和が今でも盗賊だからであり、階級が低いとはいえ聖職者たるスオーラとは相容れぬ関係だからである。
勘のいいスオーラの事。美和の存在や正体はうすうす察してはいるだろうが、それでも堂々と紹介する相手ではない。
この学校の制服を着た美和は、すっと昭士のそばに音もなく寄って来ると、
「あなたの妹さんが倒れました。救急車が手配されて運ばれましたので、もう少ししたら病院から連絡が来ると思います」
淡々とした声と表情のまま、心臓が止まりそうな事をサラリと言ってのけた。
「ドッ、ど、ドド、どど……」
どこで。どうして。そんな言葉が出そうで出てこない。ドモり癖以上に言葉を詰まらせている。
いくら不仲を通り越して一方的に強烈な殺意すら抱かれている相手とはいえ、実の妹である事に間違いはない。昭士がテンパってしまうのも無理はない。
「妹さんに関して、気になる事が一つ」
落ち着けと言いたそうに手で昭士を制し、美和は話を続ける。
「妹さんが倒れていた場所なんですがね。隣の九代鈎(くよかぎ)市の外れにある壱多比(いちのたくら)という農村の農道なんです」
「そそ、それが?」
隣の市の外れなら、二時間もあれば行けるのでは。それのどこが気になるのか。実際補習が終わってから二時間くらい経つし。そう言いたそうな昭士。
すると美和は無表情の中にも「仕方ないか」と言いたそうな微妙な目をして、
「あなた方が補習を終えてから約二時間が経ちますが、交通手段の関係上、二時間で壱多比村へ行く事はできません」
詳しい説明によると、村に直接行ける電車が通っていない。最寄の電車が停まる駅までバスで四十分程かかる。ダイヤも朝夕一本しかないという過疎地ぶり。
そんな交通事情なので道を走っているタクシーなどない。村ではタクシー会社に電話して呼ぶのがむしろ普通だ。もし徒歩だけで行くなら間違いなく駅から二時間はかかるだろう。
もちろんヒッチハイク等も考えられるが、いぶきの他人に対する接し方を考えると、頭を下げて頼むなど絶対にあり得ないし、暴力に訴える事もまた不可能。
何故なら戦いを経た現在、いぶきは自分が振るった暴力で相手が受ける筈のダメージ総てを自分が受けてしまうという状態になっている。どれだけ殴ろうが蹴ろうが相手は無傷で自分だけがダメージを受ける。
それでも相手に対する攻撃を決して止めようとはしないのだから恐れ入る。
つまり、二時間足らずで学校から倒れていたという場所まで行くのはどうやっても不可能だと言いたいのだ。
加えるならば、その壱多比という村は、本当に典型的な田舎の農村であり、他から注目を集めるような名所・名物などが全くない。友人や親戚縁者もいない、完全な部外者であるいぶきが行く理由すら全くないのだ。
今の世の中ならネットで知り合った友人という線も考えられるが、あの性格と言動のいぶきに友人ができるとも思えない。
美和は「心当たりは」と当然聞いて来るが、もちろん答えられる訳がない。
《調べてはみたが、確かによそ者が行くような物が何もなかった》
昭士のガラケーから聞こえて来た男の声。ポケットから取り出して蓋を開くと、待ち受け画面にはアラビアの魔神を思わせる姿の男が一人映っていた。
かつて美和が団長をしていた盗賊団にいた精霊ジェーニオである。
元の世界では右半分が女性で左半分が男性という姿をしているが、この地球では男性と女性の二体に分離してしまうのだ。
今は属していた盗賊団はすでになく、元団長の美和にも盗賊団再建の意志は全くない。それもあって昭士達のエッセとの戦いに力を貸してくれている
こちらの世界では電波との相性がとても良いので、こうして電話やインターネットの世界で情報を集めたり操作したりするのが主な役目となっている。
「む、村に行ったのなら、わか、判るでしょ。いい、い、いぶきちゃんの様子、どどどうだったの?」
昭士はジェーニオに訊ねてみる。
ジェーニオは人外の能力を持った精霊である。パッと見ただけで具合や体調の大雑把な事は判る。何か(誰か)に襲われたのか、それとも何かの病気なのか、程度には。
《首に細い首輪を思わせるような痕があった。だがそのくらいだ。命の心配はない》
全く心配した様子がないのはジェーニオが人間ではないからか。いぶきの普段からの言動に呆れているからか。
《我がこの姿をさらす訳にはいかないのでな。助けを呼ぶにとどめておいた》
この世界では精霊という存在は信じられていないのだ。姿を現して倒れたいぶきを運ぶ訳にもいかなかったのだろう。救急車を呼ぶのが精一杯なのだ。
仮に姿を現せたとしても、いぶきは昭士達を極度に嫌っている。自分が困っている時に誰かが助けるのは当然だと考えているが、昭士達が救いの手を差し伸べても平然と断わるだろう。
とはいえ。いぶきがどんな人間であったとしても、無事であるに越した事はない。
昭士は小さく唸るような声を上げて黙って考え込んでいた。
「どうかされましたか。別に考え込むような事はないと思いますが」
急に何かを考え出した昭士に、珍しく美和が声をかける。考えに没頭しているかのようにしばし黙っていた昭士だが、やがてジェーニオに向かって、
「いち、一応、いいぶきちゃんが倒れてた辺り、しら、調べてほしいんだ」
《調べるのか?》
「う、うう、うん。何かいや、嫌な予感がして、してね」
昭士のあまり自信のなさそうな言葉に、美和もジェーニオも黙ってしまう。やがて美和はジェーニオに向かって、
「ジェーニオ。彼の言う通りにして下さい」
本来の主の命令に、ジェーニオは続きを聞くべく動きを止めた。待ち受け画面が見えていないにも関わらず、ジェーニオの顔を直視するように顔を向けると、
「二人は双子の兄妹です。信憑性はともかく双子というのはどこかで通じ合っているという話があります。調べるだけ調べてみても良いでしょう」
《判った》
その返事と共に、ジェーニオの姿が待ち受け画面から消えた。
「ではこちらはこちらで動きますので、これで」
美和が用事は終わったと言いたげに、けだるそうに移動を始める。昭士はその背中に、
「あ、あ、あああ、ありがとう」
美和は返事をせずに一瞬歩みを止めると、
「あ、あのケー、ケーキ。ようよ用意してくれたの、せせ、先輩でしょ?」
補習が終わり、何を持って行こうかと頭を悩まそうとした時、彼の荷物の隣に「いつの間にか」あったのがケーキ屋『kaka』の袋だったのだ。
補習漬けでロクに買い物の時間が取れなかったにも関わらず、昭士が有名ケーキ屋の希少な切り落としを買える訳がない。普通なら。
だが他に買いに行った人がいるなら簡単に解決する。そして、それをやってくれそうな人物も……。
「……まぁ、確かに色々と頑張って貰っていますからね。ささやかですが贈り物くらいしても、罰は当たらないでしょう」
背を向けたままだし、相変わらずの無表情な声だが、ほんの少し優しい気がする。
「それでは」と短く言った美和は、そのまま通路の曲がり角を曲がる。そして曲がりきる直前にその姿がすぅっと消えて行った。
ジェーニオだけに頼らず、自分自身でも色々と情報を集めるつもりなのだ。決して付き合いが長い訳ではないのだが、そのくらいの行動は読めるようになってきた。
剣道場に戻ろうとした時、昭士の携帯電話が再び激しく震え出した。
誰からだろうと蓋の液晶画面を見ると母からだった。昭士はまさかと思って蓋を開き、メールの本文を表示させる。
案の定。倒れていたいぶきが病院に運ばれたという連絡が来た、という知らせだ。
運ばれた時に生徒手帳やスマートフォンから連絡先を割り出す事は雑作もないだろうし、すぐに連絡が行っても不思議な事はない。
しかしどれだけ相性の悪い妹とはいえ、無事だったのは何より。そう安堵した時だった。
何の前触れも気配もなく、携帯電話に亀裂が入ったのである。
今の昭士には、たとえ自分が見えていなくとも、周囲のあらゆる動きを「超スローモーションで」認識するという超能力めいた力が宿っている。
本来いぶきが持っていた力だが、今は昭士がこうして使う事ができる。
普段から発揮し続けている訳ではないが、たいがいは何かあると自動的に動き出すようにその力が発動される。
ところが携帯電話に亀裂を「入れている」モノの存在が全く認識できない。
姿の見えない何者かが刃物で斬りつけてきたのだとしても、今の昭士には「見えない何かがいる」と判る。だがそれが全くない。
携帯電話に入っていく亀裂も変である。細かな破片が飛び散る事なく純粋にまっすぐの切れ目が入っていっているのだ。
このままだったら謎の「何か」が携帯電話を切断した勢いで自分の頭を真っ二つにしかねない。そんな雰囲気を何の根拠もなく感じ取った。
自分でも何を思ったのか、理解したのかできたのか判らない一瞬の何分の一かの速さで決断した昭士は、すかさず携帯電話を手から離した。そして勢い良くしゃがむようにしながら後ろに一気に倒れ込む。
柔道で受け身も取れずに投げ飛ばされたような痛みが背中に走る。しかし「能力」は解いていない。
全く認識できていないからやっても無駄かもしれないが、それでも何かが判るかもしれないから。
…………………………………………………………………………。
しばしの間背中の痛みをこらえて寝転んだまま周囲の観察をしていたが、何かあるようには見えなかった(見えていないが)。
昭士はそれでも慎重に立ち上がり、制服の埃をはたきながら一応周囲を警戒し続ける。
目に見えるのは校舎と、校舎に向かって伸びる渡り廊下を覆う屋根。いつもと変わらぬ通路。冬らしい冷たい風が吹き抜けていく。
どうやら大丈夫のようだ。ようやくそう思えて自分に安堵する事を許した昭士。
それから地面に目をやると、取り落とした携帯電話を見つけ、拾う。しかし、その本体はさっきの「何か」によって綺麗に斬られていた。
いや。斬られていたというよりも、以前マンガで見た「空間を削り取る形で物体を切断した」断面図に、とても良く似ていた。
少し離れた所に、切り落とされた液晶画面の上半分が転がっているのを見つけた。それを拾い上げると、奇妙な事に気がついた。
液晶画面が明るいのである。きちんと問題なく待ち受け画面が表示されているのである。ちなみに今はスオーラから電話がかかってきており、昭士が出るのを待っている状態だ。
普段なら耳に当てるべき部分がこうして分断してしまっているので、どう電話に出たら良いものか。それに画面表示に問題はないが、ボタンを押してきちんと動作してくれるのだろうか。
昭士の心配事はそんな所であった。


それから数時間後の夕方。留十戈駅近くの裏通りで、壊れたスマートフォンが発見された。それは刃物のような物で真っ二つにされていた。
切り口は刃物で切ったとは思えない程非常に綺麗であり、さらに驚く事に、真っ二つになっているにも関わらずスマートフォンの動作自体には何の問題もなかったのだ。上半分も下半分も。
そして、その不思議なスマートフォンの持ち主を調べたところ、名前はこうあった。
“角田いぶき”。

<本編幕間 おわり>


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