トガった彼女をブン回せっ! 本編幕間その1
『この世界を救って戴きたい!』

此処ではない、別の世界。
我々と同じ人間が住まうが、此処とは全く異なる世界。まさに異世界。
そんな異世界――その世界の住人が「オルトラ」と呼ぶ世界にある、その世界でも文化的に発達した国の一つに「パエーゼ」という名の国があった。
そして、パエーゼ国のある大陸の大半で強く信仰されている宗教「ジェズ教」の教団の最高責任者の娘の一人として生まれた少女。
名をモーナカ・ソレッラ・スオーラと呼ぶ。
モーナカが苗字。ソレッラが聖職者としての洗礼名。スオーラが個人の名前。そんな長い名乗りにも違和感を感じる事はない。
それは、彼女の一族は代々教団の関係者の職に就いており、スオーラも早くから教団の一員となり、幼い頃から一聖職者となるべく教育を受けているからだ。
そう。彼女はとても恵まれた環境の中で、一般市民から見ても比べ物にならぬ程高度な教育を受ける事ができた。
好奇心が旺盛だったせいもあるし、三女という立場で跡取り娘にもなれぬ彼女は割と自由に育つ事ができた。彼女が自分から「やってみたい」と言った事は、親はとりあえずやらせてくれた。
様々な学問。たくさんのスポーツ。料理。サバイバル術。バイクや車の運転。棒術や格闘術。ダーツや投げナイフの技。あれやこれや。
好きこそ物の上手なれ、という言葉だけでは説明がつかない程、彼女の物覚えは早かった。
覚えが早い上にどれもある程度の実力は身についたが、どれも極められた物がなかったのが玉に瑕だ。
それでも彼女は一族の者として、いや。一聖職者として恥じる事のない知識と教養を身につけていった。
聖職者たらんとした教育方針のため、世間から見れば少々偏った物になっている事は否定はしないが。
だが。彼女の人生は彼女だけで決められる物ではない。
世襲制ではないものの、ゆくゆくは彼女を教団の重鎮にと考える人は多い。どんな大義名分はあれど、ジェズ教最高責任者の娘である。
だが、後継ぎでない分どこかよその家に嫁ぐ立場でもある。俗世間とは距離を置く宗教界といえど、政治的な駒としてもこれ以上有力な物はまずないと言っていい。
だからこの国はもちろん、周辺諸国の王侯貴族、政財界の人間が放っておかなかった。
実際スオーラ自身にも、幼い頃からそうした縁談、婚約の話がいくつも持ち込まれていた。特にこの国で「一人前の人間」とみなされる、十五歳が近づく程に。
一応このパエーゼ国の第一王子と婚約の関係にはあったが、それはあくまでも形式のみ。スオーラ自身は英才教育の影響か一聖職者となる方向に邁進しており、そうした縁談からはあえて距離を取り続けていた。
そんな中。この国、いや、この世界に突如異変が起こる。
侵略者の登場である。
彼等――性別等があるのかすら不明だが――が何という名前なのか。どこからやって来たのか。やってきた目的は。何から何まで全く判らない謎としか呼べない存在。
彼等はガスを吐き、人間を始めとする生物を金属の塊へと換え、食べる。
彼等は物を喋らない。当然こちらの言葉は全く通じない。交渉の仕様もないし、侵略の理由も判らないのだ。
だがそれでも黙って食べられる訳にはいかないと、世界中が結束し同盟が発足。
各国選りすぐりの八万の兵士全員に最高の装備を持たせ、最強と思われる布陣を敷き、持てる兵器の総て――落とし穴や岩石落としといった物まで使って徹底交戦を続けた。
それでも倒せたのはたったの一体。おまけにその一体を倒す戦いで約八万の軍勢は数人を残して全員が捕食か戦死。生き残った数人も腕や足を失う最悪の状態。
それに加えて戦場となった平地はもちろん、その周辺の町や集落は壊滅状態。今後数百年は草木も生えないであろうと云われる程の荒廃ぶりだ。
いくら化物を倒す事ができるとは言っても、毎回こんな被害を出していては市民は非難するし人材も費用もすぐに底をついてしまう。そのため、どこの国もおいそれと軍を出す訳にはいかなくなってしまった。
そんな莫大な犠牲を出して判った事は、


一、基本的にこの世界に存在する生物を模した姿をとる。オリジナルよりかなり大きい事が多く、その体表は金属のような光沢を放つ物質でできており、通常兵器では歯が立たない事。
一、彼等の吐くガスのような物で生物を金属の塊へと換え、それ『のみを』捕食する事。
一、ある程度の時間が経つと姿を消してしまう事。


たったこれだけである。莫大な犠牲が報われない結果と言えなくもない。
それでも、化物としか呼べない者からの、全く意図が判らない侵略は続く。
戦わねばならない。しかし勝ち目がない。そんな絶望した空気が世界を包みかけた時だった。
一人の賢者が世に現れたのは。
賢者の名はモール・ヴィタル・トロンペ。
その名はこの世界に古くから知られている有名な賢者と同一の物であったが、薄赤毛の若者にしか見えないその姿に、誰しもが疑心を抱く中、彼はこう言った。
「あの化物の名は『エッセ』。いわゆる別の世界の住人と呼ばれる者です」
そして差し出された、いかにも古く由緒ありげな書物。それには今まさに世界を恐怖に陥れている化物の事が詳細に書かれてあったのだ。かなり昔の言葉なので、解読には骨が折れたが。
こうなると、賢者が本物か否か、氏素性はどうでもよくなってしまった。貴重で有力な情報をもたらした事に代わりはないのだから。
その書物には、別の世界の住人に対抗するには、別の世界の力を使う者が不可欠とあった。確かにこの世界の物で対抗できないのなら別の世界の物でと考えるのは突飛な発想ではないだろう。
だが、別の世界の力とは一体何なのだろう。
そう。発想はできても実現ができねば意味がない。別の世界の力というものが判らなければ実現のしようがないのだ。
そんな時。国の宝物庫から発見されたのが“ムータ”と呼ばれる、カード状のアイテムだった。
使用法が判らずにしまわれていたそれは、賢者がもたらした書物によると、自分に秘められた「異なる世界における自分の力」を引き出して超人になるという物だった。
使用法が判らなかったというよりは、異なる世界の「自分」を持った人間が限りなく少ない為にほとんどの人間はそれを使う事ができない=使い方が判らない、と認識されていたようなのだ。
その為このカードが使える人間を探す為、それこそ国中の人間が掻き集められた。王侯貴族はもちろん、一般市民から浮浪者に至るまで。
城の広場に集められた人々一人一人にカードを持たせ、何か反応がないかを調べたが、反応がある人は現れなかった。
そのカードがスオーラの手に渡されるまでは。
彼女が触れた途端、カード全体が青白く点滅し、あまつさえ鈍い音が鳴り響いたのだ。
ぶぉぉぉん。ぶぉぉぉん。ぶぉぉぉん。
今まで何の反応も示さなかったカードがいきなりの反応を見せ、周囲はもちろん本人が一番驚いていた。
その時。周囲の景色が何かに溶かされるように掻き消えていった。スオーラは驚きのままその場を動けない。手足すら動かせない。
やがて自分の周囲は塗りつぶしたように真っ白になっていた。「無」が「ある」空間。スオーラの頭にはそんな矛盾した表現が思い浮かんだ。
そこに薄ぼんやりとした姿を現わしたのは、全身をスッポリとローブで覆った人影だった。ローブはツギハギをしたようにたくさんの色の布で形作られ、フードの奥に隠れた顔は見えているようで何も見えない、そんなあやふやで――実に怪しげな人影。
“怪しむ気持ちは判るが、どうか怪しまないでほしい”
益々怪しむ気持ちが膨らむが、その年老いた男の語り口調は、不思議とスオーラに落ち着きを与えた。
“儂はこの「魔術師」のムータの……精霊のような者じゃ。お前さんが今度の使い手のようじゃな”
精霊のような者と名乗った老人は、スオーラに向かって一方的に話し出した。といってもスオーラは口はおろか指先一本動かす事ができなかったのだが。
“このムータを前にかざせば、お前さんの姿は変わる。異なる世界での姿形となる。そしてお前さんの身体に宿る魔法の力を使う事ができる”
老人はそう言うと自分の胸に手を押し当てた。ぐっと手に力が籠ると手は彼の身体の中に沈みこみ、やがて出てきた時には手に分厚いハードカバーの本が握られていた。
“魔法を使いたくば、この本のページを破り取るがいい。そのページに書かれた魔法が具現化する。破り取ったページもその時に使った魔法の力も、一晩くらいゆっくり休めば元に戻る”
言葉通りに本を開き、ページを破り取る真似をして丁寧な説明をする老人。
それから悲しそうな表情――フードの奥の顔が判らないにも係わらず、それだけはスオーラにはっきりと判った――を見せると、
“だが、もうお前さんは普通ではいられない。平凡な人生など望むべくもない。良い意味でも悪い意味でもな。今は判らずとも、いつか判る時が来よう。自らの身を以てしてな……”
力が抜けていくようなか細い声になりながら、老人はそんな事を言った。同時に真っ白い周囲に溶け込んでいくようにその肉体もかすれて消えていく。
スオーラが気がついた時には、周囲の風景は元に戻っており、自分の身体も自分の思い通りにちゃんと動くようになっていた。
ムータと呼ばれたカードは相変わらず青白く点滅し、鈍い音が鳴り響いている。スオーラはそのムータを、先程の老人が言った通りに眼前に力強くかざしてみせた。
点滅を繰り返していたムータから青白い火花が激しく散った。散った火花は次第に大きくスオーラの眼前に壁のように広がっていく。
その火花は彼女の目の前で、青白く四角い扉のような形になった。そして、その扉が猛スピードで彼女に迫り、かわす間もなく扉が全身を包み込んだ。
青白く光る扉が唐突に消えると、スオーラの周囲から「おお……」という声が漏れた。
その声とあまりに集まる視線に違和感を感じ、スオーラは自分の身体を見回してみた。
伸縮性の高い一枚布でできたブラジャーのような服に丈の短い長袖のジャケット。ジャケットの色はカラフルと言えば聞こえのいい、縫製パーツ事に違う統一感のないもの。黒のタイトなマイクロミニスカートに膝より上の丈のロングブーツ。
それが今の彼女の格好だった。
しかもまだ子供子供した体型だったにもかかわらず、今の自分の体型は明らかに成熟した女性のそれに変わっていた。
胸やお尻がはち切れんばかりに膨らみ、腰は見事にくびれている。腕や脚もすらりと長く伸び、おそらく身長もそれに比例して伸びているだろう。縛っていた髪は解かれ、かつ流れるように下ろされている。
変わっていないのは、僧服の上からまとっていた白いマントくらいのものだ。
スオーラは改めて今着ているジャケットに目を下ろす。
この世界ではたくさんの色を使う事が「豪華な印象」であるとされ、それは魔法を扱う者が着なければならない服とされている。
先程の「老人」はスオーラに宿る魔法の力を使う事ができると言っていたが、様々な事を好奇心のままに学んできたスオーラでさえ魔法に関する事はほとんど学んでいなかった。
この世界の魔法は、優れた素質のある者が過酷な訓練を積んでようやく使えるようになるもの。それも使い手一人がたった一種類の魔法しか使う事ができない。
それもほとんどの人は連続で使う事はできず、一度使えば数時間、人によっては数日ゆっくりと休まねば再び使う事ができないという、不便極まりない物なのだ。
おまけに魔法は魔法でなければ防げない。ほんの小石程度の火の玉であったとしても、魔法を持たない人間にしてみれば下手な武器より恐ろしい物なのだ。
そんな恐ろしい力を自分が扱える。好奇心旺盛なスオーラですら、その事に軽い恐怖を覚える。
だが。そんな彼女の胸中とは裏腹に、周囲を取り巻く人々は彼女の突然の変貌に、驚きのあまり声を失っている。
そんな周囲の人間の中から賢者がスオーラの元に進み出て、
「それは『魔術師』のムータですね。お嬢さん、お名前を教えては戴けませんか」
「も、モーナカ家の三女、ソレッラ僧スオーラと申します」
スオーラは賢者に言われるままに、素直に名乗る。そのどことなくきょとんとした彼女に向かって賢者は深々と頭を下げると、
「お願い致します。その力を持って、この世界を救って戴きたい!」
賢者の声に人々は彼の真似をし、次々に頭を下げた。その場で膝をついて畏まる者もいた。ひれ伏す者さえ現れた。
だが、本当はそんな悠長な真似をしている暇などなかったのだ。広場の外から人々の歓声――いや、悲鳴が聞こえていたのだから。
スオーラがその悲鳴に反応して振り向いた時には、既に敵はすぐ側までやって来ていた。
こうなればもう誰にでも判る。化物の頭は広場を囲う城壁よりも遥か高みにあったのだ。その頭部は明らかにライオンの物だった。
「ライオン型のエッセ、ですか」
賢者は誰に告げるともなく呟くと、
「お願い致します、スオーラ殿。あの化物を倒して戴きたい」
そう言われても、スオーラには何をどうしたらいいのか判らないのだ。
もちろん先程魔法のレクチャー(とも言い難い説明)は受けた。だがあの老人のように魔法の本が出せるのか。そしてその本にはどんな魔法が載っているのか。
せめてそれを確かめたかった。ぶっつけ本番で戦いに挑む事になる事までは考えが及ばなかった。
そう棒立ちしている間にも、広場に集まった人々は半ばパニックを起こしながらもどうにかエッセから距離を取るように逃げ出している。城の兵士を含めて。
無責任だと思いはしたが仕方ない。一般兵士の武器など何の役にも立たないのだ。あの化物が相手では。
幸いエッセの方はこちらを見下ろしているだけで攻撃してくる様子はない。それならばと、スオーラは先程の老人のように自分の胸に手を当てて、押し込むようにしてみた。
するとどうだろう。彼女の手は自分の豊かな胸、ひいては自分の身体の中にずぶりとめり込んでいくではないか。しかも彼女の手には骨や内臓の感覚が全くない。何かドロドロとした粘り気の強い何かの中に手を入れたかのようだ。
だがその手がそれとは違う固くて厚い物の感触を感じた。彼女はそれを鷲掴みにすると一気に身体から引き出した。
その手には分厚いハードカバーの本が。あの老人が見せてくれた本と全く同じ物だ。
これが魔法の力。自分が使う力。……人々を、この世界を守る力。
一族から、そして聖職者の学び舎で学んできた「人々を守る」ジェズ教キイトナ派の使命。その使命感が化物と対峙する恐怖に、少しだけ力を与えてくれた。
手にした本がひとりでに開き、パラパラとページがめくれていく。その動きが止まり、一枚のページだけが宙に浮くようにピタリと垂直に立っていた。
垂直に立つページに書かれていたのは「爆発の魔法」。彼女は迷わずそのページを破り取り、巨大な鉄のライオンめがけて投げつけた。
それは習い覚えたダーツのように一直線にライオンの頭部めがけて勢いよく宙を駆け、ライオンの頭上で勢いよく爆ぜた。
ずどぉぉぉぉぉん!!
爆発する轟音。空気を震わせる衝撃が、だいぶ離れている筈のスオーラの身体を打ちのめす。その衝撃より驚きで後ろにひっくり返ってしまった程だ。
「大丈夫ですか!?」
爆発とひっくり返った事に二重に驚いていた賢者が、我に返ると同時にスオーラを助け起こそうとする。しかし彼女はその手を借りずに立ち上がると、
「……なるほど。こういう風に使うのですね」
たった一度で何かコツのような物を掴んだらしい。スオーラは再びパラパラとめくれ出した本に目をやり、先程のように垂直に立ったページを破り、宙へ放る。
するとそのページは巨大なライオンではなく、意志を持つように宙をくるりと回転してスオーラの背中にピタリと貼りついてしまった。一瞬背中がかあっと熱くなる。
すると背中のマントが縦一直線に切り裂かれ、それが左右に大きく広がる。まるで鳥の翼のごとく。身体も何だか軽くなった感じがする。
スオーラは勢いよく地面を蹴った。確信があった訳ではなかったが、地面に立っている方が苦痛にすら感じていたから、いっそ空へ飛んでみようと思い立っただけである。
そして彼女の思いつきは見事当たっていた。彼女の身体は自分の身長の倍、三倍、五倍と、一気に空高く飛び上がっていったのだから。
そしてついには巨大なライオン型エッセを軽々と追いこし、その巨体を高みから見下ろせるまでになった。
頭部右上の辺りが少しだけ焦げている。さっきの爆発の影響だろう。通常の武器が通じない筈の化物が、たった一発の魔法で――ほんの少しではあるがダメージを受けている。
スオーラは空中で制止すると、今度は「自分の意志で」本をパラパラとめくる。もちろん眼下のエッセの動きには充分気をつけている。
やがて見つけた魔法は「火球の魔法」。これをダメージ部分に叩きつければ――そう思ったが敵もバカではない。
見下ろしているとはいえ、巨大ライオンの跳躍力を持ってすれば、一飲みにしてしまえる高さなのだ。
後ろ足で力一杯地面を蹴ったエッセが、空中のスオーラに飛びかかってくる。無表情の筈の目を怒りに燃やして。鋭い牙が並ぶ口を大きく開けて。
しかしスオーラは不思議と慌てる事なく火球の魔法が書かれたページを破り取ると、それをエッセの口の中めがけて放り込んだ。同時に本人は急速に後ろに下がってその口と牙から逃れる。
空を切った牙にわずかないら立ちがあったのだろう。広場に着地したエッセが忌々しそうに上空のスオーラを見やる。
ボボボボボン!
いきなりどこからか、何かが破裂するような音が轟いた。
そう。今スオーラが口の中に投げ入れた火球の魔法がエッセの「体内で」炸裂したのである。痛みを感じるのかは判らないが、エッセの動きが急激に鈍くなる。
それを見届けたスオーラの身体が急に重くなった。まるで自分の骨が重たい鉛にでもなってしまったかのように。自分の筋肉が石膏にでもなってしまったかのように。
これが魔法を使った際に感じる「疲労」なのだろうか。今まで実際に魔法を使った事がない(使える筈もない)自分が感じる、初めての感覚。
もしこれがそうなのだとしたら、確かに魔法を使う度にこれではそう連発する事はできない。
スオーラの頭蓋骨の中で、脳がゆらゆらと揺れ動いているような感覚に襲われる。視界が上手く定まってくれず、足を下に向けて宙に浮いているにも係わらず、身体がクルクルと回転しているように感じられる。
だが今が絶好のチャンス。相手が弱っているのだ。一気に勝負を決める絶好のチャンスではないか。
別に功を奏しているつもりはない。だが自分が気を失ってしまったら。誰があの化物と戦うのか。化物から人々を守るのか。
さっきも浮かんだ自らの宗派の教えが疲れた身体に鞭を震わせた。
「はあああああぁぁぁぁぁっっ!!」
自身に喝と気合いを入れる為、スオーラの口から雄叫びがほとばしり、彼女は一直線にエッセの頭部めがけて急降下。それはほとんど頭からの垂直落下である。
魔法はこれ以上使えない。覚えたのも使ったのも今日この場が初めてだが、直感的にそう感じていた。
だから、落下しながらバランスを取りつつ反転し、さらに加速。そして、魔法でダメージを受けた部分にブーツのかかとを叩き込んだ。
まさに勢いを加えたスオーラ渾身の蹴り。だがそれでも、エッセの巨体から考えれば本当に針一本のような微々たる威力でしかない。
だが魔法によって相当のダメージを受けていたからだろう。その一蹴りは確かにエッセの頭部に亀裂を走らせた。
一方のスオーラは、足を叩きつけた痛みで一瞬気を失ってしまっていた。麻痺したように痺れて感覚が無くなった足のせいで上手く着地できず、ほとんど受け身すら取れぬまま地面と衝突。二、三度小さくバウンドして地面に転がって止まった。
腕や足はあり得ない方向に折れ曲がったまま。バウンドしたところには明らかな血だまりを残したまま。
賢者を始めとして逃げなかった(逃げられなかった)十数人の目には、そんな彼女の痛々しいでは済まない悲惨極まりない状態がはっきり焼きついていた。
おまけに彼女が止まったのは、運悪くエッセの真正面。エッセが普通の動物なら、地面に置かれたエサを一口で食べてしまえるような位置だったのだ。
もちろん助けなければならない。エッセとは戦えなくとも彼女を助ける事はできる。できる筈なのである。
巨大な化物に対する恐怖を、少しでもどうにかできたのなら。
だが人間皆がそれをできる訳ではない。
エッセは自分の前に投げ出された人間を前にして、口を大きく開けながら頭を思い切りのけぞらせた。
これは生き物を金属へと変えてしまうガスを吐く為の予備動作なのだが、この場にそれを知る者はない。
だが。
どこからか聞こえてきた「ビジッ」という奇妙な音。何かが軋んだような不快音。それは自分達の遥か上から聞こえてきた。
人々が恐る恐る頭上を見上げると、巨大な金属ライオンは頭をのけぞらせた体制でその動きをピタリと止めていた。
そうして動かなくなったエッセを見ていたからだろう。もう一度聞こえた「ビジッ」という耳障りな音が聞こえた理由が理解できたのは。
その気味の悪い音がする度にエッセの頭から顔面、首、胴体へと亀裂が広がっていくのだ。
その音は正直不気味で、耳を塞いでしまいたいたぐいのものだ。だが巨大なライオンの全身にヒビが入り亀裂が走るという事は――
ガラガラガラッ!
そしてとうとうエッセの身体が崩れていった。いかな化物とはいえ、身体がバラバラに砕かれてしまっては動く事はできない。生命というものがあるのか不明だが、これでは生きていられる筈もない。
そして、先の戦いで生き残った兵士達も「エッセが死ぬ時は粉々に砕け散り、やがて破片は風に乗って消え失せる」と証言していた。
その通りの光景が、まさしく賢者達の目の前で繰り広げられているのだ。
そう。彼女は、モーナカ・ソレッラ・スオーラは勝利したのである。
選りすぐりの八万もの大軍をほぼ全滅に追い込んだ化物(の同族)を相手に。たった一人で。しかも初陣で。勝ってしまったのである。
…………自らの命と引き換えにして。
エッセに起きた変化に目を、心を奪われ、すっかり忘れられてしまっていたスオーラ。もちろん彼女は未だ倒れたままである。
「異なる世界における自分の力」を引き出して超人になったとはいえ、あのケガでは生きてはおるまい。賢者をはじめ、その場の全員が涙を堪え彼女のなした偉業を讃えんとした矢先、
まるでバネでも仕込まれていたかのような勢いで、スオーラが元気に立ち上がったのだ。
「……気を失っていたみたいですね。エッセはどうなったのですか!?」
しかも、何も無くなった辺りを素早く警戒しながら。
折れた手足や血にまみれた頭がまるでケガなどなかったように元に戻っている。その場の全員は頭の中が真っ白になってしまったかのように、目を点にして凍りついてしまっていた。
辺りを警戒していたスオーラだが、彼等の凍りついたままのその態度に「何かがおかしい」と感じ取ったのだろう。
それを賢者に訊ねると、彼は答えた。
「……あなたが、あの化物を倒したのですよ」
今まさに誕生したのである。
この世界を救う「救世主」が。

<つづく>


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