トガった彼女をブン回せっ! 第5話その4
『……誰だね、君は?』

タカやワシといった鳥類――猛禽類の聴覚というのは、意外と人間並しかない。聞こえる周波数や音域に多少の違いがある程度だ。人間より優れているとはとても言い難い。
それは彼らの「狩り」の大部分は視覚に頼っているからだ。もっとも夜行性のフクロウなどになると、左右で高さの違う耳の位置を利用して、音の方向だけでなく高低差までキッチリ聞き分けて獲物を捕らえるそうだが。
だから、最大ボリュームとはいえ、街から随分離れた位置からの着メロが聞こえるかどうかは、実はご都合主義レベル以上に歩の悪い賭けだったのだ。
しかし天が味方したのか。はたまた音が風に乗ったのか。もしくは相当の地獄耳だったのか。
エッセはこちらに反応して飛んで来てくれた。まずは第一段階成功といったところだ。
《スオーラ!》
身体の調子を見るように、片腕で大剣をブンブンと振り回しながら昭士が怒鳴る。
《その車、その辺の影に隠しとけ! 狙い打ちされたらたまったモンじゃねーぞ》
確かに昭士の言う通り、この車が金属に変えられて食べられたら、移動手段がなくなってしまう。
それに。目立ち過ぎるとはいえ、そんなつまらない理由でせっかくの便利なアイテムを破棄してしまうのはあまりに惜しすぎる。
だが、いわゆる都市の郊外にあたる部分にいるので、隠れられそうな物が何もないのが問題だが。
「判りました!」
スオーラもその辺りの勘はいいようで、それでもすぐに車を走らせた。幸いにもエッセがそちらに興味を持ったような素振りは見せていなかった。
その飛んできたエッセは何もせず彼らの上空を悠々と通り過ぎると、くるりと急反転。と同時に地面に激突するような急角度で一直線に昭士めがけて突っ込んでくる。
その姿はまさしく鋭く飛ぶ石弓の矢だ。悠々と飛んでいた時とは比べ物にならないスピードを出して、こちらに向かってくる。
だがそれは昭士にとっては願ったり叶ったり。何せこちらは飛べないのだ。あちらから地上スレスレの高さにまでやって来てくれるに越した事はない。
が。それも多分これが最初で最後だろう。こちらが失敗すれば質量差に負けて吹き飛ばされるし、あちらが失敗すれば警戒されて必要以上に下りてくる事はないだろうから、武器が届かなくなる。
昭士は絶対に放すまいと大剣の柄をしっかりと握り、縦一文字に掲げるように構えた。剣道でいう「正眼(せいがん)」の構えである。
《おいコラバカアキ、いい加減止めろって言ってンだろ! ふざけんな、人の事ナンだと思ってやがンだこのクソ野郎!!》
相変わらずいぶきは大声で昭士を罵倒し続けている。だがそっちに構っている余裕はない。
しっかり相手と相対しているのに奇をてらった方策をとっても効果は薄いし、罠にはめたりする時間もない。
それならば自分が一番やりやすい、そして慣れている方法が一番適している。とっさにそう考えたからだ。
こちらが武器を構えているにもかかわらず、全く速度を落とす事なくエッセは一直線にこちらに突っ込んでくる。この速度で体当たりをすれば、確実に昭士が潰されるか吹き飛ばされる体格差だ。
相手の動きが極端にゆっくりに見える能力のおかげで、昭士は敵をじっくりと観察する事ができている。
大きさは予想通り随分と大きい。真正面から見た頭の部分だけでも、大型トラックくらいに見える。そんな大きさの頭を持った鳥が羽を大きく広げていたら、端から端まで十数メートル以上あるかもしれない。
その頭部は予想通りワシやタカを思わせる猛禽類。鋭いくちばしと眼光が特徴的である。あまり動物に詳しくない昭士には、これがワシだかタカだか区別がつかない。
実際の動物学でも、大雑把に大きさで区別しているようなものなのだ。素人の昭士では判る訳もない。
だがどちらでも同じ事だ。倒さねばならない敵である事に変わりはないのだ。
距離にして二メートルを切った頃、唐突にエッセはその口から一直線にガスを吐き出した。あらゆる物を金属に変えてしまうガスである。
昭士やスオーラ、そしていぶきにはこのガスが効かない事は証明済だが、それでもガス状の液体窒素を叩きつけられているかのような冷たさまでは耐えられる物ではない。
《いたいたいたいたつめたつめたつめたつめたーーーーーーっ!!》
ガスをまともに浴びるいぶきが悲鳴を上げる。昭士も猛吹雪のようなガスを受けて構えが解けかかる。
剣の幅の広さを使ってガスを防ぐ事に専念しようかとも考えたが、攻撃のチャンスが少ない以上あまり無駄な行動をする訳にもいかない。冷たさに耐えて構えは解かなかった。
だがそれでも構えを保持し続けるのは辛い。ギリギリまで、本当にギリギリまで敵を引きつける。かわされたら本当に後がないのだ。
あと三十センチ。二十センチ。十センチ。
ここだ。昭士は勢い良く剣を振り上げようとしたが、冷たさの圧力がそれを妨げる結果となった。彼の意志とは正反対に、剣先がズルッと下がっていく。
ところが。幸か不幸かその下がった剣先が、くちばしを開け放ってガスを吐き続けるエッセの口の中に勢いよく飲み込まれたのである。
《うげええええええぇぇぇっっぇぇぇぇぇぇぇっっっっ!!!》
女子高生と思いたくないいぶきの悲鳴が辺りに響く。昭士も驚きながらも勢いと体格差に吹き飛ばされないように、とっさではあるがしっかりと地に足を踏ん張ってそれに耐える。
が。やはり限界はある。いくら変身をしているとはいえ、昭士に筋力に頼る戦法は無理なのだ。激しい勢いで彼の身体が後ろに吹き飛んでいく。
背中から地面に叩きつけられ、そのままゴロゴロと何十回転も地面を跳ね回りながらデタラメに何メートルも転がり、仰向けになってようやく停止する。
昭士はしばらくの間、自分の身に何が起こったのかすら理解できないでいた。
だが頭、首、肩、肘、胸、背中、腰、腿、膝、足首、体中のありとあらゆるところから伝わってくる痛み。
全身がバラバラになる痛み。まさしくそんな形容が似合う被害状況である。おかげで指先一本ロクに動かない。
昭士は痛みで気を失い、その痛みで意識を取り戻し、さらに痛みで気を失い……という事を何度も繰り替えしながら、ようやくそんな状況にある事を自覚できた。
「……様! アキシ様! アキシ様!?」
うっすら開いた目の前に、泣きそうになっているスオーラ(変身後)の顔が見える。そんな距離なのに、聞こえる声は遥か遠くからの呼び声のようだった。
「大丈夫ですか。今あなたを治療をしています。意識はありますか。自分がどこの誰だかちゃんと判りますか!?」
まるで医者のような、矢継ぎ早の問いかけである。聖職者だけに医者の真似事のような事も学んでいるのだろうか。
だが言われてみれば、胸元の辺りがほんのりと明るく、また温かい。そしてその温かさがゆっくりと、そして確実に身体の隅々にまで行こうとしているのがハッキリと判る。
だがそれでも身体の方はこれっぽっちも動いてはくれない。相当酷い怪我のようだ。まぁ無理もない、と昭士は思った。
例えるなら、猛スピードの大型トラックとまともに正面衝突したも同然だからだ。それも生身で。普通なら吹き飛ばされた時点でとっくに死んでいる。
かろうじてこうして生きていられるのは、ほとんどの衝撃を剣となったいぶきが受け持ったからだ。いくらいかにも物理的に強そうな剣でも、あれだけの衝撃を受けては……。そうやった張本人とは思えない思考である。
いくらいぶきから虐待同然の被害しか受けた事がないとはいっても、それでもたった一人の血を分けた妹である。死んで嬉しい訳がない。
だが、身体の方にはだいぶさっきの温かさが広がってきた。それが血液を介して全身を駆け巡っているかのようだ。だんだん痛みが和らいでいき、痺れもゆっくりと引いているのが判る。
《……あいつは、どうなった?》
ようやく出た枯れたかぼそい声。声を出した昭士本人も「これホントに俺の声か?」と自問する程だった。
その細く小さな声が聞こえたらしくスオーラは目を輝かせたが、すぐにグッと唇を噛んで何かを堪えると、
「今は膠着状態です。エッセは戦乙女の剣を突き刺したままなので、重量オーバーでうまく飛べていません。かといってこちらも有効打となるような攻撃ができていない状態です」
胸の辺りの明るさがすうっと消えていく。スオーラは小さく手を振ると手にあった紙がふわっと宙を舞い、すぐ溶けるように消えていく。
この明るさは、やはり彼女の魔法の力だったようだ。その証拠にさっき気絶しながら気がつく程の痛みがもう消えている。痺れすらない。指先を動かしてみると、思った通りのスピードで思った位置にピタリと動いていた。
どのくらいの時間をかけたのかは判らないが、トラックにはねられたものを完治させてしまう威力の魔法だ。相当強力なものに違いない。
だが魔法の力とはいえ突貫工事で治したような物である。動いて大丈夫なのか。いつも通り動かせるのか。それでも昭士の脳裏に一抹の不安がよぎる。
脱力していた全身にそっと力を込めてみる。それから少しずつ力を入れていく。
やっぱり痛みはない。痺れもない。違和感すら感じられない。よし、大丈夫。
時間にすればほんの数秒もないだろうが、自分にとってはゆっくりと時間をかけた確認作業を済ませると、昭士はようやくゆっくりと身体を起こした。
《ありがとな、スオーラ。助かった》
「お礼には及びません。これもわたくしの役目ですから。しかし、手段がないとはいえ、あのような捨て身も同然の戦法を取る事は、お薦めしかねます」
その言い方には少しばかり刺がある。それはそうだろう。唯一のまともな対抗手段である戦乙女の剣を使えるのは自分だけなのだ。使い手がいなくなってはたまったものではないだろう。
《しっかし、魔法ってのはスゴイモンだな。死にかけたってのにもう動けるんだからな》
「過信はしないで下さい。どんなものにも限界はありますから」
《判ってるよ。こっちも痛い思いをするのは御免だからな》
そんなやりとりをしながら昭士は周囲を見回す。
すると自分達から随分と離れたところで、鎧を着た兵士達がエッセと相対しているのが見えた。
兵士達は長槍やら弓、それから投石装置などで空中にいるエッセを何とか攻撃しようとしている。
一方のエッセの方は、人間で言うと口から何か棒状の物が突き出ており、一応飛んではいるもののフラフラとバランスがとれないでいる。
スオーラが言っていた通り、いぶきである戦乙女の剣が突き刺さったままなのだ。
昭士にとってはほとんど重さが無いも同然なこの剣だが、他の者からすれば約三百キロの重量を誇る。そんな物を突き刺したまま空中に浮ける事自体が、まさしく「化物」なのである。
《しょうがねぇ。とっとと片づけるか。暗くなったら歩が悪すぎるからな》
昭士が動けなくなっていたのはそう長い時間ではなかったようだが、それでも日はだいぶ傾いている。ちょうど夕暮れの少し手前といった感じだ。
「判りました、アキシ様。わたくしが空を飛んで、上からエッセを攻撃して地面に落とします。その隙にアキシ様は剣を抜いてエッセに止めを」
《……そうするしかねぇか。俺は空飛べないし》
やる気満々のテンションで作戦を提案するスオーラに、昭士は「しょうがない」と言いたそうな低いテンションで答えを返す。
スオーラは持っていた分厚い本の中のページを一枚破り取ると、それを軽く宙に投げる。そのページはフワフワと舞い落ちながらスオーラの背中のマントにピタリと貼りついた。
するとマントが縦二つに切り裂かれ、翼のように大きく広がった。同時にスオーラは地面を蹴る。彼女の身体は宙に浮かび上がり、そのまま一気にエッセめがけて空を飛んでいく。
一方の昭士は地面をひた走るだけだ。空を飛べないのだから仕方ない。
魔法の治療のおかげだろうか。微妙な眠気からくるだるささえ体内から吹き飛んでいる気がする。体力全開体調万全。まさしく最高のコンディションというヤツだ。
「今から攻撃して、下に落とします! 注意して下さい!」
スオーラがそう叫んでいるのが聞こえる。下にいた兵士達は口々に叫ぶとエッセが落ちそうな場所から一斉に退避していく。
ちょうどそれらとすれ違う形になった昭士。落下予想地点をめざす彼に皆一瞬呆気に取られ、しかしすぐさま何かを怒鳴る。
だが昭士はこの国を含め、この世界の言葉が全く判らない。重要な警告だったとしても理解ができないのだ。おそらく「危ないぞ!」くらいのものだろうが。
《スオーラ! 今だ!!》
エッセの真下に誰もいなくなったのを見計らい、昭士は上空に向かって怒鳴った。スオーラもその言葉を待っていたかのようにエッセの上空を旋回していたのを止め、先程のお株を奪うかのような急降下を見せる。
一方のエッセも明らかにその突撃に気づいているのだが、いかんせん口の中は戦乙女の剣で一杯である。
呼吸は必要としていないようなのだが、大剣が口を塞いでいるせいでさっきのようにガスも吐けない上に、その大剣が邪魔で満足に飛ぶ事も避ける事もできないのだ。
スオーラは落下しながら切り取っておいたページを確認すると、それを乗せた手のひらをまっすぐ突き出した。
そして、その手がエッセの背中に叩きつけられる。ごぅんという重い音が辺りに響き、エッセの身体はまるで見えないハンマーでぶん殴られたように一気に地面に叩きつけられた。それも顔面から。
生き物であれば断末魔の悲鳴を上げているところだろうが、エッセにそんな機能はないらしい。羽を広げて身を起こそうと、何やらもたもたとやっているだけだ。
昭士はこれがチャンスとばかりにエッセに駆け寄った。このチャンスを逃せば剣を回収するチャンスがいつ来るか判らない。
そんな昭士にエッセが当然気づく。しかしその背中は上から物凄い力か圧力で押し潰されんばかりであり、さすがの怪鳥も身動きが取れない。
彼はエッセのくちばしからかろうじて飛び出したままの大剣の握りにようやく手をかけた。
《あっ、こらテメェ。よくもこンな化物に喰わせてくれたわね!? 元に戻ったらマジでナニかに喰わせるぞゴラァ!!》
いぶきのテンションの高い怒鳴り声を無視し、昭士は大剣を力一杯引っぱり出す。
ぶつかった衝撃で相当しっかりと突き刺さったのだろう。渾身の力を以てしても剣はびくともしない。もっと強い力で引っぱらねば、とても抜けそうにない。
昭士は少しでも剣を緩めようと微妙に上下左右に揺さぶって、隙間を作ってみる。両足をエッセの顔面にかけて、思いっきり体重をかけて引っぱってもみる。
そんな作業を暴れ回るエッセを前にして堂々とやってのけているのだ。相手の動きを極端にゆっくりに認識する能力をフル活用して。
しかしそんな事情は他の人間は全く知らない。今の昭士は「大暴れしている化物に無遠慮に近づいて剣を荒っぽく抜こうとしている」ようにしか見えないのだ。
何度も揺さぶった事が功を奏したのか、ゆっくりとではあるが、確実に剣は抜けつつある。その間にもエッセは昭士を追い払おうと頭を揺さぶったり、飛び立とうと羽をばたつかせてみたり。
だがさすがに三百キロの重りが口の中に突き刺さっていてはそれも難しいらしく、まるで苛立っているかのように地団太を踏んでいる。
《……抜けた!!》
勢い余って思わず地面に倒れこむ昭士。だがすぐに疲れた身体に鞭打って、身を起こして剣を真正面に構えた。
そこで判ったのだが、自分が瀕死のケガをする衝撃を受けたにもかかわらず、剣の方は折れるところがヒビ一つ入っていない。
確か大型トラックがぶつかった時の衝撃は何十トンにもなるという。つまり、この大剣はそれほどの衝撃を受けてもビクともしない堅さな訳だ。
大きく、重く、そして何より堅い。使い勝手はともかくとして、剣としてはまさしく理想系である。
それに安心した昭士は、今度こそ剣を大上段に振り上げた。
いくら昭士には重さが感じられないとはいえ、長さがある分剣のバランスや抵抗はどうしても発生する。それを感じさせないのは、昭士が剣を腕のみで振り回していない証拠だ。
全身の筋肉と重心移動をうまく使い、自分の筋力以上の力を発揮する。筋力のみを使っている訳ではないので疲労が溜まりにくくなる。それを剣の「型」という。
剣の実力は大した事はなかったが型は非常に良かった事が、こんな形で生きているのだ。
《くたばれぇぇぇっ!!》
そんな風に腕力と体重移動が合致した勢いのある大剣が、ついにエッセの顔面に叩きつけられた。
《いっっっでえぇぇぇえええええぇっっっ!!!!》
例によって剣から響くいぶきの悲鳴。そのあまりの痛々しい声に、言葉が理解できない周囲の兵士達も顔をそむけ表情を曇らせる。
太すぎる厚さの刃が、エッセの頭部を見事に真っ二つに叩き割った。
すると、真っ二つになったその切り口が輝き出したのである。優しく淡い黄色い光は切り口から一気に全身に広がり、包み込んでいく。
ぱぁぁぁぁぁあん!
初めて昭士が戦った恐竜の骨格標本の時のように、怪鳥の全身が小さな光の粒となって一斉に弾けた。それは天高く飛び散り、広がっていく。
その美しい光景に、昭士やスオーラはもちろんの事、その場の兵士達も惚けたように見とれてしまっていた。
この小さく美しい光は、エッセによって金属に変えられてしまった物を元に戻す力があるのだ。これは戦乙女の剣でとどめを刺した時でないと起きない現象らしい。
その状態になって初めて、昭士は振り下ろした剣から力を抜いた。全身の緊張を解き、ほっと肩を下ろす。
そこへスオーラも下りてきた。役目を終えたとばかりに、縦に裂けていたマントが元に戻る。
「アキシ様、イブキ様。有難うございました」
スオーラは昭士の右手を両手で掴み、そう言った。その表情はやるべき仕事をやり終えた、爽やかな笑顔そのものである。
いぶきが原因で女性そのものに対して好感の少ない昭士ですら、本気でドキリとするほどに。
昭士は何となく今の顔を見られたくなくて、彼女から視線を逸らす。そして、周囲の様子が目に入る。
そこで気づいてしまった。
スオーラがエッセを倒しても感謝されない。昨日彼女が言っていた事を一目で理解してしまった。
一つの戦いが終わったにもかかわらず、街が守られたにもかかわらず、周囲のリアクションがあまりにも静かすぎるのだ。
街を守るために戦っていた兵士達からすら、歓喜の声も賞賛の声も上がらないのである。
あるのは恐怖。嫌悪。化物を倒した化物を見る目。扱う空気。それだけだ。
確かに結果として自分達が何をできた訳でもない。後からやってきた昭士とスオーラに、美味しいところを持っていかれたような形になってしまったかもしれない。
しかし、そういった怒りをこちらに向けてくるものすらおらず、皆遠巻きに自分やスオーラを見ているだけだった。
昭士はもう一度スオーラの顔を見た。倒すべき敵を倒した嬉しさの中に、明らかに悲しい胸の内が。周囲の痛々しい視線に耐え、苦しむ瞳が確かに見えた。見えてしまった。
昭士は大きくため息をつきながら、周囲に向かって何か叫ぼうとして、止めた。自分の言葉は相手には通じないからだ。だから、
《スオーラ。俺に言葉が通じるようになる魔法、かけてくれ》
「あ……は、はい。判りました」
彼が何をするのかは判らないが、その顔は真剣そのものである。だからスオーラは素直に持っていた分厚い本の中から一ページ破り取り、昭士の胸にそれをそっと当てた。
そのページはぱあっと淡く輝くと、昭士の身体に溶け込むようにして消えていった。
昭士は何となく全身をじろじろと見回してしまう。胸に手を当ててじっとして、何となく身体の中も探ってみる。
特に変わった様子は見受けられない。本当に魔法がかかっているのか心配になるくらいに。
「あーあーあー。ただいまマイクのテスト中。ただいまマイクのテスト中」
実際に声を出してみるが、これでは通じているかどうか判らない。当たり前である。
と、そこへやってくる車の姿が見えた。ここへ来たばかりの時に乗った、昭士からすれば百年は昔のクラシックカーだ。
それが、あまり舗装されていない街の外の荒れ地をゴトゴト言いながら走ってくるのだ。
「アキシ様。もしかしたら、あの車には……」
遠くを見るように目の上に手をかざしたスオーラの言葉が途中で止まる。
「間違いありません。お父さ……キエーリコ僧様が乗っています」
たとえ親子であろうとも、公式の場では「教団のトップと一介の見習い僧」に過ぎない。その辺の公私の区別というヤツがハッキリしているのだろう。父と言いかけて慌てて言い直している。
ゴトゴト言いながら走ってきた車が、昭士達の四、五メートル手前で止まった。車から運転手が下りてきてドアを開けようとする前に、車から飛び出してきた三人の人物。
一人は昨日も会った、殿下ことこの国の第一王子であるパエーゼ・インファンテ・プリンチペ。昨日と同じ白いスーツ姿だ。
もう一人は同じく昨日会った賢者だ。名前はモール・ヴィタル・トロンペ。全身をスッポリと覆う、草色をしたダブダブのフード付きローブ姿だ。
最後の一人は彼らより一回り以上年上の人物だ。こちらの世界でのスオーラと同じ、ボタンのない詰め襟の制服のような僧服に白いマント姿。
ただし、そのマントには青い縁取りがされており、肩のところには儀礼用の軍服を思わせる、肩当てのような飾りがつけられている。それがいかにも「偉い人物」を彷佛とさせた。
その顔立ちは年相応だが随分といかつい表情を見せている。怒っているのか不機嫌なのか今一つ良く判らない。整えてはいるが顔の下半分が髭だらけなのも、良く判らなくしている一因だと昭士は思った。
「あっちがお前の父親か?」
「はい、アキシ様。わたくしが属する教団の長、モーナカ・キエーリコ・クレーロ様にあらせられます」
二人の小声のやりとりを見たスオーラの父は、いかつい顔のまま大股でズンズンとこちらに向かって歩いてくる。
そして二人の目の前に壁のように立ちはだかると、いきなりスオーラに抱きついた。
「んん〜〜スオーラ。大丈夫だったか? ケガはしてないか? そうかそうか。パパはお前に会えてすっごく嬉しいぞ?」
いかつい顔から一転。これ以上ないくらいデレデレとした顔でスオーラにずりずりと頬擦りをしている。それも力一杯。おまけに思いっきり甘えた声まで出して。
教団の長で、一宗教のトップとは思えない豹変振りである。怒っているのか不機嫌なのか判らなかった顔からは信じられない変わりようである。
一方のスオーラは慣れているのだろう。何となく気まずそうな無表情でされるがままにされている。
「あのー、もしもーし。親子の感動の再会は、そのくらいにして戴けませんかね?」
と小声で言う昭士の言葉を完全に無視している。それとも魔法が効いていなくて通じていないのか。
そんな風にさんざんスオーラを抱きしめて頬擦りをした後で、ふと我に返ったかのように昭士の方を見た。
「……誰だね、君は?」
「その彼が異世界から来た戦士ですよ、猊下」
長の質問に答えたのは、彼の後ろにいた王子だった。それも口を挟むタイミングを失って、微妙にオロオロとした後だったので、微妙にカッコ悪い。
それを聞いた長はスオーラから離れると同時にいかつい表情に戻し、ずいっと顔を突き出して昭士の顔をジーッと見出した。それも鼻息がかかるくらい物凄い至近距離で。昭士の視界には長の顔しか写っていない。
ド近眼の人間でも、ここまで顔を近づけないだろうくらいに。
「そうか……君が……」
正直昭士は緊張していた。さっきも考えてはいたが、メチャクチャな子煩悩と聞いているスオーラの父親だ。
大切な一人娘が連絡もなく外泊の上、(自分が)知らない男と一緒にいた。なんて事が知られたら、間違いなくシャレでは済まない。
普通の父親でも怒り出すだろう。子煩悩の親バカノリの父親ならば「娘に何をした!」と殴りかかってきてもおかしくはない。
だが、長はにっこりと笑みを浮かべた。
それも満面の。

<第5話 おわり>


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