トガった彼女をブン回せっ! 第4話その1
『ひょっとしてシスター萌えとか?』

角田昭士(かくたあきし)の必死の抵抗も空しく、彼の身体は飛行船から真っ逆さまに落下していた。
もちろん命綱などない。あるのは右手に握られた、自分の身長よりも長い抜き身の大剣一つきりだ。
上を向いている自分の視界にはみるみるうちに小さくなっていく飛行船と、青い空しか見えない。
上空何千メートルとかいう数値は考えたくもない。そんな高さなのは明白だ。
もし下を向いていたならば、落下の風圧で明らかに目を傷めるのは間違いない。スカイダイビングの場合、姿勢にもよるがその落下速度は時速二百キロにもなるからだ。
そんな速度の前では、目に入れても痛くない空気は目を潰すほどの凶器と化す。スカイダイバーがゴーグルをするのはそのためである。
《うわわ、わ、わ、わ、わ》
昭士の口から無意識のうちに言葉が漏れる。離れそうになる大剣の握りを力一杯握り直す。
《いだだだだ。ったくそンな力一杯握ってンじゃないわよ! 痛いでしょ!?》
大剣が特徴ある発音の女の子声で怒鳴り散らす。昭士の双子の妹・いぶきが大剣に姿を変えているからだ。
オルトラとよばれるこの異世界では、昭士は力より技を多用する「軽戦士」。いぶきは大剣に姿を「自動的に」変えてしまう。というよりも、これがこの世界における二人の姿なのだ。
《それに人のハダカジロジロ見てンじゃねーっての! キモイ、最低、痴漢、変態、変質者!》
この大剣は彼女の肉体が姿を変えたもの。いぶきは全裸で落下しているのと同じ。姿は変わってもその中身は一人の女性。いかに気が強くてもハダカを見られて平気な訳ではない。
《そもそもお前が悪いんだろうが! ありゃ誰でも怒るぞ!》
《あたしのどこが悪いのよ! あンなので怒るあっちが悪いに決まってるでしょ!?》
時速二百キロという風圧の中、風切り音に負けない音量で怒鳴り合いながら落ちる二人。その風圧、空気中のゴミや埃がむき出しの皮膚をかすめていく。ハッキリ言って痛い。もしかしたら切れて血が出ているかもしれない。
パラシュートもなければ空を飛ぶ方法も持たない二人。このままでは地上に激突して死ぬ事は間違いない。
昭士は何とか助かりたくて知恵を絞るが、そんなのはどうでもイイとばかりのいぶきの悪態に邪魔されて、思いつくものも思いつかない有様だ。
ただ少しでも落下に抵抗しようと、幅広の大剣を自分の下に持っていき、風圧からの盾にする。そうしたところでその程度では風圧はなくならないし、落下速度は全く変わらないのだが。ただの気休めである。
《ナニ人の事盾にしてンのよ! むしろあンたが盾になりなさいよ、妹の為に!》
《こんな時だけ妹ぶるんじゃねぇ! この性悪女が!》
もちろん盾にされている事でいぶきの悪態はヒートアップして、正直うるさい事この上ない。
「アキシ様ーーーーーっ! イブキ様ーーーーーっ!」
その時、遥か上空から自分達を呼ぶ声が聞こえてきた。その声は二人がよく知り、かつ飛行船に一緒に乗っていた筈のモーナカ・ソレッラ・スオーラの声だ。
風圧の中少し目を開けると、身体を地面に垂直にして、猛スピードで落下してくるスオーラの姿が見えた。その必死すぎる形相に昭士は助けが来た安堵感よりもこっちへ来るなという恐怖感を覚えるほどだった。
よく見て判ったが、彼女はゴーグルをしていない。とっさだったのかもしれないが、あれでは風圧はもちろん空気中のゴミや塵で目を傷めてしまう。下手をすれば失明の危険がある。
それを知ってか知らずか必死の形相で一直線にこちらに向かって落下してくる。
スオーラは落下しながら自分の胸の中に手を突っ込み、そこから分厚いハードカバーの本を取り出すと、落下の風圧の中で本をめくり、そこから一枚のページを破り取るという荒技を、見事にやってのけた。
「アキシ様! 変身を!!」
スオーラは力一杯昭士に向かってそう怒鳴ると、自分は破り取ったページを自分の身体に押しつけた。その直後、バサバサと風にあおられていたマントが縦二つに裂け、彼女の背中で大きくピンと左右に伸びた。まるで翼である。
スオーラは、自分の体内から取り出した本に書かれた魔法を使う事ができる。ただしその使用法はページを破り取って宙に投げたり対象に貼りつけたり。
それによってこうして空を飛ぶ事ができるのだが、さすがに重量制限がある。三百キロにもなろうという重量の剣になった状態のいぶきがいては自分まで落下の巻き添えを喰ってしまうのだ。
一方の昭士の方もかろうじて聞こえた「変身」の言葉だけで、そんな考えを察した。昭士はポケットの中からどうにかカードを取り出すと、風で飛ばされないようにしっかりと握って宙にかざした。
するとカードから青白い火花がバチバチッと散り、昭士の姿を青いつなぎに簡素な鎧から黒い学生服に。いぶきの姿を大剣からハダカの少女に変えた。
大剣と人間では明らかに重量オーバーになってしまうが、人間二人くらいならどうにか二人を抱えて飛ぶ事ができる。
しかし。そんな事情があると判っていても、ハダカにされて嬉しい訳がなく。いぶきが耳をつんざく叫び声を上げる。
《っっっっナニ考えてンのバカアキ! 痛い寒い痛い寒……!!》
悪態をつく前に全身を襲う風圧と上空の冷気とにやられ、それどころではなくなったいぶき。
当たり前である。地上から千メートル上がれば気温は六度下がると言われている。しかも時速二百キロ近い風圧も受けている。その体感温度はまさしく氷の海にハダカで放りこまれるに等しいのだ。
そんな二人に追いついたスオーラは、右腕で昭士を、左腕でいぶきをどうにか抱きかかえる。もっとも目が良く見えていない上に落下中だったため、いぶきは腰に腕を回せているが、昭士は自分の胸に抱き締めるような格好になる。
その途端、落下速度が急激に遅くなっていった。全力で落下に制動をかけたのだ。
「……どうにか、間に合いましたね、お二人とも」
安堵と共にそう呟くスオーラの、心底ホッとした声。しかしそんな彼女の目は風圧を受け過ぎて水分が飛び、真っ赤に充血している。見ただけでかなり痛そうなのが実体験のようによく判る。
そんな目で自分達を助けてくれたのだ。感謝してもし足りないとはこの事だ。
《あ、あ、あ、有難う。スオーラ》
元の姿に戻った昭士は、息を飲むように言葉を詰まらせる。元々ドモり症なのと相まって聞き取りづらい事この上ないのだが、さすがに抱きかかえているほどの近い距離ならそうでもない。
しかし昭士がドモっているのはそれだけが理由ではない。魔法使いの状態に変身している時のスオーラは背も高くなるしスタイルも非常に良くなる。
妹のいぶきにほとんどいじめのような扱いを受けているので女性に対する興味は薄い昭士だが、そんな相手の身体――特に見事で豊かな胸が密着されては、思春期真っただ中の男子としては落ち着かない事この上ない。
もちろん双子でありいじめっ子気質のいぶきが、そんな昭士の状態に気づかない訳がない。
《ナニエロい事考えてンの、バカアキ》
《かかか、か、考えてないよ!》
《どーだか。シスター相手に欲情するヤツに言われてもねぇ。ひょっとしてシスター萌えとか?》
《ち、ちち違うよ!》
今までそっぽを向いていた昭士が、言い返そうといぶきの方を向いた途端、
《だから見てンじゃねーっての!》
間髪入れずいぶきの拳が昭士の脳天に叩き込まれる。
《シスター萌えに加えて妹相手に欲情する!? おまけにハダカにひン剥くし。あンたみたいなのを異常性癖の持ち主って言うンじゃないの? 悪いと思ってンなら今すぐここから飛び下りて死ンでほしいンだけど?》
眼下にはマチンニョと呼ばれているらしい山が広がっている。だが山と言われなければ鬱蒼とした森にしか見えず、それだけこの山にたくさんの木が生えている証であろう。
《べ、べべべ別に、おお俺がハダカにした訳じゃ……》
《うるさいバカアキ! そもそもあそこであのバカ王子をぶン殴っとけば落ちずに済ンだでしょ? ナニ黙って殴られてンのよ!》
いぶきが腕をブンブン振って昭士をやたらめったらに殴り出す。
「イブキ様! 言うに事欠いて『バカ王子』とは聞き捨てなりませんよ! 訂正して下さい!」
この国の人間であり、なおかつ個人的にも面識のある王子をバカ呼ばわりされては、真面目なスオーラが気分を害さない訳はない。
《バカ王子をバカ王子って言って何が悪いのよ!》
やたらめったら殴る手が、今度はスオーラを標的に変える。抱きかかえているので避ける事も離す事もできないスオーラはされるがままにされつつも、
「イブキ様! 暴れないで下さい。バランスが取れない上に落ちかねません!」
事実スオーラの身体がガクンと傾いて、あれよあれよという間にどんどんとカーブしながら落下し始める。
その傾いた体勢をどうにか立て直すと、
「それに、この魔法も長い間効いている訳ではありませんし、ずっと上空にいてはイブキ様が風邪を引いてしまいます。そろそろ下りましょう」
上空から辺りを見回して、着陸できそうな木々の隙間を探すスオーラ。そしてちょうどいい隙間を見つけた彼女は、そのままの体勢で降下していく。
(……嫌な予感。大当たりでしたね)
心の中でガックリと落ち込みながら。


どうにか木々生い茂る山の中に軟着陸を決めたスオーラ。それを待っていたかのようなタイミングで魔法が切れて、羽のように広がっていたマントも元の姿に戻る。
そこですかさずマントを外し、ハダカのままのいぶきに手渡した。いぶきはそれを奪い取るようにひったくると、急いで風呂上がりのように身体に巻きつける。感謝の言葉は当然ない。
《ったく微妙に長くて動きづらいわね。さっさと服を調達しないと》
そこでいぶきは唐突に特大のくしゃみをする。あまりに大きかったのか周囲の木々に反射してこだまする。
それから唐突に昭士の前に立つと、
《ほら、その学ランもよこせ、バカアキ!》
マントを巻いただけでは肩が丸出しである。山の上の方なので微妙に気温も低い。加えて直前まで上空にいたため身体が冷えきっている。その発想は当然である。
もっとも。強制的に奪い取るのは当然ではない。
本来スオーラはいぶきを止める立場ではあるが、それよりも前に彼女にはやらねばならない事があった。
スオーラは二人のケンカを一旦放置して、周囲から枯れ枝や落ち葉などを拾い集めている。
いぶきがスオーラの様子に気がついたのは、必死で抵抗して逃げ回る昭士から学ランを奪い取って着終えた時だった。
《ナニやってんの、あンた》
「火を熾すんです。このままでは寒いですから」
スオーラは乾いた地面に少し太めの枝を何本か敷きつめた。そしてその上に燃えやすそうな細い枯れ枝や落ち葉を乗せていく。それもただ乗せるのではなく、枝を一本一本円錐状になるよう綺麗に並べていく。
その手際から見て、これが初めてやるのではない事が容易に想像できる。
《手慣れてるわねぇ。こっちの世界にはガスコンロとかIHヒーターとかは無いンだろうから当然か》
いぶきにしては珍しく、嫌みの少ない言葉である。
スオーラはジャケットの内ポケットから何か取り出す。それは金属でできた何かのブロックに見えた。
《ジジ、ジジッポのライター?》
彼女の手元を覗き込んだ昭士が、目ざとくそれに気づいた。
「ジジッポ、というのが良く判りませんが、確かにこれはライターですよ」
キン、という小気味いい金属音がしてブロックの上半分が開くと、そこには確かにライターの着火装置が見えた。
「オイルは充分に入っていますから、火がつかない事はありませんけど……」
そう言いながらライターの着火部分――指で弾いて回転させるドラムの部分をさっきから懸命に弾いているが、なかなか火がつかない。
理屈は簡単だった。何だかんだ言ってもスオーラは女性だからである。
棒術を学んでいるとはいっても、どう見ても力があるようには見えない。指先だけでドラム部分を充分に回転させるほどには指の力がないのだ。
それに気づいた昭士がすっと手を出して、
《お、お、お、俺が、ややるから。か貸して》
指先ではなく指の腹で回そうとしていたスオーラは、恥ずかしそうにライターを手渡すと、
「この辺りに火をつけてもらえませんか?」
組み上げた枝の一画を指差してみせた。昭士が言われた通りライターをそこへ持っていき、片手の親指の先で簡単に火をつけてみせる。
ライターから出た炎はすぐ枯れ枝に火がつき、落ち葉を焼き、次第に薪代わりの枝に燃え広がっていく。
《へえ。す、すぐにこんなに》
昭士も学校行事でキャンプに行った時に薪に火をつけて煮炊きした事はあるが、もうもうと煙が出るばかりでロクに火がつかなかった経験を思い出す。
「火というのはある程度の空気がないと決して燃えません。もちろん入り過ぎては火が消えてしまいますが。その辺りは焚き火でもかまどでも同様です」
焚き火に顔を近づけ、吐く息で微妙に空気の流れや火の行方を調整するスオーラ。確かにその手際は手慣れて落ち着いたものである。
火の勢いがどんどん大きくなり、スオーラは少し太めの枝を折って焚き火の中に入れていく。枝が燃えるパチパチという音が聞こえてくる。
「今日はここで一泊するつもりです。明日になったら当初の目的地であるスッド村に向かいます。途中でまた一泊する事になるでしょうから、着くのは……」
《じゃあこンなところでのンきに焚き火やってる場合じゃないじゃン。それにまだ昼過ぎくらいでしょ? 今からでも歩けば少しは目的地に近づくンじゃない? あンたホントに人助けとかする気あるの?》
いぶきが当然のように文句をつける。人助けなどこれっぽっちもする気はないのに。
《それにあンた、さっき空飛ンでたわよね? だったらその魔法であたし達をその村まで運べば良かったじゃない》
その文句にスオーラはいぶきにしっかりと向き直ると、
「申し訳ありませんが、あの魔法は長い時間持ちません。スッド村まではとても辿り着けません。それにわたくしの魔法は使い捨て。一晩以上休まないと同じ魔法を再び使う事はできません」
ページを破って使う訳だから、彼女の魔法は基本「使い捨て」。一度使ってしまったら時間をかけて回復するまでは使う事ができない。
「そもそもイブキ様をずっとハダカのままでいさせる訳にもいきません。同じ女性として」
その言葉には、さすがのいぶきもうっと言葉に詰まる。
それからスオーラの方は火の様子を見ながら、
「わたくし達の移動速度を考えますと、ここからスッド村までは飲まず食わず、かつ休まずに歩き続けて丸一日はかかります。それも何のトラブルも発生しなければ、の話です」
スオーラが話を続けようとした時、
《うン。判った。そっちの方が面倒そうだから、パス》
いぶきが珍しく素直に他人の意見に従う。確かに不眠不休で丸一日山道を歩かされるのは嫌だろう。特に彼女の場合は服も靴もないのだから。
そんなやりとりの間に火は少しずつ大きくなり、やがて安定した大きさになる。スオーラはそれを見計らって、
「ではわたくしは何か食べるものを調達してきます。この季節なら木の実か果実くらいなら手に入ると思いますので」
《はいはい。行ってらっしゃい》
いぶきが火の前を独占して、投げやりに送りだす。昭士も立ち上がろうとしたが、スオーラに止められた。
「アキシ様はここにいて下さい」
《だだ、だけど、おお俺も手伝うよ。まだ、め目が治り切ってないよ?》
確かにスオーラの目はまだまだ真っ赤に充血している。時折日の光すら痛そうにまばたきをしているのだから。
変身している時のスオーラは、時間が経てばほとんどの怪我は治ってしまうと聞いているが、さすがにあっという間に治る訳ではないのだ。
「アキシ様はイブキ様をお願い致します。まだまだ身体は冷えているでしょうし、労ってあげて下さい」
確かに焚き火とマントと学ランだけでは身体が充分に暖められるとは言い難い。いぶき自身はやせ我慢しているのかもしれないが、火の側なのに随分と寒がっている。
「おそらく風邪などは引いていないと思いますが、用心するに越した事はないでしょう」
《わわ、判ったよ》
自分を一番いじめてくるいぶき相手に「労ってあげて」と言うのはどこか釈然としないものがあるが、病気で倒れられてもまた困るのは確かだ。
《スオーラ、そそそそっちも気をつけて》
昭士の言葉に彼女は無言で軽く頭を下げると、まるで勝手知ったる場所のように森の中に駆け込んで行った。


スオーラが森に入って数分もしないうちに、空は雲に覆われ始めた。青い部分はほとんど見えず、どんよりとした灰色の雲ばかりになっている。
森の中という事に加え雲が太陽光を遮ってしまっているので、すうっと空気が冷え込んでくる。
《寒! ナニやってンのよあの女。あたし達を置いて一人で逃げたンじゃないの!?》
火の側に近寄るどころか完全に焚き火を独占しているのに、特大のくしゃみをしつつブツブツ文句を言ういぶき。いつもならそこらの物を殴って八つ当たりしているところだが、さすがに焚き火を殴るような真似はしないようだ。
(けど逃げたくなるよなぁ)
火が消えないように焚き火に枝をくべる昭士は、素直にそう思う。
基本的にいぶきは「何もしない」からだ。それでも口を出すのは一人前。手を出すのは十人前ときている。これでは怒って誰もかかわり合いになろうとはすまい。
かくいう昭士も本当ならかかわり合いになりたくなどない。実の妹である事は間違いないが、物心ついてから「いぶきがいて良かった」と心底思えるような事態になった事は、ただの一度もない。
それでも完全に見捨てられないのは「妹だから」なのだろう。
そんな考えを吹き飛ばしたのは、またもいぶきの特大のくしゃみだった。
《う〜〜〜〜っ。風邪でも引いたのかな。あンな上空で素っ裸にされちゃったおかげで》
後半部分に特に力を込めて昭士を睨みつけてくるいぶき。しかしそのいぶきの身体に、青白い火花がバチッと散ったのを、昭士は見逃さなかった。
その青白い火花は、昭士達が「変身」する時に散る火花と、全く同じものだった。
そもそもこの姿は昭士達の元の世界での姿。オルトラと呼ばれているこの異世界において、現在のこの姿は「異質な」姿でしかない。さっきまでの「剣士と大剣」の姿が、ここオルトラにおける「普通の」二人の姿なのだ。
だから「異質な」姿のままでは、この世界に長く存在できない。特に今はいぶきが弱っているのだ。存在する分のエネルギーがないのかもしれない。
だから昭士はポケットからさっき使ったカードをもう一度取り出そうとして思い出した。カードは今いぶきが羽織っている学ランのポケットの中だった。
剣になる事も自分達に協力する事も強く拒絶しているいぶきに、素直に「カードを取って」と言っても、取ってくれる訳がない。だがカードがなければ変身はできない。
しかし。今の昭士には可能なのだ。壊れていない限り、どんなに遠く離れた位置からでもカードを手元に呼び寄せる事ができるようになったからだ。
《トルナーレ》
このキーワードひとつで、カードは昭士の手元に現れる。そしていぶきに止められる前にカードを眼前にかざした。
するとカードから青白い火花が激しく散り、その火花は次第に大きくなっていく。広がって大きくなった火花は、やがて昭士の目の前で青白い扉のような形となった。
その扉が一気に昭士に迫り、彼の全身を包み込み、そして消えた。
そこにいたのは、青いつなぎのような服の上から簡素な鎧をつけた、この世界での姿になった昭士だった。ただし、胸当てだけがない。
直後ゴトンという音がすると、焚き火の前に座っていたいぶきの身体が大剣の姿になって後ろに倒れていた。
《っっった〜〜〜。ちょっとバカアキ! いきなりナニすンのよこのバカ!》
大剣となったいぶきの刀身にはスオーラのマントが巻かれ、柄には変身した時に身につけている胸当てが引っかかっていた。
マントは他人の物だから変わらないのは見当がついていたが、着ていない状態でも変身すれば変わるらしい。
《あっちの世界の姿のままじゃいられないみたいなんでな。変身しておいた》
《勝手にやるなって言ってるでしょ、このバカアキ!》
《言ったって許可出さねーだろ。なら言うだけ無駄だ》
《当たり前でしょ!? ナンでわざわざ剣なンかにならなきゃならないのよ!》
剣の姿のまま怒鳴り散らすいぶきに対し、昭士の方はあくまでもつまらなそうに淡々と返している。いぶきが極めて非協力的なのは今に始まった事ではないし、どんな説得も聞く気がない事は判っているので、いちいち対応するのがバカバカしいのだ。
昭士は剣の側に転がった胸当てをひょいと掴み上げ「どうやって着けるんだ」と首をひねっている。
剣道の胴ならば何度も着けているが、こういう胸当ては初めてである。普段は学ランを着た状態で変身しているから「身につける」手間がないのだ。
かといってまた元の姿に戻って、学ランを着て、また変身というのはさすがに面倒くさい。一応「多分こうだろう」くらいには着け方の見当はつくのだが。
その時、剣士となった昭士の「感覚」に、何か引っかかる存在があった。今の彼には周囲の状況を「見えていなくても」把握するという能力がある。もちろんその範囲は大して広いものではないが。
《そこで見てるヤツ、何か用か?》
昭士は少し離れた背後にある大木に向かって声をかけた。
すると数秒後、そこからスオーラではない気配の人物が、
姿を現した。

<つづく>


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