トガった彼女をブン回せっ! 第33話その5
『俺達が知ってるヤツかもしれないな』

時間は少しばかりさかのぼる。
スオーラ達と別れた昭士とドゥーチェは、巨大な鳥型ロボ・聖鳥王に乗って次の目的地・ノチキラトクニモチ区域に向かっていた。
街道を行けば九〇〇キロの道のりで列車で行っても丸二日はかかる計算になるそうだが、一直線に空を飛んで行けば六〇〇キロで済む。それでもなかなかの距離であるが。
一応高度三〇〇〇メートルは保っているものの、この巨体なら肉眼で目視されてしまうだろうが、現在眼下は鬱蒼とした森が広がっているだけなので人はいない。目撃情報は少なかろう。
ドゥーチェによるとこの森の中にマチセーラホミー地方の神々が住んでいるという伝説があるそうで、森のごくごく一部以外は「聖域」として立入禁止になっているらしい。
森のところどころにちょっとした広場程度に開けた場所があり、そこが「入っていいごくごく一部」の場所なのか「聖域」なのか、この距離からではさすがに判断できなかった。
ドゥーチェの視線は窓から見える眼下の景色に釘付けになっていた。それは仕方あるまい。この世界にも空を飛ぶ乗り物は存在するが、彼自身がそれに乗った事はおそらくないであろうから。
「鳥はこげン景色を見ちょるンじゃろうな」
中年男性が目をキラキラとさせて景色に見入っているのは気色悪いと言う人もいるだろうが、いくつになっても何かに感動できる豊かな心は持っていたいものである。
「……珍しかね」
《何がだよ》
自動操縦にしているため、昭士は操縦席を離れてドゥーチェの隣に立ち、同じような方向を見下ろす。
広大な森もそろそろ終わりに差し掛かっており、森の端の部分が見えている。その周辺は特に何もない草原が広がっているのだが、その草原を何かが動いているのが見えたのだという。
確かに三〇〇〇メートルという高さからではあるが、草原の緑とそこで動いているものがほぼ黒という判りやすい対比の色であれば、目が利く者なら見えるという。
昭士にはサッパリ判らないが、その辺は昔の人だからか鍛えているからか。実際そういう目の持ち主のおかげで昨日は大変だったのである。
彼は操縦席に戻ると言われた辺りにカメラを向け、その映像を拡大する。
あまりやった事がないので少々手間取ってしまったが、確かに馬に乗った誰かがたった一人で森めがけて駆けて行くのが見える。
ドゥーチェが話すには、この森はいわばマチセーラホミー地方にとっての聖域なので、大人数で何かしらの供え物を持って行く方が普通だという。
だからあんな軽装かつ単身で訪れる事は珍しいそうだ。この辺りはメインの街道からはかなり外れているので、道に迷った旅人という線も薄い。
「顔は判りもはンか?」
ドゥーチェはそう訊ねてくるが、防寒対策らしくフード付きのマントを着込んでいるので、さすがの拡大映像でもその人相までは判らない。
ところが、その映像内の人物がいきなり馬から転げ落ちてしまったのである。単純な落馬でない事は、馬の方も地面に横倒しになっている事からも判る。
そこへ草原の中から落馬した者を取り囲むようにして現れた何者か。明らかに待ち伏せにしか思えない。剣を抜きじりじりと間合いを詰めていく。
「強盗か!?」
映像を見ていたドゥーチェが顔を青くした。落馬した人物は死んではいないようだがすぐには動けそうにない。
「我々で助けっど、剣士どン!」
《え、今から行くのか!?》
映像こそ撮影が続いているが、機体は今現在進行形でこの森から離れている真っ最中なのだ。いくら空中で静止できるとはいえ……
「義を見てせざるは勇無きなり。行っど、剣士どン!」
昭士の胸倉を掴みあげて詰め寄るドゥーチェ。これは何を言っても無駄である。彼の頭には目の前の見知らぬ人を助ける事しか頭にない。
このまま見捨てて行くのも確かに後味が悪い。放っておいたらどう考えても落馬した男の行く末は判りきっている。
《……しょうがねぇ。行くか》
昭士は操縦席の計器をカチャカチャといじってその場で停止させ、さらに自分達を地上に降ろす。
降りた場所は取り囲んだ男達のさらに外側。取り囲んだ男達はあからさまに人相の悪い連中。
いきなり現れた二人と上空の巨大な鳥を双方見て驚く男達。その言葉が明らかに日本語≒マチセーラホミー地方の言葉なのはすぐ判ったが、昭士とドゥーチェは話に来たのではない。
ドゥーチェは着地と間髪入れず自身の剣を抜き、パエーゼ国の言葉で何か叫びながら手近の者に斬りかかる。
昭士はウィングシューターを出そうとしたが、それは今聖鳥王となって自分達の頭上にいる。わざわざ戻すのも面倒だし、実力差はあるが、打ち倒すより戦意喪失で逃げ出してもらう方がいいかと思い直す。
昭士は自分の「軽戦士」を意味するムータを取り出すと、それを掲げて叫んだ。
《キアマーレ!》
男達が昭士にも襲いかかろうとした直前にそんな動作を取られたので、魔法か何かと一瞬身を硬くして警戒した。しかし何かが起きた様子が全くないので「こけ脅しか」と判断してナイフを構え直し、一斉に襲いかかってきた。
素手の昭士がそれらの攻撃を軽くあしらっていく。これは昭士に備わった「周囲の動きを認識可能な能力」のおかげである。たとえ武器がなくともこの能力があればこのくらいは造作もない。
《…………ぉあぁあうあぉあうおぉおうあぅおあうあおあっっ!!!》
すると、遠くからだいぶ情けない悲鳴が聞こえてきた。それはどんどん大きくなっていく。
音のした方向に注意をやると、そこから何かが飛んできていた。細長いもの。鞘に収まった剣。それにしてはとても大きい。その正体は……とても巨大な幅広の刃を持つ剣!
その剣が地面にぶつかる直前、昭士はその柄を両手で握りしめた。さらに勢いよく振って鞘を弾き飛ばす。その鞘を顔面に受けて一人がひっくり返った。
《……テメェいきなりナニしやがる、バカアキの分際で!!》
剣から轟くのは怒りに満ちた少女の声。その刺々しさは言語が判らぬ者にもストレートに伝わるであろう。
この剣の名は「戦乙女の剣」。柄を含めた全長が二メートルを軽々と超える巨大剣。昭士だけが使える武器であり、対エッセ戦に絶大な威力を発揮する唯一の武器であり、昭士の双子の妹・いぶきがその正体である。
ムータの力で昭士が剣士になるように、妹のいぶきの身体は剣に、服は鞘に変わる。しかし中身――性格は元と全く変わらないし五感も残っている。
それゆえ今のいぶきは抜き身の状態=人前で全裸になっているに等しく、怒るのは当たり前なのであるがいぶきが怒っている理由はそうではない。
彼女は「誰かのために」とか「誰かを助ける」という事に異常なほど嫌悪感を示す性格であり、そんな事をするくらいなら死んだ方がマシと常々言い切っている。他者を省みる・労わる事もなくその振る舞いは傍若無人の一言。
だが彼女が変身した戦乙女の剣は、彼女が肉体的・精神的に痛みを感じれば感じるほどその威力は増していく性質がある。過去たった一振りで山頂部分を木っ端微塵に吹き飛ばした事もある。
ここでそんな威力を発揮されては、下手をすればこの一帯に巨大クレーターができる事請け合いだ。
もちろん昭士もそれは判っているので、使い方を変えた。手近な男に向かって戦乙女の剣を投げ渡すように軽々とポンと放り投げたのだ。
投げ方が優しかったので受け止めて逆に投げ返してやろうと考えたらしく、男が剣を両手で受け止める。すると、
どごんっ!
両腕が一瞬で地面についていた。もちろん派手に転び悲鳴をあげている。その両腕にはミシミシと音を立てて戦乙女の剣の三〇〇キロという重量がのしかかっているのだ。痛くない訳がない。
そう。昭士は使い手ゆえかこの重量を無視できるが、他の人間はそうはいかない。転んでいる隙に男の後頭部を殴りつけて失神させる。それからひょいと片手で巨大剣を持ち上げると、
《さぁ、次はどいつだ?》
頭上でブンブンとプロペラのように回しながら凄んでやると、男達はあっという間に走って逃げ出していく。失神した男は仲間二人がかりで担がれていく。その情けない様子や人相から、やはり強盗団か何かだったのではと昭士は推測した。
その光景にあっけにとられていたドゥーチェ。一方(一応)全裸で人助けをさせられたいぶきは文句を言いたいようだったが、振り回されて目を回したらしく、何も言ってこない。
昭士は放り出したままの鞘に目をやると、ドゥーチェに向かって、
《その倒れている人の介抱を頼む》
その一言であっけにとられていたドゥーチェは我に返り、落馬した人物に大急ぎで駆け寄った。
そして昭士はいぶきが目を回している間に鞘に刃をしまう。ベルトを使って剣を背負い、ドゥーチェの元に歩み寄った。
《走ってる馬から落っこちたみたいだけど、大丈夫なのか?》
昭士の世界で例えるならバイクで事故って地面に叩きつけられるようなものだろう。しかしここは地球と違って草が生えて土もそこまで硬くない草原である。
ドゥーチェの見立てでも擦りむいた出血はあるが、単に落馬のショックで気絶しただけのようだ。とっさに受け身をとったらしく肩の辺りを激しくぶつけた痕があるが頭部は無事のように見えた、らしい。
しかし馬の方が絶望的だ。変な転び方をしたので脚を折った可能性が高い。ドゥーチェはそう見たてた。
落馬した人物の格好は昭士の世界でいう昔の軍服を思わせる(こちらの世界ではどう言うのかは判らなかったが)濃紺の洋服だった。その左胸には丸の中にバツの字という文様が描かれている。
足には包帯のような布(巻き脚絆(きゃはん))がきつく巻かれ、腰には日本刀が一振り下がっているが、刀は転げた拍子に何処かへ行ってしまっていて鞘のみだ。
口元に布が巻かれマントについたフードを深くかぶっているので、このままでは人相すら判らない。ドゥーチェは布とフードを取った。
その顔は典型的な日本人顔。顔立ちは間違いなくいい部類に入るものであり、絶対女にモテるなと確信できるレベルである。
だが日本人顔の割に肌の色が異様に白かったし、髪も黒いが毛先の方がところどころ白い。……いや。これはカツラを被っている。落下の衝撃でズレたのだろう。
昭士が無遠慮にカツラを取ると、そこにあったのは肌同様の白い髪だった。
ドゥーチェがその容姿と左胸の文様を見て顔をこわばらせる。
「ノチキラトクニモチ区域のシズマ君じゃ。間違いなか!」
《え、ひょっとして知ってるヤツなのか?》
「金属に変えられてン連絡があったじゃろ。そン彼や!」
《はぁ!?》
金属に変えられた筈の人間が、なぜ今こうしてこんなところにいるのだろうか。昭士はもちろんドゥーチェが驚くのも無理はない事だった。彼のために今現在向かっている最中なのだから余計にだ。
ドゥーチェが話すには、彼のフルネームはトチカトナモチ・シズマと言い、剣を習っていた師匠の息子である。
生まれながらの白子(しらこ)、つまり髪と肌が白いために身体が弱く、武芸事を尊ぶ文化のノチキラトクニモチ区域ではそれこそ幼い頃からいじめに遭っていたという。
それでも血筋か英才教育か、はたまた努力と根性か。体力がいささか乏しいのが欠点ではあるものの、並の人間では太刀打ちできない実力者に成長したそうだ。
「シズマどン。しっかりせー。シズマどン」
ドゥーチェも軽く頬を叩きながら大きな声をかける。本当に気を失っていただけのようで、シズマと呼ぶ彼はすぐにうっすらと目を開けた。
「あたは……」
「トチカトナモチ・シズマどンじゃなあ?」
「へ!! ……あっ」
シズマはドゥーチェの迫力に圧され即答した直後「しまった」と顔をこわばらせたのを見て、さらに畳みかけるように、
「金属に変えられてン連絡があったじゃろ。どげンこっと。説明しやンせ!!」
聞き取れはするがキツイ方言ゆえに昭士には微妙に理解しづらい会話である。なので昭士は、
《待て待て。そんな言い方じゃ答えられるモンも答えられなくなるって》
必死の形相でシズマに詰め寄るドゥーチェの肩を後ろから掴んで押し留める昭士。奇しくも昨日と立場が逆になっている。
それで少しは冷静になったのかドゥーチェは詰め寄るのをやめ、シズマをその場に座るよう言い、自分も向かいに正座した。
「あてはパエーゼ国ン人間じゃ。あたンおやっどンの弟子で、姓はドゥーチェ、名はレッジオーネち申します」
《俺は……角田昭士。軽戦士ってヤツらしい》
昭士のタメ口はともかく、ドゥーチェのその落ち着いた物言いと内容にシズマも感じるところがあったようで、居住まい正して正座すると、
「ノチキラトクニモチ区域はトチカトナモチ市ん人間じゃ。姓はトチカトナモチ、名はシズマち申します」
それからシズマは自分を助けてくれた事を感謝し、礼を述べた。それから順を追って事情を話し出した。
とはいえ、一言でいうなら駆け落ちである。その相手とこの森の中で落ち合う手筈らしい。
いくら白子で身体が弱いとはいえ、故郷では家系的にも実力的にも一目置かれるほどの人物。そんな人物が駆け落ちを決意する理由、状况。よほどの事がなければそんな選択はすまい。
そして、駆け落ちする相手というのが……ノンラナカラ市の長にして金属に変えられたテルテだと言うのである。
もちろん昭士とドゥーチェの驚き方は半端ではない。特にさっき以上にシズマに詰め寄ろうとするドゥーチェを、昭士がどうにか羽交い締めにして抑え込む。
そのドゥーチェの血相に顔を引きつらせて逃げそうになっていたが、逃げてはいけないと思い直したのか、きちんと座り直して話を続けた。
「テルテどんが、しゃいも“といえ”させらるっんを、知ったでじゃ」
シズマが聞いた話によると、ノンラナカラ市とララトチノチ市の長年の小競り合いを何とか治めたいと常々思っていたテルテだが、いくら彼女のカリスマ性(アイドル性?)をもってしてもなかなかうまくいかない。
そこに相手――ララトチノチ市の長ミナハナ・ナミナンが「二人で結婚し、ノチミトチニ区域を統一しよう」と話を持ちかけたのが発端らしい。
しかしミナハナには争いを止めようとか、彼女を愛しているとか、そんな様子がこれっぽっちもない。
彼が愛しているのはテルテのカリスマ性と権力。それを財という力で自分のものにしたい。それだけである。
それが噂だけでない事はノチミトチニ区域から遠く離れたシズマのような人間でもよく知っている。そのため地元では彼の財力に媚びる者と嫌う者の二種類しかいない。そのくらい悪い方向に有名な人物だという。
よくある話と言えばそれまでであるが、昭士にとって馴染みのない鹿児島弁丸出しの話のため、なかなか理解が追いつかない。
パエーゼ国の言葉が判るならドゥーチェ経由で翻訳できるのだがそれもできない。
(「といえ」って結婚って意味なのか)
という感じで、どうにか携帯電話で繋がった方言変換サイトの力で判らない単語を調べている。馴染みのない言葉と会話をするのがこれほど大変だとは。昭士は意味もなくため息をつく。
初めて会った「軽戦士」を名乗る謎の男が何だか判らぬ謎の行動をしている。そんな様子をチラリと見たシズマは構わず話を続ける。
「お互い許嫁がおっどん、ミナハナどんの考えに納得できらんかった」
確かに支配階級や貴族階級の人間であれば、生まれた時やら幼い時に許嫁を決めてしまうケースは珍しくない。実際スオーラもこの国の第一王子と婚約関係にあった(現在は解消しているが)。
お互い許嫁がいるのに、それと違う相手との駆け落ち。こういうのはさすがにダブル不倫とは言わないだろうが、はた迷惑な事に変わりはない。
だからと言ってはた迷惑になるから止めなさい、などと言うつもりもない。シズマは師範の息子であるが長男ではないので、必ず跡を継ぐ必要はないからだ。
しかし相手のテルテは跡を継いで一つの市の長に就いている。彼女自身も望まない結婚という結末を想像くらいはしていたろう。だがミナハナという人物、彼の出したアイデアのような結婚は、さすがに望んではいなかっただろう。
テルテがそんな状態なので実らぬ恋と諦めていたところに今回の結婚騒動。それを聞いて、いても立ってもいられなくなり、今回の行動に出た、という事のようだ。
「ノンラナカラ市でン剣術大会で何度か優勝しちょっで、テルテどンと面識はあっか」
ドゥーチェが言うにはノンラナカラ市で毎年一回剣術大会が開かれており、シズマはそこで何度か優勝している。年齢的には少年の部だが。優勝者はテルテから直々にメダルを授けられるので、面識があってもおかしくはない。
実際そこでお互いを見初め、見初められ、というのが仲の発端なのだと思う。昭士もドゥーチェもそう考えた。
だが、彼のこの駆け落ちという行動を支持したいかと言われると正直微妙である。
中年の価値観のドゥーチェは「気持ちは判るがやりすぎだろう」と渋い顔だし、昭士は彼と年齢が近いために考え方も判らなくもないのだが、傍若無人な妹の言動のせいで男女間の恋愛事情には疎いし、自分も恋愛には消極的を通り越して関心は薄い。「やるなら勝手にやってくれ」というのが嘘偽りのない本音である。
だが今回はこのシズマという少年だか青年だかが金属にされたというのでこうして「出動」したにも関わらず、その人物はこうして無事でしかも駆け落ちをしようとしている。
果たして怒ったらいいものか呆れたらいいものか。これも昭士の嘘偽りのない本音である。
《……で。誰に手引きしてもらったんだ?》
昭士は手に持ったままのカツラを手持ち無沙汰気味にいじりながらそう訊ねた。
確かに、彼ほどの知名度、目立つ特徴の人物がこっそりとこうして駆け落ちをするのは非常に難しい。
そもそも昭士の住む現代地球と違って、このオルトラ世界にはまだ電話は一般に普及していないし、手紙はあっても電子メールなど概念の欠片すらない。
つまり。直線距離六〇〇キロという遠距離で個人同士でこっそり連絡する手段がない。それゆえ誰かの助けがなければお互いの街から離れた場所で落ち合うなど不可能。
さすがにドゥーチェもその辺の不可思議さは理解していたが、次の昭士の言葉は予想すらしていなかった。
《そいつ、ハッキリ言ってヤバイぞ。何せ、この世界の人間じゃないからな》
「……!?」
「どげン意味だそンた!」
驚いて声も出ないシズマ。喉を枯らしそうなボリュームで驚き叫ぶドゥーチェ。そんな二人に昭士はカツラを見せると、
《よく考えろ。こんな本物そっくりな精巧なカツラ、この世界にある訳ねえだろ》
もちろんこの世界にもカツラくらいはある。そのほとんどが人間の毛髪や動物の毛を使ったものだ。
本物の毛を使っているのだからある意味「本物」ではあるのだが、昭士が言いたいのはそういう意味ではない。髪の毛以外の部分である。昭士はそこを指差して、
《この世界にプラスチックはもちろんシリコン樹脂なんてある訳ないだろ。そいつが用意したんだろ》
彼が言っているのはカツラの土台の事である。裏地ともベースとも呼ぶが、頭に直接触れる部分だけに素材によっては汗で蒸れたりベタついたりする。
過去の方が技術が未熟と言い切るつもりはないが、さすがに素材までは。昭士もカツラ事情に精通などしてはいないがそれでもこんな裏地がこの世界にない事くらいはすぐに判る。
この世界に無い物を提供できる人間。自分を含めてそれができる人間がいない訳ではないがそれはあえて伏せておく。
手伝ったのがこの世界の人間ではないと驚かせ、カツラを使ってその証拠を見せる。そうすればシズマとやらの口も多少は軽くなるだろう。というのが昭士の考えた手口だ。
聞いた話ではあるが、現代人と比べ昔の人の方が詐欺に引っかかりやすかった。つまりそれだけ疑う事を知らない純朴な人間だったという雑学知識に賭けた部分もある。
すると、シズマは正直に語り出したのである。
いきなり目の前に現れた見知らぬ女性が唐突に「駆け落ちを手伝おうか」と声をかけてきたのである。もちろん怪しんだシズマ。
しかし遠く離れた地のミナハナの「テルテと結婚して区域を一つにしたい」という発言が、明日この地に伝わってくると告げて姿を消した。
そしてその連絡が翌日になって本当に街に届いたところから「何かできるのでは」と信じる気になったようだ。
その女はガラスのような板を使ってテルテの様子を映し出し、しかもその場にいるかのように会話まででき、その女性と一緒になって今回の駆け落ちの段取りを整える事さえできた。
シズマの方は自身の金属像を部屋に置いた状態で女性の手引きで部屋を脱出。隠していた馬に特殊な薬を飲ませて十倍の速度で走れるようにし、こうしてこの森までやってきた。
テルテの方は仲直りの儀式に巧妙に作られた偽物が出席し、相手と共に金属像に変え、その混乱に乗じて脱出。この森で落ち合おうという算段だったようだ。
実際ここまでくれば落ち合うと決めた森の中の小さなお社までもう少しらしい。シズマの立場ならここまで来たのだから連れ帰られるのはごめんだと言っている。当たり前だが。
だからシズマはドゥーチェや昭士に対し「見逃してくれ」と頭を下げている。その態度に渋い顔をしていたドゥーチェも、
「確かに君は長男じゃなかが、じゃっでちゆて国を捨つっような真似をせンでン」
気持ちは判るが納得はしかねる。そんな表情がありありと浮かんでいた。
《で。その金属像ってさ、どんな金属でできてた? 金? 銀? 銅? 鉄?》
昭士は少し考えながらそう訊ねる。その唐突さにシズマが少し顔を上げたまま固まっていた。
昭士達が本来戦うエッセは、生物を金属へと変えてしまう。その金属がエッセにとっては唯一の食料だが他の生物にとっては未知の金属。エッセと戦うようになって一年近く経つものの、その金属がどんな金属なのか全く判らない。
……少なくとも鋳つぶして再利用など、とてもできそうにない事だけは判る。色々な意味で。
返答を待つ間そんな事を考えていた昭士だが、返答がないのを確認すると、
《……じゃあ、違う質問にするか》
シズマは頭を完全に上げて昭士を見上げると、
「な、なんやろうか?」
《手引きした女の人相とか、どのくらい覚えてる?》
意外な質問にエッと言葉を詰まらせる。
《駆け落ちを手伝うだけならこっそり抜け出すサポートか、いっそお前達を瞬間移動でもさせれば済む話だろ。変な金属の像を置いておく必要ないだろうが。置くならせいぜい「探さないで下さい」みたいな置き手紙だろ》
ガラスのような板を使ってリアルタイムで会話したのと馬へのドーピングが必要なのはまぁ判る。だが駆け落ちをするのに金属の像に身代わりめいた事をさせる必要は全くない。
昭士の話を聞いて違和感を感じたのか、シズマは思い出そうと必死になっているように見える。
「顔は覆面で隠れちょって判らんかったばっ、体ん弱か女性かもしれん」
覆面の部分で目の周辺を両手で撫でる仕草をした。おそらく目の周辺部分だけを覆う、アイマスクのようなタイプをつけていたのかもしれない。
《体が弱い? どういう事だ?》
「駆け落ちん手順を一言二言話すたびに、手持ちん袋に向かって吐いちょったで」
袋に向かって吐く。確かに健康的な人がする動作ではなさそうではある。しかし手順を一言二言話すたびに、という部分がやはり気になる。
しかもわざわざ身代わり(?)の謎の金属の像を準備する。その辺りが昭士の勘に引っかかったのだ。
一応話だけは聞いている「エッセの製作者」。その人物が絡んでいる。何の根拠もないけれどそんな予感がしたのだ。
《……もしかして、って条件が付くけど、俺達が知ってるヤツかもしれないな、そいつ》
「は!?」
シズマとドゥーチェの驚く声がきれいに重なった。
昭士の爆弾発言で。

<つづく>


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