トガった彼女をブン回せっ! 第33話その2
『……まぁ、頑張って下さい』

無言だが背中で「着いてこい」と語りかけてきているかのようなドゥーチェに着いていく昭士。この街の土地勘などほとんどないのでそうするしかないのだが、マチセーラホミー地方の言葉が判る者が必要になった事態というものに興味は移っていた。
「……あン」
唐突にドゥーチェが口を開いた。
「こン言葉はおかしかとな?」
《……え?》
彼が話してきたのは明らかに日本語だ。オルトラ世界の言葉が一切聞き取れない昭士に聞き取れたのだから。しかしこの話し方はどこかで聞いた事が……。
「あてン言葉はおかしかもとな、剣士どン?」
《どン!?》
それで思い出した。これは鹿児島の方言だ。西郷隆盛が主人公のテレビドラマで聞いた覚えがある。
昭士に背を向けたままだったが、ドゥーチェのかなり気落ちした雰囲気がひしひしと伝わってきた。昭士は慌てて、
《おかしくはない。単に標準的な言葉からだいぶ離れてるってだけだ。王子さんといいスオーラの親父さんといい、何で習ってくる言葉がてんでんバラバラなんだろうなぁ》
以前誰かに聞いた覚えのある質問であるが、答えはもちろん誰に聞いたのかも忘れてしまったので、そのまま質問をぶつけた。
それに答えはしなかったが、ドゥーチェは話を続ける。
「こン言葉を使うたやバカにされた。じゃっで、使うンを止めた。ほンのこて変な言葉じゃなかンじゃなあ?」
理由や事情は判らないが、せっかく習い覚えた言葉をバカにされてはショックも大きかろう。だがあまり方言がキツイと日本人同士でも意思の疎通に苦労するので、本音を言えば何とかしてほしい。
マチセーラホミー地方と言った時に顔をしかめたのは、ガン=スミスの言葉の酷さが理由ではなかったようだ。そこに良い思い出がなかった故の表情だったのだろう。
《判ったよ。けどどうしてにほ……、いや、マチナントカ地方の言葉がいるんだ?》
「※@∞≦【♀′●⇔∃」
また昭士の判らない言葉を言って、そのまま歩き出してしまった。理由くらい聞いてみたかったのだが。
彼が案内されたのは街の入口であった。正確にはそこにある検問所。
この街で開かれている祭りの間、周辺の街や村からジェズ教信者が次々とやって来るので、不審な人物がそれに紛れ込んでいないか調べる場所である。ちなみに先日、街にやって来たガン=スミスが不審人物と思われて一悶着起こしている。
そして今回は……見るからに祭り中の日本人の中年男性にしか見えない男が立っていた。
その人物は鯉口(こいくち)と呼ばれる薄地のシャツの上から腹掛けをつけ股引をはき、足は地下足袋。その上から半纏を着ている。各名称こそ知らなくとも「祭りの時に神輿担いでそうな人」と言えば、たいがいの現代日本人に説明がつくような格好をしていた。
警備隊のお偉いさんであるドゥーチェに案内されてやってきた検問所の前に立っていたそんな人物を見て、昭士は笑いがこみ上げてきてしまった。
その純和風の装いが、中世ヨーロッパにしか見えないこの街と合わない事といったら。笑ってはいけないのだがそう思えば思うほど笑いがこみ上げてくる。
しかしそれではこの状況を打破どころかブチ壊す事請け合い。昭士は必死になって耐える。
「この街に救世主様がおるて聞いたんどすけど?」
その日本人にしか見えない男の口から飛び出したのは関西弁だ。微妙にゆったりとした感じは大阪というよりは京都っぽい。微妙に違う気もする。根拠はないが。
ドゥーチェが昭士の背中を無言でドンと突き飛ばすように男の前に押し出し、ジェスチャーで「彼に話せ」と指し示した。
そうされては逃げる訳にもいかない。逃げるつもりはないが「面倒くさいな」とは思いはした。
《あー、一体どうしたってんだ、オッサン?》
昭士は開口一番そう話しかけた。オルトラ世界での彼は無遠慮にポンポン物言う性分になる。さらに相手が年上なのに小柄な事も加わって物理的にも若干上から目線だ。
相手の目は「こいつ何者だ?」と言いたそうにしていたが、外見が自分達の特徴と近い事と自分の言葉がまともに通じそうなのは判ったらしく、
「救世主様。助けとぉくれやす。人……金属になってもうたんどす!」
その悲痛な叫びに昭士は表情を凍らせて驚いていたが、ドゥーチェの方はポカンとしていた。
それはそうだろう。「人が金属になる」などというのは、事情を知らない人間が聞いたら「何を言っているんだお前は」と唖然とされる事請け合いの言葉。
だがこのパエーゼ国はエッセに襲撃された事もあるし、そのエッセと戦う救世主がいる事は周辺に知れ渡っている。むしろジェズ教が「彼らに協力をするように」と布令まで出している。
《……あー、判った判った。で、それをやったのはどんなヤツだ?》
エッセは何らかの生物の姿形をとってこの世界に現れる。そして生物を金属にするガスを吐き、そうして金属にした生物のみを捕食する。しかし長い時間この世界にいる事はできないらしく、しばらくすると姿を消す。それを倒されるまで繰り返す。
だから昭士はどんな姿形のエッセかを聞きたかったのだが、言葉が足りなすぎるその質問でそこまで察して答えろというのは無理難題もいいところ。
言葉に詰まる男を見てさすがにそれを悟った昭士は、
《あー、だから、人が金属にされたんだろ? その人を金属にしたのはどんな姿だったんだ? 何かの生き物とか、化け物とか、そういう目撃情報は?》
「待ちやンせ。そげン言い方では答えらるっもンも答えられンくなっ」
今にも詰め寄って胸ぐらでも掴み上げそうなテンションになっていた昭士を、ドゥーチェが後ろから肩を掴んで押し留める。
すると昭士を押しのけるようにして今度はドゥーチェが男の前に立つ。そして意を決したように口を開いた。
「落ち着きやンせ。順を追うて話してほしか」
見るからにパエーゼ国の人間がいきなり自分達の言葉(に近い言葉)で話した事に驚いたが、真剣が過ぎて殺気立って見えた昭士よりは話しやすかろうと、ドゥーチェの方に向き直った。
(……ぶっちゃけ、俺、要らなかったんじゃね?)
昭士がそう思ったのも、まぁ当然である。


場所を検問所の中に移し、純和装の小柄な男が椅子に座る。小さな机を挟んだその反対側にドゥーチェが腰かけ、隣に筆記具を携えた検問所の人間。昭士はその後ろの壁に寄りかかっている。
《お茶くらい出してやれよ》
検問所の人間に対して(言葉が通じないのに)昭士がそう言うと、ドゥーチェが検問所の人間に不承不承頼む。数分後には人数分のお茶が出てきた。
男はお茶を一口飲むと、マチセーラホミー地方のノチミトチニ区域から来たオオクと名乗った。
ノチミトチニ区域とは、マチセーラホミー地方の中でも最も古い歴史を持つ区域との事。その区域の中にありオオクが住むノンラナカラ市と、隣接しているララトチノチ市は、とっても仲が悪い。
さすがに戦争にまでは発展しないものの、些細ないさかいや小規模のケンカは日常茶飯事。
隣接してはいるので文化・風俗的な共通点は多いものの微妙に反りが合わない部分もまた多く、その合うようで合わないところがいさかいやケンカの原因、と他区域の人間は分析している。
だが自分達は「自分達の文化が最高」と譲りたくないし譲れないものがあるだけと言う。
それでもいさかいやケンカが続く状態がいいとまではさすがに思っていない。なので定期的に互いのトップが形ばかりの仲直りをするのが定番なのだそう。
そして、その仲直りの真っ最中に互いのトップ二人があっという間に金属の像になってしまったというのである。
何がどうなっているのかはサッパリ判らない。まさしく謎である。しかしいつの間にか「相手がやった」という噂だけが一瞬で広まった。
言うまでもないが「最悪」の事態である。
ただでさえいがみ合いばかりの関係なのに、互いのトップがそんな事になり、挙げ句の果てに情報源不明の不確かな情報に一気に乗せられすぎて完全に一触即発状態。
とりあえず「生物を金属へ変えてしまう侵略者」の情報は知れ渡っていたので、何とかこの情報を救世主様の元へ届けなくてはと、オオクは知り合いがいるというこの街に単身やって来たのである。
この一連の話を聞いていた昭士は、
(こっちの「京都と大阪のいがみ合い」みたいだな)
オオクの言葉は京都っぽいし、その隣の仲の悪そうな隣接地は大阪を思わせる。さすがにいさかいやケンカが日常茶飯事ではないが、京都と大阪がお互いの事を(文化的な意味で)気にくわないと思っているのは有名である。
ともかくそんな内容を、昭士がドゥーチェに伝え、彼が部下に伝え書き取っていく。
ドゥーチェが日本語(同然の言葉)が判るなら自分は要らないんじゃと思っていた昭士だが、京言葉と鹿児島弁の会話がスムースに行くかは正直微妙である。
それにエッセに関する事であれば誰かを介して変に時間のかかる伝言ゲームになるよりは、昭士が直接聞いた方がずっとマシである。いささか細部の記憶がすっぽ抜けやすいのが欠点であるが。
《で。知り合いがいるって言ってたけど、名前は?》
そんな事情を話し終えたオオクに昭士が物は試しと訊ねる。自分が知らなくともドゥーチェ達が知ってるかもしれないと思ったからだ。
「ジェズ教のお坊はんのモーナカ・キエーリコ・クレーロはん。今もおられるのん?」
何と。オオクの口から飛び出したのはスオーラの父の名前である。しかも現在はジェズ教の最高責任者である。
「ずっと昔。小さかった頃、布教活動でノチミトチニ区域にやって来た時に、隣に住んどったさかい、面識があるんや。お元気どすか?」
驚きの発言である。確かにスオーラの父は若かりし頃布教活動でこの地に住んでいたという話は、以前昭士に話してくれた事がある。肝心の昭士はうろ覚えであったが。
そう言ってからオオクが懐から取り出したのは何かを包んだ布。それを解いて出てきたのは細い鎖がついた銀色のメダル。のようなものだった。
そのメダルには六角形の中に五芒星という文様が刻まれ、その裏には硬い物で引っ掻いたような筆跡で文字らしき物が刻まれていた。
この世界の言語や文字が判らない昭士はともかく、ドゥーチェはそれだけでハッとなった。昭士に全く判らない言葉で驚きの声をあげている。
驚いたという事は、この状況から考えるにその文字らしきものはスオーラの父のサインか何かで、オオクの話が本当だと驚いているのだろう。
《何だそれ?》
ドゥーチェの後ろから昭士が銀色のメダルを指差して訊ねた。ドゥーチェは「仕方のないヤツだ」と言いたそうな哀れんだ目で昭士を見てから、
「こンた『リコルド』ちゅうもとじゃ」
これはジェズ教の聖職者が布教活動の際に皆を集めて説法を行った時に「聞いてくれて有難う」という意味を込めて手渡す記念品のような意味合いのアイテムだそうだ。
だが、その裏面に自分のサインを入れて相手に渡す行為に限っては、とても世話になった、親しくなった相手に限られるという。
ドゥーチェは自分の制服のポケットに指先を突っ込んだ。そうして取り出したのはほとんど同じような、細い鎖がついた銀色のメダル。自分の物とオオクの物を目を見開いて見比べている。
サインは現代の文字とは違って聖職者以外の人間は覚えない上にまず書けない。真似をして書こうと思っても上手く書けない。だから偽物を作ってもバレやすいのだそうだ。
そしてその筆跡はどちらも全く同じ。だからこれはまちがいなく本物。それも現在ジェズ教最高責任者の若かりし頃の物となれば、それだけで一目置かれるほどの代物と扱われるだろう。
ドゥーチェはオオクのリコルドを両手で丁重に返却する。
「祭りン最中じゃっでお越し戴っ事はできもはンが、お話はしちょくっ」
今この街ではジェズ教最大の祭りが開かれている。当然最高責任者の人間は忙しい。こういう状況でなければ少しくらい会わせたいと思ったドゥーチェだが、さすがに無理な事は判っているので、後で彼の来訪くらいは伝えておこうと思っていた。
ところが。検問所の入口に立っていた警備兵が血相変えて飛び込んできた。もちろん話している言葉はオルトラ世界の物なので昭士には全く判らない。
また何か騒ぎでも起きたのか。面倒だな。くらいしか思っていない。しかし、言葉が判らないなりに何が起きているのかは気になったので、そっと入口の方に移動してみる。
するとそこに立っていたのは数人の若い聖職者達。スオーラと同じ学生服のような制服姿だ。
しかしその中の一人、他の面々より一回り以上年かさの人物がいた。彼だけ青い縁取りがされたマントを羽織っており、肩には儀礼用の軍服にありそうな、肩当てのような飾りがついている。
その人物は昭士を見かけると下半分が髭に覆われた顔を思い切りほころばせ、
「アキシ殿。久しぶリやな」
間違いない。どちらかといえば大阪っぽい、微妙にアクセントが変な関西弁。スオーラの父にしてジェズ教最高責任者のモーナカ・キエーリコ・クレーロその人である。
厳格で一組織のトップにふさわしい人物らしいのだが、娘のスオーラにだけは親バカかバカ親か、という接し方である。
「スオーラはどコにおる。帰ってきタて聞いてる。一緒ちゃウンか?」
《あー、丸一昼夜以上寝る暇もなかったし、ずぶ濡れになっちまったんで、警備隊の人が馬車に乗せて行きましたよ。多分王子さんの城》
昭士は適当に答えておいた。それを聞いて露骨に残念そうな表情になった彼に続けて、
《あと、今ここにマチナントカ地方からオオクって人が来てる。昔隣に住んでたとか》
すると彼は元の立派な聖職者然とした顔つきで「ああ」と何やら納得すると、
「二十年以上前の話や。アの子も大キなったろ。懐かシナァ」
当時を思い出しているかのような、しみじみとうなづくこのリアクションからすると、オオクの話は本当に本当のようである。現にお付の部下らしき人達と昭士まで押しのけて検問所にズカズカと入って行ったのだから。
すると中ではオルトラの言葉で驚く声がいくつも聞こえた。感動の再会劇が繰り広げられているのだろう。
そんな何十年ぶりの再会を邪魔しないように……というよりも検問所の応対に使っていた部屋が狭くこれ以上入るのは難しいだけなので、昭士はその場の壁に寄りかかって待った。
昭士に聞き取れる言葉とさっぱり判らない言葉が入り乱れること数十分後。
楽しそうな満面の笑みで出てきたモーナカ・キエーリコ・クレーロ。
気疲れしたのが丸判りのドゥーチェ・レッジオーネ卿。
大物に挟まれて恐縮しっぱなしだったであろう、困惑顔のオオク。
そんな三人がゾロゾロと出てきた。スオーラの父は満面の笑みのまま昭士に歩み寄ってくると、
「済マヘんが、出発は明日にしテほしいんや」
彼が言うには、これから行くノチミトチニ区域は昔自分が過ごした場所であり、教会はもちろん、そうでない知り合いも大勢いる。教会はもちろんそうした者達への紹介状を書く、という事だ。
《そうだなぁ。さすがのスオーラもクッタクタの筈だから、もともと出発は明日以降にするつもりだったし》
「その話、詳しゅう聞かセイ」
昭士は帰りの機内でガン=スミスから聞いた事を話す。ヒュルステントゥーム国内に偽物のジェズ教教会があり、そこで捕まりそうになった事。どうにか街の外まで逃げたが、それでも延々と丸一昼夜以上追いかけ回された事。
「そンたおかしか。街ン外でも追われ続けっとは普通じゃなか」
この街の警備を勤めるドゥーチェも、昭士の発言に疑問を持った。
この世界の暗黙の了解・不問律として、街の外まで逃げられた犯罪者はそれ以上追いかけない、というのがあるからだ。よほど大きな悪事であれば周辺の街に連絡をする程度である。
現代の地球ほど警察機構が発達していないのが最大の理由である。だから街の外なのに一昼夜以上追いかけ回されるのは異常な事態なのだ。
「よし。そんネキも通達をしとこウ。※@∞≦【♀′●⇔∃」
後半は現地の言葉でお付きの者達に指令を出している。お付の者達は一礼して一目散にどこかへ駆けて行った。
「ドゥーチェ・レッジオーネ卿。彼らノ労をねぎらってやるヨウに」
《ああ、一応テントに泊めさせてもらってるよ。急だったけど乾パンとか豆の缶詰くらいは分けてもらったし》
その昭士の言葉を聞いて一瞬表情を凍らせ、仕方ないなと言いたそうな目でドゥーチェに何か言っている。ドゥーチェも何か言い返しているが、この国の言葉なので何を言っているのかは全く判らない。
スオーラ父は何か不満があるような険しい表情と物言いでドゥーチェに何か軽い説教をしているように見えるし、ドゥーチェの方は困り顔で必死に言い訳をしているようにも見える。
《なぁ。何言ってるか判るか?》
昭士はこっそりオオクに訊ねる。オオクもだいぶ困った顔で、
「モーナカはんは『分け隔てしないように』と。もう一人は『祭りの最中やさかい限界がある』と」
さすがに隣国の言葉だけにところどころなら判るらしく、昭士にそう説明してくれた。
事実スオーラとそれ以外の対応に差がありすぎるのは昭士達も判っている。自分達と同じ宗教を信じているか否かで差が出るのは嫌ではあるが仕方がない。そういう世界なのだから。
そもそも国を挙げての大規模の祭りの真っ最中にいきなりやって来たのにすぐに対応をしてくれただけでも有難いのだ。
もちろん不満は山ほどあるが、それを言って不要の争いを起こしたくないという典型的日本人の発想をした昭士。だからジュンやガン=スミスを黙ってろと抑え込んだのだ。色々面倒だからである。
《こっちはとっとと寝たいんだけどなぁ》
まだまだ終わりそうもない言い合いに辟易したくなる昭士だった。


結局ドゥーチェは屋台でケーキのような物と肉団子の串焼きを買って持たせてくれた。
ケーキのような物は前にスオーラが作ってくれた、すごく長い名前の料理だ。地球でいうクリスマス・プディングに近いもので、祭りの時の保存食として発展したらしいと話してくれた事がある。
食感は「パウンドケーキ味の高野豆腐」とでも言えばいいのか。保存食なので味が濃く、美味ではないが腹持ちはいい料理だ。
肉団子の串焼きの方は昭士は初めて見た。といってもこの世界の料理を見る事自体がそうたくさんはないので、大概の物は初めてだったのだが。
《なぁ。この串焼きって何の肉なんだ?》
「そンた『セラスナセイカーチ』てってな、豆を加工したもンじゃ」
昭士の問いに一応素直に答えてくれるドゥーチェは「美味(うま)かど」とつけ加えてくる。
豆を加工して肉のような食感の食べ物にする。その歴史はかなり古い。昭士の世界でも大豆を原料にした「肉もどき」が紀元前から実在しており、近年ベジタリアンが愛用している。
このパエーゼ国もジェズ教徒も菜食主義ではない。しかし文化的に肉を食べる習慣があまりないと聞いていたので、こうした祭りの時くらいは肉が出るのかと驚きはしたが、これは宗教の祭り。肉が出る可能性は低いかと思い直した。
《じゃあ有難くもらってくわ。あ、代金は……》
「今後ン働きで返すごつ」
スオーラの父から言われた手前代金徴収はできまいと思ったのだろう。働きで返せとはなかなか言ってくれる。自分達はそのためにこの世界に来ているのだから。
《判った。じゃあ……》
「送っていっ」
ドゥーチェは今度は彼の腕を掴まずに「着いて来い」と言いたげに前を歩き出した。来た道とは違う道だ。
来た道を逆に行けばいいと思っていた昭士は一瞬あっけにとられたが、近道でも行くのかと思い直す。それなら最初から近道を使えとは言いたかったが。
遠慮なくポンポン喋りがちな今の昭士だが、それが「言わない方がいい言葉」である事くらいは理解しているし、わざわざそれを言って相手を無駄に不機嫌にさせる事もないのは承知しているので、黙って彼に着いていく。
ところが人気の途絶えた裏手に来た途端、彼が無言でパタリと倒れてしまった。昭士は両手に食べ物を持っていたので彼を助ける事ができず、ドゥーチェは顔面から地面に倒れ伏す。
……その寸前に物陰から出てきた小柄な人物がそっと支えてドゥーチェの顔面激突は免れた。
そんな状況なのに昭士はまったく驚いていない。周囲の動きを超スローモーションで認識できるので、物陰に誰か潜んでいる事もその誰かが誰なのかも判っていたからだ。
《あの。先輩。わざわざ気絶させなくてもよかっただろ。俺らのテントに入ってからでもいいじゃねーか》
ドゥーチェを一瞬で気絶させたのは、昭士もよく知る学校の先輩・益子美和(ましこみわ)であった。
その正体はこのオルトラ世界で伝説と謳われた義賊マージコ盗賊団最後の団長ビーヴァ・マージコ。いろいろあって二百年は昔の時代からこの時代に飛ばされた人物だ。
こうして時折盗賊の技術を生かして彼らに情報をもたらしてくれる存在である。ただ彼女なりの美学か「盗賊は影に徹するもの」という考えなので、彼以外の前に姿を現わす事は少ない。
「どうも。ヒュルステントゥーム国での戦い、お疲れ様でした」
美和はさっきまで自分達がいた国での戦いを、形だけねぎらってくれる。
「大変な事態になっている事だけは、一応お知らせしておくべきだと思いましてね」
ほぼ無表情の顔で淡々と物騒な事を言ってきた美和。昭士のリアクションに構わず話を続ける。
「地球でのインターネットの世界が、ちょっと変な事になっているようでして」
そんな変な前置きをして、美和は詳細を語り出す。
美和にはジェーニオという精霊が部下についている。もちろんオルトラ世界の出身である。
地球の電波やインターネットといったものと非常に相性がよく、インターネットの「電脳世界」での情報収集やその隠蔽を一手に引き受けてくれている。
そのおかげで地球でエッセが現れても、通りすがりの人間がSNSにあげてしまった関連情報を改ざん・消滅させて、少しでもエッセやスオーラ達の情報の拡散を防いでいるのだ。
彼女の言う「変な事」とは、インターネットのウェブサイト・ブログ・BBSはもちろんSNSといったデータがあるサーバーへの不正アクセスを察知した事である。
これが国家機密レベルの情報が集まった場所ならば判る。しかし人々が日常的に使っているものにまで不正アクセスをしているのだ。
しかもその手口はおそらく非常に高度。この半月ほどで兆を超える侵入があったにもかかわらず、世界にあるどのセキュリティもまったく侵入を感知できていないというのだ。
例えるならジェーニオが警備のほんのわずかな隙間を縫うように進んで行くのに対し、その侵入者は警備員の前まで堂々と歩き、扉や壁がないかのごとくすり抜けて中に入っていく。なのに誰にも気づかれない感じなのだそうだ。
ジェーニオもその光景を目の当たりにしていなければ全く判らなかったと断言している。
現代地球のインターネットは、それこそ生活に欠かせないものだ。そんなメチャクチャな方法で侵入されてもそれに気づけないなど確かに危険極まりない。
だがそれは「変な事」ではなく「危険な事」である。昭士のそんな疑問が顔に出たのか、美和は、
「いえ。『変な事』なんですよ」
否定してからの続きの話によると、例えるなら部屋の出入りは通り抜けるようにスムーズなのに、内部での情報収集や破壊活動(とおぼしき行動)が非常にぎこちないのが変なのだそうだ。
その例えはだいぶ判りにくかったが、侵入だけに特化してそれ以上の事ができないプログラムやウィルス、とでも言えばいいのか。
だがそんなプログラムやウィルスを作ったところで、製作者にどんな利益があるというのか。
大事なデータベースに侵入されても改ざんや消滅、持ち出しなどができねばわざわざ不正に侵入する意味がないだろう。それとも不正に侵入する事そのものが至上の喜びとでもいう気なのだろうか。まるで何かのゲームのように。
「まぁそんな事態が発覚したので、これからしばらくあなた方のお手伝いはできない、と思っていて下さい」
それを言うためにわざわざ来たようだ。しかも人一人を気絶させてまで。
《そりゃあ判ったけどよぉ。別にメールでもよかったんじゃ?》
「長くなりそうでしたからね。いくら定額サービスに入っていても、長文のメールでLINEやチャットのようなやり取りなどしたくもありません」
現代規準らしい美和のセリフ。とても元々二百年は昔の人間だったとは思えないレベルである。
《悪かったなガラケーで。どうせ今時流行りのモノは全部使えないよ》
正直に言えばSNSの事である。他の部員達はそれでリアルタイムでのやり取りをしているのだが、それが使えない昭士のためにわざわざ後から必要な部分をまとめたものがメールで送られてくるのだ。
加わりたくても加われない寂しさがないと言えばもちろんウソになる。いくらいぶきのせいでロクに友達がいないとしても。
そんな苛立ちを忘れたいかのごとく、昭士は急激に話題を変える。
《あ、そうだ。ウチの方でいう京都とか大阪みたいなのが、こっちにもあるんだってな?》
「京都や大阪……?」
《あの、日本みたいなマチナントカ地方の中に》
変化が急すぎる上に言葉が足りなすぎたせいで、察しのいい美和でも質問の意図が判らなかった。しかしそこまで言われれば、
「マチセーラホミー地方のノチミトチニ区域ですね。これから向かうのですか」
と答え、さらに直線距離ならだいたい四五〇キロくらいだが街道を行くなら六〇〇キロくらいだと情報をつけ加えてくれる。
《そっちにエッセが出たらしい。指導者っぽい二人が金属にされちまったってよ》
聞いたばかりの話を美和に話す。無表情顔の美和もさすがにわずかに困った顔になると、
「先ほども言いましたが、しばらくは手伝えませんよ」
しかし自分が手伝った方がよかろう事態である事は判る。今回訪れるのは彼らが初めて訪れる土地なのだ。
充分な情報なくして充分な準備は整えられない。まさに「彼を知り己を知れば百戦殆(あや)うからず」。情報の大切さは盗賊である美和が一番よく知っている。
しかし昭士は――おそらく心配かけさせまいとしているかのように、
《その辺は地元民に少しは手伝ってもらう事にするよ。スオーラの親父さんがいろいろ紹介状書いてくれるって言ってたし》
「はあ」
スオーラの父はジェズ教の最高責任者。この世界の中でもかなりの権力者。その人物の紹介状となればかなりの威力はあるだろう。
「……まぁ、頑張って下さい」
何も手伝えないゆえにそう言うしかなかった。
美和としては。

<つづく>


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