トガった彼女をブン回せっ! 第32話その4
『まだ根に持ってんのかよ』

全長六十メートルもの鉄の巨人・聖鳥王(せいちょうおう)が倒れ、湖の水がド派手に猛り狂い、周辺一帯は大水害の様相を呈している。
その水害にまともに巻き込まれた人間の一人ガンマンのガン=スミス・スタップ・アープは、
《何してやがんだてめぇ!!》
失せてしまった怒りのテンションを引き上げ、持っていたクロスボウを鉄の巨人に向けて乱射しだした。
もちろん特別製のクロスボウとその矢とはいえ、さすがに鉄の巨人には傷一つついていない。
一方聖鳥王を動かす操縦者たる剣士の角田昭士は、コクピットの中から外部スピーカーを使い、
『いや、だから、足が滑ってひっくり返った、みたいな感じでさ。悪かったって』
ノリと口調はともかく、一応は謝罪をしているようである。
ただこの声は周囲一体総てに聞こえてしまっているのは間違いがない。この国の言葉ではないから意味を理解できるものは少数だろうが。
心身共に疲労し切った身体に鞭打って立ち上がった、聖職者の制服の少女モーナカ・ソレッラ・スオーラは、
「お二人とも。今はエッセ討伐の方が先です」
制服のポケットからカード状のアイテムを取り出しながら言い争う二人にそう告げる。すぐ側にいるガン=スミスはともかく巨人の中にいる昭士も、それが聞こえたように言い争いをやめる。
「相手はサメでこちらは人間です。陸上に揚げた方が戦いやすいと思います」
生活圏が違うのだ。何も相手の有利な場所で戦ってやる事はない。それは全員判っていた。陸上に揚げるのをどうやるか。それが問題なのである。
そしてスオーラはカード状のアイテム・ムータを掲げた。すると濃紺の学生服の様な制服姿から一転。
身長がグッと伸び、スタイルもモデル顔負けのメリハリある体型に。服もパーツごとに色が異なる丈の短いジャケット。その下に身につけるのはスポーツブラの様なもの一つきり。
少し動いただけで下着が丸見えになりそうな程短い、黒のタイトスカート。革のサイハイブーツ。頭にはつばの大きなとんがり帽子。
この姿になるとケガをしてもあっという間に自然治癒してしまうのだが、疲労困憊の状態から変身したからかそれとも疲労は自然治癒しないのか未だ肩で息をしており、立つのがやっとという有様だ。
「オレ。行くか?」
濡れた長い白髪を鬱陶しそうに後ろに追いやりながら、野生児の黒人少女・ジュンがスオーラに言った。
それからマントの様にも見える貫頭衣(かんとうい)、その下に着ていたシャツにズボンまで全部脱ぎ出して、森の中で暮らしていた時の、裸にふんどし一つの格好になる。
このオルトラ世界は男女問わず上半身が裸な事を恥ずかしいと思う習慣はないが、地球出身のガン=スミスと昭士は別である。
ところがジュンは他の面々と違い、身体能力や攻撃能力はずば抜けているものの、エッセに対抗できる能力は何も持っていない。やる気を出したところで戦力はならないのだ。
それならばエッセに対抗できなくとも空を飛べるジェーニオの方が遥かに役に立つ。そう判断したガン=スミスは、
《おい、半分やろ……っていねぇ! えぇ(あい)つドコ行きやがった!?》
いつの間にかジェーニオが姿を消していた事に腹を立て、意味もなくクロスボウを乱射するガン=スミス。同時に荒海の様に波打つ湖からサメ型エッセが飛び出し、こちらに向かって大口開けて迫ってくる。
乱射したクロスボウの矢――光でできた特別製――が、何本か口の中に吸い込まれる。だがそんな程度でやられたり怯んだりするエッセではない。
大きく開けたその口から、猛烈な勢いでガスを吐き出したのである。生物を金属へと変えてしまうガスを。
だがガスが迫ると思ったガン=スミスの眼前がいきなり真っ暗になる。よく見れば鉄の壁の様なものが目の前に広がっていたのだ。
『大丈夫か、ガン=スミス!』
昭士が聖鳥王を動かし、その腕でガスを遮断してガン=スミスを守ったのである。同時にエッセはその腕にぶつかってはね返る。
だが昭士はコクピットからよく見ていたし、自身に宿る特殊能力「物の動きを超スローモーションで認識する能力」をフル活用もした。
宙を舞って再び湖に潜り込もうとするエッセを聖鳥王の手――三本のかぎ爪状の指で掴んだのである。
当然サメ型エッセも逃れようともがくが、身体の重心をキッチリ、そしてしっかりと押さえ込まれているのでバタバタと動く事しかできていないでいる。
この聖鳥王は生物ではないので、金属化するガスで金属にされる事もない。
攻撃はエッセに全く通用しないが、こうして動きを阻害するくらいならいくらでもできる。さっきの失敗を帳消しにする様な活躍である。
エッセに通じるのはムータを持つ者の攻撃のみ。そして中でも最大・最高の威力を発揮するのが、昭士が振るう大剣・戦乙女(いくさおとめ)の剣である。
コクピットから出た昭士は肩に巨大な鉄の塊を担いで下りてきた。着ているのは全身タイツの様な赤い服。彼が幼少の頃に見ていた特撮ヒーローの変身スーツである。ヘルメットは被っていないが。
スーツの効果たる脚力と跳躍力を駆使し、頭部の脇から肩、腕を一気に駆け下りていく。
《ったく人が気持ちよく寝てたってのにナニよ、正月早々》
戦乙女の剣から少女の声がする。声の主は昭士の双子の妹・いぶきである。
昭士が剣を振るう剣士となるのに対し、いぶきはこの巨大な鉄の塊、もとい大剣へと変身する。
だがいぶきは他の面々と違い、エッセ討伐には非協力どころか絶対拒絶。人助けや誰かの役に立つ事をするのが死ぬ程大嫌いという人間である。
そんないぶきが痛がれば痛がる程戦乙女の剣は威力を増していく。最近では一振りで山を吹き飛ばした事もあるので、ある意味扱いには気をつけねば余計な被害が出てしまう。
それでもこんな「不自由な武器」を使い続けるのは、この剣でとどめを刺した時に限り、エッセによって金属にされた生物が元に戻るからである。
昭士は自分の持つムータを、戦乙女の剣の刃の根元のくぼみに嵌め込んだ。すると剣の刃全体がすうっと白く曇りだしたのだ。
こうする事によって、超重量級の戦乙女の剣の攻撃に付加価値を加える事ができる。今回は冷気である。
《さむさむさむさむさむさむさむ》
戦乙女の剣からいぶきが寒がる声が聞こえてくる。彼女が寒がれば寒がる程剣の威力は増していく。
かぎ爪でガッチリと挟まれて動けないでいるエッセの頭部めがけて戦乙女の剣――という名に全く不似合いな巨大な鉄塊を力一杯横に振り回した。
がづんっっっ!
《っだあぁぁぁあぁぁぁあああぁあぁぁぁっっっ!!!》
完全にいぶきの声が掻き消してしまっている鈍い音と共にサメ型エッセの首が一太刀で跳ね飛ばされた。勢い余った昭士は落下しながら身体を何回も回転させてバランスを取る。
その頃には剣で斬られた切断面が淡い黄色に輝いていた。その光は斬り口から少しずつ、そして瞬く間にエッセの全身を包み込んでいく。
ぱぁぁぁぁぁあん!
エッセの身体が小さな光の粒となって一斉に弾けたのだ。その光は四方八方へ一気に、そしてはるか高くにまで飛び散っていく。
それから十数秒後。空一杯に広がっていた光の粒が、まるで粉雪のようにゆらゆらと降ってきたのである。
これぞまさしくエッセにとどめを刺した証であり、金属に変えられてしまった生物が元に戻る合図でもある。
その美しさと任務を達成した喜びで、皆の顔は安堵の笑みを浮かべていた。もちろんいぶきを除いて。
もっとも彼女は剣の姿になっているから顔など見えはしない。もし見えていたらツバを吐き捨てる様な露骨に嫌な表情を浮かべている事だろう。
どうにか無事に着地できた昭士は、自分の身長よりも巨大な剣を地面に突き立て、肩で息をしながら呼吸を整えている。そんな彼の頭を、ガン=スミスがガツンと拳で叩いた。もちろん痛いように叩いてはいないが。
《相変わらず美味しいトコだけまとめて持って行きやがるな、オイ》
勝利を喜ぶ笑顔ではあるが、かなり意地の悪さを含んでいる。そんな笑みを浮かべている。
「オレ。なかった。出番」
ジュンは長い髪を手で握ってしぼりながら昭士の元にパタパタと駆け寄ってくる。ただしふんどし一つの姿のままで。昭士は困ったように彼女から視線をそらしている。
《早く服着て……ああ濡れてんのか。それでもいいから羽織ってこい!》
妹いぶきの言動のせいで他の男子より「女性」というものに関心が持てない昭士ではあるが、たとえスタイルが悪かろうとも同年代の少女の(ほぼ)全裸を見て何も感じない訳はない。
そんな彼に助け舟を出すかのように、スオーラが喜びを分かち合うより前に話題を変える。
「あの、アキシ様。さすがにこのままでは皆風邪を引きかねません。着替えか、せめて服を乾かしたいのですが」
彼女の言う通り、今がたとえ真夏だったとしても、濡れたままでは風邪を引く。だが着替えなど持ってきていないし、服を乾かす様な場所となると――
《あー、判った。エッセは倒した事だし、スオーラの国まで戻るか。三十分もあれば着くからその間ちょっと我慢してくれさえすれば……》
昭士が聖鳥王に視線を向けると、鉄の巨人はひとりでに直立し、そのままで宙に浮かび上がる。さらに全身がバラバラになって今度は巨大な鳥の姿に組み変わった。
大きな白い翼に黒い胴体。全長五十四メートル、重量百五トン、最高速度マッハ二十で空を飛ぶ鉄の巨鳥が、悠然と空に浮かんでいるのだ。
《俺のところに集まってくれ。乗り込むから》
この場の全員が(馬のウリラを含めて)集まったのを待っていたかのように、上空に浮かんだ聖鳥王から一条の光が下りてくる。その光が皆を包み込んだ途端、彼らの身体がふわりと浮き上がった。
そのまま一気に上空へ運ばれ、聖鳥王へと吸い込まれる。さっきのジェーニオの瞬間移動には馬のウリラも慌てていたが今回は非常に大人しい。
十秒も経たないうちに、全員が無機質な通路の上に立っていた。さすがにこの人数ではかなり狭いので、昭士は内部の地図を思い出しながら、
《えーと。確かこっちの方に格納庫っぽいのがあったから……》
記憶を頼りに皆を案内したのは、ガランとした何もない室内だ。拘束したいぶきを閉じ込めていた部屋である。ここならばそこそこの広さがある。
昭士はだんまりを決め込んでいるいぶき=戦乙女の剣を床に置くと、
《とりあえずここにいてくれ。服脱いで水くらいしぼって……オッサンはこっちな》
それはガン=スミスの外見と中身が違うからだ。外見はスレンダーで男装の麗人を思わせる女性だが、その中身は典型的な中年オヤジである。倫理上女性の着替えに立ち合わせる訳にはいかない。
「アキ。くれ。食べ物」
一方ジュンが不満そうな顔で、出て行こうとした昭士に訊ねる。昭士は一瞬困った顔になったが、
《少しは我慢……あ、スポーツドリンクとバナナ一房が置きっぱなしだったな》
思い出した昭士が見回すと、ガランとした部屋の真ん中に確かに二つが置きっぱなしになっているのが見えた。
《スオーラ。悪いけどアレ分けて食べててくれ。じゃあ行くぞ、オッサン》
《オッサン言うな!》
今の昭士に筋力では勝てないらしく、情けなくも引っぱられて格納庫を出て行かされるガン=スミス。
扉を閉め、通路を行く。最初は引っぱられていたが「離せ」と手を振りほどき、不満そうな顔で濡れた服のまま歩いている。
そのムスッとしたままの顔のガン=スミスに向かって昭士は、
《まだ根に持ってんのかよ、美味しいトコ取りした事》
《そうじゃねぇよ》
ガン=スミスは彼の言葉を遮るように否定すると理由を話した。
《いつもの“半分”が、戦う直前にいきなり姿を消しやがったからな。役立たずが》
半分。右半分が女性で左半分が男性というジェーニオの事を言っているのはすぐに判った。一応自分達に協力をしてくれてはいるが、必要な時に来たり来なかったりと、気まぐれみたいなものである。
精霊であるジェーニオは――最近はだいぶ変わってきたが自発的な行動を苦手としている。その辺はまだまだ得意になった感じはない。そんなジェーニオがいきなり自分から姿を消すとは。
だがジェーニオは元々マージコ盗賊団の精霊。つまり美和を主人としている。もしやその主人たる美和に何かあったのでは。それならばいきなり自分から姿を消したとしても納得がいく。
確かに何も言わずに急に消えられては困るが、ジェーニオにとっては主人の美和が一番だろうからやむを得ない。そう考えるのは昭士がその場にいなかったからかもしれないが。
《……あとな》
ガン=スミスがそう前置きをして話を続ける。
《メシはウリラの分もちゃんと準備しといてくれ。えぇ(あい)つだってオレ様達と逃げ続けてヘトヘトなんだからよ》
《判ってるよ。けど馬のエサって草とかニンジンくらいしか思い浮かばないんだけど》
という昭士の言葉に「バカかてめぇは」とガン=スミスが文句を言い、
《草っていってもチモシー・グラスだのアルファルファだの色々あるんだよ。まぁウリラはあまり好き嫌いしねぇからな。スライスしたリンゴやカボチャもよく食うぞ》
それを聞いて「色んな物を食べるんだなぁ」としか思わなかったが、
《判った。あっちに着いたら聞くだけ聞いてみる》
歩いているうちにコクピットに着いた。昭士はそこのドアを開けると、
《ここの扉は閉めておくから、せめてそこで服脱いでから水しぼってくれ》
中身は中年のオッサンとはいえ、外見だけは中性的な女性には違いないガン=スミス。スタイルがよろしくないとはいえ男の自分と一緒の部屋で脱ぎ着してもらうのは絵面的にいかがなものかと。
昭士はコクピットに飛び込むと、急いで聖鳥王を発進させるべく計器をいじる。
画面にはこのオルトラ世界の地図が表示されているが、地球上と位置関係がリンクしているのが判っているだけで、ハッキリ言って地名などサッパリ判らない。これではどこに行けば、どの方角に行けばいいのかまるで判らない。
なので昭士は逆に考えた。まず地球の地図(航空機が使う正距方位図法)を表示させ、現在地から日本への距離と方角を確認する。あとはオルトラ世界上でその通りに進めば着ける。だろうと。
各種設定を終えてさて行くかと思った矢先、レーダーが遠くに「巨大飛行物体」の存在をキャッチした。その距離約百キロメートル先。
このオルトラ世界にも、一応空を飛ぶ乗り物がある事は判っている。昭士が見た事があるのは飛行船だ。
再び計器をいじってキャッチした「巨大飛行物体」の映像を出そうと試みる。…………出た。全長は二三五メートル。形はかなり細長く先頭が丸い筒状。後ろには尾翼らしき羽がついている。飛行船だ。
満月の明かりに照らされた飛行船の胴体――厳密にはエンベロープと呼ばれる浮くためのガスが入った巨大な袋に大きく文字であろう物が書かれている。
しかしオルトラ世界の文字は全く判らないため、昭士では何と書いてあるのかは判らない。かといって着替え真っ最中であろうスオーラにここまで来て読んでもらうのはさすがに気が引ける。
すると後ろのコクピットの入口が開く音がした。
《オイ、ナニやってん……ナニやってんだ?》
声の主はガン=スミスである。ガン=スミスがいた時代には明らかに存在しない乗り物の操縦席。そんな未知の物を見た途端ポカンとしてしまうのは仕方のない事である。
しかし何をしに来たのかと問おうとした時、全く水気のない服を着ている様子を見て、疑問が沸きあがった。
《ちゃんとしぼった……よな?》
服を指差す昭士の疑問にガン=スミスは「ああ」と言って理解を示すと、
《この服は見た目はあっちと変わらねぇけど濡れてもすぐに水気がなくなるし、ちょっとやそっとの攻撃でも破れやしねぇんだ。スゲェだろ》
その話し方はとても自慢げである。外見が同じでも世界が変われば機能も変わる。昭士もそれを散々経験しているから理解は早い。
ガン=スミスは一番大きい画面に映っている飛行船の胴体を指差して、
《何だぁコイツは?》
《飛行船っていう、空を飛ぶ乗り物だ。こいつがこのずーーーーーっと先にいる》
《えーーと。かとい、せ、いす、にみに? よく判らねぇけど、名前かねぇ?》
胴体の文字を読もうとしているのを見た昭士は思わず、
《オッサン、こっちの世界の字、読めるのか?》
《一応はな。でも読めるだけで意味は知らねぇ。あとオッサン言うな》
ダメだろ、と一瞬思ったが、これがもし名前ならその単語自体に意味があるとは限らない。英語の名前の「ジョン」だの「マイケル」だのに由来はあるだろうが意味があるかなど他国かつ異世界人の自分に判る筈もない。
《で。アレは敵かね、味方かね?》ガン=スミスが昭士の方を向いた。
《知らん。敵でなくてもこれ以上何かに関わるのは面倒だな》昭士がガン=スミスの方を向く。
二人の男の意見が一致。昭士は聖鳥王をさらに上昇させると、謎の飛行船を遥か下に見る高さを一直線に発進させた。


益子美和はヒュルステントゥーム湖の湖畔で、四つん這いになっていた。
全身はずぶ濡れであり、無表情で通している顔を辛そうに歪ませて、大きく肩を上下させ苦しそうに息をしている。
「間一髪でした、ジェーニオ」
か細くそう言った彼女の傍らには、部下とも相棒とも言える精霊のジェーニオの姿が。スオーラ達の目の前から急に姿を消したのは、地下深くの謎の施設に入り込んだ濁流に巻き込まれた彼女の救出のためであった。
いかに盗賊といえどもこういう状況から逃れるのは難しい。ムータの力がなければ何もできないという訳ではないが、さすがに通路一杯の大量の水が相手では分が悪過ぎるというものだ。
しかしそうなった原因はムータの能力を使い過ぎて、脱出する力が残っていなかったから。何を言われても言い返せない失態である。
長く盗賊稼業につき合ってきたためその事は重々承知している筈なのに、ジェーニオは何も言わない。何も責めない。
彼女はのろのろとその場に座り込んで上を見上げると、上空に浮かぶ巨大な鉄の鳥がさらに上昇した後に飛び去って行くのが見えた。
「……エッセの方は、倒せたようですね」
美和が呟く。今日仕入れた情報を届けるのは後日でも構うまい。早急に必要という訳ではなくなったのだから。
さらに湖の水量がかなり減っているヒュルステントゥーム湖を見つめる美和。明日になったら大騒ぎになるだろう。
「湖の水が入って施設がダメになりましたが……あの広さです。全滅はしていませんね」
“せいぜい二割といったところだろう。その程度では各地からの誘拐と人体実験は終わるまい”
“せいぜい二割といったところだろう。その程度では各地からの誘拐と人体実験は終わるまい”
美和と同じように淡々とジェーニオが話す。
「……この事は、他の皆さんには話さない方がいいでしょうね」
“そうだな。何が何でもぶっ潰すと言い出しかねん奴もいるからな”
“そうだな。何が何でもぶっ潰すと言い出しかねん奴もいるからな”
美和の役目は情報収集だが、それはあくまでも昭士達がエッセ討伐に全力を注げるようにサポートするため。他の事に力を注がれてもそれはそれで困るのである。
美和はいつもの無表情顔になって少しの間考えると、
「ですが、このままタダで帰るのもシャクですね。周辺国にこの情報をバラ撒いてやりましょうかね」
何せ各地からの誘拐と大規模な施設による人体実験場である。国を根底から揺るがす事間違いなしの大スキャンダルだ。
隣国の一つ・ラント国はどの国ともいささか中立を保っているが、海洋国家と名高いファエント国は昔からこの国と犬猿の仲。相手の弱みを喜んで買ってくれる公算が高い。
しかし犬猿の仲過ぎて国が暴走し、大規模な戦争が勃発するかもしれない。特に現在の国王は極端なタカ派と言っていい。自分のもたらした情報が原因で戦争が起こるのは望むところではない。
世の中が賑わいを見せ、ある程度ゴタゴタとしている方が盗賊稼業としては嬉しい世の中だが、ゴタゴタが戦争にまでなると本末転倒というものである。
戦争特需の好景気と戦争後の混乱と平和な賑わいの中のゴタゴタは全く違うのである。盗賊が望むのはあくまでも平和の中でのゴタゴタなのだ。
「では、誘拐の方だけにしておきましょうか」
ようやく美和は起き上がると、
「本当はすぐにでも休みたいのですが、この国でそれは危険ですしね」
今は進水地域の処置に追われているだろうが、それでも地下の大部分と地上部分は平穏無事である。組織の息のかかった宿に泊まって、気がついたら地下へ誘拐という目になど遭いたくもない。
“では、ファエント国まで飛ぶか”
“では、ファエント国まで飛ぶか”
「そうですね。お願いします」
ジェーニオは美和を後ろから抱くようにすると、そのまま一気に空高く飛び上がった。本当なら濡れた服に冷たい風が当たって寒い事この上ないのだが、ジェーニオが何か魔法を使っているらしく、冷たさはそれほどでもない。
「今回の潜入はお兄さんからの依頼でしてね」
名前を出さずとも、この状況の「お兄さん」が誰の事なのかはジェーニオにも判った。
「本当はこれだけの危険を冒した分、報酬を割増要求するつもりでした」
美和はジェーニオに相談するかのようにそう切り出した。
「ですが手に入れた情報は依頼主に話すのがはばかられる内容ですので話せません。まさに骨折り損のくたびれ儲け、という奴です」
“だが、己のした行動総てが報われるとは限るまい”
“だが、己のした行動総てが報われるとは限るまい”
どこか慰める様なジェーニオの言葉。盗賊団として活動していた頃も、した事総てがうまくいっていた訳ではない。人間とは多少考え方のズレはあるが、精霊とてそのくらいは学習している。
「そうなんですけどね。誰だって自分のした行動は報われたいし、見返りだって欲しいんですよ」
いつもの無表情がほんの少しだけ緩ませると、
「だからファエント国に情報を売りに行くんです」
“そうか。だが一つ聞いていいか”
“そうか。だが一つ聞いていいか”
珍しくジェーニオが美和に質問をしてくる。美和は無言だが「どうぞ」と続きを促した。
“情報提供の報酬に何を要求するつもりだった”
“情報提供の報酬に何を要求するつもりだった”
まさかそんな質問が来ると思っていなかった美和は、しばし押し黙って考え込む。
「それが……ですね」
思わせぶりに前置きをすると、珍しく無表情な顔が崩れ、
「何も考えてなかったんですよ」
苦笑いを漏らした。

<第32話 おわり>


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