トガった彼女をブン回せっ! 第32話その3
『相当の割増にしましょうか』

時間は少し遡る。
益子美和は昭士の依頼「スオーラ達が執拗に追われ続けている理由」を調査するために、再度ヒュルステントゥーム国に来ていた。
依頼を受けた夜にすぐ訪れて一応大雑把に調べてはみたが、ロクな事は判っていない。せいぜい怪しい連中は地下にいるのが相場だろうという証拠のない偏見だけだ。
彼女の目の前にはこの国随一の観光地であるヒュルステントゥーム湖が広がっており、視線の先に浮かぶ小さな島には、朝の光を受けて輝く石造りの古い聖堂が建っているのが見える。
エラーデッ・ヒタク大聖堂。そんな名前の聖堂らしい。名前の意味や由来まではさすがに知らない。
かつては土着宗教の聖堂だったがその宗教が廃れ、建物だけが残ったそうだ。
そんな湖を眺めている美和の背後では、色々な職種の人物がかなり焦った様子で町の中を走り回っている。
盗賊である美和は当たり障りのない容姿と服装で観光客に見えるよう変装をしている。それ故かは判らないが、時折そうした走り回っている人々のチラチラとした視線を感じている。
しかし。観光地なのに観光客への視線が微妙に変である。
「楽しんで行ってくれ」という歓迎ムードを感じないし、かといって「金を落として行ってくれ」「金を巻き上げてやろうか」という色々な意味で商魂逞しいものないようだ。
少なくともその二つとは違う視線に感じるのである。
微妙に変な視線を向けてくるのは、農民。行商人。旅芸人。役人。警備隊。そして聖職者。確かにバラバラで共通項がなさそうなのに、微妙に変でうさん臭い視線はどこか共通。
普通の人には判らないだろうが、それが判るのは盗賊の盗賊たる由縁、であろう。という事は……。
(ご同業、でしょうかね)
外見はともかく「真っ当な」職業の人間ではない。そう考えて間違いはないだろう。
だが盗賊かと問われると正直微妙である。確かに「そのスジ」の人間はいるが、全員ではない。盗賊以外にも「真っ当でない」職業など掃いて捨てるほどあるにはあるが。
(とりあえず、彼女達が襲われた教会とやらをもっときちんと調べてみましょうか)
そこから足早に離れた美和は、周囲に人気がないのを確認するとその衣装を変えた。左胸に「六角形の中に五芒星」という図形が刺繍されている濃紺の詰め襟姿だ。
これはスオーラと同じジェズ教教徒聖職者の制服である。その格好で向かったのはこの町にあるジェズ教教会の支部。とはいえ外見はそこらの民家より若干立派な普通の家である。
本来なら入口には門番を務める僧兵が立っているものなのだが、それがない。それに疑問を持っている風を装い、そのまま建物の裏側に回った。
そこにはジュンが力技で開けたらしい壁の穴が帆布を被せて隠しているのが見えた。もちろん壁と帆布の色が全く違うので、完全に悪目立ちしている。
だから無意味に人が集うし、必要以上に好奇の目で見られている。無論この教会の人間が「見せ物じゃないぞ」と追い返している。その表情はかなり必死、緊張を隠せていない。何らかの秘密を隠し通したい。そんな感じに見えた。
もっとも。建物の壁に大穴が開く事になった事情は隠し通したいだろう。やましい事がなくとも。
「ナニカアツタノデスカ?」
見張りらしい人物に向けて、わざと変な発音にしたヒュルステントゥーム国の言葉で話しかける美和。
かなりたどたどしいとはいえ自国の言葉で話してきた異国の人間に、その人物はかなり怪しげな視線を向けてはきたが、自分達と同じその服装を見て慌てて姿勢を正すと、
「ああ。お恥ずかしながら賊に入られましてな。幸い盗まれた物はないのですが……」
一応は同業者。無碍に突っ返しては逆に怪しまれる。そんな表情が一瞬覗いたのを、美和は見逃さなかった。
「ソレハナニヨリデス。トコロデソノゾクハドウナツタノデスカ?」
「警備隊と町の有志が協力して追いかけております。必ずや捕まえてその罪を償わせますよ」
その人物は得意げに、そして自信ありげな笑顔を見せる。
その笑顔に会釈した美和はその場を去った。いや。去った振りをして素早く建物の陰に隠れる。そして懐から取り出したのはムータと呼ばれるカード状のアイテムである。
このアイテムには色々な力があるが、美和が持つ「盗賊のムータ」に秘められた数々の能力の一つに“壁を空間ごと切り裂いて向こう側に行く”力がある。この力の前にはどんな扉も錠前も意味をなさない。
ムータを刃物のように壁に切りつけ、そこにできた切り口に手を差し込むと、彼女の全身が一瞬で切り口の中に吸い込まれた。もちろん切り口は跡形もなく消え失せている。
そうして建物内に悠々と入った美和。中に人の気配は全くない。さっき聞いた「町の有志」が出払っているためだろう。
ここは廊下の突き当たり。理由は判らないが自分が「入ってきた」壁には大きな鏡が飾られていた。
適当な部屋の扉を開けてみる。するとそこは応接室らしき部屋で、高級感はないが落ち着いた色彩やデザインで統一されている。
……壁に空いた痛々しいと形容すべき大穴を除けば。
という事は、スオーラ達はこの部屋に通されたに違いない。美和は盗賊の目で部屋の中を見て回る。
まず窓や窓枠、そして壁紙に至るまで総てが偽物。それこそ写真をそのまま貼りつけたかのように精巧に描かれた代物だった。しかも鉄製。
そして室内の壁の床スレスレの位置にいくつものスリットが開いていた。これが何を意味するのかは判らないが、鉄でできた密室に有毒ガスでも流せば、あっという間に人を殺せそうである。
しかし人を殺すのにわざわざそこまでの手間をかける訳はないだろうから、来客をくつろがせて油断させ、ガスで眠らせるか気絶させるのが目的の部屋かもしれない。
そんなガス自体はこのオルトラ世界でも(質はともかく)実在しているし、美和も盗賊団時代使われそうになった事がある。
そんな記憶を一旦頭の隅に押しやり、探索を続行する。
当然この室内で眠らせっぱなしな訳がない。眠らせた人間を何かの目的のためにどこかへ運ぶ必要がある。「どこか」はもちろん判らない。だが「どうやって」なら見当がつく。
地上を行くか、地下を行くか、である。
だが地下の方が危険は少ないだろう。眠らせるガスの効果など人それぞれ。地上を運んでいる途中に目覚めでもしたら厄介以外のなにものでもない。
わざと少し音を立てて部屋の中を歩き回ってみる。音に変化はない。床に秘密の出入り口があるのかと思っていたがそれは違うようだ。
さすがに安易だったか。美和がそう思った時、建物に人が入ってくる気配を感じた。もちろん簡単に逃げる事もできるが、彼女がここへ来たのは情報収集のため。なので盗賊のムータに秘められた能力“存在遮断”を使った。
これは他者の五感や魔法、あらゆる察知能力からも完全に逃れる事ができる力である。これにかかっては犬の嗅覚やコウモリの超音波(エコロケーション)も無意味である。
ただし、この能力を発揮している間はゆっくりと歩く程度のスピードでしか動けなくなるのが欠点。
そこに存在しているのが誰にも判らないのだから、急に動いてきた何かにぶつかってくる可能性があるし、それでバレる危険も高い。くわえて急に動く必要が出た時には能力を解かねばならないのが面倒なのである。
しかし壁に大穴が開いている以上、来客をここに閉じ込めて云々という事はしないだろうから、部屋に踏み込まれる心配はないだろう。彼女は用心しつつそのまま耳を澄まして壁の向こうの音を聞き込む。
何人かの人間が、この部屋のすぐ外にいるようだ。話し声も聞こえてくる。
「……よし。これでまた一人増えた」
「今回のノルマは何人だっけ?」
「四人だよ。昨日の連中に逃げられさえしなきゃな」
「まさか鉄の壁を破って逃げるなんて思わねぇよ」
そんな愚痴にまみれた声が聞こえてくる。これだけでは状況はなにも判らないが、スオーラ達をここで眠らせようとしたのは「ノルマ」というものが関係しているようだ。
そうなると単純だがすぐ思いつくのは「人さらい」系か。だがそう決めるのは早計だろう。
「オレ達もコイツをしまったらすぐ追いかけるぞ」
「そうだな。これが外部にバレたら大変な事になる」
「じゃあお前達は早く行け。しまうのは俺がやるから」
「判りました。よし行くぞお前ら」
声と足音から考えて四人、いや、五人かもしれない。いくら何でも美和一人では手に余る。盗賊というのは皆が考える以上に戦う事が苦手なのである。
やがて物音と人の気配が消えた。美和はムータの能力を解いてそっと部屋から出る。
そこにはもちろん誰もいなければ何もない。さっきと同じである。だが「しまうのは俺がやる」と言っていた以上、ここで何かしていたのは間違いがない。立ち去った足音が一人分少なかった事からもそれは判る。
まず怪しいのは行き止まりの壁にかかった大きな鏡だが、この裏は壁であり表の道路に面している。隠し通路などの仕掛けを施すのは不可能だ。鏡自体に魔術的な仕掛けがしてあれば話は別だが、そんな雰囲気はなさそうだ。
しかしこんな行き止まりの場所で「しまうのは俺がやる」と言い、物音と気配の消える時間を考えるに、この辺りに何らかの仕掛けが隠されているのは間違いないだろう。
板張りになった床。その組み合わされた板の隙間が微妙に広い部分を見つけた。普通の家屋ならば「もう少しピッタリと板を合わせればいいのに」と思う様な、そんなわずかな隙間。
(なるほど)
そして、ひざまずいてみないと判らない様な床に近い位置の壁紙の模様に違和感を発見。模様の一つがボタンになっているのだ。美和はそれを押してみる。
きいいいぃぃぃ。
板張りの床が二つに割れ、下に下りる階段が姿を見せた。やはり何か仕掛けがあると思っていたが、こんな「高度な」仕掛けとは思っていなかった。
何故「高度」か。床板が二つに割れる時にほとんど音がしなかったからである。このオルトラ世界の機械技術でここまで無音で開閉する扉を作るのはまず無理の筈。
床板の稼動部をよく見てみると、蝶番の部分が上手く隠れるようになっているタイプで、しかもステンレス製。ステンレスはこのオルトラ世界の機械技術のレベルでは「まだ」作れない筈の金属である。
蝶番だけならまだしも。となりの部屋の設備を考えると、やっぱりこの世界には存在しない筈の技術が詰め込まれている。
そんな建物は。施設は。どう考えても異常である。これらを見ればそんな事は誰にだって判る。
本音を言うならこれ以上首を突っ込みたくない。いくら何でもそこまでの危険を冒して情報を集める義理は美和にはない。
しかし。
(やらない訳にも……いかないですね)
美和がスオーラ達に協力をするのはあくまでも「世界が大変な事になっては盗賊稼業どころではない」からだ。
エッセの様な通常の手段では対抗すらできない存在がいつ現れるか判らない世界が「大変でない」筈がない。
(報酬は、相当の割増にしましょうか)
生きて帰れたら。美和はそう呟くと素早く階段を下りて割れた床を閉めた。


国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
教科書で見たそんな小説のフレーズがなぜか頭に浮かんだ美和。だがそのフレーズをもじって正確に言えば、
地下への長い階段を下りると病院であった。
彼女の目の前の光景はまさしくそうであった。
部屋や通路は煌煌とした「電灯が」点いており、目の前の部屋の壁全面はかなり透明度の高いガラス張りになっており、ガラスの壁の向こうには質素な灰色の検査服を着てベッドに横たわっている何十人もの人間が見えた。
しかもベッドの一つ一つに地球の先進国の病院でもそうはないような、見るからに高性能そうな機械――心拍数などを計測する機械――ベッドサイドモニターが設置されていた。
そこに並ぶ年齢や人種は様々で、たとえは悪いがまさしく世界各国の人間の博物館。
またムータの能力でガラス張りの部屋に侵入する。
そして身を低くして、ベッドに寝かされている人々の顔を詳細に見て歩く。すると奇妙な事に気がついた。
ここに寝かされているのは全員双子、ないし三つ子ばかりなのだ。……いや。それにしては奇妙だ。盗賊としての美和の観察眼がそう告げていた。
理由は単純。いくら見分けがつかぬ程そっくりな双子であってもほくろの位置・つや・微妙な形の歪み具合まで見分けがつかぬ程そっくりというのは、いくら何でも不自然だからである。
不思議に思った美和が、同じにしか見えない三つ子の枕元に置かれたベッドサイドモニターを見る。
一番左に「Snie TREBLA」。真ん中に「Iewz TREBLA」。一番右に「Ierd TREBLA」という文字が書かれてあった。訳すなら「TREBLA一人目」「TREBLA二人目」「TREBLA三人目」である。ちなみにTREBLAというのは人名である。
さらに名前の下には「Nhgz Retilillim EISEHTSANA投与中」だの「ERENIN摘出済」だのといった事が書かれているメモが無造作に貼られており、物によっては線で消されてもいる。
さすがの美和もこうした病院(?)で使われる様な専門用語や固有名詞らしき単語になると、発音はできても意味までは理解できない。
どういう事だろうとゆっくり考える時間はなかった。人の気配を感じた美和はムータの能力“存在遮断”を使っているのに、念を入れてベッドの下に隠れる。
直後、部屋に入ってきたのは二人の人間。地球の医者が着ている様な青い色の手術着を身につけた男達だ。
「さ〜、今日はお加減いかがですか?」
「ふざけるな。真面目にやらんか、貴様」
「はいはい。けど毎日毎日動く筈がないコイツらの面倒見なきゃならないんですから、ふざけたくもなりますよ」
「それは判った。だが作業は真面目にやれ」
美和はそんな会話を聞きながら――ムータの能力があるからまずバレる事はないだろうが――それでも注意深く身体を隠したまま視線を外に向ける。盗賊にはこのくらいの慎重さが必要なのだ。
やはり医者のような青い手術着姿の男二人は、寝かされた人間を観察しては黒い板の上に芯の出ていないペンで何かを書いたり、板の上をちょんちょんとつついたりしている。
その道具はまるで地球で普及しているタブレットである。このオルトラ世界には未だコンピュータというものの発想すらないのだから、タブレットなどあろう筈もない。
(誰かが彼等に入れ知恵や技術提供をしていると見るべきでしょうか)
時間か時空か世界かは判らないが、自分の世界ではなくわざわざ異なる世界でこんな事をやる理由とは何だろう。
二人のうち年かさが上に見える方の動きが止まった。タブレット(?)を驚いた目で凝視している。
「大至急SBERKNEGAMタイプの胃の人間を持って来るように、との事だ」
「じゃあ完成したんですかね、薬」
「知らん。……よし。それならばIewz DNUMIARが適当だろう。運ぶぞ」
「はいはい。じゃあコードを外しますよっ……と」
胃を持ってくる。完成。薬。Iewz DNUMIARが適当。いくつか思いついた事はあるが、これだけでは判断しかねる。
美和は“存在遮断”の能力を使ったままゆっくりと、本当に亀の様な歩みで部屋を出た。


次に見かけた部屋はまさに手術室であった。それこそ地球の先進国の病院よりも遥かにすごいと思える規模と設備。当然このオルトラ世界には場違いにも程があるレベルだ。
広い手術室のあちこちに無数の手術台があり、運ばれてきた人間達が無造作に乗せられ、医者(?)達の手で皮膚や筋肉を切り開かれ、内臓をむき出しにされ、それらを見ながらタブレット(?)に何かを書き込んでいく。そんな作業が続いていく。
もしくはベッドや手術台に拘束をされたまま何かの薬を飲まされ、それ以後の経過を事細かに観察されている者もいた。
はたまた用が済んだらしき者は無造作に運び出されていく。そんな光景が部屋のあちらこちらで繰り広げられている。
そこで行われていたのは……残念だが美和の想像通り。人間の解剖であり人体実験である。
こうして様々な実験を試み、その結果をまとめる。そうして集められた資料がこの国の医療技術の水準を押し上げていたのだ。
これこそが、牧羊と医学に関しては世界でもトップクラスと云われるヒュルステントゥーム国の正体だったのである。
これはこれで確かに衝撃の事実ではあるが、盗賊という稼業を生業として綺麗な現実も汚い現実も見てきた美和には、あまり心に響かないものだった。「まぁそういうものだよな」という感じの。
それにしても、こうも面白いように次から次へと新しい人間がホイホイと運び込まれ・古い(?)人間が運び出されていく方が気になった美和は、また施設内をゆっくりと歩き出す。
本当なら“存在遮断”の能力を使わず、変装をした方が遥かに楽ではある。しかしここの職員だか研究員達は必ず複数人数で行動している。
さすがの美和でも一人で二人以上の人物には変装できない。複数での行動が普通らしいところで一人で歩いていたら、それこそ怪しい人物ですと公言している様なものだ。
ゆっくり歩きつつも、時折壁に貼られた地図を見て位置を確認する。
この施設は本当に広かった。それを見る限りかなりの面積がある。具体的な距離や縮尺など書かれてはいないが、きっとこの町と同じくらい、いや、もしかしたらそれ以上の大きさかもしれなかった。
施設内はいくつかのブロックに分かれており、ブロック同士はもちろんブロック内にも内部移動用の乗り物がいくつもあるからだ。ここまで来ると施設というより一つの都市だ。
そんな大規模の「謎の組織」を、科学技術がまだまだ未熟なオルトラ世界でを作り上げるとは、もはや個人でできるレベルを遥かに超えている。
このヒュルステントゥーム国そのものが「謎の組織」の正体と言われた方がよほど納得ができるというものだ。
本当ならあまり深入りはしたくないところだがやむを得ない。まだまだ調べていない部分があまりに多過ぎる。
美和はやむなくそう決断した。


地上では夜になった頃。ついに美和は目的地の物を見つけ出した。
この部屋にはこのヒュルステントゥーム国に伝わる宝物・コーピアの宝箱がいくつも置かれていたのだ。
縦・横・高さが約一メートル程の木箱の中に、手足を拘束された人間が押し込まれ、蓋を閉められる。
すると蓋の上にたった今入れた筈の人間が浮かび上がったのである。それも映像ではない。実物が、である。
別の男達がその人間をベッドに乗せ、丈夫な革のベルトでそれに縛りつけると、また別の場所へと運んでいく。
それを見届ける間もなくまた蓋が開けられ、閉まる。すると蓋の上にまた実物の人間が浮かび上がる。
そんな様子が複数の箱を使って延々と繰り返されていた。
このコーピアの宝箱は箱の中に入れた物の寸分違わぬ複製を造り出す事ができると聞いている。
昭士が言っていた「倒しても倒してもさっきと全く同じ形のエッセが姿を見せる」のも、このコーピアの宝箱が実在する限り、それを使えば可能であると証明されたのだ。
さすがに全長十メートルものエッセがあの箱の中に入るとは思えないが、あれよりも巨大なコーピアの宝箱があれば本当に可能だ。
そして“存在遮断”の能力を使ったまま彼ら医者(?)達の話を聞いているうちに、驚くべき事実が判明したのだ。
この箱には箱より大きな物も簡単に入ってしまう事。
肉体は寸分違わず複製されるが記憶や精神といったものはどのくらい複製されるかはその都度異なる。ほとんど問題ないレベル。半分くらいしか残っていないレベル。全く残っていないレベル。本当に様々。
淡々とした作業に飽きてきたのか、彼らの話が段々雑談混じりになってきた。
「……やはり十代女性が足りなくなってきているな。早く新しいのを調達してくるよう通達してくれ」
「けどあっちこっちからさらって、閉じ込めておくのも大変だよなぁ。やるのは俺らじゃないけど」
「それがこのアイテムの限界ですかね。コピーのコピーができればこんなに苦労しないのに」
「できなくはないぞ。精度がどんどん落ちるだけだ。そんなのでは材料にはならん。やるだけ無駄だ」
「そういえば、何か逃がしたヤツがいるって連絡きたぞ。大丈夫か?」
わざわざ危険を冒して誘拐し、閉じ込め、こんな物を使ってまで人間を増やし、人体実験を繰り返す。
だがやっている事は当たり前である。人道というものを一切無視した方策である事を除けば。非道な手段など古今東西どこの地域でも行われている。現代の地球に至ってもだ。
という事は、スオーラ達も眠らされるなどでここに連れてきて隔離し、後にこうした「材料」にするのが、彼等の目的だったのでは。「多分」つきでそう結論づけた。
しかし美和の胸中はさして揺れ動かなかった。
それは目的ややり方、ポリシーが違うだけの「同業者=盗賊」だから。盗賊が盗賊に向かって「物を盗むな」という資格などこれっぽっちもないのだ。
(ここに彼らがいなくてよかったですね)
もしこの場に昭士やスオーラ達がいたら……皆揃って正気を失くすくらいにブチ切れていただろう。そしてすぐさまこの施設を完膚なきまでに破壊しようともしただろう。
そうなってはただただ面倒なだけである。
彼らはもちろん美和がするべき事は、この実験施設の破壊でもないし、世に広く知らしめ罰を下す事でもない。エッセの討伐である。
この施設の面々がそれを邪魔しない限り干渉はしない。そのくらい冷徹な割り切りも盗賊には必要なのである。
医師達(?)が、コーピアの宝箱の中の一つを指差して、
「あれ。そういえばこの箱だけ使ってないが、どうした」
「ああ。壊れたらしくて蓋が開かないって聞いたぞ。他のを使え」
「壊れるなんて珍しいな」
「え? そんなのひっくり返したら開くんじゃないか?」
「昨日は一瞬サメが乗ってたって言ってたヤツがいたな。きっと寝不足で変な物でも見たんだろう」
そんなやりとりをしながら男達は数人がかりで箱をひっくり返す。その様子を見る限り箱そのものはあまり重くないようだ。
ところが。
美和のムータが突然点滅しだした。これはエッセが現われた事を知らせるものだ。とはいえどの世界に、そして世界のどこに現われたのかまではムータからは判らない。
他のムータなら音も鳴るがこれは盗賊のムータ。いわゆる「マナーモード」は標準装備。悟られる事はない。
そんな時、彼らが抱えた箱がいきなりガタガタッと激しく震え出した。本当にいきなりだったので彼らは驚いて手を離してしまう。
当然箱は床に落ち、その衝撃で箱がバカッと開く。そしてそこから出てきたのは――
「うわあっ!!!」
未知の金属でできた、全長十メートルはあろうかという巨大なホホジロザメ。そう、エッセである。
このサメが水の中だけでなく砂の中も泳げる事を美和は知っていたが、さすがに空気の中は泳げないようで陸揚げされた魚のごとく地面を激しくのたうっている。
のたうつ度にその頭が、ひれが、尻尾が辺りの物や人を激しく揺らし、打ちのめし、破壊していく。まるで地震が起きた建物の中にいるように。
さしもの美和もそんな破片や人間達を避けるために“存在遮断”の能力を解いて走らねばならなかったくらいである。もちろんいきなり現われた侵入者=美和に驚く一同だが彼女を追いかけるどころではない。
むしろエッセの吐く金属化ガスを浴びて金属の像と化してその場に立ち、もしくは転がる者が多く、中には尻尾で叩かれた衝撃で大ケガを負う者も。まさしくひとたまりもないとはこの事だ。
そして極めつけは、エッセの体当たりで壁や天井が破壊され、そこから大量の水が侵入してきた事だ。町の中から入った筈が、いつの間にか水源のそばまで来ていたらしい。
そしてサメ型エッセは、水で満たされた部屋から天井の穴を通じて外へと飛び出したのである。
美和は元来た通路を懸命に走って逃げていた。やがてけたたましいサイレンが鳴り響き、同時に放送で「水が侵入してきた事」「一部の隔壁を閉める事」が何度も連呼される。
ここの医師達はいいかもしれない。しかし美和は違う。彼女にはこの地下施設の土地勘が全くないのだから逃げ切れる確率などほぼゼロだ。
しかし。この盗賊のムータにはどこへでも瞬間移動できる能力がある。移動先を正しく指定するには精神を集中しなければならないので、この状況下では難しい。
それなら逃げられるではないかと思うがそうではない。これは一日にそう何度も使える能力ではないのだ。しかも今日は何度も壁を切り裂いて侵入したり“存在遮断”の能力を長時間使ったりもしている。
(やっぱり、程々にして引き上げるべきでしたね)
そう後悔するが時すでに遅し。通路一杯に広がって流れてくる莫大な水流に呑み込まれていった。
美和の全身が。

<つづく>


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