トガった彼女をブン回せっ! 第32話その1
『……ジュン様』

夜の砂漠はことさらに冷える。昼間の焼けつく様な暑さをたっぷりと味わっているからそう思うのかもしれない。
とはいえ完全冷暖房完備の「コクピット」の中からでは、その言葉に説得力はないだろう。
ここは地球のサハラ砂漠。周囲百キロ四方に生物がいる様子はない。ただ一人、いや二人。自分達を除いては。
角田昭士は「コクピット」のシートで眠ってしまっていた。
彼がいるのは巨大な鳥型ロボ「聖鳥王」の中である。元々は特撮番組のロボットだが、何故かこうして現実に現われて存在して、こうして乗り込めている。
慌てて起き上がってはみたが、何かあったようには見えない。さらにポケットのガラケーを取り出し、開いてみる。電話やメールはない。
携帯電話の現在時刻は『01月02日 02:00』と表示されている。これは現地ではなく日本の時刻。現地であるサハラ砂漠は一月一日の夜七時くらいの筈だ。
そこでようやく安心したように背もたれにゆっくりもたれかかって安堵の息をついた。
彼が正月早々ここでこうしているのは使命のためである。謎の化け物・エッセと戦うためだ。
何らかの生物の姿を模して現われるエッセには通常兵器が一切通用しない。
口から吐き出すガスによって他の生物をエッセ自身の体表の様な金属へと変え、それのみを捕食する。
この世界に姿を現わせる時間制限があるらしく、唐突に現われては暴れ回り、不意にすっと姿を消す。
今はちょうど姿を消している最中だ。エッセは息の根を止めない限り再び姿を現わす。それも最初に姿を現わした場所からそう遠くない場所に。だがそれがいつになるのかは判らない。
これまでの戦いから得たエッセの情報であるが、今回のサメを模したエッセは少しばかり様子が違う点がある。
それは倒しても倒してもすぐさま「全く同じ個体」が現われて襲ってきたのである。
いや、本当に同じ個体なのかは判らないが、何回か姿を見せたその姿はどれもホホジロザメだけ。ジンベイザメやノコギリザメ、シュモクザメなどが現われた事はない。
たった一日でそう結論づける事はないが“すぐさま「全く同じ種類」が現われて襲ってくる”のは前例がない。それは間違いがないのだ。
倒しても倒しても襲いかかってくる敵。どんな達人であっても絶対に戦いたくはない敵である。今回それを実体験として骨身に沁みた昭士。
ナニがドウなってそんな現実になったのかは当然判らない。決して優秀とは言えない昭士の頭ではいくら考えても判る訳がない。
だが。彼の知る異世界・オルトラには「魔法」という不可思議な力が存在している。エッセにどのくらい魔法が効くのかは判らないが、何か魔法が原因でこうなったのでは。
そんな考えが思い浮かんでも仕方ないと言える。むしろ彼の頭脳ではその考えに至った事を褒めるべき事かもしれない。
しかしその調査や証明が自身にできる訳もない。彼にできる事はエッセの次の出現を待つ事だけである。
だがたった一人で「待つ」事がどれほど大変な事か。
これが普通の現代高校生であれば、タブレットやスマートフォンといったアイテムでネット三昧できるが、彼はガラケーしか持っていない。
この時代ガラケーでもインターネットは可能だが、それで利用できるサービスが極端に減ってしまっている。
電波のアンテナもWi-Fiのマークも最大限の通信ができる状態だが、暇つぶしすらできないのである。
「どうも。差し入れはいかがですか?」
唐突に、何の気配も感じさせずに自分の上から聞こえてきた声があった。
タンクトップとスパッツが合体した様な「オールインワン水着」を思わせる、身体のラインが結構浮き出ている服。
だが鍛え上げ引き締まった筋肉でもなく凹凸のハッキリしたセクシーな女性の雰囲気もないスタイル。さすがにそれを本人に言ったら怒るだろう。
何よりコクピットのシートに座ったままの自分を見下ろす無表情な顔。その無表情のままコンビニの茶色いポリ袋を掲げて見せる。
この人物は益子美和(ましこみわ)という女性である。一応昭士の高校の先輩ではあるが、その正体は二百年前にいたオルトラ世界の盗賊団の元団長。その盗賊の技術を使って自分達に協力してくれている人物である。
「お正月らしさはありませんが、お好きでしたよね、麻婆丼」
渡されたポリ袋の中にはコンビニの麻婆丼と箸、ホットのペットボトルのお茶が入っていた。
確かに正月らしさは欠片もないが、差し入れというのであれば有難く戴いておこう。相手が盗賊であっても、ここで毒やら薬やらを盛る様な真似はすまい。しかし、
「けけ、け、けどさ。いい、いき、いきなりこ来ないでよ」
ドモり症に驚きが加わって、昭士は必要以上にドモってしまう。盗賊のやり方かは判らないが、いつもいつもこうして不意をつくように現われるのはさすがに困るのだ。
「ああ、食べながらでいいので聞いて下さい」
昭士の文句をスルーしながら美和は表情以上に淡々と話しだした。
「まず。あなたが言っていた『魔法かもしれない』というご意見ですが、可能性が低そうです」
そう前置きをして話した内容だが、確かに魔法で人や物を「増やす」事自体は可能だそうだ。そういう魔法も使い手も実在するという。
しかし一度に複数の「自分の分身」を作るタイプなので、今回の様に「分身が次から次へと現われる」様な使い方はできないという。そもそも分身に物理的な攻撃を加えた瞬間分身は消滅するそうだ。
ただし分身の魔法の使い手が自分自身の分身を作り、分身が消えたから再び作る、という事は可能らしい。しかし一介のサメがそんな魔法を使う事ができるかという問題が残る。
次にそういった効果のある何らかのアイテムだが、一つ心当たりを見つけたそうだ。
そのアイテムの名は「コーピアの宝箱」。
外見は縦・横・高さ一メートル程の大きさの木箱である。箱の中に増やしたい物を入れて蓋を閉めると、蓋の上に箱の中にあった物の複製が現われるという魔法のアイテムらしい。
さすがの美和も実物を見た事はなく、伝聞で聞いただけである。
「このコーピアの宝箱の話の出所が、他の皆さんがいるヒュルステントゥーム国なので、気になりまして」
この地球とあちらのオルトラ世界は位置的にリンクしている。地球とオルトラ世界の地図を重ね合わせると、ヒュルステントゥーム国とこのサハラ砂漠の位置はぴったり同じになるのだ。面積はともかく。
次から次へとエッセ(分身?)が現われる。物を複製できるアイテムの出展元(?)がある。世界は違うが同じ場所に。
「つつ、繋がって、ってるのかな」
現場となっている国とコピーできる宝箱とエッセ。三つも関連がありそうな事柄が揃ったのだ。短絡的でもそう考えてしまうのは仕方ない。しかし美和は淡々としたまま、
「今回のエッセが体長一メートル以内であれば繋がっている可能性もありそうですが」
今回のホホジロザメ型エッセの体長は約十メートル。一般的なホホジロザメの約二倍。とても一メートル四方程の箱に入りそうな大きさではない。
昭士は残念そうな顔で、黙ったまま麻婆丼を一口食べるとどこか諦め切れない表情で、
「はは、箱がお、大きくなるとか。大きいも、物でも、ス、スポッと入るとか。そ、そ、そういうのがああ、あれば」
「そこまで行くと希望的観測というよりただの願望ですね。アテにしない方がいいでしょう」
こう見えても盗賊は「もしも」の方を信じると痛い目をみる稼業である。意外に現実主義者なのだ。昭士をバカにした意図はないのだが、言葉を受け取る側がそう感じてくれるかまでは判らない。
だが昭士はバカにされたと思い、ムスッとしたまま麻婆丼をかき込むようにして食べている。
そのかき込みがしばし止まると、
「とと、と、ところで、いい、いぶきちゃんは?」
この巨大ロボに乗っている「もう一人の」人間である自身の双子の妹・角田いぶきを話題に出す。
昭士がエッセと戦う戦士なのと同様、いぶきもエッセと戦うメンバーの一人といえる。
だがいぶきの場合はだいぶ異なる。それは彼女は対エッセ用の武器に変身をするからである。
使い手である昭士の身長よりもずっと巨大な、鉄塊としか思えない無骨な刃を持つ巨大刀剣。名前は「戦乙女(いくさおとめ)の剣」という。
全長二一〇センチ総重量三二〇キロを超える巨大剣を使いこなせるのは昭士ただ一人。もちろん彼にそんな筋力はなく、いわゆる「使い手の特権」「特殊能力」という部類だ。
何故そんな巨大で超重量で不便極まりない鉄の塊をわざわざ使うのか。それはこの武器が一番エッセに効果があるからであり、同時にこの剣でエッセにとどめを刺した時に限り、そのエッセが金属に変えてしまった生き物が元に戻るからである。
それだけに戦いに重要な人物であるが、その彼女は今このコクピットにはいない。いるのは格納庫らしきガランとした何もない空間である。
その理由は彼女の肉体が変身して剣になるからであり、抜き身の剣のままここに呼び出す結果となったため、人間の姿に戻ればどうなるかは自明の理。
そしてもう一つは彼女の性格だ。「誰かのために」「誰かを助ける」という言動をするのも見るのも死ぬ程大嫌いという面倒な性格なのである。どんな報酬があろうとも、だ。
だから彼等と一緒に戦う事を嫌い、自分が誰かを助けている現状を嫌う。もちろん昭士に使われる事をそれ以上に嫌っている。普段から「こンなヤツの妹と思われたくない」「早く死ンでくれないかな」と公言している程だ。
以上の事から邪魔だけはされないようにと、何もない格納庫に拘束した状態で放り込んでいるのである。
「さすがに拘束したままですよ。一応食べ物飲み物は置いてありますが」
珍しくどうでもいいという感情がにじみ出た美和の声。それを聞いた昭士も「拘束されてたら食べられないんじゃ」というよりも「自分達が差し出した物は意地でも食べないだろう」という考えに至っている。
しかしそれでも「ずっと飲まず食わずではさすがにマズいのでは」とは思っていた。
昭士はこの巨大ロボのマニュアルを急いでめくりながら、格納庫内の監視カメラの映像をスクリーンに映し出そうと計器類をいじりだした。
一分程経って中の様子が映し出される。さすがに明かりが点いていないので真っ暗なのだが、監視カメラは暗視カメラでもあるらしく不自由しない程度には中の様子が見てとれる。
何かの布で全身グルグル巻きにされているように見える拘束衣を着せられて床に寝転がっているいぶきが見えた。その枕元にはペットボトルと何かの塊に見える物が置かれている。
「スポーツドリンクとバナナ一房は、お気に召さなかったようですね」
スクリーンを見た美和が、何を納得したのかウンウンうなづいている。
拘束されて身動きできないと判っているのにこの発言。色々な意味で大したものだと昭士は思う。
普通いぶきの性格にどれだけ問題があろうと、実の妹にこんな扱いをしては怒るのが肉親というもの。
しかしいぶきの性格もそうだが行動にも当然問題がある。その性格故に敵も多く町の不良やチンピラといった人種に絡まれたりケンカを売られたりするなど日常茶飯事なのだ。
その際にいぶきは相手に容赦しない。彼女自身が生まれついて持っていたらしい特殊能力ともいうべき力――周囲の動きが(たとえ見えていなくとも)超スローモーションで認識できる能力をフル活用して相手に攻撃をくわえるのである。
その結果相手を病院送りにしまくった。中には一生ものの障害が遺った者も多い。当時は小中学生だった事と露骨に挑発したとはいえ「相手から」手出しをさせた事で、逮捕・勾留まではされていない。
だから周囲の恨みつらみを一身に買い続けている。
しかもそれを自分が原因、自分が悪いとこれっぽっちも考えていないため逆恨みを貯め込んで苛立ち、その苛立ちを全部昭士にぶつけてきた。
もちろんその能力をフル活用するので昭士も数え切れない程ケガを負い、入院も何度もしている。死にかけた事だってあった。
同時に携帯電話もその度に破壊される事が多いので、値段の高い本体を持たず格安のガラケーを使っているのはそれが理由である。
いくら肉親であろうとも、生まれてこのかた十五年間もそのような傍若無人な扱いをされては、少々の事では同情する気はない。
とはいえエッセと戦うようになり昭士もいぶきも色々と「変化」してきている。
まず、いぶきが持っていた超スローモーションで認識できる能力は昭士の物になった。
そしていぶきは自分が素手で誰かを傷つけるとその傷が自分にはね返ってくるようになった。
さらに素手での破壊力が桁外れになってしまった。普通のパンチ一発でちょっとしたビルを簡単に粉砕してしまえる程に。
最近はダメージの跳ね返りと桁外れの破壊力がランダムで表れるようになっている。
そんな「体質」になってしまっていても暴力的で傍若無人な言動は一切変わっていないのが、いぶきのいぶきたる由縁かもしれない。
昭士は麻婆丼を一粒残らず平らげるとペットボトルの蓋を開けながら、
「スス、スオーラ達、だい、だい大丈夫かな」
「現在は町から逃亡していますが、それでも追われ続けているのが妙ですけどね」
美和はオルトラ世界では町から逃げ出せればそこで町からの追跡が終わってしまう方が普通だと告げる。だから今回のように町の外に出たのに追われ続けるのは明らかに変なのだそうだ。
それを聞いた昭士はペットボトルのお茶を一口飲むと、
「と、とと、という事は、そそ、そうしてでもつつ、捕まえたいって事?」
よく言えば諦めず追い続けるという事だ。諦めずにやる事はオルトラ世界は判らないが日本では誉められる点である。
だが裏を返すと昭士が言った通り。どんな事をしてもスオーラ達を捕まえたいという事だ。それは同時にスオーラ達に逃げ切られては困る事があるからに違いない。
そもそものきっかけが、スオーラが信仰している宗教の教会に立ち寄った時に部屋に閉じ込められ、ガスの様なものを室内に注入され、そこをどうにか脱出した事だ。そこから追跡劇が始まっている。
そもそも何故教会で、しかも自分と同じ宗教の人間にそんな事をされたのか。そこが一番の謎である。むしろそこが判れば総ての謎が解けるくらいの。
昭士はドモりながら美和にそう説明すると、続けて訊ねた。
「そそ、それを、調べる事、でで、でき、できる?」
盗賊なのだからスオーラ達を追っている組織だか団体だかの元に潜入して捜査する。その辺りは本分とも言える。
だが美和はエッセとの戦いに盗賊流に協力する事を約束しただけである。それ以外は範疇外だ。だから、
「それはエッセと戦う事と何の関係もないでしょう」
「だだ、だけど、このままじゃ、たた、戦うどころじゃ、ななな、ないし」
そう昭士に言われた美和は考え込む様な間が空いて、
「……まぁいいでしょう」
あまり積極的さが伝わってこない口調だが、それでも一応引き受けてはくれた。
「こちらとしても、あなた方にはのびのびと命を賭けて戦ってもらわないとなりませんし」
その後に何やら物騒な言葉が聞こえたが、一瞬昭士が視線をそらした瞬間美和の姿が消えていた。
今までいた場所にまだ彼女がいる様に視線を向けたまま昭士が、
「に、にに、逃げるてて、手伝いも、た頼みたかったんだ、だけどな」
ぽつりと呟いた。


このオルトラ世界において町とは「ある程度の壁に囲まれた人が住む空間」を意味する。
その壁の外には町の農業従事者が耕す畑が広がり、粗末な枠で区切られている。
広義的な意味でいえば一つの町とはその畑の部分までを差す。そこを越えれば「町を出た」という事になる。
その土地の法律によって明文化されている訳ではないが、一種の暗黙の了解、不文律として人々には知られている。
そんな「町」を逃げ出し、夜通し走り続け、朝になってその先に広がる森の中へ隠れながら、休みながら、さらに逃げ続けている。
そんな行動をしているのは、さる町から逃げ出してきた一行である。
一人はガンマン。この辺りでは極めて珍しい肩書きである。愛馬に跨がって森の中を注意深く進んでいる。その名はガン=スミス・スタップ・アープ。
一人は聖職者。ガンマンの前に跨がったまま周囲を警戒している。その名はモーナカ・ソレッラ・スオーラ。
一人は野生児。薄汚れた服にもマントにも見える貫頭衣(かんとうい)を着て、馬の隣を裸足で歩いている小柄な黒人の少女。その名はジュン。
《町を出て随分走ったってのにまだ追ってきやがるのか》
ガン=スミスが周囲に目をやりながら悪態をついている。極めて常人離れした彼の視力は、遠くに小さく蠢くような追っ手の姿がよく見えていた。
それは「町」の中で犯罪行為をしたとしても、外に出てしまえばとりあえず追っ手は止む。町の外の部分は町の警備隊の管轄外であり、そこまで逃げられてしまったのは追う側の落ち度と扱われるからである。
だから町から出てしまえば(言い方は悪いが)無罪放免も同然。よほどの悪事であっても周辺の町に「こいつらを町に入れるな」などといった通達が出回る事は稀だという。
これも、その土地の法律によって明文化されている訳ではないが、一種の暗黙の了解、不文律として人々には知られている。少なくともガン=スミスの知っている知識ではそうなっていた。
しかし今は違う。
町を出て夜通し走って逃げ、夜が明け、さらに森の中に隠れて逃げ続けたので、町からは相当離れた筈である。
なのに町からの追っ手が諦めて帰る様子は全くない。それこそ「地の果てまで追いかける」という気迫が離れたこの場所まで伝わってきている。
だから木々の中にまぎれ、周囲を警戒しつつ時折休みながらも逃げに逃げ続けた。
そんな逃亡劇から丸一日経ち、また夜を迎えた。夜行性の動物達が活発に動きだし、危険な時間帯になる。しかし森の中から出て発見されやすくする訳にもいかない。そんな不安感が逃亡の疲労感をさらに倍増させている。
本当なら昨日現われたという謎の侵略者・サメの姿のエッセとの戦いに備えていたいというのに。
このままではこの疲労を抱えたまま戦うハメになるかもしれない。それだけは避けたいのだが、追っ手達がそれを許してくれるとは思えない。
「わたくし達の姿を追い続けているのか、それとも見失ったけれど探すのを止めていないのか。どちらだと思いますか?」
スオーラにそう訊ねられたガン=スミスはもう一度周囲を見回す。遥か遠くの人影がたいまつに火をつけだしたのを見て、
《確証はねぇが、後者だな。このまま逃げ切れればいいんだがな》
オレ達は狩りの獲物じゃねぇよ、と小声での悪態が続いた。
頭の上を濃く覆う木々の隙間から小さく見えるのは、こんな状況でなければずっと眺めていたくなる程の美しい月。それも満月である。
夜の闇にまぎれて森から逃げ出したいところだが、肝心の馬が相当に疲れている。タダでさえ一日以上動きっぱなしでロクに休めていないのだ。言葉こそ話せないが無理を押しているのが見え見えである。
なのに泣き言一つ言わずに自分に従ってくれている愛馬の首を、そっと撫でてやるガン=スミス。
そもそも森を出たとしても、こんなにも煌々と満月の光が照らしている状況では逃げ切るのは難しいだろう。そもそもここで逃げては何の為にわざわざこの国まで来たのか判らなくなる。
相変わらず黙ったまま馬の隣を歩くジュンは、生まれ育ったのと同じ様な森だからか、町の中よりも幾分落ち着いているように見える。
《本音を言うんなら、とっととメシ食って寝てぇぜ》
ガン=スミスが独り言のように呟く。だがその言葉は早く脱出したいという気持ちだけではない気がしていたスオーラがその事を問うと、
《馬ってのはある程度夜目が利く。理屈や構造はサッパリだが、夜行性の動物みてぇに目が光るんだよ》
スオーラが後ろから馬の頭の横についた眼を見ると、確かにうっすら光っているように見えなくもない。以前真夜中に見かけた猫の目が光っていたのを見た事がある。あんな感じだろう。
確かに馬の目の網膜の後ろにはタペタムという物がある。入ってきた光を反射する反射板にあたる物であり、その反射した光が夜中でも物を見る助けとなり、目が光っているように見える原因である。
そんな理屈や構造を知らなくても夜目が利く事を把握している辺り、さすがは馬と共に暮らしてきたガンマンである。
「こんな暗い中では、小さな光でも目印になってしまいますね」
スオーラは持ち前の頭のよさからガン=スミスが言いたい事を素早く読み取る。いくらこちらが明かりなしで動いていても、この目を目印にされたのでは意味がない。
「変。あの木」
唐突に口を開いたジュンが馬の首をポンと叩いてから駆け出した。すると馬はそれに答えるようにピタリと歩みを止めた。それに驚いたガン=スミスはジュンに向かって小声で、
《おいガキ。いきなりナニ……》
ガン=スミスの視界には、十数メートル先に大きくそびえ立つ巨木があり、それを目印にするかのように道が二股に分かれていた。
その巨木には二人くらいの人間がスッポリ入って一夜を過ごせそうな、大きなウロが空いている。とはいえウロの中は湿っているのが相場であり、本当に一夜を過ごすつもりはない。
ここで休むとか言い出すのでは。ガン=スミスの脳裏にそんな考えがよぎった時だった。
何と。ウロの中から一人の人間が飛び出してきたのである。大きな布を頭からスッポリ被った様なローブ姿なので詳細は判らないが、その右手にはわざわざ刃を黒く塗った短剣が握られていた。
それは少しでも光を反射しないように工夫された物であり、そんな物を持って夜の森をうろつくなど、狩人でもやる訳がない。
そんな理由や理屈を知らなくとも、ジュンは飛びかかってきたそんな謎の人物をあっという間に組み伏せ、悲鳴を上げさせる間も与えずに首を極め、気絶させてしまった。
それはまさしく一瞬の早業。森の中で原始的な生活を続けてきた中で培われた狩りの技術である。
《どうした、一体?》
ガン=スミスは自分の前に跨がるスオーラに気を使いながら馬を下り、ジュンの元へ駆ける。スオーラは一体何が起こったのか全く判らないでいる。
「コイツ、出てきた。ここから」
ジュンが指を差したのは分かれ道に立つ巨木だ。ここに大きなウロがあるのは判っているが、ここに隠れていたのだろうか。そんな気配はなかったのだが。
ガン=スミスは注意深くウロの中に頭を突っ込んで見回してみた。するとウロの床面に積もった土や落ち葉が変に一方に追いやられていた。
理由が判った。ここの床に「隠し扉」があったのだ。ガン=スミスはゆっくり、そしてそっと開けてみる。人間一人がどうにか上り下りできそうな粗末なはしごが備えつけられた細い穴が地下深くに伸びていたのである。
当然自然にできた物ではない。明らかに人間が掘った物である。
《まるで秘密の脱出路だな》
意識しないで出た言葉だが、そうとしか思えない雰囲気である。
しかしこんな抜け穴を使ってまでここへ来て、自分達を襲ってきた。不文律をあまりに無視したこのやり方は非常にうさん臭い。この追いかけられている状況ではそう考えてしまうのも仕方ないだろう。
本音を言うならここから乗り込んで調べたいところだが、そんな余裕はない。
わざわざこんな手の込んだ真似をする追っ手の「秘密の脱出路」がここ一つだけの筈がない。こんな脱出路を駆使して人海戦術を繰り出されたら、さすがにどうにもできずに捕まるだけである。
《この蓋の上にそいつ乗せとけ。時間稼ぎくれぇにはなるだろ》
ガン=スミスはジュンが気絶させた男と、ウロの床を指差した。するとジュンも同じ事を思いついたらしく、まるでいたずらっ子の様な笑顔で男をひょいと持ち上げて、ウロの中に放り込む。
小柄で細身の身体から信じられない怪力振りを発揮するジュン。しかしジュンは自分もウロの中に入ると、そこでしばらくごそごそと何やらしていた。
「あ、あの、ジュン様。急いでここを離れる方がよろしいのでは?」
育ちのよさかこんな状況でも丁寧な言葉遣いを忘れないスオーラが、いささか心配そうに周囲を警戒している。だが今のスオーラにはジュンやガン=スミスの様な常人離れした能力がない。不意をつかれたらそれまでである。
ウロの中から出てきたジュンが持っていたのは、おそらく男の装備品であろう外套やナイフ、それから小さな袋がいくつか。それを見せびらかすようにしながら、
「獲物」
「……ジュン様」
森の中で原始的な生活をしてきたジュンにしてみれば狩りの獲物から角や皮を取ったようなものなのだが、さすがに相手が人間では強盗にしか見えない。ジュンの誇らしげな笑顔を前にスオーラは何も言えないでいた。
文化習慣の違いが大きすぎて。

<つづく>


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