トガった彼女をブン回せっ! 第31話その2
『このガキに一言言ってやってくれ』

「ゲミルディエ・アッポ・プオルゾ」
仮住まいとなっている寮の入口に折り目正しく立っていた白いスーツ姿の男が、スオーラにうやうやしい態度で会釈して出迎えた。
このパエーゼ国の第一王子パエーゼ・インファンテ・プリンチペ。現在は解消してしまっているが、かつては婚約関係にあった間柄である。
その理由も決して仲違いではなく、スオーラがエッセとの戦いに集中するため。そのため解消をした今でも「王子の婚約者」として接してくる者も少なくはない。
その王子が言ったのは、いわゆる新年の挨拶の決まり文句である。
遥か昔の言語が由来ではあるのだが、現代となっては単語の意味はほとんど知られていない。「新しい年ではこう言うものだ」というのを話しているだけとなってしまっている。
「ゲミルディエ・アッポ・プオルゾ」
スオーラも彼以上にうやうやしく会釈をし、返礼をした。
「お祭りの最中に済まなかったね」
多少の人の目はあるが、公的な場でないためか、王子の言葉遣いがいささか砕けている。
「午後からすぐにラント国に向かわねばならなくなってね」
ラント国というのは、ここパエーゼ国から遥か遠く離れた工業大国だ。
隣のペイ国は軍事国家として知られているが、その軍事力を支えているのは遠く離れたラント国の工業力のおかげとも言われている程なのである。
そのくらい工業分野においては群を抜いて発達している国であると同時に、ジェズ教の影響が少ない国でもある。
一国の王子がこの祭りの最中に、そんな遠い他国へ行かねばならない、重大な理由でもあるのだろう。
しかしそれはスオーラが聞いていい事ではないのだろう。政治に口を出す聖職者が喜ばれないのは、宗教国家であっても変わるまい。
「その国に伝わっている魔導書が、君の物と同じらしいんだ。ようやく譲ってもらう段取りがついたんだよ。本当なら君を連れて行きたいのだが、聖職者たる君がこの祭りの間国を離れる訳にもいかないだろう? だからわたしが行ってくるんだ」
スオーラの魔法は魔導書のページを破り取る事で、そこに書かれた魔法を具現化するもの。彼女は彼女専用の魔導書を使った、このやり方でしか魔法を発動できない。
しかし同じ方法で使う魔導書の魔法を自分の本に移植できるのは、過去一度経験済である。使える魔法が増えるのは確かに心強い。だが。
「で、ですが。そのような用件であれば、なおさらわたくしが行かなければ……」
「いや。このくらいの『おつかい』ができずして、何が王子だ。ここはわたしに任せて欲しい」
スオーラの言葉を遮るようにして王子が言葉を被せた。本当は相手の言葉を遮るように発言するのは、このパエーゼ国では失礼とされている。
だがそうでもしないと自分の強い意志、気持ちをスオーラに伝えられない。彼はそう考えていた。
「それに、その旅路の途中で万が一エッセが現われたらどうするんだ。聞けば祭りの序盤にもエッセが現われていたそうじゃないか。君はここにいるべきだ」
そこまで言われては、スオーラに言い返す言葉はない。少々不満はあるが彼に任せる事に決めた。
「それで、出発はいつなのでしょうか。せめてお見送りくらいは」
「それは不要。君は祭りに専念して下さい」
王子の方がまたうやうやしく頭を下げると、早歩きで去って行った。本当にすぐにでも出発するつもりのようだ。
本当ならこうしたメッセンジャーの様な真似はしないだろう。こんな仕事は部下に任せても良い筈だ。
きっと直接会って言いたかったのだろう。こうしたメッセージは誰かに任せるのと自分で直接言うのとでは、相手に対する伝わり方が段違いであるからして。
スオーラがそんな風に思いながら王子の背中を見送っていた。
そして。その一部始終を見ていた、この寮暮らしでスオーラを良く知る何人かの聖職者達は、
(絶対殿下の意思が正確に伝わってない)
と思っていた。


《新しい年、かぁ》
パエーゼ国の言葉ではない母国語で呟いたのは、ガンマンのガン=スミス・スタップ・アープである。
彼はこの国の住人ではない。いや、正確にはこの世界の住人ではない、である。もっと正確に言うなら、厳密には彼ですらない。「彼女」である。
実はガン=スミスは昭士と同じ地球の出身。それも二百年は昔のアメリカ人。大開拓時代の保安官である。
地球とオルトラ世界で姿形が変わってしまった結果、地球では男性、オルトラ世界では女性の肉体になってしまったのである。もっともスタイルの方は正直良くないので、女性と見られる事は少ない。
そんなガン=スミスも彼等と同じく、エッセと戦う戦士の証であるムータを持っている。
ムータの力で世界を飛び越えてオルトラ世界へ来てしまい、さらに魔法的な事故に巻き込まれ二百年未来の時間=現代へと飛ばされてしまっている。
その意味では時代と世界の違いによる常識のズレがかなりひどいため、町の人々と衝突する事もしばしばである。
そんなガン=スミスはあてがわれた安宿の窓から、祭りで賑わう通りを見下ろしていた。
《新しい年、かぁ》
再び同じ言葉を呟くと、チョッキのポケットからムータを取り出す。
だが彼(彼女?)のムータは裏面に(表かもしれないが)大きな傷がついてしまっており、昭士やスオーラと違って二つの世界を行き来する事は、もうできなくなっている。
だからこそ、そんなムータを見つつ、戻る事叶わなくなった故郷を懐かしんでいた。
彼の故郷アメリカも、オルトラ世界とは文化風習が違うとはいえ新年を祝う風習は確かにある。しかし新年以上にその直前にあるクリスマスの方を大きく、盛大に祝う。
その違いへの違和感はそれなりに無くなった気はしているが、無くなった訳では当然ない。
ガン=スミスは窓から見える広場に立つ大きな人形を見た。この国で広く信仰されているジェズ教の神の人形との事だ。その辺も祭りに関する違和感の原因の一つだろう。
もちろん場所が変われば祭りの様相が変わっても何の不思議もないが、それでも違和感は違和感だ。
そして。ガン=スミスがそれ以上の「違和感」を感じているのはこの室内である。正確には違和感ではなく「異物感」だが。
それは安宿の個室の隅にうずくまって寝ている人物だ。
手入れのなされていないボサボサの白い長髪。大きな布の中央に穴を開けただけの貫頭衣という簡素で薄汚れた服。年の頃なら十四、五歳という、自分の半分くらいの年齢のジュンという名の少女である。
肉体的にはどうあれ、ガン=スミスの中身は一介の中年男性である。普通なら見知っているとはいえ、そんな人物とこんな少女を同室には泊まらせないだろう。
だがその少女の肌は日焼けとは違う褐色をしていた。そう。人種的には黒人と呼ばれるものだ。一方のガン=スミスは典型的な白人種。
特にガン=スミスが暮らしていた時代は白人以外の人間は一段も二段も劣る存在、いや、人間の形をした別種の道具とまで言い切る人が普通にいた。そんな時代である。
いくら世界と時間を超えたとはいえ、異なっていると判っているとはいえ、それが「普通」であった自分の考えや習慣はなかなか変わらない。ガン=スミスが町の人々と衝突する大きな理由の一つであった。
ジュンが生まれ育ったのは深い森の中にあり、未だ原始的で非文明的な生活を営んでいる女性ばかりの小さな村。外部の人間達がヴィラーゴと呼んでいる村落である。
村では一番の怪力を持った戦士との事だが、この小柄で華奢な体つきからは到底信じられない。怪力を目の前で発揮されたとしても。
言動も年齢以上に子供すぎて、とてもじゃないが「女性」とも思えない。
むしろ構って、そして遊んで欲しそうな態度の方が多いので、動物の雌と言った方が遥かに近いだろうと、ガン=スミスは本気で思っている。
(ペット……)
他の人間が聞いたら激怒しかしないであろう感想がガン=スミスの胸中に浮かんだ。
《いつまで寝てんだ、起きやがれコラ》
靴の爪先で腕なり足なりをコツコツつついて起こそうとし、何となく足を引っ込めた。
『他人を足蹴にする者はやがて自分も足蹴にされる』。
顔見知りのジェズ教聖職者が言った言葉が思い浮かぶ。
たまたまではあるが近い状況になった事もある。そしてたまたまでもそんなのは二度と御免である。
ぶぉぉぉん。ぶぉぉぉん。ぶぉぉぉん。
突然の、空気を震わせる低く鈍い音。その音が鳴った瞬間、今まで寝ていたジュンがガバッと飛び起きた。
音の発生源は、さっきから手に持ったままのムータである。それが青白く点滅しながら低い音を発している。
[……じょうがねぇ。でめぇもどっどど来やがれ!]
だいぶ聞き取りにくい発音のオルトラ世界の言葉でジュンに向かって怒鳴ると、彼女に構わず部屋を飛び出した。もちろん訳が判らないままだがジュンもその後に続く。
この音はエッセが出現した合図である。ただし、世界のどこに出現したかまでは判らないし、どこの世界に出現したのかも判らない。
だがスオーラなら違う。どこで手に入れたのかは判らないものの世界のどこに現われたのかが判る機械を持っている。
近場なら仕方ないが、もし現われたのが遠くの地であるなら自分が行かねばならない。その思いで自分の安宿からスオーラのいる寮まで駆けて行く。
……と言いたいところなのだが、新しい年の朝を迎えたという事でどこの通りも大混雑。人々は口々に謎の言葉「ゲミルディエ・アッポ・プオルゾ」を発し合っていてとてもじゃないが通るだけでも精一杯だ。
エッセと戦う戦士として、自分の身に備わった「異能力」とも言うべき力は遠くを見据える「視力」である。こんな状況では視力など何の役にも立たないのに。
せめてスオーラの様な瞬発力・跳躍力があれば。ガン=スミスがそう思ったのは当然である。
一方のジュンの方はというと、スオーラ程ではないが瞬発力や跳躍力はある。そして何より優れた身体能力と筋力がある。
ジュンはガン=スミスの襟首を鷲掴みにすると、そのままぴょんとジャンプ。同時に空中で背に担ぐようにすると、建物の壁を「駆け上がり」出したのである。
異能力たる超視力でよく見てみると、ジュンは裸足の指先を窓枠に引っかけ、それを足場に上へ上へと駆け上がっているのだ。まるで壁の上を走っているかのようだ。
この重力に逆らった駆け足に面食らうガン=スミス。当たり前である。それに加えて、まさか身長六フィート(一八三センチ)の自分を身長五フィート(一五〇センチ)のジュンが軽々と担ぐとも思っていなかった。
《このガキ、何しやが……やめろ、オイ!》
ジュンが判らない母国語の方で怒鳴るのでもちろん通じない。ガン=スミスはぶらんぶらんと激しく揺さぶられながら建物の屋根に運ばれていく。
当然、通りにいた人々全員が、その異常な光景を目撃している。こんな風に注目を浴びるなど、当然ガン=スミスは望んでいない。
そして。屋根まで運ばれたガン=スミスは、襟首を掴まれた体勢のまま振り回されつつ、地上からの注目を異常に集めて引きずられていった。
……そんな状態で寮の前に現われたジュンとガン=スミスを見たスオーラが面食らったのは、もちろん言うまでもない。


《レディ。このガキに一言言ってやってくれ》
外見はともかく中身が中年男性のガン=スミスは、スオーラの前ではやっぱり格好つけたがる。この世界での姿はもちろん、エッセと戦う時の変身した大人の姿の方なら特に。
だからジュン相手と違って言葉遣いもいささか丁寧である。ガン=スミスは掴まれて引っぱられた襟首を直しながら、
《それで、今回はどこに現われやがったんだ?》
おそらく一言は言わないだろうな、と踏んだガン=スミスは早速本題を切り出した。
スオーラが手に持っている板状のアイテムは「かぁなび」という機械らしい。この機械に地図やエッセが現われた場所も映し出す事ができると聞いている。
少なくともガン=スミスが暮らしていた時代はもちろん、この現代のオルトラ世界にも存在しないものである。
しかしそれでも使う事はできる。スオーラは色々と操作しながら、
「あちらの世界の『サハラ砂漠』という場所のようです。ご存知でしょうか?」
《いや。少なくともイリノイにはねぇな》
このオルトラ世界の人間のスオーラに構わず、ガン=スミスは母国語(英語)で答える。これはムータを持つ者同士なら違う言語で話しても意思の疎通に問題はないからだ。
ジュンにはガン=スミスの英語は判らないのできょとんとした顔で見上げている。しかし反応がないので、全く判らないながらもスオーラの持つカーナビの画面を黙って見ていた。
邪魔をしないだけ有難いと、ガン=スミスは話を続ける。
《それよりいつもの東洋人はどうしたんだよ。来てねぇじゃねぇか。地球の事ならえぇ(あい)つにやらせろよ》
いつもの東洋人とは昭士の事である。妹のいぶきの方は大剣の姿でしか知らないので今一つ「人間」という意識が薄いのだ。
「アキシ様は……急性アルコール中毒という病気で入院が必要だそうです」
《アルコール……酒か。ナニやってんだよあのバカ》
スオーラの答えにガン=スミスは呆れて肩を落とした。
《ったく。これじゃ先遣隊もやれそうにねぇな。役立たずじゃねぇか》
言い方はともかく、ガン=スミスの言い分は判る。
この中で唯一地球で身動きが取れるスオーラが気軽に世界を移動できる状況でないなら、地球にいる昭士が対処するべきだろう。
たとえ倒せずとも、どんなエッセなのかの情報くらいは現地で集めるべきだ。その考えは判るだけに、今回ばかりはガン=スミスの物言いに文句を言わないスオーラ。
《そうなると……いや》
ガン=スミスはそこで何かを言いかけて言葉を濁した。だがすぐに思い直したかのように、
《レディ。今から地球に行って、えぇ(あい)つ治して戻って来れるか?》
スオーラは黙って指を折って数え始める。そして暗い表情で肩を落とすと、
「残念ですが、時間がありません。あと半日もしないうちに、次の儀式が始まります」
《エッセが出たんだ。特例とか何だかでどうにかならねぇか?》
「それはそうなのですが……」
何とかしようと詰め寄ってくるガン=スミスに、スオーラは本当に申し訳なさそうな顔でそう答える。
スオーラがエッセと戦える戦士だというのは、この国に知らぬ者はいない。エッセが出たと言えばそうした宗教儀礼も抜け出せる可能性は高い。
しかし「この世界に」現われた訳ではない。
ただでさえジェズ教教徒以外の人間がオルトラ世界を救うという構図が気に入らないという聖職者達が、実は割といるのだ。そんな人々が素直に送り出してくれそうにない気がしている。
人々を救うのがこうした宗教の役目であろうに。結局は自分達=信者達が一番大事なのだ。
信者を大事にするのは判るのだが、時と場合という言葉も理解して欲しい。
「そうですねぇ。その辺が宗教屋の融通の利かないところですねぇ」
そんな声が聞こえた方向に、スオーラとガン=スミスが顔を向けるが、そこには誰もいない。
だが二人揃って後ろから肩を叩かれたのでそちらを振り向くと、そこに立っていたのはスオーラと同じ僧服に身を包んだ、見た事もない女性だった。
彼女は肩で切り揃えた銀髪をさらりとかきあげながら、
「今回も仕方なくやって参りました」
「……! もしや以前お会いしたマシコミワ、様ですか」
一瞬「様」をつけようか迷った間が空いた。それもその筈。この益子美和(ましこみわ)という人物は盗賊なのだ。
このパエーゼ国の隣国の一つ・サッビアレーナ国。そこで現在でも伝説と謳われる義賊・マージコ盗賊団最後の団長。
義賊とはいえ盗みを生業とする盗賊は、聖職者であるスオーラと保安官であったガン=スミスからすれば正反対の存在。
しかし以前から情報という面で幾度も助けられており、しかも先日スオーラは重傷を負った身体を治してもらってもいる。
その辺りのギャップから「様」つけを悩んでしまったのである。
《泥棒の大将が、一体何の用なんだ?》
ガン=スミスは美和が盗賊団の団長だった事を知っている。もっともその時はビーヴァ・マージコと名乗っていた。そもそも益子美和という名前自体がビーヴァ・マージコを日本語調にもじったものだが。
「言ったでしょう。『仕方なくやって来た』と」
美和の盗賊としてのポリシーは「影に徹する事」。こうして皆の前に姿をさらす事を良しとしていない。それは既に皆に言ってある。
「……ひょっとしてアキシ様が入院されたからですか」
「ご名答。急性アルコール中毒です。意識は回復しましたが、すぐに退院とは行かないそうです」
美和は地球では昭士といぶきの学校の先輩という身分も持っている。
その身分と盗賊としての能力を使い分けて様々な情報収集を行っては、主に昭士にそれを伝えてくれる。正反対の存在であるスオーラやガン=スミスには極力顔を合わせないように。
だが最近はそうでもなくなってきている。現にこうして変装しているとはいえ姿を見せるのだから。
「今ジェーニオに調べてもらっています。地球のサハラ砂漠は、日本から約一万キロ離れてますが、電波に乗っていけばそれこそすぐですし」
ジェーニオというのは美和の盗賊団時代配下にしていた精霊である。オルトラ世界では右半分が女性で左半分が男性という姿だが、地球では男女別の個体の姿をとる。
しかも電波や電子機器との相性が良く、地球ではインターネット回線へも侵入し電脳世界でも様々な活動が可能という、まさしく人外の力をたくさん持っている。
「ですがサハラ砂漠は東西に約五千キロメートル、南北に約二千キロメートルという広大な面積。さしものジェーニオもその中にいる一体のエッセを探すのは、さすがに時間がかかります」
エッセは何かの生物の姿形をとる。その際オリジナルとなった生物より巨大になるケースが圧倒的に多いが、もしもずっと小さくなっていたら、いや、通常サイズだったとしても、そんな広大な面積の中から一体のエッセを探し出すのはいかに精霊といえども難しいのはすぐに判る。
難しい顔で黙ってしまったガン=スミスを見た美和は、
「どんなエッセなのか気になりますか?」
そう訊ねられたガン=スミスは「違う違う」と前置きをして、
《そうじゃねぇよ。キロメートルで言われてもピンとこねぇだけだ》
確かにアメリカでは昔からヤード・ポンド法の単位が使われているので、メートル法の単位で言われても判るまい。
「だいたいアメリカ合衆国全体より少し小さいくらいの大きさですよ」
そんなぼやきに美和がすかさず解説を入れる。スオーラにはピンと来ないがアメリカ人のガン=スミスにはこれ以上判りやすい説明はないだろう。
事実呆気に取られた顔で黙ってしまっている。そんな広大な砂漠でどうしろと言うのか。目がそんな風に語っている。
だが今回ばかりはガン=スミスの出番はない。地球へ行く事ができないからである。
出番があるとすれば、地球ではなくオルトラ世界の方に出現した時だ。実際二つの世界に交互に現われた例は数多い。
しかも現われる時には前回の出現位置からさして離れていない場所に現われる。出現位置さえ判ってしまえば、たとえ一度の戦いで倒せなくとも、待ち構えて迎撃する事はいくらでも可能である。
加えて地球とオルトラ世界はある意味で繋がっていると言っていい。例えば地図上で同じ位置と判っている場所から東に十キロ移動した位置から地球に行ったとすれば、あちらでも東に十キロ移動した地点に出現する。
今のガン=スミスにできるのは、地球のサハラ砂漠と呼ばれる場所はオルトラ世界ではどんな場所なのかを知る事である。そこにいればオルトラ世界側にエッセが現われた際に素早く対応できるだろう。
もちろんこの考えだけを聞けば、荒唐無稽すぎてメチャクチャだという意見が帰って来るに違いない。この世界で一万キロメートルもの距離を移動するには、空でも飛ばない限り何ヶ月もかかるのだから。
しかしガン=スミスには切り札がある。
この町の牧場にいる愛馬・ウリラの力を借りるのである。ガン=スミスの持つムータは、相棒たる愛馬を天駆けるペガサスへと変身させる事ができるのだ。
その翼をもってすれば、さっき言っていた一万キロメートルなど文字通りひとっ飛びに違いないと。
だが一応美和に聞いてみた。
《おい大将。さっき言っていた一万キロメートルってのは何マイルになる?》
彼女は無言になり、頭の中で暗算する様な間を空けてから、
「六二〇〇マイルですかね。大雑把ですが」
《……判った。何とかなるだろ》
自分の想像よりずっと長かった事に溜め息が出そうになったが、今さら引っ込めるのもカッコが悪いと、そう強がってみせた。
「乗るのか。馬」
《ダメだ》
今まで黙っていたジュンが、目をキラキラとさせてガン=スミスに訊ねるが、ガン=スミスはジュンの言葉はよく判らない。だがそれでも頼みを聞き入れる気はないと、即座に突っぱねた。
ジュンもガン=スミスの言葉はよく判らないが、それでも断わられた事は判ったらしく頬を膨らませてむくれている。
スオーラがガン=スミスに何か言おうとした時、美和がどこからかスマートフォンを取り出した。何となくそちらに視線を向けてしまう。
するとスマートフォンの画面から精霊のジェーニオが姿を現わしたのだ。もちろんオルトラ世界なので半分男で半分女の姿で。
身体同様男女二つが混ざった声が告げたのは、
“不味いぞ。角田昭士が病院を飛び出した”
“不味いぞ。角田昭士が病院を飛び出した”
とんでもない内容だった。

<つづく>


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