トガった彼女をブン回せっ! 第31話その1
『とっとと死ンでくれないかしらねー』

年が明けた。この日本では新しい年の始めを「お正月」と称して祝う風習がある。
そして日本のお祝いの席には、たいがい酒がつきものである。
日本の法律では二十歳未満の飲酒は禁止とされているが、この時期だけはこっそり飲んだり親などに大目に見てもらうケースも往々にしてある。
だから、二十歳未満の人間が飲み慣れない(筈だ)アルコールを飲んで病院に運ばれるケースも、往々にしてある。
現役男子高校生の角田昭士(かくたあきし)も、正月早々そんな理由で病院に運び込まれた人間の一人である。
とはいえ、彼の場合は自分から飲んだ訳でもないし、年長者に「一杯くらい良いだろう」と勧められた訳でもない。
元凶は彼の双子の妹・いぶきである。兄とは反りが合わない・馬が合わないというレベルを超えた、とにかく「合わない」人間である。
そんな彼女は彼を転ばせて倒すと、酒瓶の口を喉深くにまで突っ込んで、無理矢理飲ませたのである。流し込んだの方がより正確かもしれないが。
しかも世界で一番アルコール度数が高いと云われているウォッカ・スピリタスを。
同じく未成年の彼女がどうやってこれを手に入れたのかは、黙している為判らない。両親や祖父の怒髪天を突く怒りのお説教を、あくび混じりにしれっと聞き流したまま黙秘を貫いている。
当然アルコール度数の高い酒をそんな風に飲まされて無事で済む筈もなく。昭士は急性アルコール中毒で病院送りになったというのが真相だ。
急性アルコール中毒に治療薬や特効薬は基本的にない。時間が経って身体からアルコールが抜けるのを待つしかない。
この時注意しなければならないのが呼吸の確保と体温の維持である。特に呼吸は、酔った拍子に吐いた物が喉に詰まって窒息するケースも多いので油断ができない。
集中治療室に運ばれ未だ予断を許さぬ状態の中、相変わらずのお説教をうんざりした表情で聞かされているいぶきは、
(とっとと死ンでくれないかしらねー)
程度の事しか考えていない。それがたとえ口から漏れていたとしても、いぶきは常々兄に対してはそうとしか思っていないので、この兄妹を知る者なら驚きはしない。
効果があるのか疑わしいお説教が続く中、祖父であり警察署の署長でもある所 修伍(ところしゅうご)の携帯電話が鳴った。もちろん病院内ゆえマナーモードにしてあったのでホントに音が鳴った訳ではないが。
さすがにこの場で電話に出る訳に行くまいと、出ても問題なさそうなロビーまで小走りで駆けて行く。
そのためにわずかだけお説教が中断した。いぶきはやれやれと溜め息をつきたそうにその場にしゃがむと、すぐ後ろの壁にもたれかかり、大あくびをする。
「とっとと死ンでくれないかしらねー」
クセのある発音でさっき思っていた事を口に出すいぶき。もちろん大声ではないが、しんと静まり返った病院の廊下である。この場の誰にも聞こえていた。
両親は怒りたかったがこの十五年あまり言い続けているにも関わらず、全く改まる様子がないので睨みつけるだけにしていた。大声を出さなかったのは、ここが病院という事もあるだろうが。
そこへバタバタと慌ただしくやって来た人影があった。一人はコート姿の女性で、もう一人は制服の上からロングコートを着た男性警察官である。
「あ、あ、あ、あの、昭士くんが救急車で運ばれたと聞いてきたので」
コートの女性・桜田富恵(さくらだとみえ)が大声を出しそうになり、ここが病院という事で慌てて声を潜めて両親に訊ねる。
「今度は何があったんですか!?」
同じく小声ではあるが、かなり焦った様子で男性警察官も両親に訊ねる。
両親はしゃがんでいるいぶきを見てから、
「いぶきのヤツが、昭士にウォッカを飲ませてしまいまして」
「ウォッカ……!?」
男性警察官の方がポカンとした顔でいぶきの方を見る。それから「またか」と溜め息をついていぶきの前に立ち、ゆっくりしゃがんで、
「これで何度目だよ、ここ数ヶ月だけでも二桁じゃきかないだろ」
「……鳥か。どうでもいいでしょ」
男性警察官の名前は鳥居(とりい)というので「鳥」と呼ぶのは判るが、あだ名としてはあんまりな言い方とセンスである。
鳥居との付き合いはもう十年以上にもなり、そのほとんどがいぶきが起こした騒ぎに関するものだ。
いぶきは世間一般的に言われる「不良少女」というのとは少し違う。ともかく相手を怒らせたり敵を作る事に天賦の才と生き甲斐でもあるかのような、誰に対しても自己中心的で傍若無人な振る舞いしかしていないのだ。
加えていぶきには「たとえ見えていなくとも、周囲の動きを超スローモーションで把握できる」という超能力としか思えない能力が生まれつきあったらしく、その力をフル活用して戦っていたのである。
そのためケンカになれば相手の急所を攻撃して障害が残る程のケガを負わせ、あまりに敵を作り過ぎて町のヤクザ者まで敵に回し、町のほとんどの店から出入り禁止処分を受けたりと、悪い意味での有名人なのが角田いぶきという人間である。
一応現在は例外基準が設けられ、彼女が何か壊したりケガをさせた場合には少年法で守らず彼女自身に弁償・責を負わせるという条例ができている。
もちろんそんな条例程度で彼女の態度が改まる事は全くなく。条例施行数ヶ月経たずに被害総額は億を超え、とうとう警察や刑務所ですら彼女との関与を拒否しだした。
しかし責はともかく、弁償の方は数日と経たずに相手の口座に請求額以上の金が振り込まれているので、傍若無人な態度そのままにほとんど放置するしかない有様なのである。
もちろんこんな親族がいる警察署長の祖父の肩身は狭いなんてものではない。幾度となく「そんな身内がいるとは」と影に日向に嫌味を言われ続けている。
しかしここまで来ると祖父は逆に周囲の人間に同情されているらしい。本心は判らないが。その辺りが祖父の警察官としてのプライドをもいたく傷つけている。
そんな祖父が携帯電話片手に歩いて戻って来る。その表情は非常に不機嫌なのが一目で判るレベル。正月早々警察署長に連絡しなければならない様な大きな事件でもあったのだろうか。
「いぶき。昭士に飲ませたウォッカ、どうやって手に入れた?」
遥か昔の昭和の時代ならいざ知らず、現在はたとえ親のお使いであっても未成年に酒を売る事はできない。それ以前にほとんどの店で出入り禁止処分を受けているいぶきが店で物を買える筈がないのだ。
出入り禁止処分の範囲外にある店でこっそり買ったくらいしか考えられないのだが、そんな時間はこのところ全くなかった筈。
「どうだっていいでしょ、そンなの。くっだらない」
祖父と視線を合わせようともせず、心底興味なさそうにぼそっと答える。
「どーせ死ンだってすぐ生き返るンだから、サンドバッグにするくらい良いじゃない。ホントは死にっぱなしになって欲しいンだけど」
いぶきの愚痴には当然理由がある。それを説明するには昨年の四月にまで遡らねばならない。
昨年四月。つまり昭士といぶきが高校一年生になったばかりの頃。何と、異世界から謎の侵略者が襲ってくるというマンガかアニメの様な事態が本当に起きたのである。
何らかの生物を模した姿をし、全身を金属光沢を放つ何かで覆い、生物を金属に変えてしまうガスを吐き、そうして金属に変えた生物のみを捕食する、謎の存在。名前はエッセ。
その時に侵略者と戦う事になってしまったのが兄の昭士である。
一方いぶきは昭士が使う巨大な刀剣「戦乙女(いくさおとめ)の剣」に変身。その武器を振るって侵略者と戦い続けてきたのである。
戦いを経て二人とも少しずつ変化を遂げ、何と昭士はゲームのようにセーブが可能になっており、死んだとしてもセーブした状態からやり直せるようになったのだ。
とはいえ死ねば文字通り死ぬ程痛い。生き返れると判っていてもそんな痛みなど感じたくもないと、死ぬ事を前提とした行動はもちろんやっていない。
そもそもその「セーブ」がいつまで可能なのか。どのくらい正確に「セーブ」されているのかが判りようがないのが怖いという理由もある。
いぶきは「どうせ死なないからいいだろ」と剣にされている恨みを晴らすと言わんばかりに暴力行動に拍車がかかっている。
剣になっていてもいぶきの意識と五感は健在なので、叩きつけられれば当然痛い。しかし彼女が恨んでいるのはその点ではない。
いぶきにとって「誰かの為に何かをする」「誰かを助ける」という言動は、そんな事をするくらいなら死んだ方が遥かにマシと言い切る嫌悪すべき物なのである。いかなる報酬があろうともその考えが揺らぐ事はあり得ないくらいに。
そんな事を強制的にやらされている恨みつらみが、いぶきを昭士に対する暴力行動に走らせる最大の原因と言っていい。
とはいえ。侵略者に一番効果的な武器であるが故に、いぶきがどれだけ嫌がろうが「剣」をやって貰わねばならないのだが。
そして昭士こそ、その剣を使える唯一の存在。それゆえいぶきの暴力行為――を突き抜けた殺害行為ががやむ事はおそらくない。
昭士が運ばれた集中治療室から、手術着の医師が重い足取りで出てきた。昭士の治療を担当していたかは判らないが、いぶき以外の人間の視線がその医師に集中する。
するとその医師は皆に軽く会釈して歩き去って行く。どうやら違ったらしい。ホッとした様な、そしてまだ結果が判らない不安感とが入り交じった視線が、集中治療室の扉に向かう。
するとそこからもう一人医師が出てきた。その医師はまっすぐ彼等の元に歩いてくると笑顔を見せて、
「……大丈夫です。峠は越えました」
その言葉にいぶきを除く全員がホッと安堵の息を漏らす。もちろんいぶきは露骨な舌打ちで苦々しい表情だ。
医師は下から聞こえてきたいぶきの舌打ちに一瞬だけ視線を向けると、
「ですが、さすがに少し入院が必要です。入院の手続きをお願い致します」
昭士の両親は入院の手続きのため医師と共に去って行く。いぶきの「暴力」が原因でこうした事は何度もあったので、慣れたものである。
ここに残った祖父・鳥居・富恵の三人はブツブツ呪う様な文句を言い続けているいぶきを見下ろしている。奇しくも全員が警察官である。
「未成年が酒を買って。未成年に酒を飲ませて。挙げ句の果てには死ぬ寸前の目に遭わせて入院させて。けれど警察署も刑務所も受け入れを拒否。どうしたものでしょうか」
鳥居があえて淡々と話す。目の前にいる昭士・いぶきの祖父は、鳥居とは違う警察署であるが、階級は祖父が遥かに上。一般的な「警察官」である鳥居は指示を仰ぐように彼に訊ねた。
「どこの署も刑務所も受け入れ拒否だからな。かといって無罪放免にできる訳もない」
「いい加減少しは懲りるとか、せめてバレないようにズル賢く立ち回るとか、して欲しいんですけどねぇ」
祖父修伍も富恵もいぶきを見下ろして聞こえるようにぼやいている。もちろんこんな事を言われた程度で改心などしない。それがいぶきという人間である。
「あの。やっぱり連絡した方がいいんでしょうねぇ、彼女に」
「そうだよなぁ」
富恵の提案に鳥居が同意する。そして富恵はスマートフォンを取り出してどこかにメールを送った。


いわゆる「異世界」と呼ばれる世界がある。
この地球とは異なるが、同じように人類などが住まう「世界」。それこそ無数に存在している。
その異世界を認識、知っている者はごくごく少数になるが、それでも確かに存在している。
そんな数ある異世界の一つに「オルトラ」と呼ばれている世界がある。この地球のように人類中心の社会が形成された世界である。
広いオルトラ世界にある国の一つにパエーゼ国という国がある。この世界で広く普及している宗教の一つ・ジェズ教を国教としている国の一つだ。
このパエーゼ国、いや、ジェズ教の信者達にとっては最大の祭りが開かれている最中なのである。
この祭りは「パヴァメ」と呼ばれ、ジェズ教の神とその神に仕える者達を祀る祭りで、一年最後の九日間と次の年最初の九日間をかけて行われる壮大な祭りだ。
このオルトラ世界の住人にしてジェズ教の托鉢僧という地位にあるモーナカ・ソレッラ・スオーラは、激動の昨年を胸中で振り返っていた。
昨年は謎だらけの侵略者・エッセと戦える存在となってしまった事で生活が激変してしまったのである。
謎の侵略者と戦える救世主と祭り上げられたのはもちろん、ただでさえ父親がジェズ教の最高責任者という事で世間のやっかみをも一心に受ける事となってしまった。
もちろん人類の危機である。表向きは国家や軍隊、ジェズ教教徒達の協力はあった。しかし同時にこれまでの生活へしわ寄せが行き、通っていた学校は早退・欠席が続いた為に辞める事になってしまった。
幼い頃から聖職者として人々の為に尽くす事と教育されてきたから、それらの活動そのものはあまり苦には感じていないものの、どこへ行っても「最高責任者の娘」「世界を救う救世主」と言われ続けるのは辛くないと言えば嘘になる。
人々の助けとなっている「喜び」と、言われなきやっかみを受け続ける「悲しみ」を心の奥底にしまい込み、自分と同じようにエッセと戦える人物を捜して別の世界へも行き来している時に出会ったのが角田昭士・いぶきの兄妹なのである。
昭士は剣士、いぶきは剣にと役割は違うがエッセと戦う者同士。世界が違うからか「最高責任者の娘」「世界を救う救世主」と尊敬ややっかみを受ける事もない。
昭士達の世界でも戦いがあるため拠点を持ったが、そこでも彼女の扱いは「異国から来たお嬢さん」以上のものはなく、本当に「素の」自分でいられる気がしていた。
そんな人々と出会ってもうすぐ一年になるが、もう十年来の仲間のように感じている。
文字通り住む世界は違えども、同じ人間。違う文化や考え方であっても通じ合う部分はキチンとある。自分が住むオルトラ世界は当然だが、彼らが住む世界も守りぬかねばならない。
一年の始め。日本でいう初日の出を迎えた。
祭りの為に作られたジェズ教の神々の像と祭壇、それに昇り始めた太陽に向かって誓いを立てるように人々が祈りを捧げる中、スオーラもそんな気持ちで神々の像を見つめていた。
そんな儀式の様な祈りの時間も終わり、一般の信者達が三々五々広場から散って行く。
スオーラは「最高責任者の娘」「世界を救う救世主」という事もあって、特別な時間こそ取らなかったが王侯貴族や権力者が面会を求めてきている事は聞いている。
しかし今は十八日間に及ぶ祭りの真っ最中。スオーラの信仰するジェズ教にとっては最大の祭り。その祭りの邪魔ができる度胸のある者は――たとえ王侯貴族であろうともいかなったようだ。
おかげで祭りの間のわずかな時間を何もしない休憩にあてる事ができていた。特に年が変わる瞬間から今までほとんど不眠不休だったためやはり眠い。そのため許可を貰って仮眠をとる事にしたのだ。
本当は階級的に最下層の托鉢僧たる彼女には、祭りの間色々な雑用が待っている。その辺りは「最高責任者の娘」「世界を救う救世主」という扱いで優遇されているせいかもしれないが。
祭りの間の仮住まいとなっている寮の個室に戻ったスオーラは、聖職者の制服の上着にしまったままの携帯電話を取り出した。
理由は判らないが、何故か地球の携帯電話が異世界であるオルトラ世界でも普通に使えてしまうのである。
地球では携帯電話(ガラケー)の形をしているが、このオルトラ世界ではゴツイ腕時計の形に変わっている。しかし機能は変わっていない。
世界が異なると、中身が変わらないのに姿形が変わってしまう現象は実体験を含めて良く理解している。彼女自身もオルトラ世界では中性的で小柄な少女だが、地球では背もグッと伸び、モデルもかくやという大人の体型に変化する。
そんな携帯電話には、メールの着信を知らせるメッセージが表示されていた。
メールの差出人は地球で知り合った女性警察官の桜田富恵である。スオーラは電話を操作してメールの中身を表示させた。
『昭士が急性アルコール中毒で入院』
そんな一文だけが書かれたメールである。しかも相当急いでいたのだろう、いつもは署名をつけるのだが本当にそれだけしか書かれていない。
「アルコール中毒、ですか」
昭士の住む国は、年齢が二十歳にならないと酒は飲めないと聞いていた。そして昭士もアルコールは全くダメと聞いている。お酒をたくさん使う料理がダメなのも知っている。
そんな人間が自分からお酒を飲むものだろうか、と首をかしげたが、思い浮かんだ理由が一つ。
妹のいぶきである。常々「死ンでくれないかな」と言っては、徹底して嫌い、殺すつもりで暴力すらふるっているのだ。飲めない酒を無理矢理飲ませた可能性は充分考えられる。
一方ジェズ教に酒を禁じる戒律はない。さらにパエーゼ国の法律では購入・飲酒に年齢制限もない。
もちろん飲み過ぎ・酔い過ぎは注意をされるが、それが原因で物を壊したり人を傷つけたりしなければ捕まる事もない。
スオーラはごくたまに少量飲む程度なので詳しくないし、そもそも地球と違ってアルコール度数の高い酒が、オルトラ世界には数少ない。だから急性アルコール中毒という症例が(地球よりは)少ない。だからピンと来ないのだ。
しかし「中毒」という言葉がいいイメージをもたらす事はない。スオーラは富恵の元に電話をかけた。
呼び出し音がいつもより長めになってから、富恵が電話に出た。
『ああ、スオーラさん? 良かった連絡がついて。お祭りの方はいいの?』
定期的に連絡を入れているので、富恵もスオーラの現状は把握している。
「は、はい。アキシ様が急性アルコール中毒になったと聞きましたが」
元々の育ちが良いのか、共に戦う昭士の事を様つきで呼ぶスオーラ。その呼び方にはやっぱり慣れないなぁと苦笑した富恵は、
『そうなのよ。いぶきさんがまたやらかして……。でも昭士くんは大丈夫。生きてるわ。さすがに少し入院が必要みたいだけど』
昭士が無事と聞いてスオーラが心底安堵する。まるで全身の力が抜けて行くような感覚に、備えつけのベッドにポスンと腰を下ろしてしまう。
「そうでしたか。ところで急性アルコール中毒というのは、どうすれば治るものでしょうか」
急性アルコール中毒というものがよく判っていない事を正直に述べたスオーラの言葉に、富恵も電話の向こうで少し考えるようにうなると、
『急性アルコール中毒は、時間を置くくらいしかないでしょうね。わたしはなった事がないし』
アルコールに極端に強かったり、キチンと考えて飲む人ならば、確かになる事はない。
『そっちもお祭りの最中だし、こっちに来るのは難しいと思うけど、彼が退院したらまた連絡するわね』
「はい、判りました。アキシ様にお大事にとお伝え下さい」
それで電話は切れた。スオーラは通話を切って、ゴツイ腕時計を上着のポケットにまたしまい込む。
(何をやっているのでしょうね、イブキ様は……)
そんな相手に対しても様つきで呼ぶスオーラ。その辺りが地球の人々から育ちが良いだの世間知らずだのとあれこれ言われる原因でもある。
そこで、部屋の中に涼やかな金属音が響いた。部屋の外に下がる紐に連動した室内の小さな釣り鐘が鳴ったのである。地球でいうノックである。
スオーラは小走りで扉に駆け寄り、扉のそばにある同じ様な鐘を鳴らしてから開ける。するとそこに立っていたのは自分と同じジェズ教托鉢僧の制服を着た、少し年上の女性であった。
その女性も自分と同じくこの仮住まいの個室に住む、自分と同じ立場の人間である。あいにくと面識はないのだが。
「あ、あの。何か御用でしょうか?」
その女性は部屋の中を覗き込むようにすると、少し驚いて、
「え。あの。わたし、隣の部屋の者なのですが、この部屋にいるのは、あなた一人ですか?」
「は、はい、そうですが」
いきなり何を聞いてくるのだろう、とスオーラは思ったが、正直に答える。
するとさらに部屋の中を良く見ようと首を突っ込むようにしながら、
「誰かと話す様な声がしたと思ったのですが、本当に誰もいないのですか?」
「だっ、誰もいませんよ」
「そうですか……」
何か不満がある、納得がいかないと露骨に表情に出したまま、それでも軽く一礼して部屋を去って行く。
スオーラは自室の部屋の扉をしっかりと閉じる。
(携帯電話の会話が、原因でしょうね)
地球にいた時にも、周囲に会話が聞こえてしまうのにそれを気にした風もなく会話を続ける人々を何人も見てきた。
気をつけていたつもりではあるが、自分もそうなるとは。油断も良いところである。
少なくとも「別の世界の」住人との会話。それもこのオルトラ世界に存在しない携帯電話での会話。
電話そのものならこの世界にも「最新の機械」として存在するが、地球と比べれば百年くらい遅れているのがオルトラの科学技術レベル。
そんな中で携帯電話などの「存在しない道具」を大っぴらに使ったらどうなるか。平穏無事に済む訳がない事くらいはさすがにスオーラにも予想がつく。
ベッドに顔を埋める様な姿勢で自己嫌悪に陥ってしまったスオーラ。
「気をつけるべきでしたね」
誰に言うとでもなく飛び出した呟きが漏れてしまう。だがそこで一つ思い至った事が。
スオーラは制服の上着のポケットから一枚のカードを取り出した。これこそ侵略者エッセと戦う戦士の証であるムータと呼ばれるアイテムだ。
このアイテムの力で異なる世界の自分に姿を変え、常人を超えた力を振るう事ができる。彼女の場合は瞬発力・跳躍力に富んだ魔法使いに変わる。
何もない空間に向かってそのムータをかざす。するとガラスを指で弾いた時の様な澄んだ音が響いた。ムータから四角い光が照射され、扉のように宙に固定される。その光の扉がスオーラに迫り、彼女と交わった。
するとスオーラの姿が一変した。背が十センチ以上も伸び、体型も大人の女性らしいメリハリに富んだものになる。
服装も聖職者の礼服から、スポーツブラの様な物の上に直接統一感のないバラバラの色のパーツで縫製されたジャケット。下着が見えそうな丈の短いタイトなスカート。それから革のサイハイブーツという姿に変わる。
これが魔法使いとしてエッセと戦う時の姿である。この姿にならないと魔法が使えないのである。
そして、たわわと表現するに相応しい豊かな胸に右手を軽く押し当て、体内に押し込んだ。すぐに抜き出した右手に握られていたのは分厚いハードカバーの本。魔導書だ。
スオーラの魔法はこの本のページを破り取って宙に放つ事で、書かれている魔法が具現化するというもの。彼女が思いついたのは、この魔法の力で昭士の急性アルコール中毒を治す事ができないか、というものだ。
スオーラは手にした魔導書を一ページ一ページ食い入るように見つめながら使えそうな魔法がないか探していく。
火球の魔法。爆発の魔法。凍結の魔法。吹雪の魔法。飛翔の魔法。浮遊の魔法。そんな魔法が続いていく。
もちろん治療の魔法はある。だがそれはあくまでも肉体的なケガを治すもの。急性アルコール中毒は治りそうもない。
体内のアルコールを無くせば良いのだから、血液を浄化する解毒の魔法なら使えるのではないか。いや、魔法がアルコールを毒と判断するのかは判らない。
その時、再び先程と同じ涼やかな金属音が響いた。また来客である。
今度は音に気をつけた筈であるが。それとも気をつけ方が足りなかったか。
ともかくこの姿のまま出て行く訳にもいかない。スオーラは急いで変身を解いて元の姿に戻ると、小走りで扉に駆け寄り、扉のそばにある同じ様な鐘を鳴らしてから開ける。
今回立っていたのはこの仮住まいの管理人である老婆であった。彼女はうやうやしくスオーラに向かって頭を下げると、
「パエーゼ・インファンテ・プリンチペ殿下がお見えになっております」
スオーラの表情が一瞬凍りついた。
別に嫌いな人物ではない。この国の第一王子という部分を除いても、好ましい人物である。
ただ、エッセとの戦いに集中する為に婚約関係を解消している。その事についてはお互い納得の上だ。あちらがどう思っているかはよく判らないが。
ジェズ教最大の祭りの真っ最中に「最高責任者の娘」「世界を救う救世主」に面会を求めて来ている者はいなかったと思っていたが、物事例外があるという事か。
「ハ、ハイ。判りました。すぐに伺います」
スオーラはいぶかしみながらも部屋を出て歩き出した。
老婆の後に続いて。

<つづく>


文頭へ 進む メニューへ
inserted by FC2 system