トガった彼女をブン回せっ! 第27話その5
『冷た冷た冷た冷た冷た冷た冷た冷た冷た冷た!!』

同時刻の日本。
昭士が持っているムータからも、エッセ出現を知らせる音が鳴り響く。
エッセが現われるのはだいたい前回現われた場所の近く。という事はこちらの世界なら鉄砲塚山。オルトラ世界なら街の広場に現われたという事だ。
しかしこのところは鳴り出すとすぐに音が止んでしまう。一日に何度も、というレベルではないものの、正直鬱陶しい事は確かだ。
だが。あちらの世界の街の広場の方はともかく、鉄砲塚山の方は山道が一時的に閉鎖されているという道路情報が入っている。
顔馴染みのよしみで警察官の鳥居に連絡を取ったところ、魚を生きたまま運搬する車(鮮魚運搬車というらしい)がカーブを曲がり切れずに山肌にぶつかって横転。その対応で通行止めとの事だ。
つまり山までは行けても山の中には入れない。山の中に入れなければエッセと対峙できない。そんな状態のようだ。
とはいえエッセに関してだけは昭士達なら融通が利くので、山に入る事は可能だ。問題はない。
先日の教訓から財布や携帯電話などの貴重品類をアウトドア用の耐水・防水性のポーチにまとめて入れ、キッチリ口を閉じる。それを首にかけてからコートを羽織り、ボタンを首元まで律儀に全部閉じる。
「……よし」
一つ一つを指差して確認するようにそれらをチェックし終えると、昭士は自分の部屋を飛び出して、リビング――六畳の和室にいた母親・さくらに、
「ちょちょ、ちょっと行ってくる。エエエッセが出たから」
母親には自分がエッセと戦う戦士である事を既に説明してある。そしてスオーラの正体も。
とはいえどんな理由があっても、我が子を戦いに行かせるのは未だに賛成しきれていないため、少し悲しそうな顔になる。それでもスオーラとの仲自体はかなり良好なのであるが。
しかし昭士はわざとそんな母親の悲しそうな顔を見ずに、
「だだ、大丈夫だって。お、お、俺一人で戦う訳じゃないし」
そう言いながら靴を履くと、急いでいる割にはゆっくりとした動作で玄関を出る。
昭士の家は三階建てだ。とはいえ一階部分のほとんどが駐車スペースであり、玄関は二階。その二階から一階に下りようとする階段の真ん中に、いぶきが仁王立ちしていた。
昭士を見るその目は明らかに不満・非難・難色……といった感情が渦巻いている。
死んでもやりたくない事を無理矢理強制的にやらされる訳だから、いぶきのその感情は当然ではある。しかし昭士達もいぶきの能力は絶対に必要なのである。無視はできない。
あまり広い階段ではないので、いぶきが退いてくれないと下に下りる事ができない。もちろんいぶきが自分から退く事など絶対にあり得ない。
とはいえ。こういう状況でいぶきの方から「暴力」が来るかはほとんど賭けのようなものだ。
エッセとして戦う前であれば、元々いぶきが持っていたらしい「周囲の動きを超スローモーションで認識できる」能力をフルに発揮して昭士を叩きのめしていた。
だがエッセとの戦いが進むに従って、その能力が昭士に譲渡されるようになったり、相手が受ける筈のダメージが自分に跳ね返って来たり、果ては自分の暴力の威力が何万倍にも増幅されて発揮されたりと、色々変化して来ているのだ。
最近では振るうたびにその「効果」がランダムに変化するようになった。だからこの場で昭士を殴り飛ばした時にどの「効果」が出るのかは、まさに神のみぞ知る。である。
しかしそんな程度でいぶきが生活態度を改める事は全くなく。たいがいは“自分にダメージが跳ね返る”なので、この頃は常に生傷が絶えない状態だ。
案の定いぶきは無言のまま拳を素早く振りかざし、階段を駆け上がる勢いそのままに昭士の顔面に叩き込む。
もちろん今のいぶきの拳が昭士を傷つける事は全くなく、昭士が受ける筈の総ての痛みが自身の顔面に炸裂し、のけぞったままいぶきは階段を転がり落ちて行く。
もっとも、今の昭士にはいぶきの「周囲の動きを超スローモーションで認識できる」能力があるので、どうとでもかわす事はできたのだが。
一階まで下りた昭士は後頭部をぶつけて完全に白目を剥いているいぶきを見下ろしつつ、すぐ側にやって来た男性体のジェーニオに向かって、
「だだ、大丈夫?」
《異常はないな。痛かったで終わるレベルだ》
いぶきをチラリと見てあっさりと言い切ったジェーニオ。
普通ならせめて助け起こすなり何なりするべきなのだろうが、無事ならそれで良いし、何より時間が惜しい。
昭士からそう言われたジェーニオは、彼の脇に腕を通すようにしてから一気に空へと飛び上がった。
もう何度かやってはいるのだが、やはり自分の足が地面に着いていないというのは落ち着かず、緊張を隠せないし口数も減る。
「こん、今回は、てて、て、鉄砲塚、や山?」
《そのようだな。確かウーパールーパーというヤツだったな》
昭士も話でしか聞いた事がないが、三十年以上も前に日本で大流行したらしいので、四十歳以上の人間ならばだいたいピンと来るらしい。
とはいえ現代でも趣味で飼育する人はいるらしく、その年代の人しか知らない訳ではないらしい。
先日スオーラには詳細を話したそうなのだが、その時にこの生物が持っている驚異的な再生能力には充分に警戒をしなければと述懐していたそうである。
何しろインターネットに「手足やシッポ、エラのみならず損傷した臓器までも再生する能力を持っています。」と書いてあったそうなので、スオーラの警戒も当然と言える。
エッセは良くも悪くも元となった生物の特徴を受け継ぐ。そんな再生能力を発揮されてはどんな攻撃も徒労に終わる事請け合いだ。
そうなればいぶき=戦乙女の剣でそれこそ一太刀で決着をつけるくらいの勢いで行かねばおそらく勝てないだろう。
しかし昭士はのんきに、
「ささ、さい、再生能力っていいっても、はは、速さが速いかどうかだよね」
いかなる再生能力を持っていたとしても、その再生に何十時間、あるいは何十日もかかるのであれば、戦いとなった場合あまり意味はない。
確かにエッセは元となった生物の特徴を受け継ぐが、身体の巨大化・それに比例した身体能力の強化はあったものの、持っている「能力そのもの」の強化はおそらくない。
もちろん注意や警戒、再生能力の事を把握しておく必要はあるが、心配するほどの事はない。と思っている。
ドモり症の昭士の説明を辛抱強く聞き続けたジェーニオも、確かにそうだと思った。
そこに女性型ジェーニオに抱え上げられたスオーラがやって来た。二人並んで一直線に鉄砲塚山めがけて飛んで行く。
スオーラは持って来ていたカーナビを見ながら、
[エッセはまだ鉄砲塚山にいますね。わたくし達が着くまで出現し続けていてくれれば良いのですが]
それからスオーラは、オルトラ世界でガン=スミスがエッセに手傷を負わせた事を話してくれる。
賢者も話していたが、まるでバグでも起きたかのようにオルトラ世界で出現と消失をひたすらくり返していたエッセだが、ようやくそのバグから解放されたようだ。
本当は現われてほしくはないが、こうなった以上はここで決着をつけておいた方が良いだろう。またバグの状態になるのはムータからの音声が鬱陶しいし。
さすがに空を飛べば鉄砲塚山まではあっという間だ。スオーラのカーナビの誘導に従ってエッセがいる場所まで進んで行く。
幸いまだエッセはこの世界に姿を見せているようだ。だいぶ近くに来たので地上へ降ろしてもらい、現在は通行止めになっている車道を走って行く。
[アキシ様、このすぐ先です]
《確かにエッセの気配が感じられるな》
スオーラとジェーニオの視線の先には、道路の真ん中に横転したままのトラックが一台。先ほど鳥居から聞いていた「鮮魚運搬車」という車だろう。
実際コンテナ部分に派手な絵が描かれており、これまた太い書体で「活魚 ととや水産」と書かれている。
確かこの鉄砲塚山を突っ切った先に同じ名前の回転寿司のチェーン店があった筈だ。(一部の)魚を客の前で捌くところが見られるのが売りの一つと聞いている。そこへ運ぶ途中だったのだろう。
しかし。そんなトラックがどうして未だ横転したままなのだろうか。
警察官が事故の事を知っているという事は、警察はこの事故を把握しているという事。事故なのだから色々と調べている警察官や鑑識官がここにいなければならない筈だ。事故が起きてから間違いなく一時間は経っているのだから。
昭士はとても嫌な予感がした。ここにいた警察官や鑑識官は、出現したエッセによって金属に変えられ、食べられてしまったのではないか、と。
いくらいぶきが変身して昭士が振るう「戦乙女の剣」と言えど、金属にされた生き物は元の姿に戻せても、食べられてしまった者は元の姿に戻す事はできない。
ごごん。
どこからか何か固い物を叩くような音が聞こえて来た。
《あれだ。あの……トラック? とかいう物からだ》
男性体のジェーニオがトラックのコンテナの部分を指差す。するとまた同じような「ごごん」という音が。
昭士はコートのボタンを外し、首から下げたポーチの中からムータを取り出すと、それを眼前に突き出した。
ムータから青白い火花が激しく散る。散った火花は次第に大きく広がり青白い扉を形作る。
その扉と昭士の身体と交差した時、昭士の服装が一変。
青一色のツナギの上から。腕には小手。脛には脛当て。そして胸には金属の胸当てという軽戦士スタイルに。
これらの服装は昭士が着ている物が変化した物であり、今回はコートを着ていたからか、分厚い生地でできたマントが加わっている。
この変身は戦うためというよりも「周囲の動きを超スローモーションで認識できる」能力を「きちんと」使うためだ。
元々はいぶきの持っていた能力だし、以前は軽戦士の姿の時だけ使えていたからか、この姿での方が使いやすいのだ。
意識を周囲に集中させると、コンテナの中で何かが暴れているのが判った。
割と細長い物体である。大きさは一メートルほど。蛇か何かのように全身をくねらせて勢いをつけ、コンテナにしっぽ(?)を叩きつけているのが判った。
しかしコンテナの中は狭く水で満たされているため、充分な破壊力を出せるほど身体を振り回せない。
だが「ごごん」という音がする度に発作でも起こしたかのように四トントラックがビクンビクンと小刻みに震えている。このまま放っておいたらおそらくコンテナは中から壊れるだろう。
《……ひょっとしてあのトラック? がひっくり返ったのって?》
今度は女性体のジェーニオがトラックを指差している。
十中八九、中の細長い物体が暴れたのが原因だろう。そしてその「細長い物体」がウーパールーパー型のエッセであろう事も。
そして、まだエッセがコンテナの中にいる=誰かに被害が及んだ訳ではないと判って、心の底から安堵する昭士とスオーラ。
だがスオーラの方はすぐに気を引き締め直す。自分達の戦い方がまずかったら、確実に被害者が出るかもしれないからだ。
[どうされますか、アキシ様?]
「そうだなぁ。コンテナが壊れるまで待つか?」
普通の生物であれば好きに暴れさせて疲れさせ、動きが鈍ったところを確実にしとめるというやり方がとれるが、あれはエッセである。いくら生物を模し、その生物の特徴を受け継ぐといっても、疲れて動きが鈍る事があるとはちょっと考え難い。
それにあまり疲れさせてはまた姿を消してオルトラ世界の方に出現するようになってしまうかもしれない。
そうなるとまたバグのように出たり消えたりをくり返す事になるかもしれない。それはさすがに面倒である。
ここでエッセを倒しておかねばムータの「知らせ」も鬱陶しくなるし、今学期末に向けた試験勉強にも影響が出る。どのみち自分の戦い方は短期決戦型だ。
「コンテナを開けよう。ジェーニオ、やってくれ」
昭士の指示で二人のジェーニオは宙を浮いたままスイッとコンテナに近づき、ロックされている蓋を簡単に開けた。
すると、そこから大量の水と共にズルッと飛び出して来たのは……確かにネットで見たウーパールーパーだった。
もっとも体長は一メートルはあるし、その皮膚は金属のような光沢を放っている。それ以外はネットの写真で見た、可愛いのか不細工なのか微妙に判らない容姿を持った両生類。
ウーパールーパー型エッセは、胴体の割に小さく短い手足をバタバタとさせてこちらに来ようとしているが、単純にその場でのたうっているようにしか見えない。地面を歩ける程の手足ではないのだ。
正直に言って、とても人類と不倶戴天の敵とは思えない状態である。やり難い事この上ない。
だがそれでも、その口から吐くガスを浴びた生物は金属へと姿を変える。あまり長い時間金属のままだと元に戻す事も難しくなる事は何度も体験している。
昭士はずっと持ったままのムータを何となく掲げ、叫んだ。
「キアマーレ!」
このキーワード一つで、いぶきがどこにいようと昭士の目の前に呼ぶ事ができるのである。
ただし、瞬間移動ではなく空を一直線に飛んでくる。数秒後、遠くの方から小さく鋭い悲鳴らしき叫び声が聞こえ出した。
『……おおぁおうおぅおおうおうおうおあぁおぉあぁっっ!!!』
いぶきの情けない悲鳴がだんだん大きく、ハッキリと聞こえてくる。その姿は人型ではなく全長二メートルを超える大剣。昭士が変身すると同時にいぶきはこの大剣の姿に変わる。
持ち手のついた分厚い鉄の塊としか表現できない太く大きな刃を持つ、戦「乙女」の剣の名に似つかわしくない外見である。例外は柄の部分に浮き彫りにされた「両腕を広げている女性」像くらいのものだ。
昭士は戦乙女の剣の切っ先が地面に突き刺さる直前で槍のように長い持ち手をしっかりと握る。
地面に激突する間一髪、というタイミングのためか、普段の応対以上にブチ切れたように戦乙女の剣=いぶきが怒鳴ってくる。
『こンっのクソアキ! 毎回毎回いちいち言わなきゃ判ンねーのかボケェ!!』
少し癖のあるいつものいぶきの声。昭士は何となく柄の女性像に向かって、
「多分すぐ終わる。黙ってろ」
そう言い返して鞘に納めたままで肩に担ぐようにして持ち直すと、無造作としか言えない歩き方でウーパールーパー型エッセとの間合いを詰める。
相変わらずのたうつエッセは、昭士が自分の敵であり、攻撃して来ようとしているのを察したかのように、彼に向かって大きな口を開けると一気にガスを吐き出してきた。生物を金属に変えるガスである。
だが昭士はすかさず戦乙女の剣の大きな刃を盾にしてそれを防ぐ。
『冷た冷た冷た冷た冷た冷た冷た冷た冷た冷た!!』
ガスの直撃を受けて死ぬほど寒がっているいぶき。しかし今のいぶきは生物ではないので金属に変わる事はない。
ガスが効かない事に驚いたのか、ガスの放出が止まる。そのタイミングに乗じて、昭士は自分の身長よりも長い戦乙女の剣を斜めにし鞘を滑らせるようにして落とすと、剣を素早く叩きつけた。
がづん。
鈍く重い音と共にウーパールーパーの胴体が真っ二つに。前半分と後ろ半分が別々に、激しくのたうち出す。
この剣はいぶきが痛がる程に威力を発揮するのだが、絶対に手伝ってやるものかと言わんばかりに痛みを懸命に我慢しているので威力はこの程度。
とはいえ下手に威力を上げればこの辺り一帯を吹き飛ばしかねない威力を発揮する。地面のアスファルトに亀裂が入った程度なので、むしろちょうどいい威力と言える。
[アキシ様! その生き物は高い再生能力を持っています。気をつけて下さいっ!]
スオーラが後ろから鋭い声で注意を促す。昭士もとどめを刺した訳ではないと思い直し、再度剣を振り下ろす。
狙いやすさと頭を潰した方が良いという判断で、前半分の方に。
がづん。
周囲の動きがスローモーションで判るといっても、不規則にのたうち回るモノ相手に、狙った場所に正確に剣を叩き込むのは意外と難しい。
人間で言うなら首を切断しようと突き下ろした剣は、ウーパールーパーの顔面を縦に割って止まった。剣を突き下ろしたままなので、そこを支点にするかのように反対側だけがビクンビクンとうねっている。
高い再生能力のせいなのかは判らないが、ここまでされても活動を止めない。命が失われない。それは正直に言って驚きの一言だ。
しかもウーパールーパーは両生類。陸上でも一応活動可能だが基本水辺や水中が主な生息地。
トラックに近づいたからにおいで判ったが、コンテナの中に入っていたのは海水だ。海に行った時独特の潮のにおいというのか。あれを感じる。
いくらウーパールーパーが水中を生息地にしているといっても、それは淡水での話。こうした海水の中では永くは生きられない筈だ。
(これは……どうなんだろうなぁ)
昭士達の戦いは、決してカッコイイものではない。敵を倒すのが使命だが、倒したからといって誉められる訳でもなければ、特に報酬がある訳でもない。
派手さもなければドラマティックな事もない。あっけなく終わる事もしょっちゅうだ。
エッセが生きていたらこっちの生存権が脅かされる。自分が死にたくないから戦って相手を倒す。そんなシンプルなものだ。
だから手段など選ぶ余裕はない。倒せる時にはたとえ見苦しく力押ししてでも確実に倒す。それが現実だ。
しかし今はどうだろう。極めて高い脅威とはいえ、永く生きられない環境にいるほぼ無抵抗の存在を一方的に打ち倒そうとする事から来る「何か」。
罪悪感。不公平感。正々堂々や真っ向勝負とは真逆のこの気持ち。それを全く感じないと言えば嘘になる。
そんな昭士の一瞬の思考の中、エッセはとうとう首の根元からばきりと折れた。
頭の部分は刃に押さえつけられてはいるが動こうとしているのに対し、残りの胴体の方はまるで寿命が唐突に尽きたかのようにその動きを止めた。
胴体の後ろ半分もやがて動きを止め、少しではあるが動いているのは頭部の部分のみ。しかもそれは顔面が縦二つに割れている。
普段ならこれでもかと文句を言ってくるいぶきが痛みをこらえようと無言のままなので、誰も何も一言も喋る事なく時間ばかりが過ぎる。
過ぎたのはほんの少しなのであるが、昭士達にはその何十倍にも永く感じられた。
小さく動いていた割れた顔面の頭部が、ゆっくりとその動きを止める。その左目に眼球はなく、代わりにあったのは空洞。眼窩(がんか)というらしいが。
その眼窩から薄い煙のようなものが淡く立ち上った。色は炎を思わせる赤。しかしその煙からは悪意も害意も全くと言っていい程感じられなかったので、昭士は立ち上らせるままにさせていた。
スオーラもジェーニオ達もその場を動かずに、空に立ち上る赤い煙を見上げている。もちろん何かあったらすぐ動ける体勢を忘れてはいなかったが。
その立ち上った煙は次第に細長い形に固まろうとしている。一同がいつでも行動できるよう身構えている中で、その細長い煙はやがて人のような姿に変わっていった。
[……リカン・ト・ロポ……?]
スオーラが小さく呟いたのは、オルトラ世界の犬頭の神の名だった。
自分の信じる神とは別の神である。一神教であるジェズ教にとって他の神々など邪悪な存在以外の何者でもあり得ない。
だがこちらの地球で過ごす半年以上の生活の中で「邪悪」以外の存在でもあると、少しだけ考える事ができるようになっていた。だからスオーラはとっさに攻撃をする事をためらった。
その犬の頭をした神――の姿になった赤い煙は、自分を見上げている昭士達に喜びでも恨みでもない、まるで何かを悟ったような透明感のある眼差しを向けると、
《ワタシハイケニエニサレタノダナ》
少し聞き取り難い喋り方である。
《ダガヨウヤクシヌコトガデキルナ》
言っている内容にも関わらず、犬の頭の神の表情は穏やかだ。むしろ嬉しく、誇らしくすら見える。
そんな表情のまま赤い煙は遥か上空に向かってゆっくりと舞い上がって行く。そして、地面に横たわっていたウーパールーパー型エッセの身体にいくつものヒビが入り、やがて、
ぱぁぁぁぁぁあん!
地面に転がっていたバラバラの全身それぞれが光の粒となって一斉に弾け飛んだ。その光は四方八方に、そしてゆっくり舞い上がる犬頭の神と共に天に召されるかのごとく舞い上がっている。
その光の粒が煙に触れるとパチパチと小さな火花が散った。
赤い煙、光の粒、小さな火花、それらが相まってあちらこちらから小さな光に包まれていくその様子は――美しいの一言に尽きた。
昭士もスオーラもジェーニオ達も、そんな様子をぽかんと見上げるだけだった。
天に上った小さな光達は、やがて宙に溶け込んでいくかのように静かに姿を薄くし、そして消えて行った。
さっきも言ったが、勝負の結末などたいがいあっけないものだ。ドラマティックに盛り上がったり劇的なイベントが入ったりなどは……ないとは言わないが滅多にあるものじゃない。
だが終わった事は確かだ。昭士達はようやく全身の力を抜いて「臨戦態勢」を解除した。
そこで、昭士の感覚にこちらにやって来る何人かの人間の気配を感じた。二人のジェーニオはトラックの陰に素早く隠れ、昭士が注意しているのと同じ方向を見る。
やって来たのは警察官の制服を着た四人の男達と、作業着姿の男が二人。いずれも会った事がない人々である。
《ここは逃げた方が良いのか?》
男性体のジェーニオが昭士に声をかけてくる。
エッセの事は一応この世界の警察にも通達はしてあるし、昭士達に便宜を図ってくれるようになっている。
しかしこれからアレコレ聞かれて深夜・明け方まで拘束されるのはさすがにごめん被りたい。
まだ警察官達と距離はあるし、だいぶ日が落ちて薄暗くもなっているので、急げば何とか逃げられるかもしれない。
「……よし、逃げよう」
そんな昭士の決断にスオーラが何か言おうとしたものの、ジェーニオ達の事まで不必要に知られるのもどうかと思い、昭士の指示に従った。
「大声は出さない方が良いぞ? 家に帰るのが益々遅くなりたいってんなら別だが。まぁそうなったらお前放り出して逃げるけど」
こういう状況で絶対に昭士の邪魔をして来るいぶきに、そう忠告しておく。普段は絶対に逆らってくるいぶきだが、今回は極めて珍しい事に何も言い返さず黙ったままだった。
男性体が昭士と戦乙女の剣(いぶき)を。女性体がスオーラと剣の鞘をそれぞれ持ち上げて、彼らから死角になるような角度で空へ飛び立った。
自分たちの仕事はエッセの討伐。それ以上でも以下でもない。特に今回は周囲に被害が出た訳でもない。
「いつもこうスマートだと有難いんだけどな」
すっかり小さくなったトラックを見下ろして昭士が言う。
「いつもブツブツグチグチゴネまくるいぶきが我慢すりゃ、ホントあっという間にカタがつくのにな」
『うるせぇクソ共。吐きそうだから黙ってろ。それともてめぇらに向かって吐いてやろうか!?』
いぶきにとって誰かの助けになったり感謝されるのは吐きそうなくらいに気分が悪くなる事でもあるのだ。だが剣の状態でどうやって吐くのか。昭士がその辺を追求してやると益々ヒートアップしてくる。
[これがスマート……なのでしょうか]
《さてね》
スオーラと女性体ジェーニオが、昭士といぶきのやり取りを見てそう思った。
月と夕日が照らす中で。

<つづく>


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