トガった彼女をブン回せっ! 第27話その2
『今回のエッセはどんな姿でしたか?』

一方スオーラは自分の故郷である異世界――オルトラと呼ばれている世界に帰ろうとしていた。
警察署から学校に停めてあるキャンピングカーへ直行。運転席に置いてあるカーナビを見ると、エッセが現われたのがオルトラ世界と判ったからだ。
それも自分の故郷であるパエーゼ国の、第一王子パエーゼ・インファンテ・プリンチペの居城がある「ソクニカーチ・プリンチペ」という名の街である。
その第一王子とはかつて婚約を結んでいた仲。だが今はエッセとの戦いのため、婚約を解消してしまっている。
そのため思い入れがある街と言っても過言ではないし、親しい人間も数多く住んでいる。
スオーラはカーナビとそれをつなぐモバイル機器用のバッテリーをまとめて鷲掴みにすると、キャンピングカーの入り口の鍵をかけるのももどかしく飛び出して行った。
彼女が向かったのは、学校敷地内にある武術棟。剣道場や柔道場、更衣室や体育教師用の準備室等も兼ねた施設だ。
その入り口に立っていた峰岸(みねぎし)という顔馴染みとなった体育教師が、
「そんなに慌ててどうした? 何かあったのか?」
そう言いながら彼女の「事情」を知る彼はハッとなり、
「鍵は開いてるから行ってこい、あと角田兄は!?」
[連絡が取れません。待つ余裕がないので先に行きます!]
スオーラはわざわざ彼の前で止まり――それでもその場で駆け足をしながら律儀に答えると、突風のように建物内に飛び込んだ。
彼女が迷わず駆けて行ったのは、武術棟内部の剣道場である。つややかに磨かれた床板がとても美しい。
だがスオーラはブーツのまま駆け込んで行く。本来なら入り口で靴を脱ぐのが決まりであり、そういった決まり事は守るタイプの彼女なのに。
そして剣道場中程の壁に向かうと、ジャケットのポケットからムータを取り出した。そしてそのムータを壁に貼りつける。
ぴぃぃぃん。
質のいいガラスを弾いたような澄んだ音が響いた。響きに比例するかのように貼りつけたカードから光が溢れ、まるで壁に扉を描くように四角く広がっていく。
そう。それはまさしく青白く輝く「扉」だった。
この扉を潜ればスオーラの故郷オルトラ世界に行く事ができる。とはいえ、別にこの剣道場からでなければオルトラ世界に行けない訳ではない。
ただここからオルトラ世界に行けば、ソクニカーチ・プリンチペの街にある、自分が所属している教会の中に出るのだ。これなら行きたい場所にほぼ行けるようなものなので何の問題もない。
いつもはキャンピングカーごと行っているのだが、今回は時間もないし、戦えなくとも出現を意味する音がすぐに消えてしまった事が探れればそれでもいいのだ。
スオーラが青白い「扉」に飛び込むと、出た先は薄暗い石造りの聖堂の中だった。
するとそばにいた女性の僧侶がうやうやしい態度のまま近づいてきた。
「スオーラ様。お久し振りでございます」
濃紺の詰め襟のような僧服。左胸には白い糸で六角形の中に五芒星という図形が刺繍されている。
大体四十代くらいの女性であるが、その髪は真っ白である。若白髪やストレスが原因ではなく元々白い髪らしい。
「カヌテッツァ僧様。ご無沙汰しておりました」
スオーラが、出迎えた僧侶・カヌテッツァ僧に向かってうやうやしく礼をする。
聖職者の階級では最下層の托鉢僧であるスオーラが教団トップの片腕ともいうべき彼女に礼を尽くすのは当たり前である。
しかし今のスオーラはエッセと戦える数少ない人間であり、ジェズ教最高指導者の愛娘。彼女の階級がどうであれ、丁寧を通り越しうやうやしい態度で接してくる人間は数多い。
そんなスオーラは先ほどまでの長身のモデル体型ではなくなっている。十五歳という年齢相応の身長に、スレンダーな体型に変わっている。だがこれがスオーラ本来の姿なのである。
服装はカヌテッツァ僧同様の詰め襟のような僧服。額には紺色の鉢巻きをしている。そしてその鉢巻きをクイと押し上げて改めてカヌテッツァ僧と向かい合った。
これは彼女達が信仰しているジェズ教では「額には神を見るための第三の目がある」と考えられているため、聖職者は見習いであっても額を大きく開けておかねばならないという決まりがあるからだ。
「カヌテッツァ僧様。またエッセが現われたようなのですが……」
あちらの世界で着ていた黒いコートが変化したらしい、やたらと長く黒いマフラーをえいえいと後ろに追いやりながら、スオーラが訊ねる。
「はい。その件なのですが……」
彼女にしては珍しく、言い難そうに言葉を濁す。それが逆に気になったスオーラは「話して下さい」と続きを促した。
「エッセが姿を現したのは、パヴァメの準備をしているオーヴェスト広場だったのでございますが……」
パヴァメと聞いてスオーラの表情が曇った。
パヴァメとはジェズ教最大、そして一年の最後を締めくくる祭礼の事である。
そして二十、四十、六十歳の人間は、最寄の大規模な教会へ「巡礼」に行くのが義務とされている。
最大の祭礼だけあり、その準備も一ヶ月以上前から進めていくのだ。特に今日は「これから準備を始める」という「儀式」をしている最中に出現したとあって、人々の驚きも相当な物だったらしい。
そんな催しの準備の最中に姿を現すとは。お祭りの時くらい出現を待ってくれても……と思ったが、そんな風に「空気を読む」相手なら苦労はないのだ。
だがその割に街は静かだし、カヌテッツァ僧も必死なほどには慌てたり焦ったりはしていない。
「ですが、そのエッセは姿を見せたと思ったら、すぐさま光りながら姿を消してしまったそうなのでございます」
「き、消えたのですか!?」
スオーラが驚いたのも無理はない。エッセの目的などは未だ不明なものの、生物を金属へと変えるガスを吐き、そうして変化させた生物のみを捕食する存在だ。何もせずに消えるとは思えなかった。
だがスオーラは次の質問をした。
「今回のエッセはどんな姿でしたか?」
「“リカン・ト・ロポ”の姿だそうでございます」
「“リカン・ト・ロポ”!?」
リカン・ト・ロポとは、ジェズ教が普及するずっと昔に信仰されていた、多くの神々の一柱だ。両脚が後ろ向きについている犬の頭を持った人間、という姿で描かれている。
無節操ともいうくらい様々な物を司る存在だが、中でも火や雷、不運や病、そして死を司る存在として有名であり、特に死の世界を旅した話が今でも民話として伝わっている。
それを聞いたスオーラは真剣に考え込んでしまう。
あちらの世界ではウーパールーパーという名で呼ばれていた奇怪な生物の姿だった筈。だからスオーラは本心から驚きを隠せなかった。
確かに世界が変わると姿形が変化する。それは自分自身が一番良く判っている。
だがエッセは世界が変わってもその姿や能力が変わった事はこれまでなかった。その原則が今回崩れたのだろうか。
だが姿を消している現在なら危険はほぼないだろう。戦いの要たる昭士が「今すぐに必要」という訳ではない。
「有難うございました。わたくしもこれから広場へ出向いて詳しく聞いてみようと思います」
スオーラはまた丁寧に礼をすると、カヌテッツァ僧と別れ広場へ向かって駆け出して行った。


角田昭士が目を開けると、そこは薄暗い場所だった。
やがて目が慣れてくると、洞窟というか洞穴というか。そんな場所を思わせる思いのほか広い空間で寝かされている事が判った。
自分の身体の上と下に厚手の毛布があるのが判る。今自分が裸である事も、毛布の感触から判った。
頭の上の方がそれなりに明るく、そして暖かい。焚き火の火がパチパチいう音が小さく聞こえてくる。
「おぅ。生きとったか」
随分と枯れた低い声がする。昭士が毛布で身体を包むよう気を使って身を起こすと、薄汚れた服装で髪もヒゲも伸び放題のガリガリの老人が身体を折り畳むようにして、焚き火の前に座り込んでいた。
その焚き火を取り囲むように、昭士が着ていた学生服が立てかけてある。服の中に組んだ木の枝などを通して、少しでも乾きやすくしているのだと推測した。
「さすがに崖から川に落ちたヤツを見ちゃうとねぇ。この季節だし」
「な、な、な、なに、ししてるんです、あなたは」
その老人は時代が時代なら仙人にしか見えない。この現代にそんな人間がいようとは。
「一:仙人の修行中。二:単なる趣味。三:借金取りから逃げてる。さぁど〜れだ?」
黄ばんだ歯を剥き出しにしてニカッと笑う老人。本当なのか冗談なのか今一つ判りづらい。
「こっちの事は別にどうでも良かろう。問題は少年の方だ」
彼は焚き火の側に並べてある物をあごで差し、
「携帯電話は水に浸かって使い物にならないだろう。親御さんへの連絡はどうする。元々この辺りに公衆電話なんぞないぞ?」
老人は「自分はそんな便利な物持ってないぞ」とつけ加える。
だが昭士はその老人をじーっと見つめていた。不思議そうというのではなく、胡散臭そうに。会った事もない謎の人物だから警戒している。そんな雰囲気ではない。
「あ、あ、あ、あの。先輩、ですよね? まま、益子美和(ましこみわ)先輩?」
昭士はそう言うと、無言のまま老人を見つめ続ける。
「……バレましたか」
老人とは思えない、しかし無表情な若い女性の声。その声とともに老人の姿がぐにゃりと泥のように歪み、溶けていく。その溶けた物が全く違う風に固まると、そこにいたのは昭士と同年代の女性であった。
頬に少しソバカスが目立つ、先ほどの無表情な声と同じような無表情な顔。肩口で切り揃えられたストレートの黒髪。
スオーラとは真逆の凹凸に乏しい女性の身体を皮膚のようにピッチリと覆っているのは、最近のオリンピックの水泳選手に見られる、タンクトップとスパッツが合体したような、身体の大半を覆う水着を思わせる服だ。
表向きは昭士達が通う学校の新聞部部長・益子美和。しかしてその実態は、スオーラと同郷の、それも二百年は過去から時間を越えてやって来たビーヴァ・マージコという人物なのだ。
あちらの世界で有名な盗賊団最後の団長だったらしい。その盗賊の技量で昭士達を陰ながら手助けしてくれている。そしてジェーニオの本来の「ご主人様」でもある。
「よく判りましたね」
「そそ、そ、そりゃ、この、この毛布……く、臭くないし」
美和の問いに、昭士は自分の裸を見せないよう気を使いながら毛布を持ち上げてみせる。
見知らぬ人間に気を使い、この格好でわざわざ買いに行ったとも思えない。普段自分が――あれだけ薄汚れた人間が使っている物にしては、汚れも臭いも何もない。
あれだけ薄汚れた人間が普段から使っている物。こまめな洗濯などしていよう筈もない。その人の臭いがして当たり前。それがないという事は――答えは明白である。
「なるほど。頭の働きは大丈夫のようですね」
あっさりと見破られた強がりというより、ちょっとしたテストですよ、という雰囲気である。無表情で感情が読めないから推測でしかないが、そのくらいはやりかねない人物である。
「しかし妹さんにも困った物ですね。いつもの事とはいえ大変でしょう」
「あ、ま、まぁ」
昭士は自分が毛布の下が全裸なのに改めて気づいて恥ずかしそうに毛布で隠しつつ視線を反らす。助けてくれたとはいえ(外見上は)大差ない年齢の女性に裸を見られたと判って平然とできる性分でもない。
「妹さんも、いくら嫌いとはいえ崖から落っことすのはやり過ぎでしょう。殺人罪になります」
美和が表情のように淡々とそう言った。
二日前。インターネットによってエッセの事がバラまかれてしまったとジェーニオから聞いた昭士は、単身この鉄砲塚湖にやって来ていた。
エッセは一度現われると、大体似たような位置から再度現われる事がほとんどだからだ。
昭士がエッセと戦う戦士に変身できるようになってからというもの、いぶきの方は彼が使う巨大な武器「戦乙女の剣」へと姿を変えるのだ。どちらか一方だけが変身する事はできないし、いぶきの側から変身する事もまたできない。
エッセと戦うにはいぶき(が変身した大剣)の協力が不可欠なのだ。もちろんそれをいぶきが承諾した事はただの一度もないが。
だから、昭士にこっそり着いて来たいぶきが、昭士を崖から落っことしたのである。
戦いを経て良くも悪くも変化したいぶきは、溜まりに溜まったフラストレーションを周囲にブチまけるがごとき「破壊力」を発揮するようになっている。
その破壊力で警察署はもちろん留置所や少年院を「破壊」しているので、ついにそういった施設からも“出入り禁止”が言い渡されたくらいだ。
もちろんその破壊力をフルに発揮して、崖を破壊して昭士を川へ突き落としたのである。この冬の山の中で。
だがこの程度はこの二人にとっては「良くある事」。鉄砲塚山へ行く事は親には話しているし、そのうち発見されるだろうと気楽に構えている。
それでもこうして「死」に対してのんきとも言える態度を取っているのは、彼が持っているムータに秘められた、いわばパソコンなどのバックアップに相当する機能があるからだ。
とはいえ死ぬ時は当然死ぬほど痛いし、バックアップが保存されている保証もなければ、キチンと動く保証も全くない。死なないに越した事はないのだ。
「じゃじゃ、じゃあ、そっちが知らせてくれる? お、俺がここにいる事?」
「そこまで優しくはありませんよ」
美和はわざとぎこちなく立ち上がってからどこからか取り出したのは、昭士やスオーラが持っているのとは色違いのムータである。そのムータの角で岩壁を斬りつける。
そうしてできたわずかな隙間に指を入れると、そのまま一気にその隙間に吸い込まれるようにして姿を消してしまった。美和が持つムータの「能力」と言えばいいだろう。
……どちらにせよ、一人取り残されてしまった事は確かだが。
昭士は着ていた服がまだ微妙に生乾きなのを確かめつつ、暖を取る意味でもしばしこの場に居座る事にした。


スオーラはパヴァメの準備を始める儀式をしていたというオーヴェスト広場に到着した。カヌテッツァ僧のいる教会からは随分と距離があるので、ムータが鳴ってから数時間はかかってしまっている。
そのためか街は落ち着きを取り戻している。儀式を見物していたであろう市民の姿もまばらである。
特に被害が出た訳ではない。それだけは確かのようである。
一応儀式をやり直して既に終了しているようだが、何人かの聖職者が「縁起でもない」と未だに渋い顔をしている。これから準備をしようかというところで邪魔が入ったから仕方あるまい。
そんな聖職者達はスオーラの姿を見かけるとかしこまった態度で近づいてくる。どの人物ももちろんスオーラよりもずっと年上であり、階級も上である。
しかし彼女がエッセと戦う戦士の一人である事はこの世界では皆が知っているし、戦う際には極力支援や援助をするよう上=スオーラの父から言い渡されている。
「ソレッラ僧スオーラ様。ご機嫌麗しゅう……」
「お戻りになられたのですか」
「お父上も帰還をお喜びに違いありません」
口々に彼女に話しかけてくるので、こちらが口を開く間もない。だがそれでもそのわずかな隙間を突くように、
「あ、あの! エッセが現われてすぐに消えてしまったという話を聞いたのですが?」
やっと言えた。無意味にホッとした気持ちになるスオーラだが、周囲の聖職者達は今頃思い出したかのように「ハッ」となると、
「そうでした。あれはまさしく話に聞いていた化け物に違いありません」
「現われたかと思いきや、すぐさま光の粒となって消えていきましたが」
「まったく。これからパヴァメの準備を始めようという場面でしたので、人々も不安がっています」
「ソレッラ僧スオーラ様。一刻も早くご対策をお願い致します」
話しかけてくる内容が変わったのみで、雰囲気は全く変わった様子がない。こちらが訊ねる隙すらない。
自分より先輩で年長で階級も上の聖職者達の、まさに「次から次へと」という形容しかできない言葉の羅列。
メモをする暇もなく、そんな余裕もなく、それでも何とか少しでも覚えようと必死になっているスオーラ。もちろん周囲の人間はそんなスオーラの必死さに全く気づいていなかった。
そんな一団に近づいてくる人間達がいる事にも、全く気づいていなかった。
「何をしておるのだ! 殿下がお見えであるぞ!」
その太い怒鳴り声に一同がそちらを見ると、スーツ姿の青年と、近衛親衛隊の制服姿の初老の男性の二人が立っていた。太い怒鳴り声をあげたのはもちろん初老の男性の方である。彼は聖職者の集団を一瞥すると、
「儀式の最中にエッセが現われたと聞いているが、被害の方はどうなっているのだ?」
「レージョ。被害の方はなさそうだ。見れば判ろう」
レージョと呼ばれた初老の男性は、静かにそう言ったスーツ姿の青年に向かい、申し訳なさそうにうやうやしく頭を下げた。それから厳しい表情で再び聖職者達に向き直ると、
「儀式が終わったのであれば、そろそろエッセについての話を聞かせてもらおう。エッセと単身戦う、救世主たるスオーラ嬢のためにと殿下自ら話を聞こうとこうして……」
若干芝居がかったレージョの口調が途中で止まる。その「スオーラ嬢」本人が目に入ったからである。本人の前でこの口上はさすがに恥ずかしい。
さらにつけ加えるならば、スオーラは断じて単身で戦っている訳ではない。
ただ彼らジェズ教教徒からすれば、スオーラ以外のメンバーは「異教徒」。数に入れたくないというか、異教徒を「救世主」と認めたくないというか。未だにそんな対応をとる人物の方がずっと多い。
そんな初老の男性を押しとどめるようにして皆の前に出たスーツ姿の青年こそが、パエーゼ国第一王子パエーゼ・インファンテ・プリンチペである。彼はかつての婚約者を以前通りの優しい目で見つめたまま、
「スオーラ嬢、壮健であったか」
「で、殿下もお元気そうで何よりでございます」
王子の変わらぬ優しい声にスオーラも自然と頭を垂れる。それに倣うかのように他の聖職者達も一斉に敬意を示す。王子は皆のその様子を見回して二、三度うなづくと、
「わたしが来たのは、今しがたこのレージョが言った通り、エッセの目撃情報を聞くためである。何でもパヴァメの準備の最中に現われたとか」
するとこの場にいる聖職者の中でも一番位が高いヴェスコヴォ僧カトが、皆を代表するように一歩前に出て、
「お、仰る通りでございます、殿下。で、ですが短い話でもありませんし、どこかで……」
「そ、そうでございますな。殿下にこんな寒い中で立ち話をさせるというのも礼がないでしょうし」
「そうですな。街の者に聞かれるだけならいざ知らず。下手に聞かれてあらぬ噂や誤解を広められる訳にも」
「だ、誰か。今すぐカヌテッツァ僧様に連絡を……」
先ほどのように聖職者達がざわめき出す。王子はそんな皆を制するように、
「皆の心遣い嬉しく思う。しかし……」
ぶぉぉぉん。ぶぉぉぉん。ぶぉぉぉん……。
いきなりどこからか響いて来た不気味な音。その正体に気づいたのはもちろんスオーラただ一人。彼女は上着のポケットにしまったムータを取り出す。
それは青白い輝きを放ちながら音を発している。再びエッセが姿を現わしたのだ。
先ほどはこの広場に姿を現わしたらしい。ならば次もこの近くに……スオーラがそう考えて周囲に視線を巡らせると……エッセがいた。
普通の人間の何倍もの背丈を持った人型の「何か」が静かにたたずむように立っていたのだ。
身体こそ人間だがその頭部はまぎれもなく犬のもの。両脚が後ろを向いており、膝の裏やかかとが前を向いている。
教会でカヌテッツァ僧が言っていた通りだ。その姿は遥か昔に信仰されていたという神リカン・ト・ロポ。さすがのスオーラも文献の挿絵でしか見た事がない姿である。
だがその全身は見た事もない金属のような物でできており、つややかな独特の光沢を放っていた。金属の服や鎧ではなく、皮膚そのものが金属なのだ。この金属の前では通常の武器や魔法は一切効果がない。
さっきも思ったのだが、あちらの世界ではウーパールーパーとかいう胴長で奇妙な生物の姿だったと聞いている。世界によって姿が変わるのか、今回は二体同時に現われたのか。それはまだ判らない。
これまでと違うという事はこれまで同様の手が通じるとは限らない。そう考えて対策を立てた方が良さそうである。用心に越した事はないのだから。
スオーラは音と光が止まぬままのムータを、自分の眼前に力強くかざしてみせた。
するとそのムータから青白い光が溢れ、目の前で扉のような四角形を形作る。その四角い光がスオーラヘ迫り、彼女の身体と交わった。
すると、彼女の姿はジェズ教の僧服から一転。肉体は成熟した大人のものに。スタイルはモデルもかくやというメリハリのついたものに。
何より特徴的なのは、丈の短い長袖のジャケットである。こうした服は何枚ものパーツを縫い合わせて作るが、そのパーツごとに色がバラバラなのだ。
このバラバラな色のジャケットは、オルトラ世界における「魔法を使う者」の証。色をたくさん使った服はこの世界では豪華な印象を与え、同時に魔法を扱う者の正装でもあるのだ。
「殿下、皆さん、一刻も早く逃げて下さいっ!」
皆をかばうようにエッセの前に立ちはだかると、スオーラは自分の右手を胸の――身体の中に「押し込んだ」。
すぐに出てきた右手が握っていたのは分厚い本。魔導書である。
スオーラはこの本のページを破り、そこに書かれたものを具現化するという魔法が使える。
エッセ特有にして一番厄介な「生物を金属へと変えるガス」を吐かれるのが一番マズイ。
スオーラの魔法だけではどうしてもかばい切れないし、金属にされてしまった人間を元に戻せる方法が、今は使えないのだから。
それでもスオーラはエッセに相対し、エッセから視線を反らさぬようにしながら魔導書のページをパラパラとめくっていく。
ところが。
犬頭の人間型のエッセの全身に細かなヒビが走り、そのヒビから淡い黄色の光が溢れ出したのである。
その溢れ出した淡い光は、頭全体から首、胸、腕、腹、腰、足と全身を包み込むように溢れ、広がっていく。
ぱぁぁぁぁぁあん!
人型エッセが小さな光の粒となって弾けたのだ。
それも一斉に。

<つづく>


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