トガった彼女をブン回せっ! 第27話その1
『……ただしインターネットで』

クリスマスは「基本的に」十二月二十五日である。
だが十一月に入ると、さる巨大テーマパークはクリスマスを大々的にアピールし始める。
そのため、モーナカ・ソレッラ・スオーラは疑問を発したのである。
[クリスマスというのは十二月二十五日の筈ですよね?]
赤く長い髪。一七〇センチを超える、女性にしては長身でモデルもかくやという抜群のスタイルを持つ、典型的白人女性という外見から発せられたその言葉は、周囲の人間にもの凄い違和感を抱かせるには充分だった。
クリスマスは白人の社会(と思われている)西洋から来た文化だ。西洋人が「クリスマスって何ですか?」と聞いてくるのは日本人が「お正月って何ですか?」と聞くようなものだ。
「一応はね。日本だと前日のクリスマス・イブの方がずっと盛り上がるけど」
疑問を発したスオーラの目の前にいる制服姿の女子学生――岡 忍(おか しのぶ)は違和感から来る苦笑を隠さずそう答えた。
[お祭りの当日ではなく前日の方が盛り上がるのですか?]
黙っていれば「冷徹な美人」という印象の彼女が、不思議そうに小首をかしげるその仕草とギャップがまたおかしく、岡と一緒にいる二人の女子学生も苦笑している。
二人のうちの一人――支手撫子(しのでなでしこ)は椅子の上にあぐらをかいた自分の膝を小さくパンパン叩きながら、
「相変わらず面白すぎるわ、さすが別世界の人」
目尻に涙を浮かべるほど(声を殺しているとはいえ)笑っている様子を横目に見たもう一人・鹿骨(ししぼね)ゆたかは撫子をジロッと睨みつけると、
「大声で言わないで下さい」
その微妙に威圧感を込めた一言で撫子を黙らせる。そして今いるのが賑わっているファミレスという事を念を押すように、
「壁に耳あり障子に目あり。スオーラさんの事が変に知られでもしたらどうしてくれるんですか」
ごもっともです。忍と撫子は申し訳なさそうに黙り込んでしまう。
そんなやり取りを見たスオーラも申し訳なさそうにうつむいてしまう。
彼女らがこんな対応になってしまうのも、この中で一番人目を引くであろうスオーラが原因である。
周囲には外国からやって来た、このファミレスの近所にある市立留十戈(るとか)学園高校にある学食の看板娘として認知されているちょっとした有名人。
だがその正体は異世界・オルトラからやって来た魔法使い。それもオルトラ世界では広く信仰されている宗教ジェズ教の長の娘。この世界風に言うなら現ローマ法王の愛娘くらいの人物なのだ。
もちろん「お嬢様育ち」ではあるが、スオーラ自身に偉ぶった雰囲気は全くない。丁寧で腰の低い言動が慇懃無礼と受け取られかねないほど徹底しているからだ。
もちろん異世界からやって来た人間なんて事は周囲に話す訳にはいかない。良くてマスメディアの取材攻勢、悪くすれば誘拐でもされて異世界や魔法の力を悪用されかねない。
彼女らはそんなスオーラの秘密を影に日向に守って行こうと誓い合った仲なのである。とはいえ真剣にそれを考えているのはゆたかくらいで、あとの二人はタダの仲良し程度にしか思っていないが。
スオーラの秘密を守るとはいえ彼女を籠の鳥のごとく閉じ込めておくつもりは毛頭ない。
せっかく日本に来ているのだから、やっぱり日本を、そしてこの地球という世界を知って、そして好きになってもらいたい。そんな考えもあり、時々こうして自称・女子会という名目で集まっているのだ。
特に今日は土曜日と日曜日と文化の日が連続した連休の真ん中。こうした集まりには持ってこいである。
とはいえその内容のほとんどは、スオーラを三人がかりでいじり倒しているのと大差ないが。
元々飲み込みや適応力は高いらしいスオーラも、彼女らのおかげでかなり「こちらの世界の」常識や知識を身につける事はできている。
しかしそれはあくまでも知識だけであり、スオーラ自身が実践していると思うものは、残念ながらほとんどないと言っていい。それは未だにプリペイド式のガラケーを頑なと言わんばかりに使い続けているところからも察する事ができる。
勧められても自分に必要ない物は必要ない。その辺の割り切り方も出会った当初からあまり変わってはいない。
見た目も良いしスタイルも良い。何を着ても似合うし、映える。女三人組のその正確な分析と強烈なプッシュをものともせず、スオーラは「シンプル・イズ・ベスト」と言いたげな自分のスタイルを貫いている。
ちなみにスオーラが今着ている服もシンプルと言えば聞こえの良い、素っ気なく飾りのないデザインの黒のロングコートだ。裾は(一七〇オーバーの長身の)ふくらはぎ辺りまである文字通りのロング丈だ。
そんなコートをファミレス店内でキッチリ着込んだままなので、違う意味でも目立って注目を浴びている。
トイレやドリンクバーなどで店内を行き来するほぼ総ての男性が、必ず彼女を見ながら通り過ぎているくらいだ。かえって落ち着かないし、ゆたかの「壁に耳あり〜」のたとえが本当になりかねない。
ふとスオーラがコートのポケットから携帯電話、それもガラケーを取り出す。音は鳴っていないのできちんとマナーモードになっているようだ。
蓋についた小さな液晶画面にはモノクロのドット絵で描かれた女性の顔が浮かび上がっている。少ないドット絵ではあるが妖艶な大人の女性というのはよく判る。
それだけで事情を察したスオーラは厳しい表情のまま立ち上がると、傍らに置きっぱなしだった魔法使いを思わせる広いつばのトンガリ帽子を手に取り、
[皆様申し訳ございません。また呼び出しが……]
その表情と言葉の濁し方で、三人の女子学生達は総てを察し、無言で「行ってこい」と合図を送る。
「金は後でもらうから」
小走りで去って行くスオーラの背中に、撫子がわざと空気を読まないような雰囲気で声をかけた。


雑居ビルの中にあるファミレスを飛び出したスオーラは、そばにあった階段を「駆け上がって」行く。三、四段ほど飛ばして段を駆け上がってはいるのだが、それを加味しても早すぎる速度だ。
スオーラはそんな速度で駆け上がりながら、ロングコートのボタンを片手で一つ一つ外して行く。外すほどに走りやすくなるようで速度はさらに上がって行く。
そして非常口からビルの屋上に出る。さらにスピードを上げて屋上の端まで駆けるとそのまま高々と飛び上がった。その高さも数十センチなどではない。数メートルだ。
開け放した黒いロングコートをマントのようになびかせて、彼女はビルの屋上から屋上へ飛び移るように移動しているのだ。
この世界でのスオーラは、瞬発力や跳躍力といった方向に文字通り超人的な力を発揮できる。この程度の芸当は朝飯前だ。
だが、冬の夕方とはいえまだ真っ暗な訳ではない。風も相当に冷たい。ネット社会の現代、こんな様子を見られたら大変では済まない。それでも彼女はそんな事全く気にした様子もなく宙を駆けて行く。
開け放したコートの下は膝より上のサイハイブーツに極端に短い黒のタイトスカート。上半身は白いスポーツブラ(のようなもの)に丈の短い長袖ジャケットのみという、見るからに寒そうな軽装だ。
深く被ってあごに紐までかけている魔法使いの帽子が飛ばぬよう片手で押さえ、スオーラはさらに駆ける。
そんなスオーラを、後ろからそっと抱え上げた者がいた。
妖艶という言葉がぴったりの青白い肌の女性である。素肌の上から直接赤く短いチョッキを着、足首でキュッと細くなる膨らんだ白いズボン――ハーレムパンツというらしいが――に加え、首や手首、足首には金色の輪っかがジャラジャラと。
長い髪を頭頂部で一つにまとめ、白い布を巻いて木のように直立させている。そんな女性だ。
そしてその顔は、先ほどスオーラのガラケーに表示されていたドット絵の女性そっくりだった。
《悪かったわね。急に呼び出したりして》
その女性はスオーラを抱え上げたまま結構な早さで「空を飛んでいる」のだ。姿形といいどう見ても人間ではあり得ない。
彼女の名前はジェーニオという。スオーラと同じ異世界出身の精霊。地球で言えば中近東辺りの物語に出てくる魔神だの精霊だのといった存在に近い。
こうして空を飛んだり怪力を発揮したりと、スオーラの助けになっている。特にこの地球では電気や電波といった物との相性が特に良く、先ほどのようにアバターのキャラクターのようにひょっこり姿を見せる事も可能だ。
[ジェーニオ。呼び出した理由を教えて頂けますか]
スオーラの真面目な表情は、彼女がこの世界にこうしている最大の理由が関係している。
それは、謎の存在・エッセと戦うためである。
見た事もない金属でできているが(実在・想像上を含め)常に何かの生物を模した姿で現れ、生物を不可思議な金属に変えるガスを吐く怪物である。そして、そうして変化させた金属のみを捕食する。とはいえエッセが本当に生物なのすら判っていないが。
どこから現れるのか。何のために現れるのか。背後関係や組織図等々といった事は全く判らない。スオーラがエッセと戦うようになってもう一年近くが経つが、その辺りは未だ不明のままだ。
だがこのエッセが現れると、ほとんどの場合スオーラが持っているカード状のアイテム・ムータから音が鳴る仕組みだ。それがないのだからエッセ出現の可能性は限りなく低い。
しかし例外が全くない訳ではないし、用もないのにこうしてジェーニオが呼び出すとも考え難い。
誰かの命令に忠実な精霊の性質上、自発的な行動はまだまだ苦手分野なのだ。スオーラが呼び出した理由を聞きたがるのは当然である。
《警察がね、すぐに来てほしいって》
基本的にエッセの存在はこの世界の人間には秘匿されている。こんな化け物の存在が知られてはパニックどころでは済まなくなるのは明らかだ。
そのため警察との連携や協力、情報交換は欠かしていない。数日前も顔なじみとなっている女性警察官・桜田富恵(さくらだとみえ)と一時間ほどそうしたやり取りをしている。
だが彼女なら自分の携帯電話の番号は知っているし、そもそもこのプリペイド携帯は彼女の名義なのである。なぜわざわざジェーニオを介する必要があったのだろうか。
《あなたは滅多に携帯電話を使わないから気づかなかったでしょうけど、今原因不明の電波障害が起きてて電波が不安定でね。携帯電話が通じ難くなってるのよ》
ジェーニオに指摘されてよくよく思い返してみれば、忍も撫子もゆたかも、ファミレスに着いた時はスマートフォンを取り出して何やら操作していたが、すぐにカバンにしまい込んでいた。
電波が通じ難いとそれだけ電池の消耗も激しいし、第一電波が繋がらないスマートフォンをいじっていてもそう楽しいものではないだろう。
最近流行のSNSやスマホゲームは電波や通信が繋がっていなければ楽しむ事はできないのだから。
[何があったのですか]
《二日前、エッセの目撃情報があったの》
確かに二日前ムータからエッセ出現を知らせる独特の音が発せられた。だがその音はすぐに止んだ。これでは探す時間すら取れない。
エッセがどこからともなく現れるといっても、このように短時間で姿を消してしまう事もある。そのためスオーラも捜索や追撃は仕方ないと、次の機会を待つ事にしたのだ。
《……ただしインターネットで》
重苦しいジェーニオの言葉。それを聞いたスオーラも「ついに来たか」と表情をさらに引き締めた。
ジェーニオの話によれば、この留十戈市のそばにある「鉄砲塚山(てっぽうづかやま)」。その山にある鉄砲塚湖という小さな湖。そこで目撃されたというのだ。
以前そこに現れた、水の塊のようなエッセと戦った事がある。だから場所自体は知っている。
エッセが現れた事で、警察が厳戒態勢を敷いていた時期はある。だがいつまでも敷いていた訳ではないし、そんな状態でも山へ行く人間がいなくなった訳ではないし、そもそもどんな厳戒態勢でも穴がないとは言い切れない。
[インターネットを使った警察への通報、ではなさそうですね]
《ええ。ツイッター》
その溜め息混じりのジェーニオの言葉に、スオーラは大きく溜め息をついた。
彼女自身はツイッターを使った事はないが、さすがにどんな物かくらいは聞き知っている。多少の偏見は入っているだろうが、その良さも怖さも皆から聞いている。
目撃情報そのものは有難い部分もあるが、これをきっかけにエッセの存在が広く知られるようになっては、これまでの苦労が水の泡だ
《もちろん潰しておいたわ。データ的にも物理的にも》
インターネットの世界でも自在に動けるジェーニオならどちらも可能ではあるだろうが、その辺にツッコミを入れるのは止めておいた。
《こっちでも調べてみたけど、今回のエッセの外見はサンショウウオの幼生体みたいね》
インターネットで調べたらしいジェーニオの説明であるが、さすがにそう言われてもスオーラの頭にはビジュアルが浮かんで来ない。
確かに異世界ではお嬢様育ち故の高いレベルの教育を受けてはいるが、それでも限界はある。
《この国では「ウーパールーパー」という呼び方の方が知られているようだけど》
とつけ加えてはくれたが、やっぱりスオーラには判らない。実物を見れば判るのかもしれないが。
[それで、この事をアキシ様はご存知なのですか?]
スオーラの口から出た「アキシ様」。この世界の住人である角田昭士(かくたあきし)の事である。
彼も市立留十戈学園高校の生徒であり、同時にスオーラ同様ムータを使う事ができる、エッセと戦う「同志」なのである。
そのためか慇懃無礼とまで言われるスオーラが「様」をつけて呼ぶ相手の一人だ。とはいえ彼女はたいがいの目上の人間に「様」をつけているのだが。
この一年近くこの世界と異世界とをまたにかけ、共に戦ってきたのだ。お互い恋愛感情には乏しいが絆めいたものはおそらくあると思っている。
それを聞いてジェーニオが困ったように少しだけうなると、
《「でんぱのとどかないところに〜」っていうアナウンスが聞こえるだけよ。一応鉄砲塚山へ行ってるみたいだけど、探すのは易しくないわね》
いくら何でも精霊という者が存在しないこの世界で、この姿を晒して探し回るのは無理である。山の中では電波の届く場所も限られる。
そのアナウンスが出るという事は、彼の携帯電話の電源が切られているか、本当に電波の届かない場所にいるかのどちらか、という事になる。
普通なら。
そういう言葉を使わねばならないくらい、彼の「普通じゃない」様子がある。
昭士には双子の妹・いぶきがいる。この妹は「誰かのために」「みんなと一緒に」という行動をするのも見るのも死ぬほど大嫌いという傍若無人を絵に描いたような人物なのである。
その辺はかなり徹底しており、たとえギブ・アンド・テイクや自分の利益となると判っていても即断われるほどだ。だから誰かを助ける事など決してあり得ない。
それに加えて「周囲の動きを超スローモーションで認識できる」という超能力めいた力まで持っており、相手を攻撃する際はそれをフルに発揮して相手の攻撃を紙一重で完璧に避け切ってみせ、相手の急所だけに攻撃を加える始末。もちろん加減は一切しない。
それが原因で入院した者も多いし、一生ものの障害が遺った者までいる。
しかし、そんな振る舞い方なのに、自分が困っている時には「自分を助けるのは常識である」という態度を露骨に出して激しく主張するため、正直に言って友人などいた試しがない。
そんな彼女は昭士の妹と見られ・扱われる事も死ぬほど大嫌いであり、常々「こっちに迷惑かけずに死んでくれないかな」と広言し、戦いのさなか一度命を落とした昭士を見て全身で偽りない大喜びっぷりを表して、周囲の人間が気味悪がるくらいにまでドン引きさせたほどだ。
そんな嫌いっぷりと自分の思い通りにいかない八つ当たりの犠牲者になるのが昭士である。彼女の「八つ当たり」が原因で入院するハメになった事も何度かある。
その「八つ当たり」が原因で、彼の携帯電話は年に一回は破壊されると聞いている。そのため費用節約の意味でも彼の物は一番安いガラケーである。
現在使っているガラケーは今年の夏にいぶきに破壊されて新しい物になっている。とはいえまた破壊された可能性は充分にある。
スオーラは何となく死者の冥福を祈るように薄く目を閉じた。
そんな風に瞑想のようなものをしていると、目的地である警察署が見えてきた。
ジェーニオはスオーラを警察署の屋上に着地させると、自分も宙に浮いたままの姿勢で彼女の後に続く。
[部屋はいつものところですか?]
《そう。この中の会議室》
この世界に来たばかりの頃にもやって来た場所だ。ここで巨大な蛇型のエッセと戦った記憶が蘇る。
あの時は狭い署内の廊下で巨大な蛇と巨大な武器で戦ったので大変だった、と。あの頃にジェーニオがいればもっと違った戦い方ができたのだろうかとも思う。
そして会議室に着く。閉まった扉の前にスオーラが立ち止まり、少し考え込んだ。
スオーラの故郷の世界――特に教会のような場所では、部屋の入り口に小さな釣り鐘が下がっている。
部屋の中の人間に用事がある時は、その釣り鐘を三回鳴らすのだ。部屋の中からも三回鳴ってから初めて部屋の扉を開ける。そう決まっている。
そんな「礼儀作法」が染みついているので、未だに部屋の外の釣り鐘を探そうとしてしまうのだ。ここは自分のいた世界ではないのだと判っていても。
(こちらの世界では、扉を軽く叩くのでしたね)
以前インターネットなどで調べてもらった物によると「トイレのドアは二回。親しい間柄の人の部屋は三回。初めての場所や礼儀作法が求められる場所では四回」とあったのを思い出す。
こんこんこんこん。
スオーラは迷わず四回ドアをノックした。するとすぐに中から「どうぞ」と声がする。スオーラは扉を開けて中に入ると、
[モーナカ・ソレッラ・スオーラ、参りました]
「また屋上から入って来たわね? 見つかったらどうする気?」
部屋の中にいたのはすっかり顔なじみとなっている女性警察官の桜田富恵である。彼女は「マズい方法」でここまで来た事に憤りを露わにしていた。
[も、申し訳ございません。火急の用事と思いまして……]
「確かに急いでくれるに越した事はないけど……」
富恵も表情ほど憤っている訳ではない。むしろ「しょうがないわね」と微笑ましく苦笑しているようなものだ。
そんな会議室の長テーブルにいくつもの紙資料が並べられ、広げたままのノートパソコンも数台置かれている。
「それじゃ……」
《それじゃ「お仕事」に戻ります》
富恵の声とジェーニオの声が重なる。富恵の方は「はいはい」と納得しているが、スオーラはそうではない。目で「お仕事」とは何だろうと言っているに等しい表情を浮かべている。
その時ジェーニオに変わって富恵の方が説明する。
「インターネットにエッセの画像が載ってしまった事は、この人から聞いてる?」
富恵の説明にスオーラは無言でうなづくと、
「だからジェーニオさん達に念を押して調べてもらってるの。ネットの情報拡散力はナメてかかっちゃいけないからね」
富恵がジェーニオ「達」とつけたのは、ジェーニオはもう一人いるからだ。
正確には元の異世界では右半分が女性で左半分が男性という姿。それがこちらの世界に来ると男性体と女性体の二体に分離してしまうのだ。
同じ物でも世界が変われば姿形、性質が変わってしまうのは珍しい事ではない。だが今はこの二体の分離がとても有難く思える。こうして手分けしての作業ができるのだから。
[判りました。よろしくお願い致します]
《お礼はいいわよ。存在がバレたら大変なのはお互い様だし》
ジェーニオの言う通りだ。この世界に精霊などの「実在」が知れ渡っても困るのだ。これはスオーラだけのためではない。
そんなジェーニオがウィンクして手を振りながら姿を消すと、富恵はスオーラをノートパソコンの一台の前に来るよう手招きし、ノートパソコンの画面をスオーラの方に向ける。
スオーラが覗き込んだ画面には「奇妙」としか表現できない何者かの写真が表示されていた。
色は白に近いピンク。塗りつぶしたような黒い目と口らしき物がある顔。その顔に左右三本ずつ映えているヒゲのような物。身体は長めだが太く扁平で、細長い足とおぼしき物が計四つ見える。
「あっちの世界にいる?」
[いえ。少なくともわたくしは聞いた事がありません]
富恵の質問に、スオーラは即答する。少なくともスオーラが教わった知識の中に、こんな生物は存在しない。こちらの世界特有の生物かもしれない。
[ジェーニオは「サンショウウオ」や「ウーパールーパー」と言っていましたが……]
「ええ。私の世代より上の人なら『ウーパールーパー』らしいです」
富恵の説明によると今から三十年以上前に日本で大流行した生物との事。
ちなみに現地での名称はアホロートル。その「アホ」が日本語では良い意味の言葉ではないのでウーパールーパーという名前を付けたらしい。
そんな当時の事情はとりあえずどうでもいい。問題はこの生物がどんな生態をしているか、である。
エッセは模した生物の特徴を色濃く受け継ぐ。その生物の弱点がそのままそのエッセの弱点になるケースも多い。そのウーパールーパーとやらの生態を知る事は戦う上で重要なのである。
調べてくれた資料によると、水の中で暮らしているが足に水かきがないので素早くは動けない。
水中の小さな昆虫、小魚、小エビなどを常食としている、典型的な肉食。
そしてウーパールーパー=アホロートルと呼ばれる種類は、この幼生体の姿のまま大人=成体同様に繁殖をする。
さらに「ここが気になる」と富恵が指差した画面には「手足やシッポ、エラのみならず損傷した臓器までも再生する能力を持っています。」とある。
超人的な瞬発力や跳躍力と引き換えにしたかのように、スオーラにはこちらの世界の文字を「認識・理解する能力」が全くない。だから富恵が読み上げた。
[再生能力、ですか!?]
もちろんあっという間に治ってしまう訳ではないようだが、この特性が受け継がれているとするとかなり厄介な相手という事になるのは当然だ。
攻撃しなければ相手は倒せない。しかし倒すのに時間をかけていては回復されてしまう。
そうなると回復する間を与える事なく休みない攻撃を加えるか、それこそ一撃で回復不能なレベルのダメージを与えるか。基本的な方針はこの二つになりそうだ。
そして後者にかけては昭士に頼るしかない。彼の使う巨大な刀剣「戦乙女(いくさおとめ)の剣」はまさしく“一撃必殺”の攻撃を繰り出す事ができる筈だ。
そしてこの戦乙女の剣でとどめを刺した時に限り、エッセによって金属に変えられてしまった生物を元の姿に戻す事ができるのだ。
そのためにも昭士と連絡を取り、再びこのエッセが姿を見せた時にすぐ行動に移せるようにしておきたいのだが。
とはいえ彼には彼の生活がある。協力を申し出てくれてはいるものの、彼の生活の総てをエッセ討伐に使わせるのは未だに気が引けている。
しかしエッセが姿を現わした以上は協力をしてくれねば困るのだ。だが肝心の彼と連絡がつかない。
考え込んでしまったスオーラを見守るように、富恵も口をつぐんでしまう。
ぶぉぉぉん。ぶぉぉぉん。ぶぉぉぉん……。
一瞬できた静寂の中の会議室に響く奇妙な音。スオーラは表情を硬くして、ジャケットのポケットから取り出した物。それはカード状のアイテム・ムータであった。
この音はエッセが現われた事を意味するものだ。
そのムータは出現を訴えるように点滅しながら音を発していたのだが、何と、音が急に鳴り止んだのである。いつもならしばらくは鳴り続けているのに。
これまで何度もエッセの出現を知らせてくれたムータであるが、こんな事は今回出現のエッセが初めてである。そのためかスオーラも未だに驚きを隠せない。
だがムータは出現した事を知らせてくれるだけで、どの世界のどこの地域に姿を現わしたのかは判らない。どんな姿のエッセが現われたのかも判らない。
どこに現われたのかを知る方法は今のところただ一つ。留十戈学園高校の駐車場に停めてある自身の家を兼ねたキャンピングカーにあるカーナビを見るしかない。
驚いて動きを止めている場合ではない。スオーラは瞬時にそう判断すると、
[トミエ様。アキシ様の事はよろしくお願い致します!]
スオーラはきちんと富恵に向かって一礼すると、猛スピードで会議室を飛び出して行く。
「……また屋上、飛び跳ねて行くのかな」
仕方ないかもしれないが、悪い方向に目立つ行動はやっぱり慎んでほしい。そんな思いで富恵は自然と屋上の方に目をやった。
ここからでは見えないのに。

<つづく>


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