トガった彼女をブン回せっ! 第26話その1
『……行ってしまわれるのですね』

「……行ってしまわれるのですね」
馬にまたがった男を見上げ、モーナカ・ソレッラ・スオーラは悲しそうに顔を伏せた。
このオルトラ世界における一宗教・ジェズ教の聖職者が着る詰め襟、その上着のポケットに手を入れたり、手を出したり。つけているマントの裾を握ったり、離したり。
場が持たない。落ち着かない。そんな風にも見える。
本当なら行ってほしくない。そう言いたい。しかしそう言えない。そんな風にも見える。
旅支度をすっかり整えた馬にまたがったまま、そんなスオーラを見つめる男――いや、女のガン=スミス・スタップ・アープは、彼女の気持ちが後者ではなく前者である事をいささか残念に思いつつも、
《元々そういう条件だったからな》
そう言って、またがっている愛馬のたてがみを指先で撫でるようにする。
このオルトラ世界には、時折謎の侵略者が襲ってくる。意志の疎通が全くできていないので侵略なのかどうかも判らないが、とにかく普通の怪物とは全く異なる「存在」である事に変わりはない。
何らかの生き物を模した姿をし、その全身は異質な金属のような物で覆われていて、通常の攻撃は全く効果がない。
そして口から吐いたガスで生物を金属に変え、それのみを捕食する。
スオーラもガン=スミスもそんな異質なる存在・エッセと戦う事ができる能力を持っている。その戦いの中で知り合った二人である。
その戦いの中で今またがっている愛馬・ウリラが犠牲となってしまい、金属の像へと変えられてしまったのだ。
幸い元に戻る事ができたが、その代償かウリラからこれまでの記憶がスッポリと無くなってしまったのだ。
だが時間をかければ記憶が戻る「かも」しれない。そんな淡い期待と希望を胸に、小さな牧場で働いていたのだ。
そして期待と希望は身を結び、ウリラの記憶は戻った。そうなればもうこの牧場に用はない。
スオーラもその事は聞いていたものの、やっぱり旅に出ず共に戦い続けてほしかった。普通の人間や武器が一切通用しないエッセと戦える人間は数が限られるのだ。
だがガン=スミスにはガン=スミスの生き方・暮らし方があり、いかに戦える人間が限られると言っても、それを強制する事は残念だができそうにはない。
「あなたを引き止める事ができれば良かったのでしょうけど」
《止めとけ。一宗教の聖職者が色仕掛けなんて、イメージじゃねぇし》
露骨に拒絶。そんな意味を含んだ視線。ガン=スミスは溜め息をつくと、
《もう二度と会えねぇ訳じゃねぇんだ。頼むからそんな悲しい顔は止めてくれ》
性別的には女性だが、訳あってガン=スミスの中身――精神的には中年男性である。女の涙にはどうしても弱い。
《イイ年したオッサンがカッコつけたって、似合わねーよ》
ガン=スミスがあえて無視していた、スオーラの隣に立つ少年が、辛辣な意見を述べる。
彼の名前は角田昭士(かくたあきし)。このオルトラとは異なる世界からやって来た少年である。さらにその異なる世界はガン=スミスの故郷の世界でもある。国と時代は異なるが。
違う世界に来た副作用なのか、ガン=スミスは性別だけが変わってしまっているので昭士の「オッサン」は至極正しいのであるが、
《誰がオッサンだ、東洋人!》
今度は露骨に怒りに満ちた視線を昭士に向け、かつ、足で蹴り飛ばそうとまでするガン=スミス。まだ(?)三十代のため「オッサン」は否定したいのだ。そんな蹴りを大して動かずに悠々と避け切った昭士は、
《ほら。コレやるから機嫌直せ》
そう言ってガン=スミスに差し出したのは、さっきからずっと持っていたリュックサックだった。
だが普通の物とは微妙に違う。まず外側にポケットなどが一切ない。さらに上部に物を入れる口が空いているのだが、それを締める紐や蓋がない。いや、紐らしき物はついているのだが、締めるための長さがない。
なのでそれを受け取ったガン=スミスや蓋や紐を探しているスオーラが不思議がるのは当然と言える。
《ああ、そいつは口の方をこうやって丸めてだな……》
昭士はリュックをガン=スミスに持たせたまま、口をピンと張って平らにくっつけると、そのまま小さめにクルクルと巻き始める。ある程度丸めると、小さくぶら下がっていたベルクロのテープで巻いた部分をピタリと固定する。
《ほら。こうやるんだよ。コレでよっぽどの事じゃなけりゃ中身が濡れる事はない。こいつは俺の世界でも有名な防水バッグだ。旅には役立つだろ》
昭士のそんな説明を聞きながら、ガン=スミスはリュックサックを観察している。
自分のいた頃から遥かに進んだ、そして想像を遥かに越えた文明が産み出したリュックサック。機能的には全く判らないが、見た事もない生地でできているのは間違いない。
ガン=スミスが暮らしていた時代から二百年は経っているのが昭士の住む現代という時代。リュックサック一つ取っても文明が相当進化しているのは容易に察する事ができる。
この辺りは基本的にあまり雨が多い地域ではないが、降らない訳ではない。それにこうした旅であれば、橋がなくそこそこ深い川を渡らざるを得ないケースも出てくる。
どちらにしろ、濡らしたくない、濡れたら困る荷物を守れるカバンは、旅暮らしの人間にとって困る物では決してない。
《……ま、東洋人にしちゃあ、気の利いたモンよこしたな》
白人以外を「下に見る」のが普通、当たり前だった時代に生きたガン=スミスは、東洋人である昭士をやはり格下に見ている。
付き合いは短いし共に戦った回数も少ないので、互いの理解は正直進んでいない。
いくら今彼らのいる世界が露骨な人種差別をしない場所と判っていても、すぐに差別的な言動を無くせる訳ではない。
その辺は昭士も判っているので、表情には出しても言葉や暴力にはなるべく出さないようにしている。
《けど、どうせならお前が持ってる……アレ、何だ。あー、そのー》
ガン=スミスは思いつく限りのジェスチャーを散々繰り広げてから、唐突に、そしてようやく思い出したように手を叩くと、
《ケータイ! ……で、いいのか? そっちの方が有難かったがな》
離れた相手と連絡が取れる機械。もちろんガン=スミスがいた時代にも、このオルトラ世界にも存在しない文明の利器だ。
もっとも現代のオルトラ世界であれば「電話」という物は存在はしている。ただ開発されて年数が経っていないがゆえに進化もほとんどしていない。
今昭士が持っているような「携帯型」など望むべくもない。
「そうですね。それがあればエッセが現れた時に連絡を取る事もできますし」
スオーラの視線が昭士に動く。彼女が持っている携帯電話も、昭士の世界で手に入れた物だ。
オルトラ世界にはアンテナも中継基地もない筈なのに、何故か普通に使う事ができるのだ。あれば便利なのは言われなくても昭士には当然判っている。だが昭士は呆れたような顔で、
《ダメだろ。だいたい電池切れたらどこで充電するんだ? 屋外で旅暮らしの人間が? こっちの世界には充電できる場所なんてそもそもないだろ》
確かに充電の度にいちいち戻ってくるのでは、旅暮らしの意味が全くない。
《それとも充電の度に俺の世界に来るか? それこそ面倒だろ。いきなり二百年も時代越えたら浦島太郎も良いところだ。ギャップの激しさに知恵熱起こすぜ?》
言い方は悪いが昭士の言い分はとても正しい。定期的な充電ができないのであればこんな機器を持つ意味はない。
だから遠慮の全くない格下の人間の言葉でも、ガン=スミスは文句を言わずに最後まで聞いていた。
チョッキのポケットにしまったままのムータに触れながら。
ムータとはカード状のアイテムであり、エッセと戦える戦士の証、のような面がある。
異なる世界に存在する「別世界の自分自身」となる事により、常人を越えた力を発揮できるようになるからだ。
スオーラには跳躍力と瞬発力を。昭士には周囲の動きをスローモーションで認識できる力を。ガン=スミスには闇も遠くも見通す視力を。
そして所有者同士ならば言葉が通じるようにもなる。
さらにこのムータは別の世界へ行く扉を作り、開く力も持っている。つまりこれがあってこそ昭士やスオーラは二つの世界を行き来できるのだ。その際に外見や内面が変化してしまうのは別世界の自分自身となってしまう証左だ。
ガン=スミスは溜め息をつきながらそのムータを取り出した。その色は薄い茶色。スオーラが言うには「射手」のムータらしい。
昭士のムータは「軽戦士」のムータで表が青で裏が白。そのどちらにも金色のラメが入っている。
スオーラのムータは「魔術師」。以前は青だったが今は両面とも白。
ところがガン=スミスが持つ薄い茶色の「射手」のムータには、表(裏かもしれないが)に何かでえぐられたような大きな傷跡がある。
この傷を見たスオーラは、ムータが持っている何らかの力が無くなっていなければ良いと思っているが、そこまでは判らない。
しかしこのムータは遥か昔に製法が失われているらしく、こうした傷を直したり新しく作ったりする事はもうできないらしい。
だから、もしスオーラの予感が的中していたとしても、もうどうする事もできないのだ。
《…………悪いな》
しばらく苦悩するような表情で無言だったガン=スミスは、我慢の限界とばかりに寂しそうにぽつりと漏らした。
《この傷のせいだろうが、もうオレ様は元の世界に戻る事はできねぇ。何度もやってはみたんだがな》
スオーラは、自分の予感が的中してしまった。何と言ってあげれば良いのか。そんな複雑な感情がない交ぜになり、何か言いたいが何も思いつかない。そんな風に表情が曇った。
すぐにガン=スミスは空元気を出したように、あからさまに作った笑顔になると、
《さっきも言ったけど、悲しい顔は勘弁してくれ。新しい旅立ちの日なんだ。笑って送ってくれよ》
「で、ですけど……」
《確かにここでグダグダやってても仕方ないだろ。いつまで経っても旅立てやしない》
昭士のそんな言葉に、スオーラは「……そう、ですけど」と無理に納得しようとしている。
だが、まだまだ納得しきれない。タダでさえ数少ない「エッセと戦える者」の協力が得られなくなるかどうかの瀬戸際である。諦めが悪いのも無理はない。
だがその方法が思いつかない。
スオーラがそんな風に諦めきれない悩みを秘めている間に、昭士は唐突にガン=スミスに向かって拳を軽く突き出した。
《本人の希望通り、笑って送ってやろう》
昭士とガン=スミスの視線が合う。
《じゃあな。またどこかで会うだろ、オッサン》
《……かもな。てかオッサンは止めろ》
ガン=スミスも彼と同じように拳を出し、軽くコツンと突き合わせる。
スオーラは「それで良いのか」と目で訴えていたが、昭士にもガン=スミスにも照れが交じった苦笑いを浮かべてはいたが、迷いは一切見えなかった。これで良い。いや、これが良いと言いたそうに。
年は一回りは違うが、男同士というのはこういう物なのだろうか。そう思って女である自分が口を出すのは逆に不粋と黙ってガン=スミスを見上げた。
ガン=スミスは視線のみをスオーラに送ってから手綱を握り、馬を歩ませ……ようとした。だが彼は馬の前の方を覗き込むようにすると、
《オイちびくろ。さっさと退け》
ガン=スミスが昭士の時以上に怒りに、そして格下認定した雰囲気の目で睨んでいるのは、小柄な黒人の少女だった。
全く手入れをしていないボサボサで白い長髪。あちこち汚れているポンチョのような貫頭衣を着ている裸足の少女。
繰り返すが、白人以外を下に見るのが普通だった彼の考えからすれば、黒人など「人の形をしたナニカ」であり、自分と同系列の人間とみなす方が稀少な考えである。
とはいえ、この世界ではそうではないと判っていても、東洋人の昭士以上に蔑視感はむき出しになる。これでも信じられないくらいマシになった方だ。
「あの、ジュン様。お別れしたくないのは判りますが……」
スオーラにジュンと呼ばれた黒人の少女は、ガン=スミスの個人的なものだけでなく、このオルトラ世界でも「森に住む蛮族」と蔑まれる存在だ。
深い森の中で未だ原始的な生活を営む、女性だけの村の出身であり、まさしく「野生児」を絵に描いたような少女である。
ちなみにジュンはムータを持っていない。それでも常人離れした筋力を発揮できるし、スオーラには劣るがなかなか高い敏捷性も持っている。
昭士の世界に行った際には柄を持たない短剣の姿に変わるが、刃が受けた衝撃を完全に消し、かつ無傷で受け止めきってしまう。
野生児だけに動物との相性がとても良く、ガン=スミスと牧場で働いていたのだ。といってもジュンの場合は動物達と一緒に駆けずり回っていただけだが。
単純に仲が良くなった馬のウリラと別れたくないのだろう。元々動物は好きらしいし。
だが、その動物に何かあった時の「怒り具合」がどれだけ凄まじいものだったか、スオーラはよく知っている。無理矢理引き離した時にその「怒り具合」を発現されたら、正直に言って止める自信はない。
ジュンは背伸びと手を思い切り伸ばして、ウリラの首を優しく撫でてやっていた。それが心地良いのかウリラはされるがままになっている。その辺りの親近感もガン=スミスが微妙に腹立たしく思っている事の一つだ。
《ジュン。行かせてやれ。こいつらはそれをずっと待ってたんだから》
昭士がジュンの肩に手をかける。ガン=スミス→こいつではなく、あえてウリラを含めた「こいつら」と言って。
《どっちにしろ、あのマイクロバスに馬ごとは乗っけられないし》
その言葉にスオーラは困った顔をして黙ってしまう。
マイクロバスも、本来はオルトラ世界ではない、違う世界の物だ。
手に入れた経緯は割愛するが、そのマイクロバスはいわゆるキャンピングカーになっており、中には個室とキッチンはもちろんの事、トイレやバスルームといった水回りまでが完全完備されている。
だがその個室は全部で三つしかない。スオーラ・昭士・ジュン。この三人で既に埋まってしまっている。
ガン=スミスのみであればどうにでもできるかもしれないが、馬のウリラはそうはいかない。馬車などに乗せて引っ張る訳にもいかない。
もちろんウリラを置いて行くなどガン=スミスがする訳がない。このマイクロバスが旅の移動手段であり滞在場所である以上、どちらにせよ別れは必然かもしれなかった。今の馬にこの車と同じだけのスピードを出すのは無理だからだ。
やがてウリラは目を細めて、ジュンの頭に鼻を軽くすり寄せた。昭士やスオーラにはサッパリ判らなかったが、その雰囲気は優しく何かを語りかけているようにも感じられた。
それでジュンはようやくウリラから離れた。その目は特に悲しんではいない。決して喜んではいないが、ジュンなりにキッチリと見送ろうという意志は感じ取れた。
そこでようやくガン=スミスは馬を歩ませた。勢い良く走り出しはしない。旅の荷物のせいもあるが、目的地も決めていないあてのない旅である。ゆっくりのんびり行く旅はそんなものかもしれない。
三人は何となく、その後ろ姿が小さくなるまでそこで黙って見送っていた。
そこでスオーラが気づいたのは、ガン=スミスの姿がかなり小さくなってから町の人間達がひょっこりと顔を出して、ガン=スミスの去って行く姿を観察する住民が増えてきた事だ。
牧場の牧童としては割と役に立ったガン=スミスだが、差別的な言動を直す意志はほとんどなく、終始そんな態度で暮らし続けていたので、町の住民からはほぼ総スカン状態。
その辺りはこの町の聖職者はもちろんスオーラも何度も言ったのだが、ガン=スミスにとってはその「差別的」な言動が「極普通」という状態だったのである。年単位ならまだしも数ヶ月も暮らしていない期間では直る訳もない。
それに比べれば「森の蛮族」たるジュンの方がよほど町に馴染んでいた程だ。町の人間基準からすればロクに洗わない服や髪、そして見慣れぬ黒い肌に違和感を感じたくらいだ。
だがジュンの方もガン=スミスとは違う理由で直す意志は皆無だったので、好かれていたとは決して言えないのだが。
「……あの。行った、んですよ、ね?」
自信がなさそうというか、かなり不安な様子でそう訊ねてきたのは、この町の聖職者パードリ・デッラ・キエーザ教父(きょうふ)である。
五十過ぎの中年男性ではあるが、自分の娘程の年齢であり、ずっと低い位のスオーラに対しても敬服の意を表わしているのが丸判りだ。
それはスオーラがジェズ教最高責任者の娘だからか、世界を救う救世主だからか。
「はい。ご迷惑をおかけしたようで、申し訳ございませんでした」
謝罪するスオーラを見て、慌ててそれを止めさせると、
「理由はどうあれ、町の問題が減った訳ですから。こちらとしては喜ばしい事です」
彼の言い方に、ガン=スミスに対する町の人々の思いの総てが込められているような感じすらした。仕方ない部分もあるだろうが、お互いもう少し歩み寄りや譲り合いは持てなかったのだろうか。
そしてそうなるように導く事ができなかった事を、スオーラはかなり気にしていたのは確かだ。まだまだ自分は未熟である、と。
昭士とジュンにはこの国の言葉は判らないので、そんな二人のやりとりはほとんど判らない。
けれどスオーラの言っている事だけは判るし、表情は全世界共通だ。教父と聞いていた人物は「厄介払いできて良かった」と思っているのは昭士にも判る。
他の町の住人も同様だ。もうすっかり見えなくなったガン=スミスが行った先を見て「もう戻って来るな」と言いたそう表情で両手をチラチラと振っている。
良く見ると親指・中指・薬指の先をくっつけて影絵の狐のような風にしている。両手ともだ。
もちろん昭士にその意味は判らないが、おそらく(昭士の世界で言う)「中指を立てる」だのといった仕草のような意味合いだろうと推測する。
ガン=スミス自体が皆に好かれるタイプの人間ではないが、こうまで厄介物扱いされているのはさすがに判るだろうに。
それでも態度を改めようとしない部分は、何となく「やっぱりアメリカ人だなぁ」と変に納得していた。現代アメリカ人も「自分のやり方や考え方は世界中どこでも通じる」と考えていそうな雰囲気があるからだ。その辺は昭士の偏見も多少入っているが。
(あいつムータのおかげで目がメチャクチャ良いからな。見えてんじゃねーのか、これ)
射手=飛び道具の使い手を意味するムータの持ち主であるガン=スミスは、確かに遠くの物まで良く見える。こちらからは小さくてその姿の確認も困難だが、たかだか数キロメートル程ならば別に苦もなく見えるだろう。
この町の様子を見て怒って戻ってくるのではと思っていたが、ガン=スミスもこの影絵の狐のようなジェスチャーの意味までは判るまい。
どうやら昭士の予想は当たっていたようで、町の人々がこぞって手を「影絵の狐」のようにしている様を見たスオーラが、
「……そろそろ参りましょう、アキシ様、ジュン様」
ポツリと言って、むすっとした顔のまま押し黙って歩き去ってしまったからだ。
昭士達はここに来るのにスオーラの運転するマイクロバスに乗って来ている。このままでは自分達は置いて行かれかねない。
普段は周囲に対する気配り・心配りが十二分なスオーラであるが、(いくら嫌われていたとはいえ)町の人々の対応・反応がかなりショックだったようだ。
その辺りは育ちが良すぎるお嬢様を容易に連想させた。実際に一宗教のトップの娘なのだから育ちは良すぎるのだが。
純粋培養というか箱庭育ちというか、世の中には善意にあふれ人々は善意を前提に行動する。いわゆる悪人と呼ばれる人々にも善意はある。それをきちんと引き出して導くのが聖職者の役目。そうあらんとしていた。
スオーラ自身も頭では世の中そう善意ばかりではないと判ってはいたろうが、こうまで露骨に、そしてストレートに突きつけられた経験は少ないだろう。
(マズイなぁ)
スオーラの後ろをジュンと一緒に歩きながら、昭士は考える。
基本嫌な事があった女は愚痴を聞いてもらうというスタンスで言いたい事を吐き出すタイプが多い。聞いてもらう事、そして同意してもらえる事がメイン。具体的な解決策などはほとんど求めていない。
だが男の場合そうした話を聞くと「何とか解決策を」と考えて発言する(女視点では発言の邪魔)ので、そこで意識の食い違いが起こる。
女は吐き出したい事を充分に吐き出せずストレスがたまり、男は自分のアイデアを全否定されてイライラをつのらせる。
だからこういった場合は、誰か同性に相手をさせる方が良いのだ。しかしその「同性」がいない。
良くも悪くも単純明快なジュンでは、いくら同性といっても話にならないし、そもそも話の途中で飽きてしまう。
本来ならこういう時に一番「役に立って」ほしい人物がここにいるのだが……。
三人揃ってゾロゾロとマイクロバス前方の入口から乗り込む。それほど広くない運転席なので、人が三人も入ればそれだけで結構一杯になった感じである。
昭士は個室やキッチンに繋がる廊下への細い扉を開くと、
《いつまで寝てんだ起きやがれ》
その細長い廊下に置かれている巨大な物体に向かって声をかけた。
その物体は実は剣である。刃の長さだけでも二メートル近い。刃の幅も四十センチ程あり、そのため柄の長さも五十センチはある、重量の方もそれに見合った約三百キロと、あらゆる意味でとんでもない剣なのである。
その剣の名前は「戦乙女(いくさおとめ)の剣」。実はこの正体は、昭士の双子の妹である角田いぶきなのである。
妹という事は女である。スオーラのサポートやこうした「女同士ならでは」の相談事などは彼女がやる方が色々と都合が良い筈である。互いの「秘密」を知っているのだから、遠慮なく話ができるだろう。
ところが妹のいぶきは「他人のために」何かをするという行動を見るのもやるのも大嫌いという人間なのである。
他人が困ろうがどうなろうが知った事ではない。いくら報酬を積んでも他人のために行動する事はキッチリと断わる。
だが自分が困った時は他人が無条件に手を貸し、助けるべきであると一遍の曇りもなく考えている。
更に気に入らない事があればすぐに手が出る足が出る。しかも生まれついて備わったらしい「周囲の動きを超スローモーションで認識できる」能力をフル活用して。
手加減や情けをかけるような性格ではないので周囲の人間を容赦なく傷つけたばかりでなく、入院し、障害が遺った者まで出る始末。
幼い頃からそんな人間ゆえに友人と呼べる者がいよう筈もなく、またこうした助けを頼めない人物でもあるのだ。
いぶきのような人間が何故こうしているのかというと、彼女が変身したこの「戦乙女の剣」こそが、エッセに有効的なダメージを与えられる唯一の武器であり、この剣で止めを刺さねばエッセによって金属に変えられた生き物を元に戻せないからでもある。
唯一の武器といっても三百キロもある巨大な剣を使える人間など普通はいない。だが兄の昭士だけは例外で、この重量をほとんど無視して振り回す事ができるのだ。
今回は戦いのためにやって来ている訳ではないので、いぶきは元の世界に置いて来ても良かったのだが、過去昭士単独でこちらの世界に来た際、昭士といぶきが別々の場所・時代のオルトラ世界に飛ばされてしまった事があるため、以後何があろうと世界を移動する時には二人揃った状態でのみ行う事にしているのだ。
そんないぶきだが、彼女視点で見ればやりたくもない事を無理矢理やらされている訳であり、徹底的に非協力的な態度を貫く意味でも、昭士に返事すらしてこない。
昭士もいぶきからの返事がほしい訳ではないので、柄の部分に浮き彫りになった裸の女性の上半身部分を爪先でかつんと蹴るだけにとどめる。
「アキシ様。あちらの世界に向かいますね」
スオーラはマイクロバスのエンジンを始動させ、更にカーナビもキッチリ起動。操作の方もだいぶ慣れて来たようで澱みがない。元々物覚えは早いのである。
そのままマイクロバスは町から離れるべく走り出した。まさか町の中で世界を移動するための扉を開ける訳にもいかないからだ。
ちなみにガン=スミスが去ったのとは逆方向なのではち合わる事はない。
町の周囲を覆うように点在する畑。その姿が見えなくなり、辺りが何もない荒野だけになった時、バスを走らせながらスオーラは自分のムータを取り出した。
「行きます」
独り言のようにそう言うと、彼女はムータを眼前に突き出した。
すると、ガラスを指で弾いたかのような、澄んだ音が辺りに響いた。ムータから四角い光が前方に照射され、遥か先の何もない空間に、青白い光を放つ扉のような物を造り出した。
もう何度かやっているのでスオーラも慣れたものだ。この光の扉を通ると、このマイクロバスごと昭士の世界に出るのである。
あちらの世界に出た際に、建物の中だの怪しい施設の中だのに出ないよう考えている。町から離れたのにはそんな理由もある。
すぐにマイクロバスは光の扉に飛び込んだ。すると四角い光は姿を消した。
役目を終えたかのごとく。

<つづく>


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