トガった彼女をブン回せっ! 第25話その4
『信用できずとも信用してほしい』

「本来は、こうして姿を晒したくはなかったのですが」
ビーヴァ・マージコと名乗った無表情の女性は、ガン=スミスに構わず淡々とした調子で語り出した。
「先程の雰囲気から、あなたがセンツァ・スクルーポロの屋敷にいた事があるのは見抜きました。そしてその時に二百年の時を越えて、今こうしている事も」
無表情の瞳がガン=スミスの心の奥底を見据えるように捕らえている。ガン=スミスはあえて視線を逸らさず、逆に相手を強く見つめるようにして、
《いたからどうだってんだ? それと泥棒の大将にどんな関係があるんだよ》
マージコ盗賊団という名はさっき聞いたばかり。どんな盗賊団かは知らないが元保安官としても、信用するに値しない人種である事は確かだ。
母国語の方を使うガン=スミスの露骨な警戒心を柳に風のごとく受け流しながら、
「あなたがこうして二百年の時を越える原因を作ったのは、我々でしたから」
そう前置きをしてから、彼女は勝手に淡々と話を始めた。
センツァ・スクルーポロの屋敷の倉に忍び込んだ事。そこに袂を分かった元仲間達がいた事。そこで大立ち回りを演じるハメになった事。たまたま見つけた白いムータと周囲の魔法的環境が原因で、その場にいた全員が時や世界を越えて散り散りになった事。
「関係ない者を巻き込まない。それが盗賊の矜持というものです。影に徹するべき盗賊たる自分がこうして正体を晒すのは、償いの意味があります」
「謝罪の意」というものだろうか。国や世界が異なる事でまるっきりそうとは感じられないが。ガン=スミスはそんな事を思った。
とはいえ、今さらそんな事を言われてもリアクションに困るだけだ。この場で彼女を叩きのめしても元の時代に戻れる訳でもあるまいし、と。
《そんなどうにもならない謝罪をするためだけに、こんな真似をしたってのか、大将さんよ?》
「それはおまけです」
間髪入れずに言い返すビーヴァ・マージコ。彼女はすっと立ち上がると、
「本当の目的はこの中にいる人物に、問い質す事があるからです」
先程ガン=スミスに見せた白いムータを再び取り出した。
《おっ、おい、何しやがる……》
ガン=スミスが慌てて立ち上がって止める間もなく、ビーヴァ・マージコは手にしたムータの角で牢屋の壁を斬りつけたのである。
すると、堅い壁に細く大きな亀裂が刻まれたのである。いとも簡単に。彼女はその亀裂に腕を滑り込ませると、
「では後ほど」
短くそう言うと、彼女の身体はもちろん腕すら入りそうにない細い亀裂の中にあっさりと吸い込まれた。それと同時に亀裂はピッタリと塞がって、何事もなかったかのように固い壁となってしまった。
当人は「問い質す事がある」と言っていたが、そう言ったのは泥棒である。壁の向こうで何をするのか判ったものではない。
泥棒が信用ならない相手というのは古今東西の常識である。
もし殺されでもしたら、それは牢屋番を願い出たガン=スミスの責任となってしまう。そうなれば元保安官というプライドすらズタズタになる事態だ。
加えて自分の滞在を快く思っていない町民が一斉蜂起しかねない。
ガン=スミスは慌てて扉を開ける鍵を取りに向かおうとすると、それを遮る者が。
“大丈夫だ。本当に「問い質す」だけだ”
“大丈夫だ。本当に「問い質す」だけだ”
ジェーニオである。唐突に姿を現わし、ガン=スミスの身体を両手で押しとどめている。
《信用できるか! どけ半分野郎!》
自分を押しとどめる腕を力任せに押しやって通ろうとするものの、人間と精霊では単純な筋力が違い過ぎる。押しやろうとする腕はびくともしない。
“信用できずとも信用してほしい”
“信用できずとも信用してほしい”
無茶苦茶な理屈である。いや、理屈と言っては理屈に失礼である。だがジェーニオにはそう言うしか手段がなかった。
もちろんそんな事で引き下がるようなガン=スミスではない。これだけ大声を出して暴れても別の部屋にいるこの町の役人が全く来ないからだ。
きっと殺されたか気絶させられたかのどちらかだろう。救援は期待できないと見抜く。自分一人の力で何とかするしか方法はないのだ。


牢の中に悠々と入ったビーヴァ・マージコは、狭い部屋の隅で固まっている三人組の少年達に目をやった。
この部屋に明かりはない。手の届かぬ高さにある天窓から月明かりが入ってくるだけだ。今宵は満月に近いのでそこそこの明るさがある。
その天窓にはもちろん格子がガッチリとはまっている。それ以前に格子がなくても大人の頭部がギリギリ通れる幅しかないので、ここからの脱出はまず不可能である。
ビーヴァ・マージコは三人の視線がこちらに向いているのをそんな中で確認すると、
「えーと。フルトさん、ラードロさん、ルバトーレさん、でしたね」
例によって淡々とした調子で一人一人に声をかける。そしてルバトーレと呼んだ若者に視線をやった。最初にガン=スミスのクロスボウで足を射抜かれた若者だ。
「痛かったですか? 災難でしたね? 何故あなたが『ズヴェニーレの外套』を使わなかったのか不思議でなりません」
とはいうものの、外套が二人分しかなかったのが原因なのを判った上での発言である。
彼女はルバトーレの顔を覗き込むように近づいて――それでいて彼の不意をついた攻撃が届かない絶妙の位置に立った。
「……ミワ。何で貴様がここにいる」
ルバトーレはビーヴァ・マージコを「ミワ」と呼んだ。そう。以前「ミワ」という名前で接触をした事があるからだ。
接触をしたのはルバトーレと、その父からの依頼。伝説のマージコ盗賊団の宝の一つと云われる魔法のアイテムを探し出して来てほしいというものだ。
その名は「ペルヴィエタのネックレス」。壁を通り抜ける事ができるアイテムだ。
そしてミワ=ビーヴァ・マージコは見事に探し当て、彼らに届けている。
だがこれは彼女が属していた盗賊団の、しかも自分の父親のコレクションでもある。袂を分かった派閥に持って行かれた物である。
しかし彼女はこれを亡き父のために取り返すつもりは毛頭ない。もしそちらが目的であれば、最初からルバトーレ達に渡したりはしない。
「あなたにならすぐ気づいてもらえると思っていたのですが……仕方ありませんね。元々変装と腕力以外に取り柄のない人間でしたからね」
相変わらず淡々とした感情希薄な物言い。しかしルバトーレの表情が一瞬固まった。
「いや、だが、しかし……そんな筈」
「あるでしょう? 自分だってそうじゃありませんか」
相手の言葉を遮って、キッパリと言い切ったビーヴァ・マージコ。無表情ながらも、相手を追いつめた者特有の小さな優越感を秘めた笑みを浮かべている。
一方で完全に表情がこわばって固まっているルバトーレの顔。仮面のように無表情を貫いているビーヴァ・マージコの顔。
完全に蚊帳の外に置かれてぽかんとしているフルトとラードロはそんな対照的な二人を見つつ、
「ど、どうなってんだよ。どういう事だよ……?」
訳が判らない。暗がりの中ではあるが、そんな困惑の様子が手に取るように判る。二人は表情が固まったままのルバトーレを驚き半分不審半分の震える目で見つめる事しかできなかった。
「ふむ。判らないままでいるのも不憫でしょうから、お教え致しましょう」
そう前置きをすると、ビーヴァ・マージコは語り出した。
自分とルバトーレは元々二百年前の人間である事。サッビアレーナ国で伝説と云われたマージコ盗賊団の人間だった事。
内部抗争でルバトーレがいる武闘派と自身が率いる旧来派=知性派に分かれた事。さる商人の宝物庫で起きた魔法的事故で時代・世界を越えて散り散りに飛ばされてしまった事。
だいたいはついさっきガン=スミスに向けて話した事だ。
「そして、その武闘派のリーダーを務めていたのが、そこにいるルバトーレさんです」
改めて自己紹介でもするかのように、ビーヴァ・マージコはルバトーレを手で指し示す。
フルトとラードロはそこまで説明されても固まった表情のままである。
「えっ、あっ、あのっ、それ、違いま、違うんじゃ、ないかと」
フルトの方が、迫力に飲まれたようにつっかえつっかえビーヴァ・マージコに訴えようとする。
「だって、俺達、幼馴染みですよ? ラードロだってルバトーレだって、小さい頃からの知り合いですよ? こいつの小さい頃、みんな知ってますよ?」
その訴えにラードロもウンウンと力一杯何度もうなづく。
小さい頃からバカをやったりケンカをしたりして大きくなってきた間柄である。二百年前の時代からやって来た、盗賊を経験している程の年齢の人間であろう筈がない。
今度は見当外れの考えを述べたビーヴァ・マージコを冷ややかに責めるような空気に包まれる。ところが彼女は相変らずのポーカーフェイスのまま、
「あなた方の発言は少しも間違っていません。あなた方は幼少の頃から一緒に育ってきた幼馴染み。『それ自体は』少しも間違っていません」
意味ありげに言葉を濁してはぐらかす。そして彼女の手が一瞬動いた。
「ぎゃっ!」
ルバトーレが小さく悲鳴を上げる。すると彼の顔の中央に縦に筋が刻まれたのである。いつの間にか右手に持っていた小型のナイフで顔を切り裂いたのだ。
……しかし、そこからは血は一滴も出ていない。それどころか、まるで日焼けをした背中の皮のように顔の表面がペリペリとめくれていったではないか。
顔の皮膚が綺麗に二つに分かれて落ちると、そこにあった顔はルバトーレとは似ても似つかない中年男性の顔だった。
「おじさん!?」
フルトとラードロの声が揃う。そう。その顔はルバトーレの父親の物だったのだ。
「自分の子供に化けていたんですね、やっぱり」
ナイフを柄にしまいながらビーヴァ・マージコは呟く。
「化けておきさえすれば、自分に疑いの目が向けられる事はない。万一目撃されても捕まるのは息子さん。自分は一安心。あなたの変装術はマージコ盗賊団の間でも特に優れていましたからね。相変わらずお見事です」
正体がばれたルバトーレの父親は、皆から顔を見られまいとするかのように視線を逸らした。
「ですが先程も言った通り、あなたが優れているのはその変装と腕力だけ。それ以外に盗賊稼業に必要な技術や能力、才能やセンスといった物は全くと言って良い程ありません。それは袂を分かつ時にも言った筈なんですがね」
淡々と語るビーヴァ・マージコは、無表情の中に少しの哀れみを持って話を続けた。
「調べた所によると、約二十年前の時代に飛ばされたあなたは、持っていた各種コレクションを売り払って、それを元手に事業を始めた。それはトントン拍子に成功し、今では町でも一、二を争う大金持ちだそうですね」
そこで一旦言葉を区切り、確認するように蚊帳の外気味の二人に視線を移す。二人が揃ってうなづくのを見て、話は続いた。
「そうして大金持ちになったあなたは、手放してしまったコレクションが惜しくなりでもしたのでしょう。様々な人間を通じて手に入れる事に躍起になった。その中に自分がいた訳ですが……」
「ふん。親父のコレクションを返せ、とでも言う気か、今さら?」
ルバトーレ(父)はふんと鼻を鳴らして悪態をつく。だがやはり柳に風のように淡々と受け流す。
「そんなつもりは毛頭ありません。惜しい物でもありませんし」
相変らずの調子でそう言うと、
「ですが、それらアイテムを使って『盗みを失敗した』と言われるのは、少々腹が立ちます」
誰しもが思いもつかない事を言った。
「それではこれら稀少なアイテムの価値が一気に下がってしまいます。それに、これらのアイテムを作り上げた人々にも申し訳が立ちません」
怒りのポイントがどこかズレている気がする。だがそれは盗賊ならではの発想でもあった。
どんな鍵も開けてしまうアイテム。どんな壁も(一日一回)通り抜けられるアイテム。身体をたちまちに癒すアイテム。姿を消す事ができるアイテム。
これだけのアイテムを抱えているのに盗みを働いて失敗するなど。盗賊からすれば物笑いの種どころか末代までの恥なのである。
これらアイテムを使いこなすためには、やっぱり頭が――知恵や知識が必要なのである。そんな知恵や知識に乏しい人間に「使われて」は、素晴らしいアイテムが可哀想である。
「何度も言っていますが、あなたには盗賊たる者の技術も能力も才能もセンスも全くありません。素直にお金が大好きな卑しい商人として暮らしていれば良かったものを……」
ビーヴァ・マージコは床に落ちた顔の皮膚を拾い上げ、もう一度ルバトーレの顔に貼りつけてやる。ついでにナイフで切った痕も判らないように修正まで施した。
それから腰のポーチから何かを取り出す。良くは見えないが、水晶玉か巨大な宝石のようにも見える。
おそらく球体で手のひらにちょこんと乗るサイズ。その中心部には静かな光がキラキラと瞬いて見えた。
何らかの力を秘めたアイテムなのだろう、という見当はつくのだが、これで何をするのかは見当がつかない。
「ちょっ、ちょっと待ってくれ。俺達は単にこいつの話に乗っただけだよ」
「そそ、そうそう。別に俺達は何も取るつもりなんかこれっぽっちも……」
フルトとラードロの二人は、少しでも自分達に被害が来ないよう懇願する。それを聞いたルバトーレ(父)はカッと目を見開いて、
「ここの牧場でテストしたら、今度はレッジャの屋敷でも襲ってみようかって言ったのはそっちだろうが!」
レッジャとはルバトーレ(父)に並ぶ町の大金持ちである。確か器量よしの一人娘がいた筈である。
アイテムの力で調子に乗った面々が、そんな人物のいる屋敷で何をしでかすのかは容易に想像がつく。
ビーヴァ・マージコは溜め息をつくと、水晶玉の中心で静かな光に向かって、
「じゃあお願いしまーす」
言うやいなや、どこからか取り出したサングラスを装着。その直後であった。
部屋の中が一瞬で目も眩む明るさになった。水晶玉の静かな光が爆発したかのように。
目を閉じる間もなく飛び込んできた光は、まるで目玉を突き刺したかのような痛みを三人に与えた。痛みであげる筈の悲鳴すら上がらない痛みである。
拘束されているせいもあり目を押さえる事もできない三人は、それでもその辺りをのたうって少しでも痛みを和らげようとしている。
それから水晶玉の中から光でできた腕のようなものが三人の頭に向かって伸び、鋭い指先でそれぞれの頭をかち割った。
しかし三人に外傷は一切なく、鋭い指先には黒いカスのような物がこびりついているだけだ。
この水晶玉は特に名前らしい名前はないが、起きたばかりの出来事に関する記憶を奪い去る「悪魔」が閉じ込められている、と云われている。
強い光に目を奪われ、その隙に記憶まで奪われる。泥棒の「実践で」使った事はないが、これもまた盗賊垂涎のアイテムであろう。
この光はたとえ目蓋を閉じたり手で覆っていたとしても効果がある。例外はビーヴァ・マージコがやったように、光を「肉体以外の物体で視界を塞ぐ事」である。
記憶の一部を失った三人を放ったまま水晶玉をしまうと、彼女はムータで再び壁を斬りつける。そうしてできた隙間を通って、部屋の外に戻ってきた。
そこではガン=スミスとジェーニオが押し問答をしている真っ最中。彼女の命令通りガン=スミスの足止めを終え、ジェーニオは力を抜いてガン=スミスから離れた。
「用事は済みました。ご協力有難うございました」
部屋の中のやりとりは小さく聞こえていたので、中で何をしたのかはだいたい判る。だが、
《勝手な事やらかすのは勘弁してくれ》
「あとこれは、お礼代わりです」
ビーヴァ・マージコは何か小さい箱をひょいと放ってよこした。射手のムータの主たる視力で、二人から視線を逸らさずにそれを簡単にキャッチしてみせた。
ありふれた透明なプラスチック製の箱である。片手でしっかり掴める程度の大きさだ。
とはいえ元々二百年前の人間にプラスチックと言っても判る訳がない……と言いたい所だったが、プラスチックに似たセルロイドならばガン=スミスの時代にも存在はしていた。
なので「セルロイドに似ているけど何か違う」と不思議そうに中身を見ると、
《……弾丸?》
だが中には確かに弾丸が。それもガン=スミスが一番欲しがっていた愛銃用の四五口径ロングコルト弾。それがたくさん入った箱だった。
「二百年後――つまり現代の弾ですが、口径が合っているからおそらく大丈夫だと思います。良かったら使って下さい」
そんな声がしたと思いきや、ビーヴァ・マージコとジェーニオの姿は消え失せていた。何事もなかったかのごとく。
しかしガン=スミスの手には弾丸の詰まった箱が確かに握られている。夢でも幻でもない。


明くる日、大きな町から到着した役人達に犯人を引き渡し終えたガン=スミスは、ようやく牧場に戻って来た。
牧場の警備を頼んでいたジュンとスオーラは、朝が来た事で仮眠を取っているようだ。牧場主が一人で馬にまたがり、牛や馬を追い立てるように放牧していくのが見える。
そしてそこには急ぎの長旅を終えて戻って来ていた賢者――モール・ヴィタル・トロンペの姿が。
「お待ちしていました。こちらがお約束の物です」
そう言って賢者が差し出したのは、長い革のベルトだった。そのベルトには銃の弾丸が一つ一つズラリと並べられた状態で収められている。弾帯(だんたい)とかバンドリヤーなどと呼ばれる物だ。こちらの世界にもあったとは。ガン=スミスの目がそう語っていた。
革のベルトの端から端までびっしりと弾丸がくっついている様子を見て、ガン=スミスはたまらず口笛を吹く。
[悪がっだな、使いっ走りざぜぢまっで]
「全くです。知識の提供ならいざ知らず、労働力の提供など、賢者の役目の範疇外です」
そんな皮肉も久し振りの弾丸を見て興奮を隠せぬガン=スミスには通用せず。早速指先で押し出すようにして弾丸を取り出し、感慨深げにホルダーから銃を抜いた。
この銃は“コルト・シングル・アクション・アーミー”と呼ばれる、回転式弾倉を備えた銃だ。基本的に一発一発手動で弾丸を装填する必要がある。
緩くもなくきつくもなく。絶妙というべき寸法の正確さで弾倉に滑り込んでいく感触。これだけでも興奮の度合いは一気に高まった。
この銃には六発まで弾丸が入るのだが、ガン=スミスが装填した弾は一発のみ。そして手のひらを使って弾倉を何回か空転させる。
そして、その銃をホルダーに戻してしまった。
[まぁやり方ば色々どあるんだが……]
そう言いながら数メートル先の厩舎の家畜用の出入口(正確には可動式の柵)に向かって歩く。賢者も何となく着いていく。
ガン=スミスが見ているのは柵の上にたまたま置かれていた、ガラスとは全く異なる透明の瓶。ガン=スミスが知る由もないペットボトルである。
ラベルの文字は読めないが何かの飲み物が入っていたのだろう。きっと昨夜の見回りの最中にでもジュンが飲んで置いたままにしていたに違いない(スオーラなら置きっぱなしになどしないから)。
それからガン=スミスは足を肩幅より少し大きく広げ、腰を少しだけ前に突き出すようにしながら、ホルダーの銃に右手を添える。
ホルダーとペットボトルの距離は一メートルもない近距離である。
ぱんっ!
乾いた音がした次の瞬間、ペットボトルが勢い良く吹き飛んだ。何をしたのかと賢者が驚くと、いつの間にかガン=スミスの右手には銃が握られており、その銃口からは微かな煙が。
ガン=スミスの時代ではごく普通にあった「早撃ち」の技である。
今やって見せた(見える早さではなかったが)のは「グリップを握り片手でホルダーから抜きつつ親指で撃鉄を起こし、銃口だけを目標に向け引き金を引く」技だ。
そう言われれば簡単そうに見えるが、きちんと撃鉄を引かねば引き金を引けないし、引き金を引くのが早すぎると自分の足を撃ちかねない。血の滲むような練習の末に修得できる技術なのだ。
ガン=スミスはあくまでも保安官として銃の扱いを学ぶ過程で身につけたもの。ある程度の実力はあるが「凄い」と讃えられるレベルでは、残念ながらない。
それでもこのオルトラ世界に来てからは弾丸の確保の関係でほとんど使っていない。弾丸にまだ余裕のあった、ウリラと出会ったばかりの頃に少し使っていた程度だ。それにしては腕の衰えは大してないと感じ満足げだ。
良く勘違いされるのだが、こうした早撃ちの技は相手に当てるためにやるのではなく、威嚇目的の方が大きい。もしくは動きの少ない相手の腹部に「当たればラッキー」という感じで撃つ時だけだ。
こんな撃ち方でも当てられるのはこうした近距離くらいのものである。拳銃というのは「しっかり握ってしっかり狙って」撃たねば当たらないものなのだ。例外はこうした早撃ちを見世物にしている「職人」くらいだ。
とはいえ、抜いて発砲した瞬間を見る事ができないレベルの早技。賢者は素直に驚き、誉める。吹き飛んだペットボトルを拾い上げ、ラベルのど真ん中に小さな穴が空いているのを確認する。
ガン=スミスは「まぁこんなものだろう」と言いたそうに銃をホルダーに収めた。
その時だ。厩舎から馬のいななきが聞こえて来たのだ。ガン=スミスも賢者も顔を上げる。
《ウリラか!?》
さすがは十年来の「相棒」である。普通の人には区別のつかぬ「声」を聞き分け、何か異変があったのかと必死に駆けるガン=スミス。
《ウリラ、どうした!?》
ウリラの所に駆け込んで来たものの、そこには特に何かあるようには見えなかったし、怪しい人物がいた・立ち去った形跡も全くない。
だが、一つだけ変わった所があった。ウリラ自身だ。
金属の像から戻って以来、自分自身が馬である事を忘れたかのような「無気力」な「生きているだけの物」となっていたのだが、まるで在りし日のように「活きた」目をして立っていたのである。
そして、まるでガン=スミスの胸に飛び込むように歩いてきた。尾を高く振り回し、鼻先でガン=スミスの帽子やら肩やらを優しく撫で回している。
こうした動作は馬独特の親愛表現の一つだ。と、いう事は……。
《ひょっとして戻ったのか、戻れたのか、ウリラ! 戻ったんだな!!》
ポカンとしていた顔がだんだん喜びに満ちたものになり、ついにはウリラの額に自身の額を押しつけるようにしたまま思い切り泣き出してしまった。
《良かった。何でか判らねぇけど、良かった。良かった》
あとは言葉にならない。ガン=スミスはもちろん、馬の言葉が判らない賢者ですら、ウリラが喜んでいるのが理解できたくらいだ。
「……もしかしたら、先程の銃声が思い出させたのかもしれませんね」
出会った当初使っていた「銃声」が、無くなっていたウリラの記憶を一気に蘇らせた。まさしく「二人が出会った頃の思い出」。記憶が戻るきっかけなど、ほんのささいな物で良いのだ。
ある意味で感動の再会を果たせた二人の邪魔をするべきではないと思い、賢者はその場を離れた。
ペットボトル片手に。

<第25話 おわり>


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