トガった彼女をブン回せっ! 第25話その3
『ご同類ですが』

「また、という事は?」
ガン=スミスがタバコの先を不審人物の額にグリグリとやっているのを見たスオーラが訊ねる。ガン=スミスはそれをしながら、
《再犯。しかも一回襲って失敗してる牧場に、だ。オレ様の時代なら即縛り首モンだぞ》
ガン=スミスは押しつけていたタバコをもう一度くわえて立ち上がると、
《しかもこいつ、もしくはこいつらの裏には、何らかの「力」を持ったヤツがいるかもしれねぇ》
ガン=スミスのあまり上手とは言えない説明によると、以前牛泥棒に来たこの不審人物を捕らえた際、ガン=スミスはこちらの世界の常識を良く知らないため、自分がいた地域同様に殺すつもりで攻撃をくわえたのだ。
ところが。いくら許せない泥棒行為でも、問答無用で殺してしまうのはオルトラ世界の現代の常識が許さなかった。
ガン=スミスの「殺害」が途中で止められたおかげで、この犯人は大ケガをした状態で捕まり、この町よりも大きな都市へ運ばれて行ったところまでは知っている。
大ケガをして大きな別の都市に運ばれた犯罪者が、一月足らずの間に「ケガを完治させて」「ここまで戻ってくる」事ができる。
いくら世界や常識が変わろうとも、人間は人間である。一月足らずで大ケガが治る人間などいよう筈もない。
だがこのオルトラ世界には「魔法」と呼ばれる力が存在する。ガン=スミスの世界では想像上の物でしかないが、ここには実在する。
だがこの世界の魔法は、ガン=スミスが考えるような万能性はない。
第一に魔法を使える人間の数がとても少ない。そして一人の魔法使いが使える魔法はたった一つだけ。
例えばスオーラが使える魔法は「専用の魔導書のページに書かれた物を実体化させる」というもの。
ページに書かれた魔法によって火を熾したり嵐を起こしたりはできるので、様々な魔法が使えるように見える。だが、違う魔導書を使ったり、本を使わずに何か呪文を唱えたりする事は一切できない。
そしてこの牛泥棒を以前捕まえた際に色々調べたところによると、泥棒自身が魔法そのものを一切使えない事は判っている。
しかしこんな魔法としか思えない「ケガを完治させて」「ここまで戻ってくる」を実現させたとなると、当然「それを行った」人間が別にいる事になる。
「つまり、この方は組織的に犯行をしている、という事でしょうか?」
《そもそも盗んだ牛や馬をどうしてるんだって話にもなるしな》
良くあるパターンとしては潰して肉を得たり、皮などを加工する。そういったところだろう。
だがこのパエーゼ国は全般的に肉を食べる習慣に乏しい。全く食べない事はないらしいのだが、肉のために盗んで売り飛ばしても苦労に見合った金を得るのは難しい。
もちろん潰さずに売りさばくという選択肢もあるが、その可能性はますます低い。
何故ならこうした牧場で飼われる家畜全般に、そうした盗難を防ぐ意味で焼印を押す義務があるからだ。身体のどこかに焼印が押されている家畜の売買は徹底的に管理されている。
……筈なのだ。
もちろんその法の網をくぐり抜けて不法に売買している牧場もあるし、ガン=スミスも十年にわたる旅暮らしの中で、そんな牧場に出会った事は何度かある。
もちろんガン=スミスの愛馬であるウリラにも、その焼印は押されている。生まれ育った牧場の物と、ガン=スミスの所有物である事を示す焼印とが。
だがこの牧場は特に優秀な血統の牛や馬はいない。あくまでも「道具」として使えるレベルの家畜であり、ブランドや稀少品という意味での価値は全くない。
焼印の有無と稀少価値という二つの意味で、この牧場を狙ってくる泥棒は稀なのだ。しかもこの一月の間に二回も。それも同一人物が。
「何かある」。そう考えねば筋も通らなければ辻褄も合わないのだ。
《ま、とりあえずこいつは……》
ガン=スミスが拘束した牛泥棒を運ぼうとした時、遠く――厩舎の方からか細く悲鳴が聞こえて来た。そちらを向いて見た驚異的な視力が捕らえたものは、ついさっきまで眠っていたジュンが、何もない空間に蹴りをくり出しているところだった。
それだけなら何という事はなかったのだが、何者かの姿が見えた。
……それも「倒れる途中までは何も見えていなかったが、途中からいきなり姿が見えるようになった」のである。
ガン=スミスとスオーラの二人が大急ぎで戻ったのは言うまでもない。


「来た。変なヤツ」
必要以上に偉そうにふんぞり返っているジュンの足元に転がっていたのは二人の男だった。
二人とも先程の牛泥棒と同じく上下共に地味な茶色のシャツにズボン。腰のベルトにはこれまた同じようなナイフが下がっていた。
どちらもやや小柄だが体つきは比較的がっしりとしており、何かスポーツなどで鍛えていそうな雰囲気すらあった。
二人とも揃いの覆面をしているので、外す。二人とも先程の覆面男と同年代。明らかに二十才前だ。
もちろんこの二人もがっしりとロープで拘束するガン=スミス。その間にスオーラはジュンから状況を聞き出していた。
といっても聞き出すほどの事は何もなかった。姿そのものを隠していてもそれ以外の気配やら足音やらは野生児たるジュンには筒抜けであっただけだ。
こんな風に姿を隠してやって来るなど怪しい以外の何者でもない。だからジュンは蹴り倒して気絶させた。それだけだ。
だが鍛えられたジュンの脚力をフル活用した蹴りである。目を回して気絶するだけで済んでいるのが奇跡のようなものだ。ジュンに手加減などという器用な事ができるとは思っていないからだ。
スオーラが二人の男の様子を見るが、蹴られた時に一人は鼻の骨を、もう一人は肋骨を折っているようだった。
「ジュン様。さすがに骨を折るのはやり過ぎでは……」
スオーラはわざわざ魔法を使ってその傷を癒している。それを見たガン=スミスは止めたかったのだが、
《いや、緩いだろ。姿隠して忍び寄るようなヤツが、真っ当な客の訳がねぇ》
と、言いたい事だけは言っておく。露骨に嫌っている相手とはいえ、ジュンのその行動には同意しているのだ。
いくら世界が違っても、共通する部分はある。今言った通り「姿隠して忍び寄るようなヤツ」が真っ当な来訪者であろう筈がない。元の世界でもこのオルトラ世界でも。
こんな二人がなぜ姿を消してやって来れたのかというと、その秘密は二人が着ていたフード付きの外套にあった。
色そのものは濃い灰色一色で地味な代物だが、前半分の丈だけがずっと短い事と、何より首元にあるマントを留める大きめのブローチだけは変に特徴的に感じた。
明らかに素人がナイフなどで削って書いた、目をモチーフとしたらしき何らかのマーク。
スオーラはポケットからゴツイデザインの腕時計を取り出す。これはあちらの世界で手に入れた携帯電話。向こうでは二つ折式の旧型デザインだが、オルトラ世界ではこうなってしまうのだ。
数字が書かれたボタンを懸命にポチポチと押しているスオーラ。買ってからだいぶ経つとはいえ、まだ操作に慣れているとは言い難いので、ぎこちないのは仕方ない。
やがてふうと一息ついたスオーラ。するとそのすぐ隣の空間が陽炎のように揺らめいた。
“何か用か”
“何か用か”
陽炎から男と女が一緒に喋っているような重なった声がする。そしてその揺らめきが納まると、そこに立っていたのは奇妙な姿の人物だった。
右半分が女性で左半分が男性。青白い肌にサッビアレーナという国の民族衣装のチョッキと、膨らんだシルエットのズボン姿。手足に金色の輪をいくつもジャラジャラとつけている。
名前をジェーニオという。もちろん普通の人間ではなく精霊という人外の存在である。
彼(彼女?)を呼ぶためにスオーラは携帯電話を使ったのだ。ジェーニオは携帯電話のたぐいを持っていないが、こうした電波との相性が特に良いからできる芸当である。
スオーラは地面に放ったままのフード付きの外套を拾い上げ、マント留めのブローチを突きつける。
「ジェーニオ。このマーク、あなたは当然覚えていますよね?」
ブローチに描かれていたのは丸と点で書かれた目のような模様が縦に三つ並んだ物だ。真ん中の目にだけ派手なまつげのような物が書かれている。
“ふむ。確かにこれはマージコ盗賊団の印だな”
“ふむ。確かにこれはマージコ盗賊団の印だな”
マージコ盗賊団。サッビアレーナの国で現代まで語り継がれる、古の大盗賊団の名だ。ジェーニオはこの盗賊団の一員だったのである。
ところが二百年ほど前にその盗賊団の団員達は全員行方不明。用事でアジトの塔を離れていたジェーニオだけが生き残り、他の団員が戻ってくるまでアジトを守っていたのだ。
今ではその団長と再会し、その団長からスオーラ達に協力するように言われ、こうして呼べば来てくれるまでになっている。
とはいえその団長とスオーラが会った事は一度もない。どこかで会っている可能性はあるかもしれないが、自己紹介をしあった事はない。
“しかし知っていたとは意外だな”
“しかし知っていたとは意外だな”
ジェーニオは若干驚きを隠せずスオーラに言った。
マージコ盗賊団の事を知ってから、自分達の活動に協力してくれる知識人や権力者に助力を仰ぎ、マージコ盗賊団に関する事を調べてもらっていたのである。
その調べた物の中にこのマークの事があったので覚えていたのだ。このマークで団員達は同士打ちを防いでいた、と。
「マージコ盗賊団は二百年前になくなっていると聞いています。にも関わらずこのマークがこうして世に出て来るというのは奇妙に思えます」
《良く判らねぇけど、偶然だろ? こんなガキでも思いつきそうなマーク》
柵に縛り終えた不審人物達――ガン=スミスから見れば確かにほんの子供――を睨みながら会話に割って入る。だがスオーラは確信を持った調子で持ったままの外套を広げると、
「この外套は妖精族が編み出したと云われる『エ・エッレ・エフェ・オ』という物です。後ろ側は普通なのに身体の前側がそれの半分ほどの丈しかないのが特徴です」
スオーラの言う通り、その外套の前面側は上半身を覆うのが精一杯であろう長さしかない。これでは外套としての役目を果たす事は難しい。
「さらに、これを纏った人間は姿を隠す事ができるそうです。妖精族が人間の義賊に進呈したという記録が残っています」
確かにマージコ盗賊団は義賊の性格が強い盗賊団だった。そのため市民からの人気は高く、それが今でも「伝説の盗賊団」として語り継がれている理由の一つなのである。
《え、えっえ、えっえ!?》
言おうとしているが全く言えてないガン=スミス。それをスルーするジェーニオは感心したように、
“それも調べた物の引用か。大した物だ”
“それも調べた物の引用か。大した物だ”
と手放しで誉める。
「妖精族は人間とはほとんど交流がありませんから、妖精族にしか作る事ができないこうしたアイテムは、稀少価値というレベルではないほどに貴重。人間社会にそういくつもあるとは思えません」
スオーラの意見は筋が通っている。だがそんな極めて貴重な品が、今は無きマージコ盗賊団のマークが、なぜ今こうして世に出て来たのだろうか。
《どう見てもこいつらには不似合いだよなぁ。こんな盗みやるよりこいつを売っ払った方がよっぽど金になるだろ》
ガン=スミスの言う事はもっともである。姿を隠す事ができる外套を着て強盗をするより、これを売った金で贅沢をする方が遥かに楽に大金が手に入る。それこそ三代先まで贅沢三昧しても有り余るほどの大金が。
そこまで自分で言ってから、あっと何か思いついた顔になると、
《まさかさっき言ってた「ケガを完治させて」「ここまで戻ってくる」のを手引きしたヤツの仕業か!?》
その可能性はあるかもしれない。こんなレベルの低い牛泥棒とこんな高価で稀少なアイテムはあまりにも不似合いすぎるのだ。
一方ジェーニオは気絶している男達の顔をマジマジと観察し、盗賊団だった頃の習性なのか、あちこちのポケットに無造作に手を突っ込んで中身を物色している。その様子を見たスオーラは、
「あ、あの、ジェーニオ。さすがにそういう真似は勘弁して下さい」
もちろんジェーニオはそのまま物色を続け、取り出したアイテムをスオーラ達に見せる。
純銀に細かな宝石をちりばめた鍵。ジェーニオは「キアーヴェの鍵」と言った。どんな鍵でも開けてしまう力がある。
安っぽい宝石がついた、途中でチェーンが切れているネックレス。ジェーニオは「ペルヴィエタのネックレス」と言った。これを持っている者は一日一回どんな壁でも通り抜ける事ができるようになる。
球を少し潰したような形の、拳ほど大きさの透明な宝石。ジェーニオは「グワリジョーネの水晶」と言った。身体の傷む場所に軽く触れさせるとたちまち傷や痛みを癒す効能がある。
それにスオーラが持ったままの外套を指差して「『ズヴェニーレの外套』とも云う」とつけ加えた。着用者の姿を隠す能力がある。それは既に説明済。
どれもこれも盗賊にとっては喉から手が出るほど欲しい、まさしく垂涎の泥棒向けのアイテム、というヤツである。
“いずれも先代団長のコレクションだ”
“いずれも先代団長のコレクションだ”
ジェーニオによれば、これらのアイテムはその先代の団長が集めたコレクションだったという。
だが先代団長の子供=最後の団長の代で内部分裂が起き、その際に袂を分かった派閥が先代のコレクションの一部を持ち出していたらしい。
それらアイテムが二百年余の時を経てこうして発見される。どことなく運命的な物を感じずにはおれなかった。
ジェーニオのそんな話を聞いたスオーラは、
「では、これは盗賊団に返却するべき、と仰りたいのですか?」
盗賊と相反する立場・考え方の聖職者であるものの、盗まれた物は持ち主に返すのが道理と思い、持ち主たる先代団長の元へ返却をするべきなのかを問うた。
もちろん先代団長は二百余年あまりにこの世を去っている。そうなるとその子供、ないしは子孫に返すべきであろうか、と。
ただそれらアイテムも盗んで手に入れた物であれば、更にそこから元の場所へ返却するべきとは思う。だがいくらその当時から存命のジェーニオでも、元々あった場所を覚えているかどうかは判らない。
“少なくとも団長は受け取らぬだろう”
“少なくとも団長は受け取らぬだろう”
ジェーニオの意外な発言。更に続ける。
“こうした物を取り返す意図はない。そう言っていた”
“こうした物を取り返す意図はない。そう言っていた”
《そうか。良く判らねぇが、オレ様達で戴いちまうか?》
それならばと、ガン=スミスが笑顔でそれらアイテムに手を伸ばそうとするが、スオーラの鋭い視線をぶつけられ、手を引っ込めた。
ちなみに既に宝石を手に取っていたジュンは、慌てて元の場所に戻し「何もしてません」と言いたげにスオーラから露骨に視線を逸らしている。
スオーラはそんな二人の行動に溜め息をつくと、
「とにかく、この方々が不審人物で無断侵入をした事は確かなのですから、役人の方々に連絡をお願い致します」
スオーラのその言葉で「そう言えばそうか」と思い至ったような顔になったガン=スミス。だが、
「……わたくしが行かないと、どうしようもありませんでしたね」
ガン=スミスもジュンも、この町に受け入れられているとはまだ言い切れない。聖職者であるスオーラが連絡をする方が対応も早いだろう。
スオーラは再び溜め息をつくのだった。


スオーラが出かけてしばらく経ってから、真っ青な顔をしてやって来たのは役人ではなく、この牧場の主人だった。
袖をまくった白いシャツに、革製の吊りズボン。腿の部分には何か液体をこぼしたような染みがクッキリと。
背が低く横に大きい、有り体に言えば小肥り体型の牧場主は、慌ててガン=スミスに詰め寄る。
「おいガン=スミス! スオーラ殿から聞いたぞ! 貴様またやらかしやがったのか!!」
身長差のせいで詰め寄られても迫力に欠けるが、そのせいでこぼした液体が酒だというのが判った。
[やらがじだも何も、まだ牛泥棒だ。じがも前ど同じヤヅだぞ?]
この国の言葉は喋れるものの、相当聞き取りにくい発音になってしまう。加えて若干感情的になっているのでさらに発音が悪くなってしまう。
それでも得意げに胸を張って、縛り上げている中でも最初に叩きのめした方をアゴで差す。
牧場主もしげしげと気絶した若者の顔を見て、驚く。一月足らずほどの前、確かに役人に引き渡して大きな町に護送されて行ったのを見ているからだ。
[何でどっ捕まっだヤヅが、ごんな短時間でごうじで出で来れるんだ、バズゴロざんよ?]
発音が悪いが、パスコロと呼ばれた牧場主は「知らん」とそっけなく、しかし乱暴に言い捨てるだけだった。
それからたっぷり二十分は経ってから、スオーラは役人を引き連れて戻って来た。小さな町とはいえ急いでもこのくらいの時間はかかってしまう。
役人達は前と同じ人間が同じ所に盗みに来た事に驚き、前に受けた傷がすっかり直っている事に驚き(前とは違う場所の傷も驚き)、仲間が増えていた事にも驚いていた。
そんなやりとりの間にジェーニオは姿を消していた。基本的に自主的な行動を苦手とする精霊ではあるが、最近はだいぶ慣れて来たらしい。
ただ外套以外の物は持って行ってしまっていたらしくどこにもなかった。スオーラは地面に放ったままの外套を拾い、簡単に説明して役人に泥棒と共に引き渡した。
立ち去る役人の背に向かって、ガン=スミスは自分の国の言葉で「始末しちまえ」と言ったが、それが判ったのはスオーラ一人だけだった。


そんなガン=スミスだったが、自分から夜中の牢屋番を志願していた。
本来は夜中の牧場の警備があるのだが、それはジュンとスオーラに頼んで来た。
この町は小さいため犯罪者を一時的に牢屋――正確には頑丈な極小個室に入れておく事しかできない。犯した罪の裁判や刑に処するために閉じ込める場所がないのだ。
そのため大きな町から護送の馬車がやって来るまでの間、逃げ出さないように閉じ込めておくのである。
だが前回はどこの段階かは判らないが逃げられてしまっている。またそんな事になるのは御免だというのが志願理由だ。
分厚い板で作られた木の扉、それも何枚もの鉄板でしっかりと補強されている扉である。
ここに閉じ込めてある三人の若者は総ての道具を取り上げられ、しかも両手両足をロープで縛られている以上、脱走の可能性は限りなく低い。
ガン=スミスのロープワークを駆使しての拘束は、たとえ逃れるだけでも素人には不可能と自負している。
だが世の中に「完璧」と言える事はまず存在しない。可能性が低いだけでゼロではないのだ。こんな魔法が存在する世の中では。
ガン=スミスはスオーラから借りたキャンプ用の小型バーナーコンロに火をつける。
ボタン一つで強力な火が出るこうしたコンロの存在に「技術の進歩」を目の当たりにしたものだが、これはあくまでも「進んだ科学」が産んだキャンピングカーの備品。このオルトラ世界に存在する物ではない。
だが使う事はできる。現にコンロの上の鉄のポット(これも借り物)から早くもうっすらと湯気が吹き出し始めている。その火力に驚いたガン=スミスはスオーラが用意してくれた眠気覚ましのお茶を入れる準備を始める。
本当はアメリカ人らしくコーヒーといきたかった。オルトラ世界にもコーヒーはあるのだが、飲む地域と飲まない地域の落差が非常に激しく、パエーゼ国ではまず飲まれないそうなので、この国ではコーヒー豆が手に入らない。
微妙にしまらない感じはしたが、無い物ねだりをしても仕方ない。手慣れた手つきでテキパキと茶を煎れる。
狭い通路の壁に寄りかかって座り、脚を伸ばして分厚い扉を押さえる。この扉は今自分がいる通路側に向かって開けるタイプ。万一拘束から逃れて扉を開けようとしても、ガン=スミス自身がストッパーになるという寸法だ。
煎れたての熱い茶を一口すすり、慣れない苦味にわずかに顔をしかめると、ガン=スミスはコンロの火が確実に消えているのを確認した。こんな所でボヤや火事を出す訳にはいかないのは当然である。
だが、である。
火がついたのである。誰も触れていないのにカチッとボタンを押す音がし、ポットの下で炎が揺らめいた。
その光景にさすがのガン=スミスも目を見開いて驚いた瞬間、動く訳にはいかなくなってしまった。
ナイフの刃を突きつけられたのである。それも片目に。更に言うなら……石の壁しかない筈の真後ろから伸びている手が握るナイフの刃を。
「少々物をお尋ねします」
壁である筈の真後ろから、感情に乏しい平坦な女の声が聞こえた。その間突きつけられているナイフはピクリとも動いていない。どこの誰かは判らないが、確実に何らかの熟練者だと見当をつけた。
隙はなさそうだがそれでも隙ができないか無言で確認する。後ろの女の声の主は、その無言を肯定を判断したらしく、話を続けた。
「サッビアレーナという国の、センツァ・スクルーポロという商人に覚えはありますか?」
サッビアレーナ。ガン=スミスがこの世界で愛馬ウリラと出会ったばかりの頃、訪れた事がある国だ。
路銀が心許なくなり、怪しく胡散臭いと判ってはいたものの、そんな名前の商人の屋敷の警護という仕事を引き受けた事がある。
だが自分が警護をしていたポイントから少し離れた倉で、何かの騒ぎが起きた事は知っている。倉で起きる騒ぎなど、賊の侵入くらいしかあるまい。
そのため欲を出してウリラと共に乱入し賊を撃退。警護の報酬に色をつけてもらおうと乗り込もうとした時に目の前の倉が急に消え失せたのだ。
そして自分がいたのはどこともしれない荒れ果てた何もない土地。町の中にいた筈なのにいきなり荒野に放り出されたので、驚いた事を今でも良く覚えている。
今にして思えば、その時に二百年という時間を超えたのだろう。無論当時は気づかなかったが。
だがいきなりナイフを突きつけてくる人間に、そこまで正直に話してやる義理はない。しかも後ろは壁しかないのだ。壁を突き抜けてこんな芸当をしているとしか考えられないのだ。
こんな事ができる人間が真っ当な訳がない。ガン=スミスは「話してやるものか」という意志のままダンマリを決め込む。
素直に話したところで、自分が無事である保証はない。むしろ用済みとされて殺される可能性の方が遥かに高い。
[……何者だよ]
ガン=スミスは後ろを見ずに小声で呟くように訊ねた。もしここで大声を出せば即座にこのナイフが顔面に突き立てられるだろうから。
すると後ろにいるであろう相手は、ナイフを突きつける位置をガン=スミスの顔の下の方に動かすと、
「サッビアレーナという国の、センツァ・スクルーポロという商人に覚えはありますか?」
もう一度同じ質問を繰り返す。そしてその後に眼前にかざしてきた物を見て、ガン=スミスの表情が固くなる。
それはまぎれもなくムータであった。色は白。自分が持っている物とは色が全く違うが、それはムータに間違いない。
[……味方が? ぞれにじぢゃあやり方が物騒だな]
「味方でも敵でもないつもりですよ。ご同類ですが」
女の声がそう言うと、ムータもナイフもガン=スミスの後ろ側に引っ込んでいった。
そして、引っ込むと同時にコンロの火を消すボタンの音が聞こえた。
ガン=スミスが焦ってそちらを見ると、コンロを挟んで自分と同じような体勢で座っている人間が一人。一応ランタンの明かりが灯っているので通路は真っ暗闇ではないのだが、昼間のように見やすい訳ではない。
自分同様凹凸に乏しいが明らかに女性の身体。その身体をまるでもう一つの皮膚のようにピッチリと覆った見た事もない服。少しソバカスの目立つ無表情な顔がガン=スミスを見つめている。
「初めまして。ビーヴァ・マージコと申します。マージコ盗賊団最後の団長、と言えば……判りますかね?」
彼女はそう言って微笑むように小首をかしげた。
無表情のままだったが。

<つづく>


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