トガった彼女をブン回せっ! 第25話その2
『少々大変な事になっているようでして』

動物達に食事を与えてからがガン=スミスやジュン達の食事の時間になる。スオーラもご相伴に預かる事にした。
ダッチオーブンで焼いた固くパサついた感触のパン。確かにこれをそのまま食べるのは少々辛い。
今回は塊状に焼き上げているが、酵母を使わないパンであれば薄い生地で焼いた方が良いだろうとスオーラは提案しておく。
その方が何かの料理のつけ合わせとして食べる時も食べやすいのだ。それに早く焼く事もできる。
固くパサついた感触でも焼き立てには違いない。この国には「焼き立てのパンにかなうパンはない」という諺もあるほどだ。
とはいえ。慣れているとはいえ素人の野外料理である。多少の焦げた部分はご愛嬌。むしろ「味」というヤツである。
しかし野生児たるジュンはそんなパンでも充分美味しいらしく、笑顔のまま無言でパンを頬張っていた。
シンプルな焼き菓子でもこんな笑顔を浮かべていた事をスオーラは思い出し、釣られたように笑顔になっていた。
一方のガン=スミスの方は、普通より二回りは大きい金属製のマグカップに入ったスープに、その固いパンを浸して食べていた。
マグカップが金属製で普通の物より大きいのは、これを直接火にかけてスープなどを作れるようにするためと、落としても割れないためである。
これもさっきのダッチオーブンと同じく鍛冶屋で作ってもらった物だという。
ここにない物を話だけで再現する事になった鍛冶屋も大変だったろう。ガン=スミスの気持ちも判るがその鍛冶屋にも同情を禁じ得なかった。
やがてパンを食べ終えたジュンは、スオーラに向かって、
「ないのか。今日は」
「何をですか?」
「麺。熱くて。濃いの」
ジュンの話し方はただ単語を並べただけ。
故郷の森があるマチセーラホミー地方の言葉には違いないのだが、微妙に判りづらい。だがそれでもその地方の言葉――数ある方言のうちの一つを覚えたスオーラは彼女が何を言いたいのかは判った。
「ああ。先日アキシ様が持って来ていた『カップヌードル』ですね。あいにく今日は持ってきていません」
その返答に露骨にガッカリするジュン。そのリアクションからして相当気に入ったらしい。
アキシというのは別の世界――ガン=スミスと同じ世界の、違う国の住人である。フルネームは角田昭士(かくたあきし)。スオーラがエッセとの戦いを通じて初めて出会った「仲間」である。
スオーラと同い年であり、彼女の身分や境遇を全く気にしない、本当に一人の女性として接してくれている貴重な人間である。
勉強という意味ではあまり賢いとは言えないが、エッセとの戦いの際に彼の思いついたとんでもないアイデアの数々に何度助けられた事か。
彼の住む世界は、このパエーゼ国のあるこの“オルトラ”と呼ぶ世界より百年は文明が進んだ世界。件のカップヌードルもその文明が産み出した保存食である。
保存食に加え慣れない味という事で、スオーラ達オルトラの住人にはかなり濃く、塩気をかなり強く感じるのだが、保存食と思えない美味しさである。
質素なパンや菓子ですら目を輝かせたジュンが、カップヌードルに同じリアクションをしない訳がない。
「次に来る時には持って来ますよ。それまで我慢して下さい」
ガッカリした表情のまま、それでも何とか我慢すると目で訴えている。
原始的な狩猟生活に慣れたジュンである。目当ての獲物が取れなかった事など幾度もある。その度にわがままを言う事がどれだけ意味がないかは心得ている。
《アイツは来ねぇのか。来なくて良いけど》
角田昭士は男である。そしてガン=スミスも、外見はともかく中身は男である。
自分の好みと完全に違うとはいえ、一人の美少女を独占できる特権をみすみす手放すような真似をしたくないという本音がある。ちなみにジュンは人間とみなしてすらいない。
しかしその辺りの微妙な男心が判るほど、スオーラは世事に長けている訳ではない。
その言い方がまるで仲間を拒絶されているように聞こえたのか、彼女は少しムッとした表情で背の高いガン=スミスを見上げると、
「ガン=スミス様。数少ない仲間なのですから、そのように露骨に拒否をされるのは困ります!」
その少々ムッとした表情も、年齢のためかあまり恐怖感や威圧感はなく、むしろ十五歳という年齢相応の可愛らしさすら感じるものだ。
救世主だ何だと言われてはいるが、そうしたしがらみやプレッシャーのない、普通の十五歳の少女はこんなものだろうとガン=スミスは思った。
《それは冗談としても、だ。何で来ねぇんだ?》
ガン=スミスはだいぶ冷めたマグカップのスープを一気に飲み干して、話をうながす。
だがスオーラは一瞬表情を凍りつかせ、言い淀むような間が空いた。
「それが……少々大変な事になっているようでして」
どこか勿体ぶったその言い方に、ガン=スミスは大して聞きたくもない話だけど聞かなきゃならないんだろうなぁ、という気分になった。
スオーラがここに来たのは、単に自分達の様子を見に来ただけではない事を判っているからだ。
彼女の一番の目的は情報交換である。
一応が多少つくものの、同じ目的の「同士」が二つの世界に分かれて暮らしているのだ。こうした定期的な情報交換は必須の作業なのである。
だからスオーラも、意を決して口を開いた。


オルトラ世界では魔法使いの救世主であり一聖職者でもあるスオーラも、昭士の世界では外国から来た美少女という事になっている。
まさか異世界からやって来た人間などと正直に話せる訳がないからだ。それを知るのはごく一部の人間のみ。
そんなスオーラはオルトラ世界での中性的な外見からガラリと変わり、背も伸び体型も凹凸とメリハリのある大人びたモデル体型に変身する。服装も詰め襟から風変わりなジャケットに超ミニのタイトスカートにロングブーツヘと変貌する。
十五歳という年齢とは思えない大人びた美貌と体躯に、誰に対しても礼儀正しい応対、そして物覚えが良く適応力も高い。
そのため彼女はあちらの世界でも高い人気を勝ち得ている。
そして昭士の通う学校・市立留十戈(るとか)学園高校にある学食の一職員兼調理補助担当の看板娘という身分で、こことは異なる日常を過ごしている。
そんなスオーラの仲間と言える昭士には、双子の妹がいる。名はいぶき。だがこの妹が一番のそして唯一の問題であった。
彼女は物心ついた時から「他人のために」という行動理念を毛嫌いし、そうした行動を取る他人をも露骨に嫌う。
そんな行動を強制しようとしたら「死んだ方がマシ」と自殺未遂までするほどであり、目の前で困っている人を見てもしっかり見てから無視できるタイプであり、どれだけの報酬を積むと話を持ちかけても迷いなく断れる性格の持ち主だ。
高校生になってからは「彼女が起こした事件の責任は彼女自身に取らせる」と青少年法を曲げて特別条例が施行されたほどだ。施行されてもいぶきの行動に一切の変化はなかったのだが。
もちろんあちらの世界では友達もおらず、かろうじて肉親のみが面倒を見る。
だが他人には暴言暴行、特に双子の兄の昭士はそれらプラス殺害レベルの暴力を繰り返していた。
そのせいで昭士はケガで何回かの入院を余儀なくされたし、過去一度だけエッセとの戦いの最中に昭士が死んだ時には、極上の笑顔のまま狂喜乱舞して歓びを表現していた。その態度に周囲の人間全員をドン引きさせた程だ。
スオーラと出会って兄の昭士は侵略者エッセと戦う戦士に変身できるようになった。そして同時にいぶきの方は彼専用の巨大剣に変身するようになっている。
その名は「戦乙女(いくさおとめ)の剣」。全長二一〇センチメートル。重量三二〇キログラム。剣というよりはもはや鉄の塊である。使い手の昭士だけはこの重量をものともせず振り回す事が可能だ。
しかもこの剣でトドメを刺さなければ、そのエッセによって金属にされた生物を元に戻す事ができない。
そのため消極的はおろか極めて強く拒絶するいぶきをどうにかして戦いに連れ出し、この剣で戦い、トドメを刺さねばならないのだ。
協力的であれば数分で決着がつくような戦いでも、いぶきの態度のせいで無駄に時間が経ち、犠牲者が増える事も。
戦いを重ねる事によって経験を積み変化したのか。はたまたそうした現状に運命だか神だかか同情したのか。
元々昭士の変身と同時にいぶきも変身していたのだが、それに加えて昭士の命令一つで彼のそばに強制的に召喚ができるようになった。
さらに変身していないいぶきが自分以外の生物に攻撃すると、その生物が受ける筈ダメージがそのままいぶき本人の身に降りかかるようにまでなった。
そのせいでストレスがじわじわ溜まっていたらしく、とうとう胃をやられて入院したというのだ。いぶきが。
それだけを聞けば「大変な事」というレベルではないのだが、いぶきの現状を考えると「大変な事」になるのだ。
自分以外の生物を攻撃するとそのダメージをそのまま受ける。無生物相手なら大丈夫とはいえ、自分の思い通りに行かない。それは確かにストレスになるだろう。
それでも周囲への「暴力」を止めないのだから、もう大したものだと言えるレベルである。
問題なのは、いぶきが変身した「戦乙女の剣」は、彼女が肉体的・精神的にダメージを受ければ受けるほど強大な威力を発揮する剣だという事だ。
戦いを経るに従ってだんだんとその威力は上がっており、つい最近は剣の一振りで山の頂上部分を吹き飛ばせるほどにまで成長を果たした。
そしてその威力が“変身していない状態”でも発揮されるようになってしまったのが問題なのだ。
単に自分がケガをするならともかく、素手の一撃で刑務所や拘置所をいくつも破壊したのだ。通常の人間ならば苛立ちまぎれに壁をガツンと叩いたレベル。だがそのたった一発で建物全体を破壊したのである。
おかげであらゆる場所から受け入れを拒絶され、拘留する警察署からも受け入れを拒否され、そんな情報が広まっているので入院させようと病院を手配したがどこも受け入れを断わられた。そんな有様なのである。
ところが過去のいぶきの「悪行」のためか同情する者は――家族であっても――誰一人としていなかった。
むしろ昭士を知る者からは「兄貴である昭士が十五年間妹からの暴行を受け続けて耐え続けていたのに、たった半年のストレスで根を上げる根性なし」とまで言われた。
昭士を兄と認めていない、兄妹と扱われるのも死ぬほど大嫌いないぶきはその一言で完全にブチ切れて、とうとう町に被害を及ぼしてしまった。
被害が出るのを想定して何もない空き地にいぶきを隔離していたのだが、彼女が足を一度地面に叩きつけただけで、その空き地とその周囲五十メートルほどに残ったのは巨大なクレーターのみ。
いぶきを看るために来ていた医者、その一言を言った人間がそれに巻き込まれたのである。もしその場にスオーラがいなかったとしたら、間違いなくその二人は死体も残さずに消滅していただろう。
スオーラも二人を守るためにとっさに魔法で防御壁を張ったが、衝撃波をある程度弱めただけに終わった。
巨大なクレーターを作るほどの衝撃波を受け止めて二人の命を救ったのは、彼女自身の身体が盾となったからだ。
スオーラはあちらの世界の姿=オルトラ世界で変身を果たした姿では、死なない限りどんなケガでもすぐに治ってしまう体質が備わる。
だがその体質をもってしても、こうして動けるようになるまでに数週間を要した。しばらくこちらに来られなかったのはそれが理由だ。
《大変ってレベルか、それ?》
スオーラの話に溜め息をつきながらタバコを取り出すガン=スミス。目線で「吸っても良いか」と訊ねると、返事を待たずに口にくわえて火をつけた。
《しかもそいつらがいねぇと困るのも確か。メンドくせぇ連中だな》
ガン=スミスは「ずっと剣に変身させとけ」と思ったが、あちらの世界では本来あり得ない不自然極まる姿であり、あまり長い時間維持させる事ができないのである。もしできるならとっくにやっている。
《確か二人揃ってこっちに来ねぇと互いがどこに吹っ飛ばされるか判らねぇんだろ? ホントメンドくせぇな》
ガン=スミスはタバコの煙を強く、細く吹き出した。そして革のチョッキのポケットから一枚のカードを取り出す。
それはムータと呼ばれるアイテムである。エッセと戦う戦士の証のようなものであり、二つの世界を行き来する時、戦士の姿に変身する時などに使う物だ。
ムータに選ばれた、もしくは認められた本人以外では使う事はできず、製法が失われているために修復したり新しく作ったりする事もできない稀少なアイテムだ。
そんなアイテム・ムータであるが、ガン=スミスが持っている物は片面に大きな傷が生々しく残っている。
この傷のせいでムータの持つ何らかの力が無くなって、もしくは欠けていなければいいとスオーラは考えているが、その辺は良く判らない。
一応変身と元の世界への行き来はできるとガン=スミスは言っているが、スオーラは「魔法使い」ガン=スミスは「射手」と変身する能力が違うので、もし射手独特の能力などがあったらスオーラには判らない。
スオーラとガン=スミス、そしてこの場にはいないが昭士の三人は、ムータの持ち主という事もあって、ムータを持っている限りお互いの言葉は普通に通じる。相手の言葉を使っていないのに意志の疎通ができているのはそれが理由である。
知っているかは判らないが、そうした知識に事欠かない賢者に聞いた方が良いだろうかとスオーラは思った。
賢者の本名はモール・ヴィタル・トロンペ。
知識を売りにしている者の称号「賢者」の二つ名は伊達ではなく、その知識は彼女達の戦いになくてはならないものだ。
賢者も一応「異なる世界から物品を呼び寄せる」魔法を使う事はでき、スオーラが使っているキャンピングカーも、元はそんな経緯で彼が手に入れた物を譲られたのだ。
だがその賢者もいつまで頼って良いものか。そんな疑惑が浮かんできている。
事の発端はガン=スミスの体験からだ。
ガン=スミスがこの世界に来て賢者と会い、先日十年振りに再会を果たしたのだが、賢者の容姿にあまりにも変化がなさ過ぎたのを怪んで彼を殴って逃げ出している。
十年間全く容姿に変化がないのは少々奇妙だがあり得ない話ではない。やりすぎだと責められもした。
だが実際には違ったのだ。賢者と一旦別れてから、ガン=スミスも知らないうちに約二百年先の未来=現在に飛ばされる事件に巻き込まれていたのだ。
つまり十年振りだと思っていたら実は二百年振りの再会だったのである。
伝説や伝奇に登場する妖精ならともかく、そんな人間がいる訳ない。良く似た子孫であってもここまで似ているのはまずあり得ないし、記憶を持っているなどもっとあり得ない。
結果として殴って逃げて正解だった。ガン=スミスはそう言って胸を張ったものだ。
とはいえ賢者の正体や素性はスオーラですら全く知らない。
確かに謎多き人物であるが、語るべきは自らの知識のみと言わんばかり。自分の素性は黙して語らず。
これまではあえて聞くのも野暮かとスルーして来たが、こんな問題が浮上してしまった以上、いつかは聞かねばなるまい。
そんな賢者だが、町を離れてどこかへ行っている。ジュンとガン=スミスの言葉が判る数少ない人物でもあるので、町にいてくれる方が有難いのに。
どこへ行ったのかをガン=スミスに訊ねたスオーラだが、それにはあっさりと答えてくれた。
《確か「エッセ・ウ・ア」っていったか。この世界で拳銃が普及してる国ってのは》
そう言って腰に巻いたベルトから下がる拳銃を素早く抜いて見せる。
以前昭士がこの世界に来た時に自慢げに「コルト社製シングル・アクション式回転式拳銃“コルト・シングル・アクション・アーミー”」と説明したが、昭士の国では拳銃の所持が基本禁止されている上に、ガン=スミスが持っている銃はかなり昔のタイプ。ハッキリ言って良く知らないのだ。
《こいつの弾丸が手に入るか、ちょいと調べて来てもらってる》
拳銃という武器は、このパエーゼ国のある大陸ではほとんど知られていないが、そのエッセ・ウ・ア国では普通に普及している。
もしかしたら、そこでならこの拳銃に合う弾丸が手に入るかもしれないと、賢者を半ば脅迫するような形で向かわせたのである。
しかしここからエッセ・ウ・ア国まで西に一万キロ。この世界で一番早い交通手段である鉄道を以てしても、帰ってくるまでに何週間もかかってしまう。
何せ拳銃など弾丸が尽きれば鈍器にしかならない。だからガン=スミスのようなガンマンにとって弾薬の確保は必須事項なのだ。脅迫するような形で急かすのも無理からぬ事である。
とはいえ、人によっては火薬などを自力で調合して弾丸を作るし、ガン=スミスもその名に違わず(本職ではないが)作る事自体は可能である。
しかし肝心の材料がなかなか手に入らない。拳銃がない地域なのだからその辺は仕方がないのだが、弾丸の節約の関係上ここ数年は拳銃をまともに使った事すらない。
それでも――仮にも保安官のプライドなのか――愛用の拳銃の手入れだけは怠った事はない。
「ですが、あちらの世界と同じ物が手に入るものでしょうか?」
当然スオーラはこの拳銃という武器の事は全く知らないが、かなり精密で複雑そうな機構に見えた。
それはつまり様々な部品の寸法・重さの誤差があってはならない筈。そうでなければ簡単に誤作動を起こして「役立たず」の烙印を押されるだろう。
そんなスオーラの疑問を聞いたガン=スミスは「さすがに頭がいい」と一言誉めてから、
《四五口径ロングコルト弾って言っても、まず判らねぇだろうしなぁ》
同じように見えても、同じような物に見えても、国が変わると様々な規格が変わる。単位も変わる。
スオーラも様々な国を見て回った訳ではないが、国ごとに違う単位のせいで同じ物を作っても完成品の長さや重さが微妙に違うなど珍しくもない。
ましては「世界」が異なるのである。
そのため賢者に弾丸の実物を一つ預けてある。それと同じ物を調達して来いと言い含めて。
《そいつは持って来てもらわねぇと判らねぇな。一口に弾丸っていっても、そりゃもうたくさんの種類があるからな。合うものがあれば良いんだが》
ガン=スミスはそう言うと弾丸の種類に関して説明を始めたが、拳銃そのものを知らないスオーラは困った顔で聞くハメになった。
ちなみにジュンはそういった難しい話に興味はないと、食べかけのパンを手に持ったままとっとと眠ってしまっている。
そんな様子を和んだ笑顔で見つめるスオーラに、ガン=スミスは「こっちの話を聞いてくれ」と嘆いている。
だがそれでも、戦士となった「副作用」による強化された視力は、視界の端で柵をこっそり乗り越えてきた不審な人物を発見した。
距離:ほぼ二キロ先。
顔:見た事がない。というより覆面姿である。
服装:今のジュンが着ているような木綿のシャツに膝丈のズボン。色は上下共に地味な茶色。
その他:胴にたすきがけされたロープ。腰には片手で扱いやすいモデルのナイフを下げている。
どこの誰かは知らないが、立ててある柵をこっそり乗り越えてくるような覆面の人間に、容赦をする必要はなし。
ガン=スミスはそう判断すると、チョッキのポケットにしまっておいたムータを取り出した。
《バレストラ》
ムータに言い聞かせるかのようにそう呟くと、ムータが手から跳ねるようにしてひとりでにガチャガチャと変化しだした。
そのガチャガチャが終わると、ガン=スミスの手にあったのはクロスボウ。拳銃の先に小さな弓がついたようなデザインで、装飾などが一切ないシンプルすぎるタイプだ。
本来は専用の矢をつがえる必要があるのだが、これには必要ない。しかも射程距離は「ガン=スミスが見える範囲内」とかなりアバウトであり、そして何より――広い。
「ガン=スミス様?」
いきなり武器を取り出したスオーラが訊ねる間もなく、ガン=スミスは何も矢がセットされていないクロスボウを不審者とは全く違う方向に向けて、引き金を引いた。
すると矢をセットする部分にいきなり光でできた矢が現れたのだ。そして間髪入れずにもう一度引き金を引く。
ばしっ。
鈍い音と共に矢が発射される。そのスピードは秒速百メートルを軽く超える。普通の人間の目にはまず見えないのだ。
それから再び引き金を引いて矢を出現させ、もう一本矢を放つ。
二本とも不審者とは全く違う方向に発射されたのに、二本とも秒速百メートル以上の速さのままで軌道を曲げ、その不審人物の右脚を、続いて左脚を「真後ろから」打ち抜いたのだ。
ぎゃっ、という悲鳴が遠くから聞こえ、スオーラは声がした方向を向く。そこで初めて彼が何をしたのかが理解できた。
《また牛泥棒か? いい加減懲りてほしいな》
被っているウェスタンハットを軽く押さえるようにし、くわえタバコのまま全速力で不審者に向けて走る。
「ガン=スミス様、あくまでも捕まえるだけですよ!?」
さっきこの町の聖職者からガン=スミスが牛泥棒を殺しそうになった事を聞いたばかりなので、スオーラは慌てて追いかけながらそう忠告する。
この牧場は小さな町の郊外に広がっている。とはいえ牧場の大きさまで小さい訳ではない。柵で囲まれた敷地だけでも端から端まで数キロメートルはあるのだ。
ガン=スミスの視力では、覆面姿の人物が脚を押さえてうずくまってはいるものの、何とかそこから逃げ出そうとして苦労してもがいているのがハッキリと見えていた。
人の駆け足の上にガン=スミス自体徒競走はそこまで速い方ではない。だがその後ろから飛び出した影が一気に覆面の人物に迫る。
それは変身を果たしたスオーラの姿だった。さっきまでの聖職者の服装からジャケットにマイクロミニのスカートにロングブーツという出で立ちだ。
縛っていた髪が広がり、白いマントをなびかせて逃げようとしている人物に追いつこうとする。
この姿の時のスオーラは、瞬発力・跳躍力という方向に常人離れした力を発揮できる。その脚力で文字通り瞬く間に不審人物に追いつき、後ろから組みついた。
聞いたところによればスオーラは托鉢僧である。だが同時に素手や棍などの簡素な武器で戦う僧兵としての訓練も積んでいるという。
彼女は腕力でなく相手の関節を極める事で身動きを封じ、更に腰に差したナイフを鞘ごと抜いて遠くへ投げ捨て、ガン=スミスが来る時間を稼いでいた。
ガン=スミスが到着した頃、覆面の人物はぐったりとしていた。関節を強めに極めて気を失わせたのである。悲鳴すら上げさせずに。
その光景を目の当たりにしたガン=スミスは、派手に動いたせいでスオーラのずり上がったスカートと下着丸出しになったお尻を見て心の中で「眼福」と喝采を唱える。
ガン=スミスの世界ならば下着を見られる事を恥ずかしいと感じるが、この世界では男女共に裸を見られないために下着を着るという発想なので、下着をつけていればお尻を見られる事を恥ずかしいと思っていない。つまり動きに「下着を見られるかもしれない」というためらいがなかったのだ。
だがそれでもスカートがずり上がったままというのはさすがに良くないので、立ち上がって懸命に直している。
その様子も「眼福」と思っていたが、悲鳴を上げさせずに気絶させた実力を思い出し「バレたらヤバイな」と強く心に誓う。
そんな気持ちを一応表に出さないようにしたガン=スミスは、気絶した人物の覆面を無造作に剥ぎ取る。その容姿は明らかに少年のもの。スオーラと同年代の物だ。それを除けば特徴がありそうでなさそうで、どこにでもいそうな、本当に普通の男。
だが、その正体が判明した途端、ガン=スミスの表情が険しくなり強く舌打ちする。その反応を見たスオーラは、
「あの。この男性に心当たりがおありなのですか?」
ガン=スミスはスオーラのその声が聞こえていないかのように、険しい表情のまま何か考えを巡らせているように黙っている。
《だから殺しておけって言ったんだよ》
誰にも聞かれまいと押し殺した低い声が漏れる。
ぶん殴りたいのを我慢している握った拳。その口を引き結んだガン=スミスの横顔。スオーラは普段とは全く違う別の面を見せつけられた気がして、言い知れぬ怖さすら感じた。
「ガン=スミス様?」
ガン=スミスの全身から、何かどろどろとした暗い感情がユラリと沸き上がるのが見えた気がして、スオーラの声が少し震えていた。
そんなガン=スミスは何かを懸命に堪えるように口を引き結んだまま、不審者の身体にたすきがけにしてあったロープを外し、てきぱきと縛り上げていく。さらに腕と脚の自由を奪い、口に猿ぐつわまで噛ませた。
そこでようやくスオーラの視線に気づいたガン=スミスは、
《ああ。この間来た牛泥棒ってのが、こいつなんだよ。つまり一月経たずにまた来たって訳だ》
すっかり短くなったタバコの先をギュッと押しつけた。
不審者の額に。

<つづく>


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