トガった彼女をブン回せっ! 第25話その1
『牛泥棒を容赦する理由があると思うか』

ガン=スミス・スタップ・アープの朝は早い。
パエーゼ国中央部にある小さな町・メッゼリーア。その町外れに広がる牧場が、今の彼の仕事場である。
――いや、彼ではない。彼女である。成人女性らしい成熟した、恵まれた肉体ではないものの、その外見は「男装の似合う麗人」を容易に彷佛とさせる。
白いシャツに革でできたチョッキとジーンズ。黒いウェスタンハットを深く被っているので、その表情は判りづらい。
彼女の履いているつま先の尖った黒いショートブーツのかかとには、小さな円盤状のノコギリのようなギザギザの輪がついている。
それは馬に乗る人間が靴に装着する「拍車」と呼ばれるアイテムだ。拍車自体はもちろんこの国にもあるが、その形はこのメッゼリーアと呼ばれる地域では見た事がない形なのである。
そう。彼女はこの町の出身ではない。異邦人である。もちろんこの国の生まれでもない。それどころかこの「世界の」生まれでもない。
元々はこことは異なる「異世界」の出身。しかもその世界ではガン=スミスはれっきとした男性であった。
世界が違うとそこに存在するための様々な規則や法則が異なるのが原因である。それによって世界が異なると同じ物でも外見や内面が変化してしまうケースが往々にしてあるためだ。
加えてガン=スミスはこの「時代の」生まれでもない。生まれたのは何と約二百年は昔の時代。
現代と比べれば人権や差別といった考え方が根本から異なる。
ガン=スミスの時代では「普通の」言動でも、現代では「差別」としか受け取られない事ばかり。
おまけにそんな風に「未来に」飛んできた事に全く気づいていなかったため、ガン=スミスにとっては「普通」の振る舞いであっても、この時代の人間は「差別主義者」としか受け取れず、町の人々に露骨に嫌われたのである。
違う国同士でも文化上のギャップは避けられない。世界が異なる上に時代まで違うとなればなおさらだ。
今ではそうした事情が町の人々にも伝わっているが、だからといっていきなり誤解が解けた、ごめんなさいと「めでたしめでたし」で済まないのが人の世の中。
ガン=スミスは「普通の」言動が抜け切れていないし、町の人々も浴びせられた差別的言動や偏見が大なり小なり心の傷として残ってしまっている。
だがそれでもガン=スミスがこの町の牧場で働き続けているのは、この町の教会の聖職者の発案である。
単に時代や場所が違う事による「文化の差」が招いた悲劇と言えなくもない。ガン=スミス自体が悪人という訳ではないのだから、信頼回復は不可能ではないと判断したようだ。
もちろんこの提案は町の中でも意見が真っ二つに分かれた。だがその案が通ったのは一人の少女の取りなしがあった事が大きい。
彼女の名はモーナカ・ソレッラ・スオーラ。この世界の大半で信仰されている宗教・ジェズ教最高責任者の愛娘。彼女自身も階級が低いとはいえ立派な聖職者である。
更につけ加えるなら、今の彼女はこの世界にやって来る謎の存在と戦う救世主でもある。そんな彼女が間に入ったとあっては、町の人々もおいそれと反論できなかった、という訳だ。
ガン=スミスの元の世界での本業は保安官。牧場経営はおろか牧童の経験自体はない。
しかし時代的に馬の扱いは一般常識。そこから得た経験やテクニックは昔の古い技術とはいえ全く違う土地の物のためかこの地にないものもある。
人柄的にはともかく、技術的にはそこそこ役に立っている。今のガン=スミスの評価はそんなところだ。
そんなガン=スミスが朝起きて真っ先にやる事は、馬小屋の中で立ったまま寝ている自分の愛馬・ウリラの世話である。
この世界に来てから出会った馬であるが、この十年共に旅を続けてきた大切な相棒だ。
《ウリラ。目が覚めたか?》
ガン=スミスはあちらの世界の言葉で声をかける。だが愛馬はほんの少しだけ首を向けただけだった。その無愛想さはとても十年共に過ごしてきた「相棒」には見えない。
こうなってしまったのは、この世界に何故かやってくる「謎の存在」が原因である。
その謎の存在は「エッセ」と呼ばれている事が判っている。
何らかの生物を模した姿形だが、その身体は謎の金属のようなものでできており、普通の武器は全く歯が立たない。
加えて口から生物を金属に変える特殊なガスを吐き、そうして金属にした生き物だけを捕食する。
そう。ウリラはそのエッセの犠牲者なのだ。
金属にされてしまったものの、捕食される事なくエッセの討伐自体には成功したのだが、金属にされている時間が長いほど、その生き物から記憶が失われていくのをガン=スミスは知らなかったのだ。
そのため記憶はおろかウリラ自身が馬であった事すらも「忘れて」しまったかのように、こうしてただ単に“生きている”だけの生物になってしまったのだ。
一縷の――小さな砂粒のような大きさでしかない希望があるとすれば、肉体が元に戻ってからそうした「忘れた」事を時間の経過と共に思い出すケースの報告だ。
だからガン=スミスは人々から恨みを背負いながらも、この町の牧場で働き、ウリラの回復を待つ事にしたのだ。
ガン=スミスは少しでも回復の助けになればと、仕事の合間を見ては、これまでの思い出を語りかけながら、その毛並みの手入れをしたり優しく撫でてやっている。
だが。
今朝はその愛馬の背中に覆い被さっている物が一つあった。いや、物ではなく者だ。
彼女の名前はジュンという。パエーゼ国の隣にあるマチセーラホミー地方にある深い森の中で、未だ原始的な生活を営む女性だけが住む村の出身だ。
その村に名前はなく、外部の人間から便宜上「ヴィラーゴ村」と呼ばれており、森の外では近年まで「森の蛮族」と呼ばれて蔑まれていた存在である。
細く小柄な体躯からは信じられない怪力の持ち主であり、原始的な生活を営んできたためか、十四歳という年齢の割にかなり純粋な子供のような言動が多い。
そんなジュンは貫頭衣をスッポリと着たままウリラの背中にうつ伏せに覆い被さった状態で眠っていたのだ。
決して寝やすいとはいえない環境かもしれないが、森の中で育った野生児たるジュンの事。町の人間のようにベッドなどで寝る方が寝づらいのかもしれない。
《おいおい黒いの。とっとと起きろコラ》
全く手入れをしていないバサバサの白い長髪を、露骨に嫌な顔をして軽く引っ張るガン=スミス。
ジュンは人種的には黒人、ガン=スミスは白人だ。特にガン=スミスの暮らしていた環境からすれば黒人たるジュンは下に見て当然の存在。むしろ人間扱いですらない。
この世界ではそうではないと聞かされていても、いきなり変われる訳もない。全く退く気配のないジュンに向かって、ガン=スミスは腰に吊るした拳銃――この辺りでは極めて珍しい武器だ――に手を伸ばした。
ガン=スミスの手が拳銃のグリップを握ろうとした直前、その手にジュンの爪先が叩き込まれた。軽くだが。
思ってもみなかったその行動に動きが止まってしまったガン=スミスの隙をつくように、ジュンは馬の背から飛び降り、その落下の勢いを使ってガン=スミスを力づくで組み伏せる。
男性の時のガン=スミスなら、もちろんそれなりに筋力があった。しかし肉体が女性に変わってしまっているためかあっさりと力負けしたのが悔しく、
《イデデデデッ、てめぇ寝ぼけてんのかわざとやってんのか知らねぇがとっとと退け!》
組み伏せられたまま元の世界の言葉で怒鳴る。しかしもちろんジュンには全く通じていない。
「捨てろ。武器」
ジュンは少し眠そうな顔のまま、ぼそっと言った。もちろんジュンの言葉もガン=スミスには通じていないが、その雰囲気はしっかり伝わっている。
《待て待て黒いの、何も持ってねぇだろうが、早く放せ!》
何も持っていない両手を何とかひらひらとさせて「武器を持っていない」と必死にアピールするガン=スミス。そのひらひらする両手を見てようやくジュンは組み伏せる力を解いた。
だがのそのそと再びウリラの背に乗ろうとするので、ガン=スミスはその襟首を掴んで、
《朝なんだから起きろ。それから手伝え》
もう片方の手が親指を立てた拳を作り、その指で外をくいくいと指差している。
言葉は通じていないが同じ人間同士。さすがのジュンもガン=スミスの言いたい事は察せたらしい。


牧場の仕事というのは色々あるが、大まかに言えば動物の世話と警護の二つである。
動物の世話には毛並みなどの手入れ、適度に運動させる、食事を与える、厩舎の清掃など。警護というのは野生動物や盗賊に狙われないように、もし来た場合は撃退するものだ。
先程までぐうたらしていたジュンは、目の色を変えて広い牧場を駆け回っている。森と草原という違いはあれどこうして思う存分駆け回る事自体がとても楽しいのだ。
加えてその身体能力も文字通り人間離れしているので、馬の駆け足にすら悠々と追いつける。
更に自然の中で育った野生児だからか、動物のちょっとした仕草や鳴き声を言葉同様に理解できるようなのだ。ある程度は。
そのため動物からの受けが非常に良く、動物達もジュンの言う事はとても良く聞くようになった。
ただ、ジュンの話す言葉はこの国の言葉とは全く違うので、彼女と直接意思の疎通ができる人間がこの町には限られるという欠点があるが。
そして、本職ではないのでそれよりは劣るもののガン=スミスも牛や馬の扱いは慣れたもの。発音は悪いがこの国の言葉をキチンと話せるので「これでジュンと言葉が通じれば」と溜め息をつく牧場主。
加えてガン=スミスの視力は遠くを見る事も闇の中も見通す事も容易な、超能力としか思えないレベルである。
夜闇にまぎれてやって来た牛泥棒を、得意のクロスボウで仕留めた(殺してはいないが半殺し状態)ほどだ。
二人ともこの国の出身ではない。理由は違うが疎まれている存在。お互いが特に協力しあっている訳でもないが、牧場経営に一役も二役も買っている。それは確か。
……だがそれでも、町の人々の差別や偏見が取れるまでには、まだまだ時間がかかりそうである。


久し振りにメッゼリーアの町を訪れたモーナカ・ソレッラ・スオーラは、この町にあるジェズ教教会の聖職者パードリ・デッラ・キエーザ教父(きょうふ)からそういった話を聞いて、そんな感想を持った。
教父というのは、この世界においては宗教的な意味での記録係の事である。
階級はそれほど高い訳ではないが、こうした町や村で起きた事をつぶさに記録して布教や指導に役立てるため、重要な役目とも言える。
「ソレッラ僧スオーラ殿」
そんな五十過ぎの年齢の聖職者が、自分の娘かそれ以下ほどの年かさのスオーラに、それも階級的に最下層の托鉢僧に対しうやうやしく敬服し、口を開いた。
着ているのが揃いの詰め襟という事もあり、その立場の逆転ぶりはかなり奇妙に見える。
彼女に対して敬服の意を表わしているのは最高責任者の娘だからか、世界を救う救世主だからか、その辺りは読み取れないが。
「彼女達への差別や偏見が取れるまでには、確かに時間がかかるでしょう。ですが……」
「何か気がかりな事でもおありなのですか、教父様」
スオーラの心配そうな表情にわずかに顔を曇らせた教父は、少しだけ口ごもるように沈黙したあと、
「差別や偏見が取れるのが先か、町の人々のくすぶった不満が爆発するのが先か。そういった状態なのです」
簡単にいえば、ガン=スミスは差別主義者。ジュンは森の蛮族。差別や偏見を払拭すべく町の役に立つ活動をさせてはいるが、肝心の二人の行動にまだまだ問題があるというのだ。
ジュンは良くも悪くも町の生活に慣れたとはいえないので、まだまだ町の「常識」を知らないし、森の蛮族の偏見もまだまだ根強い。
ガン=スミスは今まで自分が常識だと思っていた言動の大部分が、ここでは「非常識」でしかない。
しかも二人ともそれを改める様子がほとんど見られないのだ。むしろ改めようという雰囲気が感じられない、と見られている。
町の人間が「いい加減にしろ」と怒り出しかねないほど、町の空気がピリピリしたものになりつつあるのを感じている。二人を雇っている牧場主も「町の人間から苦情がたくさん来ている」と教父に愚痴をこぼしたそうだ。
町の様子を観察していた教父は、スオーラと違いそんな感想を持ったという。
それを聞いたスオーラは、頭を抱えたくなった。もちろん個性が強すぎる二人が相手である。すんなり行くとは思っていなかったが、こうまで難航しているとは予想外だった。
そんな状態では、さしものスオーラの「威光」を以てしてもうまくはいくまい。
こうした差別や偏見の払拭には、小さくてもゆっくりでも一歩一歩確実に進めていく事が肝心。だが現実にはそんな時間をかけてはいられない。といったところだろう。
「先日牛泥棒を撃退した事で信頼を勝ち得てはいると思うのですが、さりとて悪評を覆すほどではない、と申しましょうか……」
教父がこれまた言いにくそうにスオーラにそう告げた。ここまでくると遠回しに「二人に出て行くよう言ってくれ」と言っているようにも聞こえてきた。
だが、ガン=スミスにここに留まってみてはと提案したのは他ならぬ教父なのだ。その部分は無責任の極みにも聞こえなくはないが、本人もここまで難航するとは想像もしていなかっただろう。
人々の「指導」はとても難しい。二人は改めてそう思った。
だからその足でスオーラがまっすぐに牧場へ向かったのは当然と言えるだろう。
そんなスオーラの胸中をこれっぽっちも察した様子がないガン=スミスは、スオーラの来訪を手放しで大歓迎する。
外見はともかく内面は中年男性なのだから、(彼基準では)幼く中性的とはいえ美少女の来訪を歓迎しない訳はない。
《どうした、あまり機嫌が良くなさそうだな。あの日か?》
スオーラの困った様子を見たガン=スミスは開口一番そう告げた。後半部分に顔をしかめるスオーラをガン=スミスは楽しそうにニヤニヤして見ている。
先程教父が「改める様子がほとんど見られない」といった部分の原因はここだろう。自分の言動は「非常識」と理解していないのだ。
もちろん周囲は「それは非常識だ」と指摘してはいるだろうが、言われたところで「これのどこが非常識なんだ、お前らの方が非常識だ」と返されては。数が多くなれば呆れるし嫌われるし、やがて指摘する事すら止めてしまう。
一方のジュンは、昔から「森の蛮族」と言われ原始的な生活を営んでいる部族と伝わっている。女性ばかりの村で、周辺地域から子供を産ませるために男性をさらってくる。産まれた子供が男だったら殺すか捨ててしまう。
そんな話は数多いが、あいにくスオーラも詳細な真偽を確かめた事はない。だから、そうした話が産み出した尾ひれのついた物騒な噂ばかりが先行し、真実を見ようとしない。できない。
ジュン自身も村の中では一人前と認められているが、まだギリギリ子供を産むような年齢や状況ではないので、そうした知識はあまり持っていない。
またジュンの方も言葉のハンデもあってか、自分から誤解を解こうと動かない。良くも悪くも「なるようになる」となりゆき任せだ。
スオーラはそうした事をガン=スミスに話した。あえてそのまま。言葉を選ばずに。
案の定ガン=スミスは「そう言われてもなぁ」と頭をかきつつ、
《黒いのはともかく、オレ様はそういうやり方しか知らねぇからなぁ。むしろこの辺りの連中の方が頑固なくせに口うるせぇくれぇにおしゃべりで鬱陶しいがな》
頑固でおしゃべり。微妙に相反する性質な気もするが、それはおそらく世代によるだろう。どこの町でも年輩の人間は頑固だし、若者は噂話に目がないものだろうから。
その辺は托鉢僧としての経験が浅いスオーラでも、あちらこちらの町でそんな印象を抱いている。
「ですがガン=スミス様も人の事は言えませんよ? 非常識と判っている言動を繰り返すのは、賢い大人のする事ではありません。追い出されたいのですか?」
自分の倍ほどの年齢の人間にも、キチンと言い聞かせるように告げるスオーラ。
さすがにそれにはガン=スミスも困った顔で、
《出て行く分には構わねぇが、ウリラが動けるようになってくれねぇと、動きようがねぇしなぁ》
時間が経てば回復する(かもしれない)と言われてはいる。だが具体的にどのくらいかかるかというのが判らない。
元々この世界で旅暮らしだったせいか定住の意志はないので、追い出されるだけなら何も困らない。しかし相棒たるウリラを置いて行く事に後ろ髪を引かれるような強い思いがあるのだ。
それゆえに揉める事が判っていても、この牧場での定住生活を受け入れたのだ。しかも本職ではない牧場の仕事。それは確かに辛いと思うし不平不満も溜まるだろうとは思う。
だから住んでいる地域に溶け込もうとしないのはさすがに自分も擁護しきれない。このままでは良くて追い出される。悪ければ闇討ちされる。
闇討ちになれば間違いなくガン=スミスが町の人々にケガをさせる、もしくは殺してしまうだろう。
身を守るために武器を携帯するのは常識という社会だったらしいので、たとえ素手で相手ができる状況でも武器を使って威圧的・徹底的に制圧する。
先程話に出た牛泥棒の制圧の時も、慌ててやって来た牧場主が止めなかったら確実に犯人は死んでいた。そのくらい容赦ない攻撃を繰り出していたそうである。
《保安官たるオレ様が、牛泥棒を容赦する理由があると思うか》
そう胸を張られたが、どんな事情でも私刑はまずい。その説明が非常に困難を極めたらしい。
しかし町の住人の中にもガン=スミスのこの意見には同調する者が結構いたそうで、その辺の和解も困難を極めたらしい。
良い意味でも悪い意味でもこの町に刺激をもたらしている存在。そう言えば聞こえは良いがもう少し波風立てず穏やかに生活をしてほしい。それはキチンとガン=スミスに伝えた。
そしてもう一人の「問題児」であるジュンは、そんな二人に全く構う事なく、動物達と広い牧場を走り回っていた。
森の中で育った野生児たる身体能力はこうした平原でも如何なく発揮されているようだ。マントのようにも見える貫頭衣を脱ぎ捨て、木綿のシャツに膝丈のズボンに裸足という軽装で走り回っている姿はやっぱり微笑ましく見える。
スオーラでは動物の感情や表情を読み取る事はできないが、それでも動物達は元気に楽しそうにジュンを取り巻いているであろう事は想像できる。
だが、二人がこの町にいるようになった直後、町の住民の中でも過激で排他的な何人かが、ジュンを無理矢理牧場から引っぱり出して追い出そうとした事があった。
だがその時、牧場にいた総ての動物が一斉蜂起したかのように、追い出そうとした住民「だけに」襲いかかったのである。
馬の蹴りや牛の体当たりは、どれだけ加減しても生身の人間が受ければそれこそひとたまりもない。良くて重傷悪ければ即死だ。
牧場主やガン=スミスも必死に止めたが、他の住民が――それ以上に自分が動物の暴走に巻き込まれないようにするので精一杯だった。
ジュンが住民の拘束を力づくで解き、何やら良く判らない鳴き声の真似をした途端、動物達はピタリと暴れるのを止め、まるで何事もなかったかのように大人しく牧場へ帰って行ったという。
この件で町の住民達と和解するどころかますます畏怖の対象とされてしまったジュンなのである。
同時にこれが「森の蛮族」と蔑まれ、追い出してしまえという意見すらあるジュンを追い出せない理由でもある。
それでも謎の侵略者エッセが現れれば、ジュンは立派な戦力。連れて行かない訳にはいかないのだ。
その時に動物達とモメるのだろうか。ジュンは動物達を説得できるのか。そもそもする意志があるのか。
今のところエッセ出現の徴候は全くないが、悩みの種が尽きないとはまさしくこの事だろう。
スオーラの視線に気づいたガン=スミスも面倒そうにジュンの方を見る。
《半分動物みてぇなモンだからな》
ガン=スミスは少し上げた右手首だけを器用にグリグリと回す仕草をしながら、
《西部仕込みのローピングの出番がなくて残念だぜ》
ローピングとはこうした牧場で必要になる様々なロープを扱う技術の事である。必要に応じた多彩な結び方はもちろん、馬や牛の動きを止めるのに必要な投げ縄が代表的だ。
ところが前者はともかく後者の方は、この辺りでは見ないものらしくかなり珍しがられた。
投げ縄だけでなく彼がウリラに着けていた馬具も、同じように見えて独特な型ばかりである。それはこの世界の物をガン=スミスが自力で(中には職人の協力で)改良を施したものだ。やはり使い慣れた物を使いたかったかららしい。
《中でも苦労したのがダッチオーブンだな。まさかこっちに無ぇとは思わなくてな》
「ダッチオーブンですか?」
《ああ。こっちに来たばかりの頃、助けた村の鍛冶屋に頼んで作ってもらった》
得意げになるガン=スミスは、その時の活躍を(だいぶ大げさにしているだろうが)勝手にペラペラ話し出した。
ダッチオーブンという単語はスオーラも聞いた事があった。それはこの世界ではなく、エッセと戦うために行った別の世界――ガン=スミスの故郷がある世界でだ。
ダッチオーブンは、パッと見は厚手の金属で作られた蓋付きの鍋で、ガン=スミスの物は下に三本の足がついている。
下から火にかけるだけでなく蓋の上に熱した石や炭を乗せて「上からも熱を通せる」のが最大の特徴である。時には鍋を上下に重ねて二つの料理を同時に作ったりする事もある。
上からも熱が通せるので短時間で食材に火が通るし、蓋が重くなる事により密閉度が上がって水蒸気が逃げにくくなるため煮込み料理を作る際に水が少なくて済む。水が貴重な荒野での旅生活に合った調理器具なのである。
やがて話し終えたのか、話を戻そうと言わんばかりにスオーラを見つめて、
《こう見えてもチリは得意なんだ。今度ごちそうするよ。辛ぇのは好きけぇ?》
ガン=スミスの言う「チリ」とは「チリコンカーン」というスパイスを効かせた挽肉と豆のトマト味の煮込み料理だ。さすがに旅の間では必要な材料が揃わない事もあるので、作りたい時にいつも材料が揃う訳ではないのだが。
《えぇ(あい)にく今はあの黒いのがうるせぇから特製のパンを作ってるけどな》
ガン=スミスが指差す、少し離れた厩舎の脇に設置されたコンロの上にダッチオーブンが乗っていた。
特製のパンといっても単にこねた小麦粉を焼くだけなので、固くパサパサした感じのパンになる。
ふんわりとした食感の良い物を作ろうとすれば、イースト菌に代表される酵母が不可欠になる。もちろんそちらを入れた物も作れるが、さすがに手に入らなければ作る事はできない。
町の人々からあまり好かれていない現状では、おいそれと店で買う事もできないのである。
「少しでも早く町の方々と和解して、買えるようになると良いですね」
だから早くこの町に溶け込めと言わんばかりに得意げなスオーラ。
《言ってくれるね。このパンはチリの付け合わせに食べる事が多いから、固くパサついてても問題はねぇよ》
本音か強がりか、そんな風に胸を張るスオーラに負けじとガン=スミスも言い返す。
そしてダッチオーブンの方に視線をやると、牧場を走り回っていた筈のジュンが、いつの間にかコンロの前にちょこんと座っていた。
コンロにはちゃんと火がついているらしいのだが、それに触れる事もなくただ座してじっと待つ。見ようによっては調理、もしくは火の番をしているようにも見える。
森の中で原始的な生活をしてきたとはいえ、火の起こし方やそれで何かを焼くという事くらいは問題なくできる筈。
だがダッチオーブンの存在は知らなそうだから、熱せられた鍋を素手で掴んで火傷をしたりしないかと、スオーラは過保護な親のように不安がる。
スオーラのそんな不安をよそに、ジュンは「素手」の「両手」でダッチオーブンをガシッと掴むと、それを小走りでガン=スミスのところに持ってきたのだ。
「焼けた」
早く食べたい。言葉にせずともそう訴える笑顔で。
「ジュ、ジュン様。熱くないのですか!?」
スオーラが驚くのも当然だろう。たった今まで火にかかっていた鍋なのだ。だがジュンの方は何故スオーラが驚いているのかが全く理解できず、キョトンとしてしまっている。
《コイツそういうの平気なんだよ。身体の作りが違うんだろ》
そんな二人の対比がとてもおかしく、ガン=スミスは大笑いしていた。
何の遠慮もなく。

<つづく>


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