トガった彼女をブン回せっ! 第24話その4
『大目に見て戴く訳には参りませんか?』

結局何と声をかけて良いのか判らないまま、時間だけが過ぎて行った。
それはジェーニオとジュンが戻って来るまで続いていた。馬の前で無言でうなだれているガン=スミスを見たジェーニオは、何となく事情を察したようだ。
“お前が悲しんでいては、馬も浮かばれまい”
“お前が悲しんでいては、馬も浮かばれまい”
慰めてはいるようだが、やはりどこか上から目線の態度なので、あまりそう感じない。
だから何か一言くらい言い返してきそうなものだが、全く反応がない。それだけ傷ついているという事だろう。
だが、いくら励ましも慰めもできないとしても、このままここにずっといる訳にはいかない。
元の姿に戻っていたスオーラはガン=スミスの背中を軽くさするようにして、
「ガン=スミス様。まずはメッゼリーアへ向かいましょう。そこには賢者様がいらっしゃいます。賢者様の事ですから、何か策を授けて下さるやもしれません」
すでに昭士が携帯電話で賢者と連絡を取っているが、今は黙っておく。とりあえずガン=スミスに「行動」してもらう方が先だ。たとえ無気力で言われるままの行動であったとしても。
そこへひょこひょことやって来たのはジュンだった。森に帰った時に川で水浴びもしていたらしく、悪臭の残り香は全くない。
そんな彼女は棒立ちのままの馬の顔を見上げていた。彼女の住む森に馬はいなさそうだから珍しいのか。
そう思ったが、良く考えればこの世界での「乗り物」はまだまだ馬や馬車が圧倒的多数。町にいた事がある以上、馬を見た事がないという事はないだろう。
ジュンは馬の横に立つと、そのままひょいと鞍に飛び乗った。鞍に座る時に体重をかけないようにしたので馬が驚く事はなかったが。
そしてそのまま馬の首にもたれかかり、腕を首に回し、脚をしっかり鞍にからませるようにして座る。ジュンは小柄で軽量級なので馬もそんなに苦ではあるまい。
そんなジュンの行動を目の当たりにしても、ガン=スミスは「ブラック」だの「黒いの」だのと文句をつけて睨む事もない。
ジュンは人間でいう後頭部辺りに自分の額を軽く押し当てた状態で、
「ぼぶべんぶべばぼんばぼぶぼべんばぶべんば」
いきなりどこの言葉か判らない言葉を喋り出した。当然驚く一同。
“少なくともどこかの言語とは思えん”
“少なくともどこかの言語とは思えん”
ジェーニオがそう言うくらいだ。言葉かどうかも怪しいくらい意味をなしていない。ただの擬音か何か。そうとしか思えない言葉だ。
「ぶべんばぼべぼぶんばんばぼぶべんばぼぶべ」
するとどうだろう。今までほとんど棒立ちであった馬がゆっくりと歩き出したではないか。いきなり動いた事に、ガン=スミスは驚いて飛び退き、道を開けてしまった。
ジュンをその背に乗せたままひづめを鳴らして悠々と歩いて行く。ジュンは相変わらず「ぶべぼば」を繰り返しているだけだ。
意志の疎通ができているのかすらも判らないが、ジュンが話しかけた(?)事でリアクションを示した事だけは確かなのだ。
《一体どうしちまったんだ、ウリラは……》
ようやくまともな反応になったガン=スミスだが、その表情はとても平穏とは言えない。
自分では何のリアクションも示さなかった愛馬・ウリラが、自分が下に見ていた黒人のジュンの言う(?)事を素直に聞いている(ように見える)のだ。
さっきまでなら「どけ黒いの」だのと怒鳴ってジュンを押しのけているだろうに。それすら忘れたかのようである。
“馬の言葉は元々人間には判りづらいものだ”
“馬の言葉は元々人間には判りづらいものだ”
ジェーニオがガン=スミスにそう話しかけた。
ジェーニオが言うには、馬に限らずどんな生き物にもそれぞれ言語、もしくはそれに相当するものが必ず存在し、それで互いに意志の疎通をしている。
言語が異なれば意志の疎通が困難になるのは人間同士でも良くある事だが、人間以外の種類の生物となるともっと困難になるのは当たり前だ。
馬のような動物の場合、人間が「鳴き声」と呼んでいる言語の他に、全身の細かく、そして微妙な仕草も言語同様かそれ以上に活用して意志の疎通をしているのだ。
特に馬の場合その仕草、いわゆるボディーランゲージが(人間から見れば)あまりにも微妙な違い過ぎてものすごく判りにくいのだ。
これはガン=スミスのように馬に慣れ親しんだ人間でも良く判らないのだから、彼が恥じる必要はない。
特に今回の場合。長い時間金属の像にされた事により、馬としての記憶や精神が失われている事も一因だ。
本人、もとい本馬はいつも通りのボディーランゲージをしているのだが、失われているせいでその動きが肉体に表われない。同時に肉体に表わすための動かし方が失われている。
伝えたい事が伝えられない。伝える方法が判らない。本馬からすればこれほどもどかしいものもあるまい。
《そのくれぇはオレ様でも判る。だがどうして黒いのだけが判るんだ?》
“我も判るがな”
“我も判るがな”
ジェーニオは精霊だけあって特に変換という作業をしなくとも他の生物との意志の疎通はできる。現に昭士達とはそうしている。
さすがに人間以外とは若干困難を伴う事は事実だが、普通の人間よりは意志の疎通は遥かに楽である。
ジュンの場合は元々森の中で動物と共に野性的な暮らしをしていたため、ガン=スミス以上に「動物との触れ合い」をしていたからだろうと推測する。
確かに動物と長くつき合う、触れ合うとあまりに違う「意思疎通手段」もだんだんと理解ができるようになってくるものである。それはガン=スミスも実体験として知っている事だ。
だがその十年近い歳月をかけて得た経験を、出会ったばかりのジュン、それも自分が下に見ていた黒人にあっさりと追い抜かれたように見え、違う意味でもショックを受けているようにも見えた。
だがすぐに「という事はあいつは動物。俺は人間。落ち込む事はない」と白人至上主義的に開き直ったようだが。
《……よし。オッサンも元に戻った事だし、賢者のところに行くか》
昭士がわざと元気よく彼の肩を叩く。相変わらずオッサンと呼ばれたガン=スミスは怒って昭士の手を払う。
《話しただろうが。えぇ(あい)つは怪し過ぎる》
以前彼が話していたが、この世界に来たばかりの十年ほど前に賢者と出会い、それ以降全く会っていないのに数日前に会った際に少しも老けていなかったのを勘繰って蹴倒して逃げたそうだ。
だが実際には賢者と会ってから今日までの間のどこかで二百年以上未来に飛ばされる「事故」に巻き込まれていた事を昭士達から聞かされてとても驚いていた。
確かに二百年もの間少しも老けた様子がない人間というのは怪しい以外の何者でもない。そっくりの子孫と説明するのにも限界や程というものがある。蹴倒して逃げたのは正解だったと胸まで張られた。
ガン=スミスが賢者の事を怪んで警戒するのは当たり前だろう。
しかし賢者の知恵や知識は必要である。自分達だけで考えていても馬のウリラを元に戻す方法は判る訳がないのだ。
もっとも今回に限っては、賢者が自分で言う通り元に戻す方法を知っている訳ではないのだが、それでも彼を頼らざるを得ないだろう。ガン=スミスが嫌がっていても。
《怪しかろうがどうだろうが、アテはないしな。その辺は我慢してくれ。それから……》
説得というより諦めろと言い聞かせるように昭士が言うと、少し離れたところを指差した。
《あの夜営の跡と荷物。ちゃんと片付けて来いよ》
彼の愛馬ウリラがエッセに襲われたのは昨夜の出来事。旅の途中だったなら野営していて当たり前だ。そのため馬から下ろした荷物や毛布、焚き火の跡などがそのままになっていたのだ。
「……ガン=スミス様。いくら慌てていたとはいえ、荷物を放っておいたままというのは感心できませんよ」
今や自分の半分ほどの年齢の外見になってしまったスオーラにそう説教され、ガン=スミスは若干落ち込んだ様子で荷物を片づけに向かった。


馬に乗せていたとはいえ、旅の荷物である。コンパクトにまとめてしまえば人力でも運べない大きさや重さではない。
けれど普段は馬に運ばせていたし、ガン=スミス自体典型的な白人体型ではあっても筋力自慢の体格ではない。少々辛そうである。
さっき名前が出たこれから向かう町・メッゼリーア。ここからだいたい馬を走らせて六時間という距離らしい。スオーラの操るキャンピングカーなら数時間もかからず着く距離だ。
だがいくら何でも馬のウリラは乗せられない。おまけにまだウリラの精神が回復しているとはとても言えない状態だ。何故か通じているように見えるジュンの「ぶべぼば」がなくて歩けるのか。
そんな不安もあり、ガン=スミスは荷物を馬に乗せず、自力で担いで馬のそばに寄り添うように歩く事に決めた。
そんな彼を放っておけず、スオーラも歩く事に決めた。スオーラがそう決めた以上、昭士もワガママは言えない。戦乙女の剣となったいぶきをその肩に担いで皆に続いた。ちなみにいぶきは無言を貫いている。
もちろんキャンピングカーを荒野の真ん中に置いて行くような真似はしない。それはジェーニオに任せた。
ジェーニオの能力であれば、この程度の物なら楽々持ち上げた上、空を飛んで運べてしまう。
だがこの世界では本来なら存在しない車である。うかつに町に持って行ってはあらゆる意味で目立って人目を引いてしまう。
そのため町の近くまで来たら携帯電話で連絡して、運んで来てもらうという少々面倒な方法でいこうという事にした。
ジュンは相変わらず馬にまたがって額をたてがみにつけたまま、時折「ぶべぼば」を繰り返している。
ガン=スミスも負けてたまるかとばかりに、愛馬ウリラに出会ってからこれまであった様々な思い出を語って聞かせている。
「馬の耳に念仏」。昭士の脳裏によぎったのは、そんな日本の諺である。
馬に念仏を聞かせても、その有難みが判らない事から、人の意見や忠告に耳を貸そうとせず、少しも効果がないという意味である。
この状況に適切なのかは判らないが、よぎったものは仕方ない。携帯電話を操作しながら少し離れて後ろを歩く昭士は、浮かんで来た笑いを押し殺している。
「どうかされましたか、アキシ様?」
怪訝そうな顔で訊ねてくるスオーラだが、昭士は、
《笑っちゃいけないような状況なのに何故か笑いがこみ上げてくるってのがあるんだよ。そんなモンだ》
「そんなもの、ですか」
昭士から説明されても、そんな状況を知らないのか不思議そうな顔のスオーラ。
《まぁこの状況でバカ笑いしたら、オッサンが怒り狂ってこっちを殴りに来るだろうけど》
「当たり前ですよ」
スオーラが顔をしかめる。そして相変らず携帯電話を操作している昭士の手元を見ると、
「先程から何をされているのですか?」
《ああ。先輩達にメール。ほら。金属にされた事があるからな》
昭士が通っている高校の剣道部の部員達の何人かは、図らずもエッセとの戦いに巻き込まれ、その犠牲になっている。
だが金属の像にされていた時間が短かったからか、しばらく不自由な暮らしをしただけで今はすっかり元の暮らしに戻っている。
中にはそれがトラウマとなった者もいるが、何しろ部員達は皆スオーラの事を大層気に入っている。それも男女問わず。
特に女子部員の中でも目立つ三人がスオーラにとても協力的な上、あちらの世界でのスオーラの私生活でも色々世話を焼いてくれている。おせっかいと言えるくらいに。
そのため金属にされた事がある部員達にメールを一括送信したのである。金属の像から元に戻れてからの事を色々と教えてもらうためだ。
下手な資料より頼りになるのは実際に体験した人から直接聞く話である。
こういう状況であればメールよりも今はLINEで連絡を取る方が普通であろうが、昭士の携帯電話は未だにガラケー。それも機能が制限されている代わりに本体価格がメーカー内で一番安いモデル。そのためLINEには未対応なのだ。
いぶきの傍若無人さに巻き込まれるがゆえに友達が少なく、加えて年に一度はいぶきの八つ当たりで携帯電話を壊されるため、高級な携帯電話を持った事がない。
メールを一括送信してから三十分ほど経ってから、それが裏目に出る状況になった。
一斉に送ったメールの返信が、これまた一斉にやって来たのである。
着信したメールの中身を見ている最中に着信のため携帯電話が震える。それを止めてもまた着信で携帯電話が震える。
だんだん鬱陶しくなってきた昭士は、メールの中身を見るより先に届いているメールを一旦全部受信させようとひたすらボタンをポチポチさせる作業を続ける。
ガラケーの決して大きいとは言えない画面に、次から次へとメールが舞い込んで来る。明らかに一括で送信した数よりも多い。
金属の像にされた人間は剣道部員だけではない。この時巻き込まれた昭士の顔馴染みの警察官までが、なんと事件の調書を元にメールを出してきている。
事件が起きたのであればそんな被害者・関係者から話を聞くのは、警察官としては普通の行動である。
一応このエッセに関する事件の事は口外しないように被害者・関係者に言い渡してはあるが、調書の中身を部外者に漏らすのはさすがにご法度だろう。
そう思うのだが、この警察署の署長が「エッセに関する情報を昭士達に教えてやれ」と言ってくれたようで、必要があったら教えてやるから直接来い、とまで言ってくれていた。
この配慮には昭士だけでなく、メールの内容を聞かされたスオーラも感謝の言葉を呟いていた。
一通りメールは来たようで着信の震えがなくなって十分は経ってから、昭士はようやく画面をスクロールさせて最初に来たメールの中身を表示させた。
ところが。肝心のメールにはどれもこれもロクな事が書かれていなかった。
「自然に戻った」。これが殆どだったのである。
抜け落ちている記憶や忘れている動作などを他の人から指摘され、覚え直す。そうしているうちに元々持っていた記憶や動作が元のように「身につく」。そんな感じらしい。
だから覚えていた筈の事を覚えていない。意識せずともできた筈の事が全くできない。そんなギャップやショックがトラウマの一因なのではないかと分析されている。
後はスオーラに関する半分やっかみじみた文句だ。
早くこっちに連れて来い。お前が独り占めしてるんじゃない。一緒にカラオケに行きたい。手作りご飯作って差し入れして欲しい。彼女とデートの一つもさせろ。などなど。
特に男子部員からのメールはほとんど暴言であり、この時ばかりはスオーラが日本語の文字が理解できなくて良かったと胸を撫で下ろしたい気分だった。
だが結局得られたのは「自然に戻るのを待つしかない」という、解決法と言えるかどうか良く判らない策だけでは、これが役に立ったとは微妙に言えそうになかった。


途中何度か休憩を挟みはしたものの、日が暮れる頃には目的地であるメッゼリーアの町に到着した一行。
一応町に行く事は賢者に電話で伝えておいたので、町の入口にはその賢者モール・ヴィタル・トロンペ本人が。
その隣に立っている、今のスオーラと同じような学生服っぽい格好の人物がこの町の教会の人間なのだろう。
この国は彼女が信仰しているジェズ教の勢力がとても強い上に、彼女はそのジェズ教最高責任者の娘。いかに托鉢僧という低い階級であろうともある程度の待遇は期待できるだろう。
そして二人の後ろには十数人の人影が。おそらく町の住人達だろう。その誰もが馬の隣にいるガン=スミスを忌々しい表情で睨みつけていた。
二百年前の「白人至上主義」的言動のまま=現代視点なら差別的言動満載の態度だった事で町の人間達にかなり白い目で睨まれていたそうだから、それも致し方あるまい。
自分を殴って逃げた張本人であるガン=スミスを前にして、賢者の表情もさすがに笑顔とはいかないようだ。
[あー、話ばごいづらがら聞いだ。悪がっだな]
ガン=スミスはわざわざオルトラ世界の言葉で賢者にそう謝った。もっとも真剣に謝っているという雰囲気はそれほどなかったが。
「賢者様。実はガン=スミス様は本来二百年は昔の方でして。ご本人も気づかぬうちに時を超えてここにいるようなのです。ですから差別的な発言の方は、どうか大目に見て戴く訳には参りませんか?」
スオーラが賢者に話しかけている。頭こそ下げていないが、その雰囲気はまさしく平身低頭。階級が低いとはいえ聖職者自らこうした態度で来られては、一般市民は怒りの矛先を渋々おさめる他はなかった。
そのお陰で拒絶されたこちらを攻撃してくる事はなさそうに見えるが、それでもやはり手放しで歓迎されているとはお世辞にも思えない雰囲気である。
これはどこか適当な場所に引っ込んで話し合いを進めた方が良いだろうという事になり、一番文句が出そうにない教会までわざわざ行く事になった。
スオーラは自分の携帯電話――外見はゴツイ腕時計にしか見えないが――でジェーニオに連絡を取る。
この町はあのキャンピングカーが堂々と入って来られるほど大きな町ではないし、道路だって広くない。町外れに停めておくしかないのでそうしておいて欲しいと頼む。
そうしながら到着した教会は、いつもの教会とはだいぶ規模が小さいものだった。
まがりなりにもこの国の第一王子の居城がある町と、郊外の田舎とを比べる方が間違っている。
本来なら教会の中に入るところだが、話の議題が馬である以上馬まで中には入れるスペースがないので、建物の外で話し合いをする事に。
そのため建物内に吊るしているランプをいくつも持って来て明かりにしていた。
この時代には電気がないのだから仕方ないし、かといって町の中で野宿のような焚き火を炊く訳にもいかない。
もちろん電気の明かりを知っている昭士やスオーラからすればそれでも薄暗く感じてしまうが、これがこの世界の精一杯なのだ。そこに文句を言っても仕方ない。
昭士は話の前に背負ったままのいぶき=戦乙女の剣を建物の中に放り込んできた。
今でこそせめてもの抵抗とダンマリを決め込んでいるが、話し合いの最中に余計な一言二言を言って事態をややこしく、もしくは決裂させかねない。
いぶきは昭士が困る事なら何でもやりかねない。最悪のタイミングで最悪な事をして来る。そういう性格だ。
昭士は教会の外に出てきた時、そこにジェーニオがやって来た。町の外れの大丈夫そうなところに車を停め、しかも食べ物を適当に持って来ていたのだ。
命令を聞きそれを忠実にこなす事しかできなかったジェーニオが、ここまで率先して気を配れるようになったのかと思いきや、さっきのスオーラの電話で「車内の食べ物をいくつか持ってきて欲しい」と言われていただけと聞き、ガックリと首を倒した。
だが、さっきのジュンの腹痛の件もあるので、昭士が一応持って来た物をチェックする。
傷んでいない桃。傷んでいない梨。封を切っていないチョコレート菓子。そして自分が持って来ていたカップラーメン。
大丈夫と判断して持ち込みを許可する。参加人数を考えるとこれでは少ない気はするのだが。
とりあえずそれら食べ物をスオーラが切り分けつつ、主に賢者とガン=スミスの話が進んで行く。
昭士はさっき聞いていたが、さすがの賢者にもこことは違う世界の知識まで豊富という訳ではなく、金属にされていた者が元の姿に戻っても、その間に失われていた物まで元に戻す方法は知らないと断言し、申し訳ないと頭を下げる。
そして昭士が「自然に戻るのを待つしかないらしい」と付け加える。その言葉にスオーラや教会の主は揃って何やら祈りの言葉のような事を呟く。
一方ガン=スミスの方はさっきよりはショックをあらわにしている感じは見られない。どうにもならないという状況から「自然に戻るのを待つ」という方針が見えたからかもしれない。
とはいえ人間と馬の差というものがある。本当にそうなるという保証はないが、今のガン=スミスに必要なのは「かも」付きでも方法があるという事実である。それを「希望」ともいう。
すると教会の主がガン=スミスに、何かを提案するような調子で話しかけた。この世界の言語が全く判らない昭士はスオーラに何と言ったのか訊ねると、
「しばらくここに留まってはどうか、と仰っています」
その提案に昭士は少しばかり驚いた。
知らなかったとはいえガン=スミス自身の言動のせいで町の人々と険悪な関係になり、まだその雰囲気が抜け切っていない現状である。彼がこの町に留まれば反発や軋轢は免れまい。
だが教会の主はこう続けたそうだ。
「十年もあてのない旅暮らしを続けてきたのだから、人も馬も少しくらい立ち止まって休んだとしても、悪い事はない」。
この町にもあまり大きくはないが牧場がある。そこで馬を休ませ、ガン=スミスも牧場のスタッフとしての働きを見せる事で町の人々との関係の向上が図れるかもしれない。
[オレ様の本職ば保安官なんだがなぁ]
ガン=スミスがこちらの言葉で不満そうに呟く。もちろん馬の扱いそのものは充分心得てはいるが、あくまでも本格的な牧場のスタッフと比べれば素人レベルを脱しない程度だ。
だがこの広い世界。単独かつ徒歩だけで旅暮らしを続けるのは無茶も良いところである。
それに何より十年もの間共に旅をしてきた相棒をここに置いて行く事に、強く後ろ髪を引かれるような思いがあるのだ。
このままでは愛馬ウリラは旅を続けるどころか馬としての日常生活すらおぼつくまい。だからといって離れ離れになるのは。
ガン=スミスの胸中に決断できない、しかし決断を下さねばならない考えが重苦しく渦巻いている。
そんな思いでウリラの方に視線を向ける。愛馬は相変らず黒人のジュンをその背に乗せたまま、ガン=スミスに関心を払う事なく、一人(?)静かに佇んでいる。
ジュンはジェーニオが持ってきた果物やお菓子を食べ、満足そうな顔で馬の首に寄りかかっていた。ウリラの表情そのものは暗くて読み取れないが、少なくとも怯えていたり警戒しているようには見えなかった。
自分と共に旅を続けるのは、自分と一緒にいるのは、もしかしたら嫌なのでは。こうしている方が幸せなのでは。そんな考えすらよぎる。ガン=スミスの表情が翳る。
だがそれでもこの世界に、この地のどこかに定住する気は不思議と起きなかった。
元の世界に帰る事も一瞬考えたが、自分がいた時代から二百年は未来と聞いてはその考えも失せた。
もちろん未来の世界を見てみたいという気持ちがないとは言わない。しかしそれ以上に「自分を知っている人間がもういない」ショックの方が強かった。
ガン=スミス自身は知らないが、帰ってきた浦島太郎は、きっと彼と同じような気持ちだったのかもしれない。
[ウリラば……あの馬ばごごに置いで行ぐ。大事にじでやっでぐれ]
彼の口から出た言葉に、言葉が判る者全員が驚いた。特に教会の主は大層驚いて「良いのか?」と聞き返してきた程だ。
だがガン=スミスの表情は思いの他明るかった。何かを吹っ切ったように。
[十年一緒にやっでぎだ相棒がいなぐなるのばぞりゃ寂じいざ。でも具合が悪いのに旅に付ぎ合わぜる訳にばいがないざ]
地面に座っていたガン=スミスは立ち上がって傍らの荷物を担ぎ上げると、歩き出そうと皆に背を向けた。
はむ。
何と。いつの間にかウリラが歩み寄ってガン=スミスの腕に噛みついたのである。その行動に驚く一同。
だが噛みつくといっても腕を喰い千切らんばかりに噛みついているのではない。人でいうなら唇だけで彼の服をくわえているといった具合だ。
馬を良く知らない人が見れば驚く光景だが、馬に慣れている人間からすれば、そこまで驚くに値しない。だが状況を考えるとガン=スミスは驚かざるを得ない。
馬がこんな風に、穏やかな表情のまま人間の服をくわえるのは、愛情表現であるケースが多いからだ。特に気に入った人間でなければこんな事は決してしない。
金属にされて馬としての記憶や精神の大半が失われた筈なのに、別れると宣言した途端にこの行動。
ウリラはガン=スミスを覚えているのだ。気に入っているのだ。だから離れたくないのだ。
[……判っだよウリラ。ごごで休んで行ごう]
ガン=スミスは口をきつくヘの字に曲げると、両手でバシバシ叩いてごまかした。
こぼれた涙を。

<第24話 おわり>


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