トガった彼女をブン回せっ! 第24話その3
『人の事盾にすンじゃねぇって言ってンだろうが!!』

まだ視界にすら入ってはいないが、間違いなくさっきと同じダチョウ型のエッセがやって来る。
何せ自分が食べる予定の物を未だ一口も口にできていないのだから、それこそ何を差し置いてもやって来るに違いない。
しかしその体表は雨でずぶ濡れになっており、元にした生物の特徴である「濡れると極めて強い悪臭を放つ」をフルに発揮。おかげでさっきは何もできなかった。
だが今回は違う。そう言いたそうに昭士が出したのは、真っ赤な炎でできた人ほどもある巨大な鳥だった。
今の昭士が変身した姿――彼が幼稚園時代に見た特撮ヒーローの必殺技、その名も「フェニックス・ブラスト」。炎の鳥を敵に体当たりさせて焼きつくすという大技である。
《行けっ!》
昭士の号令で炎の鳥はまだ見えぬエッセ向かって勢い良く飛び立っていく。彼の意図が何となく判ったスオーラは、
「あ、あのアキシ様。お言葉ですがエッセに普通の炎は効果がないと思うのですが?」
エッセの全身を覆うのは未知の金属。通常の武器も魔法も全く効果がない事は実証済である。
《いや。別にこの火で焼き殺せるなんて思っちゃいないぜ?》
まだ姿は見えていないが、さっきと同じ悪臭が少しだけ漂って来た。間違いなくこっちにやって来ている。そう確信した昭士は、
《エッセそのものには通じなくても、その身体についた水くらいは蒸発させられるだろ。そうやって乾いちまえばただのダチョウだ。だから……》
昭士はガン=スミスの顔を改めて見ると、
《だからアンタの目で、確実にあいつにぶち当たるように微調整する。ちゃんと教えろよ、オッサン》
《誰がオッサンだ!》
そう怒鳴るガン=スミスだが、ここは東洋人に仕切られる事に怒りをあらわにしたりヘソを曲げる時ではない。
このチャンスを逃してはいけないのだというのは、さすがに判っている。
いくら「白人至上主義」の時代に生まれ育った人間でも、そのくらいはきちんと把握しているのだ。大人だから。
鼻をつまんだガン=スミスの「射手」のムータの能力の視界は、さっき同様首を九十度横に曲げたままの金属のダチョウが猛スピードでこちらめがけて駆けて来る様子が小さく見えていた。
《あの鳥をもうちょっと右に……いや行き過ぎだ戻せバカ。そうそうそのまま……》
言い方は悪いが一応ちゃんと指示を出している。このまま協力してくれればと、スオーラは後ろから祈っていた。
もう周囲はさっきと同様かそれ以上と思える悪臭に包まれている。さっきは唐突だったので面喰らったが、来ると判っていれば腹も括れるし多少なら我慢もできる。
《火の鳥に気づいたようだな。方向変えて迂回しようとしてる。もっと早く飛ばせバカ》
最後に「バカ」がつくのは気に入らないが、ここで言い合っていても解決しない。昭士は言われた通り炎の鳥を誘導していく。
《ああ何やってんだよもっと左だひだ……よっしゃ!》
自分で炎の鳥を操れないもどかしさでだんだん言葉が荒くなって来たガン=スミスが、いきなり歓声を上げた。
《えぇ(あい)つ岩にけつまづいてすっ転んだ。そのまま一気に体当たりカマしてやれ!》
《判った!》
昭士は方向を変えずそのまま炎の鳥を加速させる。ダチョウ型エッセからすれば炎の鳥が自分めがけて突っ込んで来ているのだ。自分は動けないのに。
エッセに恐怖というものがあるのかどうかは知らないが、普通の生物ならパニックに陥っているかもしれない絶妙のタイミングで、炎の鳥――フェニックス・ブラストが直撃した。
エッセの全身が一気に炎に包まれる。ネットで見た設定によるとこの炎の熱は地球のマントルと同じ六千度らしい。
このウィングシューターは過去自分が持っていたオモチャではあるが、先の戦いで「本物」に改造されている。もしかしたら本当に六千度の炎なのかもしれない。
その六千度らしい炎はエッセをくまなく包み込み、その身を焼きつくそうとしている。だがエッセにまともに通用するのは、ムータを持つ者の攻撃のみ。やはりそうではない武器から産み出されたこの炎はエッセ自身には少しもダメージを与えていない。
だが。昭士の読み通り全身についた雨水はみるみるうちに蒸気となって消え失せる。つまり急速に乾いているのだ。
普通の生物であれば火に包まれた途端絶命するか、もしくは火を消そうと躍起に地面でも転がっていただろう。
しかしそうした面を持たないエッセはその炎にされるがまま。地面に倒れ何とか立ち上がろうとしているだけだ。
おかげで火は全く消えずその全身はどんどん乾いていく。実際昭士達の元に漂って来ていた悪臭も、元が浄化されているお陰でどんどん薄くなっているのが実感できる。
それからしばらくして必殺技の効果が切れた頃には、もうあの悪臭は完全に消えてしまっていた。
これであのエッセはタダのダチョウ。決して戦えない敵ではなくなった。
昭士はビームサーベルモードのままだったウィングシューターを銃モードにしてからホルダーに収めると、地面に転がしたままの戦乙女の剣を鞘から抜いた。
その刃だけでも全長一八〇センチ幅四十センチ厚さ五センチという極めて規格外の巨大刀剣。自分の身長よりも長いその刃を苦労して引き抜くと太陽の光を受けて鈍く光る。
《毎回毎回言わなきゃ判ンねーのかこのバカどもは》
怒りを堪える戦乙女の剣――昭士の双子の妹のいぶきはクセのある声で非難する。
《いい加減こっちを巻き込むの止めてくれないって言ってンじゃン?》
とにかく誰かの、何かの助けになる事を嫌ういぶき。そんな事をするくらいなら死んだ方がマシと断言してはばからない性格だ。
加えてこの剣はいぶきの肉体そのものが変身した姿。例えるなら服を脱がされ裸にされるのに等しい。こちらだけの非難なら納得もできようものだが、
《諦めろ》
そうではないので昭士はこの一言で彼女を無視する。
この戦乙女の剣でトドメを刺さない限り、エッセによって金属にされた者が元に戻る事は(今のところ)ない。いぶきの気持ちはどうあれ彼女を使うしかないのである。
相変わらずギャーギャーとうるさく文句しか言わないいぶきを肩に担いだ昭士は、そのままエッセめがけて駆け出して行く。
もちろん遅れを取るかとガン=スミスも走る。彼は自分のムータをクロスボウへと変え、まだ遠いのに走りながら矢を放つ。
確かにクロスボウの射程距離は数百メートルにも及ぶし、彼の視力にかかればこの距離での命中も可能だから無理ではないのだが。
しかもそのクロスボウは矢が要らない特別製。彼は確かにそう言っていたが、矢をつがえている様子は全くない。
昭士が良く観察して判ったのは、何もない状態で引き金を一回引くと、弓が引き絞られるのと同時に光でできた矢が自動的に装填されていた事だ。そしてそれを目標めがけて発射する。そのくり返しだ。
《おい、こんな遠くから届くのかよ》
いくら射程距離が長いといっても、当たるかどうかは腕があっても別である。昭士の文句ももっともと言えるが、
《届くよ。もうちょっと近づかねぇと致命傷にはならねぇだろうがな》
ガン=スミスの目には光の矢が一応突き刺さっているのが見えている。それこそエッセの全身に。
しかしよほど確実に急所に直撃させなければ、クロスボウの矢でダチョウをしとめるのは難しい。いくら「見えている」からと言ってもこの遠距離では、確かに致命傷にはならないだろう。
とはいえ本当に致命傷になられても困る。それでは愛馬を元に戻せない。その辺りの加減が難しい現実というものだろう。
《……おっ。何とか立ち上がったみてぇだな。こっちに来るぜ、東洋人?》
ガン=スミスに言われるまでもなく、だいぶ近づいたので昭士の「周囲の動きを超スローモーションで認識できる」能力でもエッセの動きは良く判る。
首が真横に九十度以上折れ曲がった状態で、何とかこっちに駆けて来ようとしているのだ。
だが、やっぱりバランスが悪いので走る速度は早いものの、やはり歩みそのものはよたよたふらふらしたものである。
《そっちこそ足で蹴り飛ばされるなよ、オッサン》
昭士が出した右拳にガン=スミスは左拳をこつんと軽く合わせ、何の打ち合わせもなく二人は二手に分かれた。
ガン=スミスはハッキリ見える距離まで近づいた事で走るのを止め、その位置から矢を乱射する。
もちろんエッセもただやられているだけではない。首が折れ曲がった状態にも関わらず、ガン=スミスに向かって金属化のガスを吐いて少しでも牽制しようとしている。
もちろんそのガスは簡単に避けたものの、金属化ガスに巻き込まれた光の矢は力を失って消滅していく。
さしもの光の矢もガスには勝てなかったか。昭士は一瞬落胆するが、消された矢の後から発射した矢が、まるで意志を持っているかのように軌道を変えたのである。
そしてそのままエッセの身体に次々と突き刺さる。そのうちの一本は口の中に飛び込んだくらいだ。
鳴き声などは一切上げないのでどのくらい効いているのかは判断できないが、さすがに全くのノーダメージという事はなさそうだ。
《この光の矢は、オレ様の意志で自由自在に起動を変えられる。……何度もやるとさすがにヘバるがな》
肩で息をしながら、それでもクロスボウの狙いは外さぬままガン=スミスが昭士に言う。
《もちろん後ろから撃つつもりはねぇから、安心して斬りかかれ》
《そりゃ有難い事で》
冗談めいてそう言い返すと、昭士もゆっくりと間合いを詰めた。
ダチョウ型エッセはというと、細い両脚に何本も刺さった光の矢のせいで足がギクシャクとしか動かせず、ダチョウ本来の機動力はおろか人間以下の速度でしか動けない。
首の折れ曲がっている部分がちょっとした動きで大きくブランブランと揺れているので、視界が全く安定していないため狙いを定める事ができず、全く見当違いの場所に向かってガスを吐いている。
そこにスオーラが何か魔法を使ったらしく、上からとてつもなく重い物でも乗せられたように、急にその場にベタンと組み伏せられるようにくず折れた。
「アキシ様、今ですっ!」
スオーラに言われるまでもなく、昭士は担いでいた戦乙女の剣を両手で持った。そして一気に接近するとそれを大きく真横に振るう。
ばぎばぎっ!!
耳障りな鈍い音を立てて、ダチョウ型エッセの両脚が爆発を起こし、いともたやすく吹き飛んだ。
胴体が重そうにドスンと地面に転げ落ち、その衝撃で折れ曲がっていた首が更に別の方向に折れ曲がる。
爆風と破片を巨大な剣をかざして盾にする事でかわす昭士。もちろん五感が残っているいぶきは痛がるのと同時に文句をブチまける。
《ででででっ! オイコラバカアキ! 人の事盾にすンじゃねぇって言ってンだろうが!!》
《じゃあ今度は剣として使ってやるよ!》
盾にしても爆風と破片の被害を全く受けていない刀身。昭士はその根元にある四角いくぼみに自分のムータを嵌め込む。それは隙間なくピッタリと納まった。
するとムータから黄色い火花が散りだし、それが瞬く間に巨大な刀身を包み込む。その様子はまるで雷の剣である。
《あだばばだばばだだばばだだだばばば……!!》
いぶきにしてみれば全身に電流を流されているも同然なので、もちろん激しく痛い。そして戦乙女の剣はいぶきが痛がれば痛がるほど強大な威力を発揮する。
普通の兄妹であれば罪悪感も沸こうかというものだが、物心つく前からいぶきは誰に対しても極めて傍若無人であり、特に昭士は兄として人として扱われた事などただの一度もない。
そんな人間に罪悪感など沸く筈もない。昭士は勢いをつけるように頭上で剣をブンブンと振り回す。
《スオーラ、ガン=スミス。危ないからそこに伏せてろ!》
昭士はありったけの声でそう怒鳴ると、勢いをつけた戦乙女の剣の刃を渾身の力で地面に転がるエッセの胴体に叩きつけた。
ドッッッッガァァァァァ……オオオォォォォオオンッッ!!!!
『でええぇぇええええええぇぇええぇぇぇっっっ!!!!』
今日一番の巨大な発光。そして爆発。更にいぶきの痛々しい悲鳴。
皆の視界が真っ白に染まった。そして、それから少し遅れてやって来る衝撃と轟音。
伏せていたにも関わらず、スオーラとガン=スミスは後ろに数メートルほど吹き飛ばされたほどだ。
やがてその轟音と衝撃が消え、その土煙が晴れる頃、剣を振り下ろした状態の昭士の後ろ姿が見えた。
剣を振り下ろしているのだから、先程のように剣を盾にして身を守れないにも関わらず、彼の身体には傷一つついていない。
それは特撮ヒーロー的なスーツが「本物」のようにあらゆる衝撃から身を守ったからである。
これまたネットで見た設定によると「マイナス二七〇度から一万度の高熱に、さらには戦艦の主砲の直撃にも耐える性能」とあったので、本当にそうなっているとしか思えなかった。
そして肝心の戦乙女の剣の巨大な刃は、ダチョウ型エッセの胴体を綺麗に真っ二つに叩き斬っていた。
叩き斬られたエッセの切り口が、次第に淡い黄色に輝き出した。その輝きは切り口からあっという間にエッセの全身に広がっていく。
ぱぁぁぁぁぁあん!
光は小さな粒となって一斉に弾け上空へ、そして四方へと一気に飛んでいく。これがエッセにとどめを刺した証なのだと、スオーラはガン=スミスに説明した。
この粒が金属にされた生き物の元へ行き、この光が金属の像に降り積もると、やがてその姿が元に戻るのだと。
これでようやく戦いは終わったのだ。昭士はようやく全身の緊張を解き、叩きつけたままだった剣をまた肩に担ぐ。
昭士は軽々と扱っているが、それはこの剣の使い手だからという『特性』にすぎない。本来なら三百キロはある超重量級の武器なのだ。人が持って振り回せる剣ではない。
昭士は気を利かせてスオーラが運んでくれていた鞘にそっと剣を収めた。とはいえ刃の長さだけで自分の身長よりも長い一八〇センチという巨大サイズ。収めるだけでも一苦労なのである。
だからこそ、この剣を収めた瞬間に昭士は戦いが終わった事をしみじみと実感する。
いぶきはまださっきの衝撃から立ち直れていないらしく、何も言って来ない。うるさくなくて良いと昭士は思い、大きく息を吐いた。
《……あー、終わった終わった》
《「終わった終わった」じゃねぇっ!》
ガン=スミスが昭士の頭を引っぱたく(もちろん昭士は避けるが)と、
《今のでウリラは元に戻ったんだろ? とっとと行くぞ!》
心底嬉しそうに、笑ったまま、二人に「ついて来い」とうながして真っ先に駆け出して行った。


すっかり悪臭の消えた荒野を走り、愛馬ウリラの元に戻って来たガン=スミス。
《おお! ホントに元に戻ってやがるぜ》
四本の脚をしっかりと地面に下ろした茶色の毛並みの馬が荒野の中に静かに佇んでいた。
その毛並みやたてがみが風で静かになびいているところから見ると、本当に金属だった身体が元に戻っているようだ。
その様子に嬉しそうな顔がさらに加速したガン=スミスは馬の名前を呼びながら懸命に駆け寄った。
《ウリラ。大丈夫か? 済まなかったな、助けるのが遅れて》
そう言ってウリラの頭やたてがみを優しく、そして全力で撫で回している。
だがウリラと呼ばれた馬は時折少しだけ首を動かす程度で、ガン=スミスの言葉や行動に関心を示そうとしない。
少なくとも「愛馬」というリアクションでない事は確かだ。
《おい、どうしたんだよ。ほったらかしにしちまったから拗ねてんのか? ん?》
ガン=スミスはハハハと明るく笑いながら、さっき以上に撫で回す。
少し遅れて到着した昭士とスオーラは、殆どリアクションのない馬を見て沈んだ表情になっている。
二人がやって来た事に気づいたガン=スミスは、さっきまでの笑顔のまま――しかしその青い目を潤ませて、
《なぁ、えぇ(あい)つ倒したんだろ? 元に戻る筈だろ? なのに何だよこれ!?》
ガン=スミスは昭士の両肩を強く掴んで激しく揺さぶる。
《お前の剣でトドメを刺せば元に戻る筈じゃなかったのかよ!? それともそいつはウソだったとでも言う気か!?》
昭士を責める声もだんだん大きく、さらに少しだけ嗚咽が交じってくる。
「……ガン=スミス様」
彼から微妙に目を背けるようにして、スオーラは話しかけた。
「エッセによって金属に変えられてしまった生物は、次第に記憶が無くなっていくようなのです」
死の宣告とはこんな気分なのかもしれない。そんな風に感じているスオーラは、あえて無感情を作っていた。
そしてようやく昭士の肩を揺さぶるのを止めたガン=スミスに説明を始める。
そもそも魔法などの手段によって強制的に他の物に姿形を変えるというのは、生物でいう精神的な物も含めて変質させるらしい。いわゆる「お前は○○ではなく××なのだ」と思い込まされるのに等しい。
人間は思い込むとその通りになる傾向がある。自分は強いと思い込めば本当に実力以上の力を発揮できるし、その逆もまたしかり。
そのため「自分は金属なのだ」と強制的に思い込まされると、生物だった頃の記憶や精神はどんどん無くなり、外見だけでなく内面も金属に変化していく。
そして記憶や精神が完全に無くなると、もう元には戻せない。戻すべき元が存在しないのだから当然である。
昭士がエッセと初めて戦った時も、何人かの人間が金属の像に変えられてしまっている。
もちろんエッセを倒した事によって元の姿には戻れたが、記憶を無くしてしばらくの間日常生活にすら不自由を感じていたという。
そんな風に自分の記憶がどんどん無くなっていく恐怖を味わった者がいる。未だにその恐怖がトラウマとなり拭い切れていない者もいる。
あの時は金属にされてから数時間ほどだったためか(これでも)大きな影響は出ていなかったようだが、今回のケースではどう考えても半日以上は経過している。加えて人間と馬の脳――記憶や精神の差もある。
姿はどうにか元に戻ったが、馬としての記憶や精神は失われてしまった。そう考えるしかない。
スオーラの言葉を選んだ、しかし判りやすいそんな説明を、半ば放心状態で聞き続けているガン=スミス。その胸中に受けた傷は如何ばかりか。
馬の首にしがみつくようにして顔を伏せ、声を殺して男泣きするガン=スミスを見て、昭士もスオーラも何と声をかけて良いのか判らず、開きかけた口を閉じては、だが何か言わねばと口を開きかける。
《…………遅かったってのかよ》
弱々しくぽつりと漏れるガン=スミスの声。調子に乗ったりバカにしてきたりした声ばかり聞いていたが、こんなに無気力な声を聞くのは初めてだった。
《こいつはなぁ。こっちの世界に来て初めて会った馬なんだよ。生まれた時から世話してきた馬なんだよ。ずっと一緒に旅をしてきた馬なんだよ。愛着だって思い入れだってあるよ。そいつが、何もかも、無くなっちまったってのかよ》
彼にとっては訳の判らない世界にたった一人で飛ばされて。そこで出会ってこれまで苦楽を共にしてきた、まさしく「相棒」。
昭士にはスオーラというパートナーがいた。様々な面倒を公私にわたってみてくれた。だからやって来れた。戦って来れた。
しかしガン=スミスは違うのだ。昭士と違ってこちらの言葉を覚えられたとはいえ、本当の意味で頼る者、すがる者はウリラと名付けたこの馬だけだったのだから。
その大切な相棒を助けられたと思った途端のこの仕打ち。この展開。一人前の大人の男でも、泣いてはいけない法などない。
昭士もスオーラも、とうとう何か言おうとするのを諦めて黙り込んだ。
今の彼には、いかなる言葉をかけたとしても、胸中に受けた痛みをやわらげる事は不可能だと悟ったからだ。
昭士はその場から少しばかり離れると、携帯電話を取り出した。そして慣れた手つきでリダイヤルする。
かけた先は賢者のところだ。呼び出し音が聞こえる。一回。二回。三回。
四回目で相手が出た。
『……どうかしましたか?』
電話口から聞こえる賢者――モール・ヴィタル・トロンペの声。昭士は手短かにダチョウ型エッセを倒した事を告げてから、
《時間が経ち過ぎたんだろうが、金属にされてた馬が一頭……バカになっちまった》
詳しい事情は聞いていないが、状況をおぼろげに察した賢者。
『確か、金属にされている時間が長いほど記憶や精神が失われる、でしたね』
昭士は賢者の言葉に無言でうなづく。音声のみの通話だからそれが相手に伝わる筈もないが、まるでそれが伝わったかのように、
『賢者と呼ばれてはいますが、エッセに関する事の知識は……残念ですがほとんど持ち合わせてはおりません。その馬を金属にされる前のように戻す方法は知りません』
知識が売りの賢者とはいえ、さすがに「異なる世界の事」にまで精通している訳ではない。一口に異なる世界と言ってもそれは無限とも言える数がある。
たとえ全知全能の万能神であってもその総てを知っているとは思えないくらいに。
予測していた答えだけに、昭士は用意していたセリフを返す。
《そうだろうけどな。けど助けて欲しいって頼まれてこの結果だからな。ここでほったらかすのはさすがに後味が悪すぎるぜ》
世の中最後に待っているのはハッピーエンドだけではない。むしろ不幸な結末の方がずっと多い。いくら何でも必ずうまく行く戦いなどあろう筈がない。
《だからよぉ。アンタをブン殴って逃げたヤツなんだけどさ、何とかする知恵の一つ二つくれないか?》
『何とかと言われましても……』
賢者の言葉が濁る。確かに彼はあやしんだガン=スミスに殴られて気絶、その隙に逃げられるという失態を侵している。
そんな人間を素直に助けたくないのが本音だろう。しかし馬の境遇に関しては確かに感じている。
同情すべきものを。

<つづく>


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