トガった彼女をブン回せっ! 第23話その1
『ログな事が起ぎだ試じがねぇな』

荒野の真ん中にある小さな貧しい村。
その村の中央にある広場のような場所で、一つの戦いが終わった。
地響きとともに倒れたのは体長二メートルにもなる水牛。この辺りではビゾンテと呼ばれている種類だ。ただこの牛は人でいう額の所に太い角が一本あるだけなのが、普通の水牛とは明らかに異なる。
温和な性質で人にもよく慣れる。労働力はもちろんだが乳や肉の確保のためにこの世界のあちこちで飼われている。
ところが一つだけ厄介な性質がある。何かのはずみで興奮したり怒りを覚えると、目の前の物に体当たりしたり弾き飛ばしたりしながら、ひたすら一直線に突進をし続けるのだ。それも全速力で。
どれだけ自分が傷つこうと、目の前に何があろうとも、ただ一直線に。それこそ自分が死ぬまで歩みを止めないという。
倒れた牛から若干距離をとって立つのは一人の長身の男。
白いシャツに茶色の革で作られたチョッキにジーンズ。つま先が尖った黒い革のショートブーツ。同じ色のウェスタンハットと呼ばれる帽子を深く被り、未だ倒れたままの水牛を睨みつけている。
そんな牛と男を遠巻きに見ている村人が注目しているのは、その男が明らかに村の人間ではないから。それ以上に、その男の持っている物だ。
男が右手に持っているのは弓。だがその大きさはあまりに小さい。長さが一メートル未満の「ショート・ボウ」と呼ばれる物よりもずっと小さいのだ。半分ほどもない。
おまけに形も見た事がない。小さな弓の中央に細長い板が固定されており、板の先は直角に折れ曲がって握りまでついている。
男は不思議な弓を「横に寝かせたまま」撃っていたのだ。しかもその小さな弓を、彼は基本的に右手だけで操っていた。そんな扱い方をする弓など見た事がない。
だが水牛にトドメを刺したのは、その片手で扱う奇妙な弓だ。それこそ目にも止まらぬ速さでビゾンテの顔面を居抜き、トドメを刺したのだから。
倒れた水牛をじっと睨みつけていた男が、ようやく仕留めた事を納得できたのか、緊張を解いて息を吐く。
周囲の村人は飼われている牛が一頭死んでしまった事を嘆き、また同時にビゾンテの暴走を食い止める事ができて喜んでいる。
そんな村人達から平身低頭感謝されている男は、彼等に向かってすっと手を差し出した。
[悪ぃがよ。何が食いモンねぇが?]
一応この辺りの言葉であるが、かなり聞き取りにくい。発音が悪すぎるからだ。だがそれでも懸命に手を差し出してアピールした結果、どうにか通じたらしい。村人の何人かが何かの店らしき建物に駆け込んで行く。
「おじさん、どこからきたの?」
男のそばに寄ってきていた小さな子供が、背の高い男を見上げて無邪気に訊ねる。
[ざぁ。どごがらだろうなぁ。オレ様が聞ぎでぇぜ]
ウェスタンハットを少しだけ被り直し、わざとらしく遠くを見るような視線になる。それは故郷を思い浮かべているような、懐かしさに一瞬だけひたっているような顔だった。
だが小さな子供は「変なの」と呟いただけだった。
多少演技してカッコつけていたのにスルーされた気がして、男はガクリと肩を落とした。
それから別の子供が男の腰に着目した。下腹には見た事もない太いベルトが巻かれており、さらに右腰の辺りに見た事ない金属でできた何かの道具のような物がはまっていたからだ。
子供がその「見た事ない金属の何か」に手を伸ばそうとした時、その手を強く押し止めて、
[悪ぃな。ごいづば子供のオモヂャじゃねぇんだ。触らぜる訳にばいがねぇんだよ]
少々脅しを利かせてみたつもりだが、利き過ぎてしまったようだ。子供の目にみるみる涙が浮かんでくる。そして大声で泣きながら親らしい大人の元に駆けて行く。
だがこれが子供のオモチャでない事は確かなのだ。これは拳銃。人の命を奪うために作られた武器。そしてこの辺りではほとんど流通していない武器でもある。
子供を怖がらせてしまった事で、再び遠巻きで取り囲まれる男。明らかに距離を取られてしまっている。
男は奇妙な弓に向かって小声で何かを呟いた。するとガチャガチャと勝手に動き出し、その動きが終わった時には、弓は一枚の金属の板のような物になっていた。
その裏には大きな傷が生々しく残っている。
[ごいづを拾っでがら、ログな事が起ぎだ試じがねぇな。っだぐ]
そう言ってその板を着ているチョッキのポケットの中に無造作に押し込んだ。


カレンダーは九月。二学期が始まった。
様々な夏の思い出を抱えて学校にやってくる生徒達。今年の夏はどうだったのかという話題で盛り上がる。
いかにネット社会で何が起きたのかをリアルタイムで知らせる、そして知る事ができる世の中であっても、やはり直接話す事が廃れる事はない。
そのため新学期を迎えた教室は、いつも以上に賑やかなのであった。
とはいうものの、今年に、それも市立留十戈(るとか)学園高校に限ってはその様子が少々異なる。その原因はカレンダーである。
二学期が始まるのは九月一日の金曜日。
そして九月二日が土曜日で公立校は休みになる。
そして九月三日が日曜日で一般的な学校は休み。
そして九月四日がこの学校の創立記念日なのである。一応この日に現在の校舎が完成したのでこの日にしたらしいのだが、微妙に中途半端な感じが否めない。
それに加え、昨年から九月五日が制定記念日――いわゆる「県民の日」と定められ、公立の学校は休みとなる。
だから今日の午前中学校に来ても、また明日から四連休が待っている。
これならいっそ六日から新学期にしてくれた方が「ロスタイム」で宿題等を片付ける事ができていいのでは。という生徒もいる。
だが、それとこれとは別である。他の人間が仕事や学校に行かねばならない日に自分達だけ大手を振って休める。そういう「特典感」が良いのだからして。
そんな微妙に複雑な、そして若干の嬉しさを噛みしめつつ、二学期の始業式や各クラスでの宿題の提出といった、決まりきった作業が続く。
そんな事柄からようやく解放された生徒達は、明日からの四連休に胸弾ませて急ぐように帰宅して行った。
そんな中、この学校の生徒角田昭士(かくたあきし)は学校の敷地の一角にある駐車場に向かっていた。ここは学校の来賓者用の駐車場なのだが、その中にひときわ目立つ車が一台停まっていた。
モスグリーンのマイクロバスである。車体の下の方には、コバルトブルーの太いラインが一本引いてある。全体的に細かな傷や汚れがあるものの、まだまだ新品のようなツヤを放っている。
[アキシ様。学校は終わったのですか?]
不意に後ろから声をかけられる。とはいえ声がかけられるであろう事は既に判っていたし、それが誰なのかも既に判っていたが。
昭士は別段驚きもせずに振り向くと、
「ス、ス、ス、スオーラ。そそ、そっちは?」
変にドモっているのは驚いているからではなく、ただのドモり症である。ここだけ見れば美人でスタイルも良い長身の外国人女性に親しげに微笑まれたからと見えなくもないが。
どのくらいの美人かといえば、その辺に売ってそうな安っぽいTシャツとジーンズなのに、それでも全く安っぽく見えないくらい。
そんな美人は両手で持っていた大きなコンビニの袋を少し持ち上げてみせると、
[わたくしはこれから仕事です。その前に、こちらを]
その中には見るからに新鮮そうな野菜がいくつか入っていた。
[そこで職場の方に戴きました。お土産だそうです]
その言葉で何となく事情を察した。夏休み明けである。その職場の人とやらが田舎にでも行っていて、そこで貰ってきた物をおすそ分けしたのだろう。
ちなみに職場とは、この学校の学食である。そこで調理補助の仕事をしているのだ。その外見も手伝って「表に出てこない看板娘」と言われているとかいないとか。
今日は学校自体は午前中で終わるが、外部の人間も利用できるので一応普通に営業をするらしい。
スオーラの方は袋の中にあったトマトを少し困ったように見つめると、
[正直、まだこの酸味には慣れないのですが]
それを聞いた昭士が苦笑する。
一口にトマトといっても沢山の種類がある。酸味が強い物、甘味が強い物。どういう物が好まれるかは国によっても結構異なる。外国人である彼女が日本のトマトの味に微妙に慣れない。そういう事もあろう。
だがそれに慣れないのは彼女が外国人だから、という理由ではない。彼女は外国はおろか「この世界の」人間ですらないのだから。
彼女――モーナカ・ソレッラ・スオーラがやって来たのはオルトラと呼ばれる異世界から。それも人類と相対する謎の存在を追いかけての事だ。
その謎の存在を追いかけ、戦っている時に昭士と出会ったのだ。そして今では昭士もその謎の存在と戦っている。
この世界で戦ったり、彼女の故郷の世界で戦ったり。その中で様々な人達と出会い、仲間も増え、もうそろそろ半年が経とうとしているが、謎の存在は依然として何から何まで謎だらけのままである。
生物を金属の塊にするガスを吐く。そうして金属にした生き物のみを食べる。普通の武器ではロクなダメージを与えられない。くらいの事しか判っておらず、その正体はおろかいつ何時現れるのかの法則すらも、何も判らないままである。
そんないつ来るのか判らない存在をピリピリと警戒したムードのまま待ち構えていては、神経が参ってしまう。来た時は来た時だと割り切って、普段はこの世界、もしくはオルトラの世界で普通に生活をしているのである。
この目の前に停まっているマイクロバス。正確にはキャンピングカーは、そんな彼女の住まいと、戦いのための移動設備をも兼ねているのだ。
どこのメーカーなのかも判らない、これまた謎だらけのキャンピングカーではあるが、便利に使える物は使ってしまおうという貪欲な発想である。実際このキャンピングカーにはかなり助けられているし。
スオーラは昭士に少し待つよう伝えると、路線バスのような折畳み式の入口から中に入る。そして数分後さっきより小さな袋を下げて戻って来た。
[先程の野菜ですが、どうぞ。わたくし一人では食べ切れませんから]
一応このキャンピングカーにも冷蔵庫はある。だがそこに入れておいても一人では食べる量に限界はあろう。いくら野菜が身体に良い健康に良いといっても、一食で二、三個食べるようなペースでもないと腐らせてしまう量なのだ。
スオーラの職場の人間達も、彼女と昭士の関係は一応判っている。もっとも彼女が異世界の人間だとか、謎の存在と戦う存在という事は、頑張って隠し通しているが。
だからスオーラが昭士に分けたとしても、どうのこうのと文句を言い出したりはしないのだ。
昭士も一応有難くその野菜を受け取る。親に渡せば喜ぶだろう。
これからすぐ仕事が待っているスオーラと別れ、昭士はのんびりと帰宅の途につく。そこで激しく震えだしたのは携帯電話。今どき珍しくなったガラケーである。
蓋についた小さな液晶画面に表示されているのは「鳥居」の文字。顔馴染みで少々兄貴分の現役警察官である。
蓋を開いて耳に当て、指先の感触だけで「通話」ボタンを押す。その途端、
『おいアキ! また追い出されたぞ、あのバカ』
開口一番飛び出した鳥居の呆れ声。昭士は道路の端にピタリと寄ってから、
「あ、あ、あの。もも、もしかして……」
と、訊ねるまでもなく、彼からの用件には見当がついていた。というよりそれしかあり得ないというくらい確信があった。
電話の内容は昭士の双子の妹、いぶきに関する事である。
物心ついた時から、とにかく「他人のために」何かをするのが大嫌い。そんな事をするくらいなら死んだ方がマシと自殺を図った事すらある。
自分がやるのは嫌いだが、そうした事をする人間も大嫌い。だが同時に他人が自分のために何かをするのは常識であると公言してはばからない性格である。
他人に嫌われる要素しかないそんな性格に加え、彼女には「周囲の動きを超スローモーションで認識できる」という超能力だか特殊能力まで備わっていた。
その能力のおかげでケンカに巻き込まれても無傷。それどころか能力を最大限に発揮して相手を病院送りにする事など日常茶飯事。障害が遺った者もいるほどだ。
加えていぶきにとってはその超能力は「誰しもが持っていて使えている筈」と本当につい最近まで信じていたようで、「こんな当たり前の事もできないのか」と他人を下に見る傾向もとても強かった。それゆえ友達が出来た事などただの一度もない。
それでも中学までは未成年であり義務教育期間。さらには露骨とはいえ相手から手を出させるようにしていた事もあって逮捕だけはしない方針であった。
だが高校生になってからは「もう自分で責任を取れ」と彼女用に市から条例が出た。どんな理由でも人をケガさせたり物を壊したら「彼女自身が」弁償をする、と。
もちろんそんな条例程度で改心するような性格はしておらず、派手に暴力沙汰を起こして今は刑務所にいる。
そんな縁を切りたい最低人間と評されるいぶきであるが、昭士にとっては縁を切る訳にいかない理由がある。
それは、スオーラが追って来た謎の存在。エッセと呼称しているのだが、その戦いに必要不可欠だからだ。
戦う時、昭士は戦士に変身する。といっても服装が変わってドモり口調でなくなる。いぶきが持っている「周囲の動きを超スローモーションで認識できる」が昭士に移るくらいの変化しかないが。
それと同時にいぶきは彼専用の武器に変身する。それも昭士の身長よりも大きな大剣『戦乙女(いくさおとめ)の剣』に。
剣になってもいぶきの感情と五感は残っており、彼女が痛みを感じるほどに剣の破壊力は増していく。
その剣での一撃がエッセには一番効果的な上、エッセによって金属の塊にされた生物を元に戻すには、この剣でトドメを刺す以外の方法がないと来ている。これではいぶきがどんな人間であれ、彼女抜きに戦う事は無謀と言うしかないのだ。
だが半年近くにわたる戦いを経て色々な物が変わったようだ。
まず、彼女が殴る・蹴るといった攻撃を誰か(生き物に限る)にした場合、相手が受けるダメージがそのままいぶきに跳ね返るようになってしまっている。
それを聞いた、これまでいぶきにやられっぱなしだった人間が仕返しをしようと次から次に襲いかかるようになった。
飛び道具(何か物を投げつける)ならダメージが跳ね返らない事を発見したとはいえ、いつもいつもそんな事ができるとは限らない。
さらに今のいぶきには「周囲の動きを超スローモーションで認識できる」能力が失われてしまっている。今は戦士に変身していない間も昭士がそれを持っている。後ろを見ずにスオーラが近づいていたのが判ったのはそれが理由だ。
そんなこんなのフラストレーションがいぶきの中に溜まりに溜まった結果だろうか。痛みを感じるほどに高まる破壊力が「人間の姿のまま」でも発揮されるようになってしまったのである。
だから刑務所、それも独房に閉じ込めたとしても、彼女のたわいない動作一つで厚い壁が吹き飛び、渾身の蹴りでもしようものなら建物自体が消滅しかねない状態なのだ。
……剣の状態ではあるが、山を一つ吹き飛ばしかけた事もあるのだ。そんな破壊力を人間の状態で、それも町中で使われてはたまったものではない。
当然そんな事を気にするようないぶきではない。条例施行後の初逮捕から数ヶ月も経っていないのに、破壊した独房は十ではきかない。中には刑務所の建物が全壊したケースもあると聞いている。
条例に違反しているのだから逮捕はしなければならない。だが彼女を入れておく留置場や刑務所がもうない。正確には「壊されるから連れて来ないでくれ」という所が続出している。
おかげで条例を作ったのは良いが、これでは条例がない時の方が遥かにマシである。そんな意見が堂々と出てくるようにもなった。
一番平和なのが彼女の好きにさせる≒心に不満を溜めさせない≒暴力を振るわせる事なのだろうが、もちろんそんな事ができる訳もない。そんな事をしたら彼女が満足するまでに、吹き飛ぶ町が一つ二つ程度では利かないし、ケガ人死人がどれほど出る事か。
一体どうしたらいい。ジレンマだという愚痴は散々聞かされている。
『もういっそずっと変身しててほしいよ。無理なのは判ってるけど』
もう何度目かも判らない、鳥居の弱々しい愚痴である。
いぶきが剣になっている間は自力では動けない。感情と五感はあるから相当うるさいだろうが建物等が壊されるよりは被害は一切ない。
だが変身できる時間に限界がある。具体的な時間制限はないのだが、昭士が変身するのは「別の世界の昭士」の姿。
スオーラが言うには、たとえ見た目が同じであろうと、別の世界での姿形を「この世界で」「ずっとさせる」事が不自然極まりない事なので、長い時間は持たないのだという。よく判らないが「大宇宙の法則」的な感じらしい。
『そのうちどうにもならなくなるかもなぁ。覚悟しとけ』
どことなく無責任な調子で、鳥居からの電話は切れた。
覚悟しておけと言われても。昭士は素直にそう思う。
だいたいいぶきの仮借ない暴言・暴力の一番の被害者は兄たる自分なのである。
いぶきにとって昭士は「二言目には『兄妹』と一緒くたにされるのが最大の苦痛であり侮辱」と言い切るしかない存在らしい。
常々クセのある発音で「死ンでくれないかなー」と公言しているが、自分が殺しては「この程度で捕まるなンて割に合わなすぎる」とも言って、刃物や凶器を持ち出す事だけはなかったが。
それでも命に関わるケガをした事も一度や二度ではない。昭士もつい最近まで首の骨にヒビが遺っていたくらいなのである。
事実エッセとの戦いで一度昭士が命を落とした時は、周囲の人間が露骨にドン引きするほど喜びをあらわにしていた。もちろん強がりやひねくれでなく、本当に本心からの喜びである。
それだけに昭士が復活を遂げた時の怒りや残念そうなテンションたるや、まさしく天国から地獄へ、といったところだったろう。
そんなどうにもならないような人間をどうにかしないとならない。毎回議題に上がっては毎回答えもヒントも出てこない。
出てくるのはせいぜいその場しのぎ程度のアイデアでしかない。無駄にしか思えない事のくり返しだ。
(何か良い方法、ないモンかねー)
一番の当事者が一番無責任な発言をしている。声には出してなかったが。


その日の仕事が終わった夜。自宅であるキャンピングカーに戻って来たスオーラ。
明日からの連休はさすがに学校自体がやっていないので、学食も休みである。外部の人間も利用できるとはいえ、やはり学校が休みの時には基本営業しないのだ。
ベッドくらいしかない狭い自室でベッドに腰かけ、最近持ち歩く事に慣れて来た携帯電話を取り出して見ると、メールが何通か来ているのが判った。
とはいえスオーラはこの世界の文字を「文字として」認識する事ができないので、メールを送られても困るのだが。
異世界に来て超能力を得るパターンはよくあるが、得られる物はメリットだけではないのが現実のようだ。
すると携帯電話の画面からにゅるんと飛び出して来た「者」があった。
大きさは約五センチほど。青白い素肌の上から丈の短い真っ赤なチョッキを直接着ている。足首で細くなっている膨らんだ白ズボン。首や手首、足首には金色の輪っかがジャラジャラと。
黒く長い髪を頭頂部で一つにまとめ、白い布を巻いてヤシの木のように直立させている。そんな女性。
もちろんこんな人間がいる訳がない。明らかに「人間ではない」存在である。
《ちょうど良かったわ。あなたに知らせる事があったのよ》
妖艶としか表現できない人間離れした雰囲気を漂わせている彼女の名はジェーニオ。もちろん人間ではない。スオーラと同じオルトラの、それも精霊と呼ばれる存在である。
あちらの世界では右半分が女性で左半分が男性という姿だが、この世界へ来ると男女二体に分かれてしまうのだ。一応記憶は共有しているようだが。
加えてこうした機械、電気や電波といった物との相性が特に良く、まるでアバターキャラクターのようにインターネットの世界を行き来している。
《オルトラにムータを持っている人間がいる可能性が出てきたの》
ジェーニオの信じられない発言に、スオーラは驚く。驚き過ぎて声が出ない。
ジェーニオの話によると、数日前スオーラの故郷パエーゼ国の中央部にある小さな村に現れた旅人が、変わった形の弓を使って暴れている水牛を仕留めたという事件があった。
その旅人が金属のような板を持っているのを村にいた僧侶が目撃しており、それをわざわざ伝書鳩で知らせてくれたのだという。
科学文明がこの日本から百年は昔のオルトラ世界にしては最速で来た知らせと言えるだろう。
スオーラが驚いているのは「金属のような板」である。彼女は部屋にかけたままの「普段の自分の服」のポケットから「金属のような板」を取り出した。
その板はムータと呼ばれており、異世界の自分とをかけ合わせ常人離れした力を発揮できるようになれるアイテムだ。この力を以てスオーラは、そして昭士もエッセと戦う戦士となったのだ。
だがスオーラが初めてこの世界に来た時、この二枚以外のムータが総て破壊されてしまっている。
もう二度と作る事のできない、そして直す事もできないと聞かされていたので、スオーラと昭士の二人以外このムータを持っている人間はいない筈なのである。
とはいえ実際にはいるらしく、ジェーニオがかつて所属していたという「マージコ盗賊団」の団長がムータを持っているらしい。スオーラは面識がないので詳細は判らないが。
ジェーニオに一度聞いた事があるが「話すなと言われている」の一言しか教えてくれない。だがスオーラは間違いなく持っているだろうと踏んでいる。
スオーラの父親は、オルトラ世界で広く信仰されている「ジェズ教」の最高責任者。スオーラ自身も聖職者として教育を受けている。
だがムータの使い手となって以後は「救世主」としても知れ渡っている。紆余曲折の末各地に移動しやすいよう托鉢僧の身分となり、同時にエッセとの戦いの際には便宜を図ってもらうよう、そしてニセモノが出てもすぐ対処できるよう、ある程度の情報は各地に通達済だという。
その中にはムータの事も当然含まれているので、村にいたジェズ教の僧侶が知っていて当たり前である。
これがもし本当であれば、そして協力を得る事ができたら、これほど力強い事はない。
幸いにして明日からは連休である。しばらく故郷に帰っていなかったせいもあり、急に里心が出てきてしまった。ジェーニオはそれを見抜いたのか、
《別に帰っても良いんじゃない?》
[そうですが……仮にその方を発見できたとしても、手伝って戴けるでしょうか]
たとえ戦う力があったとて、いぶきのように頑として断わる者もいるし、マージコ盗賊団の団長のようなタイプもいるかもしれない。
《それはやってみないと判らないでしょうね》
言っている事は事実だが、どこか他人事に聞こえるジェーニオの言い方。元々自発的な行動は苦手な精霊のジェーニオに、建設的な発言を期待するのはまだ酷だろう。
[そうですね。アキシ様にも相談してみましょう]
スオーラは開いていたままの携帯電話の画面を見る。そこで何通かメールが来ているのを思い出した。
一応ジェーニオがスオーラのために「彼女に読める文字」で表示されるよう中身をいじっているので、文字の判別自体はできる。だがそれを日本語で返信ができないから「困る」のだ。
今のようにジェーニオがいればいくらでも翻訳はできるが、いつもいるとは限らないし返信の度に呼ぶのも気が引けてしまう。
だがこの携帯電話の番号を知っている人達は、彼女が日本語の文字を理解していない事は承知している。きっと話に聞いているスパムメールといったたぐいの物だろう。スオーラはそう見当つけた。
ぶぉぉぉん。ぶぉぉぉん。ぶぉぉぉん。
……そんな安息の時を容赦なく破る怪音が個室に響く。その音の発信源はスオーラが取り出していた「金属のような板」。つまりムータからだ。
その音を聞いたジェーニオが部屋を飛び出して行く。スオーラの方は一瞬落胆するが、すぐに表情を引き締めると、部屋にかけていた服に着替え始めた。
猛スピードで。

<つづく>


文頭へ 進む メニューへ
inserted by FC2 system