トガった彼女をブン回せっ! 第22話その4
『むしろここ喜ぶトコよ?』

「やっと。やっと。やっとバカが死ンだーーーーっ! ぃやっほぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」
いぶきは両手を高々と突き上げ、何度も雄叫びを上げる。自身が裸だというのが頭から消し飛んでいるかのように。
いぶきが実の兄・昭士の名前をまともに呼んだ事すらなく、心底毛嫌いしているのは知っている。
つねづね「こんなバカとっとと死ンでくれないかね」とぼやいていたのも知っている。
だがそれでも。自分の目の前で死んだのに、ここまでの笑顔で。ここまでの喜びで。ここまでの歓声を上げるとは思っていなかった。
スオーラはそんな胸中で、はしゃいだ声を上げて喜ぶいぶきを背に、魔導書のページをめくっている。
彼女の魔法はこの魔導書のページを破り取る事で、そこに書かれた魔法が発動する仕組みだ。だが一度使った魔法は、一晩以上ゆっくり休まねば再び使う事はできない。
そのためさっき使った魔法は、連続で使う事ができない。そのため他に何か、この状況で使える魔法はないか。何とか昭士を助ける方法はないか。
諦めたくない。何としてでも助けたい。その一心で懸命に探している。
ジェーニオがかつていた盗賊団。神出鬼没の伝説がある盗賊団ではあったが、盗みの仕事の課程でケガをしたり死ぬ人間が全くいなかった訳ではない。
たとえどれほど喧嘩した後だろうと、虫の好かない仲間であろうと、こうまであからさまに「喜ぶ」人間は誰一人としていなかった。
精霊ゆえ、元々人間の機微など良く判らないジェーニオ達ですら、いぶきの「喜び」にはどうリアクションしたものかと無言のまま立ち尽くしている。
ジュンも無言を貫いているが、時折ほんの小さく嗚咽が漏れている。泣いているのだ。いつ命を落とすか判らない野性的な生活をしている彼女だが、仲間の死を悼む気持ちはきちんとある。
懸命にページをめくり続けるスオーラに、ジェーニオ(女性体)が「もういいわ」と言いたそうに肩に手を置く。
だがやがて男性体の方がある事に気がついた。裸足だった昭士の足の裏が少し濡れていたのを。
これはさっき屋根に飛び散った、カエル型エッセの毒の粘液だろう。知らずにそれを踏んだ事によって毒が皮膚から吸収されてあのような事態になってしまったのだ。
戦士の最期としてはあまりに情けない死因である。彼の名誉のために、これはジェーニオの記憶の奥底にしまったままにしておく事に決める。
そんな三人に全く関心を払う素振りすら見せず、いぶきは屋根をバシバシ叩いたり意味のない叫びを上げつつ「喜び」を表現している。
スオーラは魔導書を荒っぽくバタンと閉じると、
[イブキ様! 自分の肉親が目の前で亡くなったのに、その喜びようは何ですかっ!!]
スオーラにしては珍しい怒りの表情でいぶきに詰め寄る。だがいぶきの方はきょとんとしている。まるで「何でこの人は怒っているんだろう」と首をかしげるような仕草まで見せて。
[イブキ様っ!!]
「ナンで怒ってンの。たかだかバカ一人死ンだくらいで。むしろここ喜ぶトコよ?」
彼女独特のクセのある発音で、自分を怒りの形相で覗き込むスオーラを見上げる。加えて「ほら、一緒に」と言いながらスオーラの両手を上げさせようとしている。
目の前で肉親に死なれ、押し潰される心を何とかしようと、信じ難い行動をする人間を、スオーラは何度か見てきた。
割り切れないが何とか無理矢理割り切ろうと冷たい態度を取ろうとする人。見苦しいくらいに泣き喚いて、どう考えても関係の人や物に当たり散らす人。
このいぶきの態度はそうではない。それは聖職者としてのレベルがまだまだ低いスオーラにだってハッキリと見抜ける。
いぶきは実の兄である昭士が死んだ事を何より喜んでいるのだ。
[人が亡くなって喜ぶなど、常軌を逸しています!]
「だぁかぁらぁ。自分の実力も考えず『世のため人のために戦う』なンて事をやったヤツが、力量が追いつかなくてやられて死ンだだけでしょうが。これをバカと言わずにナンて言えばいいのよ」
まさしく呵呵大笑という表情から一転。いぶきは物覚えの悪い生徒に丁寧に言い聞かせる教師のように指を立てると、
「だいたい自分が人間相手にすらまともに勝った事がないってのに、『化物と戦う力がある』なンて乗せられて調子に乗るからこうなンのよ。そもそも『世のため人のため』なンてゲロ吐くくらい気持ち悪い事を率先してやる時点で救いようはなかったけどね。ああいうヤツは化物に襲われてサクッと殺されるか、腰抜かして派手に漏らして情けなく命乞いをするのが一番お似合いなのよ。まぁそれでも、このあたしを巻き込まずに死ンでくれた事だけは誉めてやってもイイかな。ほンのちょびっっっっっっっっっっっとくらいはね」
感情をたっぷり込めて朗々と語り、最後に「ちょびっと」を異常なまでに強調するいぶき。
昭士もそうだったが感情的になると話が長くなるのはこの兄妹の「伝統」なのだろうか。
「ともかくバカアキが死ンでくれたおかげで、やぁぁぁっと一緒くたにされなくなるだろうし。こンな化物退治なんてくっだらない事に巻き込まれる事もなくなるし。これでよ〜〜〜〜うやく安心できるわ」
喋り疲れたのか、ようやく一息ついたいぶき。
《ほう。そこまで不満だったのか》
「あったりまえでしょうが!?」
ジェーニオ(男性体)の呟きにいぶきが過敏に反応して喰ってかかる。眉間にシワを寄せ、舌打ちまでして「ナンで判らないかなー」と前置きしてから、
「あの“人類史上どうしようもないレベルのバカ”の妹なンて言われ続けてたのよ、十五年も? おまけにやりたくもない上に『嫌だ』って言ってるのにこれでもかと巻き込んでくンのよ、このバカ女は? これがどれっだけ地獄の、いや。地獄なンて表現が生ぬるいくらいの日々だったか想像もつかないでしょ。このあたしが一体何度始末しようと思った事か」
両手で顔を被って泣く真似までする始末。
「けどさぁ。始末したらこの国じゃ殺人だ犯罪だナンだで責めて、あたしの方が悪者にされるのよ? あンなバカを一秒でも生かしておく方がよっぽど犯罪だってのに。世の中のためを思うならむしろ逆だっての。ホンットこの国の法律はバカげて……」
ばきっ!
演説めいてきたいぶきの長セリフが鋭い音と共に遮られた。
スオーラがいぶきの頬を殴りつけたからである。それも力一杯。
「戦士」になっている間は瞬発力や跳躍力に「超人的な」力が割り振られるため、こうして叩く力は普通の人間と大差ない。
だがいぶきの首は完全に九十度以上横を向かされ、更に身体ごと一回転しながら傾き、受け身一つ取れず屋根に叩きつけられたのである。
いぶきには「周囲の動きを超スローモーションで認識できる」力がある筈。
その力を以てすれば、全く視界の効かない暗闇であろうとも飛んで来る弾丸の軌道すら正確に読み取れる。ましてや目の前の相手の平手打ちなどあくび交じりに避けられる筈なのだ。
だがスオーラの手は完全にいぶきに命中した。それも会心の一撃と言って良いくらいに。
スオーラはもちろん、いぶきも一体何が起こったのか全く判らないまま、動きを止めてしまっていた。
そんな風に一同が動けなくなっている中で、学校の教師がハシゴをかけて屋根に登ってきた。


合宿所にある体育館の中に、そこにいる人間全員を集合させた。
指揮をとったのは、駆けつけてきた鳥居と桜田。さすがに現職警察官の指示とあれば、従わない訳にもいかない。
それより何より、ついさっき屋根の上で起きていた事が知りたい。知的好奇心と言ってしまえばそれまでだが、昨日・今日と「謎のバケモノ」騒ぎに遭遇しているのだ。無理からぬ事である。
警察官の鳥居と桜田。そして一番の当事者であるスオーラが、これまでの事を説明していく。
その化物はエッセと呼ばれる侵略者であり、自分はそれを追って別の世界からやって来た人間である事。などなど。
体育館にいる者総ての視線がスオーラに注がれている。その視線は懐疑的なものから品のないものまで様々であったが、彼女はそんな視線にどうにか耐えつつ話を進めていた。
だがそれも仕方のない事だろう。今のスオーラの格好を見れば。
良く言えばカラフル。悪く言えば悪趣味きわまりない、縫製パーツごとに色がバラバラのジャケット。その下はスポーツブラのような物一つきり。
少し動いただけで下着が丸見えになりそうな、マイクロミニのタイトスカート。色は黒。
白いマントに先が少し折れている魔法使いを思わせるとんがり帽子。それに、今は脱いでいるが膝上丈の革のサイハイブーツ。
そんな「奇妙キテレツ」としか表現できない格好の人間が、これまた信じられない話をしているのだから。
今年の四月に留十戈(るとか)学園高校の剣道場でやっていた頃と比べ、皆の視線はどことなく「他人事」である。それでも「なるべく情報は漏らさないでくれ」と頼みはしたが。
今までは警察組織の規制や管制で事件が漏れないようにしていた。だがここまで目撃者が多いとなると、その警察権力による規制や管制がどれほど役に立つか。
一個人が何らかの情報を発信できる環境がいくらでもあるこの現代日本において。
留十戈学園剣道部の場合は、当事者が身近な人物であり、かつ現場が地元。何よりスオーラの美女ぶりが最大に働いて「秘密」を守る事がどうにかできていた。
しかしそれ以外の学校の面々には、我が身に降りかからねばどうでも良い事だろう。この“合宿所の人間の中で”被害を受けた者は誰一人としていないのだ。
被害が出たのは、この合宿所へ向かう途中にいた警察官四名である。驚いた表情や逃げようとした格好のまま金属の像へと変えられてしまっていた。
スオーラがこの世界で戦いを始めて新たに入った情報がいくつもあるが、その中の一つに「あまり長い時間金属の像のままでいると、元に戻す事ができなくなる」というのがある。
こうして強制的に別の姿に変えさせられるという事は、外見だけでなく中身、精神的なものまで変化させられるらしく、たとえ姿は戻ったとしても、変化してしまった中身=精神までは元に戻らない確率が高いらしい。
だが。今のところ金属の像を元に戻す方法は一つだけ。像に変えたエッセを「戦乙女の剣」という大剣で止めを刺す。それしかない。
しかもその剣を使える唯一の人間は――ついさっきその侵略者に倒され、命を落としてしまったのだ。今は別の部屋に寝かせてある。
そしてその戦乙女の剣――ではなく、その大剣に変身する人間と紹介された少女が説明する側の立ち位置におり、浴衣姿で露骨に不機嫌そうにぶすっとした顔をしている。
その左頬にはクッキリと真っ赤な手形がついており、誰かに思いきり叩かれた事が容易に判る。
戦乙女の剣に関する説明に入り、皆の視線が自分に集中したのを感じた少女・角田いぶきは無言で「こっち見ンな」と睨みつけている。
いぶきの事を説明する鳥居と桜田だが、内容が進むに従っていぶきへの視線に含まれる悪意が濃くなっている。彼女の性格を説明するために彼女がしてきたこれまでの「悪行」を延々と上げているからだ。
まだ二十歳に満たない人間が大半のこの空間。特に「一致団結」などが好きな体育会系の人間ばかりがいる中で「他人のために」行動する事を極端に嫌う性質が好かれる訳もないが。
あらかた説明が済んだところで、鳥居がもう一度念を押すように、
「この事は他言無用で。ネットでの拡散も勘弁してほしい。パニックになるのが目に見えてるし、この子がマスコミに追いかけ回されたのが原因で戦いに間に合わなかった、なんて事が起きてほしくないし」
体育館にいる面々に向かって、改めて深々と頭を下げる。どれだけの人間がこれを守ってくれるかは判らないが。
一緒に頭を下げていた桜田が礼を言うと、学校ごとに固まって体育館を出て行った。
……そこに残ったのは留十戈学園高校剣道部とその関係者達だけになる。
[皆様。本当に申し訳ございませんでした]
どこで知ったか覚えたか、皆に向かってきちっとした土下座をして頭を下げるスオーラ。膝をついて「もう良いから」と肩を叩く桜田。
剣道部員の面々は涙こそ流していないが、それでも暗い顔を隠せない。
まだ高校生である。仲の良し悪しはさておき、見知った者の「死」を初めて体験した者も多いだろう。一体どんな顔をして良いのか判らない。そんな風に見て取れる。
だがその表情はスオーラを責めるものでは決してない。彼女がこれまで自分達に被害が及ばぬよう戦ってきたのかを知っているからだ。
スオーラが責任感の強い人間だという事は知っているし、だからこそ昭士を助けられなかった、殺してしまった事がどれほどの心の傷になっているか。
だがそれでも、彼女を励ます言葉は出てこない。何を言っても今は慰めにならないだろう。
部員の中でも男嫌いで通しているので有名な鹿骨(ししぼね)ゆたかですら、口を引き結んで無言を貫いていた。
一方のいぶきは浴衣のままあぐらをかいて座っている。もちろん「見えないように」気を使ってはいるが、つまらなそうに、退屈そうに大あくびをすると、そばにいた鳥居に向かって、
「……ねぇ。もう帰っていいかな? ヒマなンだけど?」
「さっきアキが亡くなった事を親父さん達に連絡したから明日にはこっちに来る。それまでここにいろ」
「え〜〜。めンっどくさいわねぇ。バカアキなンか放っときゃいいのに。ホンットに死ンでからも面倒と迷惑しかかけないわね、アイツは〜」
「そりゃお前だろ」
鳥居といぶきのやりとりに誰かが口を挟む。淡々とした感情を抑えた声で。声がした方向を見ると部長の沢が正座したまま顔を伏せるようにしていた。
「お前の言動そのものが面倒と迷惑にしかなってないんだよ。お前アタマ良いんだから、お前以外の全員がそう思ってる事くらいは理解しろよ」
確かにいぶきは家庭科(料理)以外はほぼ満点の成績しかとった事がない。アタマが良いという言葉に嘘偽りはないが、アタマが良いという言葉はそれだけに使うものではない。
その言葉にいぶきは腹を立てたようで、急いで立ち上がって沢の方へ歩きながら、
「だから何? 負け犬の遠吠え? このあたしのどこが面倒と迷惑なのよ。こンなに品行方正な人間あたし以外にいる訳ないでしょ!?」
「お前が品行方正? 傍若無人の間違いだろ」
沢の方も立ち上がっていぶきを迎え撃つ体制になる。
今のいぶきは直接蹴ったり殴ったりすると、相手が受けた痛みが自分に返って来るようになっている。いぶきが怒りに任せて攻撃すればその痛みは総ていぶきに跳ね返る。
飛び道具だけは例外だが今の彼女はそんなものは何一つ持っていない。自分に被害は及ばない。それを計算に入れての事である。
とはいえ沢から攻撃はできない。いぶきには「周囲の動きを超スローモーションで認識できる」能力があるからだ。だがそれが判っていても、彼は手を出す事を我慢できなかった。
どがっ!
自分の拳が綺麗にいぶきのアゴに決まった時、沢はもちろん他の部員達も呆気に取られていた。皆いぶきの「能力」を知っていたし、四月にその能力を以てして入院する者が出るほどに痛めつけられたからである。
グキッという小さな音がしていぶきの首が右に折れ、その全身から力が抜ける。そしてそのまま体育館の木の床に倒れこんだ。
抜け目のないいぶきの事。油断させて調子に乗ったところで逆襲し、完膚なきまでに叩きのめすのがパターンだ。実際沢は呆気に取られていたものの拳は油断なく握ったままだ。
しかし。その倒れ方に、沢達を油断させるような演技は一切ない。無防備に彼の拳を受け、完全にノックアウトしてしまっている。そう思える。
第一油断させる演技なら、後頭部が直接床に叩きつけられるようには倒れまい。そう思ったからだ。
そんな風に間が開いた次の瞬間、周囲の人間は急に色めきたった。
あのいぶきに攻撃を加える事ができる。そうなればこれまでの恨みつらみを……。そう考えても仕方ないし、またいぶきはそれだけの事をしてきている。
拳を握って殺気立った目で、部員達は一斉にいぶきに殴りかかろうとする。
それを止めたのはスオーラだった。両手を一杯に広げ、倒れたいぶきをかばい立ちはだかる。
[皆さん、お止め下さい!]
「どいてくれ! 今がチャンスなんだよ、そいつに借り返すの!」
[それでも止めて下さい。……お願い致します]
顔を伏せ気味にしたままのスオーラの訴えに鳥居がようやく追いついて来たように慌てて割って入る。
「お前らの気持ちは判ってるけど、それでもリンチかレイプみたいな真似、やってほしくないよ。頼むよ」
現職警察官の言葉に部員達は怒れる拳を無理矢理抑え込むように下ろした。
完全に伸びているいぶきに恐る恐る近づいたスオーラは、彼女の様子を観察して、
[……さっきも思ったのですが、変ですね]
観察をしながらスオーラは話を続ける。
[わたくしも先程ぶってしまったのですが、その時もまともに受けた上に倒れましたから]
いくら油断させる演技でも、二度も同じ事はしない。そう言い切れる。
いつもいつもいぶきの仮借ない暴力に困らされていた面々だが、初めてまともに反撃できたにも関わらず、不思議な事に全くスカッとしなかった。
それで何かのテンションが切れてしまったのか、口には出さなかったが皆申し合わせたかのように立ち上がって部屋に戻りだした。もちろんいぶきを放って。
だが。本当にここに放置しておく事もできないため、スオーラが気絶したいぶきを担ぎ上げた。
それからスオーラは手近にいた鳥居に向かって、
[どちらに寝かせておきましょうか?]
「……アキのところで良いんじゃないか。余分な場所はないし」
聞かれた鳥居は少し考えてそう答えた。口調は警察官にあるまじき無責任そのものだったが。


皆が体育館にいる間、ジェーニオ二体は昭士の元にいた。
昭士に割り当てられた部屋に布団が敷かれ、そこに寝かされている。ちなみに同室だった部員達はそれぞれ別の部屋に移動になっている。
布団に寝かされた昭士の顔には白い布が被せられている。それがこの国の死者の寝かせ方らしい事は自力で調べた。
明日には彼の両親がここに到着し、遺体と共に帰宅。それから葬儀という流れのようだ。
精霊ゆえに感性が人間と違うとはいえ、今まで生きていた人間の死を目の当たりにして何も思わない程ではない。
しかし彼等が盗賊団の一員だった頃は、国、そして時代的に人の死が珍しいものではなかった。身近なものだったと言い換えても良い。そのため悲しみ方が違う。泣き叫ぶ事は決してしない。身近ゆえにいちいち泣いてなどいられないからだ。
それでもジェーニオ(男性体)は昭士を寝かせる時、彼の右手をわざわざ軽く開いてから胸の上にそっと置いた。
これは彼等の国・サッビアレーナの風習で、戦いで命を落とした戦士に対して行われるものだ。「もう武器を持って戦わなくても良い。静かに休んでいてくれ」という意味が込められている。
そんな昭士の枕元には死んだ際に持っていた私物――携帯電話、ムータ、そしてオモチャの武器がキチンと並べて置かれている。
ジェーニオはそのオモチャの武器――ウィングシューターを手に取った。
日本人なら多少は抵抗があるだろうが、彼等はこの国はおろかこの世界の住人ですらない。ついでに人類でもない。
しかも古の盗賊団の一員。死者の物を勝手に持ち出す事など日常茶飯事であったから、抵抗感などある筈がない。
それに、見かけた時から詳しく調べてみたかった事もある。
どんな風に持つのかは、昭士の取扱を見てだいたい判っていたが、実際に持ってみると想像以上に軽い。これが本当に鉄の塊を切り裂き、もしくは破壊した物とはとても思えない程に。
その原因は昨日現れたグレムリン型エッセだ。機械いじりを得意とする妖精であるグレムリンは、エッセとなってもその特性を最大限に活用し、単なるオモチャの武器をそこまで破壊力のある物に作り替えたのである。
どうやって。ジェーニオの疑問と詳しく調べたいという欲求はそこから来ていた。
だが。特に変わった点はない。いや、デザインから使い方に至るまで別世界の住人の観点からすれば「変わった事」しかないのだが、それが逆に「何が変わっているのかが判らない」のだ。
《やはり中を調べるより他なし、か》
二人のジェーニオの考えは一致した。だがさすがに遺品を壊してしまうのは、いくら元盗賊団で精霊であっても躊躇してしまう。遺品ではなく「壊す」という部分で。
もちろんジェーニオには周囲の様子を「目以外で」探る能力を持っている。それを以てすれば壊さずともオモチャの中に何かがあればすぐに判る。
確かにある事はあるのだ。魔法がないこの世界にも関わらず、明らかに「魔法」の力を秘めた何かが。
その「何か」を使ってグレムリン型エッセがこのオモチャを改造して立派な武器にしたに違いないのだが。この中に何を入れたのか。
その「何か」が微かに発している気配。そう喩えて良い物を確かに感じるのだ。遥かな昔に感じた筈なのだ。記憶を共有するジェーニオ二人はその昔の記憶を慎重に手繰っていく。
暖かい。力強い。たくましい。生命力。そんな漠然としたイメージが頭の中に浮かんでは消えていく。
《……チェップ、か?》
二人の呟きが綺麗に揃う。
チェップとは、彼等の故郷サッビアレーナ国の古代の伝説に登場するオオワシの名前だ。
身体は赤と金の体毛を持ち、大きく翼を広げれば四メートルを優に超える。そのオオワシは夕陽が沈むと命を終え、朝日が来ると蘇る。そうやって何度も死と再生を繰り返す鳥なのである。
ただしジェーニオ自身そのチェップ(本物)を見た事はないのだが、そのチェップの名を持つ濃い赤紫色の宝石は実際に見た事がある。名前も「チェップの心臓」とそのままだ。
その宝石は盗賊団にいた頃、そこの宝物庫に大事にしまわれていた。やがて盗賊団を二分する騒動が起きた時、派閥闘争に負けて出て行った方がそれを持って行ってしまったらしく、もうアジトにはない筈だ。
それがあれば比較して調べる事もできるのだが。
そんな事を今さら悔やんでいてもどうしようもないが、確かにそれが持つ気配に似ている。気がする。
記憶は共有しているが感覚はそうではない。そんな二人が同じ答えに辿り着いたのだ。可能性は高い。
しかしその「チェップの心臓」は治療に使われた筈である。
秘められた癒しの力たるや相当なもので、切り落とされた腕を瞬時に繋げてみせたとか、傷ついた数百人の兵士の傷を瞬く間に癒しただの、そんな言い伝えは数多く残っている。
だがそれが人を傷つける事に使われたケースはただの一度もない。だからジェーニオは確信が持てないのだ。チェップの心臓に人を傷つける力があるのだろうかと。
そこにいぶきを担いだスオーラがやって来た。話し合いは終わったらしい。
一緒に入って来た鳥居が手際良く布団を敷く。本当なら別の部屋に寝かせるべきなのだが、いぶきの性格が災いし皆に拒否されてしまったのである。
さすがに死人である昭士と距離を置いて敷いた布団にいぶきを寝かせたスオーラは、
[見張り番、有難うございます。後はわたくしが致します]
これはスオーラ達の世界の風習で、亡くなった人を一人にしないように埋葬を済ませるまで見張るという物だ。
遺体を独りにしておくと悪い霊がオモチャにするために持って行ってしまうと伝えられているのだ。このあたりは日本にも(意味は違うが)似たようなところはある。
《ところで、チェップの心臓という宝石を知っているか》
ジェーニオ(男性体)は昭士が持っていたオモチャをちらつかせながらスオーラに訊ねる。
《そのオモチャの中にそれっぽい気配だか波動を感じるのよ》
ジェーニオ(女性体)がさらに補足する。
スオーラもチェップの心臓の事は一応知っていた。もちろん本物を見た事などない。だが、癒しの力にまつわる話はいくつも聞いている。
しかし、その驚異的な「癒しの力」も“死んだ者には”一切効かなかった筈だ。それを使ったところで昭士を蘇らせる事などできはしないのだ。
こんな時に何故そんな話を。スオーラは言葉にこそ出していないが、強くそう語っていた。
困惑の表情で。

<つづく>


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