トガった彼女をブン回せっ! 第21話その1
『グレムリンってご存知ですかね?』

市立留十戈(るとか)学園高校剣道部の夏合宿。その二日目。
朝の九時。朝食を終えて早々剣道の道着に着替えた部員達は、板の張られた体育館ではなく、土を踏み固めたグラウンドに集合するよう言われた。
「何だろな」
「さあ? お前何か聞いてる?」
同じ一年生の部員に話を振られた角田昭士(かくたあきし)は、操作していた携帯電話(今どき珍しいガラケー)をパタンと閉じて道着についた内ポケットの中にこっそりとしまいこむと、
「わわ、わ、わ、わかるわけ、ななない、だろ」
ドモり症もあいまってより慌てた感じで否定する。だがゾロゾロとグラウンドへ向かう中にいる二、三年生の部員達は「アレだろうな」「アレだな」とヒソヒソと囁きあっていた。
一年生の部員が聞いても「すぐに判る」と含みを持たせてもったいぶるばかりだ。
そんな温度差のある部員達が整列しているところに向かい合って立つのは剣道部の主将である沢(さわ)である。
「あー、これから恒例の『朝の山登り』を開始する」
その言葉に二、三年生の部員が「またかよ〜」と拒絶を示している。露骨に演技した表情だが拒絶の意志は本物だ。
沢の言う「朝の山登り」とは、合宿所のそばに立つ山を頂上まで登る事である。
山といっても小さいもので、普通の大人ならば歩いて一時間程で頂上に到着するくらいのレベルと話している。そこを往復してこの場に戻ってくるのがこの「恒例行事」だ。
もちろんサボリ対策も考えられている。頂上を含め三ヶ所の神社がこの山にはあるのだが、そこと話がついており各神社でスタンプを押してきちんと通った事を証明しなければ昼食抜きという罰則が待っている。
そのため部員達はラジオ体操に参加する子供のように、紐のついたカードが渡される。
そんな説明を今年初参加の一年生達は、無言でげんなりとうなだれたまま聞いていた。
合宿というのは朝から晩まで集中的に剣道の練習を行うものである。
しかし。その練習は剣道だけとは限らない。どのスポーツにおいても共通する事だが、基礎的な体作りは競技の練習と同等、もしくはそれ以上に大事な事である。
肉体の強化=強くなる。それだけでは漠然とし過ぎている概念であるが、こうした武芸事の場合は肉体=体力はもちろん気持ち=精神力の強化も重要な事である。
この二つを鍛えるのに最も都合が良く、最も効果が高い。そう言われているのが「走る事」。
……そう聞かされても。理解はできていても。実際にやるとなれば断わりたくもなる。人間とはそういうものである。
予想通りのリアクションに、沢は部員達、特に一年生達に向かって、
「歩いて六十分でも、走ればそれより早い。帰って来れば昼飯だ。元気だせ、オラ」
それは元気づけるというよりも「俺達もやったんだからお前らだけ楽はさせないぜ」という圧力にしか感じられなかった。
そんな沢にやや早足でつかつかと歩み寄り、手にした丸めた冊子でポカンと頭を叩いた人物が。
髪の薄い初老の男性だ。皆と同じ剣道の道着姿だが、その色の褪せ方や擦り切れ具合で長く使っている事が一目で判る。
「お前も走るんだ。というより顧問の自分を差し置いて皆を仕切るんじゃない」
そう。その初老の男性こそこの剣道部の顧問である。小糸文隆(こいとふみたか)というのが名前だが、髪以上に影が薄いタイプで、一年生は彼の苗字はもちろん顔すらうろ覚えである。
剣道の段位も三段と決して高くはないが、教え方そのものはかなり上手いタイプである。この剣道部だけでなく市内のあちこちの剣道教室からお呼びがかかる「教える」意味での実力者だ。
「そんな訳でちゃんとサボらずに走ってくる事。それから……」
沢に代わって皆の前に立った小糸は整列している面々を見回すと、
「昼の一時を過ぎても戻って来れなかったヤツは昼飯抜きにするよう、合宿所には頼んであるから」
顧問のその一言で、昭士達部員は一斉に山に向かって駆け出して行った。「我先に」という言葉の通りに。


「メシ抜きなんて冗談じゃねぇぜ」
階段を全力で駆け上がる――もちろん後々のペースを考えた上でのものだが、剣道部員の中からそんな声が漏れ聞こえて来る。
この年頃の運動部員にとって食べる事は何よりの楽しみ。それが一回減るなど考えたくもない「恐怖」である。
幸か不幸かこの合宿所の食事は下手な定食屋などよりよほど美味しいのだ。日頃ダイエットだなんだと騒ぐ女子部員すらほぼ全員が二杯か三杯はおかわりをしていたくらいに。
この時ばかりは世間で云われる「世の中には満足に食事がとれない人が大勢いる」などという考えはきれいサッパリ無くなる。たかが一回されど一回。人間とはそういうものである。
今自分達が駆け上がっている石段。段のズレや欠けがほとんど見られない。もちろん風雨にさらされている訳だから劣化はしているものの、あまり古い印象はない。
「この階段、一昨年くらいに改装が終わったらしくてな。俺の先輩達なんか恨めしそうにしてたよ」
三年生の部員が当時を懐かしむような発言をする。その前は改装中だったのでロクに舗装すらされていない土の山道を延々登って行ったそうだ。
それでも道を間違えて戻って来れなくなった生徒がいたらしく、加えて携帯電話も圏外だった事もあり、付近の人間総出で探し出すハメになったという。
「そんな事があったら、今の世の中じゃすぐ中止になっちまうんじゃないの?」
事なかれ主義ではないだろうが、トラブルを必要以上に避けたがるのがこうした教員達だ。そもそも誰も責任など取りたくはないが、無責任体制にも限度はあろう。
「ああ、それ、違う学校の連中だな。調べたら載ってた」
会話に割って入ったのは、二年生の部員・戎 幾男(えびすいくお)だ。日除けだか汗対策だかで坊主頭に手拭いを被せてほっかむりにしているのだが逆に怪しい格好にしかなっていない。
機械関係に詳しい彼は、石段を自分のペースで駆け上がりながらスマートフォンを器用にいじっている。万一石段にでも落としたらシャレにならないだろうが、首から下げたストラップを見て皆納得する。
「今は一応電波は届くみたいだけど……やっぱり相当遅いな。イラつくくらいに」
なかなか表示されない画面を忌々しく見ると、それを懐にしまいこんだ。この時ばかりは内ポケット付の道着を採用したこの学校に感謝である。
「オーイ、男子、サボってんじゃねーぞ?」
走りにくい袴にも関わらずヒョイヒョイと階段を駆け上がって行くのは、剣道部の女子部員・二年生の支手撫子(しのでなでしこ)だった。
他人とあまり壁を作らない性分もあって慕う人間は男女問わず多いのだが、「撫子」という名前に似つかわしくない「男らしい」性格の持ち主である。事実「恋愛」という意味で女子生徒からバレンタインのチョコをいくつももらった事がある程だ。
おかげで陰では「オッパイのついたイケメン」とまで言われている。
いくら鍛えているとはいえ、やっぱり男女差はどうしても出る。撫子は割と体力派なので先行しているが、他の女子はここより少し下の位置に固まって走っているそうだ。
「ああ、後もう少し登ると最初の神社があるから、頑張れよ」
撫子は小さく手を振ると、ペース配分などお構いなし、といった感じにスピードを上げて一気に階段を駆け上がって行く。
『……元気なヤツだなぁ』
この場の人間全員の感想である。


石段を二十分程駆け上がった先に、なかなか立派な石造りの鳥居が建っているのが見えた。石段は鳥居の前で九十度曲がって、更に上へと伸びていた。
石段の幅もこれまでより若干狭くなり、また少々急になっているようにも感じる。
しかし昭士達はゾロゾロと鳥居をくぐって神社の中に入って行く。同時にさっき自分達を追い抜いて行った撫子が「お先〜」と言ってケラケラ笑いながらすれ違う。
境内はそれほど広いものではない。学校の教室二つか三つ分といった感じだ。しかし自分達と同じ目的であろう学生達で列ができている。
神社の神主がゆっくりと歩きながら行列の整理をしている。その整理をしながら、
「この神社はアマテラスオオミカミ様とトヨウケヒメノカミ様をお祀りした神社なんですよ。健康祈願や病気平癒に訪れる方が多いんです。部活動をされている皆さんも、身体が第一。ぜひお参りして行って下さいね」
などと言っているが、大事な昼食がかかっているのである。早く下りるに越した事はないのでそんなヒマはないのだ。
第一健康祈願や病気平癒が必要な人が、こんな石段を延々と登ってくる訳がないだろう。などという思いもある。
列が次第に進むにつれて、スタンプの様子が見えてきた。事務で使われるような長い持ち手のついたスタンプである。
昭士の番になり、何となく判面を見る。細い丸の中に「斯波大神宮」という神社の名前と今日の日付が西暦から入っている。日付が変えられるようになっているタイプで、確かにこれなら不正はやりづかろう。
開きっぱなしのスタンプ台に軽くトントンと判を叩き、持参のスタンプカードにやや強めに押す。
細い字が少し歪んで潰れ、しかも全体的に若干左に傾いている。だが肝心の神社名と日付は識別可能であるのでここに来た証明にはなるだろう。
次の人に場所を譲った昭士は大きく息をすると、気を引き締め直して「斯波大神宮」の境内を飛び出して行く。読み方が今一つ判らないままではあるが、読み方を知らなくても別に問題はない。
だが。その途中で左胸の辺りにビリビリっと振動を感じた。道着にある内ポケットにしまった携帯電話が震えているのだ。
昭士は若干狭くなった石段をスピードを落として駆け上がりながら電話に出た。
「はは、はい、もも、もしもし」
『ああ、どうも。マラソンお疲れ様です』
電話の向こうから淡々と聞こえてきた女の声。こちらの気が抜けるほどである。もちろん昭士が知っている人物だ。
彼女の名前は益子美和(ましこみわ)。昭士と同じ学校の先輩にして新聞部の部長である。
『あちらの世界で起きた事件の事を、ちょっとお知らせしておこうと思いまして』
確かに美和は「あちらの世界」という不思議極まる単語を言った。
だが昭士はその単語に驚いた様子は全くない。それは昭士が「あちらの世界」を知っているからである。それを話題にした美和も。
あちらの世界というのは、あちらの世界の住人が「オルトラ」と呼ぶ異世界。昭士が今いるこの世界から見れば文明的に百年は昔の世界であり、この世界にはない「魔法」という力が存在する世界の事だ。
美和の正体はオルトラ世界のサッビアレーナという国で伝説となっているマージコ盗賊団。その最後の団長だ。本名はビーヴァ・マージコ。くわえて彼女は元々二百年は昔の人間である。
そこで培った盗賊の技術や知識をもって影からサポートしてくれている。やり方はあくまでも盗賊流な上に気まぐれもいいところなのだが。
『説明する前に……グレムリンってご存知ですかね? 機械好き、イタズラ好きの妖精と知られているようなんですが』
グレムリン。確かに美和の言う通りの存在として知られている。昭士も以前プレイしたRPGで同名のモンスターを見た覚えがある。さほど強いとは言えない小鬼のような外見をしていたが。
『ちなみにこちらの世界では口下手でコミュ障気味の、手先が器用な妖精なんですがね』
昭士が答えるよりも早く彼女はそう言った。
それは別に彼女が一方的に話すタイプだからではない。この世界から見ればあちらの世界=オルトラ世界の事は事情を知る人間だけの秘密。そうでなければどんな事が起こるか知れたものではない。
だからなるべく昭士が話さずに済むようにしているだけなのだ。壁に耳あり障子に目あり、という諺もある。どこで誰が聞いており、それがどんな風に伝わって行くかも判らない。
もっともドモり症である昭士の聞き取りづらい話を聞きたくないという思いも多分にあるだろうが。
『そんなグレムリンの死骸が見つかりましてねぇ。それも頭部が無いというなかなかグロいヤツです』
「ああ、あ、あ、あんまりそう、想像させないでよ……」
さすがの昭士も階段を登りながら文句を言う。そのまま足を止めずに息弾ませたまま、
「で、そ、そそ、その事件が、どど、どうしたの?」
昭士の疑問も当然である。あちらの世界の妖精残殺事件など、こちらの世界にどう関係するというのか。
『グレムリン型のエッセが出る可能性が、出てきたんですよ』
美和の口から出た「エッセ」の単語に、昭士の表情は驚きに固まり、足も止まってしまっていた。


エッセ。それはオルトラ世界を震撼させている謎の存在である。それがこちらの世界にも現れるようになってしまった。
一応「侵略者」という事になっているが、エッセと意志の疎通ができていない上に彼等(?)を操ったり生み出したりしている存在も知られていない。何から何まで謎だらけなのだ。
基本的にオルトラ、もしくはこの世界の生物を模した姿をしているが、全身は未知の金属でできている。
その金属の身体は一般的な武器や魔法をことごとく跳ね返し、傷一つつける事すらままならない。ただ、模した生物の特性や弱点を引き継ぐ事が多いので、そこを突けば例外的に傷つけられる事がある。
更にエッセは生物を金属へと変えるガスを吐き、そうして金属にした者だけを捕食する。
あまり長い時間オルトラ世界(&この世界)で姿を現せないのが知られている事であり、そこが弱点といえば弱点だが、対処法がない以上弱点とは言えないだろう。
現段階で存在する唯一の例外はムータと呼ばれるカード状のアイテムで「変身」した戦士の攻撃。特に絶大な効果があるのは「戦乙女(いくさおとめ)の剣」と呼ばれる巨大な大剣での一撃だ。
そして昭士こそ、その戦乙女の剣を振るってエッセと戦う「戦士」なのだ。そんな敵が現れるかもしれないという情報を捨てておける筈がない。
『オルトラ世界はもちろん、そちらの世界でも奇妙な事件が起きていましてね。生き物の頭部がない死骸が発見されているというものなのですが』
内容の割に相変らず淡々とした美和の口調は続く。
『頭部がスッパリと切り取られて無くなっているんですが、綺麗すぎるくらい乱れのない断面はもちろん、血の方も一滴も流れていない。そんな奇妙な首なし死体の事件です』
生物――それも動物であれば体内には必ず血が流れている。首を切って一滴の血も流れていないなど普通はあり得ない。それに切断面とて筋肉の繊維や骨が邪魔をして綺麗な断面にはまずならないのだ。
言われてみれば確かに奇妙だ。それゆえ逆に昭士は変に落ち着いてしまった。
だから昭士は再び石段を登り出した。そして同時に電話に囁くようにして訊ねる。
「そそ、そのじ、じ事件とエッセと、なな、何の関係が?」
その視線は周囲の人間を露骨に警戒するものであり、数が多くないとはいえ昭士の隣を駆け上がる、もしくは駆け下りて行く人達からすれば怪しい以外の何者でもない。
『ライオン』
美和は淡々とした中にも強い意志を込めて一言発する。
『ワニ。ゾウ。タカ。アナコンダ。トビウオ。それから……ベルヴァ豹。覚えがありますよね?』
電話にも関わらず、昭士はうなづいた。
どれも昭士が戦った、もしくは出現したと聞くエッセばかりである。この世界だったりオルトラ世界でだったり。もちろんバッタやノミなどもいるがそれは死骸が確認されていないのだろう。
「もも、ももしかして、みみんなそうなの?」
『ええ。どれも首のない死骸が発見された事のある生き物ばかり。そして発見後エッセとして現れています。あなたもご承知の通り』
昭士は無言になってしまった。それでも石段を駆ける足は止めない。
どこの誰かは知らないが、血を一滴も流す事なく首を切り落とす、もしくは消滅させる。魔法があるオルトラ世界ですら「奇妙」「不可解」とされるような事態。
そしてそんな死に方をした生き物の姿をしたエッセが現れる。少なくとも今までの傾向からすれば。
それらを考えた結果、グレムリンの首なし死体が見つかった=グレムリン型のエッセが現れるかもしれない。という結論に達したのだろう。
だが違う意味でも妙である。
百年は文明が古いオルトラ世界なら仕方ないだろうが、こちらの世界は事情が違う。インターネットという物がある。
特に様々なSNS――ソーシャル・ネットワーク・サービスで面白おかしい事から不可思議な事まで無責任にバラまけるご時世だ。それこそ世界中に一瞬で。
そんな膨大なネットワーク上でもそんな話は聞いた事がない。それは昭士がそうしたSNSをまったくやっていないからに他ならないが、それでも周りではやっている人は大勢いる。
そんな面々からもそうした話は全く聞いた事がない。それほど奇妙な事件ならオカルトだのUFOがどうのだのといった方面で盛り上がると思うのだが。
『仕方ないでしょうね。確かにインターネットで情報をバラまける時代ですが、逆に量が膨大過ぎますからね。そうした情報が埋もれて人目につかないケースは大いに考えられますよ』
確かに美和の言う通りかもしれない。木を隠すには森の中という諺もある。世間で何の話題にもなっていなくとも、おかしい事は何もない。
『まぁ今の段階で言えるのはこんなところでしょうね。ではマラソン頑張って下さい』
やっているのは石段上りなのだが。そうツッコミたくなったがその前に、辺りをキョロキョロと見回して人気がないのを確認すると、
「そそ、そ、その事を、スススオーラには?」
『それはそちらでお願いします』
間髪入れないつれない言葉と同時に、電話は切れた。
通話の終わってしまった携帯電話の液晶画面を見て溜め息をつくと、昭士はそれを道着の内ポケットにしまう。
(お願いします、ねぇ)
昭士はそう思いつつも、これまでの遅れを取り戻さんばかりのスピードで階段を駆ける。
美和が急に電話を切ったのにはもちろん理由がある。昭士が出したスオーラという名前が原因である。
本名モーナカ・ソレッラ・スオーラ。これまたオルトラ世界の住人であり、昭士が彼女と出会った事で戦士としての生活が始まったのだ。
スオーラは代々聖職者の家系。しかも実父はあちらの世界でも有名な宗教の最高責任者。そして自身も階級は低いが立派な聖職者。
対する美和は協力的な態度とはいえ立派な盗賊。考え方や行動理念などが何から何まで「合わない」のだ。
事実美和は影に徹する事が盗賊の美学と考えており、昭士には時折こっそりと情報を提供してくれる。同時に自分の存在を喋ってくれるなと念を押されてもいる。
そしてスオーラもいかに協力的な存在とはいえ、聖職者としては「盗賊」という存在そのものを許しておけないらしい。
その辺りは盗賊と僧侶が共にパーティーを組む典型的なRPGとはずいぶん違うようである。
そんな事をしているうちに、二つ目の神社に到着した。古ぼけた石柱には筆で書いたような書体で「嘉嶋神社」と彫られている。
そのそばにある鳥居の周りには、何人かの生徒――見知った顔や知らない学校の生徒達が座って一服していた。
「おー、来たか。こっちこっち」
座ったまま手を高く上げて呼ぶ声の方を見ると、さっき自分達を追い抜いて行った撫子が。しかもどこで調達してきたのか、スポーツドリンクのペットボトルを傾けている。
聞くとこの神社自体の敷地面積は小さいものの、スタンプが置かれた社務所の中に自動販売機が置かれているそうなのだ。もっとも山の下と比べて若干高いというお約束のパターンであるが。
昭士は言われるままにスタンプを押し、ついでに自販機の中で一番値段の安かった(それでも一六〇円)ミネラルウォーターを買って撫子の元に戻って来る。
「な、なな、何でここにいるんです? とっくにいい行っちゃったかと」
撫子は得意そうに鼻を鳴らすと、
「ここから頂上にある神社までの道は距離はないんだけど坂が一番キツイから、ここで休んでたんだよ。先に行った連中が何人もいるけど、多分途中で飲み食いできずにヘバってるぜ」
それから心底うらやましそうに着崩れてはだけかけている男子部員の道着の襟元を見てニヤニヤしながら、
「いーよなぁ男子は。裸に直接道着着られるから。オレら女はそうはいかないもんなぁ。お前らみたいなエロいヤツがいるから」
「女性」をあまり感じさせない彼女だが、男子達から見えないよう気を使いながら襟元を少しパタパタと動かして風を送っている。その辺に気を使うあたりやはり女性なのだ。
「最初はサラシにしようとしたんだけどなぁ。アレって結構暑いんだよ。それに苦しいし」
「じゃあTシャツでも着ればイイじゃないですか?」
「えー。汗で貼りついて気持ち悪いだろ、アレ?」
部員達がそんな風に笑いあっている中、昭士は内ポケットから携帯電話を取り出して時間を見る。すると、登り始めてからもう一時間が経っていた。確か歩いて一時間程で頂上に着けると言っていた筈なのだが。頂上はまだまだ先だ。
すると撫子が先輩らしくこれまた偉そうに胸を張ると、
「それはこの山の反対側の登山道を登った時の話だよ。あっちは車も通れるし坂もこんなにキツクないから一気に頂上に行けるしね」
とんだ種明かしに、昭士はもちろんこの場にいた一年生は皆驚いている。
「じゃあこっそりそっちから登れば良かった」だの「帰りはそっちに行こうかな」だのといった声がもれる。
「それはやめとけ」
撫子が含み笑いをしつつ一年生に注意する。
「何でですか、先輩?」
「答えは簡単。あっちの登山口は山の反対側だぜ? そこから山の裾野をグルッと回って合宿所に歩いて戻ってくるだけで何時間かかると思ってんだよ? バスなんかないし、タクシーだって滅多に通らないのに」
実に判りやすい理由である。そして更に得意になった撫子の話は続く。
「去年先輩から聞いた話によるとだな。この『石段登って』ってのはこうした運動部の合宿をターゲットにした客寄せらしいんだ」
最初にあった「斯波大神宮(しばだいじんぐう)」は健康祈願や病気平癒がご利益。
そしてここ「嘉嶋神社(かしまじんじゃ)」はタケミカヅチノミコトを祀っており武芸事にご利益がある。
山頂付近には「金烏明神(かなうみょうじん)」という神社があり、特に有名な神様を祀った訳ではないが、金烏と「叶う」を引っかけて“願った事が叶う神社”と云われている。
石段を登って足腰の鍛練。そしてこうした神社でのお参りやお守りの購入。そんな触れ込みで人集めをしているのだ。
どこも人を集めるのに必死で知恵を絞っている。こんな山の中の神社も例外ではない。
どおりで合宿所と話がついている訳だし、財布や携帯電話の持ち歩きも許可が出た訳だ。そんな感じに再びの種明かしに皆が呆れていると、昭士の携帯電話が再び震え出した。
「? スス、スオーラから電話だ」
相手によって震え方を変えているので、それだけで誰からかかってきたかが判るのだ。昭士は剣道部員達の注目が集まるのを無視して電話に出た。
「も、も、もしもし」
『※@∞≦【♀′●⇔∃』
電話の向こうから切羽詰まったスオーラの声が聞こえてきた。ただし、
あちらの言葉のまま。

<つづく>


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