トガった彼女をブン回せっ! 第20話その4
『何かご用でしょうかね』

合宿一日目が終わった。終わったといっても、一日目は大半が移動の時間である。
目の前にある古びた合宿所の建物入口に、昭士達剣道部員が勢揃いしていた。
剣道部部長の沢(さわ)が「今年もお世話になります」と合宿所の管理人という小柄な男性に深く頭を下げる。それに合わせて他の部員も一斉に頭を下げた。
それからゾロゾロと合宿所の中に。施設自体は古びているものの手入れはしっかりとされているのでさほど古さは感じない。
とりあえず四〜五人ずつ適当に人を割り振られ、各自部屋に荷物を置いていく。それから合宿所の中を覚えるために皆揃って一通り歩く。
合宿所は複数の学校が利用できるよう、建物がかなり広い。事実別の学校の違う部活の生徒達とすれ違う。
初めてここに来る一年生達は半ば探険気分である。二年生三年生の先輩が「明日から覚悟しとけよ」と軽い調子でそんな一年生達に注意している。
練習らしい練習は明日からだ。そのため皆のテンションもまだまだ幾分高めである。……明日からの猛練習からの現実逃避という側面が感じられなくもないが。
が、角田昭士はコソコソとそんな部員達の輪から抜け出した。
今朝の話の続きを聞くためである。
事の起こりは「異世界」において、賢者の二つ名を持つ青年モール・ヴィタル・トロンペが魔法を使える事がバレてしまい、自身が使える「異世界から物品を呼び寄せる」魔法を、披露するハメになってしまったところから始まる。
幸い魔法は成功し、異なる世界から巨大な鉄機を呼び寄せた。
しかしそれは昭士の世界から呼び寄せたものであり、彼の世界では「トラックと重機の謎の消失事件」として報道されてしまったものだ。このように呼び寄せる物や世界を選べないのがこの魔法最大の欠点なのである。
しかも別の世界に行った物体――生物・無生物を問わず外見も内面もそっくりそのまま元の世界と同じになるケースは極めてまれ。どちらかが変化するのが普通であり、存在すらできず消滅する事も珍しくない。
呼び寄せる事ができたのは(外見の特徴から考えて)トラックに載っていた新型重機のみ。ユンボと呼ばれる機械らしい。だがそのユンボを何者かに盗まれたというのだ。
しかしそこで合宿場所へ向かう電車が来てしまったので話を中断せざるを得なくなったのである。電車の中でのメールやLINEならまだしも、延々と電話というのはさすがにマナーが悪い。
極めて目立つ白い学生服という夏服を着てはいないものの「市立留十戈(るとか)学園高校」と学校名が堂々と入った専用のカバンを持っている。そこから学校に通報でもされたら当然マズイのである。
昭士は合宿所の自分の部屋に入ると――もちろん個室ではなく五人は眠れる和室の大部屋である――何となく部屋の隅に腰かけてもう一度賢者に電話をかけ、ワンコールで通話を切る。
それから待たされる事五分ほど。携帯電話がブルブルッと震え画面に「賢者」という着信のメッセージが出た。
「もも、も、ももも、もしもし」
生来のドモり症に慌てが加わり、いつも以上にドモって電話に出る昭士。賢者は電話の向こうで小さく笑うような声を出し、
『剣士殿。お時間は大丈夫でしょうか』
この世界ではともかく、賢者達の世界での昭士は身の丈以上の大剣を振るう剣士なのである。昭士が大丈夫な事を話すと、
『……確か今朝方は呼び寄せた機械が盗まれたところまでお話ししましたか』
昭士よりも自分自身に確認をするような賢者の口調。昭士は声に出さずにただうなづく。電話なのに。
『その機械を盗んだ人物が問題だったのですよ』
重々しく、かつわざわざそう前置きした賢者は、驚きの言葉を放つ。
『その人物はバーラという通り名の女詐欺師で、スオーラ嬢を騙って詐欺を働いて捕まっていた人物なのです』
「さささ詐欺!?」
昭士が思わず声を上げてしまう。
『そんな人物が昨日の夕方に脱獄し、私が呼び出した機械――ユンボというのですか? それに乗り込んで逃げ出してしまったのです。ものすごいスピードでした』
脱獄されたのはともかく、ユンボに乗って逃げ出したというのは。
ユンボはそれほど早く走る事ができない筈なのだ。どんなに出しても時速十キロほど。馬はもちろん人力でも懸命に走れば追いつけない速度ではない。にも関わらず「ものすごいスピード」だったと話している。
電車に乗っている間に届いた賢者からの写真を見る限り、その姿はこちらとほとんど同じように見える。運転席に乗り込めて乗っている人間がむき出しにならないデザインだ。足周りは完全にキャタピラだし、もちろんごつさが目を引くアームももちろん健在だ。どう贔屓目に見てもスピードが出せるような感じはない。
世界を移動した事で「変化」し本来出せない筈のスピードで走れるようになったとでもいうのだろうか。
昭士は知らないが、同じキャタピラで走る乗り物の代名詞・戦車。無論タイプにもよるがこちらは時速七十キロは優に出せる。キャタピラだから遅くしか走れないという事はないのだ。
ともかくこうした重機の特徴は、一旦動いてしまえば早々近づけない事だ。特に走行中にショベルのアームを振り回しでもしたら近づくに近づけないだろう(できるかどうかはともかく)。
この世界より百年は昔の文明レベルである事から考えても、金属の骨組みと強化プラスティックを打ち破れる武器があるかどうかは微妙だから、たとえ追いつけても重機を止めて犯人を中から引きずり出すのは難しかろう。
機械の見た目から乗り込めそうと判断するのは難しくないかもしれないが、よく動かす事ができたものだ。素人がレバーなどをガチャガチャやってたまたま動いたとでもいうのだろうか。
そこで、機械にやたらと詳しい剣道部員・戎(えびす)の話を思い出した。
このユンボは最近発売されてきたハイブリッド車などと同じく完全電力駆動という「業界初」を銘打った商品らしい。
加えて単純な前後進・左右旋回は音声入力対応という。AIや高性能そうなセンサーも搭載されているそうだし、まさしく最新型の名に相応しいものなのだそうだ。
それを思い出した昭士は、音声入力の事を賢者に話す。
『音声? という事は、話しかけて動く機械があるのですか!?』
電話の向こうの賢者の、多少驚きを含んだ疑問。知識が売りの賢者とて、異なる世界の物となると知らない物も多い。昭士はドモりつつもそれを肯定すると、
『そのバーラという女性はマチセーラホミー地方の出身です。あの機械が剣士殿の世界の物ならば……』
あちらの世界のマチセーラホミー地方の言葉と昭士達の使う日本語はほとんど同じ。その詐欺師が日本語(?)で動けとか逃げろなどという言葉に音声入力やAIが反応したのだろうか。
「でで、で、でも。うううん運搬中なら、でん電源入ってないから動かない筈……」
昭士が言う通り、どんな高性能なAIが搭載されていたとしても、運搬中に重機の電源を入れているとも思えない。電源の入っていない機械のAIや音声入力が作動するとも思えない。相当に不自然極まりない点ばかりが残るのだ。
だが。どれだけ不自然だろうとスオーラを騙った詐欺師がいた事。その詐欺師がユンボを盗んだ事。その二点は事実なのだ。
『疑問点はもう一つあります。バーラという詐欺師がどうやって脱獄をしたか、です。まるで「壁を通り抜けたかのようにいなくなった」という目撃情報はあるのですが、バーラは魔法を使えない筈なのです』
その詐欺師が捕まったのはもう十日は前の話だという。捕まって連れて来られたメリディオーネ地方の都市では無論騒然となった。
救世主にして有名な宗教のトップの娘を騙ったのだから無理もない。訊問や捜査を待たず即刻処刑すべしという過激な意見が平然と出たほどだという。
そんな人物だからこそ逃げ出さないように――というよりも市民などから襲撃されないように厳重に警備体制を整えていた筈なのだ。
そんな警備体制を「魔法を使ったとしか思えない」方法で抜けられてしまった。魔法使いではあり得ない人間に。
だがその辺は昭士が考えてもどうしようもない。あちらの世界の人間ではないし、という無責任な部分もあるが、無関係な人間にあれこれ口を出される事をよしとしないだろうし。
「でで、で、でも。だだ、大丈夫だと思います」
昭士は賢者に向かって落ち着いた感じでそう言った。ドモってはいたが。
「あのユユユンボは、で、でん電気でうご、動きます。じゅじゅ、充電できないでしょ、そそそっちでは」
昭士の言うそっち――オルトラ世界には電気機器がようやく出だした程度の文明レベル。
あのユンボは完全電気駆動なのだから、充電しなければそのうちバッテリー切れを起こして動けなくなるに決まっている。オルトラ世界で機械への充電などできる訳がないのだから。
もっとも世界が移動した事でユンボがどういった変化をしているかは判らないが(速度の面もあるし)、燃料を補給せずに済む機械にまで変化していない事を祈るしかない。
『そうですね。もちろんメリディオーネ側も懸命の捜索をしています。発見は可能でしょう』
そう話す賢者もどことなく他人事だ。重機を必要としている訳ではないし、詐欺師の脱獄も彼に責任がある訳でもないためだろう。
「とと、ところで。スス、スオーラはこの事を?」
『私からは話していませんが、知るのは時間の問題だと思いますね』
電話がどうにかある程度の文明とはいえ、噂が広がるスピードというのは信じられないほど早い。賢者の言う通りだろう。
スオーラは伊達に高い教育を受けてはいないようで結構分別があるとは思うのだが、その割にこうと決めると猪突猛進というパターンも多い。
自分のニセモノが現れて頭に来て自分から突っ込んでいきそうなイメージが浮かんだ。
昭士は自分からもスオーラに電話をしてみると伝え、通話を切った。そしてすぐさま電話をかける。
ただし、相手はスオーラではない。そこには「益子美和」とある。昭士の学校の一年先輩であり、新聞部の部長を務める女子生徒だ。
もっともそれは仮の身分であり、本当はスオーラや賢者と同じオルトラ世界の出身にして、数百年という時代まで超えてやって来た伝説の盗賊団の団長だった人物なのだ。
ちなみに本名をビーヴァ・マージコという。益子美和という名前はこれをもじったものだ。
彼女が活躍していたのは数百年は昔だが、盗賊の手口などいつの時代も大差ないだろう。オルトラ世界は数百年でそこまで文明が飛躍的に進歩している訳でもなさそうだし。
そんな事を考えつつ電話に出るのを待っているが、いっこうに出る気配がない。
この番号は相手から直接聞いた番号ではなく、こっちにかかってきた番号を電話帳に登録したものだ。相手が変えてしまったら繋がりはしない。
十回ほど呼び出し音を聞いてから、昭士は親指で通話をオフにする。相手が相手なのでさほど期待してはいなかったが、やっぱり繋がらなかったのは悲しい。
電話をしまった昭士は開けたままの出入口――ふすまの向こうに誰かの頭がチラッと見えた。この剣道部の面々はスオーラの事、ひいてはオルトラ世界の事を知っているが、この合宿所にいる人間全員が知っている訳ではない。
焦った昭士が慌てて立ち上がり、出入口に駆ける。そしてふすまの向こうを見るが……誰もいない。
「残念でした」
後ろから、それも耳元でぼそっと囁かれる女性の声。昭士はかなり情けない声を上げて転げるように廊下に飛び出しながら振り向く。
「何かご用でしょうかね」
どこの学校の校則でもOKそうな、無難な黒髪ストレート。ソバカスのある頬を隠すような大きめのメガネ。ブサイクでもなければ美人という訳でもない、ちょうど中間くらいの容姿の人物が留十戈学園高校の制服姿で立っていた。
そんな人物が暗いのか無表情なのか判らないのっぺりとした表情のまま気配を殺して声をかけてきたのである。
いきなり声をかけてきた事には驚いたが、その人物自体には全く驚いていない。
彼女こそたった今電話をかけようとしていた人物・益子美和(ましこみわ)だったからである。
「ででで、で、で、電話に出てよ、だったら!」
「電話かけられるの嫌いなんですよ。かけるのは良いのですが」
だいぶ無茶苦茶な理由である。それも無感情で淡々と言われては、逆に怒る気が失せるものだ。
失せた事で若干冷静になれたのか、昭士は美和にさっきまでの事を話した。
オルトラ世界にスオーラのニセモノが現れた事。そのニセモノが壁を通り抜けるようにして脱獄をした事。さらに賢者の召喚したユンボを盗んで逃げ出した事。
ドモりながらなので相変わらず聞き取りづらい事この上ないのだが、美和は黙って最後まで話を聞くと、
「それで、自分に何をしろと?」
「あああ、あっちのじけ事件、調べる事、でで、できる?」
昭士の質問に対しても相変らずの無表情。とはいえそれでもすぐさま了承するような雰囲気は全く感じられない。
美和はスオーラやジュン、賢者とは違い「共に戦う仲間達」ではない。一応協力はしてくれるが、あくまでも「盗賊流」。必ず頼みを聞いてくれる訳ではない。
だがその返事を聞くより早く、廊下から昭士を呼ぶ声が。
「いたいた角田。何やってんだよ。そろそろメシだってよ」
どうやら誰かが呼びに来たようだ。一瞬そちらに注意が行った途端、美和の姿はパッと消え失せていた。
引き受けてくれたのか断わったのか。その返事すらない中途半端な状態である。だが呼びに来てくれた部員に当たり散らす訳にも行かず、昭士は食堂へと向かった。


何ヶ月かぶりに実家に戻った、いや、戻らされたスオーラは、半ば監禁状態に置かれていた。
彼女の予想通り「外出禁止令」が出てしまったためだ。
スオーラのニセモノを騙る詐欺師が逮捕されたのは良いのだが、その人物が脱獄。さらにこの世界に呼び出された異世界の機械に乗って逃走。しかも見失ってしまったという報が届いたためだ。
スオーラは自分に振りかかった火の粉は自分で振り払うとばかりにその詐欺師を探し出したいと言って引かない。
だが彼女の父にして広く信仰されているジェズ教の最高責任者モーナカ・キエーリコ・クレーロはそれを強く止めているのだ。
元々その地位や立場が理由であまり構ってやれなかった過去がある。この世界では親元から離れ一人立ちするのが普通の十五歳という年齢にも関わらず、スオーラには親バカ全開のような接し方をしているので相当甘い。
そんな父がこればかりは頑として譲らないとばかりに強気に出ている。
スオーラも頭では父の言う事も判るのだ。自分がこの場にい続ければ、他の場所に現れた「救世主」は必ずニセモノになるから再逮捕も容易になるからである。
その機械を呼び出したという賢者が言うには――より正確にはその機械があった異世界の住人・角田昭士が言うには、その機械は地面を掘り返す事などに使われる工事用の機械。スピードは出ないがパワーは凄いものらしい。
うかつに近づけば大怪我は免れないし、この世界の武器での破壊も難しいだろうとの言葉ももらっている。
かといって魔法を使えば今度はやり過ぎてしまう。犯罪者を問答無用で殺してしまうような真似はさすがにやる訳にもいかないのだ。
そもそもこの世界の魔法使いは一人につき一種類の魔法しか使う事ができない。
スオーラの場合は自分専用の本のページに書かれた物を実体化させるタイプ。書かれた物によって様々な種類の魔法が使えるが、その本を使わないで呪文を唱えたり魔法陣を書いたりしてもダメなのである。
第一魔法使いの数そのものが極端に少ない。一つの国に二〜三人程度しかおらず、おまけに今回のような状況に適した魔法を使える人間がいない。違う意味でも魔法は使えないのだ。
一宗教トップの娘であるゆえに、彼女はいわゆる「お嬢様」。物心ついた時から見知っている召し使い達が今日ばかりは自分を逃がすまいと監視を続けている。
もちろんムータ――魔法使いに変身する力までは取り上げられていない。この場で変身し常人離れした脚力でここから逃げ出す事は可能だ。
だがその行動に踏み切れなかったのは、スオーラが久し振りに帰って来たという事で学校に通っていた頃の友人を始めとして何人もの客の相手をしていたためである。
そんな友人達との談笑が楽しくないといえば嘘になる。疎遠になってはしまったがまだこうして自分を友人と扱ってくれる事自体がとても嬉しく有難かった。
一息ついたスオーラが窓から庭を見ると、ジュンがそこを元気に駆け回っているのが見えた。とても楽しそうに。
朝から庭を駆け回り、食事になれば食べ物を食べ、また駆け回る。ジュンにとってはそれだけでも充分に楽しいようだ。
屋敷にやって来た客の何人かは、そんなジュンを見て「森の蛮族」と蔑みはしていたが、純粋な子供同様の言動に可愛がられる事も多かったのは、年輩の人間が少なかったからか。
そこに今までどこにいたものか、ジェーニオがすっと姿を見せた。彼(彼女)は、
“団長に呼ばれているので席を外すが、良いか?”
“団長に呼ばれているので席を外すが、良いか?”
団長。その言葉にスオーラは顔をしかめたくなるのをぐっと堪えた。
今でこそこうして自分達に手を貸してくれる頼れる存在ではあるが、元々ジェーニオは異国サッビアレーナに伝わる盗賊団「マージコ盗賊団」に仕える精霊であった。
盗賊団自体は数百年前に無くなっているからその団長に会う事そのものができない筈なのだが、何故か「団長」は未だ存在しているらしい。
聖職者としての家系に生まれその教育を受けてきたスオーラにとって、盗賊とは不倶戴天の存在。理由や事情があろうともその存在を許したくないのだ。
相手もそれが判っているのか彼女は「団長」と会った事がない。わざわざ自分からもめ事に首を突っ込む事もない。お互いがそう考えているからだ。
自分が動けない以上彼(彼女)をここに拘束しておく理由はない。スオーラは許可を出すが、
「法に触れるような真似は、なるべくしないようにお願い致します」
その口約束がどれほどの効力を持つかは不明だが、スオーラの立場としてはそう言わずにはおれないのだ。
ジェーニオは軽く首を倒して形ばかりの肯定を見せると、すっとその姿を消した。


いずことも知れぬ山の中。人目につく事のない生い茂る森林。それらに隠された崖の真ん中に、大きな鉄の塊がぶら下がっていた。
その鉄の塊こそ、賢者が呼び出し詐欺師が奪っていった重機――ユンボに間違いなかった。
崖から張り出した太い太い木の幹に奇跡的にユンボのアームが引っかかり、かろうじて宙に浮いている状態。完全電気駆動ゆえに一般的なユンボより軽量型なのが幸いした。
だが強化プラスティックで覆われているとはいえ外の景色が、自分の状況がどうなっているのかは丸判りだ。
運転席で動きたくても全く動けず血の気の引いた顔のままでいる女詐欺師・通り名バーラ。この機械の事はもちろん判らないが、この状況が命に関わる緊急事態である事は身を持って理解している。
(こんな事なら、強そうだからってサッパリ判らない乗り物なんざ盗むんじゃなかった)
どうにか脱獄を果たしそっけなく庭に置かれていた謎の乗り物に目を付けた。椅子らしきところに座り「動けよコイツ」と言った途端猛スピードで動き出したのだ。
ほとんど日本語に近いマチセーラホミー地方の言葉だったがゆえに音声入力が反応。文字通りそれで動きだしてしまったからたまらない。鉄の塊のクセに馬より遥かに速いのだ。
しかもなぜ動いたのかサッパリ判らないし理解もできない。もちろん止め方も判らないが止まった途端に捕まりかねないという恐怖感が勝り、そのまま走らせる。
追いつかれる事はなかったが、道行く人を蹴散らし、バリケードを弾き飛ばし、安普請の小屋を破壊しながら進むうちに、捕まらない安堵感より止められない不安感がだんだん増していく。
そんな調子で町を抜けそのまま山の中へ直行。「動け」という指示を愚直に守ってひたすら前進。それも猛スピードで。
真っ暗な山道を猛スピードで進むというのはかなりの恐怖だ。少しずつ増していた不安感が心に満ち、支配し、とうとう限界を超えた。つい叫んでしまったのだ。「止まれ」と。
だが止まった場所が最悪だった。落ちる寸前の崖っぷちだったのだから。それに気づいてそっと機械を降りて逃げようとした時、入ってきた入口がガッチリ閉まっていた。だが開け方が判らない。
ドアノブらしい物をガチャガチャやっているうちに微妙だったバランスが崩れ、崖がらゴロリと落下。だがアームが木に引っかかって難を逃れたという訳だ。
そんな夜から一夜明け、日が高く上り、また下りようとしているこの時間になっても状況は変わっていない。
状況は変わっていないが彼女自身はかなりの変化を遂げていた。
無理もない。いつ落ちるかも判らない宙吊りの状態で半日以上。その緊張感で詐欺師の心はいつ折れてもおかしくないほどに磨り減っていたのだ。
……やがて状況が変わった。目の前に「浮かんでいる」良く判らない人間が現れたから。
見た事のない異国の装束。右半分が女で左半分が男。そんな人物であろうとなかろうと、宙に浮かんでいればもう怖さしか感じない。助けてくれとも叫べない。相手が助けてくれる保証など感じられないからだ。
細く細く張りつめた糸のような緊張感が、とうとうぷつりと切れてしまった。全身からガクンと力が抜け、席の背もたれに身を投げ出したまま動かなくなってしまった。
充血して真っ赤な目を丸く見開いたまま口だけで気味悪くヘラヘラ引きつった笑い顔が何とも不気味である。
それを見届けたジェーニオはユンボのアーム部分を両手でしっかり掴み、そのまま上に持ち上げる。そしていともたやすく崖の上まで運び、地面に置いた。
「ご苦労様です、ジェーニオ」
その一連の様子を見ていたのは美和だった。その姿は学校の制服ではなく、身体にフィットしたタンクトップとスパッツが合体したような服だ。腰にはポーチ、右ももに小物入れがついた黒く太いベルトを巻いている。
美和は機械に飛び乗るとすぐさま扉をたやすく開き、運転席から気を失ったバーラを助け出す……と思いきや。美和の手が動いているのは彼女の服のポケットだ。そして目的の物を探り当てる。
何の変哲もない、安い宝石がついたネックレス。ただしチェーンは途中で切れてしまっている。
“ペルヴィエタか”
“ペルヴィエタか”
ジェーニオがそのネックレスを見てそう言った。
ペルヴィエタのネックレス。これを持っている者は壁を通り抜ける事ができる。もっとも一回通り抜けたら丸一日は使えなくなる。この女がここから脱出できなかったのはそれが理由だろう。
もっとも。仮に脱出できたとしても、崖の真ん中で宙釣りの状態から逃げられるかは判らないが。
これはかつてマージコ盗賊団が盗み出した物だ。だが美和が団長となった代で内部分裂が起き、その際に美和と反する派閥の連中に持って行かれた先代のコレクションの一つ。
美和自身はもう盗賊団に未練を感じてはいないので奪われたコレクションを取り返す意図はない。そんなコレクションがどこをどう巡ってこの女の手に渡ったのかにも興味は全くない。
ただ単にこれを欲しがる人物からの「依頼」というだけ。今の美和には今の美和としての仕事があるのだ。
“この機械と女はどうするのだ?”
“この機械と女はどうするのだ?”
「放っておきましょう。このまま逃げるもよし、メリディオーネ側に捕まるのもよし。自分の知った事ではないですから」
冷淡と言えば冷淡だが、明らかに無関係な者に関わってはいけないのは自分なりの盗賊のポリシーだ。
「今回は彼のおかげですね。助かりました」
美和が珍しく昭士を思い浮かべている。彼から聞いた「壁を通り抜けるようにして脱獄をした」という情報で、ダメで元々と調べてみたらいきなりビンゴ、だったのだから。
“助かったのなら礼をする。それも人間の習慣だな”
“助かったのなら礼をする。それも人間の習慣だな”
ジェーニオが美和に「正解か?」と確認をするように訊ねる。美和は「正解ではあるが」と微妙に言葉を濁す。
これを機にあまり頼られても困るからだ。やはり自分達の事は自分達で解決してほしい。ジェーニオはともかく美和の力を頼るのはほどほどにしてほしいのだ。
だが、助けられた相手に何もしないままというのも盗賊のポリシーに反する。美和は誰に言うでもなく呟いた。
「彼には……夏休みの宿題でも教えてあげましょうかね」
表情なく淡々と。

<第20話 おわり>


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