トガった彼女をブン回せっ! 第20話その3
『信じて戴けますでしょうか?』

「どど、ど、ど、どういう事ですか、詐欺師とは!?」
ドモり症の昭士のような口調のスオーラ。椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がり、老人に向き直る。
当たり前である。いきなり見ず知らずの人間から「詐欺師」と呼ばれて動揺しない人間がいる筈もない。
「そうだそうだ。別に彼女は詐欺なんてやってないぞ?」
「ちゃんと侵略者と戦ってるぞ?」
取り巻いていた客達の方が、その老人に詰め寄っている。その迫力に一瞬飲まれそうになった老人だが、逆に一喝。
とても老人から出たとは思えないその怒号に、取り囲んでいた客達が一歩後ずさった。
だがスオーラは引かない。自分よりも少し背の高い、何倍もの年齢差、そして怒りの圧力といったものに圧されているにも関わらず。
「……ジェズ教マイトナト派の方ですね。わたくしはジェズ教キイトナ派の托鉢僧をしております、モーナカ家の三女、ソレッラ僧スオーラと申します」
自分の胸に手を当て、老人に向かってそう名乗る。
「モーナカ家といえば、最高責任者のキエーリコ僧クレーロ殿の?」
「はい、娘です」
スオーラの迷いなき返答に、老人の目つきが少し変わる。そして小さく肩を震わせている。
何事だと思っていたが、すぐにさらなる怒りで目をかっと見開いた。
「……そんな森の蛮族と卓を共にする人間の分際で、猊下の令嬢を名乗るとは肩腹痛いわ!」
彼は一心不乱に料理を黙々と食べているジュンをビシッと指差す。一方のジュンは言葉が判らないので何も言い返して来ない。
そんな老人の物言いにスオーラの表情が少し曇る。彼くらいの年齢であればジュンを見て「森の蛮族」という発言もやむないところはあるのだが。それでも聞いていて気分が良くなる訳がない。
スオーラが口を開くより早く周りの客が、
「おいおいじいさん。どれだけ偉いか知らねーけどさ、今時それはないって」
「見た目はああだけど、単に子供なだけだぜ? 頭固いなぁ」
老人は周囲から聞こえるそんな野次を「文句があるのか!?」と言いたげな厳しい視線で睨んで黙らせる。
しかし相手がどうあれ多勢に無勢の言葉もある。数の力に物言わせんばかりに「お前が悪い」という視線で睨まれる老人。
その雰囲気に耐えかねたのか、威嚇する意味で素早く腕を振り上げた。
だが、その腕が振り下ろされる事はなかった。動きが止まったのではない。老人は振り下ろそうと渾身の力を込めるが、腕自体が動かない。そんな雰囲気だ。
一体どうなっているんだと、老人はかなり泡喰った表情で振り上げた自分の腕を見上げる。すると手首の辺りの袖が変にくしゃっとした感じになっている。
まるで、誰かがしっかりと掴んでいるかのように。
“止めて戴こうか、ご老体”
“止めて戴こうか、ご老体”
男と女の声が重なったような、不可思議な声。同時に老人の背後が陽炎のように揺らめいた。
すると、老人の腕を掴んでそこに立っていたのは、声以上に不可思議な姿の人間であった。いや、本当に人間なのかどうか。そんな思いが店にいた客達の間にも走る。
理由は簡単。右半身は肉付きの良い女性で、左半身は鍛えられ引き締まった筋肉を持つ男性だったからだ。
着ている物も青白い素肌の上から直接丈の短い真っ赤なチョッキをつけ、足首で細くなった膨らみ気味の白いズボン。首、手首、足首にまで金の輪っかをジャラジャラと付けているのだ。
これはパエーゼ国の隣にあるサッビアレーナという国の民族衣裳である。
頭頂部で一つにまとめられた長い黒髪を白い布を巻いて直立させているので、首を少しかしげるとその髪も斜めにかたむく。さらに二メートルほどの身長のためか、少し身をかがめるようにして老人の顔を覗き込んだ。
“こういった時、まず自分から名乗るのが人間の礼儀だったな”
“こういった時、まず自分から名乗るのが人間の礼儀だったな”
その人物(?)は老人の顔を覗き込んだ姿勢のまま、
“我は精霊ジェーニオ。そこのモーナカ・ソレッラ・スオーラと行動を共にしている”
“我は精霊ジェーニオ。そこのモーナカ・ソレッラ・スオーラと行動を共にしている”
と、身長差のため上から目線でハッキリそう名乗る。
ハッキリ名乗られたためか、老人の方もそれに釣られるかのように、
「私はジェズ教マイトナト派、メリディオーネ地方で侍祭長(じさいちょう)を勤める、アッコー僧リトと申す」
静かに名乗ると、ようやくジェーニオは無言で老人の腕を離した。
スオーラの托鉢僧に対しアッコー僧リトの侍祭長はずっと上の位の人物である。こうした宗教は厳格な階級社会でもある。そのためスオーラは敬意を表わして頭を垂れる。
アッコー僧と名乗った老人は、痛かったと露骨な仕草で掴まれていた腕をさすりながら、
「……おまけに森の蛮族ばかりか異国の精霊と行動を共にしている? ジェズ教の僧たる自覚があるようには見えんな。ますます疑わしい」
じろりとスオーラを見下している。
スオーラの托鉢僧とは各地を旅して回り、布教活動に勤しむ者の事を言う。
改宗させる事もなく、自分の宗教と関係ない存在と行動を共にしている事自体が「ルールに書かれてないルール違反」に等しいのだ。
階級が上の者のもっともな正論。托鉢僧の仕事である布教活動をしていないのだから文句を言われても何も言い返せない。
しかし、その托鉢僧という身分も侵略者と戦うために動きやすくするための方便である。
スオーラ自身が侵略者と戦う存在という事は知られているものの、そんな事までジェズ教の聖職者・信徒の全員に通達をしている訳ではない。老僧の怒りも仕方ないものと言える。
そんな老僧の肩を、軽くとんとんと叩く人間が、一人。少々ムッとした顔の彼が振り向くと、そこに立っていたのは仏頂面の店の主人だ。
その手には野菜を煮込んで作る具沢山スープ――パエーゼ国では「モニミート・ナカラス・ラ・ホミー」という名前のスープを入れた大きな器が。
主人はそれをスオーラとジュンの卓に置き、さらに取り皿を二つ無造作に置く。それからアッコー僧をじろりと睨むと、
「じいさん。ここは食堂だ。注文しないのであれば出て行ってもらえないか」
それからジェーニオの顔を見上げると、
「お前さんもだ。そもそも代金は払えるのか?」
精霊にまで注文を迫るその態度。食べ物屋の主人たる威圧感、のようなものすら感じた。
さっきから彼等を取り囲む客達は一応酒やつまみを注文しているので、何もしていないのはこの二人(一人と精霊)だ。そんな疎外感を感じさせる視線を一心に浴びていたが、
「う、うむ。そうだな。ご主人。セチミイ・シニ・ヒイスシナスチはあるかね?」
それは細かく切った野菜を生地に練りこんで作ったパンの事で、濃く入れた紅茶に浸して食べるのが普通である。そのためパンのみを注文しても必ず紅茶がついて来る。
「はいよ。そっちの精霊は?」
“この国は肉はあまり食べなかったな”
“この国は肉はあまり食べなかったな”
パエーゼ国は穀物と野菜が中心で肉や魚はあまり食べられない。一方サッビアレーナは肉も魚も野菜も満遍なく食べる。ジェーニオはその事を思い出すと、
“何か豆を使った料理はないか”
“何か豆を使った料理はないか”
「豆、か。野菜との煮物か、すり潰した豆をかけた麺料理ならあるが」
主人の提案にジェーニオは麺料理の方を注文する。
アッコー僧とジェーニオが同じ卓につく。スオーラ達の隣だ。そこしか空いていないからだが、アッコー僧は不機嫌なのを隠そうともしていない。
しかし、ピリピリとした店内の空気は少しだけ和らいだ。今まで彼等を取り囲むようにしていた他の客達も自分の席に戻って行く。
アッコー僧の注文したパンが、紅茶と共に運ばれて来る。既に焼いてあるパンを薄切りにするだけなので、早くて当たり前だ。
彼は早速パンを手で縦に裂き、カップの紅茶に浸して口に放り込む。浸す時間が普通の人より長く感じるのは老人だからかもしれない。
ゆっくりと咀嚼し「なかなか美味い」と言いたそうな、若干穏やかな表情を見せる。その表情を待っていたかのようなタイミングで、スオーラ静かに声をかけた。
「アッカー僧様。せめて詳しいお話をお聞かせ願えませんか。何も判らぬまま詐欺師などと呼ばれ続ける訳にはいきません」
スオーラの言葉に穏やかになりかけた表情が険しくなるが、彼女の発している真剣な雰囲気に彼は食事の手を休めると、
「少しは真摯に物を聞く気になったか」
托鉢僧と侍祭長の階級差と年齢差以上に偉そうな物言いで、彼は話を続けた。
「侵略者に襲われて多数の怪我人が出ている。そんな侵略者と戦える唯一の存在と名乗り、あちこちで……特にこの国の南部を中心に『守ってやるから金をよこせ』と金をもらって、何もせずにすぐ逃走。これを詐欺と呼ばずに何と呼ぶね?」
話を聞いたスオーラの顔が真剣なものになる。
何事にも便乗した「ニセモノ」が出てくるというパターンは充分考えられる事だ。しかしまさか自分のニセモノが現れるとは。
この侵略者は普通の人間が太刀打ちできるレベルではない。事実大軍をもって戦った事があるのだが、たった一体倒すだけで軍隊がほぼ全滅した程だ。
そんな侵略者と戦える人間だと騙るのはあまりにもリスクが大きすぎるだろうと、タカをくくって甘く見過ぎていたか。
“騙される方も騙される方だな”
“騙される方も騙される方だな”
まだ料理が運ばれてきていないため、静かに席についたままのジェーニオが遠慮なく口を開く。その物言いにアッカー僧が怒りで立ち上がろうとした時、
“エッセに襲われて多数の怪我人が出たそうだな。その時点で嘘と判る”
“エッセに襲われて多数の怪我人が出たそうだな。その時点で嘘と判る”
冷静な態度を崩さずジェーニオは言った。続けてスオーラも口を開く。
「アッカー僧様。侵略者――エッセと云うらしいのですが、彼等は直接人を襲いません。金属へと変えて捕食するだけです。金属に変えられてしまった者は、どのくらいいるのですか?」
ジェーニオとスオーラからの思っても見なかった反撃に、アッカー僧が驚いて逆に黙ってしまう。
「それから、現れたエッセはどんな姿をしていましたか? 殆どの場合何らかの生物を模した姿をしている筈です。この世界の生き物である保証はないのですが……」
それからスオーラはポケットからカード状のアイテムを取り出した。それはムータと呼ばれるアイテムで、侵略者エッセと戦える人間の証のような物だ。
「エッセが現れれば、このムータが教えてくれますよ」
ムータをアッカー僧に見せつけながらスオーラが言う。もっともこの世界の生き物でなかった場合は教えてくれなかったりするケースもあるので絶対ではなかったが。
「それにさきほど『ジェズ教キイトナ派の僧侶で間違いはない』と仰っておりましたが、わたくしがエッセと戦う時はこの姿ではありません」
スオーラは席を立って店内の少し空いたスペースに移動すると、持ったままのムータを何もない眼前に向けて突き出すようにかざしてみせた。
するとムータから激しく青白い火花が散った。その火花は大きく広がって、青白い扉のような形になった。その扉がスオーラに迫り、スオーラと交差する。するとそこには――
見知らぬ長身の美女が悠然と立っていた。
流れるようにまっすぐで長い真っ赤な髪。その上にはつばの大きな先折れ帽子が乗っている。
丈の短い長袖のジャケットは、縫製パーツごとに色がバラバラの奇妙で悪趣味な代物。
そんなジャケットの下はスポーツブラのような物一つきり。少し動いただけで中が見えてしまうような黒くタイトなミニスカート。美しい脚線にピッタリとした革のサイハイブーツ。
格好といい背丈やスタイルといい、さっきまでそこにいたスオーラとは完全に別人である。だがスオーラ本人に間違いはない。
「……わたくしがエッセと戦う時は、必ずこの魔法使いの姿になります」
確かに色がバラバラのジャケットは、この世界における魔法使いの約束事「たくさんの色を使った服(オルトラ世界では豪華な印象の服)を着なければならない」にピッタリと合致している。
「アッコー僧様。あなた様の知る情報に、この姿で戦った物はありますか?」
スオーラの変身した姿に皆が唖然とする中、声も出せずに驚いている老人をやや見下ろす形で静かに語りかける。
「……な、ない。たぶん」
驚いて目玉が飛び出るという表現があるが、今の老人がまさにそうであった。
「それにわたくしは一人で戦っている訳ではありません。こちらのジェーニオ、ジュン様、そして大剣を使う剣士のカクタアキシ様もおります。そういった目撃情報はありますか?」
「……な、ない。たぶん」
驚いて固まった表情のまま脂汗をたらし、絞り出すような声でそう話す。
周囲からヒソヒソと「濡れ衣じゃねえか」「爺さん特有の変な思い込みかよ」といった声が聞こえて来る。
アッカー僧は周囲のそんな声を、さっきのように「文句があるのか!?」と言いたそうに厳しい視線を向け……ようとしていたが、さすがに分の悪さを痛感したようだ。だが、
「うるさいっ! そんな事はどうでもいいっ!」
さっき以上の一喝。だがもはやこれは逆ギレもいいところである。取り囲んでいる他の客が腰の引ける事もなく、
「はいよ。セチトカチ・シニ・リイキナモニ」
店の主人が場の空気をものともせずジェーニオに注文した料理を運んで来る。すり潰した豆をかけた麺料理だ。豆のソースが麺に絡むようよくかき混ぜて食べる。
その麺料理を見たジュンが隣の卓からジーッと見ている。その視線に気づいたジェーニオが皿を差し出しながら、
“食べたいのか?”
“食べたいのか?”
「でも。いっぱい。おなか」
嬉しそうに、しかし元気がなさそうにジュンが答える。ジェーニオはスッと皿を引っ込めて自分で食べ始めた。
そんなある意味で場の空気を全く読んでいない二人のやりとりに、アッカー僧は毒気を抜かれたかのように力なく椅子に腰を落とすと、声にならぬ声で何か呟いている。
今まで固く信じていたものが崩れていく。そんな心の崩壊を表わしたような無表情で。周囲も同情したいような自業自得と笑いたいような、複雑な様子である。
スオーラは魔法使いへの変身を解いて元の姿に戻ると、
「アッカー僧様。わたくしが詐欺を働いていない事は、信じて戴けますでしょうか?」
静かにそう訊ねるが、相当ショックだったのか返事はない。スオーラはそんな彼をそっとしておく事にする。
ふと視界の隅に見知った人影を見つけた。店の入口からスオーラに向かって手招きしているのだ。
その人物はさっきすれ違いに教会に入って行ったパッサパローラ僧だ。入って来ない様子を見ると、他の人間に聞かれてはマズイ事なのかもしれない。
そう思ったスオーラは、店の主人に「少し出てきます」と一言断りを入れてから店を出た。そして入口そばに控えていたパッサパローラ僧に向き直る。
当のパッサパローラ僧は固くなった表情のままスオーラを見つめると、
「先程猊下にもお話しをした事なのですが、やはりあなた様にも話しておいた方が良いだろうと仰られたので」
彼もスオーラも階級的には托鉢僧で同じ。しかも彼の方が年齢的にも上。それにも関わらずで固い表情のままなのは、最高責任者の娘が相手という緊張感からに他ならない。
しかしスオーラはその緊張感を誤解し、
「……もしや、わたくし達を騙るニセモノが現れた事ですか?」
と、さっき聞いたばかりの話をしてみる。すると案の定彼の表情がより一層固いものになる。
「は、はい。ですが、詐欺と聖職を騙った女は当局に逮捕・拘束されたのですが……」
言い淀んだその表情がさらに固いものとなる。その段階で話の続きの見当はついたが、スオーラは黙って彼の話を待った。
「……数時間前に脱獄されすぐさま各国に手配、目下追跡中という報が王子殿下の元に届きまして。自分はその報を猊下にお知らせ致しました」
この町にはパエーゼ国第一王子パエーゼ・インファンテ・プリンチペの居城がある。かつてはスオーラと婚約をかわした間柄でもある人物だ。
現在では侵略者と戦う事もあって婚約を解消してしまっているが、数々の便宜をはかってくれる人物でもある。今回の「報」もこの世界では数少ない「電話」によるものだろうから。
濁した言葉の続きはスオーラの思った通りだった。だが同時に「自分を騙る存在とはどんな人物なのだろう」という興味も沸いた。しかし「会ってみたいからここに連れて来てほしい」などと言う事もできまい。
悔しさを隠し切れない感情を押し殺したパッサパローラ僧の悲痛な顔が、ガス灯の下にも関わらず翳って見える。
自分自身が逃がしてしまった訳でもないのだろうが、まるで我が事のように感じられるその気持ちは大切なものだと思う。
だが同時に良くも悪くも「若さ」が透けて見えてしまうがゆえに人の上に立って導くような役には向いていなさそうだ。
そんな彼は、言いにくそうに、そして申し訳なさそうに、
「久方振りのご帰還ではありますが、外出はともかく遠出は控えてほしいという意見もありまして……」
どうせ「遠出は控えてほしい」と言ったのは、教団最高責任者である自分の父だろう。
そろそろ子離れしてほしいという思いはあるが、立場が立場だけに一般的な親子に比べて「接した」時間はあまりに短い。そういう意味ではまだまだ「親」でいたいのだろうが。
本当ならば明日は乗ってきたキャンピングカーを駆って遠出し、手に入れたばかりのナビゲート機の本格的なテストをしてみる予定だったのだが。
「あの、パッサパローラ僧様。この事を知っているのは……」
「は、はい。猊下とカヌテッツァ僧様にはお話し致しました。そして、ニセモノが捕まったメリディオーネ地方では既に知られている筈です」
メリディオーネ地方。このパエーゼ国南部にある地方である。そして、現在店にいるアッコー僧がそこで侍祭長を務めていると聞いたばかりだ。
それならニセモノの事をある程度知っているのは当たり前だ。しかも自分の宗教の人間がニセモノの戦士を名乗っていたのだから、憤慨するのは当然と言える。
「ああ、あと、その時に賢者様が滞在されていたそうで。賢者様ももしかしたらご存知かもしれません」
「賢者様という事は……モール・ヴィタル・トロンペ様ですか?」
スオーラがきちんと面識のある「賢者」は彼くらいである。
彼女はしばし考え込むと、上着のポケットからゴツイ腕時計のような物を取り出した。
かなり分厚い板に腕時計のような太いベルトがついているのだ。その厚い板には時計板ではなく数字が書かれた十二個のボタン。それから用途が良く判らないボタンもいくつか。
何とこれがスオーラの「携帯電話」なのである。
もちろんこの世界には電話はどうにか存在するが携帯電話などありはしない。これは昭士達の世界で手に入れたプリペイド携帯だ。
だがこの世界へ来ると彼女の二つ折のプリペイド携帯は、このように奇妙な腕時計のような姿に変貌してしまう。異なる世界へ行くと物質の姿形が大きく変貌してしまうケースが発生するからだ。
ところが。普段と違う部分が一ヶ所だけあった。用途の良く判らないボタンの一つが、チカチカと点滅を繰り返していたのだ。
賢者がその国にいたというのであれば、この電話で詳細を訊ねようと思ったのだ。実際賢者も携帯電話は持っているのだから。もちろんこの世界に存在しない代物。あまり大っぴらに使うのはどうかと云われてはいるが。
連絡する前にこの点滅を繰り返すボタンはなんだろうと、指でチョンと押してみた。
するとボタンの並ぶ部分がスルッと下へ動き、液晶画面が現れたではないか。画面にはこの国の文字で「メールが来ています」と表示されている。
スオーラの携帯電話の番号もメールアドレスも、何人かは知っている。もちろんあちらの世界の人間が大半だが。
そして彼女があちらの世界の文字が「理解できない」事も知っているので、メールはまず送って来ない。しかし今「メールが来ています」。
彼女が誰だろうといぶかしんだのは当然だ。ボタンを押してメールの本文を表示させた。

『モーナカ・ソレッラ・スオーラ様
魔法が使える事がバレ、皆の前で使う事になってしまいました。ところが召喚した機械を、何者かに奪われてしまいました。
警戒をして下さい。
モール・ヴィタル・トロンペ』


賢者からである。
そういえば以前ジェーニオの力でこの携帯電話の文字をスオーラでも理解できるよう変化させていた。それを彼に話していた。それなら文字媒体であるメールを送ってきても不思議はない。
だが伝えられたその内容は、微妙に要領を得ないが、大変な事態である事はすぐ理解できた。
理解はできたが、自分に何をしろと言うのだろう。その場にいれば追跡するなりできるのだが。いくら何でもそのくらい理解できない賢者ではないのだが。
賢者が使える魔法は、異なる世界から何かを呼び寄せる事。だが呼び寄せる物は選べない。その召喚した何か(機械らしいが)を奪われてしまうとは、よほど巧く隙を突かれたのか、はたまた警備がダメだったのか。
しかも普通の機械ならいざ知らず、別の世界の――もしかしたらこの世界より遥かに進んだ世界の物かもしれない。そんな機械が何者かに奪われた。
遥かに進んだ世界の機械(だと思う)をどう奪ったのかという疑問は残るが、そんな機械が悪用されでもしたら、たまったものではない。賢者が一番心配しているのはそこだろう。
特に、自分のニセモノを騙るようなタイプの人間には――自分のニセモノが機械を強奪して、何か悪さをしてしまったら。
一瞬そう考えてしまったスオーラ。そして一旦少しでも思いついてしまうと、それが一気に膨らんでいく。悪い方向に、悪い方向にと。
「…………ーラ様、大丈夫ですか!?」
パッサパローラ僧に両肩を掴まれて思い切り揺さぶられたところで、スオーラは我に返った。それほど考えに没頭していたようだ。彼女は彼に謝罪すると、数字の書かれたボタンを凄いスピードでカチカチ押し始める。
それは異なる世界にいる仲間――角田昭士に連絡を取るためなのだが、開いたままの液晶画面には無情にもこんな文字が。
「バッテリーが残り少なくなりました。充電をして下さい」
どのくらい長くなるのかも判らない話が、こんな状態でできる訳がない。
そんな思いを強く噛みしめたスオーラは悔しそうに天を仰いで、閉じた。
携帯電話を。

<つづく>


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