トガった彼女をブン回せっ! 第20話その2
『は〜や〜く、は〜や〜く』

今ではすっかり少数派で珍しささえ感じるガラケー。昭士は手慣れた動作で目的の番号を呼び出すと、無言で電話を耳に当てる。
一回呼び出し音がしたのを確認すると、親指がすぐさま通話切断ボタンを押す。何となく液晶画面を見ると「通話が切断されました」の文字。
しかしそれから十秒と経たぬうちに、激しい振動と共に画面が切り替わった。そこには着信を知らせるメッセージがある。
だがその名前は「賢者」。ただそれだけ。本名であろう筈もないが名前にしては妙である。
『……私だ』
「も、もも、も、申し訳ないです。お、おは、お話があります」
若干不機嫌そうな、警戒していそうな疲れた声。電話の向こうの雰囲気に遠慮してかドモり症ゆえの非積極性か、だいぶ腰が引け気味の昭士である。
電話の相手はモール・ヴィタル・トロンペ。オルトラ世界では「賢者」の二つ名で呼ばれている知識人である。
なぜオルトラ世界にいる人間と電話が通じるのか。その辺りは未だ謎のままである。
昭士の世界ではともかく、オルトラ世界における賢者とは知識を売り物にしている人間の事だそうで、特に彼は知らぬ物はないと云われる程の賢者だと、以前スオーラが言っていた。
そして昭士は先程の新聞記事――真っ昼間の町中でいきなり大型車両(トラック)が消えた事を話す。
魔法としか思えないその現象。オルトラ世界にそんな事ができる魔法があるか、そんな魔法を使う者がいるかどうか。それを「賢者」に問い質す。
『なるほど。実は、大変申し上げにくいのですが……』
苦しそうな、困ったような賢者の声。その声で昭士が思い出した事がある。
大っぴらにはしていないそうだが、賢者には異なる世界の物体をオルトラ世界に呼び込むという魔法を使う事ができる。ただし、呼び込む物を選ぶ事まではできない。
つまり。もしかして――
『私が原因、でしょうねぇ』
やっぱり。昭士はその場でガクッと肩を落とす。
だがこの世界の物がオルトラ世界へ行った場合、まず実体化できるとは限らない。そして実体化できたとしても形や性質が変化する可能性が高い。その逆もまたしかり。
「あ、あ、あの。ううう、運転手の人とかは……」
一番聞きたくはないが聞かねばならないと判断した昭士は、ドモり以上に震えた口調で訊ねる。
『こちらに来たのは鉄でできた腕のような物がついた機械が一つだけですが、誰も乗っていませんでしたね』
記事にあったユンボの事だろう。それは大して変わらずに実体化できたようだが、それを乗せていたトラックと運転手は実体化できなかったようだ。
だが彼等を助ける術は昭士にはない。おそらく賢者にもないだろう。電話の向こうで申し訳なさそうな無言の間が流れる。
『ですが、その機械が盗まれてしまったのですよ』
無言の間を破ったのは、あまりにも衝撃的すぎる、賢者の一言だった。
「はぁ!?」
昭士が驚くのも当たり前である。
以前行った賢者が住む家は山の中の小さな小屋。泥棒どころか客すら滅多に来そうにない感じなのだ。
一応マイクロバス程度なら通れる道はあるのだが、舗装が全くされていない山道。ユンボなら通れるかもしれない……いやそもそも。あちらの世界にそんな建設機械がある筈がないので運転できる人がいるとも思えない。イコールどうやって持ち出して行ったのだろうかという最大の疑問が出てくる。
その辺も「魔法を使われました」とか言われそうな世界ではあるが。
『実は、私がこの魔法を使える事がばれてしまったのです。メリディオーネと呼ばれる都市でなのですが』
いきなり語りだした賢者。しかもあちらの世界の地名を出されても判らない。魔法が使える事自体を明かしていない事だけは以前聞いていたが。
だが同時に少し離れたところから「そろそろ電車が来るぞー」という、剣道部部長・沢の声も聞こえる。
『それを証明するため大勢の方の前で実演をする事になってしまいまして。その際に使った魔法でその機械が我々の世界に来た訳なのです』
「ご、ごご、ごめんなさい。そそろそろきき、切らないとならないから。あああ、後で良いかな?」
昭士が申し訳なさそうに、慌てて賢者にそう告げる。
電車の中での通話はマナーに反する。特に今は合宿への参加という事で(制服は着ていないものの)校名が堂々と入った専用のカバンを持ち歩いている。そこから学校に通報でもされたら事である。
それに賢者の語りがノッてくるととても長くなる。話し方自体は判りやすいと思うのだが、電車に乗りながら聞く訳にもいかないだろう。
賢者の方も昭士なりの事情や都合があるものだと理解はしてくれたようで、
『詳細は後程お話致しますので、お時間を作って戴ければ』
昭士はそれに了承すると、通話を切った。そしてホームに置きっぱなしだったカバンを持って、大急ぎで電車に乗り込んだ。


時間は昨日の夜にさかのぼる。
久し振りにオルトラ世界へと帰還したスオーラ。それほど帰っていなかった訳でもないのだが、肌に触れる風すらもずいぶん懐かしさを感じる。それだけ昭士達の世界に馴染んだのだろうと、彼女は思っていた。
この世界のスオーラはあちらと違ってずいぶん小柄になっており、またスタイル的にもひんそ……もとい、中性的な少女という雰囲気になっている。
こちらでのスオーラの身分は、オルトラ世界の宗教の一つ・ジェズ教の托鉢僧だ。
ボタンのない学生服のように見える僧服。その上から白いマント。額には紺色の鉢巻きが。
だが彼女が信奉しているジェズ教の僧侶は「額には神を見るための第三の目がある」と考えられているため、聖職者は額を大きく開けておかねばならないという決まりがある。鉢巻きがずり落ちて塞いでいないかどうかを指でチェックする。
あちらの世界では住居を兼ねているキャンピングカーごと戻って来たスオーラ。もちろん運転しているのは彼女自身だ。
その運転席からの視界の邪魔にならない、しかし見やすい位置に小さめの液晶画面が置かれている。以前あった事件の最中にオルトラ世界で手に入れたナビゲーション機である。
この世界はもちろん、昭士達の世界ですらまだ発売されていない機種。その証拠はバッテリーなどの周辺機器と接続するための規格「NEWtrino(ニュートリノ)」。「つい先日」発売された新規格だ。
そんな規格を必要とする機械がなぜこの世界に――かの世界から百年は文明レベルの遅れた世界にあったのか。謎のままの機械である。
だが、謎を解かずとも事情が判らずとも、使う事はできる。……内蔵電池に電気が溜まれば、だが。
太陽電池によって発電可能なこの車で充電をしてはいるものの、完全にカラッポであったらしく丸一昼夜充電しているにも関わらずまだ溜まり切っていない。
そのため今日は久し振りの帰還と一週間の滞在を近くの町に報告に行くだけにとどめた。本格的にナビゲーション機のテストしてみるのは明日になりそうだと、スオーラは溜め息をついた。
そんな彼女のかたわらには、浅黒い肌の少女がちょこんと床に直接座っていた。
彼女の名前はジュンという。スオーラの故郷・パエーゼ国の隣にあるマチセーラホミー地方と呼ばれる一角の、深い森の中で未だ原始的な生活を営む、女性ばかりの村の出身だ。
真っ白ではあるがボサボサで手入れも一切していない伸び放題のザンバラ髪。上半身を覆う程度の丈しかない貫頭衣(かんとうい)。その下はふんどし一つのみなのだが、最近は木綿のシャツに膝丈のスボンを着る事を覚えたようだ。
そしてその額には白丸の中に黒い丸という模様が描かれている。成人と村の格闘技大会で優勝した証だそうである。
ジュンはその場でひょいと立ち上がると、まだ車が動いているにも関わらず、扉を開けて外に出ようとしている。
だがまだ出てはいけないと判ってくれたらしく、窓に顔を貼りつけるようにして、久し振りのオルトラ世界を眺めていた。
もうすっかり日も暮れてしまっているが、ガス灯はある。さすがに昭士の世界とは明るさも数も段違いだが、それでも夜の街を明るく照らしているのは間違いがない。そしてその明かりはとても幻想的で美しくすらある。
運転中のスオーラからはジュンの後ろ姿しか見えないが、いつも通りの純真で屈託のない明るい笑顔を浮かべているであろう事は容易に想像がついた。
「ごはん。ごっはん。ごーはーんー」
適当な節をつけて身体を小さく揺すりながらそう歌うジュンを見て、スオーラも小さく笑うのを止められなかった。
スオーラが昭士の世界でトップモデル並みのプロポーションを持った女性になるのと同様、ジュンも姿形が変化する。
ただし、ジュンの場合はその姿は幅の広い短剣。それも柄のない刀身と呼ばれる部分に変化する。
刃が入っていないので斬りつけても痛いだけで斬れる事はない。そのため日本で持っていても警察に捕まる事はない。
短剣の状態でもジュンの意識はあるのだが、おっとりとした花魁口調に様変わりしてしまう。スオーラの変化が外見のみなのに対し、ジュンは外見も内面(性格)も変化してしまうのだ。
短剣の姿であれば飲食は不要なのだが、それでも元は人間である。食べたいに決まっているだろう。
そう思ったスオーラは事前に馴染みの店に連絡をして、すぐに食事を出してもらえるよう頼んでいる。
「ジュン様。もうすぐ食べられますのでご安心を。ですが、程々にお願い致します」
スオーラはそう言うが、ジュンは大食漢という程ではない。しかし勢いの方は凄い。おそらく数人前程度なのだろうがその数倍は食べているように見えるのだ。
しかもその細く小柄な体型にも関わらず、ジュンは村で一番の戦士なのである。
その言葉に嘘がない事は、スオーラも何度かの実戦で目の当たりにしている。特に見た目からは信じられない怪力。その辺りは食欲と共に彼女の七不思議だろう。
スオーラはキャンピングカーを小さな教会の脇の定位置に停め、エンジンを切る。その頃には教会と周辺の住人達で人だかりができていた。
スオーラがこの車の持ち主である事はこの辺りでは知れ渡っている。この世界の文明レベルから考えるとオーパーツどころの騒ぎではない性能の車。目立たない筈がない。
最初にジュンが、続いてスオーラが車から下りてくる。彼女を取り囲む教会の人々と街の住人は、笑顔を浮かべて「おかえりなさい」と、まるで有名人でも来たかのような騒ぎである。
もっとも、スオーラは実際に有名人ではある。
スオーラの父は、彼女達が信奉しているジェズ教の最高責任者。名はモーナカ・キエーリコ・クレーロ。
彼には娘が三人おり、その末娘がスオーラなのである。上の二人の娘が嫁いだ今、彼女が教団の僧侶として活動している事を殊の外喜んでいる。だいぶ親バカではあるのだが。
そしてジュンの方には街の住人達は笑顔を浮かべてはいるが微妙におっかなびっくりの様子で囲んでいる。無理もない。ジュンはこの国では「森の蛮族」と貶まれる存在。年輩の人間には特に。
しかしスオーラと共にここに何度か来ているうちに、蛮族というよりも常識に乏しい子供と思われるようになり、色々と街の常識を教えているらしい。
もっとも大半の人間とは言葉が通じないしジュンの方もそういった方面の物覚えは悪いのだが、街の人々も子供に根気よく物を教えるようにした結果、少しはマシになっている。
一応聖職者らしく、帰還の報告とばかりに教会に入って行くスオーラ。一方ジュンの方は教会に興味がある訳でもないので、入口にちょこんと座って大人しく待っている。
その辺りも街の人々の「しつけ」の賜物であろう。もっとも「大人しくしてないとごはん抜きです」という代物なので、本当にしつけなのかどうかは正直微妙である。
そんなジュンのそばに立っているのは今のスオーラと同じ格好をした女性だ。四十歳にもなっていないが元々白髪のためかそれ以上の年に見える。
彼女の名はカヌテッツァ僧。教団の副長――スオーラの父の側近を勤める人物だ。昭士やジュンと会っても丁寧な態度を崩さない、非常に「できた」人間である。
そんな性格だからか同じ白髪だからか、ジュンはカヌテッツァ僧にとてもよく懐いている。まるで親子のように。
「じゅん。ダイブ街ニ慣レタヨウデスネ」
だいぶ固い発音の日本語≒オルトラ世界のマチセーラホミー地方の言葉でジュンに話しかける。ジュンにはパエーゼ国の言葉が全く判らないからだ。
カヌテッツァ僧は人種的に白人でジュンは黒人なのでそう見る者はいないだろうが、その様子は本当に親子のように微笑ましく見える。
「でも。面倒」
ジュンは感情を隠す事なく、どことなくつまらなそうにそう呟いた。
ここまで文化風習が違うと学んで行くのも大変の一言では済むまい。特にジュンの場合は「森の蛮族」という昔から続く強い偏見もある。
ふとジュンの視線が横――しかもずっと遠くに移った。不思議に思ったカヌテッツァ僧も同じ方向を見るが、何もない。
いや、違う。何かが来る。小さな光が見える。近づくにつれてそれが車である事が判った。
この場に昭士がいれば「自動車黎明期のクラシックカー」と言うだろうが、この世界では最新鋭。持っている人間はまだまだ少ない。
そんな車が石畳でゴトゴトと揺れながら走ってきて、教会の前でピタリと止まる。それすらももどかしいとばかりにドアが大きく開いた。
そこから出てきたのは、カヌテッツァ僧達と同じ、ボタンのない詰め襟制服のような僧服に白いマントを羽織った中年男性だった。
ただそのマントには青い縁取りがされており、肩には儀礼用の軍服にありそうな肩当てを思わせる飾りがつけられている。いかにも偉い人という雰囲気に満ちた物だ。
そんな「偉い人」はずいぶんといかつい表情だが、感情はよくは判らない。顔の下半分が髭だらけなのがその理由だろう。
カヌテッツァ僧はすぐさま礼をしようとする。中年男性は「必要ない」とばかりに手を小さく振ると、いかつい表情のまま、
「娘は戻って来ているか」
「ハ、ハイ。たった今……」
彼女の言葉を聞いた途端、彼は目を輝かせて教会の中に突入して行った。
そんな彼こそスオーラの実父にしてジェズ教教団最高責任者モーナカ・キエーリコ・クレーロなのである。
「んん〜〜スオーラ。元気だったか〜〜〜。パパだぞ〜〜?」
これ以上ないくらいデレデレとしているのが丸判りの甘ったるい声。そんな声が開け放したままの扉から外まで聞こえてくる。
一宗教のトップとは思えない豹変振り。カヌテッツァ僧は声に出さずにそう思った。
この世界の常識として、子供は十五歳前後になったら親から独立するのが普通と云われているので、スオーラの「独立」はともかくああまで子供ベッタリな親の態度は世間に叩かれても仕方ない。ましてや地位のある人間なら。
しかし例えるなら、元々仕事仕事で家族で過ごす時間がなかなか取れなかった上に、今は娘は別の世界にいる事が多くなった。その態度も無理はないかもしれない。
カヌテッツァ僧がそんな感慨にふけるような気持ちに包まれていると、ジュンが再びさっきと同じ方向に向いた。視線もずっと遠くを見ている。また誰かがやって来るのだろうか。
彼女も同じ方向を向くと、やっぱり何もいない。それとも自分に見えないだけで、ジュンには何かが見える、もしくは判るのだろうか。
ガス灯が道を照らしているとはいえ、カヌテッツァ僧にはそんなに遠くまで見通せる訳ではないのだ。
しかし音は違う。ジュンの視線の先から、石畳を駆ける馬のひづめの音が確かに聞こえて来たのだ。
車はこの世界最新鋭の機械だが、馬は違う。一般的な乗り物である。ガス灯の明かりの下をこちらに駆けて来る馬が――その馬に乗っている顔見知りの托鉢僧・パッサパローラ僧の切羽詰まった表情がよく見えた。
彼はカヌテッツァ僧の前で馬を止めると降りる間もなく、
「本日こちらに猊下がいらっしゃるとお聞きして、参上致しました」
猊下とは位の高い僧侶への敬称である。この場合スオーラの父モーナカ・キエーリコ・クレーロの事である。
「猊下は中におられます。火急の用なのですか?」
カヌテッツァ僧が血相変えているパッサパローラ僧を心配して落ち着くよううながす。彼はちょこんと座り込んだままのジュンをちらりと一瞥しただけで、
「猊下直々のご依頼があったのですが……」
話を続けようとした時、表の騒がしさからかその猊下が外に出て来てしまった。それも娘のスオーラと一緒に。
その途端、パッサパローラ僧の表情が、それ以上に口がこわばった。
「まずい状況である」。目がそう語っていた。しかし入口に背を向けているカヌテッツァ僧はこわばった事には気づいてもその理由までは判らない。
「どうしたのですか、パッサパローラ僧」
「何かあったのか、パッサパローラ僧」
彼女の声とキエーリコ僧の声が重なる。それで初めて彼女はパッサパローラ僧の態度を理解した。例えるならば社長がいきなり目の前に現れて緊張しない平社員がいる筈もない。
パッサパローラ僧はさっき以上に身を固くして、最高責任者である長と、その後ろで控えているスオーラをちらりと見る。
階級そのものは自分と同じではあるが、何しろ長の娘である。しかもその長がすぐそばにいるのである。色々な意味で緊張するなという方が無茶である。
しかも自分が運んできた「情報」は彼女に直接関係がある事であり、同時にできるなら彼女には知られたくない事でもあったからだ。
キエーリコ僧は長たる厳格な表情に戻ると、わざわざパッサパローラ僧の前までやって来て、
「詳しい話を聞こう。すぐに教会に来なさい。カヌテッツァ僧も」
名を呼ばれた二人はその場で了承すると、すぐ彼に付き従う。彼はスオーラの前を通り過ぎる時に足を止めると、厳格な表情のままスオーラの方を向かずに、
「済まないな、スオーラ。家族水入らずは次の機会だ」
「……はい」
もう慣れっこになっているし、期待していなかったとはいえ、やはり寂しい事は事実だ。いくら親元から離れるのが普通と云われる年頃であっても、その事実は曲げられない。
スオーラは父達が教会の中に入ったのを確認すると、ちょこんと座ったままのジュンに手を差し伸べて、
「ではジュン様。食事をしに参りましょうか」
「行く!」
ジュンの表情がぱあっと明るくなった。


スオーラとジュンは街の人々に囲まれるように一つの店に入った。何という事はない普通の食堂である。
教会から近い事もありスオーラ達もよく利用している、常連となっている店である。
スオーラは席につくより前に、店の主人に向かっていくつかの品を注文する。一方ジュンの方は一目散に店の隅の方の空席に駆けて、ちょこんと席につく。
「は〜や〜く、は〜や〜く」
これまた適当な節をつけて急かしているが、彼女の話す言葉が理解できる人間は少ない。理解はできなくとも食事が待ち遠しい様子は見ただけ判る。
その辺りは礼儀作法を知らぬ蛮族ではなく、本当に食事が楽しみで仕方のない子供と同じ。もっともジュンの実年齢を考えるとかなり子供っぽい事は確かだが。
「ほら。トラスナ・セナスイホツチだ」
カウンターから店の主人がスオーラに料理を乗せた皿を渡す。それを受け取ったスオーラは、ジュンの前に皿を置く。
ジュンの目はキラキラと輝き、よだれまで垂らしそうなくらい口を開けている。
トラスナ・セナスイホツチとは、パンの塊の中をくり抜き、そこに野菜炒めなどを詰めた料理である。たいがいはそのまま縦に切り、崩さぬよう小皿に盛りつけて食べる。
以前あちらの世界でスオーラが昭士に作った事がある料理だ。その時にジュンが「自分も食べられればよかったのに」と嘆いたのを思い出したがゆえ、自分達が店に来たらすぐ出してもらえるよう手配しておいたのだ。
スオーラはテーブル備え付けのカゴに入ったスプーン・ナイフ・フォークを取り出してジュンの前に並べてやる。
高級レストランと違い、それほど礼儀作法などにうるさくない大衆食堂ではあるが、さすがにこうした料理を手づかみで食べる事を許容してくれる程ではない。
ジュンはむぅとあからさまに面倒そうな表情にはなったが、渋々という感じでフォークを手に取る。そして野菜炒めの具を一つ無造作に突き刺し、口に運ぶ。
「……」
無言ではあるがその表情は露骨に嬉しさ全開。目はさっき以上に輝いている。まさしく言葉にしなくても判る、というものだ。
見ているこっちが嬉しく、また微笑ましくなる。ジュンを見ているスオーラも、店の皆もそう思っているだろう。
スオーラも自分に盛りつけた分を食べる。少し濃いめの故郷の味つけ。久しく食べていなかった味に一瞬脳が戸惑った。
しかしすぐに舌が故郷の味を思い出し、また同時に懐かしく、そして本当に帰って来たのだと、心底安堵するスオーラ。
あちらでも同じようにしていたつもりだが、やっぱり全く違う。どうすればこれをあちらの世界で再現できるのだろうか。そんな風につい難しい顔で考えてしまう。
「? マズイ?」
ジュンに下から顔を覗き込まれ、慌てて我に返って笑顔を見せるスオーラ。そして店の主人にも「美味しいですよ?」と焦ってフォローする。
「嬢ちゃん、どうですか、久し振りの故郷は」
店の主人が料理を作りながらそう訊ねてくる。彼はスオーラの事をいつも「嬢ちゃん」と呼ぶ。普段はだいぶぶっきらぼうな物言いなので、これでも丁寧な方なのである。
彼にとっては客の出自や身分などどうでもいいし関係ない。店に来て、料理をおいしく食べて、代金をきちんと払ってくれればそれでいいのだ。
「あちらの方が便利と思う事もありますが、やはりこちらの方が落ち着くというか、馴染みますね、自分に」
周りの人間はスオーラが托鉢僧となり、別の世界に行っている事を知っている。そして、彼女本来の使命も知っている。
それは、突如この世界に現れた「侵略者」。生き物を金属へと変え、捕食する者たち。それらと戦える数少ない人間だと判ったためだった。
その侵略者達との戦いの中で別の世界へ行き昭士やいぶきと出会い、またこの世界でジュンとも出会った。そして共に侵略者と戦うと誓った(もちろんいぶきは別だが)。文字通りかけがえのない「仲間達」なのである。
スオーラが周囲の人々と話しているうちにジュンが黙々と料理を平らげてしまったのを見ても、逆に大笑いして料理を追加注文する。実に和やかな風景である。
このところ侵略者が来る気配もない。久し振りに故郷に帰って来た事もあり、スオーラは本当に和んでいたし、和む事を咎めるのは酷であろう。
「見つけたぞ、詐欺師めがっ!!」
唐突に店の入口から轟いた、まさしく「一喝」と言わんばかりのしわがれた年寄りの声。和やかな雰囲気がピタリと止み、店の全員がその老人の方を向く。
徒歩での旅によく使われるフードつきの外套。そのフードを被っているので顔はよく判らない。フードを脱ぎながら店内に入ると、警戒心をむき出しに、そしてまき散らしながらスオーラの元にやって来る。
「赤く長い髪の女。ジェズ教キイトナ派の僧侶。間違いはないな」
近くに来て判ったが、その老人も僧侶のようだ。それもスオーラと同じジェズ教。ただ宗派が違うようなのは、胸に刺繍された「六角形の中に五芒星」という紋様の色で判る。
スオーラの物は白だが、その老人は青。これはジェズ教徒の中でも人々を支える事を精力的に行うマイトナト派という宗派の人間を表わしている。ちなみにスオーラは人々を守る事を精力的に行うキイトナ派の宗派の僧兵であり托鉢僧である。
何事だと店の客達がスオーラとその老人を遠巻きにしている。例外は運ばれて来た料理に嬉々としてかぶりついているジュンくらいのものだ。
「おい、じいさん。詐欺師ってのは穏やかじゃねえな?」
店にいた誰かが声をかける。しかし老人はそれには答えず、
「この世界に現れた侵略者の事は、さすがに噂になっていよう。その侵略者と戦う戦士の事も、さすがに噂になっていよう」
しわがれてはいるがハッキリとした口調でそう言うと、彼は指差した。
「その戦士を騙った不届き者を『詐欺師』と呼ばずに何と呼ぶっ!」
目の前のスオーラを。

<つづく>


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