トガった彼女をブン回せっ! 第20話その1
『どこが簡単だ』

夏休み。それは学生にとって待ちに待っていた一時である。
朝早く起きる必要もない。夜遅く起きていても問題はない。そんな一時が四十日ほどもあるのである。待ちに待たない筈がないのである。
……その代わり、それらのメリットを打ち消してあまりある「宿題」という物がある。もちろん総てを投げ出してほったらかす輩もいるが、そうでない人間ももちろんいる。
角田昭士(かくたあきし)もその一人である。彼は「学校の」「職員室で」宿題をやっている真っ最中だ。
彼の通う市立留十戈(るとか)学園高校は、複数校の合併によって誕生した新設校だ。スポーツに力を入れている事を除けば、特に代わり映えのない一般的な学校である。学力という意味でも。
確かにスポーツに力を入れている=スポーツ特待生を多く入れているのは確かであり、学力という意味では校内平均より一段階も二段階も落ちる生徒はいる。
昭士はスポーツ特待生でもないし、優秀な学力を持っているとも言えない生徒だ。特に理数系は苦手であり、赤点ではないというだけの低い成績である。それゆえ「独力では」課題や宿題を片付ける事ができない……とまでは言わないがとても難しいのだ。
だがそれならわざわざ学校に来ないで自宅などで友人知人の助けを借りれば良いと思う者もいるだろう。しかし彼の場合は一般的な学生とはかなり理由や事情が異なる。
その理由はただ一つ。彼の双子の妹・いぶきが原因だ。
いぶきは兄・昭士と違って成績は非常に優秀。授業などロクに聞いていないにも関わらずペーパーテストでは九十点以下だった事が一度もない。例外は家庭科の調理実習だけだ。
しかしそれ以外の部分に大いに問題があり、とにかく他人を見下して、また顧みる事がない。誰かを助ける、力になるという行動を見るのもやるのも極度に嫌っている。
そういった理由で協調性も全くないから、これまでに友人がいたためしもない。
目の前に車にはねられて瀕死の人間がいても「ふーん」と無関心で立ち去れる性格だし、大金を積んで助けてほしいと頼まれても即断わるくらいに徹底しているのでは、友人ができよう筈もないが。
いぶきは性質的に真逆の兄・昭士を特に毛嫌いしており、双子と思われたくない・一緒にされたくないと常々言っている。そのため彼が困る事なら嬉々として積極的に行動する。
そんな理由で自宅に宿題を保管していようものなら、彼女は部屋をひっくり返して探してまで総て捨てる。自由研究や工作なども始業式直前にブチ壊す。ついでに昭士自身もブチのめす。
そんな人間がよく十五年も五体満足で生きて来られたと思うが、いぶきには周囲の状況を超スローモーションで認識可能な「超能力」が備わっている。
攻撃しようものならその能力でかわされて逆にカウンターを喰らうし、遠くから物を投げつけてもわざわざ当たる寸前まで気づかない振りをして、相手が一瞬喜んだのを見計らってからしっかり避けてみせるという念の入れようだ。
そんな事情がしっかり学校にも伝わっているため、彼はかなり優遇されている。そのため彼は宿題を二学期の始業式ではなく、できたそばから学校に提出して良い事になっている。
悪い成績を大めに見てくれるという意味ではないのが悲しいところだが。
今日は、ちょうど部活の顧問として学校に来ていた数学教師(彼のクラスの担当ではないが)に問題の解き方を一つ一つ聞きながら、数学の宿題に取りかかっている最中だった。
その様子を観察していた数学教師は、
「……なるほどな。お前は判ってないというより手際が悪くて遅いんだな。数学ってヤツはどんな風に計算しても出てきた答えが正解なら一応正解って事にはなる。だが公式を使えばもっと早く無駄なく解けるんだぞ。公式ってヤツはダテにある訳じゃないんだし、コレばっかりは数をこなして覚えるより他ない」
数学教師の有難い講釈も、昭士は「その『覚える』が何よりも大変なのである」と無言のツッコミを入れている。
「それにだな。数学は学校で教わる教科の中で一番簡単なんだぞ? 解き方は公式一つで済むし、答えは必ず出てくるし、おまけに一つしかない」
数学教師の有難い講釈も、昭士は「どこが簡単だ」と無言のツッコミを入れている。
理数系が苦手な人間共通の考えである。こればっかりは理数系が得意な人間にいくら説明しても判ってはもらえまい。
加えてこの暑さである。どこの学校にもおかしな校則や暗黙の了解というものがあるものだが、この留十戈学園高校においては「外気温三十度を越えない限り冷房を使ってはいけない」という妙なルールがある。
そして今の外気温は二十九度。ギリギリで冷房が使えない状態だ。もちろん窓は開け放しているが風が全く入って来ないのでより暑く感じる。
昭士はかたわらに置いてあるペットボトルのスポーツドリンクを一口飲む。もちろんすっかり常温になってしまっているので、美味しくも何ともない。
昨今の熱中症対策で何かを飲むのを咎められる事はないが、それでも暑いものは暑い。ただでさえ働かない頭の回転もより鈍くなろうというものだ。
そんな訳で。数学の課題である問題集をたった十ページ分を解くだけで日中の大部分を使い果たしてしまっていた。


留十戈学園高校内には学食がある。私立でなく市立の学校で学食を備えているのは(昭士の住む県では)珍しい。おまけに部外者も利用できるとなるとこの学校しかない。
夏休みゆえ営業時間は短縮されメニューも少なくなってはいるが、それでも昭士がヘロヘロの状態でやって来た時にはまだ開いていた。
「おー、今日もお疲れさんだねぇ。いつものBLTサンドとオレンジジュースでいいかい?」
毎日のように利用しているので学食の職員のおばさんとはすっかり顔馴染みである。馴染みの理由はそれだけではないが。
「いいい、い、いや。きき、きょ、今日はひや、ひや、冷やしそば」
別に緊張している訳ではない。単に昭士がドモり症なだけである。そのため微妙に聞き取りづらい昭士の注文を辛抱強く聞いていたおばさんはそば玉を一つ、それからコッソリもう一玉を追加して茹で始める。
そして手を休める事なく横を向くと大声で、
「スオーラちゃん、カレシが来たから、もう上がって良いよ!」
[彼氏ではありませんっ!]
すぐさま非難する声が響く。だがその雰囲気に険はない。
昭士の前にやって来たのは、見るからに外国人の女性だった。赤く長い髪の上から三角巾を被り、日本の割烹着を着込んだ姿が不思議と様になっている。
そんな彼女の名前はモーナカ・ソレッラ・スオーラ。若干堅いが丁寧な言い回しの日本語とその容姿も手伝い、この学食の文字通り看板娘として扱われている。
ちなみに仕事は調理補助である。彼女自身料理は何の問題もなくこなせるし技量も高いのだが、さすがに母国とはやり方や味付けがかなり異なるので、一任するのが難しいのだ。不味い訳でないのだが。
スオーラはわざわざ昭士に向かって深く頭を下げると、
[アキシ様、今日も宿題をやる為にいらしたのですか?]
「う、う、う、うん。とと、解き方、わ、判らないからさ」
そんな二人のやりとりの最中、昭士の後ろに集まって来たのは、学食にいたこの学校の男子生徒達だ。
「な〜にやってんだ、オイ」
「独り占めはよくねーな、彼女でもねーのに」
ほとんどやっかみ全開の視線を一心に背中に浴びている昭士。妹いぶきが「有名」な為かその兄たる昭士も、この学校で知らぬ者はいない。特にスオーラがこの学食にやって来てからは。
スオーラ自身他人をえこひいきするような性分ではないが、それでも昭士が一番親しい人間である事に代わりはない。普段から「様」付けで呼ばれている事からもそれは判る。
しかし彼女はたいがいの人間には「様」を付けて呼んでいるので、言いがかりも良いところなのである。
だが昭士はドモり症も手伝ってあまり口が達者ではないのでうまく言い返せないところが、言いがかりに拍車をかけてしまっている。
「ヤキモチ全開なんて余計にみっともないよ。男なら自分をアピールして彼女を振り向かせるくらいの事をしてみなって」
昭士の後ろの男達を見回して、おばさんがケラケラ笑う。その間にも手を休めないのがこの道一筋のベテランを思わせる。
「はいよ、冷やしそばお待ち」
昭士の目の前に冷やしそばを入れた丼が「二つ」ドンと置かれる。昭士がカウンターの隅まで行って会計を済ませると、三角巾と割烹着を脱いだスオーラが待っていた。
その格好はその辺で売っていそうなTシャツにジーンズ。微妙に安っぽい感じがする。
彼女くらいの容姿になれば何を着てもサマにはなるが、それに加えてモデルもかくやという長身とプロポーションを持っている。これで昭士と同じ十五才なのだから、外国人の体型恐るべし。
昭士をやっかむ男子生徒達はもちろん、一部の女子生徒達からも注目と羨望の眼差しが注がれていた。
嫌な気分ではあるが毎度の事なので、昭士はそれに構わずそばを遠慮なくすする。彼の隣に座るスオーラも特に嫌な顔はしていない。
もちろんこの「すすって物を食べる」という方法は自分の国にない風習であり、同時に嫌な感じがした事は確か。それはきちんと昭士に伝えている。
しかし自国の文化や風習と違う事を素直に受け入れ、無闇にそして一方的に否定しないのがスオーラの性分だ。実際彼女も昭士と同じように器用に箸を使ってそばをすすって食べている。
スオーラがここに来てからまだ半年も経っていないにも関わらず、言葉を含めたこの適応力。その辺もスオーラが注目される理由の一つだろう。
[アキシ様。ようやく発売になったので、買って来るつもりなのですが……どの店で買っても価格は同じものなのでしょうか]
そばをすする手を休め、スオーラが昭士に訊ねる。主語が抜けているのは昭士も事情を良く知っていて、説明が要らないからに他ならない。
「ど、ど、ど、どうだろうな。びび微妙には違うと、おも、思うけど」
昭士はこの話の主語――以前聞いた「接続規格」の話を思い出した。
実はとある事情から携帯型のナビゲーションマシンとその外付けバッテリーを手に入れたはいいのだが、それらを繋ぐ接続コードがなかったのだ。しかもこれまで見た事もない接続端子。
その接続端子はつい先日発売が開始された「NEWtrino(ニュートリノ)」という全く新しい統合規格である事が判り、その発売を今か今かと待っていたのである。
もちろん新発売の商品だ。電化製品を取り扱う店であれば間違いなく扱っている。駅前まで出れば個人経営の電器店から大型チェーン店までたくさんの店が軒を連ねている。
だが、同じ品物なら少しでも安い値段の店で買いたいと思うのは人情というものである。それはどこの国の人間でもそう考えるに違いない。
最近は店独自のポイントカードもあるから、多少高くてもポイント欲しさにその店で買うというケースも増えているが。
スオーラはそうしたポイントカードは持っていない筈だから、安い店で買うつもりなのだろう。
だが実際のところ、発売して時間が経った商品ならいざ知らず、そうでないのならどの店舗で買っても値段はそう変わらない。たとえ差が出たとしても微々たるものだ。むしろそこを一円単位でこだわると「ケチ」という不名誉な呼ばれ方をされてしまう。
ともかく。なぜ新発売の接続規格を必要とする機器を「事前に持っていた」のか。ちょっと頭の回る人間ならすぐ気がつく事も、こっそり聞き耳を立てている面々は気づいた様子もなかったが。
[……確か、アキシ様は明後日から「ガッシュク」というものに行かれるのでしたね]
合宿。昭士が所属している剣道部の夏期合宿が、明後日から一週間行われる。一年生である昭士は詳しい事は知らないが、合併前の学校の伝統行事を受け継いだらしい。
「だ、だだから明日は、がっがっ、合宿に要る物を、かか買う予定」
[わたくしも明日から一週間休暇が下りていますので、帰郷するつもりです]
「わわ、判った。気をつけて」
[アキシ様も、良い旅路を]
二人揃って丼を置き、両手を合わせて「ごちそうさま」と呟く。それから二人揃って丼を返却口に置くと、目配せ一つせずに別々の出入口から急ぎ足で学食を出て行った。
『……色気のねぇ会話』
聞き耳を立てていた面々の、共通した感想である。


翌日。合宿に必要な物――といっても大した物はないのだが――を買いに、駅前に出た昭士。
するとそこで同じ剣道部の面々と出会った。その中にいた剣道部主将の沢(さわ)がまっすぐ昭士の元に歩いてくると、
「おう、角田兄。あのバカ妹、やっと警察に捕まったんだってな」
確かに妹いぶきは先日警察に捕まっている。それもいつもの事である。
とにかく他人を見下し、顧みない性分。他人がどうなろうと知った事ではないと言い切れる人間である。当然敵も多い。
その敵も近所の学生からいわゆるチンピラやヤクザ、暴力団といった面々にまで多岐に渡る。
そういった人間達も、生まれ持っている(らしい)超能力をフルに発揮して急所のみ攻撃。それも手加減なく容赦もなく。そのためケガ人が出るのは当たり前で一生ものの障害が遺った者までいる始末だ。
しかしこれまでは中学生という事と、あからさまとはいえ相手から手を出させるよう仕向けていた結果のため厳しい処分だけは下さないでいたのだ。
だが相変らず事件を起こし続ける事。反省する意志が全くない事。それらを加味して特別に条例が作られた。
今後いぶきが起こした事件は、いぶき自身が責任を持って対処する事。弁償や賠償は実親や親類ではなく彼女自身に払わせる事。そんな条例だ。
もちろんそんな条例が出た程度で態度を改めるような、殊勝な性格は持ち合わせている訳がない。条例施行早々に事件を起こして現在服役中なのである。
それも「署内での一週間の雑務手伝いと三週間独房に入るのとどちらが良いか」と聞いて間髪入れず後者を選んだ程である。他人を手伝う、助けになる行動を極端に毛嫌いしているのも、ここまでくれば立派なものである。
それを聞いた彼等は「夏休みの宿題が片づけられていいんじゃね?」と笑っていたが、世の中そんなに甘くない。
そもそも未成年を独房に入れるというのは極めて稀なのである。
独房に入れるという事は囚人を閉じ込めるという訳ではない。脱獄されないよう、それ以上に自殺されないよう常に監視下に置かれるのだ。男女の例外はない。
また五平方メートルという狭い部屋の中を自分の好きに歩き回わる事は当然だが横になったりする事も許されない。トイレに行くにも許可が要り、シャワーや風呂などは当然ついていない。
携帯電話やゲームなどの私物の持ち込みももちろん不可である。夏休みの宿題もしかり。
私語の一つも許されぬ完全管理・監視生活。そんな生活を続けて精神を病んでしまう者が多く、独房を出ると同時に精神科の病院へ直行して二度と出られないというケースも多々報告されている。
昭士達と顔見知りの警察官達がそういった事を逐一説明して何とか独房入りを止めさせようとはしたのだが、それでもいぶきの「誰かの手伝いなどやりたくない」という意志は固かった。
以前警察署署長達の前で堂々と「そんな事をするくらいならヤクザに脅されてジジイ相手に援交する方が何億万倍もマシ」と言い切っただけの事はある。
そのため誰も同情などしていない。実の兄の昭士すらも。
昭士を含めたこの場のメンバーは、最低一度はいぶきにケガをさせられている。自分達は今平和だ安全だ邪魔する者はいないのだと、心の底から安堵しているのだ。これで楽しい合宿がより楽しめるというものだ。
そんな考えに誰も異を唱える事がないくらい、いぶきは皆に嫌われている。
「そういえば角田兄。スオーラさんはどうしたんだ?」
部員の誰かがそう訊ねる。
いぶきとは逆にすっかり校内の有名人となっているスオーラが気になる生徒は非常に多い。
たいがい昭士と行動している事が多い為やっかまれる事も多いが、彼等の態度はそれだけではない(もちろんやっかみはあるが)。
「なな、な、夏休みで、かか帰ってます。もも、も『元の世界』に」
昭士は相変らずのドモり口調だったが、辺りに気を使った小声になる。それを聞いた沢も「元の世界」という単語に疑問符を浮かべる事なく残念そうな顔になる。
「し、し、しばらく帰ってなかったですから」
実際はそうでもないのだが、一番無難な「納得させられる理由」を口にする昭士。すると沢も、
「まぁ、それなら仕方ないか。できれば合宿に来てもらいたかったんだがなぁ。やる気もテンションも上がったろうに」
そんな沢の言葉にすっかり同意して、うんうんうなづく他の部員達。
そう。スオーラの帰郷というのは日本以外の他の国という意味ではない。彼女の故郷はこの地球には存在しないのだ。
いわゆる「異世界」と呼ばれる世界。スオーラが「オルトラ」と呼んでいる異世界なのである。
文明レベルはこの世界から百年は昔。故郷の国の文化がイタリアに割と似ているところが多い為、この世界ではイタリア出身という事にしてある。
もちろんそんな本当の事情を大っぴらに話せる訳がない。それを知っているのは彼女と初めて会った場面に居合わせた、昭士を含めた剣道部の部員達、それから数人の教師や警察官くらいだ。
もちろんスオーラが「異世界の人間」である事など大っぴらにできる筈もなく、この事情を知る者達は影に日向にスオーラの正体がバレないよう力を貸す事を約束している。
「そうか。だから車がなかったんだな」
部員の誰かがそう発言する。
スオーラがこの世界で住居としているのは、マイクロバスほどの大きさのキャンピングカー。学校内の駐車場に許可を得て停めてある。その車ごとオルトラ世界に帰ったようである。
昨日別れてからナビゲーション機とバッテリーを繋ぐ専用コードを買ったようだし、帰郷がてら試してみるつもりなのかもしれない。その機械はオルトラ世界で手に入れた物なのだから。
しかもオルトラ世界の三百年前の人物が使っていた物。どういった経緯で手に入れた物かを知る事はできなかったが。
もちろんこのメンバーはその辺の事情を知っている。というより昭士から無理矢理聞き出している。
その規格が「これまでにない物」と真っ先に見抜いたのはこの中のメンバーだ。ちなみに名前は戎 幾男(えびす いくお)。二年生である。
余談だがオルトラ世界でいぶきが壊したバッテリーのケースを直してくれたのも彼である。その戎が坊主頭を掻きながら、
「ああ、そうだ。NEWtrinoの接続コード発売してるけど、もう買ったのか?」
二年生である為か、一年生である昭士に対しだいぶ偉そうな態度である。昭士が昨日買いに行ったようだと伝えると、
「『ようだ』ってなんだよ。一緒に行かなかったのか?」
戎の呆れたような、微妙に怒っているような態度。沢を始めとする他のメンバーも「なんだよソレ」とガックリ肩を落としたり呆れたりしている。
「そういう時こそ一緒に行ってやれよ。いくら何でも無責任すぎるだろ」
「確かにイチャつかれても腹立つだけだけどさぁ」
「お前を一番頼ってる事情は知ってるし、そこまでやっかまねーよ、俺達は」
がしがし。ごつごつ。加減された拳や肘を容赦なく昭士に浴びせる面々。加減されていなければただのイジメであるが。
その「制裁」を一番最初に止めたのは戎だった。彼は感心したように自分の真横――信号待ちで止まっている大型トラックを見ていた。
彼に気づいた他のメンバーも「何を見ているんだろう」と「制裁」を止めて同じ方向を見る。
大型トラックの荷台に乗せられた、見た事もない建設機械。一応ショベルカーである事は判るのだが、妙に真新しい感じがする。
「へぇ。あれ新型ですよ。確かAIとセンサー搭載とか何とか……」
詳しそうな戎の解説が続いている。だがショベルカーにそんな物を搭載しても、何のメリットがあるのだろう。詳しくないその他のメンバーの気持ちが一つになった事は確かだ。
そんなショベルカーを乗せたトラックが、信号が青になった事でゆっくりと発進する。そして五十メートル程先の大きな交差点を曲がり、消えて行く後ろ姿を何となく見送っている一同。
だが。そのトラックが「本当に消えて行った」事に気づいたのは、翌日の事であった。


市立留十戈学園高校剣道部合宿初日。早朝に学校最寄駅に大きな荷物を抱えて集合する剣道部員達。
合宿に間違いはないのだが、その実ちょっとした旅行と大差ない。変に高いテンションで騒いでいる。周囲の出勤中の会社員達がじろりと白い目で見ているのも全く気にしない。
それともこれから始まる合宿の猛練習を忘れる為に空騒ぎしているのか。
駅の売店でお菓子やら飲み物やら新聞やらを買って来た戎が、その新聞を見ている時にうっと呻くような声を上げたのだ。
「どうしたんだ、戎?」
戎の珍しい変なリアクションに、同学年の部員が集まってくる。それを見計らったかのように彼は新聞を広げ直し持ち直すと、
「『昨日午後一時三十分頃、留十戈駅前の交差点付近で新型ユンボを運搬中のトラックが突如消失したと警察に通報があった』」
割合に良い声で新聞記事を朗読する戎。それで昨日あの場にいた面々は彼が見ていたショベルカーの事に思い至る。
「あれって確かショベルカーだよな? 何だよ『ユンボ』って」
「マンボとかサンボなら判るけどな」
マンボは踊りの一種。サンボは格闘技の一種。もちろんそのどちらもこの状況には関係ない。そのため誰一人そのボケ(?)に突っ込む事なく、戎は解説を入れる。
「ユンボってのはフランス製の油圧ショベルの製品名だったんだけど、もうほとんど一般名詞化してるな。国とか時代とかメーカーによっては、他にも『パワーショベル』『ショベルカー』『バックホー』『油圧ショベル』なんて呼ばれてる機械がそうだよ」
親切な解説であるが、それを聞いている一同には言われた物が思い浮かばない。もしくは区別が全くついていない。
「そんなモンを盗んでどうすんだかな? ずいぶん前みたいに、銀行のATMでも襲うのかね?」
誰かが言った通り、以前はそういった事件が多発した。そのため現場に機材を置きっぱなしにしてはいけないと厳命されて多少は事件が減ったそうだが。
「でで、で、でも、ぬ盗まれたならどうして『消失』って?」
話を聞いていた昭士が慌ててそう述べる。だがいくら新聞記事でも警察が総てを正直に発表するとは限らない。それは事件の隠蔽ではなく、犯人との駆け引きのためである。最初から手札の総てをさらして勝負をするギャンブラーがいないのと同じである。
だがおそらく人目のある昼間の駅前交差点付近で「消失」という現代社会にはとても起こり得ない事態のため、あえて違う表現をとったのだと思われるが。
だがそこまで頭の回らない戎は首をすくめて「さあ」と言いたそうにすると、
「盗んだところで素人が乗り回せる訳でもないし、友人知人に自慢できるアイテムでもない。オークションに出すなんてのも論外だしな」
メリットが全く見当たらない。そう言いたいらしいが、微妙に伝わり切れてない。彼を取り囲む何人かは「何が言いたいんだ」とツッコミを入れている。
「じゃあ、ホントに消えちまったとか? まるで魔法だな」
そんな意見が出てくるのも無理はない。この剣道部の面々はその「魔法」という現象を目の当たりにした事があるのだから。
途端に皆で円陣を組むように固まると、
「まさかとは思うが……」
「オイオイ、スオーラさんの仕業な訳ないだろ」
「けどさぁ。そっちの世界からどうのこうのってパターンかもしれねーじゃん? なぁ、角田兄」
辺りをはばかったコソコソとした声でいきなり話を振られた昭士は、ドモり以上に言葉に詰まる。
この昭士達の世界とスオーラの故郷オルトラ世界は、まったくの無関係ではないらしい。だがここまで大がかりな物体消失に関係があるかどうかなど、昭士に判る訳がない。
(仕方ない。判りそうな人に聞いてみるか)
昭士はこっそりと人だかりから離れながら――まだ電車の出発時間に余裕がある事をしっかり確認してから取り出した。
携帯電話を。

<つづく>


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