トガった彼女をブン回せっ! 第2話その2
『そうらしい。めんどくさいけどな』

スオーラは棍の先端を鋭く立て続けにいぶきめがけて突き立てていく。その動きは明らかに厳しい訓練によって培われたもの。
さすがに達人の域には程遠いが、それでも自己防衛程度なら実戦でも十分に通用する動きを見せている。
対するいぶきの方は素手という事もあり完全に防戦一方だ。
剣道をやっている者は、剣(に代わるもの)がなければ何もできない、という訳ではないものの、素手による戦闘は完全にいぶきの専門外である。
だがそのかわし方が嫌らしい。わざわざ棍の先端をギリギリまで引きつけてから、ほんのわずかだけ後ろに逸らせるという、まさに紙一重で避けつづけているのだ。
紙一重でなければ避けられないのではない。あえて「わざわざ」紙一重で避けているようにしか見えないのだ。
ただ基本に忠実に。相手の目を中心とした全身をしっかりと観察し、相手の胴体――特にかわしにくい腹部に攻撃を加えてはいるものの、そのことごとくを「わずかに後ろに逸らす」という形でかわされている。
もちろん腹部だけでなく、胸や顔面への攻撃を織り交ぜ、タイミングを微妙にずらし、単調な攻撃にならないようフェイントを織り交ぜて。
しかしそれでも一発も当てられない。
この場は広い道場などではなく、学生食堂。しかも二人は長い机に挟まれた、極めて狭い限定的な空間で戦っている。
確かに棍の先端で突くというのは、棒術の基本中の基本である。振り回したり打ち据えたりという使い方ももちろんあるが、一対一の上狭い場所ではあまり効果が高いとは言えない。
いぶきもスオーラも、長机が邪魔をして右や左に動く事ができない。飛び上がる、伏せる、前後にしか動けないし、棍も動かせない。それ故に攻撃のパターンがどうしても限定されてしまう。
そんな限定された動きを読むのは、武術をかじった者ならば比較的容易だろうが、いぶきの避け具合は、その「読み」だけではない気がする。
なぜなら、フェイントにはただの一度も反応せず、相手に届く攻撃の時だけしっかり反応して紙一重で避けてみせるのだから。そう考えても不思議はない。
スオーラは棍を次々に繰り出しながらそんな事を考えていたが、攻撃は相変わらず一発も当たっていない。
左右にあるテーブルが心理的に邪魔をして来るので、いつも以上に思うように棍を扱う事ができていないのだ。スオーラ自身気がついていないが。
「いい加減飽きてきたンだけど、そろそろ気が済ンでくれない? わざわざ寸前でかわし続けてあげてンだから、いい加減実力の差ってのを思い知ってほしいンだけど?」
心底つまらなそうな表情で問いかけるいぶき。彼女はほんのわずかな動きしかしていないためか、全く息を乱していない。一方のスオーラの方は少し息が乱れてきた。
これだけ一方的に攻撃を加えているにも関わらず、ただの一回も攻撃が当たっていないのだ。そういうプレッシャーもあるのだ。
「それとも、ホントに打ちのめさないと判らない程バカな訳? 別の世界の人ってのは?」
いぶきはそう言うと、突き出された棍を無造作に掴んで動きを止めた。しかもわざとスオーラから視線をずらしてから。
その露骨に「いつでもこうできたんだよ」という態度に、スオーラはもちろん周囲で見ている面々も驚いている。
直後、いぶきは棍を掴んだまま手首をひねるように間合いを詰める。スオーラの両腕が勝手に動かされ交差させられ動きを封じられてしまう。
そしていぶきはスオーラを思い切り蹴り飛ばして、あっさりと棍を奪い取ってしまった。
「じゃ、そろそろ実力の無さを思い知ってもらいましょうか、ねっ!」
いぶきは得意そうに口を釣り上げて笑うと、まだ体勢を立て直していないスオーラめがけ、剣道の突きの要領で棍を繰り出した。
しかも命中させたのはスオーラの喉である。
剣道の突きは危険な技として、中学生以下の試合では使用を禁じられている。高校生以上の大人の試合でも、当たりどころが悪ければ死ぬ事もある程、その威力は大きい。
防具の上から当ててもそんな危険な技を、防具のない喉に正確に命中させたのである。しかも狙った上で。
ここまで来ると、容赦の無さを通り越して非道・外道と言った方がいいかもしれない。周囲の人間は止めに入る事すら忘れて立ち尽くしていた。
喉を突かれたスオーラはその場で目を見開いてうずくまり、激しく咳をしながら、何とか息をしようともがいている。
しかし一旦息が、それも急激に強く止められてしまうと身体がパニックを起こしてしまい、普段何気なくやっている行動すら一切取れなくなってしまうのだ。
「素手の相手にあれだけ攻撃しておいて、今更卑怯とか言わないわよね?」
舌舐めずりしながら、更に眉間に一撃。もちろん突きだ。
「もう止めろ、いぶき!」
鳥居が力一杯いぶきに怒鳴りつける。しかも腰の拳銃を構えて。
それを見て泡喰ったのは周りの生徒だけではない。同僚の警官達もだ。
「お、おい鳥居。いくら何でも民間人相手に……」
「ですが、あれはもう勝負じゃない。ただのなぶり殺しだ。あいつの前科いくらあると思ってんだ」
いぶきはその性格から、特にガラの悪い人間とトラブルを起こす事が多い。
その結果ケンカに発展する訳だが、その際相手の急所だけをことごとく狙い撃ちにしているのだ。どんなに体格差・筋肉の量の差があっても、これではひとたまりもない。しかも手加減遠慮は一切なし。
そんな風に相手を徹底的に叩きのめすから、必ず救急車が出動する事態になる。中には障害が残った者もいる始末だ。
いぶきは「ただの正当防衛。そもそもケンカに負ける方が悪い」と斬って捨て、罪悪感など感じた事はない。
しかしいぶきは大した処分も受けていない。そうなるよう挑発したとはいえ、先に手を出して来たのは明らかに相手側だからだ。だから過剰であろうとも「防衛」という言い分を無理矢理力づくで通してしまう。
しかし、拳銃を向けられている事が判っているのかいないのか、いぶきはスオーラを「なぶる」手を止めていない。
「いいわよ、撃っても。どうせ当たりっこないから」
仰向けに倒れたスオーラのみぞおちに、力一杯かかとを叩き込みながらいぶきが答える。
「よおし、じゃあやってやろうか」
そう答えたのは鳥居ではなかった。
今まで黙って見ていた剣道部員達である。手にはそれぞれ竹刀や木刀が握られており、いぶきを睨みつけている。
彼女はようやくスオーラを蹴り飛ばすのを止め、鼻で笑いながら、
「まだ十日くらいしか経ってないのに、あたし一人にボッコボコにされたの忘れた訳? あンた達じゃ一万人いたって一発も当てられやしないっての」
確かにいぶきの言う通り、複数で同時に襲いかかっても彼女には一太刀も浴びせる事はできなかった。その悔しさを忘れている者などただの一人もいない。
「それとも、ナンか作戦でもあるっての? そンなザコの考えなンてやるだけ無駄だってのに。ホントにあンた達ってバカ揃いなのね?」
部員の中の一人、部長の沢がずいと前に出ながら、
「バカで結構。お前みたいなヤツを利口だって言うんなら、バカの方がよっぽど嬉しいよ」
手にした竹刀で自分の肩をトントンと叩きながら沢は続けた。
「今までお前を人間扱いしたのが間違いだったな。お前はただの化物だ。それも極めて凶暴な、な」
化物。沢は確かにそう呼んだ。女ではなく「化物」と。
つまり。先程遭遇した原寸大の恐竜の骨格標本と同じ「化物」とみなした訳である。
そんな風に“人間扱いしていない”視線が、一斉にいぶきに注がれる。残った生徒も、剣道部員達も、顔見知りの鳥居を含めた警察官まで。
自分を見つめる奇異の目。拒絶と恐怖を帯びたその視線。そんな異質な視線を浴びるいぶきだが、スオーラをいたぶる手を止めただけである。うろたえる様子などこれっぽっちも見せていない。
「で。やるんならさっさとしてくれないかな。こっちもヒマじゃないんだけどぶっ!」
いぶきの言葉の終わりと同時に、彼女の身体がガクンと倒れた。それもものすごいスピードで。
腰から上が九十度の角度で折れ曲がり、前にあったテーブルに顔面から叩きつけられたのだ。
いきなりの展開に一同が驚く中、その視線の先にいたのは――昭士である。先程いぶきに気絶させられた筈の彼だった。
昭士は後ろからいぶきの後頭部を鷲掴みにすると、
「バカのザコはどっちだ、クズ野郎が」
気を失う前のどこかビクビクしたようなドモり口調とは正反対の、少々無気力気味だが朗々とした声である。
「全力全開手加減抜きと力任せの暴れっぷりの区別がついてないんだよ、お前。そういう区別ができないお前みたいなヤツを、クズ野郎ってんだよ、覚えときな」
頭を鷲掴みにしたまま、何度も何度もテーブルに淡々と叩きつけ続ける昭士。その様子は明らかにいつもと違っている。
いぶきのいたぶりから開放されたスオーラは、その様子に驚き、
《あれは変身したアキシ様!? でもそれならイブキ様が剣になっていないとおかしい筈……?》
そう。今皆が見ている昭士は、カードの力で変身した、軽戦士としての昭士なのである。ただ彼の場合、服装は変わるものの外見の変化は全くない。ドモり症でおっかなびっくりな応対が、言葉を選ばぬ暴言スレスレの言葉遣いになるのだ。
だが今は服装すら変わっていない。古式ゆかしい黒い学生服のままだ。本来変身すれば、つなぎのような服に簡素な鎧を付けた姿に変わる筈なのだが。
「ちょっと、バカアキ、乙女の、顔に、何、してくれ、やがンのよ」
顔面を叩きつけられる度にいぶきの言葉が途切れる。しかも鼻を強打しているので声の調子もおかしい。
「こうでもしないとお前は判らんだろ。いや、こうしても判らん、だな」
まるで飽きたように顔面を叩きつけるのを止めた昭士は、いぶきの頭を鷲掴みにしたまま、片手でグンと高く持ち上げる。といっても二人は同じくらいの身長なのでそれ程高くは持ち上がらなかった。
だがそれでも、両足が床から離れた事による不安感を沸き上がらせるには充分すぎる。
そこでようやく叩きつけられ続けたいぶきの顔があらわになった訳だが。その顔に皆顔を青ざめ、思い切りドン引きしていた。
それはそうだろう。見た目だけなら申し分ない気の強いタイプの美少女が、鼻がひん曲がった上に鼻血を噴き出しているのだから。額も赤く変色しており、顔全体が腫れ上がりそうなくらいである。
しかし、その場の誰もがいぶきに同情できなかった。可哀想とすら思えなかった。
この場のほぼ全員はいぶきに叩きのめされているのだ。無慈悲に。容赦なく。徹底的に。中には病院送りになった者もいるのだ。むしろ「その程度」と冷たい視線を向けている。
あの日。心底つまらなそうに、しかし力一杯剣道部員達を叩きのめしている光景が、彼らの脳裏にありありと蘇った。
そんな恐怖の光景をたった一人で作り出した角田いぶきが、何の抵抗もできずに叩きのめされている。しかも彼女が一番バカにしている人物、実の兄の角田昭士によって。
頭を掴まれ顔面を何度も打たれたとはいえ、手足の方は無傷である。その手足をメチャクチャに振り回して自分の後ろにいる昭士を攻撃しようとしているいぶき。
しかし完全に宙に浮いているそんな体勢では力のある効果的な攻撃ができる訳もなく。その攻撃は昭士に片手で防がれている。特に真っ先に振り上げた足で狙われた金的は。
「バカアキの分際で、このあたしにこんな事して許されると思ってンの!? 問答無用でブッ殺ぎゃああああアアアあぁぁぁぁああぁぁアッ!!!」
セリフの途中で言葉が途切れ、また彼女の痛々しい悲鳴が上がる。
「おいおい。肩の関節を強引に外した程度で悲鳴か? 二年と二ヶ月前、お前も俺に同じ事したよな? 悲鳴上げたら『こんな程度で悲鳴上げるなんて情けない』って鼻で笑ったよな? 俺もお前みたいに鼻で笑ってやろうか? ん?」
そう言うと、頭を鷲掴みにしたいぶきをポンと真上に放り投げる昭士。彼女の身体が五十センチばかり宙に浮き上がった。そこに、
「おりゃあっ!」
落下のタイミングにピタリと合わせ、昭士の腕が振り回された。プロレス技のウェスタン・ラリアットである。それがいぶきの首にピタリと決まる。
蛙が潰れるような声を上げていぶきの身体が回転すると、彼女は背中から床に叩きつけられた。それこそ受け身を取るヒマもなかっただろう。
昭士はそんな風に倒れた妹のそばにしゃがみ込むと、
「確か三年と九ヶ月前。階段を駆け降りてきた俺に、全く同じ事してくれたよな、お前? 階段から転げ落ちた上に喉潰されて、俺、入院したよな? 後から聞いたけど、首の骨に小さくヒビが入ってたんだってよ。もうちょっと力が強かったら、首の骨折って俺死んでたんだってよ」
恨みを込めるでもなく、声を荒げるでもなく、本当に淡々と、淡々と過去のいぶきの「悪行」を再現し、それを語っていく昭士。
その光景に、その異様な迫力に、また誰も止めに入れなくなってしまった。
本当なら力の限り止めなくてはならない光景だ。さっきと全く同じ「なぶり殺し」の現場なのだから。
事情を知らない教職員達ですら、その光景に顔を背ける者が現れた。恨みしかない剣道部員達ですら、いぶきへの同情と哀れみの心が生まれ出した。銃を使おうとしていた警官達も、ようやく唖然とする事を止める者が出始めた。
「お、おいアキ。仕返ししたい気持ちは判るけどよ……」
鳥居が帽子を目深にかぶって表情を隠したまま、昭士に語りかけた。
「けど、それでいぶきを殺しちまったらダメだろ」
「大丈夫。こいつと違って、ちゃんと加減はしてますから」
ようやく昭士はいぶきに手を出すのを止め、その場から数歩離れた。
床に倒れているいぶきは、まさに満身創痍という有様だった。全身痣だらけで血が滲んでいる。何度も床に叩きつけられたので制服も埃まみれだ。綺麗に結わえていたポニーテールも外れてしまっている。
さすがのいぶきも立ち上がる気力も悪態をつく気力も尽きているようである。ただ薄ぼんやりとした目で小さく荒い呼吸をしているのみだ。
《ア、アキシ様……》
周囲のギャラリーはもちろん、本来こうした「暴力」を真っ先に諌めねばならない筈の僧職のスオーラですら、昭士の迫力と圧力に気圧されて、何もできないでいた。
この十五年間、昭士がどれだけいぶきの「玩具」にされていたのか。それを目の前で見せつけられてしまったのだ。
だからと言って昭士の仕返しが許されるとは思っていない。だが、何もしないままいぶきの全てを許す事はあり得なかろう。そのくらいの見当はついた。
「加減しないと人が死ぬって、言われたんでな」
昭士はそう言うと、制服のポケットに入れていたあのカードを取り出した。
「さっき気絶してる間に、こいつが全部教えてくれたよ」
《それが、ですか!?》
スオーラも驚いて自分のジャケットのポケットから同じカードを取り出す。
カードがそういう事を教えてくれるという情報は、持ってきたスオーラですら知らない事だった。
「確かあんた、このカードで変身できるヤツってのは『特異な力』を持ってるって言ってたな。俺が持ってるのは『力を押えつける力』なんだとよ」
彼にとっての「普通」は常人の「バカ力」なのだ。これではさすがに加減しなければ日常生活を送るのは困難となる事は間違いがない。
そこで、その『力を押えつける力』によって、その力を封じ込めているらしい。普段の気の弱さやドモり症にもそれが表れているという。
一方のいぶきにも『特異な力』は存在する。彼女にあるのは『周囲を認識する力』である。
自分が見えている、いないに関わらず、自分の周囲にあるもの全てを「極めて緩やかな速度で認識する」事ができる力だという。
武術の達人が行う「目にも止まらぬ連続攻撃」も、この能力を使って見れば、のんびりめくられるパラパラマンガにしか見えない。
だからいぶきは相手の攻撃をサラリとかわし、狙い済ました急所攻撃ができるのだ。その威力はこれまで昭士達が身をもって体験している。
そして「変身」すると、互いの『特異な力』が入れ替わるようなのだ。昭士の本来の身体能力が完全に発揮される上に周囲の認識能力が加わり、いぶきは認識能力を失った上に肉体的な能力全てが極端に落ちる事になる(剣に変身するのだから、無くなっても大して問題はないのだが)。
だから昭士の「報復」を何一つ避ける事ができなかったのだ。
先程のいぶきの死角からの金的攻撃も、まるで直視したかのように理解できたし、その動きはこちらから見ればじれったくなる程遅いスピードにしか感じられなかったのがその証左だ。
《では、これが本来のアキシ様の実力、という事になるのですね》
「そうらしい。めんどくさいけどな」
それはそうだろう。自分に向かってくる攻撃の全てが極端なスローモーションにしか感じ取れないのでは、だんだんじれったくもなってくる。
どんな物にも利点・欠点はあるものだ。その言葉をまさに痛感しているところだった。
そこでスオーラが首をかしげた。
《しかし、アキシ様が変身をすれば、軽戦士の服装になって、イブキ様は大剣になる筈です。なのに今はどうして?》
「緊急措置、だそうだ」
先程のいぶきの回し蹴りと頭を蹴り飛ばされたおかげで、首の骨にあった古傷が広がってしまったようなのだ。
人間に限らず、脊椎動物は首の骨に何かあっては生きていく事ができない。そのためカードが強制的に「変身」させ、人並外れた身体能力で負傷を補っているのだという。
だがその変身は中途半端な代物。長い時間持つ訳ではない。
それを聞いたスオーラは目を見開いて驚くと、
《それを早く言って下さい! 今すぐ治療をします!》
スオーラは自らの胸に手を押し当てる。しかし何も起きない。慌ててもう一度やってみるが、やはり何も起きない。
昭士が軽戦士であるように、今のスオーラは魔法使いに「変身」した姿である。彼女の魔法は胸の中に収めた分厚い本のページを破り取る事で発動するのだ。
だが、その本を取り出す事ができない。スオーラは自分の胸をよく見て、取り出せない原因をすぐに理解した。
それは、胸に巻かれたサラシのせいである。
スオーラは別の世界の人間だがサラシはこの世界の物。どこにでもある布に見えて、スオーラの世界にはない「物質」でできているのだろう。それが干渉して魔法が使えないでいるのだ。
慌てて巻かれたサラシを外していくスオーラ。どんどんあらわになる彼女の立派な巨乳に、忘れられていた周囲のギャラリーが色めきたつが、彼女がそれを気にしている様子はこれっぽっちもない。
やがてあらわになった胸に、彼女の手が押し当てられる。今度はうまくいったようで、彼女の手が身体の中にめり込んでいく。そして再び手を出した時、そこには分厚いハードカバーの本が握られていた。
それから急いでそのページをめくっていく。やがて目的のページを見つけると勢いよく破り取り、それを高々と掲げた。
するとそのページから鋭く、そして温かい光が溢れ出す。見ているだけで心も身体も癒される。そんな光だ。
昭士が首の奥に感じていた微細な違和感がすうっと消えていく。さすがにこの状態では判らないが、古傷の首の骨が治っていっているのだろう。
ふと下を見ると、倒れていたいぶきの方も昭士同様ケガが治っていく。血が滲んで痣だらけだった全身から、痣がかき消え滲んだ血も見えなくなっていく。さすがに埃まみれになった制服はそのままだったが。
その時。カードから青白い火花が激しく散り、それが昭士の身体を包み込む。一瞬ビクッとなって驚く昭士だが、カードが自分の姿を元に戻したのだと理解した。
昭士といぶきのケガの治り具合を確認して、スオーラは持っていたページをふわりと手放した。そのページはすうっと空気の中に溶けていくように消えていく。
「と、とと、ところで。そのぺぺぺ、ぺーじは、どうなったたた、の?」
昭士はスオーラ(特に胸)から視線を逸らし、訊ねてみた。それでもチラチラと視線が行ってしまうのは、いぶきのせいで興味が乏しいとはいえ、彼も思春期真っただ中の男子高校生ゆえ、であろう。
スオーラの魔法は、先程のように本のページを破り取ると発動し、終わると消える。つまり基本「使い捨て」な訳である。先程から様々な種類の魔法を次々に使っているのを間近で見ている。
しかし本という事は、そのページ数には必ず限りがある。それが尽きてしまわないのだろうか、と。
《大丈夫です。一晩ゆっくり休めば、ページは元に戻りますので、お気づかいなく》
何となく、想像できたオチである。その辺は昭士もホッとしている。
昭士はスオーラの脇に丸めて置かれたサラシを指差すと、
「は、早く、それ。それ」
ただでさえドモり症の上に緊張してしまっているので、いつも以上に上手く喋れない。ギャラリーの中の女子剣道部員達が急いで駆け寄ってくると、
「角田兄、早くこの人にサラシ巻くように言ってよ」
少しムッとした顔でそう言って、彼に少し離れるよう告げる。またある者はサラシを手に取って、身ぶり手ぶりでこれを巻くように説明している。大半はギャラリー、もとい男子生徒や教員から彼女を隠す壁の役目だ。
もっとも、変身しているスオーラの身長は女子生徒達より少々高い。だからあまり隠せていなかったりする。
《あの。またこれを巻くんですか、アキシ様?》
「う、うう、うん。お願い。早く、まま巻いて。隠して!」
自分では気づいていないが、昭士の顔が真っ赤になっている。本音を言えばこの場から急いで逃げ出したいくらいに。
しばしされるがままにサラシを巻かれていたスオーラが、少し考えてからこう訊ねた。
《あの。アキシ様。ひょっとして、こちらの世界では胸を出す事は禁忌なのですか?》
「あ、ああ。す、す少なくとも、女の子は。こういうところでむ、む胸を、出すのは、だ、だ、ダメだよ」
それを聞いたスオーラは、ようやく納得できたようにうんうんとうなづきながら、
《そうなのですか。わたくしの世界にはない習慣ですね》
「な、なな、ないの!?」
《はい。人前でわざわざ出す事はありませんが、見られたからどうのこうのという事は全くありません。知らなかったとはいえ、大変失礼を致しました》
本当に申し訳なさそうに謝罪するスオーラ。さっきから胸が丸見えなのを全く気にしていなかったのは、いわゆる「文化の違い」が原因だったようだ。
胸を見られる事を恥ずかしいと思う「文化」がスオーラにないのだから、恥ずかしがる訳がないのだ。
昭士の胸中がそんな風に恥ずかしい気持ちで心底一杯だったからだろう。たった今自分の身に起こった事に、
気づけなかったのは。

<つづく>


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