トガった彼女をブン回せっ! 第19話その1
『懲りないわね、あのコ』

市立留十戈(るとか)学園高校三年生の岡 忍(おか しのぶ)は、自信を持っていた私服に、思い切りバカにされた嘲笑を受け、だいぶムッとしていた。
笑われているのが仲が良いとはいえ一年下の後輩達だったから、というのも、ムッとしている要因かもしれない。
そんな彼女の今の格好はというと、アロハシャツにデニムのショートパンツである。別に笑われる程おかしなコーディネイトではない。
とはいえ、そのアロハシャツではどんなコーディネイトもブチ壊しになる事請け合い。そんな印象しかない。
どこで見つけて来たのかは判らないが、そのアロハシャツの柄は大漁旗。漁から帰って来た漁船の上に翻る、ド派手な模様そのものだったから。
元々「忍」という名前とは正反対な、堂々とした事が好きな目立ちたがり屋な性分。しかしそれを差し引いたとしても、この柄だけはない。後輩達が笑っているのはそこなのだが。
「うるっさいなぁ。派手で良いだろ、派手で。こんな地味なヤツよりよっぽど」
忍は澄まし顔で立つ後輩の一人、鹿骨ゆたか(ししぼね ゆたか)を指差す。
どことなく古風な雰囲気を漂わせているゆたかの格好はロング・ワンピース。特に柄もないスカイブルー一色。
だがこの三人の中では一番スタイルが良いので、その静かな佇まいも合わさって大人びて見られる。
「今日は暑いので機能を優先しました。これでも汗の吸収・発散性能が高い服なんです」
最近の夏服は、地味そうに見えてそうした機能が高いものもある。やはり男女問わず汗でベタベタの服など、いつまでも着ていたいものではあるまい。
「それはそうと……」
ゆたかは自分と同じ学年の支手撫子(しので なでしこ)を横目で見ると、
「なぜわざわざ制服で来たんですか?」
「えー、めんどくさいじゃん、服選ぶの」
つまらなそうにその一言で一刀両断にした支手撫子は、プリーツスカート、ブラウス、薄手のベスト、襟元にリボンタイという典型的な夏の女子制服。
ではあるのだが。留十戈学園高校「本来の」制服は、古典的な白いセーラー服である。今撫子が着ているのは俗に「なんちゃって制服」と呼ばれるたぐいの代物だ。
そのなんちゃって制服プラススパッツというのが彼女の格好。しかもスパッツなのを良い事に(?)椅子の上に器用にあぐらをかいて座っている。撫子という名が泣くような格好である。
「アレコレ考えるのめんどくさいんだよ。着られりゃイイじゃんか」
キッパリと言い切るその言動も、男だったら違和感がないのだが、れっきとした女子高生である。
そんな三人がこうして顔を合わせているのは、もちろん理由がある。もう一人の待ち人がまだ来ないからである。
待ち人といっても、具体的な時間は決めていないから厳密にはそうは言わないのかもしれない。
実際ゆたかの提案でこのファミレスに入って待つ事にしたものの、だいぶ時間が経った事は確かだ。
冷房が利いた店内にも関わらず、三人の前に置かれている三つのグラスと一つのティーカップの中身が殆どなく、かつ水滴が全くついていないところから見ても、それを察する事ができる。
さすがにドリンクバーだけで粘り続けるのも、そろそろ限界という頃合である。
「電話してみようか?」
撫子がスマートフォンを取り出し、登録してある連絡先を指先でちょいちょい操作して呼び出している。
彼女らをそこまで待たせている待ち人の名はモーナカ・ソレッラ・スオーラ。名前からして日本人ではない。というよりも「地球人ではない」と言った方がより正確である。
スオーラの故郷はこの世界にはない。いわゆる別の世界の人間というヤツである。
人類と相容れない侵略者と戦うためにこの世界にやって来た彼女。今はこの世界の人間と協力してその侵略者に人知れず立ち向かっている。
だがいつも戦いに身を置いている訳ではない。そうでない時はこの日本か異世界にある故郷で日常を送っている。
異世界はともかく日本で生活を送っている時は、彼女の正体がバレないよう、事情を知っている人間達があれこれフォローする取り決めになっている。
この場の三人も、事情を知っている人間だ。だからスオーラの日常にあれこれと口を出したり協力したりしている。


今回の待ち合わせは、スオーラ用の夏服を調達するためだ。
もちろん裸でやって来た訳ではないから、スオーラも服は持っている。しかし世界が違うためなのか、その「感覚」が日本人とは全く違うのだ。
初めて会った時のスオーラの格好は以下の通りである。
すらりと引き締まった足にピッタリとした、革のサイハイブーツ。
少し動いただけで下着が丸見えになる長さの、黒いマイクロミニのタイトスカート。
白いスポーツブラのような物の上に、ジャケットを一枚はおっただけ。
そしてその上から白いマントをつけていた。
だが、そのジャケットに問題があったのである。
パッと見は襟が大きめのブレザー。長袖だが丈が腰よりずっと上にある。左胸のポケットには六角形の中に五芒星というマークが刺繍されている。そこまでは目をつぶろう。
問題なのはそのジャケットの縫製パーツごとに色が異なるという事だ。統一感のない様々な色で作られたそのジャケットは、日本人から見れば「趣味が悪い」の一言に尽きる。
だがこれがスオーラの故郷の異世界では事情が全く異なる。
かの異世界には「魔法」と呼ばれる物が存在し、その魔法を使う者は「たくさんの色を使った衣裳」を身につけねばならないという決まりがあるそうなのだ。
加えて言うならば、たくさんの色を使った方が「豪華な印象」を与える上に、「魔法という“稀少な力”を持っている人物」として、むしろ誇らしく尊敬される証だと言うのである。
無論スオーラとて融通の利かない人間ではないし、いくら自分の世界では誇らしい装束であろうが、世界が変われば単なる悪趣味である事も承知している。
そのため出会った直後にもこうして「この世界らしい」服を買わせてはみたのだが、彼女が選んだのはコットン生地のシャツやデニムのジーンズといった、地味というかそっけない物ばかりだったのだ。
しかも選び方が「それ以外の物には目もくれない」という雰囲気だったので、忍達がゴネたのだ。
「それだけの容姿やスタイルなんだから、もっといろいろ着てみろ」
「いろんなオシャレを楽しむのも女の特権である」と。
だがスオーラは真面目な表情で、まるで皆に言い聞かせるように反論した。
元々彼女の故郷の国では「いくら大事に着ていても、布はすぐダメになってしまう」という考えが根強く、服飾に金をかけるという発想に乏しいらしい。
それに加えてスオーラは代々聖職者の家系に生まれ、その教育で育ってきた。それゆえに尊ばれるのは質素倹約。そのため華美な服にはさして興味を引かれないし、着る気も起きないという。
もちろん彼女の世界にも儀礼用やパーティー用といった「高価な衣服」は存在するが、服そのもの以上に付いたボタンに高い価値を置くのだという。
ダメになった服からボタンだけを取り外して新しい服につける。人によってはTPOに合わせてボタンを付け替える。そのくらいボタンの価値が高いのだ。
特に貴族階級ともなると、貴重な材料や高価な宝石で作られたボタンを自慢しあったり、収集するのが趣味の人間が多いという。
そんな風にキッチリと一つ一つに反論されてはさすがに言い返す気は起きずに、スオーラの好きにさせたという。
同時に「意外と頑固なんだ」と、スオーラの知られざる一面を目の当たりにした瞬間だった。
以前のそんな様子を思い出しながらスオーラに電話をかける撫子。あいにく聞こえて来たのは「電源が入っていないか、電波の届かない地域に……」というお決まりのアナウンスだった。
それならメールで伝言でも……と思ったが、ある事を思い出す。
それは、スオーラがこの世界の文字が全く理解できないという事である。
よくある物語では、別の世界へ行った登場人物は何か“特殊能力”を発揮するものだ。実際スオーラは瞬発力や跳躍力といった方向に、文字通り「超人的」な力を発揮する事は知っている。
だがその弊害なのか、スオーラはこの世界の文字を文字として認識できない。当然読み書きなど論外である。
そんな状態の人間に文字媒体であるメールを送るなど無意味。撫子は通話を切って溜め息をついた。
その様子から「電話に出なかったのか」と察した残る二人。
スオーラは現代日本人からすればかなり律儀な性格である。バカ正直と言っても良いくらいに。
そんな彼女が電話に出ないとは考えにくいし、そもそも遅れそうな時に連絡をしてこないというのも不自然。
「……もしかして、ナントカいうヤツが出たのかねぇ」
忍が珍しく静かにそう言った。もちろんナントカとはスオーラが戦う侵略者の事である。一応「エッセ」と呼ばれる存在である事は聞いている。撫子もゆたかも「おそらくそうだろう」と同意する。
剣道の心得のある彼女達ではあるが、さすがにスオーラが戦っている侵略者との戦いで役に立てるかと言えば……そんな事は全くない。
自分達にできるのは足手まといにならないようにする事。それは初めて侵略者を目の当たりにした時から身に染みている。
特に撫子は一度その侵略者の「攻撃」を受けており、表面にこそ出さないようにしてはいるが未だトラウマめいた癒え切らぬ傷を抱えている。事実顔色が少しばかり悪い。
「買い物はまたの機会だな」
忍が勢い良く席を立つ。そして机にある伝票を手に取ると、
「えーと。ゆたかは四百二十円。撫子は八百六十円な」
そう言って広げた手をズイッと差し出す。その行動に撫子は、
「えっ。おごってくれるんじゃないの!?」
「この前立て替えた分だ。早く払え」
「先輩なんだから、おごりで良いじゃん……」
露骨に嫌そうな顔でブツブツ言いながらボディバッグから財布を出す撫子。
一方のゆたかはお金と一緒に何かのカードを忍に差し出す。それは様々な店舗で提携されている共通ポイントカードだった。
「このカードにポイント溜めて下さい。これ、ここ使えるんで」
「……だからあんなに『この店が良い』って言ってたのか」
しっかりしてる。忍は無表情のゆたかを見てそう思った。


時間は少しさかのぼる。
モーナカ・ソレッラ・スオーラは三人が迎えに来た時に少し困った顔を見せていた。
それは何故かと言うと、この町の警察署へ行って打ち合わせをする予定が既に入っていたからだ。
その打ち合わせが終わり次第連絡し、彼女達と合流するという事で、一旦別れたのだ。
この世界で侵略者と戦うのはスオーラ一人ではできない。さすがに最近はだいぶ覚えてきたとはいえ、彼女には基本的にこの世界の常識も土地勘も全くなかったからだ。
だがそれでも、彼女とともに戦う、また協力してくれる人間が増えてきた。
まずスオーラの相棒と言って差し支えない、この世界の住人・角田(かくた)兄妹。
そしてスオーラの故郷――オルトラ世界で出会った精霊・ジェーニオ。
さらにオルトラ世界の生まれながら、この世界では短剣の刀身の姿となる、ジュンという少女。
彼等にこの町の警察署の何名かを加えた面々が、いわば侵略者と戦う「戦士」である。
しかし。角田兄妹は侵略者と戦う弊害で遅刻や欠席が多くなり、現在補習を受けているので、この場にはいない。
打ち合わせといっても大した事はしない。監視カメラの増量と、警察官の巡回ルートのチェック、そういった事をしていると、スオーラに認識させる事だ。
元々彼女の住む世界からこの世界にもやって来てしまった侵略者ゆえか、人一倍以上責任を感じてしまっているのか、どうしても自分一人で片づけようとしてしまう傾向が強いのだ。
他の者を巻き込むのを良しとしない考えは立派だが、それと仲間に頼らないで戦うのは違うと常々言われている。
どれだけ優秀であろうとも、一人だけでできる事にはどうしても限界があるのだから。
その侵略者は“エッセ”と呼ばれている。
全身が金属光沢を放つ、何らかの生物を模した姿。オリジナルと同じ大きさか、それより巨大になるケースが多い。
通常の手段では傷つける事はできない。例外としてオリジナルの生物と同じ弱点は持ったままのようなので、通常の手段でもそこを攻める事は可能のようだ。
最大の特徴は、生物を特別な金属へと変えてしまうガスを吐く事。そのガスによって金属に変えられた者だけを、エッセは捕食する。例外はあるようだが、少なくとも普通の生物や無生物は全く食べない。
そして。その金属と化した生物を元に戻す方法は、現在のところたった一つしかない。
それは角田兄妹の兄・昭士(あきし)だけが振るう事ができる常識外れの大剣・戦乙女の剣(いくさおとめのけん)でとどめを刺す事。
それで救われた人間は数多い。事実、撫子を始めとする剣道部員の何名かも、この力で元の姿に戻る事ができている。
だがそれは極めて困難と苦悩を伴う作業なのである。
何故かと言えば、戦乙女の剣とは昭士の妹・いぶきがその姿を変えた大剣だからである。
いぶきは「他人の為に」とか「誰かを助ける」という行動をとにかく極端に、また執拗に嫌う、極めて非協力的な態度を貫いている。そんな事をするくらいなら死んだ方がマシだと言い切り、自殺をはかった事すらある。
仮に自分をかばって目の前で人が金属に変えられたのを目撃しても「あ、そう」で済ませて関心も払わない。そういう人間である。
そのため、いくらこれしか方法がないと言っても、どれだけ報賞を積もうと、いぶきが戦いはおろか手伝いを了承した事はただの一度もない。
だが兄の昭士の方は妹とは違う。学校を優先させてほしいとは言っているが、エッセ討伐はやらねばならない事と認識している。戦うとなれば技を多用する「軽戦士(けいせんし)」へと姿を変え、経験が少ないなりに知恵を絞って戦おうとする。
幸いなのは戦士へと「変身」するアイテムや主導権を昭士だけが持っている点だ。
昭士が軽戦士に変身をすれば、いぶきはどこにいてもすぐさま大剣の姿に変わる。昭士がキーワードで呼べば、戦乙女の剣は空を飛んででも昭士の元にやって来る。昭士が変身を解かない限り、いぶきは元の姿に戻れない。
だからいぶきを無理矢理「使う」形でエッセと戦い、これまで勝利してこられたのだ。
これからもその勝利が得られるよう、同時に角田兄妹の学生としての生活の阻害を最低限にする。そのための打ち合わせである。
とはいえ、侵略者と戦う術を持たない以上できる事は限られる。だが市民を守るという警察官の職務上この状況で「何もしない」という選択肢だけはない。それはスオーラにも言ってあるし、彼女も理解を示している。
そんな人間達のやりとりに一切口を挟まずに「宙に浮いていた」中近東の民族衣裳のような服の女性が、ふと窓の外を見て口を開いた。
《何か来たかもしれないわね》
その女性こそオルトラ世界の精霊・ジェーニオである。
青白い素肌の上から丈の短い真っ赤なチョッキと、足首でキュッと細くなっている膨らんだ白いズボン。チョッキのボタンを開けたままなので胸が見えそうで見えないという、この場の男性達の視線を困らせている格好ではある。
そんなジェーニオは彼等の視線などお構いなしに、両腕を怪しげに胸の前で複雑に動かす。同時にいくつもつけている金色の輪が擦れてジャラジャラと鳴り出した。
目を閉じてそんな動作をしていたジェーニオがカッと目を開くのと同時に、部屋に響いた音があった。
ぶぉぉぉん。ぶぉぉぉん。ぶぉぉぉん。
空気を震わせるその鈍い音。スオーラは鋭い表情で悪趣味と称されるジャケットのポケットから何かを取り出した。
それは一枚のカード状のアイテム。ムータと呼ばれるそれが音を発しながら点滅を繰り返していたのである。
そしてこれこそが、侵略者・エッセが現れたという知らせなのだ。だが世界のどこに現れたのかまでは判らない。
《ベルヴァが宙を走ってるようね。でもこのベルヴァは……》
ジェーニオが言葉を濁らせる。スオーラもベルヴァと聞いて少々困った顔を見せていた。
「あ、あの。またエッセが現れたの? それにベルバって一体?」
スオーラと一番面識のある女性警察官・桜田富恵(さくらだとみえ)がスオーラに問う。問われた彼女はハッとした顔で、若干早口で説明する。
[ベルヴァとは、わたくしの世界にいる猛獣です。極めて素早い動きをする六つ足の獣。地面はもちろん空中を走る事もできる、凶暴な魔獣です]
《あまりに早過ぎて、我の全速力でも追いつくのが精一杯。まともに戦うのはまず無理ってくらい困難ね》
「どのくらいの速度なんだ?」
警察官の誰かがそんな質問をする。ジェーニオは頭頂部にヤシの木のように直立させてまとめた髪を少し揺らすと、
《こちらの世界の単位で言えば、時速千二百キロメートル。だいたいだけれどね》
時速千二百キロという事は、ほとんど音速である。
音速で移動できる猛獣が空中はもちろん地上を駆け巡ったら、走っただけでもとんでもない被害が出る。その一つが「衝撃波」だ。
空気中を物体が移動する時に押しのけた空気の圧力が変わり、その変化が波のように周囲に広がっていく。
その移動速度が一定を超えると、その波が空気ではなく見えない塊と化してしまう。それを「衝撃波」と呼びそれができる速度を「音速」と呼ぶのだが。
その衝撃波の威力たるや、五千メートル離れた家屋の窓ガラスをたやすく粉砕できる程だという。だから飛行機などが音速で飛ぶ時は、少しでも被害が出ないように二万メートル以上の高々度を飛ぶ事が厳命されているのだ。
ある程度の科学知識を得ている警察官達の顔色が一気に悪くなった。猛獣に「町を壊さないでくれ」と頼んだところで聞き入れる事がないのだから。
一方のスオーラは、
[もしや、ベルヴァの姿をしたエッセなのですか!?]
ジェーニオは「そこまでは判らない」と言ったものの、スオーラの表情が引きつる、いや、凍りつく。
さすがにスオーラ自身が直接見た事はないのだが、ベルヴァに関する話は聞いた事がある。
濃紺の毛皮を持つ豹に見えるが、その足は六本。前二本の足が鷹の足、真ん中二本が豹の足、後ろ二本が馬の足。
自分以外の物は敵か餌かという認識しかなく、一度狩りを始めれば自分がどうなろうと獲物を確実に仕留めるべく執拗に追い回し、捕食する。といってもその速度ゆえに本当に追い回す事はまずないが。
もちろんベルヴァを捕らえる、もしくは退治する人間も過去たくさんいたが、地面はもちろん空中すら目にも止まらぬスピードで動き回るので、こちらから攻撃をしかける事はまず不可能。
できるのは罠をしかけてそこに誘い込むくらいしかないという。それでも高速の移動力を発揮して逃げてしまう事が多いらしい。
少なくとも、そんな猛獣とたった一人でやり合う事が、どれほど無謀で無茶な事かを、嫌という程噛みしめている。凍りついた表情がその証だ。
関係のない人を巻き込みたくないと常々考えているスオーラではあるが、さすがに今回は自分達だけではどうにもなるまい。
が。手伝ってもらうにしても、そんな音速で移動できる猛獣相手に何をしてもらえば……。
「……そうだ。確かネットランチャーが署にあった筈」
ネットランチャーとは、捕獲する者めがけて網を発射する捕縛用の武器である。網の先端に重りがあるので重りで網が絡みついて脱出困難にして捕らえる物だ。もちろん本来は人間用だが、動物用もあるという。
音速で動けるといっても、その筋力はあくまでも一般的な(?)猛獣の域を出ないものらしいし、いくら何でも網が足に絡まってしまえば引きちぎったり切り裂いたりはできそうにないし、それなら高速では動けなくなりそう。そう考えたのだ。
まず音速で動ける相手に網をかぶせるのがとても困難であろう事は容易に想像がついたものの、自発的に協力を申し出てくれた相手をバッサリ斬り捨てるような発言はすまいと判断し、スオーラは「充分気をつけて下さい」と念を押すような口調でそう言った。
[打ち合わせの途中で申し訳ありませんが、わたくし達はこれからエッセ討伐に向かいます。皆様もどうかお気をつけて]
スオーラは手近の窓を大きく開けると、窓の桟(さん)に足をかけて一気に表に飛び出した。ジェーニオも宙に浮いたままそこから飛び出して行く。ここは三階なのに。
慌てて窓に駆け寄って富恵が外を見ると、ジェーニオに抱きかかえられて空を飛んでいるスオーラが見えた。
「……あんまり派手に目立つ事、してほしくないんだけどなぁ」
そんな気の抜けたつぶやきは、もちろん二人に聞こえる訳はなかった。


ジェーニオに抱きかかえられているスオーラは、ポケットからプリペイド式の携帯電話を取り出す。最近では少数派になっているガラケーである。
時計を見ると、昭士といぶきは補習を受けている真っ最中。いくらエッセが現れたとはいえ、その最中にいきなり呼び出すのは気が引けてしまうスオーラ。
しかし昭士もスオーラ同様ムータを持っている。自分のムータが鳴っているのであれば、昭士のムータも鳴っているだろう。
現在いる世界に「存在しない」生物を模した姿だった場合は鳴らない事があるが、こうして鳴ったのだから。
しかしベルヴァの説明をした時、その場の誰もが「この世界では○○という動物ですね」とは言わなかった。こちらの世界ではマイナーな動物なのだろうか。
そんな事を考えつつ、スオーラは昭士に電話をかけようとした。だがそれをジェーニオが止める。
《あの二人は今気絶してるわ》
まるで今見ているかのようなその口調。それができるのはもちろん理由がある。
元々――オルトラ世界でのジェーニオの姿は、身体の右半分が女性で左半分が男性。この世界では男性と女性の二体に分かれてしまうが、記憶は共有している。考え方は異なるが。
だから男性体のジェーニオが昭士といぶきが気絶した場面を目撃したのだろう。気絶しているという事は、目を覚ますまで二人の協力は得られないという事だ。
[申し訳ありません。今すぐお二人を起こして、事情を説明するようお伝え願えますか]
女性体のジェーニオは「判っている」と短く呟き、
《懲りないわね、あのコ》
大きく溜め息をついた。

<つづく>


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