トガった彼女をブン回せっ! 第18話その4
『人との絆は何にも勝る宝である』

LINEのやりとりでスオーラへの性的暴行の計画が証明されてしまった。
が、実際には話だけで行動にまで移した訳ではないという事で、勝手に剣道場へ侵入した事。そして未成年が飲酒・喫煙をしていた部分のみを、意識が戻った後に皆まとめて警察署でキツイお説教をする事になった。
だが後からやって来た遠藤だけは未成年ではないものの、特に何か関わった訳ではないので、不法侵入をとがめるお説教で済んでいた。
そしてスオーラも、富恵から軽い注意を受けていた。
その理由は、今回のこの一件は「昭士を使ったおとり捜査」だったためだ。もちろん日本の警察機構としてはおとり捜査は禁止されている。
それは、いぶきがあまりにも周囲の人間と衝突し――しかも相手側から手を出させるように立ち振舞うためにいぶきの「過剰防衛」であり「元凶」ではないという認識にせざるを得なかったからだ。
おまけにケンカの相手が、世間一般で言われる不良etc.はもちろん「チンピラ」だの「ヤクザ」だのと言われる面々が多かった事もある。
その部分だけを見れば悪を倒す正義の味方に見えなくもないのだが、いぶきの場合は正義など欠片もない。それらを止めに入った人間にも嬉々として手を、そして足を出すのだから。
その報復のためにより強い仲間が来る。必要以上に徒党を組む。噂を聞いた勘違い武術家がやって来る。町が悪い意味の戦いに溢れる殺伐としたものになる寸前だったのだ。
そのためそうした「戦い」をさせないために様々な措置が取られた。いぶきが誰かにケガをさせたり物を壊した場合いぶき本人の金で弁償をさせる。そんな条例もその一つだ。効果の方は今一つだったが。
同時に昭士が(わざとを含めた)人違いによる暴行を受けるのを少しでも回避すべく、私服警察官を護衛につかせたり、彼に暴行という意味で接触した人間の調査をする事などもそうである。
今回の「拉致」もその調査の一環。実際こうして多数の人間が「釣れた」訳である。効果はあった。
とはいえ、計画自体はずいぶん前から検討はされていたものの、おとり捜査には違いないので警察もなかなかふんぎりがつかなかったのだ。
だがあくまでも「護衛対象を襲った人物の撃退」という大義名分である。だから盗聴器で証拠を集め、もしくは確保する手筈が整うまで手出しができなかったし、昭士も行動しなかったのである。
ちなみに爆竹は「証拠は揃った。突入する」の合図である。
だがそんな計画をいちいち吹聴して歩く訳にもいかない。そもそも八つ当たり目的で昭士を攻撃する連中が、その程度でひるむ訳もないからだ。
だから彼はスオーラにも話さなかったし、富恵はスオーラが勝手に動かないように言い含めたのだ。
もっとも。今回スオーラは富恵の言う事を聞かずに飛び出した訳だし、多数の人間に(仕方ないとはいえ)大ケガをさせてしまった。しかも魔法で。
スオーラ曰く、彼女が信仰しているジェズ教徒は結婚するまでは男女問わず性交渉は厳禁という、現代日本からすればだいぶ「堅い」決まりがあるそうだ。
とはいえ一般人の信者ではそこまで堅く厳密に守っている人間はあまりいないらしい。いわゆる「でき婚」でモメるカップルの話は(こちらに比べればずっと少ないが)あるという。
だがスオーラは聖職者としての教育を受けている。性交渉そのものを嫌悪したり毛嫌いまではしていないが、やはり結婚前は絶対にダメだ……という考えは強く持っている。ここが異文化の地であっても。
それに加えて自分の性的暴行の計画を聞いて黙っていられる女性はいないだろうから彼女の怒りや行動も判らなくはないものの、それにしても限度というものがある。
使った魔法は「突風で周囲の者を弾き飛ばす魔法」だったようだが、それでも突風で押されて壁に叩きつけられてはケガ人が出ない筈がない。これではいぶきを笑う事はできない。
その辺でキッチリ平謝りできるから、いぶきとは比べ物にならないくらい常識はあるのだが。
とにかく、まだできたばかりの条例であり、それに伴う計画である。穴があっても致し方ない。これを教訓に前向きに計画を修正していこうという事で落ち着いた。
元の姿に戻っていた昭士は、気になる事を訊ねてみた。どうして剣道場に来たのか。ここにいる事が判ったのかと。
するとスオーラは、
[アキシ様をお探ししている最中、ご老人に叱られているイブキ様を見つけたのです。事情をお聞きしたところ、ホウサヤマ様という方で。アキシ様がこの学校の剣道場にいる事を教えて下さったのです]
柞山(ほうさやま)とは昭士やいぶき、そして遠藤の剣道の師匠である。さしものいぶきも彼にだけはとりあえずの敬意を表わしている人物だ。
機嫌良く歩いているいぶきに声をかけた彼。するといぶきは悪びれる事なく先程のLINEのやりとりをベラベラとしゃべったのだろう。他人の不幸を嬉しそうに語る様子が目に浮かぶ。
当然柞山から「喜ぶ事ではない」「警察に連絡をしろ」と叱られた訳だ。当たり前である。
そういう理由で脱力したように、昭士の頭がガクンとくず折れた。


翌朝。スオーラのこちらの世界での住まいを兼ねた、学校敷地内の駐車場にあるキャンピングカー。だいぶ狭いもののダイニング・キッチンを完備している。
スオーラの様子見を兼ねてここで食事をとるのがすっかり恒例となってしまっている昭士だ。毎日ではないものの頻繁にこれでは確かにやっかみを受けても仕方ない。
行く事を電話で伝えたところ、食パンを「切らないまま」買ってきてほしいと頼まれたので、わざわざパン屋に寄って一斤そっくり買ってきたのである。
スオーラの世界では「中が柔らかいパン」というのが珍しいようで。初めて見た時には目を丸くして驚いていたが、さすがにこちらの世界で数ヶ月過ごせばそれにも慣れたらしい。
[こちらのパンは中が柔らかいので調理がとてもしやすいですね]
そう言って彼女がてきぱきと作ったのは、食パンをくり抜いた中に濃いめの味付けの野菜炒めを入れた料理だった。あちらでは「トラスナ・セナスイホツチ」というそうだが。
こちらの世界にもくり抜いたパンを器に見立て、シチューなどを入れる料理は存在するが。野菜炒めを入れるのは予想していなかった。
さすがに二人しかいないので一斤丸々使う事はせず、使ったのは半分だけだ。綺麗にくり抜いたので残った分はサンドイッチにでもするのだろう。
しかしそれでも結構な量である事は確かだ。それも朝だし。
『わっちも食べられれば良かったんでありんすが』
不意にゆったりとした花魁言葉が「かたわらの短剣から」聞こえてきた。
この短剣の名前はジュンという。スオーラと同じ世界の違う国。こちらで言うアマゾネスの村のような集落出身の『人間』である。
小柄で細身の褐色の肌を持ち、その体躯から信じられない怪力や身体能力を発揮する、単純明解な思考の野生児の少女である。
だがこちらの世界へ来ると、こうした短剣(の刀身部分)に姿が変わってしまう上、こんな花魁めいた言葉に変わってしまう。
さすがに短剣の姿となってしまっては、物を食べる事はできない。本来はかなりの大食いであるから余計に不憫に感じてしまう。
『それにしても。アキ殿から言い出した事とはいえ、難儀でありんしたぇ』
ジュンに昨日の出来事を話した昭士は、心底同情されていた。同情されるためにした事ではないが、その気遣いは素直に受ける事にする。
[ですがアキシ様。毎回のようにあのような目に遭うのでは、いくら魔法での回復が可能とはいえ、身が持ちませんよ?]
スオーラも彼の顔を心配そうな目で覗き込みながら言う。
彼女の魔法は基本使い捨て。一晩ゆっくり休まねば同じ魔法を再び使う事はできない。
そもそも魔法は万能の力ではない。あまり頼られても困るのである。
「うう、う、うん。ここ、今回はこれですす済んだけど。もも、もしぶぶ武器を使われてたら、こんここ、こんな程度じゃ済まないし」
ただのドモり症なのだが、怖くて震えているように聞こえなくもない昭士の話し方だ。
普段はこれ以上の事を毎日のようにいぶきにやられているのだ。多少は慣れるかもしれないが身体自体の強度が増している訳ではない。いつ再起不能になったり、下手をすれば死ぬか判ったものではないのだ。
わざとを含め、昭士と間違えない事。いぶきの「能力」の事を関係者に通達はしているのだが、それだけでパッタリと止んでくれればこんな苦労はしない。
[ところでアキシ様]
スオーラは具が詰まったパンを縦に切り取って皿に盛り付け、昭士に差し出した。彼がそれを受け取ると話を続けた。
[昨夜捕らえられた人々はどうなるのでしょうか。……まさか捕えて殺してしまう訳ではありませんよね?]
聖職者とは思えない、ものすごく物騒な発想である。さすがに異文化云々を考慮しても、聖職者の発言とは思えないと誰もが思うだろう。実際昭士も若干引き気味である。
警察がやるのはあくまでも逮捕・拘束。よほど悪質であれば牢屋や刑務所に入るだろうが、今のところそこまでした例はない。過剰暴力で病院送りは何件もあったが。
結局「教育」を受けて再び社会に出てくるのだ。まるで釣りにおける「キャッチ・アンド・リリース」のようである。
無言ではあったが昭士の「引いた」リアクションに「やっぱり違うのだ」と、どこかホッとした表情のスオーラは、
[ならばよろしいのですが。とはいえ通達が浸透しない事にはどうにもならないと思います]
だが通達が浸透したとしても、肝心のいぶきの態度が全く改まらないのでは、何の解決にもならない。受動的であれ能動的であれ、原因はいぶきの言動にあるのだから。
おまけに「飛び道具なら自分は痛くない」という事を発見してしまったのだから、戦い方が変わるだけで事態そのものが収束する事はおそらくない。
「そそ、そのあた、辺りも考えないと、だだ、だな」
[もっと広く意見を求める事も、必要になるかもしれませんね]
スオーラの言葉に昭士も賛成はする。だがその表情は明るくない。広く意見を求めても進展があるかどうか。
十五年もいいアイデアが思いつかなかったのだ。今さら思いつくかどうかは判らない。だが、ふとした事で・そんな事が・のようなパターンはあり得る。そう考えでもしないとやっていられない。それは確かだ。
一応色々と手を打ってはあるが、すぐに結果が出る訳ではない。その辺も辛抱するしかない。
一息ついて携帯電話の時計を見ると、補習の開始まであと二十分程になっていた。ここは学校の敷地内だから急げば五分とかからず教室に着くのだが。
ふと昨日ちらりと考えた事が頭をよぎるのだ。
一学生としての生活と、侵略者と戦う戦士としての生活。この二つの両立についてだ。実際こうして一学生としての生活が怪しくなってきているのだから、仕方ないと言える。
「……学校、どうするかな」
昭士にしてはとても珍しく、ドモらずに呟いた。
[……アキシ様。学校をお辞めになるつもりですか]
スオーラの言葉に、少しトゲが入る。その口調に昭士は「しまった」と顔をしかめた。
[確かに学業と戦いの両立はとても難しいです。それはわたくしも体験しておりますから、とても良く判ります]
エッセとの戦いで学校へ通う時間が取れなくなり辞めざるを得なくなったという、同じ体験をしたものだからこそ。その言葉にうそ偽りも同情心もない。
だが決定的に違うのは、スオーラはエッセと戦う事を大々的に知られていたのに対し、昭士の方は知る人間はごくわずかだという事だ。学校をサボったり休んでも本当の理由を述べる事ができないのだ。
元々いぶきの暴力で休みがちではあったから理由を言えない事を深く追求される事は少なかったが、だからと言って大目に見てもらえる程高校生活は甘くない。
だから今日もこうして補習に来るハメになっているのだし。
事情を知る数少ない友人からの授業のノート提供や、個人的な授業を駆使してはいるが、元々昭士はあまり学校の成績が良い方ではない。特に理数系はそうした多大なる援助を受けているのに情けなくなる程の成績である。
[わたくしがアキシ様の勉強を見て差し上げられれば良いのですが]
少々遠慮がちなスオーラの申し出を、昭士は思いっきり力を込めて断わる。
それはこれ以上彼女の行為に甘えたくないという意志の現れであり、慣れない異世界で負担をかけさせたくないという気持ちから来るものであり、スオーラがこの世界の文字を「認識できない」という現実を鑑みたものである。
一応「彼女の」世界と宗教的な基準で、かなり高い教育を受けている事は判っているのだが、それがこの世界の日本においてどの程度の教育水準なのかが、今一つ判りにくいのだ。
「そそ、そ、その辺は、みみん、みんなに手伝って、もらもらってるから。うん」
[そうですアキシ様。そうした方々を大事にして戴きたいから、学校を辞めるなどと仰らないで下さい]
そう言ったスオーラの、ほんの少しだけ悲しそうな笑顔。それが気になって昭士は食べる動きを止めてしまった。
そんな昭士の視線を感じたスオーラは、少しだけ考えるような間を空けると、
[わたくしには、そうして学業を助けてくれるような友人はおりませんでした。アキシ様の境遇を冷静に考えれば、厄介事に巻き込まれたくないと離れていく人がいても不思議ではありません。ですがアキシ様にはそれがありません]
それはおそらくスオーラの存在が理由だろう。と昭士は思った。
人間何の見返りもなしに親切にする事などまずない。昭士の場合は「彼に恩を売っておけばスオーラにイイ格好ができる」程度の下心満載だろう。特に男子は。
[『人との絆は何にも勝る宝である』。遥か昔の聖人ティトラーレ・サンタ殿の御言葉です。アキシ様達を見ていると、その御言葉の意味がとても良く判るのです。どんなに苦しくとも、その宝を自ら手放してしまうような真似は、して戴きたくないのです]
聖職者としての教育を受けてきた托鉢僧らしく、説法めいた雰囲気を漂わせている。それほどの威厳がある訳ではないが、実体験に基づいているだけに、説得力という強い力を感じる。
するとスオーラはすっと立ち上がり、静かに窓のそばへ行く。そして勢い良く窓を開けると下の方に向かって、
[そういう訳で、アキシ様の事、よろしくお願い致します]
窓の外から数人の人間の驚く声が聞こえてくる。どうやら聞き耳を立てられていたらしい。
普通の家ならそのまま入ってくるかもしれないがこれはキャンピングカー。部屋も狭いが通路はすれ違うのにも苦労する程狭い。それが判っているのだ。
驚いた昭士は皿に残った野菜をかき込むようにして腹に詰め込むと、
「じゃじゃ、じゃあ行ってくるから」
[行ってらっしゃいませ、アキシ様]
ここだけ見ると新婚夫婦のようでもあるが、そんな甘い雰囲気などなく。パパッと荷物を片手に持つと、狭い通路を苦労して駆けて行く。
やがてガチャンとドアの閉まる音がすると、スオーラは彼が去ったであろう方向に向けて親指と小指を立てた拳で手を振った。これは彼女の国に伝わる厄よけのまじないの仕草であった。


キャンピングカーから降りると、そこに待ち受けていたのは剣道部の先輩達であった。ただしいずれも女子。二年生が二人と三年生が一人だ。
この三人を含めた女子部員全員が、数ヶ月前の春の入学式の日にいぶき一人に叩きのめされている。
防具の上からだったのに痣ができる程めった打ちにされたのはまだ良い方で、肋骨にヒビが入った者が一人。折れた竹刀の先で腕をケガした者が一人いる。
その「肋骨にヒビが入った者」が、ちょうどこの中にいるのだ。唯一の三年生である岡 忍(おか しのぶ)。彼女がそうである。
「忍」という名に似つかわしくない気がする、堂々と、かつ目立ちたがりの性格の人である。彼女は大口開けて笑いながら、
「堂々としたフジュンイセーコ−ユーは、感心せんなぁ」
昭士が手を出せる性分でない事は判っているのだが、マンガの「お約束の展開」のように、開口一番そう言ってくるパターン。最初のうちは苦笑いできたが、最近はそれすらも飽きてきている。
「ったく、リアクション無しか。新しいパターンを開発しておけ、角田兄」
昭士のノーリアクションぶりに、岡はそう言って拳で軽く彼の頭を叩く。
「そうだそうだ。毎度毎度メシ食わせてもらいやがって。オレらにもよこせよ?」
そう言って昭士と並んで肩を組んできたのは二年生の支手撫子(しので なでしこ)。髪の短さも相まって、これまた「撫子」の名が泣くような、男っぽい言動の先輩である。
「今日はスオーラさんを町に連れ出して着せ替えにんぎょ……もとい、夏物の服を買い揃えるアドバイスをするのです。あなたは早く補習にでも追試にでも行って下さい。邪魔です」
とキツイ口調で言ってきたのは二年生の鹿骨ゆたか(ししぼね ゆたか)。モデル並みのプロポーションを持つスオーラに引けを取らないそのスタイルに目を奪われない男子生徒は少数であるが、男嫌いで通しているので男への当たりはかなりキツイ。
この三人を剣道部内では「女傑三姉妹」と陰で呼んでいる事は公然の秘密である。そしてスオーラと初めて出会った時にも居合わせているので、当然スオーラの秘密を知っている。
なので「女性の」立場から、アレコレとスオーラの世話や面倒を見てくれているのだ。今日もその一環(?)で来たらしい。
もっとも。彼女達のおかげで、スオーラは男子生徒達にキャンピングカーに張りつかれずに済んでいる面もある。その辺りは嬉しい誤算かもしれない。
岡と支手は昭士の頭や肩を拳でガシガシこづきながら、
「相変わらずやっかまれてるようだな。昨日もまた警察の厄介になったそうじゃないか」
「実はオレこっそり見てたけどさ。あれは完全に囮つーかエサだろ、絶対」
もはや完全にいじられている。鹿骨はそれに加わってはいないが、だいぶキツイ口調で形だけたしなめる。
「妹さんよりはマシですが、剣道部が活動停止にならないようにお願い致します」
その辺は昭士も了解している。だがこちらが何もしなくとも向こうから手を出してくるという事もある。特にいぶきの場合はそんな事情など考える訳がないのだから、余計に。
「じゃじゃ、じゃあ、自分、ほほ、補習に、い行ってます」
何とか二人の拳から逃れて距離をとった昭士は、一応先輩ゆえに軽く頭を下げてそう言うと、一目散に駆けて行った。背中に「部活にもちゃんと来いよ」という声を受けて。
その背中を見送ってからいざスオーラの元へ向かおうとした時、鹿骨があっと声をあげる。他の二人がどうしたのかと問うと、彼女はスカートのポケットから自分のスマホを取り出し、
「昨夜TwitterやLINEで流れまくっていた噂の真相、聞きたかったんですけど」
「ナニナニ、噂? どんなの?」
画面を覗き込んでくる二人を横目に、鹿骨は画面をちょいちょいとなぞり始めた。


補習開始五分前。どうにか無事に教室まで辿り着けた昭士。補習が始まる前だというのに、既に気力がゼロに近づいていた。
それは昨夜この学校とその関係者を中心として広まった、TwitterやLINEの話題に上っていた一つの情報。
その内容について、出会う人達から「アレ、ホントなのかよ」と疑い半分からかい半分の苦笑いで訊ねられまくっていたのである。
数としては少ないが、試験休み中でも部活などで学校に来ている生徒や教師はいる。噂の張本人を見つければ、訊ねたくなるのが人情というものであろう。
「張本人」というのはいささか語弊があろう。話題に上っていたのはいぶきの事なのだから。
昨夜の一件でやっぱり囮捜査は(エサになっている自分が)割に合わないと、別の方法を考えてはくれないかと提案したのだ。
しかし。十五年も解決策が思いつかないのだ。新しく、画期的で、効果のありそうな策などそうホイホイと思い浮かぶ訳もなく。
だがそこは曲がりなりにもいぶきの実の兄である。「あまりオススメはしないけど」と前置きをして、あるアイデアを提供した。
そのアイデアこそ、今日出会った人々から疑い半分からかい半分の苦笑いを向けられた物なのだ。
それは「いぶきにお礼を言う事」。以前にもいぶきに使った手である。
いぶきは「人助け」や「他人の為に」という言動そのものを極端に嫌っている。自分がするのは当然だが他人がするのを見ても激しく嫌悪感を見せる。
本人曰くそれらは「生理的・反射的に嫌い」であり「気持ち悪くて気色悪くてみっともなくて軟弱極まりない最低最悪の恥さらしな事」と言い切るくらいの事なのだ。
そのため「有難う」とか「助かった」という言葉だけでも反射的に反応するのだ。その反応の結果悪態をつきながらゲーゲー吐きまくるので、場所を考えないと掃除がとても大変なのである。
その辺が「あまりオススメしないけど」という理由である。教えたはいいものの室内でやられて文句を言われてはたまったものではない。
いくら自分勝手で傍若無人な人間とはいえ、誉められてそんな態度になる人間がいるとも思えないだろう。
疑い半分からかい半分な苦笑いをされるのも無理はないと昭士は思っているし、その現場を目撃していたスオーラすらも本当に大丈夫なのかと心配になる程に。
だからいぶきから暴力を受けた人々に対しては「これで勘弁してやってほしい」とお願いしている。
何の解決にもならないだろうが、暴力に対し暴力で挑むとキリがない。それはこれまでの十五年が立派に証明してしまっている。
だから暴力とは違う方法をとる。理屈でいえば当たり前である。単にいぶきの言動が言動だけに、そんな方法を思いつく人間が昭士以外に誰もいなかっただけである。
机にぐったりとしながら昭士は思った。まさか一晩でここまで広まるとは、と。それだけ皆いぶきの言動に頭を悩ませていたに違いない。そう思う事にした。
教室の扉が開く。教師が来たと思って反射的に背を伸ばすが……入ってきたのはいぶきであった。
畳んだハンカチで口を拭きながら肩で大きく息をして、まっすぐこっちに恨みの視線を向けている。
「……バカアキ。アンタナニバラまいてくれてンのよ?」
妙にクセのある、しかし極めて珍しく力のないいぶきの声。昭士とは別の意味でヘロヘロなのが見て判る。
「出会う連中出会う連中から『有難う』なンて気持ち悪くて気色悪くてみっともなくて軟弱極まりない最低最悪の恥さらしな事言われ続けるこっちの身にもなれない訳?」
という事は、今日学校へ来る途中で、出会う人から「有難う」と言われ続け、吐き続けてここまで来たのか。
「気持ち悪くてゲーゲー吐くの見て笑いやがる連中ばっかりだし。こンな身体じゃなかったらブチ殺してやるってのに」
足元がおぼつかずフラフラとしているが、しっかり昭士の元に向かって来ている。間違いなく報復するつもりなのだ。
直接攻撃はダメージが跳ね返る事は承知している筈。にも関わらず手の届く距離に近づいて来た。
いぶきの右足が一瞬上がる。次の瞬間、
「ぐっ!!」
くぐもった悲鳴が昭士から漏れる。起きた事は簡単である。昭士がついている机を思い切り水平方向に蹴り飛ばして、座っている椅子の背もたれとサンドイッチにしたのである。机の天板が横から胸に激突するのでこれはかなり痛い。
そうして昭士が痛がっている隙をついて、いぶきは手近の机を頭上に持ち上げる。
「くたばれバカアキ!」
そう叫んで振り下ろそうとした時、彼女の動きが止まる。そしてそのまま腕の力が抜けて机が頭に直撃。そのまま床に崩れ落ちた。
ここまで吐き続けて体力が落ちていたところにそんな力任せの事をしたために、体力が限界に来たのである。
一方の昭士の方も胸のところに天板の痕がクッキリとついてしまっている。おそらく制服を脱いでも同じだろう。言うまでもない事だが猛烈に痛い。出血していないのが不幸中の幸い、といったところだろう。
そこに補習担当の教師が入ってくる。その状況を一目見て「また妹の方が何かやったんだな」とすぐさま理解してくれたのはいいのだが。倒れているいぶきを助け起こそうとした途端、
反射的に動いたいぶきの拳が、教師の顔面に直撃。彼もまたその場にバッタリと倒れるハメになる。
この光景も以前見た。彼女の拳は意識がなくとも近寄る者を(総てではないが)一撃で葬り去るのだ。
昭士はもう、何と言っていいのか判らなくなり、意味もなく押し寄せて来た痛みと疲れに押しつぶされて、その場でガックリと意識を失った。


以上の理由によって、今日の補習は中止と相成った。
もちろんこの事は学校の日誌に記録され、長く「奇妙な出来事」として残ったのだ。
人々の記憶にも。

<第18話 おわり>


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