トガった彼女をブン回せっ! 第16話その4
『数少ない生き残りの一人でもあります』

精霊が住まう世界にのみ生息すると云われる、炎の精霊獣・ベルヴァ。
そんな獣の姿を模したエッセは、突如現れた竜巻めがけ、獲物を捕らえるかのごとく飛びかかっていった。
だが竜巻には実体というものがない。事実ベルヴァは竜巻の中にあっさりと飲み込まれた。
竜巻が産み出す強烈な風。生半可な建物等木っ端微塵に吹き飛ばすその圧力。その二つがエッセの全身に叩きつけられ、打ちのめされる。
そして竜巻の風が鋭い刃と化したかのごとく、エッセの身体の表面――金属光沢を放つ炎が削り取られていく。
何度も。何度も。何度も。何度も。上から。下から。前から。後ろから。
その度に獣の爪が、足が、脚が、尻尾が、耳が、みるみるうちに磨耗するかのように消えていく。
自分の存在総てを打ち消し、かき消すかのようでもある。
本来のベルヴァは全身に荒れ狂う炎を纏った獣であり、物を焼き尽くす炎を象徴するような存在らしい。
だがその炎も強風には勝てなかった。それはまさしくエッセにとっては「亡」風と呼ぶべきもの。
全身が炎でできたエッセは、その竜巻の中で全身を鋭く嬲られるようにして消えていった。
エッセが消えてからも竜巻は「まだまだ暴れ足りない」とばかりに猛威を振るっている。
だが竜巻というものは長時間発生する事はない。正確な時間は計っていないものの、それからしばらく経って現れた時と同じように竜巻も消えていった。
後に残るのは、金属と化したビゾンテの「食べ残し」と、竜巻が巻き上げ土が削り取られた荒野の風景くらいである。
その様子を、エッセと戦うべき戦士達は呆然と眺めていただけだった。
《……エッセってさ。俺らの攻撃以外殆ど効果がないんじゃ、なかったっけ?》
しばし無言の時が過ぎてから、昭士がぽつりと言った。
だからこそ彼等の存在が重要とされているのだ。事実一般兵器で挑んだ時は、一体のエッセを倒すまでに精鋭揃いの軍隊がほぼ全滅したほどなのだから。
「ベルヴァは火の精霊獣と聞いています。全身が炎でできている獣、と。そのため強風によって火がかき消されればそれすなわち自身の身体が欠けるに等しい事。身の破滅を意味します」
スオーラの、何かの書物の文章をそのまま引用したようなセリフ。確かに彼女の言う通りで、大きな焚き火が強風で煽られて消えてしまう事だってある。
「エッセは模した生物の特性をほとんどそのまま持っているようです。ですから、その強風に弱い特性も受け継いでしまったのかもしれません」
あまり自信のなさそうなスオーラの分析。昭士はもちろんジュンは彼以上にそういった知識面では役に立たない。
エッセは確か全身が金属光沢を放つ何かでできているらしい。そのため全身が堅そうな金属でできているようにも見える。実際の強度は金属以上だが。
今回模したのは全身が炎の獣。それゆえに炎が金属でできていたというか、金属が炎でできていたというか、そういうややこしい事になっていたのだろう。
“そもそも大半の精霊は、己の世界以外では永く生きられん。そのうち消えたやもしれん”
“そもそも大半の精霊は、己の世界以外では永く生きられん。そのうち消えたやもしれん”
その例外らしいジェーニオがしたり顔でそう説明する。
「モチミニチカーチノチ!」
どこからかプリンチペ王子の怒鳴るような声が聞こえてきた。そちらを向くと、明らかに軍服を着た数人の男達を従えた王子が、一目散に駆けて来ていた。
彼はスオーラ(とその仲間達)の無事な姿を確認し、完全に脅威が去った目の前の荒野の風景を見て、そこでようやく胸を撫で下ろしたのだった。
「エルミットゥ殿のおかげで助がた」
昭士を見た王子は、彼にも判る言葉(それでもキツイ方言にしか聞こえない)でそう説明する。そしてその人物名にスオーラが反応した。
「ルウレ・エルミットゥ少将ですか!? こちらにいらしていたのですか!?」
《少将? じゃあムチャクチャ偉いじゃねーか!》
軍隊に詳しくない昭士も、その「少将」という階級がどれほど高いかくらいは知っている。
「『竜巻のエルミットゥ』の二つ名で知られる魔法使いの一人です。そして……」
そう話し出したスオーラだが、少し表情が曇る。
「……かつて大軍をもってエッセと戦った時の、数少ない生き残りの一人でもあります」
その話は昭士も以前聞いた事がある。
まだスオーラがエッセと戦う戦士ではなかった頃、軍事国家ペイ国が中心となって連合軍を組織して一体のエッセと戦った事があった。
倒せたものの、生き残ったのはほんのわずかな数。それ以外は皆エッセに食われたか殺されたか。
その戦いに終止符を打ったのは彼の魔法。先程目の当たりにした竜巻の魔法である。
“ふむ。人の身でも優れた術者はいるようだな”
“ふむ。人の身でも優れた術者はいるようだな”
その話を聞いたジェーニオは、偉そうな口調ではあるが彼を誉めているようだ。
「殿下、それでエルミットゥ少将はどちらに?」
「気ば失って眠っていら」
そんなやりとりをしていると、このパエーゼ国の軍人らしき人間がプリンチペ王子の前で直立不動になり、何かを報告した。
王子は現地の言葉の方で返事をすると、昭士達には身振りで何か告げている。
「着いて来るように、と仰っています」
その身振りにスオーラが解説を入れてくれる。よく判らないながらも着いて行った方が良いと判断した昭士は、未練がましくビゾンテがいた方向を見て涙するジュンを引っぱって着いて行く。
その間に、昭士はスオーラに、
《スオーラ。そのナントカ言うお偉いさんが魔法で竜巻出して、俺達は助かった訳なのか?》
「はい。わたくしも話には聞いておりましたが。ただ、かなり高齢の方と伺っていますので、あれだけの魔法を使って気絶で済んでいるというのは、日頃の訓練の賜、というものかと」
軍人で、高い階級で、しかも老人。扱いにくそうだな、と昭士は思った。
自分も元の世界では幼い頃から剣道を学んでいる。師匠の柞山(ほうさやま)が剣道六段という腕前のためか、時には他の段位の高い人に教えを乞うたり、試合会場などで出会ったりもしている。
たまたまなのかもしれないが、そうしたところで出会う老人はたいていが「扱いにくい」のだ。
若い者の話を聞かないというか、聞いてもすぐ忘れるというか。それでいて自分の話は絶対に正しいと信じて疑わない上、相手が嫌がろうが無理にでも聞かせようとするのだ。何時間でも。
剣道に関する事なら「先輩の助言」としてまだ我慢できるが、プライベートな事から全く関係ない事までくどくどと言われるのはたまったものではない。特に酒が入るといつの間にかお説教になる特徴がある。
以前昭士も自分の師匠の友人という人と会った際、「ダイヤル式の電話の裏技」について滔々と話をしていたかと思えば、いつの間にか「電車で席を譲られた」と憤慨して昭士に当たってきた事がある。しかも宴席で。
今どきダイヤル式の電話器など滅多にあるものではない上に、そんな事を教えてもらっても何の得もない。さらに宴席なので「空気を読んで」不機嫌にさせる訳にもいかない。
自分の師匠の柞山は説教になると長いが普段はそれほど饒舌ではないのでその辺りは助かっているが。
嫌なタイプじゃないと良いがな。と、独り言のようにそんな事を考えていた。


彼等が客車内に戻って来た頃には、補給作業も終わりに近づいていた。運転手達が最終チェックとばかりに指差し確認をしあってあちこち走り回っている。
そこに運ばれて来た食事――割れにくく持ち運びしやすい容器に入ったスープや飲み物。そしてパン、メインの料理。
一刻も早く飛びついて貪るように食べたがっているジュンを昭士が制していると、彼の背中のいぶきが、露骨な棒読みで訴えて出した。
《はらへったー、めしくわせろー、めしーめしーごーはーんーー》
見た目は剣でも中身は人間そのままだ。質素とはいえ食事を出されては食べたくもなろう。もっとも剣になっている間は食事も睡眠も取る必要は全くないし、剣の姿では食べる事もできないが。
睡眠はともかく食事が要らないのは昭士も同じなのだが、取る必要がないだけで「取ってはいけない」訳でもない。
しかし運び込んだのは必要な人数分のみ。余分は一切ない。列車内に料理を作る設備がない以上、新しく作る事などできよう筈もない。
《諦めろ。剣はモノ食えないんだから》
そう言っていぶき=戦乙女の剣を貨物車に放り込みに行く。当然いぶきはワーワー喚くがもちろん無視である。
そうして昭士が客車に戻ってくると、いつの間にか見た事のない人物がいた。
かなり太った体型だが、年の頃は六十過ぎ。白い髪が申し訳程度に頭にへばりついている、いわゆるハゲ頭。
着ているのは昭士の元の世界での夏の制服――白い学生服にそっくりだ。左肩には色とりどりの飾り紐がいくつも下げられている。
スオーラが昭士にスッと近寄って、その太った男を指し示すと、
「アキシ様。こちらが先程お話にありましたペイ国少将、ルウレ・エルミットゥ閣下です」
さっきの危機を竜巻の魔法で助けてくれた軍人で、老人。おまけに「ペイ国」ときた。
ペイ国は昭士達がこれから向かう、パエーゼ国の隣にある軍事国家。犬猿の仲というほどではないが、親密な仲良し国家というレベルでもない、らしい。
しかも彼の母国ペイ国は今クーデターの真っ最中。そこから逃げて来た訳でもあるまいし。そんな彼が何故ここに。
そんな疑問がありありと浮かんでいたのだろう。エルミットゥ少将は大股でズカズカと歩いてくると、昭士の両肩をガシッと掴んで、酷い枯れ声でベラベラと喋り出した。
が。昭士はこちらの世界の言語が全く判らない。日本語に近しいマチセーラホミーという地方の言葉がどうにか判る程度だ。
そんな風に昭士が困っていると、プリンチペ王子が少将の耳元でそっと何か呟いた。それで少将は「なるほど」と大きくうなづくと、
「マチセーラホミーぬくとぅばしか判らねーらんぬか。わんぬなーやルウレ・エルミットゥ。ルウレと呼んでくれ」
また何やら変に訛った言葉である。プリンチペ王子は東北訛りっぽかったが、こっちは沖縄っぽい感じだ。
「殿下。ぬーそーん。へーくはんめぇーんかいさびら」
枯れ声で笑いながら、プリンチペ王子にそう呼びかけている。だが今度は何を言っているのかサッパリ判らない。昭士もスオーラも王子も。
だが運ばれて来ていた食事を指差していたので、おそらく「早く食事にしよう」という事らしい。
王子が現地の言葉――言い方がぎこちなかったのでペイ国の言葉かもしれない――を聞いてそうそうと力一杯うなづき、これまた枯れ声でゲラゲラ笑う。
このやりとりだけで昭士は思った。「これは嫌なタイプに間違いない」と。


一応ここは客室。いわば動く応接室だ。それなりのテーブルやソファなどはきちんと置かれている。
だが食事をとる必要がある王子・エルミットゥ少将・スオーラ・昭士・ジュンの五人が一度に席につけるほどの大きさではない。
ここは屋外や戦場ではない。曲がりなりにも上流階級の人間達(昭士やジュンは除くが)。立ったままの食事とはいかないようである。
しかしこの中でもっとも「お客様」なノリのエルミットゥ少将が席に座らずにワゴンからヒョイヒョイと自分の分の食事を取ってその場で食べ始めてしまったため、やむなく立食パーティーのような「立ちっぱなし」の食事となった。
《……単にサボって遊びに来ただけかよ》
隣国ペイの軍人であるエルミットゥ少将が何故このパエーゼ国の駐屯地にいたのかを昭士が聞いたところ、冗談抜きでそういう返事が返って来た。昭士も呆れ顔をしている。
「きっさぬお礼代わりんかい送ってとぅらすんくとぅんかいしちゃん」
微妙に意味が判りづらいがそう言うと、彼は床にあぐらをかいて食事しているジュンに、自分の分を「かめー」と言って差し出した。
ジュンは首をかしげながら差し出された肉に恐る恐る手を伸ばし、手づかみで肉を取って自分の器に乗せる。彼はその様子を微笑ましく見ていた。
《けどさ。今そっちの国はクーデター真っ最中だぜ? 今はエッセが出たから中断してるらしいけど》
昭士が賢者から聞いていた情報を話すと、平然とした様子で、
「わんなど軍隊ぬお飾りやっさー。いてもいなくてもなんくるないさー」
少将がお飾り。多少自虐的な雰囲気を感じなくもないが、「将」と位がつく軍人が戦争の現場に立つ事はまずない。
昭士の世界にも「無能な怠け者は総司令官か下級兵士に向いている」という言葉がある。自分から考えて動こうとしないので、参謀や上官の命令通りに動くからというのが理由だ。
それを「こっちの世界ではどうなんだ」と問うたところ、少将は食べ物をまき散らしそうな勢いで大爆笑。
「おもしーるくとぅをあびる奴がいるな」
出っ張った腹をバシバシ叩きつつ「失礼」と言いながらどうにか笑いを収めると、話の続きをしろと言い出した。
ちなみに有能な怠け者は前線での指揮官に向き、有能な働き者は参謀が向いている。無能な怠け者は総司令官か下級兵士が向いており、無能な働き者は処刑するしかない。というのが全文である。
「本物の軍人の前で言って良いのか」とセルフツッコミはしたものの、昭士はきちんと少将にそう話した。
「うんじゅぬあびるとおりぐゎーやさ」
神妙な顔でうんうんとうなづいている少将は、
「わんわ無能な怠け者やっさー」
と続けた。
どこがだ。食べる事に一生懸命なジュン以外のメンツが異口同音にそう突っ込んだ。
「じゅんにぬ話やっさー」
そう前置きをして少将は語り出した。
彼の家系エルミットゥ家は、ペイ国建国に携わったエード・エルミットゥを祖先に持つ、まさに名門中の名門。
王制国家ではなく軍事国家ゆえに世襲制ではないが、過去何度か国のトップを輩出しているという。
だがそれはあくまでも「家系」の話であり、ルウレ・エルミットゥ本人が優秀な人物という訳ではなかった。
もちろん最高級の英才教育はあった。多大なコネもあった。だが彼は軍人ではなく「魔法使い」という才能を伸ばす事を選んだ。
この世界の魔法は、たぐい稀な才能を持った人間が必死になってようやく身につく代物。しかも一人一種類の魔法しか使う事ができない。しかも一日に何度も使える訳ではない。
彼が使えるのは「竜巻を起こす魔法」。効果が現れるまで若干時間がかかる上、巨大な竜巻を起こせばその後必ず気絶してしまう。あまり便利とは言い難い魔法だ。
そんな魔法でも身につけた者は間違いなくひとかどの敬意を払われる存在となる。しかも名門軍人の出である。プロパガンダという意味でも軍事国家が彼を放っておく訳がなかった。
しかし魔法とは反対に軍人に大切な戦術や戦略といった事柄に対しては、いくら学んでも「お粗末」の一言で切り捨てられるほどで、「家名だけで少将に登り詰めた人間」と陰に日向に揶揄されているという。
そのため彼は魔法使いが身につけねばならないと云われる「たくさんの色を使った服」を着ず、こうして軍服を着込んでいる。少将であるというプライドからである。
そこまで話を聞いた昭士は「嫌なタイプではなさそうだな」と思い始めた。


それからペイ国はルリジューズの町まで、特に何か事件が起きる事もなく、順調に過ぎていった。
珍しい存在である精霊・ジェーニオの話を、プリンチペ王子とエルミットゥ少将が揃って聞き入っていたり。
一応は軽戦士である昭士を見て「良い身体してるね。軍に入らない?」と冗談を言ってきたり。
ただ、女性であるスオーラやジュンには、露骨に難色を示していた。
「いなぐわらばーが戦場んかいいちゅんな」
強い語気ではなかったし、まともに聞き取れたのが「戦場」だけではあるものの、彼が言わんとする事は容易に察しがついた。
元々このオルトラ世界は女性が戦いの場に出る事を良しとしない考え方が根強い。スオーラのいるパエーゼ国はまだマシだが、隣とはいえ根っから昔からの軍事国家であるペイ国ではその考えの方が「常識」なくらいである。
むしろ軍隊の少将という立場にある人間なら、差別発言に近い侮蔑の言葉をぶつけてきてもおかしくない程だ。ジュンが女性だけの原始的な村の出身である事や、スオーラがムータによって選ばれた戦士であるという事情を考慮しても、である。
一応この世界の予備知識的にそう聞いていた昭士ではあったが、その光景を目の当たりにすると頑固と言ってやっていいものか、とも思う。
昭士の世界でも男尊女卑の考えはあるが、この世界に比べれば遥かに平等だ。性別に関係なく能力を考慮した適材適所が認められているのだから。
加えて今の昭士は、割と歯に衣着せずポンポン喋るタチだ。そのため当然エルミットゥ少将と意見対立する事になる。だが険悪な雰囲気ではなくあくまでも互いの意見を戦わせているレベルだ。
まるで古い少年マンガのライバル同士が「やるな貴様!」「お前もな!」と笑いながら剣を交えているような。それは住む世界が違う事を判っているからと、やはり昭士が男だからだろう。
ろくにする事のない列車の旅の車中。立て続けにエッセと戦っていた時からは考えられない平穏ぶり。
昭士など急いで帰って授業の遅れを取り戻さねば、という考えが頭の中から綺麗に吹き飛んでいたくらいである。
だがこの世界にいる以上、完全に平穏に浸り続ける事はできなかったようだ。
旅の行程の最終日の朝。不可思議な事が起きてしまった。
寝室から客車にやってきたエルミットゥ少将が、
「くりやぬーやっさーみ? たーぬ物やっさーみ?」
相変わらずよく判らない沖縄言葉(?)で、客車に寝ていた昭士に訊ねてきたのだ。
何事かを身を起こす。そして少将が手に持っている物を見て、冗談抜きで目玉が転がり落ちそうなくらいに目を見開いて驚いた。
当たり前である。それはどこをどう見ても、昭士の世界のタブレット端末だったから。
「ガラスぬ板んかいいほーな文字が見えるな」
少将はおっかなびっくりの手つきでタブレット端末を逆さにしたりひっくり返してみたり。携帯電話すらないこの世界。パソコンはもちろんコンピュータと呼ばれるような機械自体が存在しないのだから、当たり前である。
(どうやって説明したモンかなー)
そもそも「昭士の世界の」高齢者に説明するのだって骨が折れる作業だったのである。それを「コンピュータ」という物が存在しない世界の人間(プラス高齢者)に向かって説明する訳である。
この手の年寄りというものは、周囲の人間は自分の思い通りに動いて当たり前と本気で思っている節がある。その辺は妹いぶきに近いものがあるが、年寄りの方がまだ聞き分けがいい。
聞き分けは良いのだが、手を尽くして詳細にかつ判りやすく説明しても「判らん」という言葉と共にこれまでの説明全部が忘却の彼方へ行くのが定番だ。
ハッキリ言って無茶ぶりも良いところである。もはや困難の一言である。
だから昭士は、質問を変える事に決めた。無理矢理にでも。
《どこから持って来たんだよ、それ?》
「くりがわんぬ腹んかい落ちて来て、みーが覚めたぬやっさー」
相変わらず出っ張った腹をバシバシ叩きながら、笑う少将。
落ちて来た。部屋の中にいたのに。そんな風に笑っているという事は、別に列車の屋根を突き破って落ちて来た訳ではなさそうである。
タブレット端末が無事に稼働中なところから考えてもそれはない事がすぐに判るが。
じゃあ何故この世界に存在しない筈のタブレット端末が「落ちて来た」?
昭士は腰のポーチから振動を感じた。そこに彼の携帯電話が入っており、急いで取り出す。蓋の小さな画面には「メール受信中」の文字。
昭士は早速蓋を開いてメール本文を見た。
『たった今オルトラ世界に戻って来ました。ルリジューズの町に着いたら携帯に連絡を』
という内容だ。しかも今回は宛名にきちんと「益子美和」と書いてある。
聖職者であるスオーラとは相容れない存在の盗賊であるため、影ながらの協力を約束してくれている美和。完全に信用できるとは言えないものの、味方は多いに越した事はない。
「だぁやぬーがらね?」
昭士の携帯電話を指差してそう聞いてくる。この世界に電話はあるが、携帯電話はさすがにない。
《俺の世界の電話。個人用のな。ちなみにその板も、俺の世界のだ。多分》
もう何度目かも判らない説明をする昭士。その後にタブレット端末の事に軽く触れておく。
少将はしばし無言で、タブレット端末の画面をジーッと見つめていた。
だがすぐに「よく判らないが何となく判った」ような笑顔になり、タブレットを昭士に向けて、
「ちゃーし使うんやっさーみ?」
その笑顔と、年甲斐もなくキラキラとした目は、まるで新しい玩具を買ってもらった子供のようである。「使う」という部分だけが聞き取れたから、おそらく使い方を聞きたいのだろう。タブレット端末の。
年を取ると自分がよく判らない事には手を出したがらなくなるものだ。それは昭士の周りの「年寄り」共通の行動だ。この世界も似たようなものだろう。しかしエルミットゥ少将は違うらしい。
しかし。重ねて言うがパソコンはもちろんコンピュータ、果ては計算機という物のないこの世界の人間に、どうやってタブレット端末の使い方をコーチすれは良いのやら。
やっぱり無茶ぶりも良いところである。もはや災難レベルである。
(どーしろってんだよ、ホント……)
笑顔のままタブレット端末を揺らして教えを急かす少将を見た昭士は、
思い切りうなだれた。

<第16話 おわり>


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