トガった彼女をブン回せっ! 第16話その2
『ノシ。来る。こっちに』

携帯電話の液晶画面にはこうあった。
『アメリカ合衆国テキサス州にてエッセ確認。至急向かわれたし』。
ちなみに件名にも差出人の欄にも何も書かれていない。空欄である。
もちろん今のスオーラには何と書いてあるのかは判らないが、エッセが出たとあってはさすがに自分の「姉に会いに行きたい」という我がままを貫き通す訳にはいかない。その気持ちを胸の奥にギュッと固くしまい込んだ。
一方の昭士はパタンと携帯電話の蓋を閉める。何も書かれていない差出人欄に、多少の憤りを感じているからだ。
これは十中八九益子美和(ましこみわ)の仕業である。
彼女の本当の名前はビーヴァ・マージコ。二百年前のサッビアレーナ国の出身であり、そこで名の知られたマージコ盗賊団最後の団長。意図せず時と世界を超える事で精霊ジェーニオと生き別れになった。
そして昭士の世界で日本人・益子美和として約十年間を過ごし、市立留十戈(るとか)学園高校の先輩後輩として出会った。
紆余曲折あってオルトラ世界で美和は昭士に正体を明かし、そしてジェーニオと再開。同時にジェーニオを盗賊団から解き放った。
そのためジェーニオは団長としての彼女の命令で昭士達に力を貸してくれているし、美和自身も盗賊流ではあるものの力を貸す事を約束してくれている。
だが盗賊という生業上、聖職者であるスオーラとは犬猿の仲。決して相入れぬ存在。そのため自分の存在や正体は明かさないでほしいという条件をつけられている。
差出人欄を空欄にしてきたのもそうした理由からだろう。美和はスオーラが昭士達の世界の文字を読む事ができない事を知らないのだから。
だがここで一つ疑問が出てくる。
エッセが現れると、昭士やスオーラが持つムータが鳴って知らせてくれるようになっているのだ。さすがに世界のどこに現れたかまでは判らないのだが。
だがそれでも、現在いる世界に「存在しない」生物を模した姿だった場合は鳴らない事があるようだ。今回鳴らなかったのはそれが理由なのかもしれない。
いくら美和が盗賊といえど、昭士達にウソをついて振り回すメリットは何もない。エッセが現れたのは本当だろう。
昭士は気分を切り替えるようにわざとらしい咳払いをしてから、
《とにかく。俺の世界の方にエッセが現れやがったらしい。しかも俺の国から遠く離れた別の国ときた》
メールの内容を簡潔にスオーラに話して聞かせる。
《ハッキリ言う。ここに行くだけでも相当大変だぞ? 時速八百キロで空飛んで半日くらいかかるからな》
かかる時間は適当に言ったものだ。スオーラは頭の中で計算しているようで黙っているが、それが終わったらしく表情が凍りついている。相当大変の意味を理解したようだ。
「確かにそれは大変ですね。あちらの世界にも空を飛ぶ乗り物は確かあった筈ですが……」
昭士の世界で見ていたテレビに映っていた旅客機を思い浮かべるスオーラ。
《それだけじゃない。ここに書かれた「テキサス州」って場所だけでも、俺の国の倍くらいの面積があるんだ。これだけじゃいくら何でも探しようがないぜ、正直?》
テキサス州の広さは約七十万平方キロメートル。その広大な面積の中から全身金属のような身体をした「何かの生き物の形をした存在」を探す訳である。
しかも探すのにヒントもなければレーダーのようなものも全くないときている。
それを聞かされたスオーラは改めて相当大変の意味を噛みしめる。
“我がその世界へ行ければ良いのだがな”
“我がその世界へ行ければ良いのだがな”
黙って話を聞いていたジェーニオが残念そうにそう言った。
確かにオルトラ世界の精霊としての力がそのまま昭士の世界で生かせれば。これほど心強いものはないのだが。
《世界が変わると見た目が変わるケースが多いらしい。それだけで済むなら良いが、存在できないってケースもあるそうだ》
いくら人間ではない精霊でも、昭士の世界で「存在できる」かどうかは全く判らない。姿形が変わるだけならばまだ良いが、もし存在できなかったら連れて行った意味がない。
「それだば、何んぼのらはんですだな?」
昭士達の会話にプリンチペ王子が入ってきた。ある程度の事はスオーラから聞いているようだが、さすがに詳細な事情までは話していない。
もっとも昭士には訛りのキツイ日本語にしか聞こえないので、何と言っているのか今一つ判らないが。
一応スオーラは王子に向かって詳細な解説をしているようだ。王子はうなづきながら話に聞きいっている。
そんな説明が済んだところで、昭士はホテル同然の客車の中にあるソファに背を預けた。
《どーしたモンかなぁ……》
昭士が考えているのは、当然さっき口に出して説明した事。日本からアメリカへどうやって行くか、である。
もちろん交通手段がない訳ではない。飛行機という立派な乗り物がある。それに乗れば昭士が言った通り半日程で現地に着ける。
だが飛行機に乗るには当然お金がかかる。最低でも昭士とスオーラ二人分の料金が。
こればかりは自分達でどうにかするしかない。さすがに警察等が負担してはくれないだろう。国内ならいざ知らず。
加えてスオーラはこちらの世界の人間ではない。一応日本の都市で生活するのに必要な書類は特例で作ってもらったが、パスポートとなるとそう手軽にパパッと作る訳にはいかないからだ。
それにいぶきが絶対に付いて来ない。そもそも彼女は「誰かのために」という行動が大嫌い。オルトラ世界のように剣の姿になっていれば強制的に引っぱって来れるが、人の姿であればそうはいかない。
その方法が全くない訳ではないが、そもそもめんどくさいし時間もかかるだろう。
そうなると、あちらの世界――それも日本以外の国へ行って戦うというのは非常に困難が多く実際にできるとは思えない。可能性は限りなくゼロに近い。
だからと言って放っておく訳にいかないのは当然。せめてオルトラ世界の方に現れてくれればジェーニオの力でひとっ飛びだろうに。
《ホント、戦い以外の事は無能だよなぁ、俺達》
移動一つとっても自分達だけの力ではどうにもならない。今もこうして王子が手配してくれた専用列車に乗っている。誰かの助けがないと何もできないのだ。
昭士はもう一度携帯電話を開いた。そして親指でぽちぽちと操作する。電話らしい。
耳に当ててしばらくすると、カチッと音がして繋がった。
『珍しいですね。きちんと電話をかけてくるなんて』
いつもは「通話代節約」の看板の元、一回コールしてから通話を切っているからだ。
電話の向こうの感心したような声の主は、この世界で「賢者」と呼ばれている人物モール・ヴィタル・トロンペである。
本来これから向かう予定の町――スオーラの国の隣国・ペイにあるルリジューズという町に滞在している。その町にスオーラの姉夫婦がいるようで、そこで情報を集めてくれてもいる。
ただ。先程倒したノミ型エッセの出現で止まっているとはいえ、この国はクーデターの真っ最中。中断していたクーデターがいつ再発するか判らない、ピリピリした状況らしい。
『ああ、そうそう。剣士殿がノミ型エッセを倒してくれた影響が、ようやくこちらにも届きました。荒れていた土地が元に戻りましたので』
ノミ型とはいっても、その大きさは一つの町を完全に覆い尽くしてしまう程巨大なものであり、大地からのエネルギーや養分を吸い尽くしてしまう性質だったため、肥沃な大地が荒廃、もしくは砂漠化してしまっていたのだ。
しかし戦乙女の剣でとどめを刺した事により、吸い取ったエネルギーがゆっくりと元に戻りつつあり、それがようやく遠く離れた賢者の元にも届いた、という事だ。
《そりゃ良かった、って言いたいところなんだがな。どうやら俺の世界の方に別のエッセが現れたらしい。しかも俺の国から時速八百キロで空飛んで半日ばかりの場所にな》
昭士は周囲に気を使った音量で賢者に話した。賢者も電話の向こうで唸るような声を上げると、
『そんなに時間をおいては、エッセの目撃情報があっても着く頃には消えてしまいますね』
《だろ? 冗談抜きで何か方法はないモンかね? あっという間にそっちに行く方法とか》
知識が売りの賢者ですら、すぐにはその方法が思い浮かばなかったようだ。昭士は続けて、
《もしくはレーダーとか探知機とか、そんな感じの魔法のアイテムでもいいけど》
レーダーも探知機もほとんど同じような代物である。
ところが賢者は電話の向こうで苦悩するように唸ってから、かなり恥ずかしそうな声で、
『あの。レーダーとか探知機と言われましても、何の事だか判りませんが』
言われて昭士は苦笑した。いかに知識が売りの賢者と言えど「この世界に」存在しない道具や言葉まで知っている訳ではないのだ。
《いや、だから。エッセが現れたら「○○に現れました」って教えてくれるような魔法とかアイテムとか。あれば良いなって話だよ》
だが電話の向こうからは相変わらず苦悩するような声が聞こえるのみである。さすがの賢者と言えども、エッセやムータに関する知識はほとんど持ち合わせてはいないらしい。
昭士もその辺りの事情は理解してはいるが、曲がりなりにも知識を売りとしているのが「売り」の賢者としてはかなりプライドもあるようで、
『その辺りの事は、これから調べてみます。このルリジューズの町には、かつて剣士殿と同じ「軽戦士」のムータを持っていた戦士がいたという話が伝わっていますので』
《初耳だぞ、それ》
当然のように文句をつけた昭士だが、同時に一縷の望みを繋いだ。
という事は、その町に行けばムータが反応してかつての戦士と会話できたりアイテムもらえたりするかもしれない。そんなゲーム的な展開を期待……したいけどおそらく無駄であろうと昭士は思う。
元の世界に戻ってテキサスまで向かう手段が(ほとんど)ない以上、ここでバタバタ慌てていても仕方ない。
もちろんエッセが出すであろう膨大な被害が気にならないと言えばウソになるが、自分にできる事、目の前の事から一つずつ片づけていこう。そう思った。
それからしばし賢者と話してから、通話を切った。ソファに背を預けたまま首を上げて後ろを見ると、スオーラとプリンチペ王子が自分を見つめているのに気づいた。
「アキシ様。何か新しい情報はございましたか?」
スオーラがやはり不安を隠せない表情で昭士を見つめている。
昭士はその体勢のまましばらく彼女を見つめていたが、やがて全身を振るようにして立ち上がると、
《聞いてくれ! まず俺達はジェーニオに乗っけてもらってスオーラの姉のいる町まで飛んでいく》
高らかに宣言するかのように声を張り上げる。もちろんかなり演技過剰に。
《そこで賢者と合流して、色々話も聞く。俺の世界に現れたエッセと戦うのはその後だ》
「ちょ、ちょっと待って下さい、アキシ様。それではその間エッセはどうするのですか!?」
昭士の読み通り、スオーラが驚いて喰ってかかる。言葉に出していないがプリンチペ王子も「放っておいてどうする」と文句を言いたそうだ。
一方ジェーニオは考えがあるのかないのか、昭士の言葉を待って無言を保っている。
そんな三人を見回してから、昭士は再び少々過剰に「作る」と、
《人間一度に複数の事はできねーんだ。それなら確実にできる事から先に一つ一つ片付ける》
そして昭士は王子の方を見ると、
《確かこの次の駅から少し行けば、さっき連絡してた駐屯地があるんだってな。王子さんは直接そっちへ行って指揮でも指示でもしてくれ》
「わさ指図すらのだな!?」
言っている事は微妙に判らないが、怒っている事は確かのようだ。だが昭士はその剣幕にも全くひるまずに、
《軍隊ってのはその場に偉いさんがいるだけで士気がガラッと変わるんだよ。王子さんが本当に尊敬されてるなら、だけどな》
昭士はそう言うと、小さく嫌味な笑みを浮かべ、
《尊敬されてる自信がねーか?》
「……判った」
「尊敬されている自信がない」。自分からそう言う訳にはいかないのだ。王族という上に立たねばならない人間であれば、そう答えるしかない。
格も身分も格下(と思っていた)人物に論破されたかのように苦い表情を見せている王子。そんな彼をよそに昭士は客室の出口に向かって歩きながら、
《スオーラ。ちょっとこっちに来てくれ》
その理由が判らないスオーラは言葉に詰まって首をかしげるが、昭士はさらに強い調子で「来い」と言うと、判らないながらも彼に着いて行った。
昭士が出てから客室を出たスオーラが律儀に扉をしっかり閉めたのを確認した彼は、
《やっぱり不満そうだな、俺の提案に》
「判りますか」
スオーラは無表情を作ろうとして作り切れない、何とも繕い切れない顔のままで答える。
《そりゃ確かにエッセは放っておけないよ。けど早く姉に会いたいってお前をこれ以上放っておくのもさすがに無理だ。タダでさえ半日は予定が遅れてるからな》
「それはそうですが……」
歯切れの悪いスオーラの発言。
「わたくしはエッセと戦う戦士でもあります。現れたと判った以上、私情を挟む訳にはいきません。それは姉も判ってくれます。そもそも被害を広げる訳にはいきません」
《……笑ってみ、スオーラ?》
「……はい?」
言い返される事はある程度予測していたが、予測すらしていなかった言葉を投げかけられ、スオーラは呆気に取られて表情まで固まってしまう。そこを畳みかけるように昭士は続けた。
《離れて暮らしてるとはいえ家族には違いない。クーデターに巻き込まれてると判って穏やかじゃいられない。ついでにエッセまで現れて落ち着くどころじゃない。そりゃ判るよ。けどな……》
彼はそこで一旦言葉を切った。そして、
《無理して笑ってる笑い顔なんて、正直ずっと見ていたいモンじゃないぜ》
昨日賢者にも淡々と言ったその言葉に、スオーラは頭を殴られたような衝撃を受けた。
《割り切れとも開き直れとも言う気はねえよ。だけどさ。まだ「一人で」エッセと戦ってる訳じゃないだろ》
始めはスオーラしかエッセと戦える人間がいなかった。それは確かだ。だから一人で戦ってきた。
その後複数のムータが発見され、他にも戦える人間がいないかを探し、その結果昭士と出会ったのだ。
巻き込まれたという形ではあったが、昭士は自分から彼女と共に戦う事を決めた。理由はともかく賢者やジュンやジェーニオも協力してくれている。スオーラには秘密だが美和も。そして強制的にいぶきも。
スオーラの他に昭士を含めた都合六人がエッセと共に戦う「仲間」と言えるのだ。だいぶいびつな形ではあるが。
《姉の事はともかく、エッセの事は全部一人きりで気負って背負い込む事はない。みんなで背負えば少しは楽だろ。やり過ぎればさすがに肩も凝るだろうけどさ》
自分では上手い事を言ったつもりだったが、スオーラは笑わなかった。どうやら面白くなかったようだ。昭士はすぐに気を取り直すと、
《いいかスオーラ。俺達はいわば薬みたいなモンだ。必要になって初めて出番が来る。けどさ。薬の出番っていう事は既に具合が悪くなってる訳で。悔やんでも遅いし、いわば「手遅れ」だろ》
唐突に始まった喩え話。スオーラは口を出さずに律儀に聞く姿勢でいる。
《エッセもそう。エッセ現れたと聞いて行ってみても、とっくにエッセは暴れてるし、被害も出ちまってる。第一相手は神出鬼没だ。おまけに予防も警戒もできないと来てる》
「……仰りたい事は判ります。だからこそ放っておく訳には……」
《イイか、スオーラ。今言ったばかりだけど、何から何まで全部を一人でやる必要はないんだ》
このオルトラ世界では、相手の発言を遮って発言するのは失礼な事である。だが昭士はあえてそうすると、
《俺達の役目はエッセを倒す事。なぜならそれは俺達にしかできないから。でもエッセの攻撃から逃げたり、逃がしたり、身を守ったりは「俺達でなければ」ならない事じゃない。それは気の利いた普通の人間にだってどうにかできる事だろ》
そこで昭士はようやく一息ついた。そして少しだけ笑顔を浮かべると、
《俺はさっき薬に喩えたけど「どんな病気もコレ一個で治る」薬なんざ、むしろ怪しいだろ。風邪薬は風邪だけ治せればいいし、胃薬は胃だけ治せればそれで充分。だから俺達はエッセを倒せればそれで充分。そうだろ?》
何か言い返そうとしていたスオーラだが、昭士のその言葉に黙らされてしまう。
「わたくしが幼い頃、『どんな病気も治せる薬』を売っていた方が詐欺で捕まった事件がありました。考えてみればそんな薬など作りようがないというのに」
だがそれでも「万が一」に頼り、すがる。だからこうした詐欺は決してなくならない。
その喩えで、スオーラは改めて思い知った。どんな病気も治せる薬がないように、どんな事態をも解決できる人間はいない。
どんなに権力を持とうと、どれだけの力をつけようと、人間である限り総ての願いを聞き届ける事も、総ての困難を救ってやる事もできないのだと。
あれもこれもやろうとして、結局何一つできない。そうなりかねないところだったと、スオーラは思い至った。日本語で言うなら「二兎追う者は一兎をも得ず」といったところだろう。
だからといって、それと何もしないのは全く違う。だから昭士は「確実にできる事から先に一つ一つ片付ける」と言ったのだ。
《だけど「薬」の威力を充分に発揮させる必要はある。今のスオーラを見てるとそう思う。だからお前の姉の所を最優先にした》
彼は「最優先」をどことなく強調してそう言った。
スオーラの心配事であるクーデターに巻き込まれた姉の事を解決し、後顧の憂いを無くしてから改めてエッセとの戦いに挑む。
もちろんそんな事をしている間にもエッセによる被害は出続けるが、姉の事を気にして戦いに身が入らねばそれこそ戦いの足手まといにもなりかねない。命にだって関わる問題だ。
「……判りました、アキシ様。わたくしはこれからもあなたに従います」
スオーラは笑顔を浮かべて左手を伸ばし彼の左手に触れると、そのまま軽く握る。それから握った手を覆い隠すようにそっと右手を添えた。
このオルトラ世界では、左手は自分自身を表わす。そのため左手での握手は自分自身を相手にゆだねる=深い感謝や信頼を示す事を意味している。
男女でする場合は結婚の申し込みにも等しい別の意味があるが、昭士にもスオーラにも結婚の意志がない事はお互いが良く知っている。もう誤解をする事もされる事もない。
やがてゆっくりと手を離したスオーラは、今まで握っていた左手を感慨深げに見つめると、
「やはり、アキシ様はお強いですね。わたくしなどあれもこれもと思い悩んでしまうばかりです」
《いや。強くなんかねーよ。第一今まで言った事だってタダの受け売りだし》
照れくさそうな困った顔を見られたくないとばかりに、昭士はスオーラから視線を反らして窓の景色の方を見る。
《それに、俺も頭でそう判ってるだけで、実践まではできてねーしな。テキサス州に縁も所縁もないから淡々としてられるだけだ。地元だったらこうはいかねえよ》
だいぶ自虐気味に笑う昭士。視線を反らしているのでその表情は見えないものの、スオーラも釣られて小さく笑う。
そこで客室の扉が勢い良く開いた。その音に驚いてバッと勢い良く離れた二人が扉の方を見ると、さっきまで寝ていたジュンが両手を広げて立っていた。
「減った。腹。食う。何か」
さっきまで眠っていたから静かで非常に良かったのだが、一度起きるとこうである。
元々深い森の中で原始的な生活を営んできたのだ。基本日の出と共に起き、日の入りと共に寝る。食べ物が欲しければ森の中で果実を採るか動物を狩るか。ある意味自由な生活である。
それが昭士達と行動を共にするようになったからと言って、いきなり文明社会の生活サイクル通りに暮らせるとは思っていない。
だがここは動く密室列車の中。車輌の中に食べ物飲み物はどこにもない。彼女の要求に答える事はできない。だから昭士はどこか呆れたように、
《腹減ったって言っても、食いモンはねーぞ。食いモンが来たら起こしてやるから寝てろ》
「大丈夫。寝た。たっぷり。数日。起きてられる」
元気さをアピールしようと腕をブンブン振り回すが狭い車内のそれも狭すぎる通路での事。壁に勢いよく拳をぶつけて痛がっている。
だが二人が直前まで真剣な話をしていた事を察したのか、表情が生真面目なものに切り替わる。
「出たか。敵」
村一番の戦士と謳われたジュンの事。ヒョロッとした外見からは信じられない筋力を発揮するのが彼女達の一族だ。肉弾戦でこれ以上頼りになる者はおるまい。
《ああ出た。けどそこまで行くのがすっごく遠いんでな。どうしたモンかと相談してた》
「いや。近い」
ジュンはそう言うと、脇の窓ガラスに注目する。そしてベタッと顔面を押しつけるように窓の外を見出した。
背の低いジュンの上から窓の向こうの景色を見る昭士とスオーラだが、何もない荒野しか目に入ってこない。
だが原始的な「超人」であるジュンには何か見えるのかもしれない。昭士は、
《何か見えるのか、ジュン?》
「ノシ。来る。こっちに」
その真剣な声にウソも冗談もない。そもそもジュンには冗談を言う程の知識もセンスもない。
ノシとはさっきも話題に出た水牛の仲間ビゾンテの事だ。彼女の故郷の森ではノシと呼ばれている。
昭士は自分の世界に現れたエッセの事を言ったつもりだったが、ジュンは窓の向こうにいる(らしい)ノシ=ビゾンテの事だと思ったようだ。
そう言われて改めて目をよくこらしてみると、地平線の彼方にほんのゴマ粒程の黒い点のようなモノが目に入った。
「あれ……ですか?」
スオーラもジュンがウソを言うタイプではないと判ってはいるが、さすがに信じられないといった様子である。
だがゴマ粒が米粒、そして豆粒と猛烈な速さで大きくなっていく。そしてそれが確かにジュンの言う通りビゾンテであると判るまでにはそう時間はかからなかった。
だが。そのビゾンテは――最悪な事に一頭ではなかった。群れだったのである。
それもかなりの。

<つづく>


文頭へ 戻る 進む メニューへ
inserted by FC2 system