トガった彼女をブン回せっ! 第15話その4
『ナニにやついてやがンだ、気持ち悪い!』

鉄道の貨物車輌が空から飛んでくる。
この「異常」としか表現できない事態に、この場は騒然となった。当たり前である。
この世界、空を飛ぶ乗り物自体は存在する。だが「空を飛ぶ」貨物車輌など存在しない。
警戒心剥き出しで主人たる王子を守ろうと半円の陣形を素早く組む警備兵達。その視線の先には視力の良い者なら小さく見えるまでに近づいて来た貨物車輌がある。
その姿は遠く、それもかなり上空にあるため、こちらからの手出しはできない。だが警戒は怠れない。ここには一国の王子がいるのだから。
「み、皆さん落ち着いて下さい。わたくしが見て参ります」
スオーラは僧服のポケットから一枚のカードを取り出す。それは彼女専用のムータであった。それを目の前の何もない空間に向けてかざすと、カードの形がそのまま大きくなったような青白い光でできた光の扉が現れた。その扉がスオーラに迫り、彼女と交差する。
するとそこに立っていたのはさっきまでの彼女とは全く違う「彼女」だった。その劇的な変化に周囲の人間からどよめきが巻き起こる。
身長はぐっと伸びて周囲の大人と大差ない程に。体つきもかなりスタイルの良い熟した女性のものに様変わりする。
服装も詰め襟のような僧服から丈の短いカラフル――と言えば聞こえの良い、縫製パーツごとに色がバラバラのジャケット。黒のマイクロミニのタイトスカート、革製のサイハイブーツ。
後ろで縛っていた長い髪が白いマントと共に大きくなびき、鍔の大きい魔法使いの帽子が小さく揺らめく。
黙っていれば冷たい美人を彷佛とさせる大人びた表情のまま、彼女は自分のたわわな胸に右手を「めり込ませた」。
数秒経たずに引っぱり出した右手が持っていた物は分厚いハードカバーの本。魔導書だ。
その本をパラパラとめくっていき、目的のページを指先で摘んで破り取る。そして自分の胸の中から腕、指先、そして破り取ったページへと自分の魔力が流れ込むのをイメージしながら小さく呟く。
《VOCU》
するとそのページはひとりでにふわりと舞い上がったかと思うと、スオーラの背中のマントにピタリと貼りついた。するとそのマントは縦に大きく切り裂かれ、左右に広がった。まるで翼のように。
「では、行って参ります」
スオーラはそう言うと強く地面を蹴った。そして矢のように一気に空へ舞い上がったのである。空を飛ぶ魔法を使ったのだ。
彼女の魔法は自分専用の魔導書のページを破り取り、そのページに書かれた魔法を具現化するスタイルだ。一晩以上ゆっくり休めばページは復活するが基本使い捨てであり、同じ魔法を連続で使う事はできない。
あからさまに怪しい空飛ぶ貨物車輌に不用意に、かついきなり近づく事はせず、スオーラは上空を小さく旋回しながら遠巻きに見ている。
何と。上空に来てようやく判ったが、その貨物車輌はまさにノミ型エッセによって蹴り飛ばされたものであった。
さらに言えば、その貨物車輌はひとりでに飛んでいたのではない。何者かが持ち上げた上で空を飛んでいたのである。
その「何者か」は青白い肌の上から直接真っ赤なチョッキを着て、足首で細くなっている膨らんだ白いズボンを穿いている。首はもちろん手首足首に金の輪をジャラジャラと付けている。
黒く長い髪を頭頂部で一まとめにした上に白い布を巻いて直立させていた。
さらに驚く事に、左半分は鍛えられ引き締まった体格の男性で、身体の右半分は肉付きの良い女性だったのである。
「あれは……!?」
半分が男で半分が女。そんな人間は見た事がない。まだ距離はあるものの、そんな相手から敵意は感じられなかった。
どうやらあちらもこちらに気づいたようで、男女とスオーラの視線が交差する。
“ほう。魔法とはいえ空を飛べる人間がいるとはな。これは驚きだ”
“ほう。魔法とはいえ空を飛べる人間がいるとはな。これは驚きだ”
だいぶ偉そうな物言いではあるものの、驚いているのは本当のようだ。ただ男の声と女の声が重なったものなので少し聞き取りづらいが。
“我に人間と敵対する意志はない。道を開けてもらおう”
“我に人間と敵対する意志はない。道を開けてもらおう”
空中に道も何もない。だが敵対の意志はなくとも自分から相手を迂回する意志はないようだ。
「こちらも不用意に敵対する意志はありません。ですがお尋ね致します。あなたが持ち上げている物、それは一体何ですか?」
言葉は通じる。対話は可能。そう判断したスオーラは、警戒心を解かずにそう訊ねた。
正確な高さは判らないが、地上の人間が粒のように見える高さである。そんな高さから貨物車輌を落とされでもしたら地上にかなりの被害が出てしまう。
“我はこの……”
“我はこの……”
《何だ、スオーラか》
口を開きかけた時、貨物車輌の開けっ放しの扉から顔を出したのは昭士だった。彼はスオーラを見るなり、
《ああ、大丈夫大丈夫。こいつはジェーニオって精霊だ。一応味方……かどうかは判らねえけど、敵じゃあないから》
そう言いながら貨物車輌の下を指差す。と同時に貨物車輌が一瞬だけ大きく傾いた。バランスを崩して扉から落ちそうになる昭士。
すると車輌の下の精霊・ジェーニオはかなり不機嫌かつ偉そうな声で、
“我の言葉を遮って話すな。それは非常に不愉快な事なのだぞ”
“我の言葉を遮って話すな。それは非常に不愉快な事なのだぞ”
オルトラ世界では、相手の発言を遮って自分の話をする事を「マナー違反」「とても失礼な事」としている。だが昭士の世界にはそういう事はないので、ちょくちょくやってしまうミスだ。
ジェーニオが「わざと」貨物車輌を傾けたのはその抗議の意味もある。
昭士の世界の事をある程度は判っているスオーラは、
「アキシ様。ジュン様はいずこに?」
《ああ。バイクのサイドカーの中だ。こいつココが気に入ったんじゃねえのか。全然出て来ようとしないし》
昭士の答えを聞いてスオーラは苦笑する。そういえば昨夜もサイドカーに潜り込んで無警戒に眠り込んでいたのを思い出したのだ。ここからでは見えないが、今もきっとそうなのだろう。
そんなやりとりをしてから、精霊と紹介されたジェーニオに向かって声をかけた。
「どうも有難うございました。ジェーニオ様、でしたね」
“ジェーニオで結構、お嬢さん。様をつけられる程偉くもないのでな”
“ジェーニオで結構、お嬢さん。様をつけられる程偉くもないのでな”
ふんぞり返る、まではいかないがどことなく偉そうな物言いだ。言葉の中身はともかく。それを聞いた昭士は、
《じゃあジェーニオ。早速こいつを下ろしちまおう。下に見える鉄の道。そこに置いてくれ》
“心得た”
“心得た”
まるで重さがないようなスピードでジェーニオは降下していく。スオーラも大急ぎで後を着いて行く。


それから十分後。ジェーニオの力で無事線路に乗った各車両。細かな点検・整備を専門家に任せ、昭士達は客車に集まっていた。
客車の中にプリンチペ王子。元の姿に戻ったスオーラ。昭士、いぶき、ジュン。それからジェーニオ。都合四人と一振りと精霊一体。
王子の世話係がいそいそと飲み物を運んでくる。サイドカーから無理矢理引っぱり出されたジュンは思い切り不機嫌な顔をしていたが、飲み物が手渡されると嬉しそうにコップの水面を見つめている。
その飲み物は炭酸飲料のようで、コップの表面では炭酸の泡が小さく浮かんでは弾け続けている。その光景がとても珍しく、また面白いらしく、目をキラキラとさせて一口も飲まずに嬉しそうに眺めたり、弾ける時の小さな音に耳を澄ましている。
その間プリンチペ王子はジェーニオから事の詳細を聞き出そうとしていた。
確かに精霊など今や伝説か物語の中にしかいないと思われていた節もある。そんな存在がこうして目の前に現れては。事情聴取でなくとも話の一つも聞きたくなるのが情というものであろう。
どんな人間でも言葉が理解できる・させられるジェーニオの言葉はともかく、王子の方はパエーゼ国の言葉で話しているので、昭士には会話の内容が全く判らない。
だから会話は任せるとばかりに少し離れた席でジュンの物と同じ炭酸飲料をチビチビと飲んでいた。
横目でチラリと見ると、王子とジェーニオの会話はずいぶんと弾んでいるようだ。弾んでいるというよりは大半はジェーニオが話し王子がうなづいて少し話し返す、といった感じだ。
スオーラは自分も同じ飲み物を持って昭士の隣にやって来て、ちょこんと座った。
「アキシ様。ノミ型のエッセ討伐、有難うございました」
《まぁ、あの状況なら、俺がやるしかないしな。それに、礼を言われる事でもないだろ、もう》
基本巻き込まれた事とはいえ、自分でやると決めた事だ。彼女達と共に。感謝されるのは素直に有難いと思うがわざわざ言われるとどこか照れくささもあってつっけんどんに返してしまう。
そんな微妙な男心が判っているのかいないのか、スオーラは飲み物を一口飲むと、
「それであの精霊、ジェーニオと言いましたが、かつてマージコ盗賊団にいたと言っているのですが……」
声を抑え険しい表情を浮かべ、明らかに歓迎していない様子で会話中のジェーニオを見つめている。昭士はその表情をため息つきつつ見ると、
《やっぱり歓迎はしないか。坊主と泥棒じゃ正反対みたいなモンだろうからな》
「当然です。どんな理由があろうとも盗みはいけません。してはならない事です」
真面目な顔でキッパリと言い切るスオーラ。
さっき美和は「自分のような盗賊という存在を許す事は決してないでしょう」と言っていたが、どうやら本当にその通りらしい。だから美和ではなく賢者の方を引き合いに出す。
《さっき賢者に聞いたが、その盗賊団がいたのは二百年は昔だそうだ。今から二百年前の盗みの罪で裁きにでもかけるのか?》
「それは……」
《基本的に精霊ってのは、ご主人様に忠実らしい。そのご主人様が盗賊だったってだけだ。例えばナイフで人を殺したとしたら、悪いのは人であってナイフじゃないだろ》
昭士は道具に罪はない。罪があるのはそれを使う者。そう言いたいのだ。それはスオーラの信仰する宗教にも同じような説話があるため理解はできる。
事実王子も盗賊団にいた事を聞いても、その罪に関した事には全く触れていない。だがその理由は「我が国に精霊を裁く法律はない」という彼女とは全く違う物だが。
「それは判っているつもりなのですが、やっぱり『盗む』という行為を許す事は、わたくしにはできかねます」
スオーラは、自分でも胸の内をどう説明して良いのか判らない。そんな迷った声でそう言う。
《そう言うなって。むしろそうしたヤツを真っ当な道に導くのが、聖職者ってヤツの使命じゃねえのか。少なくとも、ウチの世界じゃそうらしい。……建前だけど》
最後は小声で付け加えるように呟いた昭士。彼の言葉にスオーラも真剣な表情で考え込む。
がじゃっ。
ほんの一瞬だけ静まった客車の中に、ドアを開ける音が思いのほか響いた。一同が一斉にドアの方を向くと、入って来た世話係の人間が何事かと身構えている。
しかし自分の役目を思い出したかのように、王子のそばまで走り寄って彼に何やら耳打ちをしようとするが、王子に何か言われ、その場で直立不動の姿勢になると、何やら大きめの声で喋った。
当然昭士には判らない。ジュンも同じく。いぶきに至っては自ら蚊帳の外だ。
だが王子もスオーラもジェーニオすらも、驚きのあまり表情があからさまに強ばっていた。その強ばり具合からするに、何かトンデモない事が起きたらしい。昭士はそう見当をつけた。
「アキシ様の世界には『ビゾンテ』という動物は棲んでいませんよね?」
唐突にスオーラがそう話しかけてきた。確かに聞いた事はないし、スオーラもあちらの世界で暮らしている時でも聞いた事がなかった。
「体長二メートルくらいになる水牛の仲間なのですが、他の牛が頭の横に短く曲がった角が二本あるのに対して、ビゾンテは額の辺りに、一本の太く短い角を持っています」
人差し指をいちいち頭に立てながらのスオーラの説明に昭士も想像してみる。
額に太く短い角。昭士はふとサイを思い浮かべた。サイのような角を持った水牛。続けて以前見た雑学番組の「サイの角は骨ではなく皮膚や毛が変化した物と云われている」という内容が連想された。この場合何の関係もないが。
「オレの。森。いる。いう。ノシ」
スオーラの話を聞いていたジュンがそう割り込んでくる。どうやら彼女の故郷の森にも「ノシ」という名前で生息しているらしい。昭士の世界では水辺や草原が主で森にはあまりいないようだが。
「とても温厚な性質でこの世界でも肉や牛乳のためによく飼われているのですが、一つ問題がありまして……。先程殿下の世話係の方がいらしたのも、その問題が理由なのです」
説明を続けるスオーラの顔が少し曇る。するとスオーラではなくジュンの方が納得したような顔をして片手で突き飛ばすような仕草をしながら、
「どーん。か。大変。アレ」
《どーん?》
当然昭士は訳が判らない。そもそも自分の世界にいない動物の事をいきなり判れという方がムチャクチャではあるが。
スオーラは話を続ける。
「温厚な性質の反動でしょうか。一度怒ったり興奮したりすると、目の前の物を体当たりして弾き飛ばしながら突進する習性があるのです。かつて頑丈に作った筈の砦が、一頭のビゾンテによって破壊された事もあるとか」
《ウソ!?》
昭士が驚くのも当たり前である。いくら自分から見れば百年は昔の文明とはいえ、戦うために作った砦である。頑丈でない筈がない。それをたった一頭の水牛が壊してしまうとは。
砦が脆過ぎたというより水牛の破壊力が凄まじいものだったとすぐに判る。おそらくジュンはその体当たりの様子を突き飛ばす仕草と「ドーン」という言葉で表現したのだろう。
「そのビゾンテの突進が、この先で確認されたそうです。それもペイ国の方面へ向かって」
なるほど。これから向かう先でそんな「暴走」があったとあっては表情が強ばりもしよう。砦を破壊する突進に巻き込まれたら、いくら列車でも洒落にならない。
《確かに巻き込まれたら怖いけどな。けどそこまでビビる事じゃ……》
「事なのです、アキシ様」
昭士が語尾を濁したところに、珍しくスオーラが畳みかける。
「ビゾンテの突進は、一度始まったら決して止まりません。自分がどれほど傷つこうとも、です。止まるのは自分が死ぬ時だけ。その間にどれだけの被害が出るか。しかも報告があったのは百頭単位の群れ。おそらくどこかの牧場のビゾンテ達が一斉に突進を開始したのでしょう。この規模ですと一国の軍隊でも止められるかどうか……」
世話係の報告を聞いた者達の表情が強ばった理由が、ようやく昭士にも理解できた。
「止まるぞ。ノシ。簡単に」
「ええっ!?」
チビチビと炭酸を飲んでいたジュンがキョトンとした顔でアッサリとそう言ったものだから、スオーラが目を点にせんばかりに驚く。
「掴む。角。正面から。止まる。それで」
キョトンとした顔のままジュンは言った。何でできないの? と言いたそうに首をかしげながら。
昭士はそのノシだかビヨンテだかを見た事はもちろんない。だが体長二メートルくらいの水牛と聞いている。しかも砦の壁をあっさりブチ壊す程の突進力を持っている。それを止めるだけでもどれだけの力が必要になるのだろうか。しかも角を掴んで。
昭士はジュンに向かってため息つきながら、
《人類の基準をお前達にしないでくれ》
本当に本心からそう言った。
ジュンが住んでいたのは森の中で未だ原始的な生活を営む女性だけの村。村人総てが戦士であり狩人であり呪術師でもある。
特に村一番の戦士と謳われた彼女は、小柄で細身にも関わらず、単純な力比べなら下手な力持ちなど寄せつけない強さを持っているのだ。
「確かにジュン様ならお一人でも可能でしょうけど……」
今度ばかりはスオーラも昭士に同意していた。ジュンと同じ事をこの国の軍隊にやらせる事自体が間違っている。
スオーラの驚いた声に一瞬注意が逸れた王子だったが、相当焦った様子で何かを命じるのを再開した。ところが世話係の方も唯々諾々とは従わず何か意見している。ように見える。
会話が理解できない昭士はその様子を眺めていたが、やがて王子はスオーラに何か言ってから自分も駆け足で客車を出て行った。
「少し待っていてほしいそうです」
スオーラが彼の言葉を簡単に通訳してくれる。
《待ってろって言われてもどのくらい待つんだよ》
昭士の不満げな声も当然である。
ここ客車には特に時間を潰せるような物はない。トランプのようなゲーム一つないのだ(この世界にそうしたゲームがあるかどうかは判らないが)。
時間を潰すと言われてもどうすれば良いのか。こんな時昭士は自分の携帯が型後れのガラケーである事を悔やむ。
現在主流のスマートフォンであればインターネットの閲覧も容易だし、こうした時間潰しに最適なゲームも豊富だ。
《かといって、この辺を観光して時間を潰すって訳にもいかないんだろ?》
昭士にとっては、ここは言葉も通じぬ見知らぬ土地である。
彼の世界のように誰もが携帯電話を持っている世の中であれば外出して時間を潰す事もできる。用事が終わって出発する事になったら連絡をすれば済む事だ。
スオーラはそんな昭士の退屈さを見抜いたのか、
「残念ですが、この辺りは観光できるような場所は何もありません。駅まではほんの数キロメートル程ですが、観光の名物になるような物ではありません」
そう言いながら荒野としか言えない殺風景な景色に目をやるスオーラ。
“どこか出かけるのであれば、我が連れて行ってやろうか”
“どこか出かけるのであれば、我が連れて行ってやろうか”
さっきまで王子と話をしていたジェーニオが声をかけてくる。確かに彼(彼女?)の力なら、数人を連れて行く事は雑作もあるまい。
だが「待っていろ」と言われているのに出かけてしまっては、万一入れ違いになった時の王子様の「キレ」具合を想像したくもない。
過去に飛行中の飛行船から叩き落とされた事がある昭士は、その時の光景を思い浮かべた。もっともその理由と原因を作ったいぶきは、どうでもイイとばかりに相変わらず無視を決め込んでいる。
「出かける」という言葉を聞いて、スオーラは外から昭士の方へ視線を戻すと、
「本当なら戦い抜きでアキシ様達にこの世界をゆっくり観て回って戴きたいのですけどね」
彼女が言う通り昭士は基本戦うためにしかこの世界へ来ない。だからこの世界の事で知っているのは極めてごく一部。一%にも満たないだろう。
スオーラからすれば、少しでも自分の故郷であるこの世界の事を知ってもらいたい。好きになってもらいたいと本心から思っている。
「そんな日が一日でも早く来る事を、願っています」
《そうだなぁ。こんな戦いは、しないに越した事はないもんな》
《そうね。そうすればこンなくっだらない事に巻き込まれないで済むし》
今まで黙っていたいぶきが、嫌みたらしく会話に割って入る。昭士はだるそうに大剣の姿の彼女の方を向くと、
《ふざけた事言うなよ。手伝う気もやる気も皆無のヤツが、終わってほしいなんて言う資格ねーよ》
一番の戦力が一番やる気がない。むしろ足を引っぱる事が多い。だが「巻き込まれたくない」という気持ちであれ、早く終わってほしいとは思っているようだ。
そんなどこか感心した表情を見たいぶきは嫌さ加減を露骨に出した声で怒鳴り散らした。
《ナニにやついてやがンだ、気持ち悪い!》
そんないぶきの刺ある言葉から逃げるように、昭士はスオーラに訊ねてみた。
《で。王子さんは何処へ出かけたんだ?》
「駅には電話機がありますから、それで国軍の駐屯地に指示を出すのだと思います。確かこの近くにあった筈です」
それを聞いた昭士は何か感心したかのように、
《じゃあ、王子さん自ら軍を率いて暴れ水牛と戦うって訳か?》
「そういう訳ではありませんが、王族が命じないと軍隊は活動できない決まりなのです」
スオーラが簡単に事情を説明してくれる。
確かに緊迫した情勢のようだが、相手がエッセでない限りは自分達の出番はない。
本当ならエッセを倒した以上、とっとと帰って自分の家でゆっくり過ごしたいのだ。それ以前にこうしたエッセ討伐でしょっちゅう学校を欠席している手前、授業に全く追いつけていないのである。
補習は受けなくとも、さすがにノートくらいは写させてもらわねば。その写す時間が欲しい事もある。
とはいうものの、いくら何でもこの状況でスオーラに送ってもらう訳にもいくまい。しかも列車で一晩かかる距離を。
加えてスオーラはこれからクーデターに巻き込まれた姉を見舞いに行く。この列車もいわば王子のコネでそのために出してくれたものだ。その「主賓」が往復の間の丸一日以上いなくなる訳にもいくまい。
ジェーニオはまだ王子と話の途中だったらしい。話の途中に割って入るのを良しとしない文化らしいので、この状況で勝手に連れ出して王子を無駄に怒らせたくはない。面倒だし。
もちろん一人でなど帰れる訳がない。道も言葉も判らないのだから。
昭士の世界とここオルトラ世界は何らかの関係があるらしく、位置がしっかりとリンクしている。現在判明しているのは、昭士の学校にある剣道場とスオーラのいる小さな教会の礼拝堂だ。
剣道場から一キロ北上した場所からオルトラ世界に来ると、礼拝堂から一キロ北上した場所に出る。これは何度か世界を移動している間に理解できた事だ。
世界の行き来そのものは自分の好きな時にできる。だが移動場所までは選べない。そこが問題なのだ。
もし出た先が危ない場所だったら。昭士の世界なら高層ビルの吹き抜けや土や海のド真ん中、はたまた化学工場や原子力発電所などに出てしまったら。それだけでも一大事である。だからこの場所から帰るのはリスクが大きすぎる。
そのため自分の事情を知っている何人かの友人にノートを写させてくれるよう頼むメールを打つ。耳をそばだてなければ聞こえない程小さなカチカチという音が聞こえている。
やがてそのカチカチ音が止み、ピーンという電子音が響く。メールの送信が終わったのだ。
しかし。何度やってもこの「異世界」でメールや携帯電話が使えるのか。疑問しか残らない。
そこら辺にアンテナが立っている訳でもないし、この世界の機械文明は百年は遅れている。初期型の固定電話がようやく公共施設などに少し普及したレベルなのだから。
にも関わらず、携帯電話の受信アンテナは総てしっかりと立ったままなのである。
場所がリンクする事と、何か関係があるのだろうか。そんな考えをしても昭士には、
未だ答えは出なかった。

<第15話 おわり>


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