トガった彼女をブン回せっ! 第14話その1
『がへさしていらしうだの』

夜十一時の少し前。ソクニカーチ・プリンチペの町にある、鉄道の駅。駅の名前はそのまま「ソクニカーチ・プリンチペ駅」。
街灯が町のあちらこちらに立っているとはいえ、こんな夜遅くまで開いている店はほとんどない。実際見える範囲では開いているような店は見受けられない。
その辺りは自分の世界の駅前とは様々な事情が異なるようだ。角田昭士(かくたあきし)はしみじみとその辺りの「差」を噛み締めるように周囲を見回していた。
《やっぱり暗いなぁ》
「えっ、暗いですか?」
そんな昭士の呟きに反応したのはモーナカ・ソレッラ・スオーラ。この町の教会に所属する托鉢僧の少女である。
「確かにアキシ様の世界と比べれば、暗いかもしれませんね」
昭士はこの世界の人間ではなく、別の世界の人間である。このオルトラ世界より百年は科学技術が進歩した世界。
夜においても街灯などで明るい町が多いし、夜中はおろか夜通し開いている店も数多い。まさに「不夜城」という言葉が似合う世界である。
スオーラはこのオルトラ世界の住人だが、昭士の世界とを行き来する事ができるし、今はあちらの世界にも住環境を持っている。まだまだあちらの世界の常識にうとい部分はあるが、全く無知な訳ではない。
《まぁ比べる方が悪いってのは、判ってるけどな》
昭士は背中の巨大剣を少しだけ背負い直す。
この巨大剣は「戦乙女(いくさおとめ)の剣」。刃の部分だけでも昭士の身長一六二センチよりもずっと長い剣だ。
その勇ましい名に見合う威力を誇り、彼等が戦う謎の侵略者・エッセに対し極めて絶大な効果がある。これまでもほとんど一撃でエッセを粉砕してきた。
さらにこの剣はオルトラ世界では巨大剣だが昭士の世界へ行けば彼の双子の妹・角田いぶきになる。
剣の姿になっていてもいぶきの五感と意識は健在であり、文句ばかり言ってくる。
それは彼女が「他人のために」何かをするという事を病的に嫌っている上に、上から目線で相手を攻撃する事が大好き。それが原因で他人ともめたり、騒動ばかり起こして、昭士がそれに巻き込まれている。
しかし今は「無言の抵抗」の最中にして就寝中。その無駄に敵を作る言動がない分まだ安心できる状態だ。
そして今彼等は、いぶきの言動が原因でもめた事がある人物との待ち合わせなのである。
《会わねー訳にはいかねーんだよなぁ》
誰に言うともなく呟いたその言葉にも、スオーラはきっちり反応を見せてくる。
「さすがに今度は大丈夫かと。殿下もいぶき様の事はご承知でしょうから」
昭士の脳裏に、初めてその「殿下」と対面した時の事が蘇る。
要はいぶきの「暴言」が原因で、空を飛んでいる最中の飛行船から放り投げ出されたのである。その時にはスオーラが我が身を顧みず魔法で助けてくれたのだが。
《……来たみたいだな》
「そうですね」
薄暗い道のずっと向こうに、車のヘッドライトが見えた。このオルトラ世界では車はようやく出回り始めた「最新の機械」である。それに乗っている人物は間違いなくそれなりの地位の人物以外にはあり得ない。
まだ舗装されていない道路をガタガタと揺れながらやって来たその車は、二人の少し手前でピタリと停まる。停まると同時に車から飛び出して来たのは、昭士達よりずっと年上のスーツ姿の青年である。
スーツの上からでも判る、鍛えられた逆三角形の体型。そんな彼がだいぶ忌々しそうに昭士を睨んでから、スオーラの方に向き直る。
「クニチトクニコナスニシチミー、スオーラ」
「ご無沙汰しております、殿下」
声をかけられたスオーラはその場で膝をついてかしこまる。
それはそうである。このスーツ姿の青年こそ、このパエーゼ国の第一王子パエーゼ・インファンテ・プリンチペ本人なのである。
「ノラミーシラクチ・シチニマラナコナ・シチスラナミー?」
「それは、おそらく大丈夫かと」
スオーラとは、世界を行き来するために使う、エッセと戦う戦士の証とも言えるカード上のアイテム・ムータのおかげで普通に話しても言葉が通じるが、それ以外の人間とは言葉が通じないし、何を言っているのかも判らないままだ。
スオーラは頑張って昭士達の国の言葉――日本語を修得しているが、昭士の方はこの国の言葉すらサッパリな状態だ。
「あの、殿下。アキシ様はマチセーラホミー地方の言葉ならば判りますので、そちらでお話しされた方がよろしいかと」
スオーラのその言葉に「そうなのか」と言いたそうな顔をした彼は頭の中で何か考え込むように間を取ると、再び昭士の方を向いて、
「あー。がへさしていらしうだの」
《……は?》
言葉の響きが全く違うので、この世界で日本語に近似しているマチセーラホミー地方と呼ばれる場所の言葉を話しているようなのだが、日本人の昭士ですら何と言ったのか全く理解できない。そもそもこれが本当に日本語なのかどうかも怪しいくらいだ。
だが、からかっているにしてはその表情は真剣そのもので、本気で日本語(?)を話しているようにしか思えない。
「言っていら事が判きやねのだな?」
今度は何となく判った。そしてこの奇妙なアクセントやイントネーションから察して、これはどこかの方言だ。
そしてこの相当キツそうな方言から察すると、北の端か南の端くらいに極端な地域の方言だろう。標準語しか判らない昭士では方言など判る筈がない。
日本語は方言がたくさんあり、下手をすれば同じ「日本語」にもかかわらず何を言っているのか全く判らないという不思議な言語なのである。
《あー、どこの言葉か判らねーんだけど。ってか、どこの方言だよ、それ》
外人が一所懸命方言で話そうとしている。それもかなり田舎を彷佛とさせる方言で。そのギャップがたまらない笑いをもたらしているのだが、ココで笑ってしまっては、以前の二の舞になるに決まっている。
この言い方もかなり相手を傷つける物言いではあるのだが。
「クラナキイミ?」
不意に言葉が元に戻る。おまけに表情がずっとどことなく不機嫌そうなままなので、怒らせたのか否かがとても判りづらい。
「殿下。マチセーラホミー地方は……」
スオーラがそう言いかけて、彼は「ああそうか」と言いたそうに何かを納得した表情になる。
当然その理由が判らない昭士だったが、プリンチペ殿下が現地語でスオーラに何やら指示を出した。
それを聞いたスオーラはかたわらに停めていたサイドカー付きのバイクを押して行ってしまった。ここに一人でポツンといる訳にもいかないので、彼もその後に着いていく。
彼はサイドカーの中で丸くなって寝ているジュンを見下ろして、
《気楽でイイな、こいつは。まぁ起きてたら違う意味でややこしい事になってるけどな》
ジュンはこの国の隣に位置するマチセーラホミー地方の住人である。深い森の中で今なお原始的な生活を営む女性ばかりが住む村の出身。隣と言っても文化や常識に至るまで、総てが全く違う。
いぶきとは違うベクトルで殿下に対して何かしでかしそうなのである。タダでさえジュンの村は他の国々――特に年輩の人間からは「森の蛮族」と呼ばれ、蔑まれているのだ。
幸い言葉に関しては昭士の話す「標準な」日本語とあまり変わらない。ジュンは単語を繋げたような拙い物言いだが、プリンチペ殿下のようなキツイ方言よりはずっと判りやすい。
《スオーラ。一体どういう事なんだ? そのマチナントカがどうなんだよ?》
昭士もバイクを押すのを何となく手伝いながら彼女に問いかける。するとスオーラは、
「マチセーラホミー地方は、約五十の地域に分かれているのです。文化・習慣的にはあまり変わらないのですが、言葉があまりにも違い過ぎるので、同じ言葉を話す方々同士で『区域』を定めたと云われています」
大きく息をつきながらそう説明してくれる。
「パエーゼ国とは隣同士ですから、もちろん交流はあります。そのため自分が行った先の『マチセーラホミーの言葉』を覚える形になります。かつて殿下が行かれたのは、森と湖で有名な・チラモラスニ区域。おと、キエーリコ僧様はマチセーラホミー最古の都市であるノチミトチニ区域。わたくしに言葉を教えて下さった方はマチセーラホミー最大のカラナノンラナ区域の方です」
各固有名詞は言いにくいし判らないが、昭士の感覚で言うならば各都道府県がそれぞれ小さな国のような物で、それらをまとめて「マチセーラホミー地方」と呼ぶ、といったところか。
《けどそれなら何で『マチナントカ国』って言わないんだ?》
「互いが文化や言語が異なるまま共存共栄を果たしているため、統一を宣言していないからです。アキシ様の世界ではどうなのか判りませんが、このオルトラ世界ではどんな制度でも「統一」宣言をした区域を『国家』と判断しています。そうでない区域は『地方』と呼ばれます。しかしそれでも外敵に対してはマチセーラホミー地方全体が我が事のように団結し協力し合いますけど」
世界が違うゆえの「違い」。こういう話を聞くとやっぱり自分は別の世界へ来ているんだと、改めて実感する。
「わたくし達から見れば、文化は仕方ない面もありますが、言語くらいは統一、もしくは共通語や標準語のような物を作ってもらえれば良いと思っていますが、なかなかそうはいかないようです」
《共通語がないのか……》
昭士は各自が覚えている言葉がここまでバラバラな理由を理解した。確かに共通語や標準語があるのなら、外部の人間はそれを覚える方が良いだろうから。
昭士の世界ではもちろん方言が色濃く残っているものの、全国的に標準語というものが浸透している。だからいざという時はそれで充分意思疎通が可能だ。
しかし同じ日本語とはいえ方言しかないとなると、いざという時の協力はどうしているのだろうという素直な疑問が沸き上がった。
そんな会話をしながら駅の入口ではなく、貨物をやり取りするであろう違う入口から入る。前を見ると小さな貨物車の扉が開け放たれ、長い板を渡してスロープが作られていた。
そこへ制服姿の職員が駆け寄って来て「これは私達が運びます」と言いたそうにスオーラからバイクを受け取って、数人がかりで貨物室の中へ入れている。
《なぁ、ジュンはどうするんだ? あのままで良いのか?》
昭士の言葉に、スオーラは慌てて貨物室に飛び込んで行った。そしてジュンを肩に担いだ状態でヨロヨロと出てくる。
その光景に昭士は苦笑いしてスオーラからジュンを受け取る。相変わらず無邪気に眠ったままだ。
危険な森の中で原始的な暮らしをしているのであれば、外部からの刺激には相当敏感だと思うのだが。特に彼女達は狩りの最中森の中で寝泊まりする事も珍しくないと聞くのに。
「わたくし達を信用して安心してくれているのであれば、よろしいのですが」
ジュンの寝顔を見つめるスオーラも、彼と共に苦笑いしていた。


バイクを置いた二人(と一人)が乗り込んだのは、プリンチペ殿下が用意した王室専用列車であった。
本来は王族が他国へ鉄道で出かけるための専用車両であり、そうでない人間は乗る事はおろか近づく事すら許されていない。
そのため内装は鉄道の車両ではなくもはや完全に高級ホテルの一室である。
部屋の中はいくつものガス灯で照らされており、電気よりは若干暗い感じがするが、それでも充分明るい。
壁は綺麗な壁紙が貼られているし、床には踏んで歩くのがもったいないほどフカフカの絨毯が敷き詰められている。
座席もボックスシートのようなものではなく、普通のソファにテーブルそのものである。それ以外にも壁に沿うように寝椅子まで置かれている。
昭士も自分の世界の鉄道博物館で昔の「お召し列車」を見た事はあるが、本当にあんな感じなんだと感心していた。
「ゆったどどぐつろぎまれ」
どこかの方言でそう話しながら、ソファに腰かけるようジェスチャーをするプリンチペ殿下。
眠ったままのジュンを寝椅子に寝かせ、背負った巨大剣を適当に立てかけた昭士。スオーラは寝椅子のジュンにそっと薄手の毛布をかけてやっていた。
その光景に少しだけ悲しそうな顔を見せる殿下。それは無理もないだろうなーと昭士は声に出さずに思った。
かつてスオーラと彼は親同士が決めた婚約者同士だったからだ。もっともスオーラは僧職の方に積極的で、あまり結婚の意志が強くはなかったのだが。
しかしエッセと戦うようになり、昭士達と出会い、いろいろあって現在その婚約は解消。スオーラは托鉢僧の身分で二つの世界を行き来してエッセと戦う生活を送っている。
「今晩げはこごで過ごしてぐれ。明日詳しい話ば聞かせてほしい」
スオーラはプリンチペ殿下のその要望を素直に聞き入れた。
確かに現地まで三日はかかると聞いている。時間ならたっぷりとある。スオーラとは積もる話もあるだろうし、現状の報告もしなければなるまい。
言葉の関係もあるし、その辺りはスオーラに任せておけば問題はあるまい。色々と苦労と負担ばかりかけてしまっているが、それは自分がエッセを倒す事で果たそうと思っている。
《あー、ちょっと一つ質問》
昭士が何となく挙手してプリンチペ殿下に訊ねる。一応日本語(?)が判るようなので、このくらいなら大丈夫だろうと思ったので、スオーラを解さず質問を投げかけた。
事実理解はできたようで、動きを止めて昭士からの質問を待っているようだったので、彼はさらに続けた。
《俺達、どこで寝ればいいんだ? まぁこのくらいフカフカの絨毯なら、ここで寝ても寝心地は良さそうだけどな》
最後の方は若干皮肉っぽい雰囲気になってしまった感じはするが、殿下の方は自分達が入って来たのとは反対側のドアを指差すと、スオーラに向かってここの言葉で何やら告げていた。
「ハ、ハイ。判りました。ご配慮、感謝致します」
スオーラはその場で深く頭を下げる。それを見届けると、彼は自分達が入って来たドアから外に出て行った。
《……なぁ、一体何を言ってたんだ?》
スオーラは得意そうに小さく咳払いをすると、
「この車両は王室専用列車の、来賓用の客室になるそうです。あちらのドアの向こうに個室が二部屋設置されているそうですから、そこのベッドで眠れるそうです」
《あ、そ。じゃあお前とジュンはそっちで寝ろよ。俺はここでイイから》
いぶきが原因の騒動で女性に対してはあまり関心を抱かない昭士ではあるが、それなりの配慮がない訳ではない。
昭士はジュンを起こさないようそっと毛布ごと持ち上げると、スオーラの誘導で個室の一つのベッドに寝かせ、静かに個室を出る。
その間にスオーラは客室のガス灯の明かりを消し、大きな窓のブラインドを閉めていた。
彼女が最後の一つを閉めようとした時、鋭い汽笛の音が聞こえて来た。そしてゆっくりと車両が、そして眼前の景色が流れて行く。出発したのだ。
《……大丈夫か、スオーラ》
これからこの列車が向かうのは、隣にあるペイ国。だがその国はクーデターの真っ最中。結婚したスオーラの姉が巻き込まれている可能性が高いのである。
《姉さんがいる町がエッセに襲われたんだろ。いぶきみたいなヤツじゃない限り、心配して当然だろ》
「確かに姉の事は心配ですが、ペイ国にいる賢者様も調べて下さっています」
そういう事を笑顔で言うから逆に不安なのである。昭士はそう思った。
「それに……エッセが現れた事によって、クーデターが一時的とはいえ中断していますから」
エッセはこの世界に住む人間共通の仇敵。現れた時には皆で協力しようという取り決めにしていたようだ。そのためクーデターで封鎖されていたこの鉄道がペイ国まで通じるようになったとも言える。
本当は彼女が乗っていたサイドカー付きのバイクでパエーゼ国を縦断する予定だったのだから、それに比べれば早く快適な旅路である。
「そのおかげで、こうしてペイ国へ行けます。姉上の事も調べられます。もちろんエッセ討伐が最優先ですが」
《判った。とにかく今は俺達にやれる事は何もない。とっとと寝とけ》
「そうですね、アキシ様。どうか良き眠りを」
スオーラは日本風に軽く頭を下げると、個室の方へ引っ込んで行った。
それを確認した昭士は、わざわざ彼女が去った扉とは逆の扉を開けて客室から薄暗い通路に出る。
乗降口のガラス窓から差し込む明るい月の光を頼りにそこまで行くと、光を背負わないように壁にもたれかかった。
そしてポーチから携帯電話を取り出し、まず自分の親にメールを送った。両親も今の自分達の境遇を知ってはいるが、さすがに何の連絡もしていないのでは心配の一つもしよう。
世界が違うのに何故か使えるメールを無事送信し終わると、今度は電話帳を開く。そして「賢者」と書かれた名前を選択した。
「賢者」とはこの世界では名高い人物らしい。フルネームはモール・ヴィタル・トロンペ。これから自分達が向かうペイ国の出身らしいとさっき聞いた。
現在は一人祖国へ赴いて情報収集をしてくれている。クーデターに巻き込まれたというスオーラの姉家族や、そこに現れたエッセに関する事も。
しかし珍しく連絡が少ない。どうせ気持ちが高ぶって緊張しているので、すぐには眠れそうもない。そんな思いと考えでボタンを押し、電話をかける。
しかし電話を耳に当てず、ずっと「呼出中」と表示している液晶画面を見つめている。その画面が「通話中」に切り替わると同時に通話を切る。通話代節約のテクニックである。誉められた事ではないのだが。
何となくそのポーズのままじっと待っていると、一分ほど経ってからマナーモードにした携帯がぶるるっと震えた。
液晶画面には「賢者」の文字。昭士の親指が素早く「通話」ボタンに動く。
《はい》
『……私だ』
もはや毎度恒例といった感じの、昭士と賢者とのやりとり。多少不機嫌な声なのは否めないが、それでもきちんと返信をしてくれる律儀さに昭士は感謝すると何となく小声で、
《そっちの……ペイ国って言ったか。そっちの様子はどうなんだよ》
『どう、と言われましても……』
《少しはスオーラに情報回してやれよ。無理して笑ってる笑い顔なんて、正直ずっと見ていたいモンじゃないぜ》
列車の走る音がとてもうるさいが、昭士はボリュームを落とした声で話している。少しでも周りには聞こえないようにという彼なりの配慮である。
『ああ。町には多少被害が出てしまいましたが、彼女のお姉さん一家は全員無事です』
そのあっけらかんとした物言いに呆れた昭士は、思わず首をガクンと倒してしまう。
《あのなぁ。それならとっとと電話くらいよこしてくれよ。俺のでもスオーラのでも良いからよ》
スオーラは日本でプリペイド携帯を購入しているし、昭士も自前で持っている。しかもこの賢者も携帯電話(しかもスマートフォン)を持っているのだ。どこから入手したのかは判らないが。
おまけにこの世界では何故か電波が通じるので、連絡自体はいつでも可能な筈なのだ。
『そうはおっしゃいますが、この世界は携帯電話という物が存在しないのです。そんな世界で気軽に携帯電話を使う訳にはいきませんよ』
そういうものか、と昭士は思った。自分にとっては生まれた時から既にあり、また欠かす事のできない道具。どうもその辺りの微妙な配慮というものが判っているようで判っていない。
『それにエッセの出現によってクーデター自体は中断していますが、この国の軍隊がまだまとまりを見せていません。そのため混乱そのものは未だ続いています』
《どういう事だよ、それ?》
賢者の説明によれば、以前エッセが出現した際、大軍をもって戦った事があった。その話自体は昭士も聞いていたが詳細は良く知らない。
確か大軍のほとんどが死んでしまい、それだけの犠牲を出してようやく一体を倒せたのみ。戦場となった場所は荒れ果て巻き込まれた町や村は壊滅状態。知っているのはそのくらいだ。
そして賢者が言うには、その軍隊と装備の大半を捻出したのが、この軍事国家・ペイ国だと言うのである。
ペイ国からしてみれば、ここで自分達の強さを周辺諸国にアピール、という目的もあっただろう。
だが結果だけを見ればペイ国を含めた周辺諸国連合軍は壊滅。同時にそれだけの犠牲を払ってようやく一体を倒せたのみ。アピールをするどころではなくなってしまったという。
エッセそのものが国家の仇も同然の存在。何が何でも我々が倒すべきという考え。
我々がやるべきだが、大軍を壊滅にまで追い込んだ存在相手にこれ以上の損失を避けたいという考え。
今は昭士やスオーラといった「エッセと戦える者」の存在が知られている。彼等に任せればいいという考え。
そんな三つの意見で国はもちろん軍隊内部にも派閥ができてしまい、今度は軍隊同士の内紛が始まるのではないかという緊張感で町が相当ピリピリしている有様なのだそうだ。
いくら「エッセが現れたら昭士やスオーラに任せよう」と取り決めをしていたとしても、そう簡単に割り切れる程、彼等の感情は納得してはいないのだ。
むしろ昭士達の来訪が反対派のそうしたピリピリした緊張感を爆発させ、どんな事態になるか判らない。下手をすればクーデター以上の内紛が勃発するかもしれない。そんな状態なのだ。
『いくら情報を提供してほしいと言われていても、お姉さんが滞在している町がそんな有様とは言えませんよ』
賢者の言葉を聞いて、昭士も暗い顔で黙ってしまった。
スオーラがそんな町の状況を聞いてしまったら、今の無理をしている笑顔に拍車がかかるだけだ。
《こっちは殿下とやらの列車でそっちに向かってる。三日はかかるって言ってたな》
『そうですか。その短い間に人々の混乱も少しは落ち着いてくれると良いのですが……ああ、申し訳ありません。来客のようですので、また後ほど』
そう言って賢者からの通話が切れた。
昭士は携帯電話を畳んで通話を切り、力なく後ろの壁にもたれかかった。
始めは良く判らない謎のモンスターを倒すだけの簡単なお仕事(ただし命がけ)だと思っていた。
それがいつの間にか国や組織の思惑やこだわりがドンドンと入ってきている。世の中単純明快な事ばかりでないと判っていても、ややこしくて面倒な事がドンドン増えている気がする。
もちろん今回のこの列車のように有益すぎる援助もあるから、悪い事ばかりでない。とはいえ、戦う前から面倒や苦労ばかりというのはさすがに戴けない。
ただでさえ「他人のために動かない」いぶきが足を引っぱりまくって面倒や苦労を抱え込んでいるのだ。
だから、せめてそれ以外は楽をしたってバチは当たらないだろう。と思いはするのだが、世の中そう上手い事行く訳もない。
そう思うと妙に疲れがドッと出てきたような気がした。その疲れに任せて寝てしまおう。
昭士はそんな思いで客室の方に戻ると、さっきまでジュンが横になっていた寝椅子に、
そのまま横になった。

<つづく>


文頭へ 進む メニューへ
inserted by FC2 system