トガった彼女をブン回せっ! 第12話その4
『でもこれ、要らなくなっちゃいましたね』

オルトラ世界はパエーゼ国。その主要都市ソクチカーチ・プリンチペ。
その郊外にある劇場・カイチホカラスラ古劇場。元々は遥か昔の劇場である。しかし作り自体はまだ充分使用に耐えるものと判り、改装。そしてそのこけら落としの公演が行われている。
……その楽屋の一つ。この世界の托鉢僧モーナカ・ソレッラ・スオーラは、かなり強面の劇場警備員に詰め寄られ若干腰が引けそうになりながら、自分の足元を指差していた。
そこにはかすれた咳をしてうずくまる、ほとんど全裸に近い格好の女性だった。このオルトラ世界では全裸でない限りは同性でも異性でも見て・見られて恥ずかしいと思う事がない。そのため強面の警備員達も平然としていた。
むしろ避難をうながしに来た途端「泥棒がいました」と言われたので、そういう方面で驚いている。
「盗みを働いていた、と仰いますが……?」
明らかに僧侶の格好をした女性――まだ少女と言った方が良い年頃のスオーラを見て、みぞおちを押さえてゲホゲホと言っている女性に視線を移した時だ。
その表情は心底「信じられない」と訴えていた。それも無理はないだろう。
なぜならその女性こそ今回の公演で主役を演じる人気舞台女優プロタゴニスタ・ディーヴァだったのだから。
「えっ!? どうしてディーヴァ嬢が!? どうされたのですか?」
そしてもう一人の警備員が、ロッカーの前に寝かされている着替え途中の人間達を見るなり、
「これは一体どういう事なんだ!? それに、その……人形みたいなヤツは!?」
さらに全身真っ白の等身大人形のような姿を見て警備員達も何をどうしたら良いのか。そんな具合である。
そんな隙をついて咳をしながらみぞおちを押さえて立ち上がろうとしたディーヴァの腕を掴んで自分の方に引き寄せたスオーラ。更に後ろから脇を通し首の後ろにまで腕を回して拘束する。
「はっ、離せ、この小娘!」
もがきながら発したハスキーな声で、警備員達はハッとなる。ディーヴァの売りは高く澄んだソプラノの声。こんな低い声の筈がない。
「なっ、何者だ、貴様!」
警備員が疑問に思ったのは当然だろう。人気女優のニセモノが現われたのだから。
おまけに彼等の目を疑いたくなるような光景が起こり出した。
何と。ニセ・ディーヴァの顔がぐにゃりと歪み出したのである。それこそ溶けた蝋か粘土のように。顔だけではない。肩も身体も腕も脚も全身がぐにゃりと歪んで、しかもぼやけていく。
そうした全身のぼやけや歪みはすぐに止まった。
明るい栗色の髪が肩口で切り揃えられた真っ黒い髪に。目鼻立ちの整った染み一つない顔は低い鼻とソバカスの目立つ顔に。女優らしい凹凸豊かなボディラインはだいぶ淋しい――しかし明らかに女性の物に。
そんなメリハリのない身体を包むのは、薄手の生地ながら胴体全体と太ももを皺や隙間なくピッチリと包み込んでいる、見た事もない不思議な服だった。そんな服の腰にはポーチが、右ももには小物入れらしい箱がついた黒く太いベルトが巻きつけてある。
もしこの場に昭士がいたら「最近のオリンピック選手の水着か」とでも形容しただろう。実際オールインワンとも呼ばれるつなぎタイプの水着そっくりなのだが、そんな事はオルトラ世界の彼女らに判る筈はない。
きっとこの姿が本来の、ニセ・ディーヴァの正体なのだろう。さすがに変装がばれてしまってはこれ以上暴れる気は失せたらしく、抵抗らしい抵抗を止めたその女性。その表情は暗く表情をあえて殺しているようにも見える。
そしてさらにニセ・ディーヴァの正体があらわになると、のっぺりとした等身大人形の姿も同じようにぐにゃりととろけてぼやけていく。
そうしたぼやけがすぐに止まると、今度はその人形が舞台女優プロタゴニスタ・ディーヴァの姿になってしまったのである。
しかしこの変化は何なのだろう。人間業とは思えないが、このように容姿をガラリと変えてしまう魔法というのも聞いた事がない。
「その女がみんなを眠らせ、私に変なカードを見せてきた途端、その女が私の姿になりました!」
さっきとは全く違う、高く澄んだソプラノの声で皆に訴える。その声でそちらが正真正銘のプロタゴニスタ・ディーヴァと理解した全員。
警備員は腰を落として警戒を強め、スオーラも拘束する腕の力を強める。
しかし、羽交い締めにしている体勢が体勢だけに、至近距離だがニセ・ディーヴァの細かい所まで観察できないでいるスオーラ。
一方のニセ・ディーヴァの女はさっきと同じハスキーな声でため息をつく。
「まさかこんな形で見つかってしまうとは思いませんでしたね」
同時にスオーラの拘束をいとも簡単に抜け出して、開けっ放しのドアから逃走。おまけに足音が全くしない。そのあまりのスピードは、まさしく「目にも止まらぬ」という形容そのものだった。
しかしそれでも警備員が追いかけていく。スオーラもそれを見送る形で楽屋から外に出た。すると廊下の向こうに駆けて行くニセモノと警備員達の後ろ姿が見えた。それも何となく見送ってしまう。
そこで、後ろからドタドタとした重い足音が聞こえて来た。スオーラが振り向くと、やって来たのはカラフルと言えば聞こえのいい、変身したスオーラのジャケットと同じような色的にチグハグなスーツを着た、太った男性だった。
彼なりに一所懸命走って来たようで額に汗が滲んでいる。彼はスオーラの立つ楽屋の入口で立ち止まると、ずいぶんと酒臭い息をはあはあと吐きながら汗をぬぐっている。
「何かネ。騒がしいと聞いてネ。来てみたんだけどネ」
いちいち語尾が跳ね上がる特徴のある喋り方。それからスオーラの姿を確認すると、かけているメガネをわざとらしく上下させてピントを合わせるような仕草をする太った男性。
「驚いたネ。モーナカ家のネ。お嬢さんじゃないですかネ。ボクネ。ベヴィトーレですネ」
彼はもちろん、スオーラも彼の事を良く知っていた。
彼の名はリッコ・ベヴィトーレ・ウブリアーコ。この街でも有数の豪商であり、この国はもちろん周辺国にいくつもの支店を持つ、大型雑貨店のオーナーであり有名な実業家である。
それと同時に何人もの役者・芸術家のパトロンを務めており、今回のこけら落としに出演する役者の何人かは彼が惜しみなく支援をしているし、今回の公演費用もかなりの額を負担している。
ちなみに名前の最初につく「リッコ」とは、そうした社会貢献をしている人間に与えられる称号のような物である。
こう説明すると良い人物のようであるが、人間的な評価はさほどでもない。
それは彼が金勘定がいい加減なところと、ひどく大酒飲みだという事だ。
前者の方は、機を見るに敏という言葉を体現したような経営勘の為目立っていないが、後者は大問題なのだ。
酒乱やセクハラではなく、酔っ払うと誰彼構わず酒や食事をおごったり、身につけている高価な指輪やボタンをホイホイと気軽にあげてしまうのだ。
そんなノリで店の権利を見ず知らずの他人にあげそうになった事が何度もあると聞く。人間的な評価が低いのはそういった「不安」な面を見ての事だろう。
スオーラはベヴィトーレの酒臭い息でそういった事を思い出していると、彼はスオーラを押し退けるようにして楽屋に入り、ディーヴァの様子を見ると大きく両手を広げ、
「ディーヴァちゃんネ。大丈夫ネ。ケガないネ?」
「はい、ベヴィトーレ様。こちらの方と……」
既にいなくなってしまった昭士達の事を言おうとした時、ベヴィトーレは床に寝かされたままの役者達を見下ろすとスオーラに向かって、
「お嬢さんネ。何してるのネ。早く介抱をネ。してあげないとネ」
そう言われ、スオーラは初めて「そういえばそうだ」と思い返し、寝かされている役者達の様子を見て回る。
幸いにして全員眠らされている事を再確認しただけだったが、それを改めてベヴィトーレに伝えると、彼は胸を撫で下ろし、
「良かったネ。特にディーヴァちゃんネ。ボクにとってはネ。まさしく女神様ネ。だからネ。援助してるネ」
ほとんど全裸のままの彼女を、これ以上見てはならないと言いたそうに顔を両手で隠して背を向ける。
この世界では全裸でない限りは見て・見られて恥ずかしいと思う概念がないが、己があがめる女神のあらわな姿は見てはならない、と誓いを立てているかのようでもある。
パトロンでありスポンサーであれば、それを盾にふしだらな要求や理不尽な条件を突きつけてくる輩も多いと聞く中、ベヴィトーレは違うようだ。
彼は相変わらず酒臭い息のままスオーラの正面に立ち彼女の両手を握ってブンブンと上下に振り回してから、
「ありがとネ。ありがとネ。これお礼ネ。受け取って欲しいネ」
ベヴィトーレは今自分がはめている赤黒い宝石がついた指輪をするりと外し、惜し気もなくスオーラに差し出した。
それもその場に片膝ついて。その光景はまるでプロポーズのようだ。そのためそんなつもりではないと判っていても、スオーラは顔を赤らめて硬直してしまっている。
「あ、ありがとう、ございます。ベヴィトーレ様」
硬直していたのはプロポーズのようでどこか照れくさかったのもあるが、不安があったからだ。
このベヴィトーレは、あの女の変装なのでは、と。
あそこまで見事な変装――もうあれは「変身」の領域だが――を見てしまうと、ついついそうした猜疑心が吹き出してしまう。
だがベヴィトーレは謎の女が逃げて行く背中を見送った後、反対側からやって来たのだ。その線は薄いだろう。
しかし。と「しかし」というしこりのような物が残っている。他人を信じ切れない。自分の目を信じ切れない。そんな気持ちがぬぐい切れない。
そしてベヴィトーレは、そんなスオーラに向かってこう言った。
「お嬢さんネ。化物とネ。戦ってるネ。お父上からネ。聞いてるネ」
片膝ついたままスオーラを見上げるようにして彼は続けた。
「みんなをネ。助けてもネ。感謝をネ。されないってネ。言ってたネ。それでネ。傷ついてるってネ。言ってたネ」
確かに彼の言う通り、エッセという化物を倒しても感謝の言葉一つロクになかった。むしろ化物を倒せるより強い化物であると、人々から距離を置かれ怖れられていた始末。
それを知ったスオーラの父にして、彼女が信仰するジェズ教の最高責任者であるモーナカ・キエーリコ・クレーロは、自分の宗派だけでも彼女の活動をバックアップすると宣言したのだ。
「ボクもネ。お手伝いするネ。この指輪ネ。お手伝いになるネ」
彼はスオーラの右手をそっと取り、持っている赤黒い宝石の指輪を、そっと彼女の指にはめた。
するとどうだろう。彼女の胸の内にかあっと熱い何かが沸き起こった。それはグルグルとうねるように蠢いているのがスオーラには判った。
その感触は半日ほど前に魔導書が蘇った時のようだった。彼女は驚いて胸に手を当ててその感触を確かめようとする。
「これはネ。魔法をネ。使う人がネ。その力をネ。すぐ回復ネ。するっていうネ。指輪なのネ。隣の国のネ。商人からネ。買った物ネ。いつ渡そうかネ。考えてたネ」
聞けば魔法に関するアイテムをコレクションしている商人から大金を出して買い取ったと言うのだ。
それは総てスオーラの為。使われないでコレクションされるよりは、使える人に使ってもらう方が有益な筈。そう判断したためだ。
「お嬢さんのネ。お手伝いネ。それとネ。ディーヴァちゃんをネ。守ってくれたネ。お礼ネ。受け取って欲しいネ」
メガネの奥でパチパチとまたたく彼の目。その目は真剣な物だ。ある意味で他人を騙し、出し抜くのが商人というものだが、その目に偽りはない。本物の好意。少なくともそう思わせる光が確かにあった。
スオーラは胸を押さえていた自分の左手をすっとベヴィトーレに差し出した。
「ベヴィトーレ様、本当に、本当に有難うございます」
この国において左手での握手は、本当の信頼と感謝を意味する。ベヴィトーレはそんな彼女を見て目を潤ませてうんうんとうなづいていた。


一方エッセと対峙している昭士は大ピンチを迎えていた。
顔面に大きな斬れ目、そしてアリの脚が一本欠損という好条件にもかかわらず、だ。
理由は単純。ブチ切れたのか本気を出して来たのか、動きがとても素早くなったためだ。それも陸上はもちろん空中へのジャンプや街灯や樹木を使っての方向転換、そしていつ吐いてくるかも判らない、金属化ガス。
首が真横を向いて治っていないにも関わらずその動き。その動きが確実に理解できるのは、周囲の動きを超スローモーションで認識可能な昭士だけだ。
だが「認識」可能なだけであり、そのスピードに人間の身体能力で着いて行けるかというのは別の問題である。
そして昭士以外の警察官にとってエッセの体当たりはもちろん金属化ガスは命取り。無論それで即死する訳ではないしエッセを戦乙女の剣(いくさおとめのけん)で倒せば元に戻るが、だからといってそうした犠牲を前提の作戦を取れるほど昭士は非情ではない。
そのため警察官達のガードに追われ、エッセにほとんど攻撃できないでいるのだ。
『ナニチンタラやってンのバカアキ! 死ぬンならあたしを元に戻してから一人で死ンでろ!』
「うるせぇ! テメエみたいに他がどうなろうと知ったこっちゃないヤツと一緒にするんじゃねぇ!」
昭士はエッセの着地点を狙って、戦乙女の剣を槍のごとく投げ飛ばした。だがそれはスレスレのところで外れて地面に突き刺さってしまう。
昭士の攻撃の手がゆるいのも、大ピンチを迎えている要因だった。
理由は判らないが、このエッセはダメージを受けるとあちらの世界に飛んでしまうようだ。そうなればまたあちらの世界に行かねばならない。
そして、短い時間の間に何度も行き来する事は、身体に相当の負担がかかるらしい。実際相手の動きは充分見極められるが、自分の身体が明らかにずいぶんと重くなっている。疲れてはいない筈のに。
例えるなら、着替えに手間のかかる服装を何度も何度も着替え続けるような物だ。疲れてはいない筈だが何故か疲れたと感じてしまう。
それに加え、今の変身したこの姿は「この世界においては」正しい姿形ではない。そのため常に正しい姿形に戻そうという修正する力が働き続けているのだ。
だからわずかでも疲労するとそこからズルズルと引きずられるように元に戻ろうとする。しかし変身を解かないためそれに抵抗しているのである。
その抵抗が疲れや負担、違和感まで産んでしまう。そしてやがては元の姿に戻り、しばらくの間変身すらできなくなってしまうのだ。
それを知識ではなく、今現在体験として理解している昭士。その証拠にエッセのスピードに自分の足が確実に着いていけなくなっている。
ついにそれが限界に来た。何もない平地で足がもつれて転んでしまったのだ。もちろんそれを見逃さないエッセではなかった。少し離れた位置から曲がった頭をこちらに向けて思い切り金属化のガスを放った。
昭士がこのガスで金属化する事はないが、そのガスは液体窒素もかくやという冷たさがある。直撃したら寒いどころでは済まない。
ぎゅぎぎぎいいいっ!
耳障りな音と共に昭士の視界が一瞬暗くなる。目が見えなくなった訳ではない。何か壁のような物が視界を塞いだのだ。
[アキシ様、遅くなりました!]
スオーラの力強い声が聞こえる。良く見れば壁のように見えた物は彼女のキャンピングカーだ。それを盾にしてガスの直撃を防いだのだ。
ガスが金属化させるのはあくまでも生物のみ。車は金属で無生物ゆえにガスを浴びても何ともないのだ。
スオーラはキャンピングカーから下りると、ガスを浴びたのに金属になっていない車を見て不思議がるエッセに、胸をはって立ちはだかった。そこへ車を回りこんで隣に立った昭士が、
「あっちはどうにかなったのか?」
[はい。おかげでとんでもないお土産を戴きました]
彼女の右手の指に光るのは、赤黒い宝石がついた指輪だった。その指輪がついた手を自身の豊かな胸に押し当て、ぐいっと押し込む。
するとその手が彼女の身体の中に潜り込んでしまったではないか。一秒後引っぱり出したその手には、革の表紙の分厚い本が握られていた。
これが彼女の魔法に不可欠な「魔導書」である。この本のページを破り取る事で彼女は様々な魔法の力を発動させる事ができるのだ。
先の戦いで失われたその本が、ついに復活を果たしたのである。昭士はその本を見て小さく笑うと、
「うかつにダメージを与えたら、またあっちの世界へ飛ぶハメになるぜ」
[ですがダメージを与えなくては倒せません。アキシ様はイブキ様の回収を]
そう言い合いながら、昭士は持っていたジュンが変身した短剣をスオーラに投げ渡す。スオーラもそれを受け取ると自分の足元に軽く突き立てる。
『どうやら、力が戻ったようでありんすね』
スオーラの身体に満ち溢れる力が伝わったのか、ジュンが安心したようにそう言う。スオーラは力を込めて「完全復活です」と答えると、取り出した本をパラパラッとめくっていき、適当なページを指先で摘んでそのまま破り取った。
自分の胸の内から指先へ、そして破り取ったページへと魔力の流れていく様をイメージしながら、スオーラは叫んだ。
《CADUQLABU》
さすがにエッセも嫌な気配のような物を察したのだろう。そこから飛んで避けようとしたが、その足がガクンと空を切る。直径数メートル分だけ足場である地面がなくなってしまったためだ。
そしてそこから沸き上がったのは真っ赤なマグマ。溶岩。そして、それらが発する高熱。それが数メートルの太さの光か炎の塔のように天高く沸き上がったのである。それも一瞬で。
その場にいた警察官達はもちろんの事、公園各所に配置された者、そしてその周辺にいた総ての人間が、その輝く塔を「何事だろう」と見上げていた。
最初は沸き上がる勢いに耐えていたエッセだが、やがてその勢いのままに天高く上り、いや、一気に吹き飛ばされていった。
「……半端ねーな、オイ」と、花火でも見上げるようにぽかんとしている昭士。
『たーまやーーー』と、完全に花火気分のいぶき。
『完全復活以上でありんすね』と、見えているのかは判らないが率直に述べるジュン。
[予想以上の威力です]と、呆気に取られたまま、指にはまっている指輪を見つめるスオーラ。
そんな四人の中で一番最初に気づいたのはスオーラだった。真っ暗になった夜の中にくっきりと浮かび上がる炎の塔。その中で何が起こったのかを。
[そ、そんな! エッセはまだ倒れてません、こっちに向かって来ます!]
その叫びに息を飲んだ昭士は同じ方向を見上げる。そして彼も同じように驚いた。
何と。ダメージを受けるとあちらの世界へ行ってしまう筈のエッセが、炎の塔を抜け出してこちらめがけて落下しているのだ。
あれだけの炎が直撃し、かつ遥か天空に打ち上げられる衝撃を受けても、エッセは全くの無傷だったのである。
という事は、あのエッセはそれほどまでに炎や熱に対する耐久力が高いという事なのだろうか。
「……半端ねーな、オイ」
さっきと同じ言葉がもれる昭士。しかし言葉とは裏腹に行動は全く諦めていない。
彼は片手に持ったままのいぶき=戦乙女の剣をひょいと逆手に持ち替えた。そしてその切っ先を遥か天空に向ける。それは完全に槍投げの格好であった。
『あっ、オイ、コラ。バカアキ。テメェナニ考えてやがンだ』
彼の意図に真っ先に気づいたいぶきが、当然抗議の声をあげる。しかし昭士は巨大な刃にそっと手を添えて方向の微調整をしている。
「お前が考えてる通りの事だよ……」
わざわざ柄に刻まれた上半身全裸の女性像に向かってそう呟くと、彼は遥か上空のエッセを見据えたまま十歩ほど後ろに下がる。
そこからゆったりとしたペースで駆け出した。視線をエッセに合わせたまま。
「……活躍して来い!」
腕だけでなく身体のひねりや足の踏み込みまで総てを使い、全長二メートルオーバーの大剣を力一杯投げつけたのだ。
『うえええええええぇぇぇぇぇぇえええっ!!』
投げられた大剣=いぶきは、信じられない加速を全身で感じ思わず悲鳴をあげてしまう。乗り物や命綱がない分、ジェットコースターやバンジージャンプなど比べ物にならない怖さである。やがて、
『いっっっだあぁぁぁあああああぁっっっ!!!!』
遥か遠くの上空にもかかわらず、いぶきの悲鳴が地上はもちろんその周辺に痛々しく轟いた。見事エッセに命中したのだ。
そしてエッセの胴体を貫いても剣の勢いは止まらずしばらく飛び続けていたが、やがていぶき=大剣が地面に落下していく。昭士とスオーラはどうなったのかを確認すべく落下地点に急ぐ。ちなみに周辺にいた警察官は、それより遅れて恐る恐る彼等の後に続いた。
[そ、それにしても、相変わらず無茶な事をなさいますね、アキシ様]
『わっちもそう思いんす』
昭士の隣を走りながらスオーラが正直な感想を述べる。そしてジュンも同じ意見のようだった。
「元々エッセ自体がムチャクチャなヤツらだからな。こっちも少しくらい無茶しなきゃ」
自分がやったにもかかわらず他人事のように返答すると、急に立ち止まった。少し遅れてスオーラが立ち止まり、五歩ほど戻って彼の隣に立つ。
[ああ。本当にこの辺りに落ちてくるようですね。お見事です]
上を見上げたスオーラが彼の意図を理解したようだ。彼女の目には胴体の真ん中を戦乙女の剣で貫かれているエッセの姿が見えていた。
ずどぉぉぉぉおおん!
『いでえええぇぇぇええぇぇぇぇっっっっっっ!!!!』
地面に落下した轟音に負けないいぶきの悲鳴。それもその筈。身体を貫いて飛び出ている切っ先から地面に落ちたからだ。それはまるで串焼きのような姿を連想させるに充分だった。
そしてその剣は、前がライオン後ろがアリというエッセの、ちょうど二つの生物の境界線の部分にキッチリ割って入る形で突き刺さっていたのだ。
そのためか地面に刺さった衝撃で接着面からポロリと剥がれ落ちるように、二つに分かれて地面に落ちた。
すると、その切り口が淡い黄色に輝き出したではないか。その光は切り口から次第に二つに斬り分かれた半身全体に広がっていく。
ぱぁぁぁぁぁあん!
黄色い光に包まれたエッセの半身二つが、小さな光の粒になって一斉に弾け飛んだのだ。その光は天高く飛び散り、そして四方八方へ一気に広がっていく。
戦乙女の剣でエッセにとどめを刺すと、エッセが金属の像に変えてしまった生物が元に戻るのだ。現在判明している唯一の「元に戻す方法」である。だからこそいぶきがどんなに拒絶しても彼女に、戦乙女の剣にこだわらざるを得ないのだ。
あの光が金属の像に触れれば、金属にされてしまった犬達も元の姿に戻るだろう。半分だけになった者もいたが、さすがにそういった犬達までは助ける事はできないかもしれないが。
「終わった〜〜〜〜」
その光を見届けた昭士はようやく大きく息をつくと、思わずその場に寝転がった。もちろんスオーラのスカートの中が見えない位置と角度で。
「何っっか今日は意味もなく疲れた。早く帰って寝たいぜ」
『ゴルァ、バカアキ! 終わったンならとっとと帰せ、早く元に戻せ!』
「この場で戻したら、お前素っ裸だろうが。それで良いんなら戻すけど?」
『良い訳ねぇだろこのエロアキ!』
疲れてめんどくさそうな昭士に、相変らずのテンションで怒鳴り返すいぶき。スオーラはそんな二人を見て「戦いは終わったんだ」と安堵する事を自分に許した。
だがまだエッセとの戦いそのものが終わった訳ではない。いつ終わるか判ってもいない。それでも、一つの戦いは終わったのだから、そのくらいしても良いだろう。そう思って。


そんな様子を遥か遠くの木の上からオペラグラスで見つめている人影が一つ。
肩口で切り揃えられた黒髪。ソバカスの目立つ顔。スレンダーな全身をピッチリ包むレオタードかボディスーツかという服装。
そう。オルトラ世界でスオーラと遭遇した泥棒――ニセ・ディーヴァの正体である。
何故彼女(?)がこちらの世界にいるのだろうか。
「終わりましたか。それは何より」
オペラグラスを畳むと腰のポーチにすっとしまいこむ。それからもものベルトに固定してある小物入れから青白い指輪を取り出すと、
「でもこれ、要らなくなっちゃいましたね。せっかく盗んで来た『呪法増大の指輪』だったんですが。返して来るとしましょうか」
彼女の身体がそばに浮かび上がっている「青白く四角い扉」の中に、
すうっと消えて行った。

<第12話 おわり>


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