トガった彼女をブン回せっ! 第11話その1
『待てと言われて待つヤツがいる訳ねぇだろ!』

「いってきまーす」
同じ年頃の男女の声が重なる。角田(かくた)家朝の風景だ。
長男・角田昭士(あきし)は市立留十戈(るとか)学園高校の一年生。今となっては古めかしい詰め襟がだいぶ似合い出した頃だ。
長女・角田いぶきも市立留十戈学園高校の一年生。古式ゆかしい黒いセーラー服のスカートを翻し、険しい表情のまま一目散に道路を駆け抜けて行く。
「あっ、出てきたぞ、あいつだ!」
「今度は間違えるなよ!」
駆け抜けるいぶきの姿を見た男達が血相を変えて、または色めき立って彼女の後を追いかける。前に立ちはだかって行く手を遮る者もいる。
しかしいぶきはそんな男達をものともしていない。
ある時は隙間をヒョイヒョイすり抜けるようにし、またある時は馬とびの要領で男達をピョンと飛び越え。彼女は軽快に足を止める事なく駆けて行く。
(お疲れ様)
双子の妹の様子をのんびり眺めていた昭士は、悠々と彼女とは逆方向へ歩き出した。
すると。
「あっ、あいつだ。こっちにいたぞ!」
「間違いないだろうな?」
昭士を指差し、怒りの形相を浮かべ、一目散に彼めがけて駆けてくる男達。
年齢は様々だ。自分とそう変わらない者もいれば、明らかに中年の者もいる。
強いて共通点を挙げるとするならば、どの男達も「ガラが悪い」。良くてチンピラ悪くてヤクザ。お世辞にも真っ当な社会人とは言えそうにない連中ばかりだ。
「ちょ、ちょちょ、ちょっと、ままま待った!」
「待てと言われて待つヤツがいる訳ねぇだろ!」
焦っていつも以上にドモってしまう昭士だが、男達の血相変えた迫力のあり過ぎる形相に、完全に腰が引けてしまっている。
しかしそれでもこの場にい続ける事がまずい事は理解している。話を聞く気がない相手を説得する事程、骨が折れる事態はない。
彼は鞄を小脇に抱えると、一目散に走り出した。当然ガラの悪い男達は追いかけてくる。
この追いかけっこの原因は、総て双子の妹・いぶきにある。
彼女はとにかく自分勝手。自分本意。自分だけが良ければそれでいい。他人などどうなろうが知った事ではない、という考えを極限まで実行に移している人間だ。そのためこうした連中に「生意気だ」と目をつけられる事も多い。
その度にケンカに発展し(いぶきが挑発するケースも多いが)、いぶきは必ずと言っていいほど相手を過剰に叩きのめして病院送りにしてしまう。中には一生モノの障害が残った者もいた程だ。
しかしいぶきは反省をしない。それどころか「弱いヤツが弱いクセに突っかかってくるから悪い」と胸を張って悪びれない有様だ。
いぶきは幼い頃から剣道をしているが、大の男をそこまで叩きのめせるのはそれだけが理由ではない。
彼女には「周囲の動きを超スローモーションで認識できる」という超能力めいた特別な力があるのだ。しかも目に見えていなくても、である。
そのため何人でかかってこようが、いぶきにとってその動きはゆっくりとめくられるパラパラマンガ。相手の動きが手に取るように判るのだから、ケンカで負けるなどあり得ない。
その目を以て相手の急所――目、喉、金的などに過剰な攻撃をするのだから、男達が勝てる訳がないのだ。
だがやられっぱなしという訳にはいかないので仕返しに来る。それを返り討ちにされる。それが積もり積もって町中のガラの悪い連中の恨みを買いまくっている。
そんないぶきの「双子の」兄である昭士は、双子ゆえに良く間違えられる。仮に服と髪形を同じにしたら、目つきと表情の柔らかさ程度の違いしかないので、間違えられても無理はない。
そのとばっちりで殴られる事も多いし、いぶき自身からも機嫌次第で八つ当たりの攻撃をされる事も多い。今まで良く生きて来られたと思う程生傷の絶えない生活を送っていた。
そんな生活ゆえか、彼は女性に対しては突き放したような、積極的に関わらないというか、どこか淡々とした付き合い方しかできない。
無論いぶきと違い一般的な人間的「優しさ」は持っているので、頼みごとがあれば聞くし、困っている人がいれば助けようとはする。しかしそれ以上には踏み込まない。
その辺りは「あの妹がいたんじゃなぁ」といった具合に、彼を知る人間皆が承知している。
だが、その辺りも最近――高校に入ってから変わりつつある。
その発端となったのがモーナカ・ソレッラ・スオーラという少女との出会いだ。
何と。スオーラは別の世界(彼女達は「オルトラ」と呼ぶ)の住人。この世界には存在しない「魔法」という力を操る少女である。
何でも代々僧侶の家系らしく自分の事より他人の事。他人の助けとなる事が喜びという、いぶきとはある意味真逆の性分なのである。
そんな彼女がこの世界にやって来たのは、この世界に紛れ込んだ、人類と共存できない侵略者を討つため。
ところが、その侵略者を討つ「力」を、昭士といぶきも持つ事が判明したのだ。
昭士は技や速さを活かして敵と戦う「軽戦士」として。
いぶきはその戦士が使うための、身の丈より遥かに巨大な剣「戦乙女(いくさおとめ)の剣」として。
世間一般的な常識に限りなく近い考えを持つ昭士はともかく、他人の為に何かをする、人々の助けとなるといった言動が何より嫌いないぶきが何だかんだとゴネまくるため、簡単に行く筈の戦いに思わぬ苦戦、長期戦となってしまう事ばかりだが。
それでも「本当の」戦いをくぐり抜けて行くうち、昭士は少しずつ変わって来たのだ。いぶきは相変わらずだが。
その時、ポケットに入れっぱなしの携帯電話がブルブルッと震え出した。マナーモードにしたままの携帯に着信があったようだ。昭士は走りながら急いで携帯を開いた。
電話の相手は桜田富恵(さくらだとみえ)。角田兄妹とは顔見知りの女性警察官である。
「は、は、はい。もも、もしもし」
未だに直らないドモった口調で電話に出る。
『おはようございます。今電話大丈夫?』
昭士は走りながらギリギリまで道路の端に寄ると、話を続けた。
「は、は、はい。どど、ど、どうぞ」
『今日の放課後、ウチの署に来るようスオーラさんに伝えておいてくれる?』
「ほほ、放課後? わかわか、判りました」
それだけ言うと富恵の方から電話が切れた。昭士も携帯をパタンと閉じてポケットにしまい、走る速度を上げた。
そこへ、まるで終わるのを待っていたかのようなタイミングで、昭士に声がかけられた。
[アキシ様?]
昭士は走っていたので声の方をチラリと振り向くにとどめた。
声をかけて来たのは電話で話題に上った、モーナカ・ソレッラ・スオーラ当人である。あちらの世界の「魔法使い」の格好である。
ただその格好も配色がメチャクチャなジャケットにマイクロミニのタイトスカート。加えて革のサイハイブーツというチグハグ極まりない格好だ。
しかも今は魔法使いを彷佛とさせるつばの大きなトンガリ帽子と、白いマントまで着用している。
加えて一七〇センチ越えという女性にしては高い身長に加えモデルも勤まりそうな抜群のプロポーション。
正直に言って、この日本では目立つ事この上ない存在なのだ。
スオーラは走り去った昭士を追いかけるように自分も走り出した。そしてすぐに追いつき彼の横を同じように走る。
[どうかされたのですか? 学校へは方向が違いますし、まだ慌てるような時間でもないと思いますが]
「お、おお、おお追いかけられてるの! いい、いいぶきちゃんと、まま、まち、間違えられてるの!」
昭士に言われたスオーラは同じように走りながら後ろを向く。すると血眼な男達が何人も追いかけてくるのが見えた。
[間違いだという事を伝えれば良いのではないですか?]
「いい、いい言ってるけど、き、きか聞かないの! む、むむしろ八つ当たりで、ななぐ、殴られる!」
昭士もいぶきと同じ頃から剣道を続けているので、見た目の割に鍛えられているし体力もある。だが彼の場合は強さで言えばさほどでもない。だがその「型」はとても綺麗で、教材として動画を撮影した事も何度かある。
だがこの状況でそんな「型」など全く役に立たない。今の彼にできるのは逃げ切る事だけだ。
「とと、とこ、ところで、ススス、スオーラは、なに何してるの?」
[『ドッグラン』というものを見て来た帰りです]
その単語に昭士の記憶が蘇る。確かこの留十戈市の隣の市にオープンした公園だ。
正確にはウォーキング・サイクリングのコースからサッカー・野球ができる運動場などがある公園の一画にドッグランの施設が新しく作られたのだ。
朝の散歩代わりにそこで飼い犬を運動させる人達も多く、朝早いのに結構な賑わいを見せていると、朝食の時間にやっていた情報バラエティーで放送されていた記憶である。
だがそこまでは距離にして二十キロは離れている筈だ。電車等の交通機関のアクセスはあまり良いとは言えない上に早朝という事で本数が少ない。普通の人が考えれば本当に行って来たのか疑いたくなる。
スオーラは前の曲がり角から不意をつくように飛び出して来た中年男性から昭士をかばうように彼の前に立つと、
[わたくしの世界にも犬はたくさんいましたから。さすがに飼ってはいませんでしたが、犬は好きなんです]
そう答えながら男の腕を取って脇に流すように転ばせる。その澱みない動きは確かによく訓練された動きである。
代々僧侶の家系で、彼女自身も僧兵として訓練を積んできただけはあり、素手の相手をあしらうくらいは雑作もない。
しかしさすがに何人もかかってくると鬱陶しい。
[やむを得ません。わたくしもそろそろ学校へ行かないとならない時間です]
スオーラは横にいた昭士をひょいと小脇に抱えるようにすると、そのまま地面を蹴ってジャンプ。更に塀に爪先をかけるようにして更にジャンプ。あっという間に塀の上に昇ってしまった。
塀の高さは普通の大人の頭ほどの高さ。自分一人ならいざ知らず、人間一人抱えた状態でその運動能力である。
いや。昭士一人を抱えたままでも四、五階建てのビルの屋上程度の高さなら飛び上がれるのだ。その跳躍力を以てすれば二十キロもの距離を往復するなど雑作もない。昭士はその事を判っていたので特に驚く事もなかった。
[申し訳ございません。わたくし達は急ぎますので]
昭士を脇に抱えたまま、軽やかに危なげなく塀の上を駆けて行くスオーラ。腕を上げれば届く高さではあるものの、男達はスオーラを見上げてそのまま見送る形になった。
マイクロミニのタイトスカートから下着が丸見えだったから。だけではないと無理矢理思いつつ。


(やっぱり、バレちゃってるんだろうなぁ)
どうにか遅刻せずに済んだ昭士は、ここ数日の朝の状況を鑑みてそう結論づけた。
確かにいぶきに過剰にやられて、報復を考える連中は以前からとても多かった。
しかし、いくら挑んでも触れる事すら叶わず返り討ち。それが続けばどんなに悔しくても心折れる人間は出る。
だから彼女に触れぬようこそこそと立ち回る者も増えた。同時に昭士に八つ当たりしにくる者は増えたが。
それでも以前よりは「平穏無事」な生活ではあったが、急に八つ当たりされる生活に逆戻り。
「バレちゃってる」というのは、いぶきの体質(?)だ。
いぶきが変身した剣は三百キロもの重量を持つ(昭士だけはその重量を無視して振り回せる)ので、たいがいの武器・防具で防ぐ事が困難。それに加え、刀身全体を炎で包んで威力を上げるという事ができるようになった。
その頃からいぶきが誰かを攻撃すると、相手が受ける筈の痛みがそっくりそのままいぶきに跳ね返ってくるようになってしまったのである。
昭士の背中を蹴ればいぶきの背中が。昭士のみぞおちを叩けばいぶきのみぞおちに激しい痛みが走るといった具合に。
そこで不思議に思って止めれば良かったのだが「何故殴っている方が痛いんだ」と怒りに任せて暴行がエスカレート。そのまま自分で自分をノックアウトし、病院に運ばれた。
ちなみに殴られていた昭士は全くの無傷。痣一つついていない。
この世界に存在しない「魔法」が引き起こした事態とも言えるので、病院で検査をしても原因は全く判らないまま。そのままいぶきは退院した。
ところが。その直後からいぶきに報復をしてくる人間が急増したのである。登下校はもちろん普通に道を歩いている時ですら、見つかれば問答無用で襲いかかってくるのだ。
当然いぶきの性格からすると「その程度で」逃げ回るような殊勝な性格ではない。当然いつも通り反撃をする訳なのだが……いくら攻撃してもダメージを受けるのはいぶきだけ。相手は全くの無傷である。しかも人体の急所「だけ」を狙うのだからいぶきも無事でいられる訳がない。
それでも立ち向かおうとするいぶきをスオーラが間一髪助けたのだが「元を正せばあンたが悪い」とスオーラを執拗に責める始末。
その事態がいぶきに恨みを持つ人間達にまたたく間に広まったのは当然だろう。今では安心して家の外に出る事すら困難を極めるようになってしまった。
もちろんこの事態に警察組織も動かなかった訳ではない。昭士達の祖父が警察官という事もあって屈強な署員を見張りやボディーガードに立てようと発案した。だが、その案が実現される事がなかったのだ。
答えは簡単。ことごとく「なり手が」いなかったからである。
それも当然である。いぶきの「暴力」は町のヤクザやチンピラ達だけでなく警察官へも向かっていたのだから。
ケンカを挑まれればことごとく受けるばかりでなく、とにかく自分が気に入らないと思えば誰彼構わず蹴り倒し殴り飛ばす。それも一切の容赦なく。
いぶきの中では他人などどうなっても知った事ではない存在なのだから、相手がどこの誰であろうが、どうなろうが構う事は絶対にない。
しかし同時に他人が自分を助けるのは当然であり常識と考えているので、それが叶わなくても暴力が来る。
正直に言って、そんな人間を助けたいと思う者がいるとも思えない。いくら任務や命令でも。
昭士の方ならやっても構わんという署員は多かったのが、その周囲の反応にいぶきが昭士に八つ当たりし、また自分で自分を撲殺寸前にするという事態になってしまったため、その提案はなくなってしまった。
という事で、自分の身は自分で守れ。守りたい人は勝手に守ってやれという、極めて無責任な方策にせざるを得なくなったのだ。
そんな複雑な事態になっても、いぶきの態度は全く変化がない。むしろ「どうして自分がこんな目に遭わなきゃならない」と憤り「スオーラが面倒を持ち込み昭士がそれを了承したから」と、毎日腸を煮えくり返らせた不機嫌顔で過ごしている。
その不機嫌顔の為か前以上に「関わりたくない」と周囲の人間から距離を取られており、近づいてくるのは昭士やスオーラを除けば以前いぶきにやられたから復讐を果たす目的の人間ばかりである。
ガゴン!
何かを叩きつけたかのような大きな音が響いてきた。授業中なだけにその轟音はとても大きく響いた。
当然「なんだろう」と気になった生徒や教師が続出して授業が中断する。
今度はその轟音と共に、それに負けない金切り声まで上がる。
(またか)
聞き覚えのある、独特のアクセントの怒鳴り声。昭士は席を立ち教師に一言断わってから教室を出た。
人気のない廊下をとことこと歩き、着いた教室には「一年四組」と書かれた札が付いている。
昭士が小さくノックをすると、ドアがスッと開いた。開けたのは入口そばに座っていた生徒だ。その生徒は昭士の顔を見るなり、目だけで「まただよ。何とかしろ」と語っている。
昭士もそれは良く判っているので、そっと教室に入ってくる。
見れば自分の妹・いぶきが教室の中央で仁王立ちになっていた。自分のを含めた椅子や机がいくつも薙ぎ倒され、教科書やノートも散らばり、クラスメイトは彼女を遠巻きに、かつ露骨にはた迷惑そうな白い目で蔑んでいる。
そして。いぶきの足元には制服姿の男子が一人転がっていた。それを見下ろすいぶきも涙目になって肩で息をし、歯を食いしばっている。
状況がサッパリ判らない昭士は、ドアを開けてくれた生徒に向かって小声で訊ねる。その生徒は、
「経緯は良く判らないけど、また変な事言われたんじゃない? それでブチ切れたんだと思う」
いぶきの攻撃が相手に通じない、かつ自分に跳ね返る事が知れ渡っているのだ。仕返しに出ない訳はないとは思っていたが、まさか授業中にやるとは。それも何度も。
本当に懲りるという事を知らないようだ。いぶきも相手も。
「いい、い、いぶきちゃん。ももうやめなよ」
立ち上がろうとする男子生徒に手を貸しつつ、昭士はいぶきに訴える。が、当然聞く訳はない。
「もうやめろはそっちに言えっての」
鼻息も荒く転がっている男子生徒を見下ろし、昭士に向かって吐き捨てるいぶき。
「今までビクビクオドオドしてたクセに、こっちの攻撃が通じないって判ってから仕返し? ンなセッコイ根性だからダメなのよ。ったくこれだから弱虫の根性無しの相手はしたくないのよ」
ちなみにいぶきの足元に転がっている男子生徒は、実は昭士も良く知っている人物だ。
小柄だが幼い頃から柔道を学び、大会成績こそ良くはないが体格のハンデを克服すべく黙々と奮闘しているのだ。
弱虫かもしれないが根性無しの人間でない事は皆知っている。売り言葉に買い言葉と判っていても、その言い草はさすがに酷い。それが周囲の人間の感想だ。
「……そこの壁、見ろよ、角田妹」
昭士に助け起こされながら、その男子生徒はいぶきの後ろを指差した。その指の延長上――廊下に面した教室の壁には真新しい放射状のヒビが刻まれていた。
いぶきのやりとりで教室の誰もが全く気づいていなかったのである。そのそばにいた生徒から今頃悲鳴が上がる。
その中央の小さな穴からころりと転がり出たのはパチンコの玉だ。教室内が大騒ぎなのに、床に落ちる固い音が思ったよりも大きく響いた。
その男子生徒はようやく立ち上がり、開けっ放しの窓――の遠くに見える雑居ビルの屋上を指差すと、
「あのビルの屋上から、スリングショットでこっちを狙ってるヤツが見えたんだよ。角田妹は今いろんなヤツから恨みを買ってるしな。多分お前を狙ってると思ったんだよ。お前みたいなヤツでも、目の前で大怪我されちゃ気分が悪いからな」
押し付けがましくない、淡々とした物言いでそう説明する男子生徒。
その窓と放射線状のヒビの位置関係から察して、明らかにいぶきのいる場所を通過する事が誰の目にも判る。そのため、さっき以上の非難の白い目がいぶきに注がれていた。
ところが。そんな視線を全く気にした様子もなく、むしろ気味の悪い化物でも見るような目で、
「あのね。そういう風に『俺がいなかったらどうなってたか』なんて恩着せがましいマネ、止めてくれない? 見ていて吐きそうなくらい気持ち悪いんだけど」
あからさまに嫌そうなため息をつくいぶき。
「それに。そんなパチンコ玉の一つや二つ、バカでも寝てたって避けられるっての。それとも、ンな事もできないノロマだと思われてた訳? そんなドンくさいノロマはバカアキ一人いれば充分以上だっての」
いわゆるパチンコ――スリングショットも様々な種類があるが、強力な物になると秒速七十センチ=時速二百キロもの速度で直径数センチのパチンコ玉を打ち出せる。
それがまともに人体に当たったら。当たりどころによっては確実に死に至る。そもそもそんな物体をハッキリ目視できる人間など、何らかの達人くらいしかおるまい。
「そんなくっだらない自己満足で授業中断させンじゃないわよ。こっちはバカアキとあの女のせいでほとんど授業に出てないから追いつくのも大変だってのに」
ブツブツ文句を言いながら「自分の」机と椅子だけを元に戻すいぶき。
だがいぶきは家庭科(調理実習)以外はトップの成績しか取った事がない。だがガリ勉タイプでは断じてない。むしろ授業は右の耳から左の耳。ろくに聞いてもいないのだ。
にも関わらずその成績なのだから世の中不思議である。良く解釈するなら「優秀すぎるゆえにそうでない者の気持ちが判らない」だが、良く解釈する者は誰もいない。
まだ椅子や机、ノートなどがちらかりっぱなしの中、自分の机と椅子だけを戻し終えたいぶきは、思いのほか礼儀正しく着席すると、手を振って続きをうながす。
「ほらバカアキはさっさと出てけ。先生、授業の続き続き」
周りの人間を完全に無視したその態度もとても偉そうである。周囲の人間がカチンと来るには充分以上なくらいに。
我慢強い人間でもつい手が出てしまいそうな態度だが、いぶきの強さは皆が知っているので手を出すに出せない。
クラスメイトはいぶきの「能力」の事は知らないのだから当然だ。それに誰だって負ける戦いなどしたくはない。
だがそれでも。いぶきを助けようとした男子生徒が彼女の真正面に立つ。
「? 何よ。そこに立ってられると授業の邪魔なンだけど」
いぶきは鬱陶しそうに手を振って彼を追い払おうとするが、目ざとく彼の腕の震えを見つける。猛烈な怒りを胸に秘めて堪える震えだ。
だがいぶきは元気一杯にこう言った。
「殴りたきゃ殴れば? ま、ンな度胸もないヤツにいうだけ無駄か。ホント口だけよねぇ。だからどいつもこいつも憶病者の軟弱バカ野郎なのよ」
ドガンッ!
彼の拳はいぶきではなく彼女の机に叩きつけられた。しかも分厚い天板がいとも簡単に叩き割れたのである。
確か彼がやっているのは柔道であって空手ではない。にも関わらず素手でのこの破壊力。周囲の人間の顔が一気に青ざめた。
例外はその破壊力を間近で見せられたいぶきだけだ。彼女はそれでも表情一つ変えず、
「だから。殴るんなら机じゃなくてこっちでしょ? こんな風にっ!」
座ったままの状態で、いぶきは彼のみぞおちに拳を叩きつけた。その拳は一切の手加減なしで寸分の狂いもなくみぞおちに大きくめり込んだ。
だが彼に痛みは全くない。あるのはいぶきの方だ。グッと奥歯を噛みしめて痛みに耐えているのがモロ判りだ。判っていてやるのだからいぶきもどうかしている。
周りもこの不可思議な光景にざわつき出した。殴られた方がピンピンしていて殴った方が痛がっているのだから当然である。
「ったく、あの女が来てからロクな事が起きないわね……」
いぶきは露骨に強がって立ち上がると、そのまま教室を出て行こうとする。
「か、角田。どこへ……」
「保健室!」
教師の問いをヤケの大声で掻き消すように怒鳴ると扉を開け、勢い良く閉めて出て行った。
叩きつけて壊すかのように。

<つづく>


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