トガった彼女をブン回せっ! 第10話その5
『……無理もありませんね』

一方。スオーラの腕を半ば無理矢理引っぱって歩く男は、勝手にショージと自己紹介する。
ショージは下心が透けて見えるままの笑顔で、スオーラにいろいろ話しかけている。
「確かスオーラって言ったっけ。生まれはどこの国?」
[イ、イタリア、です]
「そっかー、イタリアかぁ。にしても日本語うまいね。日本人と変わらないよ」
[そ、それはどうも]
「日本には何しに来たの? 仕事……って年でもなさそうか。留学?」
[そんなところです]
次から次にたわいない質問がショージの口から飛び出し、難しい顔のままのスオーラが淡々と返事をする。
もちろんスオーラの出身はイタリアではないし、ここに来た理由も留学では当然ない。
まさか「別の世界から来ました」と言う訳にはいかないので、聞かれた場合はこう答えるように打ち合わせ済なのだ。
「……あ、そうだ。さっきのヤツ、もう一個食べるか?」
ショージはそう言うと、またさっきと同じ酒瓶型のウィスキーボンボンを取り出す。
[いただきます]
一応とはいえ相手の好意である。さすがに面と向かってそれを拒絶するような育ち方、育てられ方はしていないのが良かったのか悪かったのか。
スオーラは広げた手に乗せられたウィスキーボンボンをさっきと同じように銀紙を剥こうと摘まみ上げようとした。
すると途端にウィスキーボンボンが潰れてしまった。そんなに強い力で摘んだ覚えは全くないのだが。
「あーあー。気をつけなきゃダメだぜ? もったいないし」
ショージはポケットから綺麗に畳んだハンカチを取り出してスオーラに差し出す。スオーラも素直に受け取ってこぼれてしまった酒を拭き取ろうとした時、
びりびりびりりぃ。
[も、申し訳ありませんっ!]
そのハンカチは見るも無惨に引き裂かれてしまった。そんなに強い力で拭いた覚えは全くないのに。
平謝りするスオーラと裂かれたハンカチとを、点にした目で交互に見やるショージだが、彼は気にした様子も見せずに、
「ああ、イイってイイって安物だから。けど気をつけてくれよ?」
破れてしまったハンカチを、クシャクシャのままポケットに突っ込むショージ。内心では「何なんだこの女」といぶかしげな気持ちに溢れていたが。
それでも彼は笑顔を浮かべ話しかけるのを続行しだした。もちろんスオーラのたわわと形容すべき立派な胸や、くびれた腰、ボリューム充分のお尻に下着が見える寸前の丈のスカート、肉付き程良くスラリとした脚線などなどに視線を走らせながら。
同時に「あのジャケットはないわー」と声に出さずに苦笑している。あれだけ色に統一感がないのでは、この世界の人間なら皆そう考えるだろう。
それにしても。スオーラはそんな態度のショージの隣を歩きながら考える。
よくもこうまで次々と言葉が出てくるものだと。
スオーラの国では相手の言葉を途中で遮って自分の発言をする事は非常に失礼な事とされている。
そのため相手の言葉が途切れてから発言しているのだが、ショージはそれを良い方向に解釈しているようだ。相手の言葉をキチンと聞いてくれる人、と。
スオーラの国では、こうしたノリの軽い、いわゆるナンパ野郎を「ソクチナカラスラホミー」と呼ぶ。
だがそれを日本語で何と表現するのかが判らなかったし、第一これは相手を誉める意味では決して使わない言葉だ。
たとえ言葉が判らなくとも、そういった気持ちで言った言葉というものは、何となく通じてしまうものだ。
いくら疑わしい、気に入るタイプの人間でないとはいえ、そんな気持ちをいきなり向けるのは如何なものかと。その辺りも「育ちが良い」お嬢様な部分かもしれない。
ショージは人気のない路地を指差して「こっちが近道なんだ」とスオーラを案内する。道を知らない彼女は素直にその案内通り路地に入って行く。
今まで歩いて来た人通りの多い道と違って少し狭く、寂しい感じが漂う裏道だ。幅もあまり広くない。
だが相変わらずショージはスオーラのご機嫌取りのごとく、次から次へとスオーラに耳障りの良い言葉を投げかけてくる。
「……ホント綺麗だよね。容姿も髪もスタイルも。これだけ揃ってたら男が放っとかないよ? ひょっとして、さっきいた後輩と付き合ってんの?」
[あなたには関係ありません]
スオーラの表情が「難しい顔」から「警戒している顔」になる。その変化は微妙なものだ。
さすがにその変化を見抜けないショージではないようで、彼はその言葉にわざとらしく反応すると、
「ああ、ちょっと喋り過ぎちまったな。こんな美人と歩けるってだけで舞い上がっちまった。悪い悪い」
頭をかきながら、申し訳程度に頭をちょこんと下げるショージ。
するとショージは一瞬だけ立ち止まると、
「ゴメン、ちょっとケータイ……」
スオーラから数歩離れながらスマートフォンを操作したショージは、片手で口元を隠してスオーラに背を向けると、
「オイ、一体どうなってやがんだよ。何にも変わってねーぞ、あの女!」
『変わってないったって。こっちに言われてもなぁ』
電話の相手がどこか突き放したような、いい加減な調子で答える。
「確かに例のヤツにしてくれたんだろうな?」
『いくらアルコール度数が高いっていっても、そりゃあほんのちょこっとだもんなぁ。酒に強かったら効かないだろ、アレ』
実は先程スオーラに食べさせた酒瓶型のウィスキーボンボンは電話相手の手作りで、中身はウィスキーではなくウォッカ。それもアルコール度数が百パーセント近い「スピリタス・ウォッカ」である。
中身だけでなく、実はチョコレートそのものにも風味付けと称してふんだんに酒が使われている。
ちなみに昭士に食べさせた丸型の物は、アルコール度数が低めの普通のウィスキーである。チョコレートも普通だ。
確かに小さなウィスキーボンボンに入る程度の酒量である。しかしそれでも普通の大人ならそれなりに反応がある筈なのだ。
そうして酔わせた女を食い物にしたり弱味を握ったりするのがショージの常套手段なのだが、スオーラは酔う気配が全くない。
睡眠薬の方が確実で手っ取り早いのだろうが、それを使わないのが彼のポリシーらしい。大したポリシーではないが。
ショージは横目でチラリとスオーラを見る。彼から数歩離れた位置で律儀に立ち止まっている。
その姿勢は背筋がピンとしており、足もちゃんと地についている。加えて顔色も全く変化がない。素面と同じだ。
(いくらほんのちょっととはいえ、スピリタスのストレートだぞ?)
そこまで酒が強いとは、さすが外国人。そんな訳の判らない納得の仕方を無理矢理したショージは、別の場所に電話をかける。相手が出るなり、
「作戦、前倒すぞ。近くにいるだろうな?」
『もちろん。まかせとけって』
さっきとは違う、品のない男の声が聞こえてくる。
『それよりも。こっちにも少しは回してくれるんだろうな?』
「うまくいけばな」
ジョージは「いけば」を妙に強調して言うと、すぐさま電話を切った。
「いやいや。お待たせして申し訳ない。この道を行けばお店まですぐ……」
スオーラは後ろをしきりに気にした様子で、
[アキシ様と先程の女子生徒の方が、まだ追いついていないのですが?]
スオーラには「後からついてくる」と言ってしまっているので、今さら二人は来ないなどとは言えない。そもそもこうなる前に彼女が酔い潰れているのがショージの計画だったのだから。
「あ、そ、そ、そうだな。何ヤッてんだろうな、あいつら」
チラチラと後ろを見ながらショージが言う。
その時だ。
スオーラからすれば後ろ(進行方向)、ショージからすれば前から、猛スピードで原付が突っ込んで来たのだ。
原付に乗った人物が軽く上げた片手に何も持っていない。すれ違い様に何かを持って行くひったくりである。
しかしスオーラにそんな事情は判らない。とにかくショージに向かって猛スピードで何かが突っ込んでくる、としか見えていない。
[危ないっ!]
スオーラが素早くショージと原付の間に割って入る。驚くショージは逆に動けない。原付は避けるためにほんのわずかに方向を変えようとしている。
そんな三者三様の応対。最初に動いたのはスオーラの右腕だ。
目の前に迫って来た原付をすれ違い様、それも片腕でガシッと受け止めたのだ。しかも軽く出した筈のその手が原付の動きをピタリと止めたのだ。それだけではない。そのまま無造作に腕をヒョイっと上に跳ね上げる。
何と。原付と乗り手が一瞬で空高く飛び上がったではないか! その勢いはカタパルトかロケットのごとし。あっという間に小さくなって見えなくなってしまう。
大人一人が乗った原付の重量は百五十から二百キロにもなる。それを片手で「ひょい」である。その「ひょい」でそんな重さの物体を見えなくなる程の上空に投げ飛ばす。
……ハッキリ言って普通じゃない。いや。普通じゃないという形容すら生ぬるい。もはや表現の限界を越えている。少なくとも、学があるとは言えないショージの頭では。
両足を踏ん張って、両腕でがっしりと掴み、しっかりと腰を入れて、渾身の力を込めたのならまだ判る。
両足……踏ん張るどころか片足が浮いている。
両腕……どころか片手である。
しっかりと腰……は全く入っていない。
渾身の力……まるで醤油の小瓶でも持ち上げるような「ひょい」である。ある訳がない。
スオーラはその展開に自分でも驚いていた。
確かに今のこの姿になっている間は、通常の人間より遥かに優れた身体能力を発揮できる。だがスオーラの場合は瞬発力や跳躍力といった方面であり、筋力・腕力は「普通に鍛え上げた人間」程度でしかない。
にもかかわらずこれである。唖然としない方がどうかしている。
完全に見えなくなってしまった原付と乗り手を呆然と見上げていたが、すぐに後ろにいたショージを思い出し、
[大丈夫でしたか。おケガはありませんか?]
彼の前にひざまずくように座り、へたり込んでいる彼の顔を覗き込むようにして丁寧な口調で訊ねてくるスオーラ。
びじじじっ
スオーラが手をついたアスファルトが、鈍い音を立ててひび割れる。当然これっぽっちも力を入れていない手のつき具合で「これ」である。
ショージは壊れたオモチャのようにカクンカクンと一所懸命にうなづいている。というよりは首を縦に動かし続けていると言った方が正確だ。信じ難いバカ力を目の前にした恐怖のあまり。
(アミの野郎。こんな化けモン相手にしろってのか!? いくら美人ったって、こんなんじゃ命がいくつあっても足りないぜ)
ショージはジリジリとスオーラから距離を取ろうとしている。しかしその背は何かの建物がある。
彼の信条は「君子危うきに近寄らず」「濡れ手で粟の大儲け」。少ない支出で大きく得をするのを良しとするタイプだ。
ちょっとした事でこんなバカ力を発揮されてはこっちの身が危うい。怖いに決まっている。うっかりポンと肩でも叩かれようものならそこから先が千切れて地面に落ちる事確定である。
明らかに恐怖を隠す苦笑い。その表情を見て取ったスオーラは無言でスッと立ち上がった。その顔は見えないが少しだけ寂しそうな雰囲気を漂わせている。
男として、寂しそうな娘に声くらいかけてやりたい。だがしかし。これ以上かかわり合いにはならない方がいい。心の何かが激しく訴えている。そんな葛藤が彼の胸中に激しく渦を巻く。
だが結局は恐怖が勝った。端も外聞もなく彼は這うようにしてスオーラから離れていく。
「ひええぇぇぇぇえっ!!」
かなりみっともない悲鳴を上げながら立ち上がると、一目散に逃げ出して行った。スオーラを一度も振り返る事なく。
その時電話をかけて呼んだらしい仲間とはち合わせたが、ショージは「あいつに構うんじゃねぇ!」と相当に怯えた様子で仲間達をかき分けて逃げて行った。
そのあまりに慌てた様子を見た彼等もテンションが落ちてしまったらしく、今ショージが走って行った方へダラダラと歩き去って行く。
そんな彼等の後ろ姿――特に見えなくなったショージの逃げ去る後ろ姿を思い浮かべ、
[……無理もありませんね]
スオーラはぽつりと呟いた。
自分を「化物」として扱ってくるのはあちらの世界でもあった事だ。その辺りは割り切っている。寂しい事は事実だが。
初めて逢った留十戈(るとか)学園の剣道部の面々はスオーラを凄いと賞賛していたが、こちらの世界でもそういう者ばかりではないという事だ。世界が違っても同じ人間なのだから。考える事は結局一緒である。
「スス、スオーラ!」
息を切らせた声が後ろから聞こえる。スオーラが振り向くと、そこにはさっき別れた昭士が立っていた。彼は肩で息をしている。相当走り回って探したのだろう。
[アキシ様、どうされたのですか。それに先程の女子生徒さんは?]
スオーラは彼に駆け寄り、彼の肩に手を置こうとして先程の光景を思い出す。さっきの原付やアスファルトのようなノリで昭士の肩を破壊するのではないか、と。
「わか、わか、判らない。スス、スオーラこそ大丈夫? なな何かされなかった? そ、そ、それに。ささ、さっきの男は?」
昭士は辺りをきょろきょろと見回している。心底心配そうな顔で。
いくら警戒していても、基本的にスオーラは自分の判らない事は素直に聞こうとする。覚えようとする。
そこにつけ込んでトンデモない誤解や片寄りすぎの知識、間違った常識を吹き込もうとする人間はきっといる。昭士はそれが心配だったのだ。
スオーラはさっきまでの寂しい表情と感情を昭士に悟られまいと、ことさらに優しい笑顔を作った。
[あの方は急にどこかへ行ってしまわれました。何か用事でもあったのでしょう]
「よよ、用事?」
その時、昭士の携帯のアラームが鳴った。急いで携帯をポケットから取り出すと、時刻は夕方の五時を指していた。
「まま、マズイ。そそ、そろそろ帰らないと……」
今日は早めに帰って溜まっているノート写しを積極的にやる予定だったのだ。授業の遅れを少しでも取り戻したいのだ。
[判りました。わたくしがお送り致します]
スオーラは昭士をひょいと抱え上げるとそのまま地面を蹴った。建物の壁を利用してさらに上昇。一旦建物の屋上に降り立つと、
[アキシ様。しっかり捕まっていて下さい]
「ここ、こ、こういうのは、ダダメって、いい言っただろ!?」
いわゆるお姫さまだっこされる男子高校生というのもあまり絵にならないが、そんな事情はスオーラが知る訳もない。
人間離れしたスオーラの跳躍力は、まるで忍者マンガのようにビルの屋上を次々飛び跳ね、昭士の家に向かっていた。


その夜。
その日の勤務を終えた女性警察官・桜田富恵(さくらだとみえ)は、駅前雑居ビル地下の安居酒屋にいた。店内の四、五人が入れる個室には彼女一人。テーブルには頼んだばかりのビールに海草サラダ。それにお通しとスマートフォン。
そこへ個室の入口を静かに開けて入って来たのはヒルマと名乗ったあの時の男だ。ごついショルダーバッグを抱えた彼は迷う事なく富恵の向かいの席に腰かける。
テーブル備え付けのタブレットで適当に注文すると、彼はバッグの中から取り出した包みを富恵に手渡した。
「ご注文の品です。おそらくモーナカさんの世界の物でしょう」
キンキンとした高い男の声ではなく、それは明らかに女性の声だった。口調もどこか淡々と暗い。
分厚くずっしり重い包み。その中身は魔導書だ。より正確には「この世界の」どこにも存在しない文字で書かれた書物、だが。
「そのテのコレクターやら博物館の職員やらに声をかけて、見つかったのが三日前。地球の反対側から超特急で送ってもらいました」
ヒルマは相当苦労した事を言葉に乗せるが、富恵はサラリと無視して受け流す。
ヒルマはテーブルに置いたままの富恵のスマートフォンを指先でちょいちょいといじると、
「モーナカさん、トンデモない事をしちゃったみたいですね」
スマートフォンの画面には「原付に乗った男 空から降ってくる!?」という見出しのネットニュースの記事が。
男が原付ごと空から落ちて来てドーム球場の屋根に着地。救助ヘリが出動する大騒ぎになったというニュースだ。
「この男はこの界隈のひったくり常習犯。ここから十数キロ離れたドーム球場まで『投げ飛ばせる』人なんて、普通はいませんからね。信じる人はいないと思いますが、一応情報操作はしておきました」
「ご苦労様です」
富恵は呆れたようなため息と共にヒルマに感謝を述べる。
「それから、モーナカさんを狙ってた女子生徒を捕まえておきました。証拠もこの通り」
ヒルマは懐からスマートフォンを出すと、それをぎこちなく操作してある画面を表示させる。
それは夕方アミと名乗った女子生徒達がやりとりをしていたLINEの書き込みのログである。
自分に人気と注目が集まっていないと気が済まないタイプのアミにとって、校内の人気急上昇人物となったスオーラは目障りでしょうがない。
しかし直接手を下せば自分に悪い印象がついてしまう。そのためショージのような男を焚き付けてスオーラの弱味を握ったり、悪い噂を流したり、あるいは評判が落ちるような展開に持って行ってもらうつもりだったようだ。
直接何かした訳ではないが、これも遠回しなイジメに繋がるとみなし、アミとその仲間達は今頃取調室でお説教の真っ最中だ。
「最近の高校生は、変な方向にばっかり頭が回るわねぇ」
少年課の一人としていわゆる不良学生と向き合う事の多い富恵は、最近の青少年犯罪の多様さ、高度さ、陰湿さに頭を抱えたくなる。
「だから、自分のような人間が必要になってくるんですよ。市立留十戈学園高校新聞部部長とは仮の姿。その実体は……」
爆発頭に無造作に手をやったヒルマは、それを簡単に「取り外す」。そうして現れたのは真面目な女子学生にありがちな黒髪のストレート。
それから顔を拭うような仕草をすると、顔面全体がズルリと剥けていく。そこから現れたのは少し頬のソバカスが目立つ、十代後半の女性の顔だ。その表情は変化に乏しい無表情。
「少年犯罪専門の潜入捜査官・益子美和(ましこみわ)のような人間がね」
古いスパイモノのワンシーンのように、演技過剰気味なヒルマ――益子美和の言葉。
日本の警察はこうした潜入捜査やおとり捜査を「基本」行わない。仮にやっても行うのは警察組織ではない、しかし警察と繋がりのある非公開のこうした組織の人間だ。
ククククク、と薄気味悪く笑う美和。そんな彼女は富恵の前で安っぽいスーツを脱ぎながら、
「まぁあの女・四之民(しのたみ)アミというのですが、彼女が何人もの友人やツテを頼ってモーナカさんをハメようとしていた証拠も押えましたし。といっても、その友人やツテの何人かは自分の自作自演ですが」
スーツやシャツを脱ぎつつ、ショルダーバッグから別の服を取り出して着替える。席についたままなのに。その手際の良さと早さは、まるで早着替えだ。
個室の入口がノックされ店員が注文した品を運んでくる頃には、爆発頭にスーツ姿の中年男性は、ちょっとダサめのトレーナーに薄汚れたジーンズに茶髪の女子大生(それも爆乳)に変わってしまっていた。
「ありがとうございまーす」
さっきまでの暗く表情に乏しい声とは全く違う、明るいがどことなくバカっぽい響きの声。同じ人物が発した声とは、目の前で見ても全く信じられない。
「ルパン三世も真っ青ね」
美和が目の前で行った変装術に素直に驚く富恵。美和は店員が出て行ったのを確認すると、
「この程度の事ができなくて、潜入捜査官が勤まりますか」
詰め物製の爆乳をブルンと揺らして胸を張る美和。しかし富恵は「普通はできない」と心の中でツッコミを入れておく。
そんな美和は富恵の視線を無視して注文したビールのジョッキを一気に傾けて飲み干すと、
「今の子供達には自分のような人間が必要なんですよ。そもそも『大人が』子供の面倒を見るのは当然でしょう」
そう。信じられないかもしれないが、富恵と美和は同じ年なのだ。共に二十代後半。
富恵が年相応な容姿なのに対し美和はかなりの童顔だ。背も小柄である。だからこそ素顔のまま一高校生として学校に潜り込めるのだが。
「モーナカさんの存在も昭士くんの存在も無くせませんからね。彼等にはのびのびと命を賭けて戦ってもらわないとなりません」
「のびのびと」「命を賭けて」。何だか相反する矛盾した組み合わせの言葉だ。富恵は美和の淡々とした物言いを、
黙って聞いていた。

<第10話 おわり>


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