トガった彼女をブン回せっ! 第1話その1
『角田いぶきはいるか!?』

月が雲で隠れてしまった闇夜の公園で、動くものが二つあった。
一つは人影。髪の長さや体格から、若い女性であろうもの。
もう一つは等身大の恐竜――それもティーレックスの骨格標本、のようなもの。ただしその表面の光沢は紛れもなく金属質。
その骨格標本の尻尾がぶんと振られ、うなりを上げて若い女性に襲いかかる。
しかし若い女性はその尻尾を間一髪で綺麗に避けてみせる。しかも助走もなしに高々と宙に舞い上がって。
その高さたるや自分の身長の軽く数倍。金メダル級どころの騒ぎではない。
その女性は左手に持った分厚い本を、そちらを見ずにパラパラとめくり、無造作にページの一つを破りとった。
そしてそのページを骨格標本の頭部に向かってピンと弾き飛ばす。
ひらひらと、そして鋭く宙を飛んだページは見事標本の頭部に貼りつくと、同時に頭部が炎に包まれた。まるで魔法である。
骨格標本の可動部分がギリギリギリッと擦れあう耳障りな音を立てる。普通の生き物なら苦しい悲鳴を上げているかのように。
だが燃えていたのはほんの数秒ほどだった。文字の通りあっという間に火が消えてしまう。
火に包まれていた頭部の大半は黒く焦げており、焼けている事は明白であった。もっとも動きは全く衰えていないので、効果があったかどうかの自信はない。
そこへ追い打ちをかけるように、女性の空中からの飛び蹴りが決まった。ブーツのかかとを鋭く叩きつけられ、焦げていた頭部の一部がボロッと崩れ落ちる。
ところが。地面へ落下の途中で再び尻尾がうなりを上げて襲いかかったのだ。かわしようがない空中にいたため、その女性はまともに尻尾の攻撃を受けてしまう。
勢い良く尻尾を叩きつけられ、その勢いのまま地面に叩きつけられ、地面を何度もバウンドしながら転がっていく。
その女性は死んでしまったのかピクリとも動かない。仮に生きていたとしても虫の息だろう。そのまま恐竜に踏みつぶされてしまうのがオチだ。
しかし恐竜は何もしなかった。全身に一瞬青白い火花が走ったかと思うと、その巨体はまるで幻だったかのようにかき消えてしまう。
それからたっぷり数分は経ってから、何とその女性が身じろぎし、ヨロヨロと立ち上がりだしたではないか。
明らかな致命傷を受けたにもかかわらず、何という生命力。頑丈さ。明らかに苦しそうではあったが、自分の足ですっくと立ち上がってみせた。
その時空を覆っていた雲が晴れ、月明かりが闇夜を割いて女性を照らし出す。
丈の短い長袖のジャケット。それから少し動いただけで中が見えてしまいそうなタイトなミニスカートと脚にぴったりとした膝より上のロングブーツ。
ジャケットの胸元を押し上げる膨らみや、丈が短いため丸見えになっているくびれた腰、スカートの布地がピンと張って膨らんだヒップラインからぴったりとしたブーツの脚線美を見る限り、かなりのスタイルの持ち主だ。
流れるような長い髪と逆光が邪魔をしてその容姿まで見る事はできないが、誰もが整った美人の顔を連想するに難くない。
だがその彼女にも、先程の恐竜と同じ青白い火花が一瞬走る。同時によろめいてガクンと膝をついたものの、まさしく「気力を振り絞って」立ち上がった。
そのままよろめくように落ちていた大きな布を手に取ってそばの公衆トイレに歩み寄ると、その壁にピタリと手をつけた。
するとどうだろう。彼女の手が、身体が、全身が壁の中に溶け込むように飲み込まれていったではないか。
あとに残るは何の痕跡もないただの壁だけである。
茂みに隠れていたホームレスは、そこまで見てからようやく姿を現した。
戦っていた(?)ものも、戦っていた(?)跡も、もうどこにもない公園。
ホームレスは今まで自分の目で見ていたものが本当かどうか確かめるため、自分の頬を強くつねってみた。
……痛かった。


市立留十戈(るとか)学園高校。
少子化に伴う生徒不足による合併により誕生した新設の高等学校である。スポーツに力を入れている事を除けば、特に代わり映えのない一般的な学校だ。
そんな学校の放課後。一年四組の教室前。
「角田(かくた)いぶきはいるか!?」
剣道の胴着姿で声を張り上げる男子学生が一人。武道を学ぶ者らしいイメージが皆無の――むしろ口より手が先に出そうな不良少年の声に、教室内が一瞬ざわめいた。
入学式が終わって一週間経つか経たぬかという時期にもかかわらず、その「角田いぶき」という名前だけでざわめきが起こる。
教室内の誰もが「関わりたくない」と内心で熱心に唱えつつ、我先にと男子学生がいない出入口から振り返りもせず教室を出ていく。
残ったのは見るからに気の強そうな女子生徒だった。明るい茶色の髪をポニーテールにしている。それが今どき珍しい古式ゆかしいセーラー服に不思議と似合っている。
背は一六〇センチ程と高一女子にしては高めの部類。だがあいにくとスタイルの方はまだまだ子供の域を出ない、スレンダーなものだ。
そんな彼女は自分に声をかけてきた男子生徒をあからさまに見下したさげすみの眼差しでチラと見ると、帰り支度の続きを始める。
「ナンか用、弱虫?」
真っ先に飛び出たのは刺々しい言葉。しかも相手の方を見ようともしない。完全に無視する構えである。
そんな冷め切ったリアクションにぽかんとしていた男子生徒は我に返ると怒鳴りながら教室に入ってくる。
「お前が角田いぶきか? 俺は二年の特待生……」
「話しかけないでくれる、弱虫が移るから」
元々の顔立ちが良いからか、こういう冷めた態度がより言葉の悪意を増幅して、相手の神経を更に逆なでする。
だから思わず男子学生は拳を振りかざしていた。よほど短気なのか相手を恨んでいるのか。手加減抜きの本気の拳である。
しかし女子生徒――いぶきは全く慌てた様子がない。自分の目の前で、体格や筋力に勝る男子生徒が拳を振り下ろしたのに。
「ぐえっ!?」
ところが。不様に悲鳴を上げたのは男子生徒の方だった。机を薙ぎ倒しながら簡単に後ろにひっくり返り、喉を押さえてゲホゲホ咳き込んでいる。喉仏に彼女の拳がめり込んだからだ。
いぶきは「相手を見ずに」無造作に突き出した拳を引っ込めると少々クセのある発音で、
「ったく。剣道やってンならこの程度の拳かわしなさいよ。だから弱虫って言ってンじゃない。アンタ絶対才能ないわよ。特待生だかナンだか知らないけど、とっとと辞めて他の事したら?」
そう言ってサッカーボールを蹴飛ばすように相手の頭に爪先を叩き込む。首から変な音がした。
カバンを持って教室を出て行こうとするいぶきの背中に、咳き込みながら立ち上がった男子が声をかける。
「てめぇの兄貴を人質に取ってんだ。そいつがどうなってもいいのか?」
あらかじめ用意していたセリフに、男子は内心得意になっていた。こういう暴力女と対するには人質を取るに限る、と。それも肉親ならなおよし。
(さぁどう出る? こういう性悪女が弱味を握られて、抵抗したくてもできないって状態でボコるのも悪くねぇよな)
武道を学ぶ者の精神とは正反対の考えが顔に出たのだろう。上から目線かつイヤラシイ下衆な笑みがありありと浮かんでいる。
いぶきは無表情のまま歩みを止めると、
「兄貴って?」
「は?」
色々とセリフを考えていた男子生徒の目が、文字通り点になって呆けている。それはそうだろう。肉親を人質に取ったと言われてこの反応では、呆れない方がどうかしている。
「……じゃあ、弟なのか? 角田昭士(あきし)って?」
慌てて取り繕うかのように焦りを丸出しにしてそう訊ねる。いぶきは顎に手を当てて「ウ〜〜ン」と考え事をしていたが、やがてポンと手を叩くと、
「……ああ、バカアキ!?」
そう言ったいぶきの嫌そうな顔といったら例えようがない。男子生徒が何か言おうとした途端、
「一応、仮にも、とりあえず、まがりなりにも、現時点では、戸籍上、便宜上、双子の兄貴って事になっちゃってるみたいなンだけどさ。こっちとしては迷惑以外の何物でもないのよね? あンなヤツと一緒にされるなンて失礼千万ってヤツよ。だって十年剣道やっててあたしがキッチリ初段取れてンのにあいつ段はおろか級すら取れてないンだもン。まぁ試験受けてないからなンだけど。おまっけにイヤになるくらい弱いしさ。あたし相手に一回も打ち込めた事すらないもンね、あいつ。才能なンか欠片もないクセに『俺は竹刀を振ってると落ち着くからやってるんだ』なンてなっさけない事言ってさ。剣道なんて強くてナンボのモン。強さが総てよ。あンなに親身になって教えてくれる先生が可哀想になってくるわよ。あンな能無しに教えるなンて時間と労力の無駄以外の何物でもないわ」
一方的に言いたい事をぶちまける。まさしくその様子をぽかんとしたまま聞いていた男子生徒に向かって、いぶきは一息ついてから、
「だから、バカアキがどうなろうとこっちの知ったこっちゃないわよ。人質? そんなモンになる弱いあいつが全部悪いンだから自業自得。そもそもそンな弱いヤツがこの世にいる事自体がもう犯罪よね、犯罪。だから煮るなり焼くなりご自由に。むしろ殺してくれると世のため人のためだしあたしも万々歳だから、よろしく。じゃあね」
有無を言わせぬ勢いでそう言うと、彼の肩を優しくポンポンと叩いて悠々と教室を出て行く。
まがりなりにも実の兄に対してこのセリフ。スパルタ教育の方が遥かに親身に思えるその態度。冷たくあしらっておいて内心とても心配している、という感じにすらこれっぽっちも見えない言動。
男子生徒は痛む喉を押さえながら、元来た道を戻って行った。


「先輩。あの女帰っちまいましたよ」
いぶきにノされた男子生徒が、学校内の剣道場に戻ってくる。
スポーツに力を入れている学校だけあり、剣道場も広くて立派だ。鏡のように磨かれた床板がなんとも美しい。
が。剣道場の美しい床板に写っているのは、とても「美しい」と表現できない光景だった。
金ボタンの黒い学ラン姿の男子生徒が無理矢理座らされ、二十人ほどの胴着姿の男女――おそらく先輩格だろう――に、竹刀で背中をコツコツ小突かれているからだ。
「い、言ったでしょ? 人質なんかとっても、む、む、無駄だって」
座らされている男子生徒は、髪が黒くて短い事を除けば角田いぶきにそっくりであった。初対面の人ならおそらく間違えるであろうほどに。
ただ、その表情自体は正反対で、優しく人が良さそうではあった。そのためかどことなく男装の美少女を思わせるが、間違いなくその声は男のものだ。
角田いぶきの双子の兄・角田昭士である。
「い、い、いいぶきちゃんは『他人の為に』っていうのを死ぬほど嫌ってるしね。ちゅ、中学の時学校全体でボランティア活動するってなった時だって『そんな事するくらいなら死んだ方がマシだ』って言って、ホ、ホ、ホントに手首切って病院に運ばれたくらいだし」
そう話す昭士の表情に、嬉しさも恨みつらみもない。諦めにも似た無表情で淡々と必要な事を話しているだけである。
ただ、時々ドモる。それを理由にいじめられる事もあった。もっとも、主にいじめるのはいぶきだったが。
「あ、それ聞いた事あります。そのせいで担任が責任取らされたって」
昭士を竹刀で小突いているうちの一人がそう言った。その光景を想像した一同は、一様に表情をどんよりとさせる。
性格の悪さは中学時代の評判を伝え聞いていたものの、さすがにそこまでとは思っていなかったからだ。
その中の一人、一人だけ剣道の胴をつけた人物。男子剣道部主将の沢(さわ)は、
「ホント、噂以上のイカレた女だな。本気で兄貴に同情したくなってきたぜ」
そう言うと包帯だらけの頭をバリバリと掻きむしる。
元々は兄を人質に妹を呼び出して、先週やられた仕返しをするのが目的であった。
そもそもの発端は、入学式当日に、いぶきが女子剣道部の部員全員を叩きのめした事である。
それだけなら何の問題もない。別に卑怯な手を使った訳でもない、一対多数である事を除けば純粋な剣道の試合だったのだから。
だが、その内容が問題なのだ。
一対多数だったにもかかわらず、いぶきは四方から振り下ろされる竹刀を一つ残らず「紙一重で」綺麗に避け切っていた。そして反対にいぶきの竹刀は一つ残らず相手に叩きつけられていたのだ。こんな事、よほどの達人であってもできる事ではない。
おかげで女子部員全員は防具の上からでも痣ができるほどめった打ちにされた。しかも一人は肋骨にヒビが入り、一人は折れた竹刀の先で腕をケガしてしまった。
スポーツを推奨しているだけはあり、剣道部にも大会優勝経験者、特待生は大勢いる。そういう人物全員を容赦なく叩きのめして「弱っちい」とまで吐き捨てたのだから、怒り心頭なのは至極当然。
特に女子剣道部の主将と男子剣道部の主将は学校外の同じ道場で学んだ仲。仇討ちにといぶきに挑んだがこれまたあっけなく返り討ち。
おまけに脳天に振り下ろされた竹刀で脳震盪が起きて救急車で運ばれたほどだ。幸い入院するほどの症状ではなかったが、剣道の試合ではよくある事とはいっても、加減という物を知らないとしか言い様がない。
主将が倒された事に怒った他の部員も一斉にいぶきに襲いかかったがかなう訳もなく。全員が一方的にやられて終わった。
そのため、救急車が出動する程のケガをさせるのはいくら何でもやり過ぎだとして、いぶきは停学を食らった。入学式当日に。
そして今日、停学が開けて登校してきた事を確認した一同が、兄の昭士を人質に取って勝負を挑んだというのが事の子細だ。
だが。当の本人が来ないのであれば意味はない。さらに人質に意味がないのならもっと意味がない。
肩すかしという言葉の意味を具現化するとこうなるのではないかという良い見本であった。
「じゃあ、憂さ晴らしに妹に捨てられた兄貴をボコるとしようか」
「ボ、ボ、ボ、ボコるって。俺関係ないだろぉ!?」
美少女らしい外見のせいか「俺」という言葉遣いが死ぬ程似合っていない。
「妹の不始末を兄貴が責任取れって言ってるんだ。何か間違ってるか?」
沢は同情1/2、そして「ざまあみろ」という気持ち3/4で昭士を見下ろしている。合計して1にならないのは、割り切れない人間の感情というものであろう。
「ま、でも、恨むならイカレた妹を恨むんだな」
観念したようにため息をつく昭士を取り囲んだ剣道部員達は、ゆっくりと竹刀を振り上げる。
「も、もうすっかり恨み飽きてるよっ!」
しかし昭士もただ殴られるつもりはなかった。囲みが完全に終わる前に一気に人の隙間を通り抜けて逃げ出したのだ。
昭士の方は妹・いぶきと違って皆を叩きのめせるほど剣道の実力はない。しかし剣道の「型」は目を見張るほど綺麗なフォームを持っており、動画による剣道の教材のモデルになった事もある。
だが「型」だけできてもこういう場では何の役にも立たない。あっという間に昭士は壁際に追い詰められてしまう。
「観念して殴られろ、な?」
竹刀を持って近づいて来る沢。他の面々も怒りをみなぎらせて昭士に近づいてくる。
昭士の容姿だけに一人の男装美少女をよってたかって虐めているような気がしないでもないが、彼らの怒りはそんな気持ちを打ち消してあまりある程だった。先頭に立つ沢は、
「安心しろ、手加減してやるから」
目は本気だったが、さすがに防具もつけていない人間を本気で叩くつもりはない。怒り心頭であってもいぶきの様にイカレているつもりはない。しゃがんでいる昭士の上の壁の部分を叩いて驚かせるつもりなのだ。
沢は両手でしっかりと竹刀を握ると、素早く真上に振り上げる。それからすっと右足を前に出すと同時に竹刀を振り下ろした。
バシーーン!
壁ではなく「人が打たれる」鋭い音が剣道場に響き渡った。
だが。昭士は無傷である。では打たれたのは誰なのか。
それは、壁から「半身が抜け出ている」女性であった。沢の振り下ろした竹刀は彼女の顔面に綺麗に叩きつけられていた。
打った沢はもちろん、周りの取り巻き全員が唖然としたのは言うまでもないだろう。あまりの事態に時が止まってしまったかのように、一同が動きを止めている。
女性は、残っていた半身が壁からスルリと抜け出ながらバッタリと床に倒れた。顔面から。


「水とタオル! あとアイスノンとか氷とか冷やすもの、片っ端から持ってこい!!」
「あー、鼻血出てる。ティッシュ持ってきて、ティッシュ!!」
「近寄るな男子! そこ、エロい目で見てんじゃねー、出てけ!!」
さっきまでの雰囲気が一転。冷やす物を取りに走る者。何か枕になりそうな物を探して来る者。そして女子が中心になって倒れた女性を横にし、ケガの様子を見ていた。
顔面には竹刀の跡がクッキリとついており、さすがの沢も気まずそうに意気消沈。昭士を叩いて驚かす考えなど吹き飛んでしまった。
女子を中心として「ココまでしなくてもいいじゃん」と露骨に彼に非難の視線を浴びせていた。
だが彼が悪い訳ではない。まさか壁を抜け出て現れる人間がいるなど、考える方がおかしいのだ。この日本では。
しかしこの女性は現れた。文字通り壁を通り抜けて。
その女性は自分達と同じか、やや上くらいの年齢の外国の女性であった。
赤く長い髪を無造作に伸ばし、その長さは腰近くまである。身長も女性にしてはある方だろう。
襟が大きめに作られたブレザーのようなジャケット。長袖なのに丈が腰よりも上にある。左胸のポケットには、六角形の中に五芒星というマークが刺繍されている。
色はカラフルといえば聞こえのイイ、実に趣味が悪いものだ。服は様々なパーツを縫い合わせて作るが、そのパーツごとに全く色が違うという、統一感のない色彩で構成されている。
ボタンを閉めていないジャケットの下は白いスポーツブラのようなもの一つのみ。仰向けになっているのに隆隆とした膨らみは、男子の好奇心をかき立て品のない視線を集めるのに充分以上の効果を発揮している。
下はマイクロミニの黒いタイトスカート。少し角度を変えただけで苦もなくパンツが見えてしまう長さだ。そっちにも男子の視線が集まっていたので、女性が身につけていた白いマントを外して、被せて隠してある。
脚は丈が太ももの中程まできている、脚にぴったりとした革のサイハイブーツは少しかかとが高くなっている。ブーツに包まれた脚も長くすらりと引き締まっており、女子ですらうらやましいと心底思うほどだ。
彼女の格好に部員の誰かが「これで黒ずくめだったら、昔のロックだかメタルだかパンクだかじゃね?」と言っていたが、よくは知らなくとも何となくそうかもしれないと皆が思うような格好である。
しかし彼女自身にそうしたイメージはなく、顔立ちなどは大人びた美しさ。冷たい雰囲気の美人というイメージを抱かせる上に、育ちのいい品の良さすら感じる、まさに世が世なら間違いなく深窓のお嬢様だ。
だが。手加減したとはいえ、有段者の竹刀をまともに受けてしまったのだ。それも顔面に。しかもあからさまに部外者。
入学式に続いてこうも連続で問題を起こした事が判ったら、剣道部は間違いなく活動停止になってしまう(入学式の方は剣道部は何も悪くないが)。
皆は一丸となって「それだけは避けねば」と、女性の介抱に真剣になっていた。
その真剣さが功を奏したのだろう。女性の口から小さいうめき声が聞こえた。その小さな声が一同に安堵感をもたらしたのは言うまでもない。
やがて目を開けた女性。その女性に向かって、
「大丈夫でしたか!?」
「済みません、俺のせいで!」
「あの、日本語判りますか?」
「何で壁から出てきたの?」
わらわらっと女性を取り囲んで質問攻めにしている。まだ意識も戻り切ってないうちにこれではその女性も大変である。
そんな輪の中に唯一入っていないのは昭士だけだった。
別に女嫌いという訳ではない。しかし原因は妹のいぶきにある。
それこそ物心ついた時からいぶきの自分勝手具合に振り回されたり、いぶきに間違われたりして散々迷惑を被ってきたのだ。
「女はみんながみんな、あんな感じじゃない」と頭では判っていても、どうしても興味を持てない。興味が湧かない。
だから自分から接しようとは思わない。その辺はこれまでのクラスメイトも「無理ないよなぁ」とかなり同情している。
それを除けば昭士は顔は人並よりはだいぶマシだし、人がいい事もあって頼りにされている。成績はあまり良くないが、ドモる点を除けばバカにされる要素がない。
しかし「あの妹の兄貴」という一点で敬遠されてしまい、恋人はおろかバレンタインのチョコレートすら貰った事がない。義理含めて。
その時、昭士の視線の先に青白い火花が走った。それは入口の反対側の大きな壁一面に走ったのだ。
それに唯一気づいている昭士は、自分の目を疑うようなその後の光景に思わず、
「な、何だぁぁぁぁっ!?」
表情をこわばらせて叫んでしまった。
叫ぶのは当然だろう。何もない筈の壁から「ニュッ」と何かが生えていたのだから。
それはよく見れば、恐竜の骨格標本のようであった。ただし頭のみ。その表面は骨ではなく明らかに金属製。
昭士の叫び声でそれに気づいた皆も一様に驚きの声を上げている。何も仕掛けのない筈の壁からそのような恐竜(のような物)の頭が出てきているだけでも驚きなのに、その頭はかなり天井に近い位置から出ている。
皆が驚いている間に、その骨格標本はずいと道場内に踏み込んできた。それはまさしく等身大のティーレックスの骨格標本。しかも金属製らしい。おまけに自力で動いている。
恐竜は頭を下げて剣道部員達をジーッと見つめている。その頭は半分ほど焦げて崩れており、普通の生物ではない事が容易に想像できた。
一方剣道部員達はあまりの驚きに動く事すら忘れてしまっている。
ところが。顔を打たれて介抱されていた女性が立ち上がったのだ。鼻を押さえて。
「※@∞≦【♀′●⇔∃」
女性はその場の誰もが聞き取れない言葉を発すると、人垣をかき分けて等身大の骨格標本と対峙したのだ。まるで「ここは私に任せて早く逃げなさい」と言いたそうに。
それで初めて剣道部員は「動く」という事を思い出し、一目散にその場から逃げる者が現れた。しかし腰を抜かして動けなくなる者も多かった。そして、
「おいあんた。早く逃げないと……」
一人剣道部の沢は女性の肩を掴んで声をかける。日本語判るのかなぁと心配になりながらも。
だが通じているのかいないのか、それとも自分から引いたら負けだと思っているのか、巨大な骨から視線を逸らそうとすらしない。
すると巨大な骨の恐竜は口を大きく開けながらゆっくりと背を後ろに反らした。それを見た女性は肩を掴む沢を力一杯横に蹴り飛ばすと、自分も大きく彼とは反対側へ飛んだ。
直後。恐竜の口から一直線に吐かれた煙のようなガス。それは出口に殺到していた大勢の部員を一気に飲み込んだ。
「バカ野郎、何しやが……!」
沢の怒号が途中で遮られ、顔の血の気が一気に引いた。
そのガスが晴れると、ガスが触れていた床が恐竜の身体と同じような金属に変わってしまっていたのだ。
それだけではない。ガスに巻き込まれた部員達総てが、ガスを浴びた状態のまま固まっていたのだ。それも金属のような身体になって。
恐竜はドシンドシンと足音を立て、一番手前にあった金属となった床に口を近づけ、バリバリと噛み砕き出した。食べているのだ。
一方沢を蹴り飛ばした女性は苦しそうな表情を見せると、右手を自分の胸に押し当てた。
すると、右手が胸の中、いや身体の中に吸い込まれたのである。そしてすぐさま手を出した時、そこに握られていたのは分厚いハードカバーの本だった。
女性はその本の方を見ずにパラパラとページをめくり、ある一ページを掴んで破り取ると、そのページを恐竜めがけて投げつけた。
そのページが恐竜の胴体に貼りつくと同時に、
ドォンン!
そのページが爆発を起こし、巨体が少しだけグラッと傾いた。
それだけだった。恐竜は体勢を建て直すと、関心がなさそうに金属になった床を食べる作業に戻る。
だがそれはフェイントだった。恐竜の尻尾がうなりを上げて女性に迫っていたのである。
女性の反応が遅れ、その鞭のような尻尾の一撃をまともに受けてしまった。床にこすりつけられるように吹き飛ばされる。
床との摩擦で服が破れジャケットがボロボロになる。さらに上半身は血まみれだった。
そして。ジャケットからこぼれ落ちたのだろう。女性の周りに何か厚手のカード状の物が散乱していた。
恐竜はそれを見てようやく食べるのを止めて立ち上がると、もう一度口を開いて大きくのけぞった。
来る。またあの、金属に変えるガスを吐く気だ。道場にいる全員がそう理解していた。
しかし唯一の出入口は、金属に変えられてしまった部員達で塞がっていて出られない。逃げられない。
彼らの予想通り、恐竜は再びガスを吐き出した。それは一直線に女性を包み込んだ。
直撃だった。

<つづく>


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