『間違いだらけの和食講座 前編』
日本から遠く離れたヨーロッパ。そのフランスはパリの街に、一人の日本人青年がおりました。
名は大神一郎。帝国海軍中尉にして、霊力によって帝都を守る「帝國華撃団」降魔撃退部隊・花組隊長。
そこでの功績を高く評価され、このパリの街へやってきました。
そしてパリに新たに発足した極秘部隊・巴里華撃団の隊長として着任。
少しずつではありますが、着任の成果も表れ始め、巴里華撃団はまとまりつつあるのでした。
もっとも、そんな彼も平時には普通の若者なのですが。


「いよぉ、大神〜」
その大神のアパートに、一人の青年がやってきた。
白い上下のスーツに赤いシャツ。白と黒のまだら模様のネクタイといういでたちである。
彼は加山雄一といって、大神と同じ帝国海軍の軍人である。彼も「帝國華撃団」の人間で、情報収集の隠密部隊・月組の隊長である。
その為か、どこか神出鬼没であり、こうして何の予告もなくふらりと現れる事も。
「今日もグラン・マさんにこき使われたようだな、大神」
ようやく仕事先――巴里華撃団本部でもあるテアトル・シャノワールから帰ってきたばかりの大神は、
「加山。どうしたんだ、こんな夜に?」
そこまで言った時に、彼が何か大きな荷物――小包を持っている事に気づいた。
「日本からの小包だ。みんなからの差し入れといったところだろうな」
加山はそう言って、その小包を小さなテーブルの上に置いた。
「みんなから?」
大神は驚きつつも小包の封を解いた。
中には色々な品が入っている。大神はその品々――送ってくれた全員の顔を懐かしそうに思い浮かべていた。
ともに帝都を守り抜いたかけがえのない仲間――帝國華撃団・花組のみんなの顔が。
「仲間はいいなぁ、大神〜。俺もこんな風に心配してくれる仲間が欲しいよ」
加山がわざとらしいオーバーアクション付きでそう言うと、
「……そうだな。俺は幸せ者かもな」
大神は、小包の一番上に置かれた手紙を取り出し、広げた。久し振りに見る日本の文字を、感慨深げに見つめている。

 『拝啓 大神一郎様
  日本では梅雨の季節に入り、じめじめとした気候が続いております。
  私達花組のみんなも日々元気に過ごしております。
  巴里で暮らすうちに、日本が恋しくなってはいないでしょうか。
  そんな思いを込めて、花組みんなからの贈り物です。
  保存がききにくい物は特製の密閉容器に入っています。
  そして、大神さんの巴里での御活躍をお祈りし、
  重ねて大神さんの帰国を首を長くしてお待ちしております』

その下に、花組全員の署名があった。
「……みんなも、元気そうだな」
手紙を見つめているうちに、大神の顔も自然にほころんでいた。
遠く離れた愛しい思い人からの便りを読んでいるかのような、そんな優しい笑み。
文字しか存在しない手紙にもかかわらず、その文面からは彼女達が騒がしくも楽しい日々を送っている姿が垣間見えた。
その手紙を脇に置き、早速小包の中を見てみる。
米・味噌・醤油・梅干・日本酒など。どれもこれもまごう事なき日本の品だ。
「うわぁ。こんなにたくさん……」
この時代、パリの町に日本食のレストランなどそうある訳もなし。
いくらフランス風の食事に慣れたとはいえ、大神は生粋の日本人。生まれた時から親しんでいる米の飯と味噌汁に一時の幸せと安らぎを感じるものなのである。
「久し振りに日本食ってのも、悪くないなぁ」
茶碗に盛られた、焚きたてのふっくらとした白いご飯。具は少ないながらも熱々の味噌汁。それに焼き魚と冷ややっこに醤油をたらして……と、大神の頭の中には、早くも明日の朝食のメニューが並んでいる。
そんな時、大神の部屋に呼び鈴の音が響く。
「あれ? 誰だろう、こんな夜に」
大神は大きな声で返事をすると、すたすたとドアへ向かう。
「え〜と。どちらさまですか?」
ドア越しに、向こうにいるであろう相手に声をかける。
『……隊長。私だ』
少し低い女性の声がドア越しに聞こえた。
声の主は巴里華撃団の隊員であるグリシーヌ・ブルーメール。フランスの名門貴族・ブルーメール家の一人娘だ。
ノルマンディ貴族で、バイキングの気質を受け継いでおり、そこからくる厳格な性分とプライドの高さには大神も悩まされている。
しかし、真剣さと優しさをきちんと持ち合わせている、頼れる仲間でもある。
「グリシーヌか。ちょっと待って」
大神は急いで鍵を外してドアを開ける。そこには見慣れたグリシーヌの姿があった。
ただし、かなり不機嫌な様子である事は、少々鈍い大神にも一目瞭然であった。
「え……え〜と、グリシーヌ。どうしたんだい?」
まさか、自分の気がつかないうちに彼女を怒らせるような事をしてしまったのだろうか?
そんな風に少々震えていると、彼女はポケットからハンカチを出し、すっと差し出した。
「これを届けに来ただけだ。シャノワールで落としていっただろう」
彼女が差し出したハンカチは、確かに自分の物だ。そこで初めてハンカチを落とした事に気がついた大神は、
「ありがとう、グリシーヌ。わざわざ済まなかったね」
「勘違いをするな」
大神の言葉を遮るように鋭い声を上げる。
「わ、私は、明日貴公が来た時に渡せば良かろうと言ったのだが、グラン・マが届けてやれと言ったのだ。そうでなければ、誰がこんな小間使いのような真似をするか」
大神からすっと視線を逸らし、ぶっきらぼうな態度を貫いている。
「頼まれたにしても、こうして持ってきてくれたんじゃないか。お礼を言うのは当然だろう?」
いきなり言われた言葉に、グリシーヌは咳払いをして、
「れ、礼など言われる筋合いはない。頼まれた事をしただけだ」
それから大神から視線を逸らしたまま、
「……だが、礼を言われるのは悪い気分ではない」
小さい声でそうつけ加える。頬がほんのりと赤いのは気のせいか。
「確かに渡したぞ。では、失礼する」
「ちょっと待ってくれ、グリシーヌ」
去ろうとした彼女を大神は呼び止める。彼女は舌打ちして、
「まだ何か用か?」
「花火くんの具合はどうなんだ? 良くなったのかい?」
同じく巴里華撃団の隊員であり、グリシーヌの親友でもある北大路花火の事だ。
花火はクォーターであり、1/4が日本人。両親の影響で、日本の大和撫子たれと育てられてきたそうだ。
もっとも、その「大和撫子」様式は一世代前のものであり、彼女自身は日本で暮らした記憶はなく、今はグリシーヌの屋敷に一緒に住んでいる。
その彼女がこのところ体調を崩して床に伏せていると聞いて、ふと彼女の容態を聞いてみたのだ。
さすがのグリシーヌも、親友の事に触れられてはぶっきらぼうな態度を崩し、
「うむ。殆ど良くなっている。明日はシャノワールへ行きたいと言っていた。それがどうかしたのか?」
大神は、部屋に届いた日本の品々を思い浮かべ、
「実は、日本から小包が届いてね。米とか味噌とか色々送ってきたんだよ。それで……花火くんにおすそ分けでも、と思ってさ」
それを聞いたグリシーヌも、少し考えるそぶりを見せ、
「ミソ……確か、日本の食材だな。聞いた事があるぞ。確かに花火は喜ぶだろう。忘れずに伝えておく」
「引き止めて済まなかった、グリシーヌ。それじゃ」
そう言った時、大神の背をとんと押した者が。言わずと知れた加山だ。
押された勢いでグリシーヌにぶつかりそうになった。大神はびっくりした様子で振り向き、
「加山。いきなり何をするんだ」
「こういう時は、女性を家まで送るものだろう?」
まるで幼子に言い聞かせるような穏やかな口調でそう言った。
「こんな夜にわざわざ来てくれたんだ。そのくらいしてもいいと思うぞ、俺は」
加山はそう言うと、パタンとドアを閉めてしまった。
「お、おい加山……」
『おや。閉めたショックで鍵がかかったみたいだなぁ〜』
「なにぃ!?」
ドアの向こうから、わざとらしい口調でとんでもない事を言う。
『お前が帰ってくるまでには外しておくから、行ってこいよ、大神』
確かにこのままドアの外で立ち尽くしているのも間抜けだ。
それに、女性をきちんとエスコートするというのも紳士のたしなみである――と言われた事があるような……気もする。
大神はグリシーヌの前で胸に手を当て、精一杯――自分なりに紳士になったつもりで彼女に問いかけた。
「君を、家まで送らせてもらえるかな」
グリシーヌも小さく微笑むと、
「はい」
いつもの口調とはうってかわった穏やかな声でそう答えた。
それから、二人で並んでアパートを出た。しかし、グリシーヌは大神の方を見ようとせず、そっぽを向いたままだ。
「……隊長」
よく見ると、グリシーヌの肩が小刻みに震えている。
「慣れぬ事は止めておけ。笑いを堪えるのが辛い……」
その言葉に、大神は苦笑するしかなかった。


テアトル・シャノワール。
それは、パリ市街北部に位置するモンマルトルの街にある小さな劇場だ。
劇場といっても、舞台と客席がきっちり分けられたものではない。客席で食事を楽しみながら観劇するタイプの劇場だ。
店の格式などで一般庶民の入店を断る店もある中、この店は総ての市民に開かれた社交場なのである。
大神と加山は翌日、小包を持ってそのテアトル・シャノワールへやってきた。
「エリカくんじゃないか」
「あ。大神さん。加山さん。おはようございます」
店の入り口に立つ、真っ赤な法衣に身を包んだ少女――エリカ・フォンティーヌが、箒を持ったまま元気よく答える。彼女も巴里華撃団の一人だ。
「何をしてるんだい?」
大神がそう訊ねると、エリカは元気一杯かつ真剣な表情のまま、
「大神さん、気をつけて下さい! 今、シャノワールには悪魔がいるんです!」
と、突拍子もない事を言った。
「あ、悪魔!?」
彼女は大神の返答を待たずに話し始めた。
「わたしは開店準備のお手伝いで客席の掃除をしていたんですけど、その悪魔はわたしの見えない所で椅子やテーブルを次々と倒してしまうんです」
元気一杯ではあるが、真剣に困り果てた顔でエリカがそう説明する。
「……はぁ」
「ところでエリカさん。なぜ悪魔の仕業だと?」
呆れる大神をよそに、加山の方がその理由を訊ねてみた。
「だって、姿を見せずにそんな悪さをするんですよ。これを悪魔の仕業と言わずして何と言うのでしょう」
本心からそう思っているらしく、目を輝かせて力説するエリカ。
「その悪魔のせいで、椅子やテーブルを倒したのがわたしのせいにされてしまって、外を掃いてくるようにグラン・マに言われちゃったんですよ」
そう言いながら、手にした箒をモップに見立て「こんな風にしていたんです」と言いたそうに床を拭く真似をする。
しかし、その動作はどう見てもオーバーアクション。モップを大きく派手に動かし過ぎなのだ。
(ひょっとして、モップで椅子やテーブルを倒しちゃってるんじゃないのか?)
大神と加山の頭には、全く同じ考えが浮かんでいた。
しかし、エリカの顔を見ていると、その真実を言うのがはばかられてしまうから不思議だ。
「これは、神がわたしに与えたもうた試練に違いありません。その為、わたしはこれから悪魔祓いをしなければなりません」
シャノワールの方を振り返り、きりりとした凛々しい表情で見つめている。
悪魔祓いとは呼んで字のごとく、憑依した悪魔・悪霊を祓う儀式の事だ。
一般に「エクソシズム(EXORCISM)」と呼ばれる悪魔祓いはキリスト教カトリック派のものであり、ローマ教会の典礼定式書という本で正式に定められているのである。
確かに見習いとはいえエリカはカトリック派のシスターなので、その点の問題はない。
基本的に充分な力量と方法があれば儀式は行えるのだが、通常は悪魔祓い専門の聖職者だけが行うものであり、それでも、その地域の司教の許可無くしては行えないのだ。
従って、見習いも同然のエリカが勝手にやった時点で重大な違反行為になってしまうのだが、そんな事は大神達はもちろん、エリカだって知らないだろう。
「でも、エリカくん。悪魔祓いっていっても、どうやって……」
「心配いりませんよ、大神さん」
エリカは自信に満ち溢れた穏やかな顔で、こう言った。
「……神に祈るのです。さぁ」
エリカはそっと両手を組んで目を閉じた。
大神と加山がきょとんとしていると、
「何をしているんです? 二人とも、ちゃんと神様にお祈りして下さい!」
目を閉じたままそう言われ、二人でそのまま目を閉じた。
少しの間沈黙が流れた後、どちらからともなく祈りを終えた。
「じゃ、じゃあエリカくん。頑張ってね」
これ以上かかわり合いになるのは面倒だ、と思った二人が去ろうとすると、
「ところで大神さん。その荷物は何ですか?」
大神が抱えている荷物が気になったらしく、興味が悪魔祓いから荷物に移った。
「大神宛に届いた荷物ですよ。日本の食べ物とか色々……」
「え!? 日本の食べ物なんですか!?」
加山がポロッと口にした言葉に過敏に反応するエリカ。
「日本の食べ物食べてみたいです! そうだ。日本のプリンが食べたいです!!」
握りこぶしを作って言い切るエリカ。三度の食事がプリンでいいと言い切るくらいプリン好きの彼女らしい台詞だが、悪魔祓いの件は完全に彼女の頭の中から消え失せてしまったらしい。
「エリカくん。残念だけど、日本にプリンはないよ」
「そうなんですか!?」
苦笑いした大神の言葉を聞いて、衝撃のあまり硬直し、全身で悲しみを表すエリカ。
「日本には、プリンがないんですか……」
まるでこの世の終わりが来たかのようにがくりと肩を落としたまま呟く。しかし、すぐさま元気を取り戻すと、
「そんなのダメです! プリンのおいしさを知らないなんて、人生そのものを損しています!」
首の十字架をそっと握り、小さく祈りの言葉を呟いている。
やがて、何か強い決意を秘めた眼差しで二人を見つめると、
「判りました。そんな日本の人々には、神の愛とプリンが必要なのです! この世界を、プリンに満ち溢れた平和な世界にしなくてはなりません!!」
だんだん言ってる事が訳判らなくなってきている。おそらく大神達以上にエリカの方が判っていないだろう。
「そうだ。微力ながら、このわたしが日本へ行って、プリンを人々に伝えなければ。プリンが幸せを運んでくるんです。プリンがあればみんな救われるんです」
説法のように静かに。そして力強く語るその姿は、カトリック派のシスターというよりは、プリン教の教祖様とでも言った方が似合うくらいである。
(……神の愛はどこに行ったんだ?)
大神と加山が同じく呆れる中、エリカの方は天を見つめて両手を組み、
「おお神よ、感謝します。これこそが、天がわたしに与えたもうた使命なのですね!」
エリカの思考は、完全に自分の中で自己完結してしまっている。
こうなると、もう誰が何を言っても聞き入れはしないだろう。
「こうしてはいられません。神父様にお願いして、日本へ行く許可を戴いてきます!」
そう言うが早いか、エリカは箒を持ったまま一目散に駆け出して行った。制止する大神の声など耳に入っていない。
二人は入り口に呆然と立ち尽くしたまま、彼女の後ろ姿を見つめていた。
「……いつ見ても疲れる子だな、大神」
「言わないでくれ、加山。余計に疲れる」
そうは言うものの、大神達を含めた街の人々はそんな彼女を決して嫌っていない。むしろ好いているくらいだ。
力一杯空回りしているが、あらゆる事にひたむきで一所懸命だからだろう。
どんな時でも明るく元気な彼女を見て、救われる人も多い。
だからこそ、巴里華撃団に必要なのかもしれないが。
エリカを(一応)見送った二人は、揃って店内に入って行った。

<中編につづく>


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