『ウエノパークの精霊 前編』
東洋の日いずる国、大日本帝国。
その首都、東京。帝都とも呼ばれるその都市を、陰ながら守る人々がいる。
その人々の名は帝国華撃団。その矢面に立つのは一人の青年とうら若き乙女達。彼らは鋼鉄の鎧とも言うべき霊子甲冑を駆り、人智を越えた脅威より、その都市を守っているのだ。
しかし。彼らだけが帝都を守っている訳ではない。
現在。人通りも絶え闇に包まれた広場を駆ける青年も、その一人である。
地味な洋装に身を包んだその美しい青年は、しきりに暗闇の向こうの背後を気にしつつ駆けている。
彼の役目は帝都を脅かす者の情報を集める事。いくつもの組織で構成される帝国華撃団の中でも、もっとも地味で、もっとも報われず、そしてもっとも過酷な情報収集部隊・月組の人間だ。
現在帝国華撃団全体は「黒之巣会」と呼称する謎の組織と交戦している。
彼が潜伏していたのは西洋より伝わる黒魔術によって政府転覆を企んでいる秘密結社――そう呼称するには人員も規模も小さなものであるが――であり、黒之巣会とは縁も所縁もない。
だが、黒之巣会だけが帝都を脅かす存在ではない。いかなる規模のどんな組織であれ、そういった存在を無視する事は任務が許さない。
彼は月組の責任者よりその秘密結社の情報を探るよう命じられ、上野公園そばのアジトに潜伏していたのだ。
ところがだ。彼がどこかのスパイであるとその秘密結社に知られてしまったのだ。
辛くもアジトから逃げ出し、今もこうして広い上野公園へ逃げてきたのはいいのだが、彼を追う何者かの気配が未だに消え失せていないのだ。
まるですぐ真後ろをピタリと弊走しているかのような、濃密の気配が背中に突き刺さる。
真夏であり、しかも熱帯夜の今にもかかわらず、流れる汗は凍ったような冷や汗ばかり。
西洋の黒魔術を操る秘密結社である。自分を追ってくるのは人間ではなく悪魔なのではなかろうか。そんな風に考えたとしてもおかしい点は何もないだろう。
しかし彼とて月組の人間である。戦闘行為は主な任務ではないものの、並の軍人にひけを取らぬ程の実力と訓練は過分なくらいに積んでいる。
でもしょせんは人間。「上には上がいる」の言葉通り、悪魔であろうと人間であろうと彼を上回る実力の持ち主が相手ではいつまでも逃げおおせるものではない。
距離を取ろうと跳躍する寸前、ぶちんという鈍い音とともに彼の足に鋭い痛みが走った。その痛みで勢いが削がれ、前のめりに転倒。そのまま土埃を巻き上げてうつ伏せに地面を滑る。
何か鋭い刃物で足を――それも腱を斬られたらしい。男はそう判断した。
実力差がある上に、足をやられては逃げ切る事は難しい。だが戦って生き延びる事はもっと難しい。
だがそれでも男は諦めなかった。
見えないところから襲う鋭い刃を勘だけで地面を転がってかわすと、消音改造を施した特別製の拳銃の引き金を引いた。
一発。二発。三発。
普通なら大きくパンパンと高く鋭い筈が、ボッボッと気の抜けた鈍い破裂音が周囲に響く。
当たった手ごたえは、なし。残念ながら。
この消音改造の拳銃は、銃声の大きさをまるでささやき声ほどに小さくしてしまう利点を持っているが、弾丸の威力の方もその分弱めてしまう欠点がある。
だからたとえ当たっていたとしても大した事にはならないのだが、当たっていないのではそんな心配に意味がない。
男は念を入れて拳銃を両手でしっかりと持ち、周囲を警戒して気を配りつつ、襲ってくる気配に備えた。
だが。自身の脇腹に鈍い痛みが走る。
懐剣のように細い刃が自分の身体に埋め込まれている。それを激痛の中はっきりと知覚できる、鍛えられた神経をわずかばかり恨みながら、男はその場に倒れた。
「どこの誰かは知らないが、我々の事を知った事が運の尽きだったな」
そこで初めて自分を刺した者の姿が見えた。
全身をくまなく覆うのは、身体に密着するようにピッタリと合った黒一色の装束。それが引き締まった肉体を引き立てるがごとく、である。
そして目だけが暗闇の中でわずかに光る。その手に握られているのは予想通り懐剣。しかも刃を黒く塗りつぶしている。暗闇の中での保護色だろう。そこについた血は先程自分の足を斬った時のものだ。
その者は男の身体に埋め込まれた懐剣を一息で引き抜くと、
「急所を突いた。その傷ではもう助かるまい。この“影法師”の手にかかった事、地獄への手土産にするんだな」
確かに、脇腹の急所を寸分狂わずに突き刺しているのだ。助けも呼べないこんな場所では死は時間の問題である。
「最後の手向けだ。明日の新聞を貴様の訃報で飾ってくれ、色男」
影法師と名乗ったその人物は、その名の通りすうっと姿を消した。もう一辺の気配も残っていない。
男は何とか応急処置を試みるが、もう身体に力が入らなかった。腹からの血で手が滑り、うまく血止めができない。
帝国華撃団月組の隊員は、その任務の関係上まともな死に方はできない。
皆が冗談めかして言っていたその言葉。どうやらそれは真実のようである。
だが男はそれを恨んではいなかった。恨む道理などない。総ては自分の失態が原因なのだ。それを他人のせいにするような事はしたくない。
男は――覚悟を決めた。
そして、その覚悟を見届けたのは、そばに立っていた樫(かし)の若木が一本だけ。
太正十二年(一九二三年)の、暑い夏の夜の事であった。

それから六年ほど流れ、時は太正十八年(一九二九年)。
ジャンヌ・ダルクが絡んだ一連の事件もどうにか解決した帝都のとある場所で、帝国華撃団月組隊長を勤める加山雄一は、一組の書類の束に目を通していた。
それは六年前に帝都を襲った大地震――黒之巣会が帝都壊滅を狙って使った呪法・六破星降魔陣――の時に壊滅した、とある秘密結社に関する報告をまとめた物である。
その秘密結社は、西洋より伝わる黒魔術の力を以て、日本政府を転覆させるのが目的だったという。
だが運がなかったのだろう。大地震の際にアジトに甚大な被害が発生し、その地震でほとんどの人間が死亡。唯一生き残った人間も両脚の骨を折る重体で病院にかつぎこまれたのだ。
その際に尋問がなされ、この秘密結社の存在が明るみに出た訳なのだが――。
その人物曰く、秘密結社に潜伏していた人物を、上野公園で殺害したというのだ。殺した相手の人相・風体は、まさしく「消息不明」となっている、ある月組隊員のものと完全に一致したのだ。
翌日の新聞を見てもその男の死亡記事などどこにも載っておらず、慌てて殺害現場に向かったが死体は影も形もなく、独自に探してみても死体を発見する事はできなかったという。
当時定期連絡が無くなった事もあり、月組も総力を挙げて探索をした。警察機構の情報網も総て調べた。軍情報部と掛け合っての調査も総て行った。
にもかかわらず「消息不明」。
死んでいたとすればどこかに死体がある筈だし、発見されれば新聞にも死亡記事が載った事だろう。
だがもし生きているのなら、月組に何の連絡もしてこないというのは実に不自然である。定期連絡を欠かさないのはこういった組織では常識だ。
何らかの事情で連絡できない状態にあったとしても、噂話としてすら、彼の情報が入ってこない。月組の情報収集能力を考えると、これもまた不自然なのである。
そのため死亡事件ではなく「消息不明」として扱われているのだ。
「……何やってるんだ、直木(なおき)」
加山が呟いたのも無理もない。六年が経った今になっても、その隊員・直木がどうなっているのか誰も知らない。未だに「消息不明」のままなのだ。
ぱこん。
そんな加山の頭をはたく者がいた。彼はわざとオーバーに痛がって後ろを振り向くと、
「何だお前か」
丸めた書類を片手に呆れた目をしていたのは、加山子飼の部下の一人である。筋肉の欠片もないような細身で、まるで枯れ木のようにひょろりと背の高い体躯だが、柔術の投げ技にかけては加山をも凌ぐ武闘派である。
「昔の書類をご覧になっていたのですか。引っ越しの際に発生する、典型的なサボリですね」
「しっ、失礼な事を言わないでくれ」
部下にサボリとまで言われ、さすがの加山も口を尖らせた。
月組隊長という肩書は、この月組のトップである事を表わす。言うなれば最高責任者だ。その最高責任者にここまでの口を聞ける部下に「何だこの野郎」という憤りを感じていた訳ではない。
それは加山自身の大らかで飄々とした性格のせいもあるが、月組の任務事情も関係している。
基本的に情報収集部隊というものは、表に出る活躍というものがない。どれだけ貴重で重要な情報を集めてきても、それを誇る事すら許されない。
それでいて一歩間違えれば待っているのは確実な死である。それもまともな死に方など望むべくもない。
死体が残ればかなり幸せな死に方だ。敵組織に捕らえられて何かの実験台にされたた者もいる。苛烈な拷問を受け精神を壊してしまい、永く入院している者もいる。
そんな職場で確固たる組織を維持するためには、最高責任者が椅子に座ってふんぞり返っているだけでは駄目だ。階級や肩書に関係なく、自らも率先して危険な任務を請け負い、部下に示しをつけ続けなければならないのだ。
だから、手狭になった事務所の引っ越しなどという仕事にも率先して顔を出しているのだ。サボっていては意味はないが。
「俺はただ、消息不明のままとなってしまっている、一人の部下の身を案じてだな……」
報告書の表紙を、まるで水戸黄門の印篭のごとく突きつけて、そう告げる。
痩せた部下はその表紙を丁寧に見つめ、自身の記憶を探ると、
「直木諜報員が上野公園で消息を絶った一件ですね。自分も耳にしています」
それからその書類を手の甲で退け、
「だからと言って、それをサボる理由にするのは、いかに隊長といえど見逃す訳には参りません。消息不明の直木諜報員に対しても失礼です」
「判った判った。これでも真面目に仕事をしているつもりだぞ?」
確かに加山の言う通り。彼の周囲の書類はきちんと整頓され、段ボールに綺麗に収まっている。文句を言われるような事態ではない。
「それともお前は、俺に注意をするために呼んだのか?」
「いえ、違います」
加山の言葉を淡々と否定し、部下は言った。
「大神一郎殿がお会いしたいと連絡がありました。折り入って相談したい事がある、と申しておりました」
「大神が!?」
加山の表情が一気に明るくなった。
彼と大神は海軍兵学校時代の同期生であり、親友といってもいい間柄であり、共に帝国華撃団の一員でもある。
といっても、月組隊長の加山に対し、大神の方は実動部隊・花組の隊長。現在は帝国華撃団の総司令官を引き継いでいる。
同期生が一足先に出世してしまった事を多少恨みに思ってはいるが、何事にも「性」というものがある。そして今の加山にはここが一番性に合っているのだ。
「じゃあ俺は早速大神に会って……」
脱兎のごとく走り出そうとした加山の襟首がぐいと引かれ、同時に彼の両足が勢いよく宙に跳ね上がる。両足を後ろから払われたのだ。そのまま身体がくるりと回転し、きちんと両足で着地する。
文句を言おうとする加山に対し、部下の方は襟首を掴んだままの体勢で、
「『引っ越しの作業が終わってからでいい』。大神一郎殿はそうも申しておりました」
聞き取りやすい口調でキッパリと加山にそう言った。
「……ったく。つれないぞ、大神〜」
そして襟首を掴まれたまま、加山は片づいていない荷物の前にズルズルと引きずられていった。


どうにか引っ越し作業を終えたその夜。加山は筋肉痛になりそうな身体に鞭打つように、銀座に建つ「大帝国劇場」へ足を運んだ。
東洋随一の劇場とは仮の姿。こここそが帝都の守りを担う帝国華撃団の総本部なのだ。
加山は何となく足音を消したまま通路を歩き、支配人室の前に立った。そしてノックをしようと手を上げた時、すぐそばの階段から足音が聞こえてきた。その音から察するに、人数は二人。それもそれほど体重がある人物ではない。
彼が音のした方をわざとゆっくり見ると、やって来たのはアイリスことイリス・シャトーブリアンとレニ・ミルヒシュトラーセの二人だった。
二人が着ているのは普段の私服姿ではなく明らかに外出着だ。アイリスの方はオフホワイトのパーティードレス。レニの方は濃紺の細身のスーツ姿だ。
二人ともこの大帝国劇場の舞台女優であり、同時に帝国華撃団・花組の隊員でもある。加山とは花組隊長である大神の友人という事で、一応は面識のある間柄だ。
「ど、どうも。こんばんわ」
「こんばんわ〜」
若干引きつった加山の挨拶に、アイリスは子供っぽくペコリと頭を下げる。
だがいくら子供っぽいといっても、彼女ももう十六才だ。
初めて出会った頃――といっても当時は互いに面識があった訳ではないが――と比べれば外見はかなり成長している。身長はグンと伸びたし女性らしい体つきになりつつある。そろそろ子役と呼ぶのは厳しい年頃だろう。
アイリスの傍らに立つレニは、その中性的な容貌から男役を務める事が多い。
出会った頃と比べてかなり身長も伸びているが女性らしい体つきとは縁がなさそうで、それが中性的な印象に拍車をかけているのは幸か不幸か。
にこやかに挨拶をしてきたアイリスとは異なり、無口なレニは黙って軽く会釈をしただけにとどまった。視線や態度から警戒心がほとんどないだけマシな方だろう。
「お兄ちゃんに用があるの?」
アイリスが屈託なく加山に近づき、上目遣いに彼を見つめている。
彼女が「お兄ちゃん」と呼ぶのは大神だけだ。その辺りは年月が経ってもちっとも変わっていない。
まだ彼女が小さかった頃は純粋に「可愛い子だな」という思いしかなかったが、このくらいの年頃になってくると、時々ドキンとするような色気……のようなものを発する時がある。アイリスのように外見と中身のギャップが大きいとなおさらに。
それだけでたいがいの男は胸中穏やかではなくなってしまうのだが、肝心の女性にはそういう自覚はえてして皆無である。
そういう自覚は皆無であるが、男が胸中穏やかでない事に関しては鋭いくらいに敏感なのも、また女性である。
「アイリスが大好きなのは、お兄ちゃんだけだからね」
そうイタズラっぽく笑って言われては、さすがの加山も苦笑いするしかない。
「いや。大神のヤツに呼ばれましてね。ここにいるんじゃないかって」
加山は目の前の「支配人室」の扉を指でコツコツつつく。するとレニが、
「そこにメモが挟まっている」
必要最低限な朴訥とした表情に乏しい喋り方。昔と比べて感情表現が豊かになってきたとはいえ、この辺りはやっぱり変わっていないようだ。
加山はドアの隙間に挟まれたメモを抜き出して広げる。そこには一見意味不明のカナの羅列がビッシリと書かれてあった。
しかしこれは大神と加山が海軍兵学校時代に習った暗号だ。素早く解読すると「帝劇二階ノサロンニ来ラレタシ」とある。
ほとんど「公然の秘密」になっているとはいえ、月組隊長である事をわざわざ公言する訳にはいかない。それを考えた上での大神なりの配慮だろう。大して意味はないが。
「しかし、何の用事なんだろうな」
ぽつりともらした加山の言葉に、レニが短く答えた。
「上野公園の樫(かし)の木の事だと思う。ボクは直接見に行っていないけど」
「上野公園の樫?」
樫の木なら上野公園にはたくさんある。さっきサボって読んでいた報告書にもあった。「男を殺害したそばには樫の木が立っていた」と。その文章が真っ先に出てくるのは無理もない事だ。
それはともかく。上野公園の樫とこうして自分を呼びつけた理由がさっぱり結びつかないため、ややオーバーな動作で首をひねる加山。それを見たアイリスは、
「花組のみんなもその話してるもん。お兄ちゃんも『後で聞いてみるか』って言ってたし」
「ボク達はこれから仕事なので、これで」
二人がペコリと頭を下げて去って行く。
二人ともこの劇場の女優であるが、ラジヲ出演や様々な催し物に呼ばれる事も多い。特に夜ともなれば、財界人や著名人のパーティーに呼ばれる事もあるようだ。きっと今日もそうなのだろう。
まるで若いカップルのように絵になる二人の後ろ姿を見送った加山は、ドアをノックせずにそばの階段から二階のサロンへ駆け上がる。
二人の言った通りサロンに大神はいた。花組の女性達も揃っている。
花組の隊員達が女性だけで構成されているのは、舞台女優を兼ねているからではない。
花組の隊員となるには、常人を遥かに超える「霊力」を持つ事が絶対条件だからである。その条件を満たす確率が一番高いのが若い女性なのだ。決して大神が女性ばかりを選り好みしている訳ではない。
「加山。わざわざ呼び出して済まなかったな」
大神の凛とした真っ正直な眼差しに見つめられ、加山はネクタイを直す仕草をしつつ、
「お前からの呼び出しならいつでも応じるぞ。水臭い事を言うな。故人曰く『水魚の交わり』じゃないか」
口調こそ軽口そのものだが、その言葉に偽りはない。友のためなら裏方も汚れ役も笑って引き受ける。加山はいつでもそのつもりだ。
「実は今、花組のみんなの間で、ちょっと気になる話が持ち上がっていてな」
単刀直入に大神が切り出した。元々真っ正直すぎる彼があれこれ凝った話の切り出しができるとは思っていないが。
大神にうながされて一歩前に出たのは、今や女役のトップとなった真宮寺さくらである。舞台に立つようになって六年が経つが、相変わらず新人のような初々しさを残すという絶妙さがファンにはたまらなく写るようだ。
「実は、一週間ほど前に上野公園に行った時なんです」
「上野公園?」
ついおうむ返しに加山が訊ねてしまう。さっきアイリスとレニから「上野公園の樫の木」という単語を聞いていたからだ。
「あの公園に、欧羅巴(ヨーロッパ)から寄贈された木が何本か植えられているんですが、ご存知ですか?」
さくらの言う通り、日本と欧羅巴の友好とかいう理由で、欧羅巴の木が公園のあちこちに植えられていた筈だ。植えられたのは太正九年(一九二〇年)だったと記憶している。
「その中の一本……茶屋のそばに立っている大きな樫の木なんですが、周りに誰もいない筈なのに、誰かがいるような気配を感じてならないんです」
「気配を感じる……?」
花組の面々は揃って高い霊力を持っている。その霊力が何らかの存在の気配を感じとったのだろうか。
しかし一口に高い霊力とはいっても、その使い方は多種多様。悪霊などを討つ事が得意な者もいれば、霊などを探し出す事が得意な者もいる。
「そうなんだよ。このあたいが感じるくらいだ。絶対に何かあるぜ」
まるで男のような口調で会話に入ってきたのは桐島カンナだ。
二メートル近い身長に空手で鍛え上げられた引き締まった身体。演技力には欠けるが空手で培われたアクションや飾らず明るいさっぱりとした性格が、特に子供達に人気がある。
「せやなぁ。ウチにもどうにか判るくらいやしな」
独特の関西弁で後に続いたのは中国生まれで関西育ちの李紅蘭。華撃団の機体整備の総責任者であり、役者も裏方もこなす多芸な才能の持ち主でもある。
カンナも紅蘭も、華撃団のメンバーの中では高い霊力を持っているとは言い難い。その二人がここまで断言するのだ。確かに「何かある」と勘ぐるのは当然かもしれない。
「アイリスが言うには、どうも人間の気配ではなさそうだって話なんだが、俺にもちょっと、な」
大神が頭をかいてそう発言する。確かに大神の霊力はカンナや紅蘭にも遥かに劣る。それでも一般的な人間と比べれば格段に高いのだが。
そこで加山は、大神がわざわざ普段は会わせない花組の隊員と会わせた理由を察した。こういう話は人伝えより体験者の口から直接聞く方がいいからだ。
「そういった事情を考慮しまして。一応話を伺えればと思いまして」
静かにそう口を開いたのはマリア・タチバナである。カンナと共に花組最古参のメンバーであり、日露の混血にして男役のトップという事もあり、歌劇団全体としても一、二を争う人気を誇っている。
一応「海軍に所属する帝都の事情通」という事になっている加山の立場だが、もはや月組隊長である事は公然の秘密と化している。それでも敢えて「月組の情報」と口にしない配慮に加山はいたく感謝している。
「女性は総じて霊感が強いと聞きますが、そうした気配を感じ取れる程とは」
加山はわざとらしく困ったような素振りを見せると、
「あいにく霊感を持っている訳でもないので、そういった事まではあいにく……」
しかし頭の中では「夢組からもそういう情報はなかったな」とつけ加える。
月組が敵地に潜入しての情報収集を任務とするのに対し、霊力を以て過去や未来、現場などの情報を読み取る事を任務とする夢組という部隊が存在する。
加持祈祷によって実動部隊たる花組の後方支援も担当するとはいえ、総司令職に着いた大神ですら夢組の事はよく判らないし、その隊員と接触するのは稀だ。
月組と夢組が集めた情報を整頓して総司令に届けるのが、普段の華撃団のやり方である。その整頓は加山の担当ではないが、その際に「こぼれ落ちてしまった」情報である可能性も、なくはない。
「でも、みんながみんな揃って同じ話を持ってきたものだから、逆に気になってな」
この場にいる花組隊員は以前からその木から「何らかの気配」を感じてはいたらしいのだ。しかし邪悪な気配でない事であまり気にする事もなかろうと思っていたようなのだ。
それで特に話題に登る事もなかったのだが、先週さくらがその事を話した途端「実は自分も……」と皆が感じていた事が判り、揃って大神に話を持ち込んだ、という訳なのだ。
詳細を聞いて「それは確かに気になるな」と、さすがの加山も考え込んでしまう。
花組の隊員が感じている「人間ではなさそうな」何者かの気配。
しかし、霊的な情報を収集する夢組からそういった気配がある情報が全く来ていない事。
それらを踏まえた上で、加山は花組の隊員に質問をしてみた。
「その、皆さんが感じた『何者かの気配』ですけど、どんな感じでしたか?」
花組の皆が「どんな感じって?」と言いたげにこちらを見る。加山はさらに続けた。
「はい。自分には霊感がないので想像でしか言えませんが……一口に霊と言っても色々あるでしょう。例えば、何かを護る守護霊と、強烈な恨みを残している悪霊とかでは、感じ方は全く違うんでしょう?」
加山の言葉に、一同少しばかり考えてから、
「そうですね。恨みや苦しみといった雰囲気は、感じなかったと思います」とさくら。
「少なくとも、害をなす者ではないと思います」とマリア。
「人間っぽい感じがするようなしないようなって感じかな。何となくだけど」とカンナ。
「せやな。でもあの近所にお寺はあるけど神社はあらへんし。そういうモンとも違う感じがするわ」と紅蘭。
それらの意見を統合して、加山が出した結論は、
「つまり。負の感情を持つ悪霊じゃないけど人間っぽいようなないような。それでいて神様や眷属とも違う。そう言いたい訳ですか?」
どことなく自信なさそうに花組の隊員がパラパラとうなずく中、大神は、
「早速調べに行きたいところだけど、一番頼りになる二人が、今いないからなぁ」
花組でもっとも霊力の高いアイリスと、花組でもっとも知識が豊富なレニの事だ。その二人がいれば調査がどれほど楽になる事か。
「かといって、これからみんなで行ったら大騒ぎになるだろうし」
今や帝国歌劇団と言えば帝都でも知らぬ者がいないほどの有名人。大勢でゾロゾロ歩いていたのではたちまち人だかりができて調査どころではない。
しかし真夜中を待って行くには少々問題がある。
夜道を女性に歩かせたくないという男性としての気持ちが一つ。
皆が明日の朝早く外部の仕事に出かけるため、あまり遅くまで起きていても困るという支配人としての理由がもう一つだ。
霊的な対策をしなければならない。舞台女優としての活動もさせなくちゃならない。しかしそれ以前に皆を守ってやらねばならない。総てやらなきゃならないのが、支配人としての務めだ、と大神は心の中で述懐する。
だからと言って日を改めるのもどうかと思う。もしこれが帝都を揺るがすような事態に発展する引き金だったとしたら。どんな些細な情報も常にそう思って迅速に行動する。それが月組の行動理念だ、と加山は心の中で述懐する。
二人の男は真面目にそう考え、同時に頭が痛い思いをするのだった。

<中編につづく>


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