『爆走のトランスポーター 中編』
帰りの電車の中、ぶすっとむくれたままのかなめが宗介を睨んでいる。
「ソースケ。何であんな風に安請け合いしたのよ」
「何をだ?」
「何って……楽器の搬入出の件よ」
本当ならばかなめは、日曜日は友人達と映画を見に行く筈だったのだ。
かなめのファンの俳優が主演なので楽しみにしていたのだが、その予定は先程キャンセルしてしまった。少々むくれているのはそのせいもある。
「怪しいとは思わないのか、千鳥?」
宗介は少し間を置いて口を開いた。
「会長閣下は『音楽とは勝敗を競うだけのものではない』とおっしゃっていたが、その考えはあくまでも紳士的で聡明な閣下ならではのもの。そう考えてはいない者も多いに違いない。コンクールという一大イベント直前に、我が校の関係者が事故に遭っている。これを、敵の妨害工作と考えるのは当然ではないのか?」
かなめはつっこむ気にもなれずにそのままがくっとうなだれた。
「敵を倒すには、正面から攻めるだけではない。スパイを使ってニセ情報を流して内部から崩壊させたり、物資の補給路を断って戦えない状態に追い込んだり。……どれもこれも基本的な戦術だ」
かなめははぁ〜〜と長く空しいため息をついた後、
「どっかのマンガじゃあるまいし。そんな妨害工作やるようなコンクールじゃないと思うけど。それに事故ったって、ただ階段から落ちて腰を打っただけって、神楽坂先生も言ってたじゃない」
「ますます怪しい。階段にちょっと細工をしておけば、転ばせる事など雑作もない。楽器が運べなければコンクールには出場できまい。『戦わずして勝つ』という言葉もあるぞ。今からでも遅くはない。出場校を片っ端から調べた方がいい」
(何か、使い方が間違ってる気がしないでもないけど)
かなめがそう思って見つめる彼は、腕組みをして何やら考え込んでいる。どうせ存在もしない仮想の敵との対策でも講じているのだろう。
とにかく、かなめは彼がバカやらかさなければいいか、と気楽に考える事にした。これ以上思いつめると精神的に自滅しかねない。
そんな鬱とした気分のまま、家に帰ったかなめは柳沢からの電話を待っていた。
たまたまつけたテレビから、どこぞの国の反日的な外務大臣が来日しただの、エアガンでお年寄りが撃たれてけがをしただのといった安穏でない事件ばかりが流れてくる。
ますます鬱になりそうな気がして、かなめはすぐにテレビを消してしまった。
そのままソファに横になる。しーんとした静寂が部屋を包んでいる。
「早くかかってこないかな?」
そんな時、いきなり電話が鳴った。一瞬びくっとしたものの、慌てて受話器を取る。
「はい、千鳥ですけど」
「千鳥さんのお宅ですか? わたし、陣代高校の柳沢と申しますが……」
「ああ。あたしです、柳沢センパイ」
相手の言葉を遮って名乗ると向こうも口調を変えて、
「千鳥さん。スケジュールが決まったの。日曜日の朝七時半までに学校の正門にいてほしいの」
「七時半ですか?」
聞き返しながら内心舌打ちする。かなめは朝に弱いのだ。本来は休日である日曜日に普段以上に早起きするというのは……。
「う〜ん、まずったかな〜」と言いたげに無言で顔をしかめる。そんな様子が見えているのか、柳沢はぷっと吹き出すと、
「学校や先方には話してあるから、時間までに行ってくれれば大丈夫。その時には車も着いてる筈だから、後はその人の指示に従って」
確かに二人だけでやる訳ではない。二人にできるのは、せいぜい楽器の積み下ろしの手伝いくらいだろう。
「来るのは小林さんって人なんだけど。まぁ、ちょっと変な人だけど、仕事はきっちりやる人だから」
柳沢は電話の向こうでしみじみと語るようにそう言うと、かなめはガクッとうなだれた。
(変なヤツはソースケ一人で充分以上だってば)
そんなかなめに構わず、彼女は言葉を続ける。
「ほんとは、うちの部員でやるのが筋なんだけど、今回の会場ってちょっと遠いのよ。だから、一旦学校に寄ってからだと大変なの。ほんとにお願いね」
さすがにここまで言われてはやるしかない。かなめは空元気を出すと、
「わかりました。こうなったらとことんやります。どーんと任せて下さい」
意味もなく胸を叩いてそう返事する。
「それはそうと、ちょっと聞いてみたかった事があるんだけど」
急に声の雰囲気が変わる。不思議そうな調子の中にも、どこかからかいを含めた感じで、
「千鳥さんと相良くんってつき合ってるの?」
「ほへ?」
単刀直入な彼女の物言いに、かなめは間抜けな声を上げてしまう。
「二年の後輩から聞いたの。恋人っていうより友達とか姉弟って感じだけど、すごく仲良いって……」
かなめの顔が一気に赤くなる。手をぶんぶんと振って、
「ち、違いますよ! あんなのとつき合ってる訳ないじゃないですか!」
「あの時も、やんちゃな弟を叱るお姉さんって感じだったし。かなり過激だけど」
「そんなんじゃないです! だいたいこっちは、あいつのしでかしたバカ騒ぎの後始末とか尻拭いばっかりさせられてるんですから。世界で一番遠くにいてほしい人物ベスト五に入りますよ、ソースケは」
別に柳沢が悪い訳ではないのだが、かなめの口調にだんだん焦りと怒りがこもってくる。
「でも、世界で一番遠いって事は、見方を変えると世界で一番近い人って事になるんだけど。地球は丸いからね」
彼女がくすくすと笑っている。
「……確かに大変そうだけど、嫌がってる風には聞こえないわね」
かなめが一瞬言葉に詰まる。
「でも……あ、あたしは学級委員ですし、生徒会の副会長でもありますし……」
じんわりと額に脂汗が流れ、しどろもどろのままだんだんとかなめの声が小さくなっていく。
まるで、面と向かって話をしているかのように、かなめの全身に緊張が走る。
「職務熱心とか、人がいいとか、そういうのだけじゃないと思ってたけどね。やっぱり、好きじゃなきゃあそこまでできないでしょ」
柳沢は電話の向こうで小さく笑うと、
「わたしって恋愛事には縁がないからさ。他人の恋愛はどうしても応援したくなっちゃうのよ。大変だろうけど頑張ってね、千鳥さん」
屈託のない声でそう言われてしまうと、それ以上何も言えなくなってしまう。苦笑いして曖昧に返事をした。
それから二言三言やり取りをした後、かなめは苦笑いのまま電話を切った。
彼女はその姿勢のままぼーっと動けずにいた。柳沢の言葉に当たってる部分もあったからだ。
別に宗介のストッパーは「かなめがやらなければならない」理由も「かなめでなければならない」理由もない。
そして彼を叱ったり、フォローをしたり、あれこれと世話を焼いたりするよう言われた訳でもない。
彼に色々と借りがあるのは事実だが、それでもこうまでひどいと、とっとと見捨てて友達づきあいをやめてしまう方が早いし、楽な事は確かだ。
始めは「何であたしが……」と思った事もあったが、だんだん「あたしがやらなきゃ」と思うようになってきた部分もある。使命感だけではこうはいかないだろう。
殆ど初対面の人に自分の事をあそこまで的確に言われ、何となく気恥ずかしさで顔が赤くなっていたが、気持ちを入れ替えようと意味もなく気合いを入れる。
問題は、朝に弱いかなめがどうやって時間に間に合うよう確実に起きるか、という事だ。
問題の解決も含めて、彼女は宗介に電話をかけた。
「……あ。もしもし、ソースケ? あたしだけど。日曜の朝七時半に正門前って事になったんだけど……六時頃にモーニングコールお願いできる?」


さて、問題の日曜日。
宗介のモーニングコールでどうにか起きられたかなめは軽くシャワーを浴びた。浴びてる最中に眠くなるのをどうにか堪える。
それから、昨夜のうちに作っておいた朝食をレンジで温め直して急いでかき込むと、近所の駅で宗介と合流する。
それから電車に揺られて陣代高校最寄り駅の泉川に到着。完全に余裕で集合場所の正門前に到着した。
いつもは半分眠ったように「うー、だりぃ〜」などと言ってテンションの低い彼女も、今日ばかりは少々違う。
「やっぱりまだ来てないみたいね〜」
かなめが辺りをきょろきょろと見回し、口を押さえてあくびをかみ殺している。目の端に浮かんだ涙を指で拭うと、
「えと、時間まで後十五分くらいか。どうする? もう中に入ってよっか?」
かなめは厳しい目で周囲を見回している宗介に言った。しかし、その後、
「ねえ、ソースケ。さっきから聞こうと思ってたんだけど、その中身何なの?」
そう言って、彼が右肩で背負っているバックパックを指さす。
「念のための用心だ」
「念のためって……。何の用心よ」
そこまで言って、かなめは先日の会話を思い出した。彼は、まだ「正体不明の敵の妨害工作」があると考えているのだろう。
「……確認しておきたいんだけど、あんた、まさか『誰かが襲うかも』って考えてんじゃないでしょうね?」
「当然だろう」
かなめの引きつった笑みに気づいた様子もなく、しっかりと言い切った。
「やはり、コンクール直前になって我が校の関係者が負傷するというのは怪しい。それに、俺達のこの行動も向こうに勘づかれているとすれば、道中で襲撃して来る可能性もある。用心しておくに越した事はない」
「どんな用心よ、まったく……」
かなめはがっくりと肩を落とした。それから彼に向かって、
「ともかく、学校の外でもある事だし、今日はおとなしくしてる事。その中に何が入ってるかは見当つくけど、絶対に使わないように! いいわね!?」
ぎろりと宗介を睨みつける。
「しかし……」
「あたしは、ダメって言ってるんだけど? 日本語通じない?」
「…………承知した」
かなめの迫力に宗介は不承不承うなづいた。
その時、二人の前に一台の白い商業用ワンボックスバンが止まった。運転席からラフな格好のひょろりと痩せた青年が出てくる。
「あの、君達が搬入出を手伝うっていう生徒さん?」
「……あ、小林さんですね。今日はよろしくお願いします」
かなめが無意識のうちに頭を下げる。宗介が彼に一歩近づいた時、
(やめなさい……!)
かなめに殺気のこもった目で睨まれ、宗介は動きを止める。
小林は、そんな二人のやり取りに気づいた様子もなく、
「じゃ、悪いけど校門開けちゃってくれるかな? 中に車入れちゃうから」
学校の前は一車線ずつしかないバス通り。日曜の朝とはいえ車は走ってるしバスだって来る。おまけに校門の前はバス停でもある。ここで荷物の積み下ろしをする訳にもいかないだろう。
そう言った小林は再び運転席に戻る。その間に宗介とかなめは校門を開けておく。
彼は手際良くバックして校内に車を入れると車を降り、サイドと後部のドアを全開にする。
良く見ると、昇降口の所にビニールシートをかぶせた楽器ケースが置いてあった。シートを外すと、直方体やら楽器の形そのままといったケースが大小合わせて十五、六個並んでいる。
そのどれにも取っ手の部分に黄色いリボンをつけ、そこに手書きで「陣代高校」と書かれている。他の高校の楽器と間違えないようにする配慮だろう。
「じゃあ、そこにあるのどんどん持ってきて。こっちで積むから」
二人は彼の言う通り、昇降口と車を何往復もして運んだ。その間彼は座席を外した後ろ半分に毛布を敷き、そこに楽器を載せ、ものによっては毛布で包む。
もちろん少しでも多く積めるよう、ケースを寝かせたり立たせたりとパズルの様にきっちり置く位置を計算しながら。
やがてその作業も終わると二人に、
「どちらかは後ろに乗ってテューバを押さえててくれないかな?」
彼は運転席につきながら、小柄な人間が二人は入りそうな巨大な黒いケースを指さした。テューバは金管楽器の中でも大きさも重量も最大級。多少安定感はあるものの、もし倒れたら冗談抜きでシャレにならない。その位置には宗介が無言のままついた。
かなめが助手席に座り、扉を閉めると、彼は早速車を発進させた。
それから彼は改めて小林と名乗った。
「助かったよ。いつもは親父と二人でやってるんだけど、親父が階段から落ちて腰打ってさ」
ポケットに入れていたミントのタブレットを口の中に入れながら、事態の割に軽く脳天気な調子で言う。ちょっと変な人と聞いていたが、ただのノリの軽い人のようだ。
「あ。それは神楽坂先生が言ってました。お気の毒です」
かなめが申し訳なさそうな沈んだ顔をしていると、
「別に君が悪い訳じゃないんだから、気にしなくていいよ。ところで、君達ブラスバンド部の人?」
「いえ。生徒会の者です。ちょっと訳あって手伝う事になったんです」
別に隠す事でもない。かなめは素直にそう話すと、
「まあ、今回はちょっと大変だからなぁ。仕方ないんだけどね」
「そう言えば柳沢センパイも『一旦学校に寄ってからだと大変』って言ってたんですけど、どこでやるんですか、コンクール?」
「上野にある『石橋メモリアルホール』って所だよ。私立上野学園ってトコの敷地内にあるホールなんだけどね。都内のブラスバンド部の間では結構知られてると思うよ」
そう説明する小林だが、かなめも宗介もブラスバンド部員ではないので、そんなホールの事など知っている訳はない。
確かに陣代高校のある調布市から上野のある台東区へは、電車で行くとだいたい一時間くらいかかる。その間こんな大きな荷物を抱えて電車に乗るのは確かに大変だろう。
「でも、こんなに早く行かなきゃならないんですか?」
かなめはあくびをかみ殺している。小林はそんな彼女を横目で見て苦笑いすると、
「今回、陣代高校の順番って最初の方なんだよ。コンクールは十時から始まるんだけど、時間通りなら十時半過ぎかな。昨日のうちに搬入できれば良かったんだけど、そうもいかなくってね」
ダッシュボードに放ったままのクリップで綴じたコピー用紙を見ながらそう説明する。プログラムのコピーらしい。
それから彼は後ろにいる宗介に「大丈夫か?」と言いたそうに少しだけ振りかえって見てから、
「自分達の出番まで楽器をあっためたり、チューニング(調律)したり、軽くおさらいしたりって、結構時間かかるんだよ。だから、どんなに遅くても九時半頃には着いてないと」
そう言って時計をチラリと見ると、またタブレットを口に放り込む。
「あっためる?」
かなめが不思議そうな顔で訊ねるが、少し考えてから、
「人間が準備運動して、身体をあっためるみたいな感じですか?」
「そうそう、そんな感じ。息吹き込んで楽器をあっためてないとチューニングだってうまくいかないし。こんな大きな楽器だと、毛布をかぶせておいたり、カイロをこすりつけてる人もいるくらいだから」
小林はそう言って、宗介が手を添えているテューバのケースを指さす。
「ふーん。色々大変なんですね」
体力をつけたり腹筋を鍛えたり。それに加えて演奏技術を磨いたり。もちろん楽器の掃除やメンテナンスもやるのだろう。かなめの思っていた以上に、ブラスバンド部というのは大変そうだ。
「まぁ、ホントの事言っちゃうと、万一渋滞に巻き込まれて遅刻したら、シャレにならないからだけどね」
「重要な物資の輸送だ。そのくらいの配慮は当然だろう」
宗介が無味乾燥な感想を述べる。もちろん、周囲への警戒は怠っていない。
車は首都高速に乗って順調に進んでいく。何の障害もなく高速を下り、その先の交差点をぐるりとUターンし、高速道路の下の道を行く。
上に首都高速が走る道路から脇道に入り、更に角を曲がって細い道路を行く。左側に見える明け放たれた校門から中に入り、随分と狭苦しい校庭の隅に車を止めた。
そんな訳で目的地のホールに無事到着。むしろ予定より早く着いたくらいだ。
三人は楽器を車から下ろし、それらを抱えて目の前のホールの中に入っていく。
学校の敷地内にあるホールと聞いていたが、かなめや宗介の想像以上に立派な内装だった。
「へ〜。さすが私立の学校。金かかってるわね〜」
妙な所でかなめが感心していると、
「ステージ奥にはパイプオルガンがあるしね。音響設備やホール内の音の響きなんかも日本有数の良さだし。プロの楽団の定期演奏会なんかも開かれるくらいだから」
小林がそう説明してくれる。その説明にかなめも宗介もぽかんとしてエントランスを見回していた。
周囲を見回すと、ロビーの隅の方に「陣代高校」と書かれたはり紙と大きなビニールシートが敷かれているのを見つけた。小林が言うにはそこに楽器を置くそうだ。
「あの〜。台車とかないんですか?」
随分とかさばるサックスのケースを両手に持ったかなめが小林に訊ねると、
「ない。三人でやればすぐだから大丈夫だよ」
小林の方は、大きなスーツケースの倍はあろうかというテューバを一人でひょいひょいと運んでいるので、かなめも強く言えない。
車とそこを何往復もしてシートの上に楽器を並べ終える頃には、かなめはうっすらと汗ばんでいた。小林の方は手慣れているためか涼しい顔をしている。
「二人ともご苦労様。ほんとに助かったよ」
小林は二人にねぎらいの言葉をかけ、そばの自販機で買ったジュースを二人に渡す。二人は礼を言ってそれを受け取り、一気に飲み干した。キーンとした冷たさがとても心地良い。
そうしているうちに、陣代高校ブラスバンド部のメンバーも到着し出していた。
「相良くん、千鳥さん。本当にご苦労様」
二人を見た恵里が素直に誉める。悪い気はしない。
「それじゃみんな、楽器を持って移動。奥の控え室に集合よ、いいわね」
いつもの気弱さ感じる雰囲気とは違い、きびきびとした動作で部員に指示を出していく恵里。
「二人とも、帰りもお願いね。それじゃ」
彼女はそう言うと通路の奥の控え室に消えていった。それを何となく誇らしげに見送る二人。
「……ふー。何とかなったみたいね〜。良かった」
「そうだな。予想していた敵の襲撃がなかったのは良い事だ」
良かったのはそういう意味ではないのだが、とりあえず同意しておくかなめ。
宗介のむっつりとした顔にも、どことなく満足そうな笑みが浮かんでいるようにも見える。
珍しく何の騒ぎも起こさなかったせいもあるが、いつもよりは宗介がカッコ良く見えた。
(いつもこうだったら……考えてもいいんだけどなぁ)
かなめはそんな宗介を横目で見て、照れくさそうに少しうつむいた。


やがて陣代高校の出番が終わり、楽器を持った生徒がロビーに戻って来た。
「柳沢センパイ。じっくり聞いた事なかったんですけど、うちのブラスバンド部ってすごかったんですね」
「俺は音楽の事は判らないが、きちんと統率はとれているように見えた。大した物だ」
かなめと宗介も客席の後ろの方でみんなの演奏を聞いていたのだ。二人が先頭にいた柳沢にそう言うと、彼女は照れくさそうに、
「そんな事ないよ。目立ってないだけで、結構ミスっちゃったし」
そう言って苦笑いすると、
「じゃ、また楽器運びお願いしますね。みんな、車の所までは自分で運んでね!」
後ろにいた部員に指示を出す。同時に今回は部員の何人かも積み込みを手伝った。そのため、宗介とかなめの負担もかなり軽減された。
「じゃあ、お願いしまーす」
「わかりました」
みんなに見送られて、車は発進した。宗介は行きと同じくテューバのケースを支えている。その彼が、
「高速道路に乗るのはやめた方がいい。江戸橋ジャンクションが渋滞の上、外苑の辺りで衝突事故があったそうだ」
宗介を良く見てみると耳にイヤホンをしている。ラジオの交通情報でも聞いているのだろう。
タイミングの悪い事に、ここから高速に乗って最寄りの出口に行くには、そのどちらも通らねばならない。
しかし、小林は焦った様子もなく、例によってタブレットを噛み砕きながら、
「じゃあ、一般道を行こう。どうせ時間制限はないし。さすがに夜になる程時間がかかる訳じゃないから」
脳天気に鼻歌混じりでハンドルをきっている。
一旦高速に乗ってしまうと身動きがとれなくなる可能性もあるが、一般道ならばどうにか抜け道を探して進む事もできる。
「あの。さっきから気になってたんですけど、それ何なんです?」
かなめが小林の食べているタブレットを指さす。
「ああ。俺の好物。ミントがキツイから眠気防止でもあるけどね」
言いながら残り少なくなったケースを軽く振ってみせる。
「残りも少なくなっちゃったし、お昼買うついでに買っとこう。二人は何か食べる?」
だいたい秋葉原辺りまで来た時、ふいに小林が声をかける。
「え? そ、そんな。悪いですよ」
かなめは苦笑いしてやんわりと断ろうとするが、
「いいって。このくらいおごるよ」
「じゃ、遠慮なく」
現金というか切り替えが早い。今度は小林の方が苦笑いすると、手近のコンビニの前に車を止めた。
「ああ。ここのコンビニのベーグルサンド、美味しいんですよ」
かなめがにこやかにそう言うと、
「じゃあそれにしようか。彼氏の方は?」
小林が宗介の方にも聞くが、
「問題ない。持参している」
バックパックの中からカロリーメイトを取り出して見せる。
「……判った。じゃあ何か飲み物を適当に買ってくるよ」
そう言うと車を下り、コンビニの中に消えた。それを車内から見送ったかなめは、
「しっかし……せっかくおごってくれるって言うんだから、あんたも何か頼めば良かったのに」
「いつどこで食事が摂れるか判らなかったからな。自分の食料を持参しておくのは当然だ」
「ああ、そう」
かなめは味気ないやり取りをして背もたれに身を預けた。その時、車の外からばすばすっという鈍い音と短い悲鳴が聞こえた。
「何だ!?」
かなめと宗介が窓から外を見ると、コンビニの外で小林が顔を押さえてうずくまっていた。

<後編につづく>


文頭へ 戻る 進む メニューへ
inserted by FC2 system