『底抜け豆腐屋小僧 前編』
九条昴。
日本人であり、京都の公家に繋がる、能楽の家元の出身である事。
高い霊力を持つ者で構成される人型兵器を駆る部隊「欧州星組」にかつて在籍していた事。
生まれた月日が五月九日である事。
それ以外の事が総て謎に包まれている、紐育華撃団・星組きっての天才にして完璧主義者。
そんな昴なのだが、このところ何かがおかしい。誰も気づかないような、ほんの小さな違和感。
それを確かに感じ取った。
「何かあったのかしら?」
紐育華撃団副司令官ラチェット・アルタイルがポツリと呟いた。
昴とラチェットは、かつて欧州星組の一員として共に戦った「同士」。そのためか昴とのつきあいは他の隊員よりは長い。
その長いつきあいからくる観察力が、中性的な無表情をなかなか崩さない昴の異変を見抜いたのだろうか。
だが、ストレートにその原因を訊ねる事は、ラチェットにははばかられた。
つきあいが長い分、昴の性格はある程度把握しているからだ。
完璧である事を貫こうとする昴は他人に弱味を見せないので、ストレートに訊ねても正直に答えるとは思えない。さり気なく自然にはぐらかされるのがオチだ。
遠回しに聞いたのでは、持ち前の勘で鋭く察知され、警戒されるに決まっている。
しつこく食い下がれば、同じ事を何度も聞かれる・答えるのを嫌う昴が激昂し、事情を聞くどころではなくなる。
他の華撃団の隊員が昴の異変に気づく前に、昴自身が解決してくれれば何の問題もないのだが、それでは理由や原因が判らない。
完璧主義者の小さな異変の元凶を知りたい。ラチェットの中にそんな興味本位の心境がないといえばウソになる。
だが聞いたとしたら……という堂々回り。合理性を重んじるラチェットだが、この考えはちっとも合理的でないと若干気落ち気味だ。
さて、どうしたものかと、彼女は考えを巡らせていた。


大河新次郎。
日本人であり、海軍兵学校を飛び級で主席卒業したエリート中のエリート。
高い霊力を持つ者で構成される都市防衛極秘部隊「紐育華撃団」。その実動部隊・星組部隊長を勤めている。
だが彼はそうした略歴や肩書きを鼻にかける事のない、生真面目で純朴な青年だ。その性格に加えかなりの童顔な事も手伝ってか、周囲の人間にからかわれたり可愛がられたりしている。
今日も表向きの顔である、マンハッタンはリトルリップ・シアター係員としての職務――ホールの清掃の合間に、華撃団の隊員であり女優でもあるジェミニ・サンライズと談笑していた。
ジェミニはテキサス生まれのカウガールだが、昔日本人に剣法を教わったというかなりの変わり種だ。実際銃より刀で戦う方が遥かに強い。兵学校で鍛えられた新次郎にも引けを取らない程だ。
それが理由なのか、サムライを始めとする日本の文化に強い憧れを持っている。もっとも日本人から見ればかなり的外れな知識ばかりを植えつけられているとしか思えないが。
「そりゃあ兵学校時代は大変だったよ。分刻みのスケジュールで体力作りや武器の扱い方。兵法とか語学とか心構えに至るまで、朝から晩まで授業や訓練漬けだからね」
「分刻み!? 日本人は時間にうるさいって聞いてるけど、ホント凄いんだね」
新次郎の兵学校生活を聞き、ジェミニはぽかんと口を半開きにして驚いている。
「でも毎日休みなしでやるんじゃ大変でしょ?」
「ああ、全然休みがない訳じゃないけど、休みよりも食事の時が楽しみだったなぁ」
ジェミニの問いにどこか懐かしそうな新次郎の声。すると彼女は意地悪そうに小さく笑うと、
「食事が一番の楽しみなんて、新次郎ってずいぶん食いしん坊なんだね〜」
意地悪そうな言い方にムッとしかけた新次郎ではあるが、すぐに気を取り直す。
「そりゃヘトヘトになるまでしごかれるし、食べ盛りだからお腹も空くよ。みんなして競争みたいに食べてたなぁ」
「その割に、背の方は大きくならなかったみたいだけどね」
ジェミニにしてみれば悪気はないが、背が小さい事を少々気にしている新次郎はさすがにカチンときたようで、
「こ、これから大きくなるんだよ。心身共にでっかい男になってやる!」
「でっかい男になる」は新次郎の目標であるが、同時に新次郎の口癖にもなっていた。
ジェミニは何度目かの新次郎の「でっかい男になる」宣言をサラリと流すと、
「日本の食事って、やっぱりゴハンとミソシルなんでしょ?」
そう訊ねるジェミニの目が光り輝いている。純粋無垢な幼子のように胸を弾ませて答えを待っているのが丸わかりだ。
「そりゃそうだけど。でも兵学校だとパンも出たよ。朝はたいがいパンと味噌汁だったし」
「パンとミソシル!?」
光り輝いていた目が、今度は驚きのあまり大きく見開かれた。そのあまりのオーバーなリアクションに、新次郎の方が驚いてしまう。
「……それって日本と西洋の融合? ワヨーセッチューってやつ?」
ジェミニは急に真剣な顔つきになってすっと立ち上がると、
「己の国の文化を守りつつ、他国の文化を素直に受け入れる。どちらが勝るでもなく劣るでもなく。これが日本の『和』ってやつなんだね!」
「おーさすがだ〜」とすっかり感心しているジェミニ。しかしすぐにテンションが元に戻ると、
「ところで、日本のミソシルってどんなのなの?」
「……え〜と。確か前にサニーさんが納豆定食をごちそうしてくれた筈じゃあ」
一度納豆定食を食べた事がある筈なのにこのリアクション。新次郎のガックリぶりは、先程のジェミニと好対照である。
サニー――マイケル・サニーサイドはこのリトルリップ・シアターのオーナーにして、紐育華撃団の総司令官。日本好きの大富豪であり、彼の自宅には所狭しと日本の物が飾られている。食事もゴハン党だ。
「あの時はネギとフだって言ってたよ。他にもシイタケとかダイコンとかシジミとかホウレンソウもあったし」
「それだけじゃなくて、もっといろんな具があるよ。ぼくはワカメと豆腐がいいなぁ。シンプルだし美味しいし」
「ワカメ? トーフ? 聞いた事はあるんだけど……」
日本びいきのジェミニといえど、実物はさすがに知らないらしい。新次郎は得意そうに、
「ワカメっていうのは海草の一つだよ。日本では味噌汁に入れたりお酢で和えたりするかな。豆腐は白くて四角くてやわらかくて、ぷるんした食べ物だよ。大豆から作るんだ」
「白くてぷるん? プディングやゼリーとは違うんだ?」
ジェミニの頭には白くぷるぷるとした四角い塊が浮かんでいた。指で押すとぷにょんとわずかにへこみ、放すとぷるんと震えて元に戻る。彼女のイメージの中の「トーフ」はそんな姿をしていた。
新次郎は「そんな感じかな」と言うが、プディングやゼリーとは違う「ぷるぷるした食べ物」というものが、彼女には想像できないらしい。
「じゃあトーフってどんなの? 本物を見てみたい、触ってみたい、食べてみた〜〜い!」
思考の限界を超え、心の叫びを連呼するジェミニ。そしてその叫びが別な人間の関心を寄せてしまった。
「食べ物あるのか!?」
並んでいる二人の間にひょいと割って入ったのは、このリトルリップ・シアターの子役であるリカリッタ・アリエスである。彼女も華撃団の隊員の一人である。
メキシコ出身の、金の銃と銀の銃を駆る凄腕のバウンティハンター。だがその実体は天真爛漫で元気な子供だ。
「何があるんだ、しんじろー。リカにもくれ」
開いた両手を差し出すリカに新次郎は、
「食べ物がある訳じゃないよ。『豆腐』っていう、日本の食べ物の事を話してたんだ」
「なんだそれ?」
当然のリカの疑問に、さっきと同じ説明をもう一度する新次郎。
「まっしろでしかくくてやわらかくてぷるんなのか。リカも食べたいぞ〜」
思っていた通りの言葉が飛び出し、ジェミニもそれに同意する。
そこで新次郎は考えた。
世界のあちこちから移民が訪れ、住人となっているのがこのニューヨークという町の大きな特徴の一つだ。同郷の者同士が互いに同じ地区に集まり、国が定める住所とは別に「○○人街」というものを形成している。もちろん日本人街もある。
いくら遠く離れた異国とはいえ、さすがに日本人街に行けば豆腐は売っているだろう。
もっとも。サニーサイドの自宅になら間違いなくあるのは判っているが。
「判った判った。じゃあサニーさんに頼もうか。それともお店で買ってくる?」
ところが。この後のジェミニの言葉が騒動の引き金になってしまう。
「えっ、新次郎が作ってくれるんじゃないの?」
「ぼくが作るの!?」
彼の驚き具合は尋常ではない。豆腐作りはもちろん、料理そのものすら慣れていないのだから当然だ。
「そんな事言われても困るよ。ぼく豆腐の作り方なんて知らないよ?」
「え!? だってさっき大豆から作るって言ってたから、てっきり知ってるものだとばっかり……」
「しんじろーはダメだな。自分のゴハンは自分で作る。これ鉄則」
ジェミニの言葉をよく判っていないリカが、実に偉そうに語っている。ある意味正論ではあるが。
「そうだよ。日本人なのに日本の料理の作り方を知らないなんておかしいよ」
豆腐は食材であって料理ではないのだが、そんな食い違いはジェミニの中では吹き飛んでしまっていた。
謂れない理由で二人から責められ続ける新次郎。我慢がとうとう限界を超えてしまった。
「判ったよ! そこまで言うなら作ってみせるよっ!!」
二人に感情のまま怒鳴りつけると、持っていたモップを放り出し、そのまま踵を返してシアターを飛び出していく。
その時昴とぶつかりそうになったのだが、新次郎は気づきも謝罪もせずにどこかに駆け出していく。
その様子に首をかしげる昴だが、取り残されたように唖然としているリカと、モップを拾い上げたジェミニに目をやり、
「ケンカかい?」
短く静かに二人に問う昴。ジェミニはバツが悪そうに口をつぐんでいたが、リカがある意味空気を読まずに、
「しんじろーがトーフを作るらしいぞ」
「豆腐?」
リカの口から出た意外な言葉に、さしもの昴も訊ね返してしまった。
「昴さんも日本人だから、トーフって知ってますよね?」
「無論だ。僕も豆腐は好きだ」
ジェミニの問いにこれまた簡潔に答える昴。
「日本の料理なのに、日本人の新次郎が作り方も知らないって言うから、つい言い合いに」
こつん。こつん。
昴はジェミニとリカの額を、手にしていた扇子で軽く叩いた。
「知らなかった事とはいえ、君たちはとても理不尽な言葉を発した」
そう語る表情にいつになく厳しいものを感じたジェミニとリカは、何か言いかけて言葉を飲み込んでしまう。
「豆腐は日本の料理ではない。食材だ。それに、特定の人間しか作れない物ではないが、誰にでも作れる物ではない」
昴の言葉は二人を見据えて続いた。
「豆腐を作る手順そのものは、大して難しくはない。柔らかく煮た大豆を潰した物をよく温め、それを濾した豆乳に、にがりという凝固剤を入れて固めればできあがる」
昴らしい簡潔な説明に聞き入る二人。
「だが、どの行程にも経験が必要とされる。特ににがりを入れる作業は『寄せ』と呼ばれ、豆乳の濃さや温度でにがりの量や入れるタイミングを見極めなければならない。にがりが多すぎれば早く固まり過ぎてボソボソとした物になり、豆腐独特の舌触りが失われる。無論少なくては固まらず豆腐は豆腐たり得ない。これは数値化やマニュアル化が困難な、経験を以てしなければ身につける事はできない」
説明に熱が入ったのか、昴は珍しく饒舌となっている。
「そんな豆腐だが、昔から皆に親しまれている日本の食材の代表とも言える。現に1782年には、百種類もの豆腐料理の作り方を記した『豆腐百珍(とうふひゃくちん)』なる本まで刊行された程だ」
ジェミニとリカに呆然と見つめられ、自分が饒舌だった事に気づき、語りを止める昴。
「とにかく、だ」
取り繕うような咳払いと共に話題を元に戻す。
「豆腐料理ならいざ知らず。ろくに料理の心得もない彼に豆腐そのものを作れというのは、理不尽以外の何物でもない」
元通りの静かな、しかし力強い調子で二人に諭す昴。ジェミニも彼に言われた事が理解できなかった訳ではないので、素直に謝罪する。
「そうだね。ボクもステーキは焼けるけど、ステーキの肉を作れって言われたらできないもの。それと同じ事だね」
そのたとえはどうかと思った昴だが、きちんと反省している事に対してツッコミを入れるほど野暮ではない。
「ボク、新次郎に謝ってくる!」
リカの方も言葉の意味は判っていないが、自分が彼に悪い事をしたという事は判ったらしい。
「リカも行く!」
ジェミニとリカは、先程の新次郎と同じように一直線にシアターを飛び出して行った。持っていたモップを放り出して。
昴はそのモップを拾い上げると、
「僕に掃除をしろと……?」


シアターを飛び出した新次郎が向かったのは、ミッドタウンにある「ROMANDO」という店だ。日本グッズを取り扱う商店で、そこの店主に会うためである。
「加山さん!」
カウンターの奥で寂しそうにウクレレをつま弾いている青年が、その声に反応した。
彼は加山雄一といい、表向きは貿易商という事になっている。
だがその実体は、日本の東京に本部を置く「帝國華撃団」。いわば紐育華撃団の先輩にあたる部隊に属している人間だ。
彼の所属は情報収集を任務とする「月組」。しかもそこの隊長職だ。この紐育華撃団はできてからまだ日も浅い。彼がこの地にいるのは、そういったノウハウを提供する目的もある。
そして新次郎とは海軍兵学校の先輩後輩という関係でもある。
「新次郎か。そんなに慌ててどうした?」
白いスーツ姿の加山が、諜報員とは思えぬのんびりさで立ち上がる。ちなみに店に客の姿はない。
「……相変わらず開店休業ですね」
ささくれだった心境のためか、刺々しい感想を漏らす新次郎。その言葉にオーバーにこけてみせる加山。
「それを言ってくれるな、新次郎」
加山は後輩の新次郎にも、まるで旧知の友のように振る舞う。彼は手にしたウクレレをポロンと鳴らすと、
「で、俺に何の用だ?」
その一言で新次郎は困ったように押し黙ってしまう。だが意を決して口を開いた。
「豆腐の作り方、ご存知じゃありませんか!?」
「豆腐!?」
新次郎の言葉に、さすがの加山も驚きを隠せなかった。
「豆腐って、あの豆腐か? 冷奴やら湯豆腐やらに使う?」
新次郎は首を倒して肯定する。
「しかし。なんだってまたいきなり……そうか」
加山は何やら察したようにうんうんとうなづくと、
「昴さん……だったか。あの日本人の。その人に食べさせてあげようって訳か。何せあのホテルの……」
「違いますよ?」
新次郎は加山の言葉をすぐさま否定する。だが遅れて加山の言葉を理解すると、
「昴さんがどうかしたんですか? まさか、昴さんに何かあったんですか!?」
途中で遮った言葉に反応し、激しく詰め寄ってくる新次郎。加山は「しまった」という苦い表情を作るが、
「別にお前には関係ないだろう」
「関係なくなんかありません!!」
力一杯叫んで加山に詰め寄る新次郎。その目の、その視線の熱さは、新次郎の叔父にして共に兵学校で学んだ同期生、帝國華撃団総司令・大神一郎を彷佛とさせた。
(血は争えんなぁ、大神)
加山は心の中で帝都にいる「心の友」に呟くと、
「判った判った。ちゃんと話すから落ち着け」
加山はカウンターの奥で出がらしのお茶を煎れて新次郎に差し出すと、話を始めた。
昴はこのニューヨークにあるホテルの一室を自分の住居としている。そのためか、上得意である昴の為に、ホテルのシェフはわざわざ日本食を作って振る舞うという。特に昴の好きな豆腐を。
その日本食を作れるシェフが、交通事故に遭って入院してしまっているというのだ。交通事故といっても程度は軽く、命に関わるようなケガではない。
だがさすがに仕事をする事はできない。そのため昴はここしばらく日本食とはご無沙汰らしい。
日本食は材料や行程こそ単純だが、その分料理人の腕と材料の質が如実に出来に表れる。
日本料理の発祥地といっても過言ではない京都の生まれである昴。その肥えた舌を唸らせるシェフとなると、アメリカ広しといえどそうはいないだろう。
人間の生活において、食ほどなめてかかれない物はない。自分の大好きな物が食べたくても食べられない。それが人間の生活にどれほどの悪影響を与えるか。それを子供じみていると笑えるかどうか。
新次郎とてこのニューヨークで暮らすようになってずいぶん経つ。こちらの食事や生活習慣にもだいぶ慣れたつもりだが、そこはやはり日本人。米の飯と味噌汁を恋しく思っている。
一方の昴は、そんな自分より遥かに長い期間外国で暮らしているのだ。いくら表面上は平静を装っていても、そういうイメージが皆無とはいっても、その胸中までは平静かどうか。
新次郎のそんな心境をよそに、加山は「話を戻すぞ」と前置きしてから、
「……こうして頼ってくれるのは有難いが、あいにくと俺も豆腐の作り方はよく知らん。食べる方専門だったしな」
彼は記憶の中から何かを引っぱり出すようにしばし瞑想するように黙っていたが、
「確か、茹でた大豆を潰して、そいつを濾したやつににがりを加えるんだったかな」
「加山さん。それだけ判ってるなら、作れるんじゃないですか?」
「分量までは判らん。かといって、その入院中のシェフに聞く訳にもいかんだろう。面識がないんだし」
一瞬表情が明るくなりかけた新次郎も、その言葉で残念そうにうつむいてしまう。加山はそんな彼に向かって、
「そもそも、何でいきなり豆腐作りなんだ? 転職でもする気か?」
「違いますよ!」
新次郎は思わず声を荒げてしまう。しかしすぐに態度を改め、
「ジェミニやリカとちょっと言い合いになったんです。それでつい……」
「『つい』でそんな話になったのか?」
「日本人なのに日本の料理の作り方を知らないなんておかしい、何て言われちゃったから……」
寂しそうにしゅんとなる新次郎。その様子を見た加山は、
(若いなぁ。四角四面というか、杓子定規というか)
声に出さずに呟いた。だが妙に納得した部分もある。そして、ムキになった理由も見当がついた。だからこそ、加山は素直に言った。
「判った。俺にできるのは材料や道具を揃える事くらいだな。大豆と水は何とかしよう。問題はにがりだな」
さすがにアメリカにも大豆くらいはある。だがにがりは日本独特の物ではないが、アメリカでは使われていない事は容易に想像がつく。
こういった物は日本人街に行っても手に入らないだろう。日本から送ってもらうには日数がかかり過ぎるし、長期間保存が利くのかもよく判らない。
「にがりって豆腐を固めるのに使うんですよね? 他の物で代用は利かないんですか?」
素人である新次郎にしては素晴らしい思いつきだ。だが加山は、
「にがりの成分が判らん以上それはできん。そもそも作り方自体よく……」
新次郎の言葉を否定した加山が急に黙り込んだ。それからプッと吹き出すと途端に大笑い。
「加山さん、何でいきなり笑うんですか?」
「新次郎。俺達は『日本』ってトコにこだわり過ぎてたんだ」
加山は新次郎をなだめると、笑い過ぎて出た涙を指で拭い、
「そもそもだ。豆腐は日本で生まれた訳じゃない。どこで生まれたか知ってるな?」
「バカにしないで下さい。そのくらい知ってますよ。豆腐は……」
新次郎もそこまで言ってハッとなった。
豆腐が生まれたのは日本の隣国である中国。その中国出身の、しかも頼りになる知恵者が新次郎のごく身近にいたのだ。
新次郎は加山に礼を言うと、来た時と同じようなスピードで店を飛び出した。

<中編につづく>


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