『雷鳥逢う女 壱』
ニューヨークを護る者達がいる。
都市の霊的防御を目的として組織された「紐育華撃団」。
若き日本人青年・大河新次郎を隊長とし、様々な敵からこのニューヨークを立派に守り抜いている。
戦いのない、束の間の平和を満喫していたある日の事――


紐育華撃団総司令官マイケル・サニーサイドは唐突に部下達を呼び出した。
華撃団の隠れ蓑である、ニューヨークに建つ劇場「リトルリップ・シアター」オーナーで大富豪でもある彼は「人生はエンターテイメント」が口癖の(一見)軽薄な楽天家である。
そんな彼が、静かに無表情できつく口を結んだ顔で劇団員を兼ねる部下達――実際の防衛任務に当たる「星組」のメンバー――を出迎えたため、皆「何かあったのか」と不安げな顔を見せていた。
「……ところで、大河くんの姿が見えないようだけど?」
その軽そうなノリの一言で、さっきまでの重々しい雰囲気が台なしになった。それを知ってか知らずか、控えていた副司令官ラチェット・アルタイルに話を振る。
「まだ着いていないみたいです」
あえて無感情かつ事務的な冷めた応対で彼をあしらうラチェット。
だが考えてみれば「すぐ来るように」と言っただけで時間の指定をした訳ではない。
それに既にシアターにいた星組メンバーはともかく、彼は外出中だった。彼が一番遅くて当たり前だ。
だが。少々完璧主義に走りがちな自分を基準にしてはいけないとは思いつつも、何をやっているのだと少々いら立ちを隠せなかった。
こうした組織は迅速な行動がモットー。それを知らぬ彼ではないし、必要以上に遅れるなど、嫌になるくらい生真面目な新次郎らしくない。
「まあいいよ。彼の事は減給で済ませておくとして……」
新次郎が聞いたら唖然とするような事をさらりと言い切った後、サニーサイドは大きくため息をつくと、
「実はこのところ、ニューヨークのあちこちで、雷で建物の一部などが壊れる事件が頻発していてね」
「カミナリか。ゴロゴロ、ドカーンだな」
無邪気な声を上げるのは、最年少の隊員リカリッタ・アリエスだ。この年にして二丁拳銃を操るバウンティハンターという意外な一面を持つ、メキシコ生まれの少女だ。
「ピカピカしてキレイだけど、いきなりドカーンっていうのはビックリだ。ちょっと嫌だ」
ムスッとした顔でブツブツ呟くリカをなだめるように、彼女の頭を少し撫でるのはサジータ・ワインバーグ。黒人の女性弁護士にして暴走族のリーダーという異色の経歴を持つ。そのためか仲間の面倒見もいい。
「その事件は知ってるよ。晴れているのに何の前触れもなく落ちてるから、新聞記者がオカルトめいた記事を書いてるのを見かけたよ」
それを心底困った顔で嘆いてるのはジェミニ・サンライズだ。
テキサス生まれのカウガールで、元気が取り柄の前向きな少女だ。以前ミフネという日本人から剣を学んだ事もあり、自身もかなりの使い手で「レッド・サン」という名の刀を持っている。
「カミナリかぁ。そういえばアパートの近所で街灯が崩れたって大騒ぎだったなぁ」
落雷の衝撃でへし折れた街灯を思い浮かべ、オーバーに身震いしてみせる。しかしすぐにパッと明るい顔になると、
「こりゃーカナリ困った事態だね。なんちてなんちてー」
一人でケタケタ笑うものの、そのダジャレに笑うものは誰もいない。目一杯白けた空気が漂ったのを感じたジェミニは「ごめんなさい」としゅんとしてしまう。
そんな空気の中、無表情な顔でポツリと口を開いたのは日本人・九条昴だった。
「昴は問う。その落雷は人為的なものなのか、と」
仲間とのふれあいで多少丸くはなったものの、己の事すら第三者的な視点で語る、我が道を往く「孤高の天才」と呼ぶに相応しい態度なのは相変わらずだ。
「このところの天候を考えると、明らかに落雷の発生率は限りなくゼロに近い。自然の物とは考え難い」
「それはボクも考えたよ」
昴の言葉にサニーサイドが口を挟む。やや不機嫌そうに机を指先でコツコツと叩きながら、
「だから、飛行船に測定機材を山と積んで、ここ一週間飛ばしっぱなしにしてたんだ。もちろん胴体にリトルリップ・シアターのロゴを入れておいたから、多少は宣伝効果があったかもしれないね」
ちゃっかりしているというか抜け目がないというか。隠れ蓑もここまでやれば立派だろう。
「ここからが本題と言うべきだな。雷の発生する直前、妖力のようなものが一瞬だけ観測された」
サニーサイドの言葉に、一同の身が堅くなる。
「一瞬で、しかもそれほど高いとは言えないが、妖力は妖力だ。おまけにその雷から霊力のような力も一瞬だけ観測されている。こういった力がからんでくる以上、これは明らかに君達の出番だ」
都市の霊的防御を目的として組織された紐育華撃団のメンバーは、それぞれが高い霊力を持っている。その霊力と同質にして対極の力、妖力。
つまり。再びこのニューヨークの街に妖力を持つ何者かがやってきたと見るべきだろう。
「……ところでダイアナ。さっきから黙ったままだけど?」
部屋に入ってから一言も発しないダイアナ・カプリスに声をかけるサニーサイド。
ダイアナも劇団員でありながら研修医でもあるという、変わった経歴の持ち主である。少々受動的で純粋で心優しい彼女だが、他の人より霊力や感受性がちょっとばかり強い。
その力が何か良からぬものを感じ取っていたのか。そう考えたとしても不自然ではない。一同が心配そうにダイアナを取り囲む。
それに以前は身体が高い霊力に耐えられず、車椅子の生活を余儀なくされていた。皆が心配そうにしているのはそのせいもある。
「……確かに何かよく判らない者の存在を感じる気がします」
彼女自身も確信がないのだろう。自信がないというよりもどう言ったらいいのか困るような表情を浮かべて考え込んでいる。
「何かこう……大きい、包み込むような、大きな翼のようなもの……!」
呟くような言葉のあと、急激に身体をビクンと震わせ顔を上げる。その変化に皆が慌てて彼女を支えようとするが、ダイアナ自身は「大丈夫です」と穏やかにそれを断わり、ずれた眼鏡を直す。
「また、どこかに雷が落ちたみたいです。しかも、痛烈な憎しみすら感じました」
ダイアナのその言葉に皆が凍りつく。
「そ、それじゃあ、またこの間みたいな戦いが起こるかもしれないって事?」
強い妖力を持った何者かの襲来を予測したジェミニが、ちょっと不安そうにしている。華撃団員としては一番実戦経験が乏しいから無理もないが。
「まだそうと決まった訳ではないわ。でも充分な警戒と情報収拾はしておかなければならないわね」
ラチェットが厳しい表情で皆にそう告げる。それに、困ったもんだと言いたそうなサニーサイドの軽口が続く。
「それにお偉いさんからも釘を刺されてるんだ。『華撃団を遊ばせておく訳にもいかない。少しは働け』ってね」
名目上華撃団の正体は極秘事項になっているものの、正体を知らない者がいない訳ではない。彼は「しょうがない」とため息一つつくと、
「スターで出撃、いや、偵察かな。それで行こう。飛行船の計測器では限界があるし、妖力に対抗するにはやっぱり霊力が一番だろうからね」
スターとは紐育華撃団が誇る、蒸気と霊力の併用で動く霊子甲冑と呼ばれる人型兵器だ。さらに乗り手の特性に合わせた武装の交換も可能な汎用性をも兼ね備えている、まさしく万能兵器。
しかも紐育華撃団の「スターV」は変型して空を飛ぶ事すら可能な最新鋭機だ。
「メカニックに無理言ってもらって、みんなの機体にも計測器を積んでいる最中だ。若干コクピットが狭くなるけど、それについては我慢して行ってきてほしい」
「最中」という事は、最初からスターでの偵察を考えていたようだ。
「だったら、最初からそう言え、このインチキスーツ!」
あまり気が長いとは言えないサジータが真っ先に食ってかかる。サニーサイドはサジータの怒りの形相すら大笑いして受け流すと、
「軍隊じゃあるまいし。『偵察任務だ。行って来い』なんて味気ない真似は面白味に欠けるだろう? 人生はエンターテイメント。楽しむものだよ。本当なら日本の雷の神様の事とか、雷にまつわる風習を大河くんに講義してもらって、色々ツッコミを入れようと思っていたんだけどね」
ニューヨーク一の大富豪にして重度の日本マニアらしい彼のセリフではあるのだが、時と場合がまずかった。
「ミスター・サニーサイド。ちょっといいかしら?」
ラチェットが彼の耳をつまんで力一杯引っぱっていく。その顔は怒りをこらえ切れなくなる寸前の無表情さが明らかに見てとれる。
「ラ、ラチェット? 痛いってば。そんなに引っぱらなくても女性のエスコートなら任せてほしいね。こう見えても政財界ではイギリス人より紳士だと……」
サニーサイドの言葉に全く耳を貸さないラチェットは、そのまま彼を引っぱって部屋を出ていき、ドアを閉めた。
それからきっちり一分後。ドアが静かに開くと、
「スターの準備ができたそうよ。みんな、急いで!」
キリッとしたラチェットの表情に、呆気にとられつつも「了解」と復唱した彼女達が部屋を出ていく。
ラチェットの脇の壁に、無数のナイフで磔にされているサニーサイドをこわごわと眺めながら。


目を覚ますと、見知らぬ天井が見えた。どうやら寝かされているらしい。首を動かしてみるが、やはり見覚えがない。質素で狭い部屋のように見える。
(そうだ。目の前にいきなり雷が落ちて、建物の壁が崩れだしたんだ。その大きな破片が落ちる先に見知らぬ女の子がいて、思わず彼女をかばって飛び出して。そこから先の記憶がない……)
ぼくの名前は大河新次郎。日本人。紐育華撃団星組隊長。夢は「でっかい男」になる事。
……自問自答してみるが、記憶が混乱している様子はない。単に気絶していただけだろうと推測した。
そう判断した新次郎は、額に乗せられたタオルを手に取ると、ゆっくりと起き上がった。
自分にかけられているのは、何かの動物の毛を織って作ったと思われる毛布。壁は飾り気のない木の壁。ガラスがはめ込まれた小さな窓。ドアの代わりらしき厚手の布――。
いや。例外があった。
壁の一面をほぼ全部覆ってしまいそうなポスター。いや、タペストリーだ。白と黒のモノトーンで、大きく翼を広げた巨大な鳥らしい生き物と、その生き物から下に伸びる折れ曲がった放射状の線が描かれている。
特に上手とも迫力があるとも言えない鳥だ。しかし、何故か引き寄せられるように目が離せない。そんな不思議な雰囲気を感じる。
しかもこの雰囲気は、つい最近感じたような気が――
「気がついた、ボク?」
ふいに厚手の布がめくれ、女性がひょっこり顔を出した。見た感じ十代後半の女性だ。
なめし革のスカートに薄汚れたシャツ。肩のところで切り揃えられた黒い髪。少し焼けた感じの肌。美人と言うには程遠いが、見ていると何故か笑顔になってしまう、そんな暖かさを感じる。
「ボク」と声をかけてきたのは、きっと自分をかなり年下に見ているからだろう。
(これでも二十才なのに)
童顔な事を気にしている新次郎は内心がっかりしてしまう。それが表情に出た事を察したらしい彼女はクスクス笑いながら、
「ごめんなさい。若く見えたから」
(あんまりフォローになってないなぁ)
新次郎は憮然としたものの、彼女に、
「ところで。ここは一体どこなんですか?」
当然と言えば当然の疑問に彼女は、持っていた革のコップを新次郎に差し出すと、
「ここはロングアイランド島西端のワイアントッド族の居留地」
ロングアイランド島とは、ニューヨークの中心であるマンハッタン島とイーストリバーを挟んで隣同士の、東西に長く伸びる島の事だ。西端ならイーストリバーの向こうにマンハッタン島が見える、そんな距離と位置関係になる。
「外国人のあなたに判りやすい言い方ならヒュロン族の『インディアン居住区』ね」
「インディアン!?」
驚いた新次郎は、革のコップを受け取り損ねそうになる。
「そんなに驚く事?」
「す、済みません。インディアンって、大平原に円錐のテント建てて住んでる人しか知らないものですから……」
コップを両手で持ち、恥ずかしそうにうつむいてしまった新次郎を見て、彼女は小さく笑うと、
「そういう部族もいるけど、私達みたいにこうした家に住んで、タバコやトウモロコシを育てて生計を立てる部族だって多いのよ」
実際、アメリカ東海岸にはそういった部族が多かった。もちろん場所によっては狩猟や漁業で生活する部族もいた。
部族間での交流、闘争はあったが、最大で二千を超える部族がこのアメリカ大陸で暮らし、自然に根ざした独特の文化や風習が花開いていた。
「そんな説明よりお礼を言わせてほしいな。さっきは助けてくれて、本当に有難う」
彼女の言葉に新次郎は一瞬きょとんとしてしまう。
「崩れてきた建物から私をかばって助けてくれたでしょ」
そこでようやく自分が助けたのが彼女だと、新次郎も理解した。あの時は必死で顔など全く見ていなかったから、女性である事くらいしか判らなかったのだ。
「けどその後に君の頭に破片が落ちてきて、気を失った君を私がここに運んだの。ちょっと遠かったけど、あのままにはできなかったから」
その説明で自分が気絶した事は納得できたが、助けに入ったつもりが、逆に助けられるとは。
正直に言って、あまりかっこいいものではない。彼はますます恥ずかしそうにうつむいてしまった。
「それでも、私を助けてくれた事に変わりはないわ。ええと……」
考えてみれば、自己紹介すらしていなかった。新次郎は思わずその場で正座をすると、
「ぼくは、大河新次郎といいます。日本人です」
「私はチャララット。よろしくね」
互いに名乗った時、急に表が騒がしくなった。新次郎にはよく判らない言葉が聞こえてくる。おそらく英語ではない彼女達の部族の言葉なのだろう。
しかし。子供のような高い怒鳴り声が響き、外の言い争いはピタリと止んだ。直後ドア代わりの厚手の布がめくられ、部屋に一人の少女が入ってきた。
顔立ちはチャララットによく似ている。同じ部族だからそう見えるのだろう。彼女と違って長い髪が膝のあたりまで伸びている。背格好からすると、自分やチャララットよりずっと年下だ。だいたいリカと同じくらいか。
しかしその顔色は悪く、完全に血の気が引いた青白い顔だ。
服装もだいたいチャララットと同じような格好だが、違うのはケープを羽織っている事。そのケープの胸のあたりに何本かの鳥の羽を差している事だ。
彼女は新次郎を見て少し驚いた表情を見せたが、トコトコと部屋を横切るとタペストリーを背にしてちょこんと座る。
「我はこのワイアントッドの部族の長である。姉を助けてくれた事は、とても感謝している」
その言葉に、新次郎は驚きを隠せなかった。まさか自分よりも明らかに年下の彼女が、部族の長など誰も信じまい。おまけに姉妹ではよく似ていて当たり前だ。
「部族の長は、部族で一番霊力を持った人間がなるのが決まりなんです」
チャララットが小声で新次郎に説明する。
だが彼が驚いた点は他にもあった。部族の長を名乗った少女の胸に、大きな穴が開いていたのだから。服はちゃんと着ているが、その部分だけが筒抜け状態で後ろの壁が見えている。
よく判らないが、嫌な感じがする。何か善からぬ者が潜んでいそうな、そんな穴のように思える。
「あ、あの。大丈夫なんですか、その……」
言い難そうにしている新次郎の視線に気づいたのだろう。長は胸の穴を隠すような仕草をすると、
「やはりお前にはこの穴が見えるのだな。霊力を持っているのか?」
「は、はい」
新次郎は思わず素直に答えてしまう。チャララットもビックリして新次郎を見ている。
「私や部族の仲間も見えないのに……あなた一体何者なの!?」
しかし自分の正体を明かす訳にはいかず、新次郎も困った様子であたふたとしてしまう。
「今朝、夢を見た」
長は唐突に語り出した。
「ワキンヤン・タンカの導き手はウサギに導かれやって来る。確かにお前はウサギに導かれやって来た」
「ワキンヤン・タンカ?」
おうむ返しに訊ねてしまった新次郎。長は自分の上のタペストリーを指差す。
「ワイアントッドの部族の守り神である。高い山の頂に住んでいる大きな鳥の名だ」
話ぶりからすると、その大きな鳥の導き手が自分らしい。だが「ウサギに導かれて」というのがさっぱり判らない。このあたりにウサギなどいない筈だし、自分もウサギは見た事がない。
それ以前に、こんな大きな鳥に知り合いはいないし、知っている人もいない。
「ともかく。まずはその水を飲むといい。うまい水だ」
新次郎は、持ったままの革のコップにようやく気づき、中の水を一気に飲み干した。
少し温くなってはいたが、確かにおいしい水だ。アメリカの筈なのに、遠い故郷の澄んだ川の水を思い出させる味だ。
「すごくおいしいです。微妙に甘味があって。大自然の味っていう感じです」
「やはり判るか」
長の少女はとても嬉しそうに満面の笑みを浮かべると、
「自然を大切にする者には、自然はちゃんと答えてくれる。うまい水はその証だ」
彼女は得意そうに胸を張る。
「お前達がインディアンと呼ぶ我々は皆、自然を崇め、恐れ、だがかけがえのない友として共に暮らしてきた。それは、このような場所に押し込められた今も変わらない」
彼女は遠い過去を思い馳せるように遠い目をする。自身に記憶はなくとも、流れる血がそうさせるのだろうか。
「人はあくまでこの地に生きる者の一つにすぎん。この地と我々の間に優劣も所有権もない。なのに白人達はこの地より自分達が偉いと思い込み、自分達の物と思い込み、自然でない建物で埋め尽くしてしまった。それには我らの考えと相反するから憤りがある。人だけのためにこの大地があるのではないのに」
人工的な建物をこれでもかと建てた事に対する皮肉めいた、子供とは思えない大人びた一言だ。
「……済みません」
正座したままの新次郎が、呟くように頭を下げる。自分もこの土地の外からやってきた者なのだ。彼女の言う「自然でない建物」のある街を護るためにやって来た……。
「……あーーーーーーっ!!!」
そこで新次郎は全部思い出した。彼女を助けたのは、呼び出された華撃団本部へ行く途中の出来事だった事を。
だがその叫び声は、外から聞こえて来た轟音に総てかき消された。


ニューヨークの空を、五機の飛行機が舞っている。
正確には飛行機ではない。飛行形態――フライトフォームに変型した霊子甲冑・スターVの勇姿である。
『ねぇ、何かあった?』
『……異常はない』
『なにもないぞー』
『こっちもだ。ハズレかねぇ』
皆の声が無線から聞こえてくる。
ニューヨーク湾を飛ぶダイアナは計測器に反応がない事を再確認して、それに答えようとした。その時だ。
計測器は全く動いていない。にもかかわらず己の霊力は明らかに「異質な」存在に気がついていた。
その「異質な」存在は、空ではなく下、それも地の奥から感じられた。だがこの下は海である。海の中か海の底か。ダイアナは自信なさそうに、
「あの。計測器に反応はないのですが、この辺りに何かがいるような感じがします」
『うそっ!』
『本当なのか?』
『ウソはいけないぞ、ダイアナ』
『おいおい。壊れてんじゃないのか?』
仲間の疑いの声が無線から響く。しかしそれを否定する事もできない。あくまで「感じがする」だけなのだ。
だが。急激に下から殺気を感じた。何かが猛スピードで飛びかかって来るような、そんな気配。
ダイアナは機体を操作して、急角度で進路を変える。だが急激すぎて己の身体に強烈な衝撃が襲いかかった。
『何もないところで、一体どうしたの?』
ジェミニからの無線に、それでも「大丈夫です」と答えたダイアナはその正体を探ろうとするが、やはり計測器が反応した気配はない。
(何もいなかった? でもそれにしては殺気が生々しすぎる)
ところが次の瞬間。計測器の針が一気に振れ、最大値を超えて針が動いて壊れてしまった。その直後、

ズドドオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォン!!!

機体に走る激しい衝撃。耳が潰れる轟音。雷が落ちたのだ。それもダイアナ機のすぐそばで。
「キャーーーーーーーッ!!」
ダイアナはビックリして思わず悲鳴を上げてしまった。その声を無線ごしに聞いた仲間の声が聞こえる。だが今はそれに答えている暇がない。
なぜなら機体は今まっ逆さまに落ちているのだから!
ダイアナの機体は激しい衝撃に襲われている。眼鏡が外れたのでよく見えないが、猛スピードで回転している事だけは身体を押し潰そうとするようなGで判る。
下が海とはいえ、この高さから落ちたらさすがのスターでも木っ端微塵になる事は目に見えている。なんとか制御して飛行、最悪でも不時着しなければ。
だが、今自分がどこを向いているのかもさっぱり判らない上に、レバーが接着剤でくっついたかのようにほとんど動かないのだ。
眼鏡が外れてしまってよく見えない上、揺さぶられ続ける衝撃が脳にも行っているらしく、手足が痺れたようにうまく動いてくれない。よく脳震盪を起こしていないなと思ったほどだ。
だが諦めてはいけない。それは先の戦いでみんなから学んだ事。運命をただ受け入れるだけの、弱い自分はもういないのだ。
ダイアナはどうにかレバーにもう一方の手を添えて歯を食いしばり、懸命に両手で力一杯引いた。ググ、ググ、と少しずつ確実にレバーは動き、機体も少しずつ持ち直している。
持ち直したと言っても、激しい回転が収まっただけだ。機体は落下し続けている。高度が上がらないのだ。どうやらさっきの落雷で駆動系のどこかが壊れてしまったらしい。
おまけに機体はマンハッタン島に向かってグングン速度を上げている。このままではどこかの建物を破壊するやもしれない。
それならばせめて、少しでも建物の、人の少ないところへ――。ほとんど手探りでレバーを掴み、力任せ同然に機体操作をしていく。
その甲斐あって、機体はマンハッタン島から外れて行く。
ダイアナ専用機「サイレントスター」は、マンハッタン島の隣、ロングアイランド島に不時着した。

<弐につづく>


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