『7(セット)で勝負 後編』
「どうしてここへ……?」
シーは思わず訊ねていた。あれだけ頼んでも断わっていたのに、どういう風の吹き回しだろうか、と。
「まだクルピエをやっていたとは。一体いくら金をバラまいたんだ?」
ロベリアはテーブル上のダイヤの9を押さえたまま、もう片方の手で眼鏡をブリッジをくいっと上げて凄んだ。
「ひ、人聞きの悪い事を言わないでちょうだい。それにプレイ中のカードやジュトンに触れるのはマナー違反よ。どけなさい」
いきなりの登場で驚いたのか、リアンの声がわずかに震えている。するとロベリアは鼻で笑うと、
「マナー違反、ねぇ。するとクルピエがイカサマするのはマナー違反じゃないとでも?」
「イカサマ!?」
ロベリアの思わぬ言葉に、メルとシーが目を見開いてロベリアとリアンを交互に見ている。
「お友達が負けたからって、変な言いがかりは止めてもらいたいわね」
「変な言いがかりじゃない。それに、こいつらとはお友達でもない」
食ってかかってくるリアンに、ロベリアはいつも通りに淡々とした声で言い返すと、
「こういうカジノのブラックジャックじゃ、同じデザインで、色が赤と青のカードを交ぜて使うのが決まりだったよな。じゃあ、このカードの裏は赤いカードか、青いカードか。アンタに判るかい?」
いきなり何を言うのだろう。メルとシーの目がそう語っていた。リアンも同じような目だったが、
「カードの裏の事なんて、ゲームには何の関係もないわ。赤でも青でもどっちでも同じよ」
そう強がるリアンだが、その表情はかすかに動転しており、声も少しだが震えたものとなっていた。
「……へぇ、そう。これでもかい?」
ロベリアは、ずっと押さえていた手をどけ、ダイヤの9のカードをくるりとひっくり返した。そこにあったのはもちろん裏の絵柄。赤一色で複雑な幾何学模様が描かれたものだ。
「あのぉ。これの一体何が……」
何が何やらさっぱり判らないシーが、そっとロベリアに訊ねた。だがロベリアはそれを聞いてか聞かずか、それ以外のメルの手札をもくるりと裏に返した。
「アンタ達二人、コレ見て何か気づかないか?」
メルとシーは言われた通りにテーブルを覗き込む。
「……あっ!」
覗き込んだ二人は驚いた。メルの一枚目と二枚目のカードは赤い花びらがいくつもあしらわれた模様だったからだ。
そしてサボの中にあるのは赤と青の同じ花びら模様。そしてリアンのカードの裏も同じ花びら模様。メルの三枚目だけが、複雑な幾何学模様。
「このテーブルで使われているのは花びら模様のカードだけの筈だ。そこにどうして幾何学模様のカードが混ざっているのか。納得のいく説明をしてもらおうじゃないか」
ロベリアに凄まれたリアンはかろうじて平静を装ってはいるものの、顔色は明らかに悪くなっていた。ロベリアはため息一つつくと、
「スラックスに隠しポケットがあって、必要に応じて出して使ってるんだよ。手の中に隠したままサボからカードを出すフリをして、隠してたカードの表を見せれば、誰でもそれがサボから出されたカードに見えるさ」
「で、でも。いくらこの人が背が高くて手が大きいからって、カードなんか隠せないんじゃ?」
ロベリアの見事な解説に、シーが疑問点を口にする。しかしそれに異を唱えたのはロベリアではなくメルだった。
「手品師のテクニックで『パーム』という物があるわ。それならいくらでも隠せると思う」
カードを手の平に貼りつけたり、軽く曲げて指で挟んだりして、客の側からは何も持っていないように見せる事を言う、手品師の基本テクニックだ。
自分の手口をあっさりバラされて、悔しそうに唇を噛むリアン。ロベリアは追い打ちをかけるように、
「けどまぁ、よく盲点に気づいたとは思うよ。誰も表に返されたカードの裏の模様なんて気にもかけないしな。滅多な事じゃバレやしない。けどな……」
彼女は指をわざとらしくパチンと鳴らすと、伏せられたダイヤの9のカードだけが勢いよく燃え上がった。リアンを含め皆が驚くが、その炎も唐突に消え失せる。
「カジノの売上調節でイカサマするならともかく。ド素人から金を巻き上げるためにイカサマで勝負するのは、クルピエとして恥ずかしくないか? しかもこの手口、前にアタシに見抜かれてるのにさ」
ロベリアは以前イタリアの賭場でこのクルピエと勝負した事があった。
イタリアでのリアンの通称は「カルロマーニョ(Carlomagno)」。フランス語でいうなら「シャルルマーニュ」の事である。
シャルルマーニュとは歴史上の人物であり、歴史に名高い西ローマ帝国の皇帝にまでなった人物である。
そんなシャルルマーニュだが、非常にギャンブル好きとしても有名で、今でもギャンブルで勝ち逃げする事を「シャルルマーニュする」と例えるほどだ。
しかし同時に、イカサマで勝つ人物を嫌味を込めて「シャルルマーニュ」と揶揄する事もたまにある。フランス人という事で「引っかけ」てそういう通称がついたのだろう。
あまり格式の高くない賭場だった事もあって、イカサマで勝負してくるクルピエも煙たがられず(好かれはしなかったが)使ってもらえたのである。
イカサマとはいえ、見抜かれなければそれは実力。それがギャンブルというものだ。
だが、彼女のイカサマに気づいたロベリアが、彼女の手口を総てバラしてしまったのだ。ついでに言うならイカサマでの負け分を取り返した後に顔面を殴り飛ばしている。
だが後にそのクルピエは、実家である裕福な商家が口止め料に大枚はたいただけで済ませたという事を、ロベリアは聞き知っていた。もう会う事はあるまいと思っていたのだが……。
「……やっぱり毒蛇は、頭潰しておかなきゃな。ヤケド程度で済ませるんじゃなくて」
ロベリアは小さくため息をつき、彼女が長い赤毛で隠している顔の左半分を射るように見つめる。
リアンはハッとしたように手で顔の左側を隠す。そこにはロベリアによってつけられたヤケドの痕――もうかなり薄くなっているが――があるのだ。
そんなリアンをつまらなそうに見ていたロベリアだが、唐突にメルの方を見て訊ねた。
「で、どうする? 普通ならイカサマを見破られた時点で、こいつはクルピエとしては再起不能だ」
当たり前である。イカサマをするクルピエがいるなどカジノの信用問題にもかかわる。リアンのクビは確定だ。
また前のように実家の財力でなあなあで済ませないとも限らないが、人々の噂はそれだけで消えるほど甘いものではない。それはリアンが一番よく判っている。
「……確かにここで止めるのが賢い選択だと思います」
メルはどこか寂しそうに呟いた。
「ですが、遺恨を残さずキッチリ勝負をつけるのも、大事な事だと思います」
キッパリと言い切ったメルの瞳には、明らかに強い意志の力が感じられた。普段の彼女とはどこか違う、困難に立ち向かう力だ。
これがギャンブルの持つ魔力なのか。はたまたそうしたくなるほど二人の因縁は深いのか。そんな事はロベリアやシーには判らない。だが、キッチリ勝負をつける方があと腐れがない事は確かだ。
「……そうだな。ここで止められちゃ、見ているこっちも面白くない」
ロベリアは不敵に小さく微笑む。そしてリアンに視線を移して口を開きかけたが、
「判ってるわよ。これ以上燃やされちゃかなわないしね」
リアンはスラックスの隠しポケットからカードを次々と取り出して、テーブルの上に乗せていく。だいたい十枚くらいあったろうか。
「これで本当に全部よ。文句はないわね」
「……ま、いいだろ。続けな」
ロベリアはテーブルの上のイカサマ用カードを回収して悠々と後ろに下がる。下がったところでシーが小声で声をかけてきた。
「ロベリアさん。どうしてここへ来たんですかぁ? メルの事助ける気なんてないって言ってたのに」
ロベリアはうっと言葉に詰まったような顔をしていたが、
「さっきも言った通りさ。あのクルピエにはずいぶん煮え湯を飲まされたからね。借りくらいは返しておかないとな」
そしてから視線を逸らしてテーブルの方を向くと、
「それに勝ったり負けたりするから『勝負』って言うんだ。一方的なのは、とても『勝負』とは言わないよ」
その視線の先で繰り広げられる一対一の勝負は、ややメルが不利なものの、本当に勝ち負けのある「勝負」であった。
ロベリアが横にいるシーに言った。
「そもそもブラックジャックは、ちゃんとコツややり方を覚えちまえば、儲からないまでも損だけはしない」
「コツややり方?」
「アメリカでの話なんだがな。向こうじゃクルピエにも最初からカードが二枚配られる。一枚は伏せられてるがな。クルピエの表になっている一枚と、自分の二枚。その組み合わせは約550通りあるそうだ」
出てきた数字のあまりの膨大さに、シーは呆気に取られている。
「もっとも、類似系を整理すればだいたい30通りだ。その最初の三枚のカードを見てどうするか的確に決めるには、140個の数字を暗記する必要があるらしい」
ロベリアにしては珍しく、饒舌で丁寧な解説が続く。
「まぁ、アメリカとフランスじゃ微妙にルールが違うけど、組み合わせ自体は似たようなモンだ」
ギャンブルが好きというのは伊達ではないという事か。シーはその知識にうなづく事しかできない。
純粋に確率だけで言うなら、十回中に三、四回はクルピエもデパッセ(21を超える事)する。その知識とこの確率を元に戦略を立てれば「損だけはしない」という話である。
しかしメルの頭の良さはシーが一番よく知っている。もしメルが30通りの組み合わせと140個の数字を暗記していたとしても、少しも驚かないだろう。
「じゃあメルは勝てるの?」
「さあね。それこそ神様とやらに聞いてくれ」
ロベリア空返事で答えると、時折ピーナッツを口に運ぶメルを見て、楽しそうにニヤリと笑う。
「あの女、面白い事を企んでるからな。どうなるか見たいしな」
「面白い事?」
妙に含みのある言葉だが、シーには何の事だかさっぱり判らないままだった。だが、聞いたところで絶対教えてはくれまい。彼女はそういう人間だ。


ゲームは進んでいく。一進一退の勝負に、少しではあるがギャラリーも増えてきた。それでもメルのジュトンは次第に減っていく。
たとえイカサマがなくとも、リアンは何年もクルピエを勤めるプロなのである。本などの知識を詰め込んだだけの素人では、そうたやすく勝てる訳がない。
元々カジノのゲームは、カジノ側(クルピエ)に有利なようになっているのだから。
賭け金が少ないので大損はしていないし、リアンが負ける事もあって勝つ時もあるが、それでも初めの四割ほどに減っている。
メルはチラリとサボを見るが、残るカードはあと少し。おそらくこれが最後の勝負になるだろう。メルは配られたカードを見る。
「……あと五枚でおしまいか」
サボの残りのカードを数えていたリアンの呟きを聞いたメルは、ピーナッツの皿に落としていた視線を上げた。
このままでは、クルピエが21を超えない限り絶対に負ける。しかし、ここで奇跡的に21ができたとしても、残りのジュトンを考えると絶対に「勝ち」はない。
勝負はカードが無くなるまでにどれだけ儲けを出せるか、なのだから。そのためには――
(大丈夫だろうか。合ってるだろうか)
メルの胸中はその思いで一杯になる。目は明らかに不安を感じている目だ。だが不安以上にメルの胸に渦巻くのは、
(絶対に負けたくない!)
その強気な気持ちが、ついに不安を凌駕したのだ。
「さ。三枚目はどうしますか?」
リアンの声がする。メルは何度も深呼吸した後、震えの混ざった声で静かにこう言った。
「確か『確率が低いほどそこに勝負を賭けて勝つのがギャンブル』だって、言ったわよね」
前に勝負した時、リアンは確かにそう言っている。
何と、メルはいきなり伏せ札をさらした。
伏せ札はクラブの7だった。二枚目がダイヤの9なので、それだけで合計16だ。
「だったら。そこにある五枚をまとめてちょうだい」
『はぁ!?』
メルの言葉にリアンはもちろん、周囲が驚かない訳がない。あと五枚ももらったら21を超える事は確実だ。自殺行為などという生易しいものではない。
二人はもちろん、少ないギャラリーからも驚きの声が上がる。
「メ、メル。何考えてるのよぉ。そんなんじゃ勝てっこないって!」
「バカかお前! 合計16だろうが。自暴自棄になるにもほどがあるぞ、オイ!」
さしものロベリアも思わず声をかけている。しかしメルはその二人の言葉を振り切るように、
「確かこのカジノのルールでは、手札が五枚で21以内で勝てば、賭け金が倍になる筈よね」
このカジノのルールでは確かにそうなっている。五枚なら二倍。六枚なら四倍になる。もしあと五枚もらって勝てば手札が七枚になるから、勝てば賭け金は八倍になって返ってくる。
だが、そのためには五枚全部がAでなければならない。いくら六組のカードを使っているとはいえ、残る五枚総てがAの確率など、それこそ天文学的数値を遥かに超えている。
「そして、一度だけならジュトンを上乗せできた筈。だから……」
メルはジュトンをまとめてドンと乗せた。
「残りのジュトン総て上乗せします」
声に震えはあるものの、その瞳は真剣そのものだ。一か八かの覚悟を決めた人間の目が、リアンを睨みつける。
危ない橋は渡らないメルらしからぬ戦法だ。もっとも、そうでもしない限り勝てはしない勝負ではあるのだが。
一瞬その瞳に気圧されそうになったリアンだが、五枚総てがAなどある訳がないと小さく笑い、
「判ったわ。五枚まとめてあげる」
リアンはサボから五枚まとめて取り出すと、裏向けのままメルの前に並べた。
「さ。表にしてちょうだい」
リアンのバカにした言葉に、メルは息を飲む。そしてゆっくり一枚目を開けた。
一枚目は――ハートのA。後ろで見ていたシーとロベリアがホッと一息つき、ギャラリーの安堵の声がもれる。
ホッと胸をなで下ろしたメルだが、まだカードは四枚残っている。二枚目に手をかけ、ゆっくりとめくった。
二枚目は――クラブのA。メルはさっき以上に脱力して息を吐く。
メルはハンカチを取り出して手の汗を拭くと、大きく深呼吸した後に、三枚目をめくった。
三枚目は――クラブのA。六組のカードを使っているので、同じカードが出ても不思議はない。
後ろで見ているシーは、ここまでAが続けて出ている事に驚きつつも、次のカードを待っている。
四枚目は――ダイヤのA。ここまで来ると安堵より驚きの方が先に立つ。ギャラリーが浮き足立ってどよめいているのが伝わってくる。
「神様……」
見ているのが怖くなったシーは、固く目を閉じ両手を組んで天に祈っている。
後ろで見ている二人やギャラリーだけでなく、クルピエのリアンですら、この「A」の連続には言葉を失っている。
そしてメルは、最後の五枚目に手をかけた。
周囲の息を飲む音が聞こえてくる。手にはじっとりと気持ち悪い汗をかいてしまっている。そして何故か息苦しい。何度も何度も深く息をする。心臓が耳のすぐそばでがなり立てているようだ。
相当のプレッシャーが自分自身を襲っているのがハッキリと自覚できた。もしこのカードがA以外ならば、リアンがカードを引く事なくメルの負けが確定するからだ。
だが、カードをめくらねばゲームは終わらない。そう勇気を奮い起こしたメルは、ゆっくりとカードを返す。最後のカードは――
――スペードのA。
スペードのAを見て固まるメル。7+9+A+A+A+A+A。間違いなく合計は21だ。その瞬間、
「手札が七枚だから、勝てば賭け金八倍だ!」
「何という度胸と強運だ、あのお嬢さんは」
後ろのギャラリーから素直な感嘆と賞讃の声が漏れる。そんなどよめきで我に返ったシーはメルの手札を確認すると、固まったままの彼女を見て、
「すごいメル! 21だよぉ!!」
声をかけた途端、椅子から転げ落ちそうになるメルを、シーとロベリアが慌てて支える。緊張の糸が切れて力が抜けたのだろう。
「メル、大丈夫!? 死んじゃダメだよぉ!!」
「……大丈夫。ありがとう、シー」
気の抜けたか細い声で、ふらふらと座り直すメル。
「……さ。次はあなたの番よ」
しかし。次に引くべきカードはもうない。こういう場合はその場でゲームを中断し、今まで使ったカードをシャッフルし直して使うのだ。
「わ、判りました。カードが無くなったので、シャッフルいたします」
わずかに震えた声で、リアンは使い終わったカードを取り出し、最初のようにシャッフルを始めた。
この周囲はカードが弾かれるパラパラという音だけが響いている。恐ろしいくらいに静かだ。そしてその静寂を壊すのが怖いのか、誰も一言も喋ろうとしない。
(こっちが21じゃない限り、負けは確実。けど、もうあの手は使えない)
そう思いつつシャッフルを続けるリアンだが、その不安が知らず知らずのうちに指先に表れるのだろう。いつものように綺麗なシャッフルができない。
いつもと同じ手順なのに、何度も何年もやっている事なのに、何故か指の動きが鈍い。ぎこちない。
口の中が異常に乾き、何度も何度も唾を飲み込んでいる。それでも喉の乾きが治らない。
リアンにとってもギャラリーにとっても長いシャッフルタイムが終わり、サボにカードが収められる。
「で、では、ゲームを再開します」
リアンは伏せていたカードを表に返した。それはダイヤの2である。
一枚引いた。来たのはハートのK。合計は12。経験から言って敗色濃厚なカードのパターンだ。
だがクルピエはカードの合計が16以下ならもう一枚引かなければならない。リアンの左手が力なくサボに伸び、カードを引いた。
来たカードはスペードのQ。合計22。21を超えてしまったのでクルピエの負けである。
と、いう事は――
「やった! すごいメル、勝ったよぉ!!」
シーが力一杯メルに抱きついている。そのメルはぽかんとしたままカードを見下ろしている。
ギャラリーからの歓声がわあっと強くなり、盛大な拍手まで巻き起こった。
「……勝負はあなたの勝ち」
八倍になったジュトンをメルの前に並べたリアンは、さも悔しそうにそっぽを向いたままだ。
言い方はともかく、素直に負けを認めたのである。
「上手く決まったな」
珍しくロベリアが穏やかな顔でメルを見ている。メルはまだ信じられないという驚いた顔のままだ。
「『決まったな』って、どういう事なんです、ロベリアさん?」
「こいつは使ったカードをチェックしてたんだよ」
シーの問いに、言っている内容に係わらず、サラリと答えるロベリア。
「といっても、ゲームの中でも重要な『A』と『10』のカードだけをな」
そう言うと彼女は、テーブルに乗ったままのピーナッツの小皿を指差した。
つまり。初めから皿にはAと10と数えるカードと同じ数だけのピーナッツが乗っており、ゲームにそれらの札が出た分だけピーナッツを食べていったのだ。
カードが最後まで使われる以上、間違えなければ残りが正確に判る。それで残る五枚総てがAだと判り、メルは普段の彼女らしからぬああした行動に出たのだ。
だがそれでも、ここまで痛快に決まる事など極めて稀だ。
そうやってカードをチェックする戦法はカジノ側に嫌がられこそするが、ルール違反では決してない。
「普段ムスッとしてお固いクセに、結構やるじゃないか」
ロベリアにしては素直に相手を誉めている。それが判るだけにメルも恥ずかしそうにうつむいてしまう。
「せっかく素人が大勝ちしたんだ。とっとと換金して……」
「皆さ〜〜ん! やっと見つけました〜〜」
ロベリアの言葉を遮る、場違いな明るい声。声の主はもちろんエリカである。
「も〜、探しちゃいましたよ。大勝負をするメルさんのために、陣中見舞いです、ほら!」
そう言って掲げるバスケット。しかし、その「大勝負」はとっくに終わっている。
「お前なぁ。カジノにそんなモン持ってくるなよ」
「今回は自信作なんですよ?」
無論、エリカはロベリアの言葉など聞かずに、バスケットの中からひょいと何か取り出した。
「まず、ハムサンドに、メロンサンドに、そしてトドメのプリンサンド!」
と言ってエリカが取り出す物は、かろうじてサンドイッチである事が判るものの、中身は本当に彼女が言っている物かどうか怪しいほど「謎の物体」にしか見えない。
「そして、エリカオススメの極めつけ。ハムとメロンとプリンを挟んだ究極サンド。名づけて『エリカ・プルミエール』ですっ!」
メルとシーがポカンとしているその隣で、三日前の味覚が甦って青ざめるロベリア。その様子を見たシーは、あの時変に元気がなかった理由をすぐさま理解した。
「あ、心配しないで下さいね? い〜〜っぱい作ってきましたから」
「そんな毒物捨ててこい!」
頭に血をのぼらせた怒りの形相でエリカを怒鳴りつけるロベリア。しかしエリカは大声に顔をしかめただけで、
「ロベリアさん。怒ると胃に悪いですよ? 胃が悪いとご飯が食べられなくなっちゃいますし、ご飯が食べられないと、お腹が空くじゃないですか」
そこで何事か思いついたようにパチンと手を叩くと、
「ああ。だからお腹が空いて怒りっぽくなってるんですね、ロベリアさん。怒ると胃に悪いですよ? 胃が悪いとご飯が食べられなくなって……」
「黙れ殺人シェフ! 世のため人のために今すぐ死ね!!」
そんなやりとりをしている二人をよそに、メルはさすがに悪いと思ったのか、サンドイッチの中でも幾分マシに見える物を手に取った。
そして、おそるおそる小さく一口だけかじる。
「……!??」
文字通り「天にも昇る」味が口一杯に広がり――


教訓。幸運と不運のバランスは、結局同じになるのが世の中というものである。

<7(セット)で勝負 終わり>


あとがき

今回はメル君が頑張ってくれた「7(セット)で勝負」をお送りいたしました。フランス語で7をセット(Sept)というからこのタイトル。
ブラックジャックなのに、なぜ「7」で勝負かは、最後まで読めばお判りですね?
ゲーム本編中でもカジノに行ってますからね、彼女。そこから今回の話を組み立てました。ゲストキャラのリアンは、メルと対になるように赤毛の長身。フランス語「De rien(ドゥ・リアン。どういたしまして。返礼)」から名をとってます。ホント対だ。
SS本編中でも触れていますが、ブラックジャックは細かなルールがカジノごと(極端な例では同カジノ内の別テーブルごと)に微妙な違いがあります。そのため(?)、ゲーム中の「カジノ大戦」のルールとはちょっと変えてます。
もし本場のカジノでプレイされるのであれば、その辺を聞いておいた方がいいでしょう。

ブラックジャックが現在のように「人気のある」ゲームになるのは1960年代から。コンピュータを駆使して確率を計算した「必勝法」が大々的に広まったからです。
必勝法で挑むギャンブラーに、それに対抗してルール改訂をするカジノ側の熾烈な戦いが起こり、それで一気に過熱したんです。
だから、今はメルがとった「カードをチェックする方法」は使えませんので。あからさまなやり方はカジノ側にマークされるのと、現在は途中までしかカードが使われないから。

今回のタイトルは「バストで勝負」という、1955年のイタリア映画から取りました(年齢制限な映画じゃありません)。
スペイン統治下のナポリを治める欲深い総督が、ある男のグラマーな奥方に横恋慕。男がケンカで捕まった事からチャンス到来と彼女にアタックするところから次第にややこしい事態に……という感じの映画です。
言うまでもない事とは思いますが、この映画との関連は一切ございません。

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