『7(セット)で勝負 中編』
「……それで?」
シーの話を辛抱強く聞いていたロベリアは、いつまで経っても本題に入らない事に苛立っていた。
ムスッとした顔で、カウンターを人差し指でコツコツと強く叩いてそう意思表示する。
「いや。だからぁ。そのクルピエに勝ちたいんですってばぁ」
さすがにじろりと睨まれて怯え気味のシー。引き気味の表情を浮かべている。
「さっきも言ったが、このテのゲームに必勝法なんざ無いよ。諦めな」
話は終わりだとばかりに席を立とうとするロベリアに、またもシーがすがりつく。
「だから、もう三日しかないんですってばぁ〜〜!」
「うるさい。さっきから三日だ三日だって。三日後がどうした!」
「三日後に、そのクルピエともう一度勝負するんですぅ」
目を涙で潤ませてロベリアに語るシーは、慌てて手の甲で涙を拭うと、
「けど、プロ対素人じゃ絶対勝負になりませんし……」
まるで同情してくれと言わんばかりの泣き顔だが、ノリの軽い男相手ならともかく、ロベリアがそれで心を動かす訳はなく、
「だったらそんな勝負受けるなよ」
ため息まじりに呟いて、再び安ワインを一口飲んで考える。
明らかに勝敗の見えた勝負を受けるとは、真面目で冷静なメルの行動とは思えない。
だが逆にそういう真面目で冷静な考えが無くなってしまうほど、その同級生らしいリアンという名のクルピエとの間に何かあったと考えるべきか。
呆れるロベリアが考えを変えたのは、続くシーの一言だった。
「聞いた話だと、前にいたイタリアでは『かるろまあなんとか』っていうあだ名で呼ばれてたそうです。評判は悪いみたいですけど……とにかく負け知らずのクルピエだって」
「かるろまあ」の部分を少し言い難そうにしていたのは、それがイタリア語だからだろう。隣の国とはいえ、慣れぬ言語の発音は難しいものだ。
「で、かるろまあ……って、何ていう意味なんですかぁ?」
ロベリアはフランス語以外にもイタリア語なら多少は判る。カルロというのは人の名前だ。でも女性につける名前ではない。
「かるろまあ……クルピエ……女……」
無意識の内にカウンターを指でコツコツ叩いていたロベリアは、急に激しく拳でドンと叩くと、
「......Carlomagno !?」
いきなり出たイタリア語の大声にビクッとなっておびえるシー。「そうなのか」と問いたげに睨むロベリア相手に、シーは壊れた機械のようにカクカクとうなづく。
「あの女、フランスに戻ってやがったのか」
表情は何かを押し殺したような平坦な物だったが、小さく呟くその声には、明らかに凄みと怖さがあった。
彼女のように裏の世界で生きる人間特有の凄みと怖さが。
その様子だと、ロベリアはそのクルピエの事を知っているようだった。しかしシーはそれを聞く事はできなかった。
聞いてもはぐらかされそうだから、というのではない。聞いてはいけないような壁のような物がロベリアから伝わってくるのだ。
ロベリアはぽかんとしているシーの態度に、激昂しそうになっていた自分を戒めて居住まいを正すと、
「ともかく。少しはマシな戦略や戦術を身につけるにしたって、あと三日じゃ無理だ」
ブラックジャックに必要なのは、技術と経験に基づいた判断力。だが三日では大した事はできないだろう。そしてそれだけで埋められるほど、二人の実力は均衡してはいまい。
「これで話は聞いた。おまけでアドバイスもしてやった。この安ワイン一本分の働きはしたと思うけどねぇ」
ロベリアは今度こそ立ち去るべくワインの瓶を持って行こうとした時、
「それ、ただの安ワインじゃありませんよぉ?」
シーはにっこりと営業スマイルを浮かべてロベリアを見ている。
「確かに安ワインにしてはのっぺりしてない複雑な味だったけどな。どういう意味だ?」
やや凄みを効かせた彼女の問いに、シーはえっへんと大きく胸を張り、
「実はそれ、お店でお出ししたいろんなワインを混ぜてあるんです」
シャノワールは食事をしながら観劇を楽しむスタイルの店だ。そして食事にワインはつきものである。
「特に貴賓席のお客様って、いいワインをグラスじゃなくてボトルでご注文される方が多いんですけど、全部飲まれる方はまずいないんですぅ」
「……判った。それでボトルに残っているヤツを拝借してそれに入れているって訳か」
「当たりですぅ。……あ、でもこれ。他の皆さんには内緒ですよぉ?」
最後の方は辺りを伺って小声で告げる。これにはさすがのロベリアも驚いた。
そういった「混ぜ物」のワインは特に悪い物とは思われていない。むしろそうする事によってお互いの持ち味を引き立てていい味になると、むしろ頻繁に行なわれている。
事実、いろんな産地・品種のワインを微妙な割合でブレンドした物が普通に売られている。だから彼女の発想は決して突飛なものではない。
保存は店の酒蔵を拝借すれば何の問題もないし、安ワインのラベルなら間違えて持って行かれる事もないだろう。
したたかというかずる賢いというか。売店の売り子やショーの司会に忙しい筈なのに、どこにそんな暇と余裕があったのだろう。
「結構頭が回るじゃないか」
「ですからぁ、もうちょっとだけおつき合いお願いしますぅ」
感心するロベリアに畳みかけるように「お願い」をするシー。しかしロベリアは小さく笑うと、
「さっきも言ったけど、あと三日しかないんじゃどうにもならないよ。付け焼き刃で勝てるほど甘い相手じゃないんだろう?」
それはそれ、これはこれ。そう簡単に考えをひるがえさず心を動かさないのがロベリアだ。
「それはそうですけどぉ。メルも頑張ってるんですよぉ。色々本を読んで勉強してるみたいですし……」
この一週間。合間があればそういう本を読みふけっているメルを、彼女はたびたび目撃している。
だがそれだけで上達するほどギャンブルは簡単なものではない。それはいくら何でもシーにだって判る事だ。
「だから欲しいんですってばぁ。ブラックジャックの必勝法とか、勝てる方法とか」
「だからそんな必勝法なんてある訳ないって言ってるだろ。第一、もしあっても誰が他人に教えるか」
ロベリアの発言は冷たいものではなく、一ギャンブル好きとしての本音だ。
必勝法が広まってしまったら、カジノ側は絶対にそれに対して何らかの策を講じて、必勝法が使えなくなってしまうだろう。それでは何の意味もない。
「ロベリアさぁん。ここまで聞いて、メルを助けてくれないんですかぁ?」
「だから、ギャンブルでスるのは自己責任だって何度も言ってるだろ。あの女が勝とうが負けようが、アタシには関係ない」
「関係なくなんかありません!」
いきなり轟く鋭い声。その声にシーとロベリアの動きがピタリと止まった。
二人の視線が声の主の方に向く。そこに腕を組んで仁王立ちしていたのはエリカ・フォンティーヌだった。あまり迫力があるとは言えない腹を立てた表情で。
「お二人の話はしっかり盗み聞きさせていただきました」
「いいのか?」。口にこそ出していないが、シーとロベリアの顔がそう声高に語っている。
エリカはそんな二人の前につかつかと歩み寄ってくると、
「いいですか。大事なシャノワールの仲間のピンチなんですよ!? ここで一致団結しないで、一体いつすると言うんですか!」
胸の前で手を組み、一言ずつハキハキと喋るエリカ。しかも目を必要以上にキラキラと輝かせて。
「……ちょっと待て」
ロベリアはようやく口を挟んでエリカの喋りを止める。
「何が仲間のピンチだ。自業自得の事態にこっちが首をつっこむ事はないって言ってるんだよ」
「違います!!」
エリカはキラキラ輝かせた目のまま、ずずいとロベリアの前に詰め寄った。そしてロベリアはそこに確かに見た。
エリカの目はキラキラ輝いているのではなく、かがり火のように激しく燃え上がっている事を。
「メルさんは今すっごく困っています。困っていなきゃいけないんです」
「『困っていなきゃいけない』ってなんだ」と突っ込む度胸は、今の二人にはなかった。
「わたしには判ります。メルさんの悩みが。苦しみが。頼りたくとも頼れないその小さな胸の内が。しかぁしっ!」
エリカは仰々しく右手で明後日の方を指差すと、
「そんなメルさんをこのまま見捨ててよいものか。いやないっ!」
一応本人の頭の中ではBGMなりSEなりが仰々しく流されていそうなのだが、さすがにそこまでは二人には判らない。判りたくもない。
「しかし。本人が『助けてくれ』って言うならいざ知らず。そもそも何でお前の方が来るんだよ?」
もっとも基本的な問いをシーにぶつけるロベリア。するとシーは照れくさそうに「あはは」と笑うと、
「そう言えばそうですよねぇ」
その答えにロベリアの頬がひくっと動く。
「メルはすぐ一人で全部抱え込んじゃうトコ、ありますしぃ。こっちが『手伝う』って言ってもぉ、かえって怒っちゃうかもしれないですぅ」
相方らしくメルの事をよく知る彼女がしみじみと語る。
そんな不器用さは人見知りな事にも原因があるのかもしれない。少々困った顔でシーが考え込む。
「……じゃあ仮に、お前にテクニックを教えたとしても、何の意味もないじゃないか」
本末転倒の見本を実体験してしまった空しさが、ロベリアの胸中に吹き荒れている。
「けど……だからこそ、無理矢理にでも手伝ってあげた方がいいんです」
「そうです! その通りです。さすがシーさんです!」
シーの言葉にエリカが変に力一杯同意している。
「それに。ロベリアさん、お酒大好きですよね?」
何故かエリカは急激すぎるほど唐突に話題を変えた。
「いい事をした後のご飯はとっても美味しいんです。だからきっとお酒も美味しいに違いありません。メルさんを助けた後のお酒はすっごく美味しいですよ。そうに決まってます!」
極めてめちゃくちゃなエリカの論法である。いや、論法と言っては論法に失礼である。
「いい加減に気づけ。お前達がやってる事が『気が利く』じゃなくて『お節介』だって事にさ」
ロベリアは特に感情込めずに淡々と言ったのだが、エリカはピタリと黙り込む。
「何度も言うけど、ギャンブルってのは自己責任。儲けも損失も、全部一人で背負わなきゃならないのがルール。仲間だって言うんなら、お節介するんじゃなくて、あいつが勝つんだって信じてやれよ。違うか?」
シーとエリカはぽかんとしてロベリアを見つめている。まるで時間が止まったかのように。
「まぁそれでも勝つのは万に一つもないだろうけど……なっ、なんだよ」
反論してくるだろうと思っていたロベリアだが、この反応には変に肩すかしを食らったかのようにギョッとしている。
「ロベリアさんの口から『仲間を信じてやれ』なんて言葉が出るとは思ってませんでした」
「ロベリアさんって、やっぱりイイ人だったんですね。エリカ大感激です!」
きょとんとするシーに勢い余って抱きついてくるエリカ。座っていたのでかわせずにエリカの抱擁を受け止めてしまったロベリアは、
「たっ、タダの受け売りだ! 放せバカ!」
エリカを突き飛ばすように向こうへ追いやると、まだ中身が残るワインの瓶をむずと掴んで、
「話はこれまでだ。こいつは報酬代わりに貰っていくぜ」
瓶をプラプラとさせ、後ろ向きのままひらひらと手を振りつつ去っていくロベリア。しかしその表情は非常に疲れ切ったものだった。
「同じ事を何度も言ってんのに、なんで判らないのかねぇ、ここの連中は」
彼女はようやく解放されてため息を一つつくと、ワインを瓶から直接飲もうとして――止めた。


勝負の日当日。問題のカジノのブラックジャックのテーブルについたメル。
クルピエはもちろん因縁のあるリアンだ。今日も白いシャツに黒いスラックス。艶のある黒のチョッキというクルピエスタイルだ。
リアンはメルの目の前で一組ずつカードをテーブルの上に扇状に広げて裏表を見せては、
「この通り、カードには何も仕掛けはしてないわよ」
まるで幼子を諭すような口調で、いちいちそう告げてくる。
いちいち言われては、さすがのメルもいい気分はしない。だがこうやって相手を怒らせて平常心を奪うのもギャンブルの戦法。そう本に書いてあった。
それからリアンは鮮やかな手つきでシャッフルを始める。一組のカードを二つに分け、その角を弾くようにして互い違いに重ねていく、カジノではよく行なわれるやり方だ。その後上半分と下半分を入れ替えるカットが行なわれる。
フランスのカジノでは、裏の模様が赤い物三組と青い物三組を交ぜて使うのが普通だ。シャッフルとカットが続くと次第にそれらが入り交じっていく。
十分ほどかけてじっくりシャッフルとカットを繰り返されたカードが、きっちりサボに収められた。
リアンはわざとらしく周囲を見回してから、
「じゃあ始めるけど、一人でいいの? 前みたいに、そこのお友達と一緒でいいわよ?」
リアンは、メルの後ろに立っているシーをちらりと見る。
「いい。今回は一対一で勝負するから」
口を引き結んでリアンを睨みつけるようにしているメル。気合い十分といった感じだが、どうも気負いすぎのようにも見える。
「頑張ってね、メル」
シーは笑顔でそう励まし、彼女の後ろにつく。
「お友達の方は、賭けにも参加しないの?」
ブラックジャックの場合、カジノによっては自身がテーブルについてプレイする他に、他のプレイヤーに便乗して賭ける事ができる。それをやらないかと聞いているのだ。
プレイヤーが勝てば一緒に配当金をもらえるが、便乗して賭ける者は、カードを引いたり止めたりする権利がないし、そうする意見を述べる事もできない。
「いえ。やりません。一対一の勝負に割って入るような事しませんよ」
シーもメルの真似をして、リアンを睨みつけるようにしている。だが彼女はそんな視線をサラリと受け流すと、テーブルに乗っている小皿に目をやる。
「あら。今回はおつまみ付き? お酒もないのに」
メルの側にはバターで煎ったピーナッツの入った皿があった。
カジノの中には軽食や酒のつまみを出すカウンターがある。ゲームの合間やゲームをしながら食べるのだ。
もっとも、お酒の方は量は飲めない。二杯目まではタダ同然だが、三杯目以降は「それ以上飲むな」と言わんばかりに法外な値をふっかけてくるのが、こうしたカジノでの通例だ。
「食べながらプレイするの、違反だった?」
一応平常心を装って淡々と答えるメル。するとリアンは、
「いいえ。そんな事はありませんよ、お客様。でもカードやジュトンに触れる時は、手をお拭き下さいね」
いかにも慇懃無礼な口調で返答する。さらにわざとらしく居住まいを正すと、
「判りました。勝負はサボのカードが無くなるまでにどれだけ儲けられるか、ね。では賭け金を」
自信たっぷりで挑発的な態度のリアンと堅実すぎて積極的になれないメル。そんな対照的な二人の勝負の火蓋が切って落とされた。
メルは静かにジュトンを置き、カードが来るのを待つ。
リアンはサボからカードを滑らせるように取り出し、次々とカードを置いていく。
伏せられたメルの一枚目をそっとめくるとクラブの4だった。オープンになっている二枚目はダイヤの7なので、合計は11。21にするにはあと10。
ブラックジャックでは「10」と数えるカードの方が多い。多いという事は来る確率が高いという事だ。実際それは統計でも52分の16――約30%と証明されていると本に出ていた。
数字的に見れば決して多いとは言えないが、実際ゲームをしてみると案外よく来るのだ。それはメルの少ない経験則からみてもハッキリしている。
「カルト(もう一枚)」
そう判断して、メルは三枚目を要求した。
すぐさま彼女の元に三枚目のカードが表向きで配られる。それは予想通りダイヤのJ。合計21だ。
「ノン・メルシー(要りません)」
メルは即座に四枚目を断わり、早速ピーナッツに手を伸ばす。これでクルピエが21でない限りはメルの勝ちである。
リアンは伏せていたカードを表に返す。カードはスペードのA。リアンはすぐさま二枚目を引いた。すると二枚目はスペードの9。合計20だ。
クルピエは17以上になったらもうカードは引けないルール。メルの勝ちだ。
「21おめでとう、メル・レゾンさん」
メルが伏せたカードを表に返そうとした時、リアンは作り笑顔でそう話しかけてきた。驚いて表情が凍りつくメルを見て、彼女はクスクス笑うと、
「表を向いているカードの合計が17で、しかも21をオーバーしてない。こちらにできた20を見て落胆していないのだから、21が完成しているに決まってるでしょう?」
リアンの判断は適確すぎるくらい適確だった。表になっている手札から相手の合計数を読むのは、ブラックジャックの常識だ。
勝った筈なのに固まった表情で配当金を受け取るメル。本で読んだ知識だけで太刀打ちできないと判ってはいたが、最初の勝負からそれを痛感させられるとは。
だが、始まったばかりで白旗をあげる訳にはいかない。メルは再び闘志を燃やしてピーナッツを口に含むとジュトンを置いた。それを見たリアンはすぐさまカードを配る。
今度のメルの手札は一枚目が2、二枚目が4。合計が6なのですぐさま三枚目を要求。すると来たのはハートのA。Aを1と数えれば7。11と数えれば17だ。
自分の手札が17の場合、もう一枚引いて手がよくなる確率は約30%。数字的に見れば「10」が来る可能性と同じだが、こちらの方は21を超える事が圧倒的に多いと本にあった。
かといってAを1と数えて7とし、もう一枚貰って10や絵札が来てしまったら結局は同じ事だ。
ピーナッツを食べつつメルは考えたが、メルは17と数えて四枚目を断わった。
それを確認したリアンも伏せていた札を表にし、二枚目以降を引いていく。
一枚目であるダイヤの3。二枚目はハートの5。三枚目はクラブの8。これまでで合計は16。
16なので、クルピエは嫌でももう一枚引かなければならない。それはルールで決まっている事だ。
だがリアンは考え事でもするように両腕をだらりと下げ、カードをじっと見つめている。
すぐ進めない事をメルが不思議に思っていると、リアンは左手でサボからカードを滑らせて出し、すぐ表に返した。
何と。来たカードはクラブの5。21の完成。メルの負けだ。
「残念だったわね」
メルからカードと賭け金を回収するリアンがさも慰めるように呟く。しかしその声にそんな感情はこれっぽっちもこもっていない。
「メル、負けちゃダメだよ」
こうした一言による心理的な攻撃も、カジノではよくある事だ。シーの応援でメルもその事を改めて心に刻み込む。
メルがジュトンを置いた時、リアンは「またか」と言いたそうに、
「たまにはもっと大きく張ってみたらどう?」
メルが置くジュトンは、賭けの最低ラインか、それプラス一枚か二枚。負けても大したダメージないが、それだけに儲けも薄い。
特にブラックジャックは他のカジノのゲームと違い、賭けた金が何十倍にもなって返ってくるゲームではない。同じカジノのゲームでも「一獲千金」を狙うタイプのゲームではないのだ。
「人の作戦に口を出すのがクルピエの仕事じゃないでしょう?」
言い方は優しいが、言葉の雰囲気は明らかに刺が入っている。リアンはわざとらしく「おお怖い」と呟き、ゲームを再開する。
メルに配られたカードはスペードの8とクラブの8。合計は16。
(一枚目を伏せるルールじゃなかったら、スプリットもできたのに)
スプリットとは、一枚目と二枚目が同じ数字のカードだった場合、それぞれを「別の手」として分けてプレイする事だ。もちろん最初に賭けた金額と同額のジュトンが必要になる。
合計が16というのはブラックジャックでは非常に中途半端な数字なのだ。もう一枚引くにはリスクが大きい。かといってこのままでは負ける確率が高い。
だからせめて二つの手に分けて、少しでもマシな数字にしよう、という戦法だ。
「どうします?」
両腕をだらりと下げた姿勢のまま、リアンが訊ねてくる。
このカジノのように一枚目を伏せて配るルールでは、伏せ札をさらす結果になるスプリットをする意味がない。だがこのままでは負ける。そう考えたメルは、やむを得ずもう一枚カードを貰った。
だが来たのはダイヤの9。合計数25となり、無条件でメルの負けだ。素直に伏せ札をオープンして、負けを認める。
「残念だったわね。二つの意味で」
意味ありげなリアンの口調に、メルは下げていた顔を上げる。
「一枚目と二枚目が8だった場合、スプリットして少しはマシな手にするのは定番ですものねぇ。もっとも。ここみたいに一枚目を伏せて配るところでは意味はないけど」
口の奥で小さく笑って説明するリアン。その言い方からして非常に神経を逆なでする。
だがそれに負けては勝負にも負ける。メルはぐっと堪えて平常心を保とうとする。
その様子がさも面白いといった風情でリアンは眺めている。彼女がカードを回収しようと手を伸ばした時、
バンッ!
何者かの手が、メルに配られたダイヤの9の上に叩きつけられた。
「相変らず、セコイやり口で素人から金巻き上げてやがるな、お前」
リアンは、声の主を見て顔をしかめる。
メルとシーは手の主の視線を追って仰天する。
「ロベリアさん!?」
そう。その手の主は誰あろう。ロベリア・カルリーニであった。

<後編につづく>


文頭へ 戻る 進む メニューへ
inserted by FC2 system