『7(セット)で勝負 前編』
「シャノワール」内のバーに、ロベリア・カルリーニがいた。
巴里始まって以来の大悪党。余罪一〇〇〇年を超える犯罪者。
そんな枕詞のつく彼女らしからぬ、何かに疲労したような冴えない顔で、カウンターに突っ伏している。
普段はそんな弱い面を見せない彼女だが、今は営業前で誰もいない。
このシャノワールで事務・広報・売店の売り子を勤めるシー・カプリスがロベリアを見つけた時、まさに彼女は屍のようであった。
「あのぅ、ロベリアさん……?」
シーはちょっと――いや。かなり遠慮がちに、おそるおそる声をかける。
他人に弱い面を見せないロベリアだが、見られてから慌てて取り繕うとするほど小心者ではない。かといって口封じをしようとするほど姑息でもない。
ただ、いかにもだるそうに、自分を覗き込んでいるシーをじろっと睨みつけるだけだ。
その視線に顔を引きつらせ、文字通り二、三歩後ずさるシーだったが、小声で「ファイト」とよく判らぬ気合いを入れ直し、再びロベリアに近寄った。
「……ん?」
いつもなら冷たくあしらうだけなのに、だるそうとはいえちゃんと反応してくる。それはそれでいい事だと思うが、どうにも普段のロベリアらしくない。
「あのぅ、何かあったんですかぁ?」
シーの舌足らずな子供っぽい喋り方に閉口しつつも、ロベリアはめんどくさそうに口を開いた。
「酒……ないか?」
「ありますけどぉ……。朝からお酒は感心しませんよぉ?」
「そんなのこっちの勝手だろ。あるならよこせ」
ロベリアはちらりとシーを見ると、片手に確かにワインの瓶を持っていた。そのラベルは明らかに安物のワインの物であったが、無いよりはいいとその瓶に手を伸ばそうとする。
だが、その動作も実に緩慢として、これもやはり普段の彼女らしくない。
「ロベリアさん、二日酔いですかぁ?」
少し小首をかしげるシーではあるが、その割に酒臭くない。病気だろうか。
「……エリカのバカは見なかったか?」
シャノワールはもちろん、このモンマルトルの町の(ある意味)名物キャラクターである、見習いシスターのエリカ・フォンティーヌの事である。
思い込んだら一直線の猪突猛進な性格だが、人々に奉仕するのが歓びという、シスターの鑑とも言える彼女。
だが、天下無敵の天然ボケ(何も考えていないという説もある)で元気一杯にふるまうため、やることなすことが厄介事を生み出すトラブルメーカー。悪気が全くないだけに町の人間も怒るに怒れないのだ。
世紀の大犯罪者のロベリアに対してもそれは例外ではなく、何かにつけてこれでもかと構ってくる。
その独断的なノリにロベリアはいつも巻き込まれ、いつの間にかエリカのペースになってしまう。だからロベリアはエリカを苦手としていた。
「エリカさんがどうかしたんですかぁ?」
普段なら冷めた表情で突き放すロベリアだが、シーのその呼びかけに、
「……あのバカ何とかしろ。これ以上あの殺人シェフをのさばらせておく方が、よっぽど世のためにならないって」
そんな物騒な言葉も、気だるそうに言われては迫力もない。
「殺人シェフ?」
苦笑いしつつ問い返すシー。確かにエリカの料理の腕前は、お世辞にも上手とは言えない。有り体に言えば下手というレベルより遥かに下だ。
この反応からすると、彼女の料理を食べさせられたのだろう。シーは酷くロベリアに同情した。
しかし。イコール機嫌が悪いという事にも繋がる。それでは困るのだ。
「……それで、アタシに何か用でもあるのか?」
めんどくさそうではあるが、ロベリアの方からそう切り出してきた。
驚くシーに向かって、ロベリアは「バカかお前は」とため息を一つつくと、
「朝から酒は感心しない、なんて言ってるヤツが、こんな時間に酒瓶持って歩いてる訳ないだろ。店の物を片づけてるんなら、そんな乱暴な持ち方はしないしな」
確かに。シーはワインの瓶の口の方を無造作に片手で握っているだけだ。きちんとしたワインならもっと丁寧に扱う筈である。
体調は良くなさそうだが、その眼力は変わっていない。シーは彼女の洞察力に素直に感心する。
「ロベリアさん、スゴイですぅ。よく判りましたねぇ?」
「世辞はイイから酒よこせ、酒」
「じゃあ、あたしの話……聞いてくれますかぁ?」
手を伸ばしかけたロベリアは、その「交換条件」を一瞬考えたが、
「話を聞くだけならな。もし頼み事なら別の品も追加しな」
そう言うと、シーの手から酒瓶を荒っぽく奪い取った。


ロベリアはワインの栓を抜くと、グラスに注がずに瓶に直接口をつけて一口飲んだ。
本来ならじっくり味わいたいところだが、あからさまな安物相手に気取っても仕方ない。
シーはそんな不作法な彼女の仕草に目くじら一つ立てる事なくちょこんと隣に腰かけていた。
「やっぱり酒はいいねぇ」
安物にしてはずいぶんと複雑な味に感心しながらも、ロベリアは幾分機嫌を直していた。我ながら単純だと思うが、いい酒に巡り合った時の酒飲みなどそんなものだ。
「ったく、朝からメシ食ってどうするってんだよ、なぁ?」
(普通食べますよぉ)
シーは心の中でツッコミを入れる。さすがにこれ以上機嫌を悪くされたら、話を聞いてもらえるものももらえなくなるからだ。
「……で、話ってのは? ちゃっちゃと話せよ」
カウンターに肘をついているロベリアに、シーは少し考えた後、スパッと言った。
「ブラックジャックの必勝法、知ってますかぁ?」
ロベリアは思わずこけそうになった。
前置きがダラダラと長いのは好かないが、ココまでストレートに切り込んでくるとは思っていなかった。
「何でいきなり必勝法!? しかもブラックジャックかよ?」
ロベリアがかなり呆れ気味に問い返す。
「知ってたら教えて下さいぃ。あと三日しかないんですぅ」
「ちょっと待て、落ち着け、おい」
真剣な目でずりずりとにじり寄ってくるシーを、両手で突っぱねるロベリア。
「教えてくれるんですかぁ!?」
目をキラキラとさせるシーに、ロベリアはため息を一つつくと、
「教えるも何も、このテのゲームに必勝法なんてある訳ないだろ」
当たり前である。ブラックジャックに限らず、ゲームというものはどちらかに有利不利はあっても、「必勝」法は存在しない。もしあるとすれば、それはルールに欠陥がある証拠だ。
特にカードゲームとなれば、配られる手札の運など長い目で見れば五分と五分。有利な時に果敢に攻め、不利な時に損失を少なくする。それらを上手くやり続けるのが「ウデ」である。
「そもそもギャンブル自体、アンタに向いているとは思えないけどね」
シーは良くも悪くも素直で子供っぽい。それに単純に「勝負事が好き」というだけ。どちらの意味でもギャンブラー向きではないのだ。
「それはそうですけどぉ……」
「……大方、アンタの『相方』がハマリでもしたか?」
「実はそうなんですぅ」
シーは照れくさそうに苦笑いを浮かべていた。
シーの相方とは、このシャノワールで経理とオーナー秘書を勤めるメル・レゾンの事だ。
彼女とは対照的に真面目で几帳面な少女で、大人びた事務的な口調・応対ばかりしている。
それはひとえに人見知りが激しく、真面目ゆえの融通の効かなさが災いしての事である。
聞くところによれば、名門大学を卒業できるだけの単位を取得しているのに、中退してここで働いているらしい。
「で? ハマり過ぎて借金でもしたのか?」
「いえ。そこまでは負けてないですよぉ?」
「『そこまでは』って事は、やっぱり負けてるんじゃないか」
もう用はない、とばかりに「あっちに行け」と手を振るロベリア。
「ギャンブルでスるのは自己責任。こっちが口出す義理はない。借金でも何でも勝手にしろ。アタシはビタ一文出さないぞ」
ワインの瓶を持ったまま席を立とうとするロベリアに、シーがガシッとしがみついた。
「お、おい、放せよ、こら!」
「だから、そうじゃないんですってばぁ〜」
「じゃあ何なんだよ。借金もしてないのに、何で必勝法がいるんだ?」
「あと三日しかないんですってばぁ〜」
「だから!」
ロベリアはやっとの事でシーを振り解くと、
「肝心なところを話せって言うんだよ。初めからちゃっちゃと話せって言ってるだろうが!」
「判りました。お話しますぅ」


話は四日ほど前に遡る。
シャノワールでの仕事が終わった後、メルとシーの二人は小さなカジノに遊びに行った。
カジノの語源はイタリア語の「CASA(カーザ:小さい家)」という言葉から来ており、元々は保養地にある小さな家の事。
そこで集まって娯楽に興じる者が増えていくうちに次第に意味が転じ、その結果現在の「ギャンブルをする場所」という意味になった。
ここフランスではかのルイ十五世の時代にカジノの原型と言える物が誕生している。
貴族などの特権階級向けのサロンと、庶民向けの賭場。その特権階級向けのサロンが、今のヨーロッパにおける「カジノ」へ発展したのである。
そのため、規模は小さいが格式は非常に厳しくて高いところが多い。
入場にはスーツの着用が義務づけられ、身分証明書を提示されたり入場料を取られたりもする。近年まで女性の立ち入りすら禁止されていたほどだ。
しかし、その中身はビジネスや一獲千金を夢見る場ではなく「優雅な楽しみ」。それは営業開始時間が昼過ぎか日暮れ時といったところにも表れていると言える。
もっとも。そうしたカジノがある中で、格式を(ほぼ)そのままに庶民が気軽に入れるような場所も次第に増えてきている。実際二人が訪れたのも、そういう新興カジノの一つだ。
ここフランスで人気が高いのはやはり「カジノの女王」とも呼ばれるルーレットだ。儀礼的な動作・客とのやりとりが多いのでゲームの進行は遅いが、「優雅に楽しんでいる」感が充分に出るのが魅力なのだろう。
「ムッシュー・フェート・ヴォ・ジュー(紳士の皆さん、どうぞ張って下さい)!」
カジノに入ると、そんなクルピエ(ディーラー)のかけ声が聞こえてくる。周囲には女性もいるのだが、このかけ声は女子禁制だった頃の名残り。しかし、それを女性差別と言う者はいない。
二人は人気のあるルーレットではなく、そこよりは少し人気の少ない、半円形のテーブルにつく。
そこはブラックジャックのテーブルだった。
ブラックジャックとは言わずと知れたカードゲームの一つ。クルピエと客が、配られたカードの合計を二十一に近付ける、カジノでも定番のゲームである。
定番ではあるが、当時のフランスではブラックジャックはそれほど人気の高いゲームではなかった。細かなルールがカジノごとに違って統一感がなく、ややこしかった事が要因の一つだろう。
ブラックジャックは運や成り行きだけではなく、頭脳をフルに使った知識やこれまでのゲームで得た経験。そして何より推理力が物言うゲームだ。
中には独自の「確率論」を最高と主張して、ゲームそっちのけで意見を戦わせるギャンブラーもいる。人気が高いゲームではないのでそれほど大っぴらに論じられている訳ではないが。
メルはこのブラックジャックが好きだった。自分なりの「確率論」を考え、展開し、勝負する。理屈っぽいと云われる自分には、むしろ性に合うゲームだ。
一方のシーは「勝負事が好き」なだけであまりそういったこだわりはなく、勝ち負けを追求する性分ではない。
独自の確率論を展開するメルも、勝ち負けにこだわらないシーも、特に儲けなど考えてはいない。もちろん負けが込むのは嫌だが。
勝ったり負けたりを続けてやがてカードが尽き、シャッフルするためゲームが一時中断する事となった。
「クルピエ、交替します」
どこか可愛らしい声に、メルは伏せがちだった顔を上げた。
そこに立っていたのは、声からは想像できないような、かなり大柄な女性だった。おそらく一八〇センチは超えているだろう。
カジノに女性が入れるようになったのは近年になってから。それは客に限った話ではない。
それゆえ何十年もやっているベテランである筈はなかったが、不思議とそんな落ち着きを感じる女性だった。
そんな彼女はクセのある長い赤毛で顔の左半分を隠したまま、右目だけで周囲を悠然と見回している。
そんな女性クルピエが、使われたカードを素早く揃え始める。
カジノでのブラックジャックは、六組のカードを使って行なわれる。それらを小分けにしてはシャッフルし、またその一部を別の山と入れ替え、シャッフルを続ける。
それが終わるまでの十分ほどの間に気持ちを入れ替えたり、軽く何か食べに行ったりするのが定番だ。
シーはクルピエのカードさばきを何の気なしに眺めていた。その手際の良い高度なテクニックでのシャッフルは、一種の大道芸のようだ。見ているだけでも楽しい。
ところがメルの方は今まで以上にむっつりと押し黙り、その様子を食い入るように見ていた。
やがてシャッフルが終わり、カードがサボと呼ばれる、一枚一枚取り出しやすくする専用の容器に収められた。
女性クルピエは、メルとシーの他に参加者がいない事を確認して、
「では始めます。賭け金を」
その声に、二人は賭け金を置く場所にジュトン(チップ)をポンと乗せる。
それを確認したクルピエは、容器の一番上のカードを滑らせるように取り出し、裏のままテーブル上を走らせるようにして所定の場に置いていく。
一枚目は表にして配るところが多いが、このカジノでは裏向きに配るルール。二人ともカードの隅を少しだけ持ち上げてカードを確認する。
メルの一枚目はダイヤの7だった。
クルピエが自分の分を裏向けに置くと、そのまま二人に二枚目のカードが、今度は表向きに配られる。
メルの二枚目はハートの10。シーの二枚目はハートの8。
クルピエの二枚目はまだない。プレイヤーの総ての処理が終わってからクルピエの二枚目以降を配るのがヨーロッパ風のルールなのだ。
メルの手札は一枚目のダイヤの7と二枚目はハートの10を足して、合計17だ。
「お嬢さん。三枚目はどうしますか?」
クルピエがメルに訊ねてくる。
21にするためには4が来なければならない。1から4までのカードと5から10までのカードの数を比べると、圧倒的に後者の方が多い。
21を超えたら即負けになる以上、確率を考えると分のいいものではない。
「要りません(ノン・メルシー)」
メルは手の平を下向けにして軽く左右に振る。「もうカードは要らない」という合図の仕草でもある。
ところが。シーは訊ねられると間髪入れずに「もう一枚(カルト)!」と元気よく答え、手招きする。
すると来たカードはハートの4。
「ああ〜、超えちゃったぁ〜〜」
泣きそうな顔でがっくりうなだれるシー。それを聞いたと同時に、クルピエはシーのカードと賭け金を回収する。一瞬だけ見えたシーの一枚目は何かの絵札だった。
(18から21を狙うなんて、いくら何でも無謀よ)
メルは相方の攻撃的すぎる戦法にわずかにため息をついた。
それからクルピエは伏せられたカードを表に返す。スペードの7だった。
続けて二枚目を引いた。引かれたカードはスペードの4。
その組合せにメルは少し表情をこわばらせた。ブラックジャックでは「10」と数えるカードの方が多いからだ。多いという事は来る可能性が高いという事である。
そして三枚目は――クラブのQ。クルピエに「21」が完成してしまった以上、メルの負けだ。メルは伏せたカードを表にして負けを認める。するとカードと賭け金が手際よく回収されていく。
「あなたがあのカードを引いていたら勝っていたのに。相変わらず危なそうな橋は絶対渡らないタイプね」
回収際、旧知の知り合いのようにメルに声をかけるクルピエ。その言い方は変に刺の入った物のように聞こえた。
「確率が低いほどそこに勝負を賭けて勝つのがギャンブルというものじゃなくて?」
「……あいにく、ギャンブラーじゃないから」
そう答えるメルは、さっき以上にムスッとした顔で、ぶっきらぼうな口調だ。二人の間に一瞬火花のようなものが散ったような錯覚さえする。
そんな二人のやりとりに、シーはどうしたらいいのだろうとオロオロするばかりだ。
「ね、ねぇメル。この人知ってる人なの?」
小声でそう訊ねるのが精一杯だった。
「……同級生。リアン・アスュレ」
思い出したくもない、と言いたげにメルが言った。その顔は不快感に満ち、今にも席を立ちそうなほどだ。
名家の出であるメルと、成り上がりの豪商の娘のリアン。
成績優秀で真面目で几帳面だが積極性と社交性に欠けるメルと、成績は平凡でいい加減だが要領がよく挑発的で社交家のリアン。
相手の行動の一つ一つが自分の神経を逆なでするように、何から何まで反りが合わなかった二人なのだ。それはもう好き嫌いというレベルではなかった。
取っ組み合いのケンカに発展する事だけはなかったが、お互いが「気に食わない」と思って学生時代を過ごしていた事だけは確かだ。
クルピエ――リアンはそんなメルの反応に楽しそうに小さく笑うと、
「ずいぶんと味気ない紹介ね。けど、あなたに親しげにされる方が気味が悪いけど」
メルはその言葉を遮るように、ジュトンを荒っぽくドンと置いた。
「次の勝負」
その冷ややかな声にシーが驚く。これは相当怒っている証拠だ。シーもその迫力に圧されるようにジュトンを置く。
リアンはくすりと笑うと鮮やかな手つきでカードを配った。
メルに来たカードはスペードのJとハートの10。合計20。
シーの二枚目のカードはハートのA。Aはその場の状況に応じて1とも11とも計算できる。伏せられた札によってはかなり有利になる。
さすがにこの数字でもう一枚引いて21を狙う事はない。メルは三枚目を拒否すると、シーも三枚目を拒否した。きっと21に近いのだろう。
「勝つ自信があるなら、一度だけジュトンを上乗せしてもいいわよ。このカジノのルールではそうなってるの」
リアンは小さく笑みを浮かべて二人にそう告げた。
ブラックジャックの場合、基本的に一度賭けた賭け金を増減させる事はできない。それはハッタリを利かせて相手を勝負から下ろさせる事ができないという事だ。ブラックジャックはそういう種類の駆け引きがないゲームなのである。
「いいの?」
シーが目を輝かせて聞き返す。その反応からすると、かなりいい手なのが容易に予想できる。
リアンの意味ありげで挑発的な笑みにメルは不安を感じたものの、シーは何も考えていないかのように、最初と同額のジュトンを賭ける。
リアンはそれを確認すると、自分のカードを表に返す。カードはクラブの10。次のカード次第では同点、もしくは逆転される可能性がある数字である。
リアンがカードを引いて表に返す。出たカードはダイヤの2。それから引き続けクラブの3。ハートのAと続く。ここまでで合計16だ。
クルピエは自分のカードの合計数が16以下であれば必ずもう一枚引かねばならず、逆に17以上であればそれ以上カードを引いてはいけないという決まりがある。
リアンは考え事でもしているかのようにじっとカードを見つめ、両手をだらりと下に下げている。
やがて意を決したようにサボからカードを一枚引いて、表に返す。出たのは――クラブの5。合計21だ。二人の顔に落胆の色が浮かぶ。
「あー、20だったのにぃ」シーは悔しそうにカードを表にした。
「……20」メルはカードを表に返して呟く。
「ここのカジノのルールでは、手札が五枚以上で勝てば、賭け金が倍になるルールがあるのよ」
手札が五枚で二倍。六枚で四倍。七枚で八倍になるというルールだ。もっとも、そこまでカードを引いて21を超えない確率など極端に低いものだが。
リアンの手札は合計五枚だから二倍になるという事だ。そのルールを聞いた二人は落胆どころか顔が真っ青になる。
「安心して。そのルールはクルピエには適応されないから。あくまでお客側だけのルールよ。驚いた?」
二人の様子を見たリアンはクスクス笑いながら、シーの賭け金とカードを回収する。メルの物も同様だ。


以後二人が勝てたのは数えるほどだった。
狙い過ぎて21をオーバーするシーはともかく、確実に堅実に手を作っていくメルではあるが、リアンは常にその上を行っていた。
クルピエは16以下なら必ずカードを引かねばならないルール。しかし、その割に21を超えるのが圧倒的に少ないし、17から20に止まっても二人に負ける事も少ない。
カード運だけでは片づけられないものを感じるが、カードは手に持たずに専用のサボから一枚一枚取り出しているのだ。何らかのトリックを使っているとも思えない。
こうなるともう泥沼である。いくら儲けようと考えていなくとも、自分でも気づかぬうちに自分の手に集中できなくなる。負けが込んで次第に焦りが出てくる。
そして、二人とも今日換えた分と儲けた分のジュトンを総て使い果たしてしまった。
表面上あまり変わったように見えないが、メルは相当悔しそうだ。
いつもの自分なら、負けが込んできた時点でゲームを止めて席を立つのに、今日に限って無くなるまで続けてしまったのだから。
「実力をつけてまたいらっしゃい、メル・レゾンさん」
相変わらずクスクスと笑うリアンのその声その態度が、何と彼女の心を切り刻んでいる事か。
だがシーは、そんな傷心の彼女にかける言葉の一つも思いつかなかった。

<中編につづく>


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