『甦るラスト・アーム・スレイブ 前編』
相良宗介が帰宅の為陣代高校を出たその時、彼の懐から電子音のベルが聞こえてきた。宗介は急いで内ポケットから携帯電話を取り出し、電源をオンにする。
「はい。こちらサガラ」
電話の相手は、彼も良く知っている<ミスリル>の通信員だった。急いでいる訳でもなさそうだが、何故か早口でまくしたてている。
彼は二つ三つ返事をして電話を切った。応答は英語で答えたので、この日本では会話の内容を察知できる人間など少ないだろう。
それでも念の為にと周囲を見回す。別に誰かが聞き耳を立てていた様子もなく、ほっと一息つく。
そして、彼は携帯電話を内ポケットにしまいながら、そのまま走り出した。
学校の最寄り駅・泉川からバスを乗り継いで同じ市内にある調布飛行場へ向かう。
そして、飛行場の隅に止まっているチャーターしたセスナ機に乗って、日も傾いた東京を後にした。
小さなセスナ機はそのまま南に飛び続け、やがて夕闇が迫る八丈島の小さな空港に無事着陸。
彼はすぐさま飛び下り、そこから少し離れた所に止まっている双発のターボプロップ機に近づいた。近づいてくる彼の姿を認めたパイロットが彼に軽く敬礼をし、気さくな感じで彼に話しかけた。
「ああ、軍曹。今日は天気も良いです。良いフライトになりそうですよ」
「そうか」
だが、彼のなぜか青あざだらけの顔を見て、
「どうされたのですか、その顔は……」
「何でもない」
彼はいつも以上にぶっきらぼうに答えると、そのまま飛行機に乗り込んだ。
軍曹。そう。彼は東京の一高校生などではなく、本当の姿は多国籍構成の対テロ組織<ミスリル>の軍曹なのだ。
そんな彼も、現在は東京で暮らしている。千鳥かなめという少女の護衛の為だ。
かなめは見た目は美少女の部類に入り、平均点以上の体力・運動能力を持ってはいるが、正真正銘間違いなくごく普通の女子高生である。
そんな彼女をなぜわざわざ護衛するのか。
その理由は、護衛をしている宗介自身にも詳しく知らされてはいなかったが、これまでに何度か襲われた時の状況などから分析すると、何でも「ウィスパード」と呼ばれる「存在しない技術(ブラックテクノロジー)」が眠る、いわば生きたデータバンクのような存在らしい。
彼女に眠るその知識たるや、下手をすれば現存するあらゆる兵器、いや、文明そのものが変容しかねない程だという事だ。
そんな知識を持った者が一個人・組織に独占されては一大事という訳で、人種も年齢も同じ、一緒にいても目立たず違和感のない彼が、彼女の周囲に常駐する「護衛」として東京で生活しているのだ。
本当は、彼の他にも影ながら護衛する者がいる。彼自身はその影の護衛とは面識もないのだが、その護衛がいるおかげで、こうして彼女の元を離れる事ができるのだ。
だが、そういった影の護衛がいるとはいえ、自分で決めた事だ。たとえ彼女自身が何を言おうが、彼女にどう思われようが、自分はただこの護衛を全うするのみだ。
彼女の安全が保たれるのならいかなる手段をも辞さないし、自分はどうなっても構わないという覚悟はあるつもりだ。
しかし彼女は何が気に入らないのか、二言目には何かしら文句ばかり言ってくる。
やれ「はた迷惑」だの、やれ「余計なお世話」だの、やれ「いい加減にしろ」だの。
確かに、彼女の住む東京都内と自分が生まれ育った戦場では色々と事情が違うのは確かだ。それは自分にもわかる。
だが、襲ってくる敵はそんな事はお構いなしだろう。いついかなる時彼女が襲われるかわかったものではないのだ。
そういった理由で、いかなる事態になったとしても即座に対応できる準備をしておかねばならないというのに。
どうも、彼女は狙われているにもかかわらず、そういった事が根本的に欠けているらしい。
機が太平洋の真ん中に浮かぶ<ミスリル>の基地につくまで時間はたっぷりある。
彼は、どうしたら彼女がそういった事を理解してくれるのか。また、どうしたらより彼女の安全が保たれるのか。
(もしかしたら、何か重大な見落としがあるのかもしれない。じっくり考えて直してみよう)
エンジンの音でうるさい機内の中、彼はオリーブ色の野戦服に着替えつつ、自分の思考の中にのめり込みつつあった。
しかし、いくら考えても正しいと思える答えは出なかった。


自分の時計が夜の十時を差す頃、太平洋の真ん中に浮かぶメリダ島が見えてくる。その無人島の地下にはミスリルの西太平洋基地が隠されているのだ。
大地が開いて現れた偽装カタパルトにターボプロップ機が着陸する。機長に礼を言って別れた彼は、その足で自分の所属する特別対応班――SRTのオフィスに向かった。
青あざがまだ取れない顔のままオフィスに入った宗介は、同僚のクルツ・ウェーバー軍曹に遠慮のない言葉で出迎えられた。
「お。どうした、ソースケ。イマドキの日本の高校生にゃ、そういうメイクが流行ってるのか?」
黙っていればモデルもできる(本人はモデル経験もある、と言っているが)スマートな金髪碧眼の容貌だが、喋らせると遠慮のない品性下劣な部分がバレバレになる。
「今朝だ。カナメにやられた。大声がしたので、急いで彼女のマンションのドアの鍵を壊して……」
そこまで話した時、クルツがあきれ顔のまま「ああ、わかった」と言いたそうに、手を振って言わなくて良いと合図する。
「それにしても、日本に住むようになって結構経つってのに。いい加減慣れないかね、おまいさんは」
「努力はしている」
短くそう答えると、クルツの手渡した書類を手に取った。先程通信員からの連絡があった通り、アーム・スレイブの新型OSのテストに関する詳細なスケジュールが書き込まれている。
「全く、カリーニンのおっさんも時代遅れっていうか。モバイルだってあるってのに、未だにこんな紙っきれで連絡するなんてな」
クルツは一応自分の所にもある――机の上はごちゃごちゃで、どれが問題の書類かの判別は非常に困難だったが――そのスケジュール表にぶつぶつ文句を言っている。
カリーニンとは、彼等の直接の上司で作戦指揮官でもあるアンドレイ・カリーニン少佐だ。常に冷静で、落ち着きのある人物だ。
「……意外と、あのおっさん機械音痴だったりしてな。テレビとエアコンのリモコン間違えて『何でテレビがつかないんだ!?』なんて大騒ぎするタイプかもよ」
「……いや。それはないだろう」
宗介は詳しい事は知らないが、少なくとも少佐が軽妙なる手さばきでパソコンなどをいじっている姿は見た事がない。
「そういうお前は何をしている?」
クルツを見ると、宗介のデスクにポータブルDVDプレイヤーを置き、何か見ていた。
「なぜ、自分のデスクで見ない?」
「いいじゃねーか。どーせ使ってねーんだし」
そう言いながら小さな冊子をもてあそびつつ画面を見ている。
宗介が画面をよく見ると、夕日の沈む砂漠の真ん中で、ボロボロに傷つき錆ついた人型兵器がくずおれているシーンだった。それをバックに淡々とした日本語のナレーションが流れている。
まじまじと見つめる宗介に気づいたクルツが、
「ああ。俺がガキの頃やってた日本のアニメだよ。本放送は1981年だから、実際に見たのは再放送だけどな」
彼は十四の頃まで日本で暮らしていたという。その時に見たのだろう。
「……見た事のない型だが、どこのASだ? この砂漠から判断すると……アフリカの物にも思えるが?」
そのセリフにクルツががくっと首を倒す。
「それに、高価なASをこうして放棄するなど。よほどの事があったに違いない」
ピントがずれまくった解釈をする宗介に向かって、彼が「しょーがなく」といった雰囲気で説明する。
「どこでもないよ。今言ったろ? 昔の日本のアニメだって」
「……懐かしいな。まだ子供の頃、こんな砂漠でASに乗る訓練をした事もあったな」
宗介が昔を思い出しながらどことなく遠い目をしている。
「だから、これはASが出る前の物だっての」
「そんな頃からこうした人型兵器が存在していたとは、驚きだ」
クルツは、現実と虚構の区別が今一つわかってないように見える宗介の腹を軽く叩くと、朗々とした声で語るように言った。
「『Not even justice, I want to get truth. 真実は見えるか』ってな」
「? 何だ、それは?」
「……もーいい。とにかく観賞会の邪魔はしないでくれ」
そう言って再び画面を食い入るように見つめるクルツ。
「何バカな漫才やってるのよ、大の男が二人して」
そう言いながら片手にサンドイッチと何かの書類のはさまったクリップボードを持ったままオフィスに入ってきたのは、二人と良くチームを組む上官であるメリッサ・マオ曹長。ショートの黒髪の活発な印象の美女だ。
「お、姐さん。お疲れさん」
「残業、ご苦労」
クルツと宗介がマオに挨拶をよこす。彼女は宗介の姿を確認すると、
「やっと来たわね、ソースケ。書類は見てくれた?」
「今見ていた所だ」
その答えを聞いて詳しい事を話そうとした時に、彼の青あざだらけの顔が目に入った。
「……何よ、その顔。あんたがそこまでボコボコにされるなんて珍しいわね」
「カナメちゃんにやられたんだってよ。また例によって戦争ボケでもカマしたんじゃねーのか?」
クルツのその言葉を聞いて、マオもあきれ顔になる。
確かに宗介は小さい頃から戦場で育った。アフガンゲリラあがりの傭兵で、これでも世界中の紛争地帯を転々と渡り歩いた凄腕の戦士。そのせいか、彼には「戦争がない日常」というものが全くわかっていなかったりする。
そんな彼が戦争とは無縁の日本で護衛をしているのだから世の中わからない。
マオは気を取り直し、自分の持っているクリップボードの書類をめくる。
「え〜と。その書類の件。『M9<ガーンズバック>新型OSテスト』なんだけど、ちょっと訂正箇所が出てきちゃってね」
そう言いながらクリップボードに挟んでいたボールペンの尻の部分で頭をかいている。
「……えっとね。この中の『<アーバレスト>との模擬戦』なんだけど、これカット。模擬戦に使う訓練用ナイフの強度がだいぶ落ちててね。使ってる途中に壊れたら意味ないし、かと言って本物使って模擬戦する訳にもいかないしって事で」
訓練用ナイフは、刃の部分がサインペンと同じ水性塗料を含んだウレタン製で、「斬った」部分にペンキがつく仕組みだ。
単なる素振りならともかく、本物を使って戦うのでは実戦と変わらないし、万一修復困難な破損をすれば損をするだけだ。
「ま、これはどうでもいいんだけど、問題はそっちよりもこっちね。さっき<ガーンズバック>が……部品の交換。<アーバレスト>が電子兵装(ヴェトロニクス)調整中にちょっとエラー起こしてね。復旧に時間がかかりそうなのよ」
本当は「大腿部のマッスル・パッケージの全交換」なのだが、それを言ったところで二人には判りそうもないので手短かに話すマオ。
それを聞いたクルツが「またかよ」と吐き捨てるように言って天を仰ぐ。
<ミスリル>が使うAS・M9<ガーンズバック>は、まだ世界のどの軍隊にも配置されていない最新鋭の高性能機なのだが、それだけにまだまだ圧倒的に数が少なく、部品の互換性や整備の問題がすぐに噴出するし、いつも実戦で無傷という訳にはいかないので、確保した筈の交換部品の在庫もすぐに底をつくありさまだった。
中でも宗介が乗るARX−7<アーバレスト>という彼の専用機(というより、彼以外まともに扱えない)はもともと生産性を全く考えずに、今は亡き制作者が「存在しない技術(ブラックテクノロジー)」の導入のみを追求したというASだ。部品の互換性は更にない。
彼がぐちぐちと文句を言いたくなるのも当然かもしれない。
「……わかった」
宗介は残念そうな顔のまま小さく答えた。
「……模擬戦、やりたかったの?」
マオは珍しく見る彼の残念そうな顔を覗き込むようにして訊ねる。
「……いや。それとは別の事だ」
「カナメの事か? いやぁ、君もオトコノコだねぇ。青春だねぇ」
クルツが仰々しい身振りをつける。
「そして、近い将来カナメをゴチソウになるのか、ネクラ軍曹くん?」
何か続けようとしたクルツだったが、マオに目線で止められ、慌てて口をつぐんだ。
「ゴチソウになる? 俺に食人の習慣などないぞ」
真面目な顔でそう答えた宗介を見て、マオはちょっとあきれ顔になると、
「ソースケ。確かにカナメは口より先に手が出るタイプみたいだけど、そこまで殴られるなんてよっぽどの事じゃない?」
彼はうつむいたまま黙り込んでいる。飛行機の中で考えていた事が再び彼の頭をめぐる。
「どうしたら彼女が護衛の事を理解してくれるのか。どうしたらより彼女の安全が保たれるのか。そういった事を考えていてな」
「それで、カナメにしばき倒される訳か? お前のは大げさなんだよ。もう少し肩の力を抜くっつーか、良い意味で手を抜くっつーか」
「普通なら確実に嫌われてるわね」
マオとクルツは口を揃えてため息をついた。


<ミスリル>西太平洋基地の最高責任者にして、作戦部に属する戦隊<トゥアハー・デ・ダナン>戦隊長にして、同名のハイテク潜水艦の艦長でもあるテレサ・テスタロッサ大佐は、その日の執務の終わりに、明日の予定のチェックに余念がなかった。
ところが、彼女はまだ十代半ばの少女に過ぎない。だが、その美少女然としたおとなしそうな外見によらず、強者ぞろいの歴戦の勇士達と互角に渡り合えるだけの度胸と、彼等の能力を十二分に使う知能を持ち合わせた「天才」と言っても良い少女なのだ。
しかし、ここ連日の激務の疲れが出ているのか、その美しい灰色の瞳もやや色が翳り、目の下にうっすらとではあるが隈もできている。
「……では、明日はM9の新OSのテストくらいですね」
手元の書類と机上のホロ・スクリーンに素早く目を通しながら確認を済ませる。
本来こうしたテストは工場側でやるのが普通なのだが、工場側の「現場の人間の意見を直接聞きたい」という強い要望の為、わざわざ時間を割いたのだ。
もちろん、この予定は、毎日のように飛び込んでくるクルーからの報告書・要望書の処理。事細かな部分にいたるまでの些細なトラブルの処理等を除いての話だ。
そうしてテキパキと手と目を動かす彼女を見て、秘書官のジャクリーヌ・ヴィラン少尉は笑顔のまま、
「はい。当日に作戦行動の命令がなければ、の話ですが」
と優しく答える。ヴィランは背が高い事もあって、少し彼女を見下ろすような感じはあるが、威圧感はない。
「新OSのテストは午後から始めるとの事です」
彼女の側にいた副長のリチャード・マデューカス中佐がそうつけ加える。ひょろりとして痩せてメガネをかけた、一見さえない感じの中年将校だ。
その中年将校が、自分の娘程の年齢の彼女に向かって幾分優しげな笑みを浮かべると、
「ちょうど良いのではありませんか。艦長もだいぶお疲れでしょう。いかがですか。少し休養をとられては」
確かに、このところ忙しさのあまり休暇らしい休暇をとってはいない。それは、この基地で彼女の仕事が多い事もあるし、また、彼女でなければ決定できない事が多いせいでもある。
「しかし、それでは……」
自分の所で使う事になるかもしれない物のテスト運用に責任者の自分がいないというのは、責任者としての執務をサボっているような感じがして、どうにも落ち着かなかった。その申し出をやんわりと断ろうと口を開こうとするが、
「ご心配なく。本来明日は大佐の休暇の日です。休んでも文句が出る事はないかと」
ヴィランが手元の書類を見て言った。
「そ、そうだったんですか?」
慌てて聞き直す彼女にヴィランは笑顔のまま、
「はい。今朝、そう申し上げた筈ですが」
何事もなかったかのような表情を作り、そう答える。笑い出しそうなのを堪えているようにも見えたが、彼女は何も言わずにおいた。
「確かに艦長でなければ決定できない事が我が部隊に多いのは事実です。しかし、艦長はあまりにもご自分を大事にしなさ過ぎます。あなたも一人の人間です。いざという時に何かあってはこの部隊にとっても一大事ですし、部下にも示しがつきません」
ひょろりとした外見からは想像もできない、まるでたたみかけるような迫力を出し、マデューカスは一気にまくしたてる。その勢いに彼女は座ったまま少しのけ反るように引きながら、
「……はぁ。わかりました。では、お言葉に甘えて、午前中くらいは休暇にします。でも……」
その迫力に気押され、きょとんとした顔で答える。しかし、こんな急に、しかも強引に決めてしまったのでは自分のスケジュール調整に問題が出るだろう。しかし「有能な」秘書官は笑顔のまま、
「ご心配なく。スケジュールの調整は既に済んでいます」
と答える。こちらの行動を先読みしたかのような手際の良さ。まるで二人が結託しているのでは、と勘ぐりたくなるようでもあるが、それはないだろう。
「何でしたら、一日中休暇にする事も可能ですが……」
ヴィラン少尉の思わぬ申し出を慌てて手と首を振って断った。いくら何でもそれでは甘えが過ぎる。しかしマデューカスは、
「そうですな。ASのOSのテストにまでご足労いただかなくとも。何から何までご自分でなさるのも結構ですが、我々もあなたに頼らずに部隊を運営できなくてはなりませんしな。それに第一……」
あまりに強引すぎるこの展開に、少々頭がくらっとするのを感じつつ、
「……中佐」
彼女は小さく咳払いをすると、彼も珍しく饒舌になった口を慌てて閉ざす。
「とにかく、作戦行動の予定もありません。こういった休暇の日くらいは職務を忘れてのんびりなさって下さい。もちろん、緊急事態の際にはお呼びします。もっとも、ない事を祈りますが」
ヴィランがそう告げ、マデューカスもうなづく。
「……わかりました。そうします」
何故か、仲間はずれにされた子供のような顔でうなだれる彼女だった。


テスタロッサ大佐――テッサは自分の執務室を出て、既に消灯された基地内をとぼとぼと歩いていた。本当は自室へ直行して着替えも疎かにそのままベッドに倒れ込みたい気分だったが、このまま明日になったところでとりたててやる事もない。まだ十六だというのに仕事一辺倒で、余暇にやる趣味という物もないのだ。
もっとも、あったところでやる時間など全くないのはわかりきってるのだが。
(こんな十六歳なんて、世界でもわたし一人でしょうね)
そんな事を考えながら疲れた足取りで自動販売機へ向かい、いつも通りおしるこドリンクを購入する。
「あ。テッ……じゃない。大佐」
後ろから聞き慣れた女性の声。ゆっくりと振り向くと、そこに立っていたのはテッサとはプライベートでも仲の良いマオだった。
「あ。……マオ曹長。どうしました?」
プライベートの時のクセで「メリッサ」と呼びそうになるのを堪え、呼び直す。
いくら「メリッサ」「テッサ」と呼び合って殆どタメ口をきいてる仲とはいえ、基地内では「大佐」と「曹長」の階級差をわきまえている。その為自然と言葉遣いもていねいになる。
マオはそのままテッサに近づき、自分も自販機でコーヒーを買う。
「今日の執務は終わりですか、大佐?」
「ええ。明日はわたしは休暇だそうです。自分でも忘れてたんですけど」
「あ……そうですか」
「自分でも忘れてたんですけど」の部分に思わず吹き出してしまうマオ。普段なら我慢する所だが、基地内とはいえ既に消灯されている。きつく咎められる事もあるまい。
「そっちも大変でしょう? 明日はM9の新OSのテスト運用の筈ですから」
どんな兵器であれ、コンピュータであればOS――オペレーションシステムは不可欠だ。
簡単に説明してしまえば、こちらの操作を、使用しているソフトに的確に伝えるのがOSの役目だ。他にもシステム全体の管理といった重要な役割もある。
ASはパイロットの動きを「真似る」形で動かす人型兵器。しかし、コクピットのスペースの関係上手足を振り回す空間などとても取れない。
その為狭いコクピットの中でパイロットの行なった「わずかな」動きを「増幅」する形で機体を動かす事になる。この「増幅」を素早く・正確に・パイロットの思い通りに行えるか否かがASの優劣を決定づけると言っていい。
だから、主にASを使う現場の戦闘員であるSRT要員はまず例外なく実戦経験者からしかスカウトされない。
それでも彼女達は、専門の操縦兵ではない。だが、マオはまだ(?)二十代半ばにもかかわらずAS操縦の技能にかけては基地内でも一、二を争う腕前だ。
それに加えて工学の修士号を持っており、設計・開発チームに加われる程の知識を持っている。現在<ミスリル>で使われているM9導入の際も、彼女の「専門家」としての意見が数多く取り入れられた程だ。
何か新装備のテストの場合はその知識を買われて徹夜続きで整備等に協力する事も稀ではない。
「OSはインストール済だし、バックアップもとった。ちょっと調子の悪いパーツの交換に手間取ってるけど……そこからはあたしも専門外」
誰もいない為か、だんだんと言葉に地が出てくる。
「だんだんと構造が複雑になって、ちょっとした整備でも何時間もかかっちゃうようになったってのは、やっぱり問題かしらね。技術の進歩も良い所ばっかりじゃないって事なのかしら」
マオは、まだ修士号修得過程中に本で読んだ、初期型のASの事を思い出していた。
あの頃の――といっても十年程前だが――ASは、まだまだ「ぎこちないパワードスーツ」の域を脱したものではなく、スタイルだってM9のようにスマートでかっこいいものとは程遠かった。
その代わり操縦も整備も「扱い」という点では非常に簡単で、現在程大変ではなかった。さすがに実物を見た事もいじった事もないが、当時の設計図くらいなら今でも残っている。
「そうなのかもしれませんね」
いつも世界最先端の技術の結晶ともいえる兵器を運用している部隊の隊長らしからぬ微かなつぶやきと共に自嘲気味にため息をつくと、軽く伸びをして話を続ける。
「とりあえず、テストは予定通りに始められそうですね。本当はわたしも立ち会う筈だったんですけど」
そう言ったテッサの目の下にうっすらとできた隈を見つめ、マオがすかさず言った。
「どうせ、中佐あたりに止められたんじゃない? 『大佐はあまりにもご自分を大事にしなさ過ぎます』とか言われて」
物まねをした訳ではないが、結構似ていた言い方だっただけに、テッサも悪いとは思いつつもクスクス小声で笑ってしまう。
「ええ。言われました。明日はお言葉に甘えてのんびりさせてもらおうかと……でも、のんびりはできそうにないですね。気になって落ち着かなくって」
こうなるともう職業病の一種かもしれない。そんな風に感じたマオはコーヒーのプルタブを空け、一口すすると、
「休める時に休んでおくのも、軍人としての大事な資質よ」
いつにも増してお姉さんぶってテッサに言うと、ふと、何かを思いついたようににんまりと笑う。
薄暗い消灯済の通路の暗さと、自動販売機のディスプレイの放つ淡い光とが混ざりあった空間で、そのにんまりとした笑いは少々気味悪く映った。
「? どうしたんですか?」
その気味悪く映った笑顔にちょっと言い様のないわずかな怖さを感じ取ったテッサが一歩引く。マオはテッサの両肩をポンと叩くと、
「でも、健康維持程度の運動はするべきよね。ずっと部屋の中での仕事なんだし」
「……は?」
「そうね……運動音痴のテッサにもできそうなのは……ジョギングくらいかしら。明日の朝、島の東側でもひとっぱしりしてなさいよ。新OSテストでASを動かすのは西側だから問題ないし。うん。ぜひそうしなさい!」
「……はぁ?」
肩をポンポンと叩きながらそう言うマオをぽかんと見つめるテッサだった。

<中編につづく>


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