『黄色と黒のリパルス 後編』
試合の方は双方点が入らないまま進んでいた。
かなめも代打には立ったが、相手ピッチャーの鋭い球に内野フライに打ち取られた。「ゴメンゴメン」と謝りながらベンチに戻ったかなめは、ふいと吉方神高校側のベンチを見る。
そこには、留学生のケラと、彼女に捕まったボン太くん=宗介が二人で並んでいる。スケッチブックを使って筆談をしているようだ。
(学校のヤバイトコ調べるんじゃなかったっけ?)
そう思ったかなめだが、基本的に宗介は優しいのだ。頼ったり慕われた時、それを無視できる人間ではない。警戒心が強かったり行動基準が標準的な日本人とはかなりかけ離れているだけなのだ。
それを判っているだけに、腹が立つ自分に腹を立てているかなめ。
一方の宗介=ボン太くんは、ケラとスケッチブックを使って筆談という名のお喋りの最中であった。
本来こうした練習試合の場合、試合を見て勉強したり応援するのが正しいのだが、部長の「少しでも日本語を覚えるだろう」という判断で、好きにするよう言われていたのだ。
<ソフトボールの経験はあるのか?>
<ボツワナでは、ニポンからきたひとのおかげで、ソフトボールがさかんです。ケラもおそわたです>
<青年海外協力隊にソフトボールを教わったのか>
<おばさんがこのがこうのひとだたです。だからこのがこうきたです。ここでべんきょーして、しょーらいはケラがボツワナでせんせーになるです>
読みは問題ないがまだカナしか書けないケラの文章を、古文書の解読のように読みすすめる宗介。確かにカナだけの日本語というのは案外読みにくいものだ。おまけに話し言葉同様小さい「っ」まで抜けている。
確かにケラの言う(書いた?)通り、青年海外協力隊を始めとする様々なボランティア集団がアフリカに物資や医療スタッフだけでなく、こうしたスポーツ交流のための人材も送っていると宗介は聞いた事がある。
ソフトボールを教えたのがこの学校のOBらしいところから考えて、この学校に留学してきた理由も納得できる。昔はソフトボールの強豪校だったのだから、そうした人材がいても不思議はない。
(……どうやらエージェントの線はなさそうだな)
ようやく宗介は彼女への警戒を解く気になったようだ。そこに吉方神高ソフト部の部長の声が、
「ケラちゃん、代打に出て」
彼女はレギュラーではないが立派な部員である。必要とあれば試合に出るのだ。
「はいです!」
ケラはボン太くんのもこもこした手を軽く握ると、側にあったバットを持ってバッターボックスに向かって行く。
時計を見ると、さすがにもう戻らねばならない時刻になっていた。
すっと立ち上がった時、スクリーンに小さく警告メッセージが表示された。センサーが銃器の存在をキャッチしたようである。
この「ボン太くん」に搭載されている各種センサー類は、下手な軍用装備を遥かに凌駕する。その銃器の位置を確かめると――この学校の校舎の屋上であった。
それも、先程調べておいた「狙撃に格好のポイント」の一つ。校舎西側の先端部。きっと狙撃手がいるに違いない。
「ふもっふ(あそこか)」
くいと見上げるが、地上からでは何も見えない。たとえ誰であれ侵入者に容赦する気はない宗介は、何気ない足取りでちょこちょこと校舎へ向かう。急いで走ったのでは、侵入に気づかれたと思って逆襲に転じられる可能性があるためだ。
だが、センサー上では侵入者が移動した気配はない。宗介はそのままトコトコと校舎の中に入る。
校舎の中に入り切ると同時に、宗介はボン太くんの全センサーを最大限に稼動させた。屋上にいる「何者か」が、その途中に何か仕掛けていないという保証はないのだから。
それから校舎の階段を注意深く。そして素早く駆け上がって行く。
四階まで駆け上がって来た時、赤外線カメラに反応があった。四階の階段を登り切った曲り角のところに、うずくまって隠れている人影を見つけたのだ。人間の心臓音をも拾い上げる低周波センサーが、その人影のものとおぼしき、若干速めの心拍数の心音をキャッチしていた。
(先程の者とは違うな。複数犯なのか!?)
散弾銃の引き金に指(?)をかけて注意深く階段を登る。ボン太くんが階段を登り切ると同時に、その人影はこちらに飛び出して来た。
その刃物を持つチンピラ風の男をボン太くんはひらりと避け、回転する勢いを利用して散弾銃の銃床をみぞおちに叩きつけた。その一発で、男は簡単にくず折れる。
ボン太くんはその男の襟首をむずと掴むと、すぐ近くにあった男子トイレの個室に引っぱりこんだ。苦労して蓋を閉じた洋式便座に座らせる。もちろん両手は頑丈な手錠で拘束済みだ。
やがて気がついた男は大声を上げかけるが、ボン太くんが無表情で突きつけた拳銃のために、声がピタリと止む。
「ふもふもっふ。ふぅもふぅも、もっふる(将麻(しょうま)組組長の暗殺を企んでいるのか?)」
言ってから「これではダメだ」と気づき、ボン太くんはスケッチブックを取り出すと、今言った事を書いて、男に見せる。
彼は無視するようにボン太くんから視線をそらすが、顎の下に拳銃を押しつけられると途端に態度をひるがえした。
「そうだよ。今どきヤクザ映画みたいな殴り込みなんざ流行らねぇだろ!?」
あまり度胸が座っている男ではないらしく、ひたすら小声で命乞いをし、その合間に情報を喋るような有様である。
ボン太くんはこの作戦に参加している人数や装備を一通り聞き出すと、スケッチブックをしまいこんだ。
「たった一人で俺達に勝つつもりか? そんな映画みたいな真似、できると思ってんのか?」
もはや強がりにしか聞こえない男の言葉に、ボン太くんは不敵な笑み(?)を浮かべると、
「もっふも。ふもっふもふもふるん(問題ない。こちらはスペシャリストだ)」
言うと同時にスタンガンで男を気絶させる。
男は「何言ってんだか、わかんねー」と呟きつつ、意識を失った。


男の情報から、見張りを兼ねた自分の他に、雇った狙撃手=殺し屋二人がこの校舎の中に侵入している事が判った。
ボン太くんに搭載された機器は優秀ではあるが、この広い学校総てを網羅できる訳ではない。いくらでも隙間はある。
今日はソフトボール部の練習試合で校門は開いている。敷地の中に校外の人間がたやすく入れるのだから、チンピラはもちろん、殺し屋の方はもっと楽に侵入に成功した事だろう。
急いで侵入者を確認した狙撃ポイントへ向かわねばならない。ボン太くんは散弾銃を構え直すと、まるで飛ぶように階段を駆け上がっていく。
鈍重そうな外見からは想像できないスピードを生み出すのは、内部に埋め込まれた筋力補助機能のおかげだ。ボン太くんの重みを感じる事なく、自身の脚力が存分に発揮される。
すぐに屋上へ出るドアの前に到着した。そのドアを自身の勘と各種センサーを頼りに、念入りに調べていく。
(ドアにも仕掛けは……ないようだな)
ボン太くん内部のスクリーンには、人間の体温を感知する赤外線カメラからの映像が映し出されている。
ドアの向こうの屋上の床に、ピタリと伏せたまま階下を見下ろしている一人の人間がハッキリ映っていた。そしてその方向が校庭ではなくその反対――将麻組組長宅の方に向いている。
(やはり狙撃する気か!?)
宗介は屋上へのドアを押し開けると同時に、散弾銃の銃口を伏せた人間に突きつける。それに気づいた地味なスーツ姿の人間はいきなり現れたボン太くんを見て、
「な、何だお前は!?」
ボン太くんはそれに答えず散弾銃の引き金を引いた。ヘビー級ボクサーのパンチ並みの威力を持つゴム弾がばらまかれる。
だがその人間はライフルを手放すと勢いよく転がってボン太くんから遠ざかる。予期していなかった動きに、ボン太くんの引き金を引く指(?)がわずかに遅れた。
スーツの人物は無言で懐から銃を取り出してボン太くんに向かって発砲。サプレッサー(消音機)がついているのか、ぼっぼっと気の抜けた音が響く。
ボン太くんはそれらの弾を横っ跳びに飛んでかわすが、側頭部を屋上の手すりにぶつけてしまう。
だがそんな体勢からも、再びスーツの人物に向けて発砲した。ばらまかれたゴム弾が相手の胸部に命中し、相手は小さなうめき声とともに倒れ伏した。
「ふもっふ、ふも……(やはり暗殺者か)」
取り立てて特徴のない、どこにでもいそうな男である。だがその男から感じる雰囲気は、自分と同種類の、人殺しを生業とするもの独特の物を確かに感じた。
その時。着ぐるみごしに別の殺気を感じる。
(この男の仲間か?)
その時、望遠レンズが殺気の主を捕えた。それはもう一つの狙撃ポイントである校舎の東側。屋上への出入口のさらに上。給水塔からの物であった。
望遠レンズで拡大された映像には、伏せた状態で狙撃銃をこちらに向けている作業着姿の人物の姿がハッキリと映っている。
さっきの銃声で、ここで何かあった事は周囲に知られてしまっている。ターゲットはすでに逃亡した事だろう。
狙撃兵ならばこういう時即座に逃げるのが正しいのだが、行きがけの駄賃にこちらを攻撃でもするつもりのようだ。
その距離約一〇〇メートル。
すぐにでも反撃に転じたいが、今持っている銃は散弾銃。とてもじゃないが届く距離ではない。
一方向こうは狙撃銃。一〇〇メートルなどよほどの事がない限り外さない距離だ。
だが、それとは別のよく知る殺気が、どんどん近づいてくる。
「ソースケーーーッ!!」
開けっ放しのドアからかなめが飛び出してくる。それこそ怒りの表情で肩をいからせ髪を逆立てるように。ことわざの「怒髪天をつく」を体現したかのように。
「あんたねぇ。他校に来てまでばんばんばんばんナニテッポーぶっぱなしてんのっ!?」
「ふもっ、ふもっふも!(千鳥、危険だ!)」
一瞬振り向いて叫んでしまう。だがボイスチェンジャーのせいで意図は全く伝わっていない。彼女は髪を逆立てたままこっちに向かってくる!
そしてこの隙を、望遠レンズの向こうの人物は逃さなかった。
ぱんっ!
乾いた音が小さく響く。何の音か判ったのはこの場ではただ一人だ。
音とほぼ同時に、かなめの前に立ちはだかったボン太くんが、アッパーを喰らったボクサーのように身体をわずかに宙に浮かせ、のけぞった。
その身体はかなめを押し潰そうとしていたが、ボン太くんはそれでも懸命に身体をひねり、それを避けるように床に叩きつけられる。
ボン太くんが倒れたのを見て初めて、かなめは自分が撃たれたのだと気がついた。
「ソー……スケ?」
倒れたまま微動だにしないボン太くんを、棒立ちになったまま見下ろすかなめ。
「ちょ、ちょっと、冗談でしょ!?」
このボン太くんの毛皮は、ライフル弾さえストップする超アラミド繊維でできている。何発も撃ち込まれたら判らないが、一発喰らったくらいではびくともしない筈なのだ。
なのに彼は動かない。身じろぎもしない。
そこへ飛び込んできた影がもう一つあった。
「おねーさん、ぼんたくんどーしたですか!?」
その口調から、やってきたのがケラだと判った。しかしかなめが何か言っているのだが言葉にならない。
ケラは倒れたボン太くんを見て目を丸くしたが、すぐさま辺りを見回して校舎の東側を見ると、
「あれがぼんたくんをうたですね!?」
口を引き結んだ厳しい表情で、給水塔を急いで下りている人影を睨みつけると、何故か持ってきていたソフトボールを力一杯握りしめ、そのまま投球ポーズをとった。
小さな身体を大きく振り回すような大きなモーションで、彼女はボールを力一杯投げつけた。
それは、呆然としていたかなめを、別な意味で呆然とさせた。
ケラの投げたボールは、一〇〇メートルあまりの距離をまるで弾丸のように一直線に飛ぶ豪速球。それが給水塔から下りた人物に見事命中したのである。
その人物はまるでボクサーからのパンチを喰らってしまったレフェリーのようによろめき、その場に倒れ伏す。完全に気を失っているようだ。
放物線を描くように投げればこのくらい投げられる人間は多いが、そうではなく一直線なのだ。おまけに大の大人一人を気絶させられる威力。イチローのレーザービーム顔負けである。
「やたです」
ケラはぐっと握りこぶしを作ってかなめを見つめた。だがすぐ倒れたボン太くんに近づくと、
「ちはでてないですけど、ぼんたくんだいじょぶですか」
その時、ボン太くんの手がピクリと動いた。ケラとかなめの顔がほころんでいく。
「ふもっふ……」
もこもこした全身を転がすようにしてバランスを取りながら、ボン太くんはゆっくりと立ち上がる。
「ふもっふ。ふもふもふぅも、ふもっふもっふ(不覚だった。ショックでコンピュータがエラーを起こすとは)」
弾が命中したのは、頭と胴体の接続部分付近だった。そうした接続部分はどうしても他よりは強度がもろくなる。
ライフル弾をストップする性能はあるが、弾を受けた場所によっては、その衝撃まではストップし切れないらしい。
最近のコンピュータは性能が高くハードディスクの容量が大きい分、強い衝撃を受けると脆い。まだまだ改良が必要だなと、宗介は自戒する。
何を言っているのか判らないが、無事である事に安堵した二人は身体についた土埃をパタパタとはたいてやる。
「だいじょぶですか? いたくないですか?」
「もっふも(問題ない)」
ケラの心からのいたわりの言葉に、ボン太くんも返事を返す。
「え、えと。……ありがと」
「ふもふもふもふもぅふ。もっふもふ(君を守るのが俺の役目だ。無事ならいい)」
一方かなめも微妙に視線をそらしたまま、かぼそい声で礼を言う。だが、その身体が急に真後ろに引っぱられた。
彼女の身体が何かにドンとぶつかって止まる。ぶつかったのは――
「……頼むから、こんなチンピラみたいな真似させるなよ」
少し咳き込んだ無感情な声がした。
「ふもっ(千鳥)!!」
「おねーさん!!」
ボン太くんとケラが驚く顔の向こうにいた者。それは、先程ボン太くんが散弾銃のゴム弾を撃ち込んだ、狙撃手の男だった。
男は人を殺して報酬を得る者独特の無表情で、消音機をつけた銃口をかなめの喉に食い込ませ、彼女を盾のように前に押し出していた。
先程は気づかなかったが、身長一六五センチのかなめの頭が男の胸にきている。かなりの長身だ。体勢に無理がない分仕損じはしないだろう。
しかし不思議な事が一つある。いくら非殺傷のゴム弾とはいえまともに喰らった以上、こんな短時間で意識を取り戻すとは思えないのだ。
そんな宗介の疑問を見抜いたかのように、男は注意深くかなめを押し出したまま少しずつ後ずさりしつつ、
「気休めに防弾チョッキを着込んでいたのが、こんな形で役に立つとは思わなかったぜ。東京でボン太くんとやらが潰したヤクザの事務所から、ここはそんなに離れてないから、遭遇の可能性もあったしな」
防弾チョッキは弾丸そのものはもちろん、それらの破片などから身を守るために使われる。その防弾チョッキのおかげで、わずかなりともゴム弾の威力が半減していたのだろう。
それに気づいてよく観察してみれば、上半身の肉付きが微妙に違う。筋肉とは違うゴツゴツとした感じがある。
機器の優秀さに気が緩んでしまうのか、いつもの観察力が鈍っている気がする。これではいかんと自身を奮い立たせるが、いくらゴム弾とはいえかなめごと男を撃つ訳にもいかない。
もちろんボン太くんの腕前なら、男の顔面のみを狙って撃つ事もできなくはないが、この弾は散弾なので小さな弾丸が広範囲に拡がる。かなめにも弾は必ず当たってしまう。
この近距離でゴム弾を喰らったら、皮膚の貫通はもちろん骨折は免れまい。良くて一生ものの痕が残り、下手をすれば弾が内臓に達して命を落とす。
「非殺傷兵器」と名がついてはいるが、それが飾りでしかない事は、使っている宗介自身が一番よく知っている。
それだけはできない。
根拠はないがそう判断した宗介は、ボン太くんの中でじっとする事しかできなかった。心底悔しそうに散弾銃の持ち手を握りしめている。隣に立つケラも何もできない。
隙を突こうにも、相手もプロらしく隙が全くない。行動を起こすには、相手の気をそらす「何か」がなければ……。
動くに動けぬボン太くんとケラを、引きつった表情で見ているかなめ。宗介と出会い、幾度も「こうした」非常事態に巻き込まれるようになってしまったが、慣れた訳ではない。
こうして銃やナイフを突きつけられれば真剣に怖い。かといってかなめ自身が護身術を学んだ訳でも格闘術を身につけている訳でもない。
この男の発する独特の空気は、かなめも何度か味わった事がある物。人を殺す技術に長けた人間が持つものだ。
こういう種類の人間は、必要と感じれば他人を殺す事にためらいは一切持たない。自分のような女を殺すなど、息をするより簡単にやってのける。
だがそうした状況でも、自分の中のどこかに、嫌なくらい冷静にこの事態を観察している自分がいる。
大丈夫。この場で殺される事はあり得ない。もし自分を殺したら「人質」がいなくなり、間違いなくこの殺し屋(?)は宗介に撃たれ、捕まるだろう。
そうなりたくないのなら、自分に危害を加える事はできない。少なくともこの場では。
だがこうなってしまったのは、自分の不注意が原因でもあるのだ。いつものように彼の行動を諌めるのだけに注意がいって、周りを全く見ていなかったのだから。
自分さえいなければ。自分がちゃんと周囲を見ていれば。自分が人質にならなければ。宗介の攻撃でこの男は再び気絶して事件は終了していたろうに。
「ったく、今日の山羊座の運勢は『最高にラッキー』の筈だったのに……」
出がけに見たテレビの占いコーナーの様子を思い浮かべるかなめ。
あまりに場違いな彼女のつぶやきに、男は銃口をぐいと押しつけると、
「泣き喚いてくれないのは有難いが……」
そう言いつつもジリジリと校舎への扉に近づく男は、さらに、
「俺も山羊座だ。そんな占いを鵜呑みにしているから、こういう目に遭うんだ」
確かに「仕事」に失敗するようでは「最高にラッキー」とは言えまい。しかもピンチを迎えているのだから。
だが、かなめはまだ運命から見捨てられてはいなかった。
彼女の頭の上から「ごずん」という鈍い音が聞こえたのだ。同時に男の拘束の手が緩む。
「ふもっ(千鳥)!!」
ボン太くんが鋭く叫び、こちらに向かって駆けてくる。咄嗟にかなめは男の手を押し退けると、姿勢を低くしてその場から飛び退いた。
ボン太くんは腰のベルトに挟んでいたスタン・バトンをすらりと抜くと、電源をオンにする。警棒に電流が走るその様子は、まるでビームサーベルか稲妻の剣を彷佛とさせた。
「ふんもっふっ(くたばれっ)!」
警棒の刃(?)が男の腰にめり込み、バヂッと鈍い音と同時に男の身体は激しく硬直した。さしもの防弾チョッキも、高圧電流の前ではただの衣服に過ぎない。完全に通電していた。
だが男はそれでもかろうじて意識を保っていた。ふらふらとよろめくように銃口をボン太くんに突きつけ――
ごすん。
音と共に男の動きが止まる。何事かと音の方向に注目すると、男の顔面にソフトボールがめり込むような勢いで命中していた。投げたのはケラである。
「やたです」
嬉しそうな彼女の笑顔。そこで男はようやく本当に気を失い、その場に倒れ伏した。


校内に侵入していたのは狙撃手二人にチンピラ一人。総てを片づけたとようやくボン太くんは安堵する。
「もふっふ、ふもふも(大丈夫か、けがはないか)?」
ボン太くんの差し出した手を、かなめは素直に取って立ち上がった。先程のお返しとばかりに埃を払おうとするボン太くんの手はやんわりと断わるかなめ。
「一体何があったの?」
先程の音と男の拘束が緩んだ事がかなめには疑問だったのだ。
「おねーさん、よかたです」
少し離れたところから、ケラがトコトコと駆け寄ってきた。先程男に投げつけたソフトボールを一つ持って。
「このボールがとんできて、あのひとのあたまにあたたです」
彼女に言われてよくよく見れば、頭にはコブが。顔面にはボールの縫い目の痕がクッキリと。その様子はストレートパンチをまともに喰らってKOされたボクサーのようだ。
誰かが打ったボールがここまで飛んできたのだろう。打席の位置関係から考えるととんでもない大ファールである。だがその大ファールのおかげで皆助かったのだ。
屋上から校庭を見ると、バッターボックスに立っている陣高ソフト部部長・野上由紀の姿が見えた。鋭いボールを見事に打ち返し、今度は反対方向へのホームランとなった。先取点を獲得したようだ。
その時、開け放した扉から大勢の人の足音が聞こえてきた。それは美樹原組の柴田達だった。彼らはボン太くんの姿を見るなり、
「せ、先生、ご無事で!?」
「もっふも(問題ない)」
慌ててやってきた彼らに、ボン太くんは「落ち着け」と言わんばかりに手を挙げて答える。それから身ぶり手ぶりでトイレに閉じ込めたチンピラと校舎の端に倒れている男の回収を命じた。
二手に別れる美樹原組の若い衆。だがどちらにも行かずにこちらに来る、見知らぬ壮年の男性が一人。頑固一徹の職人を感じさせる痩せた男だ。もちろん見覚えはない。
「こいつらが俺の命を狙ってやがったのか。こんな遠くから鉄砲で仕留めようなんざ、極道界の未来は暗いぜ」
小さく、それでいて寂しそうに呟く男。それから彼はボン太くんに歩み寄ると、
「話には聞いていたが、見事なモンだ。人は見かけによらねぇな」
男はボン太くんをまじまじと見つめ、素直に賞讃の言葉を送っている。と、柴田が彼を指し示して、
「先生。こちらが将麻組の組長さんです」
確かに言われてみれば、ヤクザ者独特の雰囲気を感じない事もない。だが組長はかなめやケラの方を向いて頭を下げると、
「有難うごぜぇます。皆さんは命の恩人です。そして、大変申し訳ありやせんでした」
開口一番、太い声で頭を下げられると、逆にかなめは驚くやら恐縮するやら。対応に困りすらしている。
一方のケラはヤクザものがよく判っていないのか「どういたしまして」と頭を下げ返している。その反応に組長は、そこで初めてケラが黒人だという事に気づいたように、
「ひょっとして……お嬢ちゃんが、外国から来た留学生かい?」
「はいです。ケラトゥルウェ・セタコです。みんなケラよぶです」
さすがに地元のヤクザ。情報収集に抜かりはないという事か。組長は背の低いケラに合わせてしゃがむと、口を引き結んだ真面目な表情で語りかけた。
「危険な目に遭わせちまったな。けど、こんな事で日本を嫌いにゃならねぇでくれ」
その様子を見たかなめは思わずボン太くんに向かって、
「なんか意外な感じがするわね。ヤクザ屋さんってもっと怖い人達か悪い人達かと思ってたけど」
それを聞いた組長を「しょうがねえ」とばかりに苦笑いを浮かべると、
「『弱きを助け、強きを挫く』。それが俺達侠客の――極道の正しき在り方ってもんでして。最近は中身が伴わないヤツばかりになっちまいましたがね」
その後を続けるように柴田も口を開いた。
「そうですよ。皆さんあっての我々ですから。皆さんが笑顔で暮らせりゃ、俺達はそれでいいんですよ」
するとケラは組長に向かって、
「だいじょぶです。ニポンすきです。とくにひえぴたシートがすきです」
ひえぴたシート。熱が出た時に氷嚢などの代わりに額に貼って使う、一般には「冷却シート」と呼ばれている物だ。
唐突に出てきた単語に皆がきょとんとしていると、
「ボツワナでねつがでたときに、ニポンのひとがくれたです。すごくべんりでかんどーしたです。だからニポンきたです」
そう語るケラの笑顔には、一点の曇りもなかった。かなめ達もそれにつられたかのように笑顔になる。
その笑顔こそが、彼ら「本来の」極道が守るべき笑顔に間違いないと、かなめは思った。

<黄色と黒のリパルス 終わり>


あとがき

リパルスとは『撃退する』『反撃する』『拒絶する』という意味を持った単語です。黄色と黒に関しては……多分言わずともお判り戴けると思います。
管理人もお気に入りのボン太くんが登場のお話です。けど好きなだけに動かしにくい。好きという感情移入が大きすぎて。
おまけに話を思いついたのは8月末なのに、こうして完成したのが10月末。
おかげでオリンピックの女子ソフトボールの感動が薄れるどころか忘れましたよ。そこから今回の話を思いついたのに。
ちなみにボツワナは本文で述べた通り。数少ないソフトボールプレイ国。今はあんまり強くないですけど、ゲストキャラ・ケラちゃんのような方々が増えていったら……どうなるか判らん。けど競技人口少ないしなぁ(泣)。
本文中でも述べてますが、「元々の」極道ってのはああしたものです。伝統と格式を今に受け継ぐ美樹原組なら、おそらくそれに近い事をやってるんじゃないでしょうかね。
それとは真逆な方々ばっかりになってる現代。どげんかせんといかん(笑)。

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